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源平政権交代思想[2008年06月06日(金) ]
 静さんの「源平合戦の幕」に再コメントさせてもらう積りで書こうとしたのですが、この際自分の生半可な知識をわずかでも整理すべく、少し調べてみたことの要約を書かせてもらうことにしました。

 平清盛と源頼朝から始まった武家政治において、間を置かずに「源平政権交代思想」
が定着したようです。

 源氏の第三代将軍実朝暗殺には頼朝の妻政子の実家の北条家(平氏)が黒幕だったという説が有力になっているそうですね。

 時代は飛び、源氏の室町幕府を滅亡させた織田信長は、自分の先祖は藤原氏(もちろん本流・傍流多岐に別れている)であったものを、源平政権交代論に拠るべく、系図を平氏に換えさせた事実があるらしいとのこと。

 そんな中、朝廷も信長を征夷大将軍に叙すべく動き始めたのには、信長も内心満更でもないようだったとか。

 しかし、平氏の征夷大将軍は前例がないということで信長の征夷大将軍就任はすったもんだの揚句、結局は没。

 今風に言えば、「前例がないから・・・・」のお役所的決まり文句でその意向を示すのが朝廷であり、「前例がないからやる」のがベンチャービジネスの信長になるのでしょうか。
 
 既成の権威をも顧みない信長にとって、征夷大将軍とはどのように映り
響いたのか興味はありますが、ここで注目すべきは、戦国期の有力守護大名土岐氏の流れを汲む明智光秀の存在であります。
 
 土岐氏は平安期の皇族に端を発する源氏一族の血をひくそうですが、当時のもっともインテリ階級に属していた光秀にとって、「平氏の信長」が源氏の本流の足利氏に取って代わったことに対し、「源氏の血を引く自らがこの思想を具現化すべし」 と、いう一念でその後の展望もないまま、ストレートに本能寺に向かったと いう見解の歴史学者や作家もいるようですが、実際に光秀に会って訊いてみたい気もしますね〜

 現代の私たちの感覚でなく、当時の社会の「暗黙の合意」であった思想などを通して、その時代を考えるのは歴史を観る上で大切なことは言うまでもないのでしょうが、静さんの投稿は、私に新たな知識を得させながら今述べたような「時代観察の方法論」をも再認識させてくれたようです。

 改めて御礼を言います。

Posted by とっちゃんぼうや at 18:04 | この記事のURL
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コメント


静さん、コメントありがとうございます。 
 
下剋上の世界といえば、われわれの感覚ではストレートに「氏素性などまったく関係なく力がある者なら誰でも」と錯覚しがちになりますね。

末端の武士階級には、「このどさくさ紛れに自分の縄張りを増やそう」、あるいは「常日頃ムカついているあいつをこの際叩き潰そう」といったレベルの者も大勢いたと思いますね。

 私ならさしずめ、「隣村のいやな奴が戦争にいったぞ。この際、田んぼと
別嬪の妻お静を奪ってやるか!」なんていう下衆なドン百姓だったかも

 冗談はさておいて、そんな層の武士たちを含めた武士層を束ねていく戦国大名には、その国の掟、つまり歴史の教科書的に言えば「分国法」が必要だったことも理解できますね。

それに対して下剋上の世界において自分たちの領国を守りかつ発展させることに心を砕かねばならなかった上層部の武家や有力農民層の意識には「源平政権交代思想」が底流していたのを看過することはできないということですね。 
 
 明智光秀は「室町の治世」に戻すことを理想としていたことがよくドラマに出てきますが、彼の出自からも自明の理として理解できますね。
 そして必然的に信長とガッチンコということも。
 
 ともかく、戦国の乱世は勢い余って「源平政権交代思想」を突き破って「サルのご登場」というハプニングをも引き起こしたみたいですね〜
 
<政権の行方なんて、オセロゲームに似ているかもしれませんね。>

 まったく同感です。
 
 国内もそうですが、ヨーロッパの歴史を概観すると納得できますね。
 
 例えば七つの海を支配した大英帝国最盛期のビクトリア女王がのちにイギリス国王とドイツ皇帝になって共に第一次世界大戦で火花を散らして戦う運命にある孫たちに囲まれている写真を見るにつけ痛感しますね。

 ありがとうございました。
Posted by:とっちゃんぼうや  at 2008年06月07日(土) 11:36

とても興味深く読ませて頂きました。
こちらこそありがとうございます。

信長がそれで征夷大将軍にならなかったというお話、今まで知りませんでした。
太閤さんのことはよく聞いていたのに、と今更ながら その抜け落ちていた部分を不思議に思いました。
また、明智光秀のことも。

先日”オセロのよう”と書かせて頂いた後、考えてみれば 政権とは元々オセロのようなものだったんじゃないか、と思いました。
勝負は時の運、本人の努力というだけではとても語れないですものね。

そういえば、信長さんは、お能や茶の湯等の文化を大事にしていましたね。
平家の優雅さが 気性の激しい彼の中にもあったせいでしょうか。

信長は天下統一の直前に倒されましたが、その後を考えてみると また面白いです。
家光は 家康の孫ですが、母はお江よなので 織田の血筋でもあるのですよね。
天下を取ったのは徳川だけれど、家光の中に織田の血が流れているのだから、そこで信長の志も 多少は叶えられている?と思いました。
参勤交代を考え、始めたところなど、家康の周到さと 信長の先見の明、行動力が融合しているような感じもします。
考えすぎかもしれませんが。(笑)
Posted by:  at 2008年06月07日(土) 01:09