今月15日の日曜日の昼に、そば屋で食事をしていると、NHKテレビでニュースが終わり、すぐさま「のど自慢」がながれ始めたのを、「なんだ、のど自慢か」といったふうで、特に画面を意識しないでいたのですが、アナウンサーが「奈良県大和高田市からの実況放送です!」というのに思わず画面に目がいきました。
しばらくしてそのふもとには神武天皇が祭られている橿原神宮が鎮座する畝傍山が見え、「ああ、大和だな〜」とわがふるさとのように懐かしい想いで見ていたのですが、すぐさま、画面が替わり石碑が映されたのです。
なんとその石碑には「しずや しず しずのおだまき・・・」と書かれているじゃありませんか

当地は静御前の生まれ故郷との紹介でした。
「ブログでも源平はもう終わり!静さん(スウィーツさんじゃなくて、静御前ですよ
)もしつっこいね〜」と苦笑しながらそばを食べたものでした。しかし、同時にその前日にわが金沢市で行われた「百万石祭り」のいくつかの行事の1つを思い出しました。
その話題は最後にしまして、この金沢市の市祭はいまやNHKの全国放送のニュースや、中央紙にも取り上げられるほど、全国区になった感がありますが、実際の知名度の有無について金沢人として全国のみなさんにお聞きしたいのですが、いかがでしょう。
「知っている」「知らない」だけで結構ですからコメントいただければ幸いです。
金沢は前田利家の築城を機に百万石の城下町として発展してきた近世の都市なのですが、先祖の土着民から言えば、前田利家は侵略者織田信長の手先といえるのかもしれませんね。
それはともかく数年前にはNHKの大河ドラマ「利家とまつ」が放映され利家には唐沢寿明,そして妻まつに松島菜々子が出演したのですが、みなさん、覚えておいででしょうか。
話はとびとびになり恐縮ですが毎年6月に行われる百万石祭りには馬上姿の利家には芸能人を招くのが恒例となっているのですが今年の利家役は俳優の山下真司(写真)そして、妻のまつ役は石野眞子でした。

大勢の武装した家来衆を引き連れた威風堂々の利家公の行列が行われた翌日、金沢城を訪れた際、広い場内の一角で、小学生による「旗源平」に思わず、懐かしさがこみあげてきたのです。
写真(これは別の時期に金沢市のある小学校で撮られたものですが)のように、源平の旗をもった子どもたちが、敵味方二手に分かれ、さいころを2個同時にころがして、その出る目によって大小の旗をやりとりし、最終的に、相手の総大将である纏(まとい)を取れば勝ちという、百万石の城下町金沢が生んだ独特の伝統的な子ども用のゲームなのです。
白旗は源氏、そして赤旗は平家なのはもちろんですが、私が子どものころ、正月の遊びの定番だったこのゲームもいまや子どもの遊びとしては「絶滅危惧種」に指定されておかしくはない状況のようです。

私にとってまさに隔世の感は否めませんが、「時の舟旅」では源平はもう終わりと思っていたのですが、思わぬところから復活しました。

Posted
by とっちゃんぼうや
at 12:04
| この記事のURL
コメント(3)
| トラックバック(0)



百万石祭り、ご存知ない? やはりそうでしょうね。
でもこれを機に加賀藩を通して日本史を見るのも面白いですよ〜
東京大学の本郷キャンパスが、加賀金沢前田家の上屋敷だったのはご存知でしょうか。
実を言うと、私の母校なのです。 なあ〜んて、うそうそ、「私の」の次に(親友の)が抜けてました。
それはともかく、「加賀藩13代藩主前田斉泰は、文政10年(1827)に11代将軍徳川家斉の娘溶姫を正室に迎えた。 当時の慣わしとして、三位以上の大名が将軍家から妻を迎える際には、朱塗りの門を建てた。」と、いうことで、今の東大の赤門があるとのことです。
徳川宗家の11代といえば精力絶倫の家斉さま、何でも五十数人の子どもをおつくりあそばした結果、その嫁入り先に困り?外様の前田家にもお鉢が回ってきたのだとか。
ただいまのNHKの大河ドラマ「篤姫」の旦那の家定に子がいない訳ですから、何とも皮肉な話ですね〜。
それから数十年あと、時は明治の世の中。
政府は加賀藩が戊辰戦争に非協力的だったということで、前田家が統治していた領地を半分にし、金沢を一時県庁所在地からはずし、その県名も超地味な石川県!
両隣が県名と県庁所在地が同じ、富山、福井というのに。
今風に言えば、超特大の「地方いじめ」となるんでしょうかね。
因みに明治初期に金沢の人口は東京、大阪、京都に続いて名古屋とともに第4位だったのが何時の間にやら「兼六園のある」地方都市になってしまいました。
私も青年時代、「ふるさとは 遠きにありて 思ふもの」と金沢が生んだ文豪室生犀星を口ずさみながら、ちょっぴりの野心とともに東京に出たのですが、夢破れて金沢に帰ってきました〜
ともかく、コメントありがとうございました。