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蓮の夢  [2008年08月15日(金) ]
 

 



             生涯の 殆どすべてが 泥の中

             一生の 一番終わりに

             最後の 最後に

             青空が見えたら

             それでいい



             花も 実も

             ただ その日の

             青空のために








 

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K園の人(完)  [2008年05月03日(土) ]
 
 次の日、いつものように学校に行き、みながワイワイ騒ぐ中にいたお昼休みの頃、何がきっかけだったかは もう忘れましたが、急にこの話が思い出されてきました。

 それは、いがくり頭の男の子や おかっぱ頭の女の子たちのはしゃぐ姿に囲まれる中で まるで別世界の話のように。

”一体、おばあさんのしてくれた昨日の話は何だったんだろう・・・”

そんなことを思いながら、校庭に目をやった時、おかしなことに その眩しい土の上に 馬に乗った真っ赤な乗馬服姿の娘さんと その馬の手綱を引きながら横に立つ爽やかな青年とが、仲良く話している姿がぼんやり浮かんできたのです。

そして、実は今も この話を思い出す度、この二人の姿が浮かんでくるのです。



 おばあさんの聞かせてくれたこの話は、世の中を建設的に 少しでも明るい光ある方向に導いていこうとする社会の中では、口にするのも憚られるような闇の中の話、と受けとめられることだろうと思います。
 けれど、それでも 私の中に一抹、これはほんとうに全て”闇”なのだろうか、と問いかける気持ちがあるのも確かです。
 
 子供の頃のあの時、このおばあさんの話がもし、
「あのね、昔、家の近くに こんなわるいお母さんがいてね・・・」
というような話しかけ方だったなら 私の受けとめ方も違っていたかもしれず、そもそも 今ここにこうして書き入れる気持ちすらおきていなかったかもしれないと思います。

近くの人の噂の話をした時も ただのひと言も批判するようなことは言わなかったおばあさん。
この時、批判するかわりに言った言葉は、
「あの人(母親)と あの青年なら 私はわかる・・。」
のひと言でした。
その言葉から、どんなことも 生のその人たちを知らなければ、わからないことがあるのだろう・・・
そんなことも思ったその時。


K園の人。

おそらく 今はもう皆、この世の人ではないだろうけれど、
もし、もう一度、生まれ変わることができるのなら、どうぞ 娘さんは素晴らしい恋人にめぐり会えますように、
そして 母親と青年は 誰からも祝福される間柄としてめぐり逢えますように、と祈ります。



私の 古い思い出の中の昔話、長い間、読んで下さり、ありがとうございました。

Posted by at 01:31  | 小夜話〜K園の人〜  | この記事のURL
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K園の人(7)  [2008年05月02日(金) ]
 青年の方は、ほんとうに軽い言い方をすれば、始め好きな彼女がいた、けれど、後に 本当に好きな彼女に出会った、その人がたまたま運悪く、先の彼女の母親だっただけ、と言えば言えないこともない。
 けれど、母親の方は とてもそんなことでは済まされないはず。

 この時、話してくれたおばあさんは、今もし生きていれば百歳を超える年齢。
親子という大きな問題を外して考えてみても、今のように年齢差のある年上の女性とのカップル等、皆無に近い時代にあって、他の何もかも、親子の愛ですらも越え、娘のことを思い後々やってくるであろう懺悔の気持ちに苛まれる日々の苦しみも何もかもひっくるめてなお 青年と生きる道を選んだ彼女。

長い時が過ぎた今になって初めて この時の彼女の心の内の凄まじさを思い知らされるのです。
誰もが ここまで 自分の恋に忠実に生きられるものだろうかと。

近くの人の言葉の中にあった”地獄行き”の言葉が すべて物語っているように 大半の人がこの二人を責め立てるなかで、ほんとうに不謹慎な言い方とは思いますが、

この世には 道徳の神もいれば、愛(アムール)の神もいる。
彼女は 道徳の神には背いたかもしれないが、愛の神の前には 嘘をつかず、本当に忠実に生きたのだと。

人の世、心の世界を 仮りに、先祖から子孫への繋がりを縦糸、恋愛、友情等の繋がりを横糸とする 一枚の織物に例えたとき、長い歴史の中で ともすれば 縦糸の方がより大切にされる世の中であり続けてきたけれど、本当に強い布は 同じように強い横糸がなければ織れない。
この家族の崩壊も もし強い横糸を持っていたのなら 元々、こんな不幸は起きなかったのだろうと。
もちろん、そんな織物は 理想の中の 夢の中の織物でしかありませんが。


それにしても はかり難いのは その”愛”。
愛とは一体何なのか。

愛はすべてをゆるし、すべてをつつみこむ、
と、言葉では言います。
しかし、愛の中には 親子の愛もあれば、恋愛、友情、また隣人の愛もある。
それらは、共存しているけれど、しかし、いつも共生するとは限らない。
ひとつの愛を選ぶために もうひとつの愛を捨てなければならない時もある。
そして 捨てたほうの愛は、単に 失う、というだけとは限らない、その全く対極の 憎しみに転じることさえあり得る、この”愛”の持つ力の不思議。


唯一 すべてをつつみ込む愛と言えるのは、”博愛の愛” ただひとつだけなのでしょうか。

Posted by at 01:42  | 小夜話〜K園の人〜  | この記事のURL
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K園の人(6)  [2008年04月27日(日) ]
その後、

周囲の人たちの そうした視線、噂話に耐えられず、という以前に そのことがあまりに尋常でない、ショッキングな出来事だったために、しばらくして その娘さんも、また時が経ち、残された夫も姿を消し、一家は そのまま消息を絶ったといいます。


おばあさんの話には まだ続きがありました。

そのことがあって、長い時が過ぎ、もう誰もその家族のことを口にしなくなっていた頃のことです。
Kの住人のある人が 関東の方に旅行に行き、その途中で 新宿の街を歩いていた時のこと。

向こうから 身なりも表情も見るからに疲れた感じの女性が近づいてきました。
その女性とすれ違った瞬間に ”どこかで見たことがある” と思ったそうです。
でも・・・
”こんな所に 知り合いなどいるはずがない。 まして そんな様子の女性と・・・”
そう思い、そのまま通り過ぎ、その場を大分行き過ぎた後になって初めて その女性が あの乗馬をしていた娘さんだったことに気付いたのだそうです。

けれど、振り返って もう一度戻るにも 雑踏の中、もう 彼女の姿は探し出せませんでした。
ただひとつ、心に残ったのは、その彼女の変わりよう。
すぐに気付かないのは当然と思える程、別人のようで、昔 乗馬をしていた頃の明るかった様子など、見る影もない姿だったということでした。

この最後の 新宿の話は、聞かなければよかったと思うほど、私の胸に刺さりました。
当時 私は中学二年、子供といっても 彼女の心の痛み、その後の人生がどれほど辛く、空虚なものだったか、それは彼女の気持ちのほんの僅かだろうけれど、想像できました。



よく世間に 親しかった友人に、或いは身近な人に恋人を奪われてしまったという話は聞きます。
それは勿論 とても深い傷を心に残すだろうけれど、その傷を癒すために見方を変えてしまえば、”所詮 皆他人なのだ”と割り切ることもできます。

けれども、誰にとっても特別な存在であるはずの”母親”と 同じように大切だったはずの恋人と こんな結果になってしまった彼女の心の傷は どんなに時が経とうとぬぐい去ることなどできない、おそらく どんな慰めの言葉も届かない深い傷を負った人生だったろうと想像します。


しかし、また転じて この母親と青年のことを考えてみればどうなのでしょう。

Posted by at 15:08  | 小夜話〜K園の人〜  | この記事のURL
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K園の人(5)  [2008年04月22日(火) ]
幸せそのものだったその家族に 突然の出来事が起きたのは、娘さんの結婚ももう間近という時でした。

滅多に表に出ることもなかったという彼女の母親が、ある日突然、姿を消したのです。
しかも、その娘さんの婚約者であった青年と共に。

置手紙等あったのかなかったのか、事件でもないので 傍から知る術もなく、詳しくどうこう言えるものではありませんが、しかし、それは どう考えても 覚悟の家出、二人の駆け落ちでした。

この話が いつものおばあさんの話とは違う、異常な話なのだと気づいたのは この時。
それまで きれいな童話でも聞くようにボッーと聞いていた私の目が覚めました。
『今、何て言った?』と 聞き返したいくらいに。

その頃の私の頭に浮かぶ”お母さん”といえば、参観日に後ろにズラッと並ぶ PTAのお母さんたちの姿。
結構 教育熱心な学校だったこともあったせいか、彼女たちの話題といえば、我が子をどうやってT大に入れるか、とか、どうしたら どこに出しても恥ずかしくないような娘にできるか、とか、申し訳ないけれど、よくあれだけ退屈きわまりない話ばかりできるな、と思うようなことばかりでした。
 しかし、それでも 今こうして書いていて ”申し訳ないけれど”という言葉が出る理由は、それらが どんなに面白くない話ばかりだったにしても、みな、我が子を思えばこその言動だったろうと思えるからです。


誰よりも娘の幸せを願い、我が子のために 一生懸命尽くそうとする母親。

そんな”母親”が、その娘の恋人と 姿を消した? しかも 結婚間近に?
いくら考えても その二人が仲良く並んでいる姿など、想像もできませんでした。

それは、多分、その時、そこに住んでいた人達にとっても同じだったのでしょう。
郊外の住宅地といえば、どこも同じようなことだと思いますが、そこは 普段から 昼間でも殆ど人通りもなく、表に出て、皆が人の噂話をし合う、というような環境の所ではなかったにも拘らず、当時、この二人の駆け落ちの話は 瞬く間に近所中に広まったといいます。

ただでさえ、注目の的だったこの家族。
近所の人どおし、道で出会えば、この話になったといいます。

「あのおとなしい人がねぇ・・・」
「そんな二人は地獄行きよ。娘さんのことを考えてごらん、しかも結婚間近に・・」
「いや、結婚間近やからこそ 二人とも最後の最後まで 普通に生きようと迷ったにちがいない、・・・
それに そんな気持ちで仮に結婚しても 娘さんも、誰も幸せになんかならない・・」

口々に色々言い合う人たちの話を おばあさんはどう思って聞いていたのか・・・

Posted by at 13:12  | 小夜話〜K園の人〜  | この記事のURL
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K園の人(4)  [2008年04月20日(日) ]
おばあさんの言うに、娘さんが ”洋風の美人” なら、お母さんは ”純日本風美人”。

「それは、ほんまにきれいな人でね・・・こんな人、二人といるやろうかと思うような人やった。・・・物静かな人でね・・・」

殆ど 外に出る姿を見かけることもなかったという 娘さんとは対極の雰囲気だったらしいその母親は、皮肉なことに 娘さんがそうして目立っていたばかりに 同じように注目される存在になっていたらしいのです。

穏やかで あたたかく、美しい家族。

そんな家族に また一つの幸せが訪れました。
それは、その娘さんの婚約。

娘さんの婚約者である青年も 彼女にお似合いの好青年であったらしく、その後、その青年が度々彼女の家を訪ねてくる姿や、二人仲良く語らいながら道を行く姿が よく見かけられるようになり、その二人の姿は ”まるで映画のワンシーンを見てるようやった”と おばあさんは言いました。

私は 先の馬の話が頭から消えず、おばあさんの話を聞きながら、その娘さんが 何故か 真っ赤な乗馬服姿で馬に乗り、そのすぐ側を婚約者の青年が 彼女と楽しく語り合いながら歩いている様子を思い浮かべていました。

おばあさんのK園のお家にも 遊びに行ったことがあり、すぐに浮かんできた静かな住宅地の中の道。
その道を行く 若くてきれいな二人。
それは 何とも 幸せな光景でした。

そんな想像をしている私に おばあさんが言いました。
「幸せを絵に描いたような家族とは こういう家族のことや、そう思って見てたんよ。・・・・
その日が来るまでは・・」




”その日が来るまでは”の ”その日”。

それは、その時には とても深くは考えられなかったけれど、後々、”愛とは一体何なのか”を問いかけられるようになった出来事でした。

Posted by at 00:56  | 小夜話〜K園の人〜  | この記事のURL
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K園の人(3)  [2008年04月18日(金) ]
”美貌の家族”

その家族を そう呼ぶ人もいたといいます。

際立って美しかったという その家の娘さんは、ただそれだけでも人目をひいていたのに、趣味で乗馬をしていたことから なお注目され、当時その界隈で この娘さん、そしてその家族を知らない人はなかったといいます。

乗馬をしていたことから、というのが どういう意味だったのか、今更聞き直すことも出来ず、詳しくはわからないのですが、おそらく この時代、普通の道を馬に乗り、或いは、馬をひいて歩いていくこともあったのではないか、と想像します。
「この道」の歌にもあるように まだ馬車も通っていたような時代のことですから、それは それほど変わったことではなかったのだろうと思います。
 (”この道は いつか来た道 ああ そうだよ お母様と馬車で行ったよ”の歌詞の)

私は おばあさんの話を聞きながら、自分は参加したことはなかったけれど、先の乗馬クラブで 時折行われていた ”遠乗り”のように 馬に乗って緑に囲まれた道を行く光景を思い浮かべていました。


そして、
その家族で もう一人 注目を浴びていた人、それは 彼女の母親でした。

Posted by at 00:51  | 小夜話〜K園の人〜  | この記事のURL
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K園の人(2)  [2008年04月16日(水) ]
当時 私は乗馬をしていました。

クラスに乗馬をしている友人がいて、何だか面白そう、と 彼女が所属している乗馬クラブに見学に行ったのがきっかけで そのあまりの楽しさ、馬のかわいさに 一日で魅了されてしまい、そのままそのクラブに入会したのでした。
クラブが 家からそう遠くない所にあったこともあり、親もあっさり認めてくれて、それから約3年間の短い間でしたが、休みの度、そこに行くようになりました。
今のように 入ってすぐあれこれ習うような乗馬でなく、”お馬さんと仲良しになる”という程度の乗馬でしたが、それでもそこに行くのはいつも楽しみでした。

何で こんな話からし始めたかというと、先のおばあさんの話を聞くようになったきっかけが、この”乗馬”のことだったからです。

その日、おばあさんは、「○ちゃん、乗馬してるんだって?」と聞き、珍しくおばあさんのほうから そのことをあれこれ聞くので 私も調子づいて 馬の話を得意げに色々したように思います。

その後で 「そんな乗馬の話を聞くとね、今も忘れられん話があるんよ。・・・昔、K(園)の家の近くにいた人でね、○ちゃんみたいに乗馬をしてる娘さんがいてね、・・・もう昔のことやけどね・・・」と いつものような古い手紙も写真もなく、その話が始まりました。

それは、おばあさんの もうひとつの家のあった、大阪、H市、K園という、今も その地名がそのまま残されている住宅地に ほんとうに住んでいた家族の話でした。

Posted by at 00:58  | 小夜話〜K園の人〜  | この記事のURL
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K園の人〜恋と愛の間で〜  [2008年04月14日(月) ]
 子供の頃、とても可愛がって下さった親戚のおばあさんがいました。
私がお家に遊びに行くと、いつも 「○ちゃん、よう来たね。」と 私を自分の部屋に連れていき、そこで色んな昔話を聞かせてくれました。

おばあさんの部屋には、今どう呼ばれている物なのかわかりませんが、確か”薬箪笥”とかいう 小さな引き出しの沢山ある箪笥があり、その小さな引き出しのひとつひとつに 昔の手紙、写真等がきれいに整理され収められていて 私が行くと そこからひとつひとつ思い出の物を引き出しては それにまつわる昔話を聞かせてくれたのです。

わるいとは思いますが、そうして聞かせてくれた話の殆どを 私はもう忘れてしまいました。

でも そんな中、たったひとつ、当時まだ子供だった私が聞くには その話の結末があまりに衝撃的だったために 今も忘れられない話があります。

子供の頃に聞いた もう遠い昔の話、それも書いてみれば短い間の出来事で、そんなこと どこにだってあるさ、っていうような話とも思います。
現実の世界のことですから ドラマのような美しいラストがあるわけでもなく、そんな話 書いてどうなるものでもないと思いましたが。 聞いた時期が子供だったせいか、今も古い映像を見るように時々思い出し、一度 散文として書いてみようと思いました。
  

                                     〜愛について〜
                                   

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夢の花灯路  [2008年04月03日(木) ]



仄かに揺れる恋あかり 
あなたと 歩いたこの路を 
一人つぶやきながら
花灯路をなぞります〜  

鐘の音を聴きながら
古の古都に酔いしれて

あなたに寄り添い
心が震えたあの夜を
 
ものも言えずに......
 
ゆっくりと足元の灯りを
いとおしみながら

このまま時が止まって
と祈りつつ......

雨の中寄り添い歩いた

春の宵…

今は遠い夢一夜

夢をさまよう花灯路

仄かに揺れて輝く

灯りの石畳
 




★京都東山界隈でここ数年、3月14日〜23日迄家々の前にほんのりと灯りを

灯す「花灯路」という行事があります、幻想的で夢の世界に誘います。

今年は行けなかったのでせめて行ったつもりで夢の世界に入りました。

Posted by STAGE管理人 at 01:52  | この記事のURL
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