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また、昨日の神戸[2007年03月23日(金) ]

 神戸駅近くの用事をすませて、大倉山図書館へ。
わが町にない銀行を探しつつ、とうとう、元町まで歩いてしまった。
下山手八丁目のもとは赤れんがの教会あと。思い出のよすがに残された門。


今を去ること48年前、花嫁姿の姉、中学1年生の私。今はもうこの世を去った、父母、おば、姉の夫、義母、この坂を上がったんです・・・。

歩きながら、ひとりでお花見しました。

Posted by そよ風 at 12:03 | この記事のURL
コメント(8)

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コメント



von jagfeldさん(ずっと、”さん”で通しているものですからさんでお呼びさせていただきますね。)

 御蔵菅原のバス停、地図にありました。小学校の時、夏休みの臨海学校へ行く時たぶん通っていたと思われます。笠松7丁目から、金平町、東尻池、などを通り、須磨海水浴場へ、行っていましたから。ウィングスタジアムができて、あのあたりはすっかり垢ぬけて変わってしまったったようです。
移民収容所の近くにお住まいでしたか。
以前は、三宮からバスに乗り、元町、鯉川筋、トアロード、山本通り3丁目、から、平野、方面へ習い事に行っていました。あのあたりは震災の影響あまり受けていません。
東海道本線、東京、大阪間はつばめで8時間ほどかかりましたよね。

 御本の情報ありがとうございます。


 
Posted by:そよ風  at 2007年03月26日(月) 10:07

そよ風さま

早速のご返事有難うございました。わが故郷のことを色々思い出させていただいて有難うございます。
「御蔵菅原」は当時の市電の停留所で言いますと「長田」と「東尻池」の間で、あの神戸大震災の時一番の惨禍を受けた町です。昭和20年3月17日の時はその前日、建物疎開で家屋を壊していたところの片付け行かされ、一夜明けるとあの大空襲で、そこが焼け野原になってしまった記憶の場所です。大震災で再び焼け野原になってしまった因縁の場所です。
そよ風様と入れ違いで、東京に昭和24年に出てくるまでは私はあの移民収容所のすぐ近くに住んでいました。
私の紹介いたしました本は未だ多分神戸市の図書館には何処にも置いてくれているのだと思います。
展転社発行の狩野博義著「小本営発表」です。
よろしく


Posted by:von Jagfeld  at 2007年03月25日(日) 13:31


von jagfeldさんようこそお越しくださいました。

 大変な時代を神戸でお過ごしになられたのですね。
私は昭和27年に東京から、引っ越してきたのですが、あちこちに空襲の爪あとが残っておりました。いい遊び場になっておりましたが。御蔵菅原というのは、ちょっと、存じませんが。どのあたりなのでしょうか。
教会ではなつかしいお方にお会いになられてよかったですね。
教会の位置、楠公さん、相楽園などが、なんとか目印として残っていてくれてたすかります。諏訪山公園のあるとおりの青桐も、終戦後間もなく植えられたのでしょうか、子供のころはまだ、若木だったと思うのですがずいぶん立派な木に育っています。ブラジル移民の方たちが出港をまった建物もまだありますし。
御本をお書きになられたのですか。次回探してみたいと思います。
Posted by:そよ風  at 2007年03月25日(日) 13:04

   あしがらたろう様
お友達にしてくださって有難うございます。今日
stageからご承認にお知らせをいただきました。
2ヶ月間お待ちしていたのですがやっと! (^^)
パソコンのインクのせいだったのでしょうか?(^.^)
今後ともよろしく。

   そよ風様

懐かしい場所を思い出させてくださるご投稿有難うございました。あの大倉山の図書館、今は位置と建物とが変わっていますが、今から六十数年前、そう昭和19年から20年の頃、勤労動員先から16時過ぎに
いらいらしながら市電に御蔵菅原の停留所から乗り、
節電でノロノロ運転の電車に焦りながら図書館閉館近くに滑り込み、本を借り出すことの繰り返しでした。
あまり頻繁に色々な本を借り出すので、老司書の方に
「ざっと読み飛ばすのではなく、じっくり読みなさい!」と注意されたことを思い出します。中学3年でした。この司書の方は昭和20年12月でしたか、当時の神有電車ひよどり越の脱線事故で亡くなりました。そういえばお写真の教会ではありませんが、中山手6丁目だったのかの電車道浜側の教会が戦争末期陸軍の「神戸警備司令部」にされていて、そしてその前で、終戦数日後米軍の捕虜救済用の物資の落下傘に当たって、県庁の小使さんが死んでいたのを覚えています。神戸を離れて60年になると、想い出はみな戦争中の神戸につながります。なお宣伝ではありませんが昭和10年代の神戸を描いた私の本「小本営発表」が神戸の各図書館に寄贈してありますので、神戸の方がこれを読みいただければ幸甚です。昨年久しぶりに小学校のクラス会で神戸に参った時に県庁裏の神戸栄光教会には昨年65年ぶりにふらっと訪れて見ました。ここは神戸中央合唱団の発祥の地と思いますが、立派に再建されていました。礼拝に参加しましたら、隣の席に何と65年前に私をこの教会に連れて行ってくれた知人のおじさんの娘婿の人が座っていたのにびっくりしました。霊の導きでしょうか?神様の悪戯かな?
どうも長々すみません。そよ風さんのおかげで色々思い出しました。







 
Posted by:von Jagfeld  at 2007年03月25日(日) 10:38


チュウコウさん

 そうでしたか。なにもかも変わってしまうのは世の常といいましょうか、しょうがないなぁ〜と思いますね。
そういえば思い出しました。去年県庁前の教会にザ・タローシンガーズのアカペラコンサートへ行ったことを。
Posted by:そよ風  at 2007年03月24日(土) 17:09

そよ風さん
左側、そうでしたか 済みません もともと元町
以西は疎いんです。
花隈も詳しくないです。ただ現役時にぞろぞろ
昼飯に行った頃とはすっかり様変わりしている
ように思います。
Posted by:チュウコウ  at 2007年03月24日(土) 16:42


チュウコウさん

 おはようございます。
この教会は、神戸から、元町方面へ向かう左側にありました。地震で全壊して、空地には、懐かしい木が立っていましたが、今は介護老人ホームの立派な建物が立っていました。中山手の教会と合併したと、書いてありました。
花隈の昔は知りませんが、昔は白洲次郎さんもいらっしゃったとか?いいところだったようですね。
チュウコウさんは昔の花隈をご存じなんですね。
Posted by:そよ風  at 2007年03月24日(土) 10:03

そよ風さん

懐かしい思い出の路は如何でしたか?

下山手通8丁目の教会って神戸から元町に向かって
右側の教会ですよね。震災の影響は???
5丁目県庁前の教会は全壊でしたが、現在立派に
復興していますね。元町花隈の食事処はマンション
街に変わって面影残っていないですね。

早々といい花見されましたね。白い花 何とかさくらでしょうか?

Posted by:チュウコウ  at 2007年03月23日(金) 20:05

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