亡くなった叔母(母の弟のお嫁さん)の母は、推定年齢88歳。
この梅ばあちゃんは、若い頃、こどものいる人に嫁いだ。
そして、おばとその下に妹が生まれた。
なさぬ仲のこどももふたり。
それから、悲しいことに、連れ合いをなくし、血のつながらない息子と同居。
うまくいってない梅ばあちゃんを不憫に感じた叔母は、障害者の妹もつれて、引き取った。
梅ばあちゃんは、大腸がんにおかされていて、余命二年を宣告されていた。
かれこれ、5.6年前のことである。
そこには、愛子ばあちゃん(母の母)もいた。
梅ばあちゃんは、叔母の庇護の元、かなり、口汚く、愛子ばあちゃんをののしっていた。おまえなんか、惚けは、でていけーと、目の前で言ってるのを目のあたりもした。
叔母は根性悪の梅ばあちゃんでと、顔をしかめて話してはいたが。
このたびの叔母の死去によって、この梅ばあちゃんとその娘。
処置が大変そう。
叔父とは当然血がつながらない。
扶養義務は発生しないだろう。
ただ、そこの部屋にすんでるものをおいだすわけにはいかない。
そして、一番あたまが痛いのは、叔父とこの梅ばあちゃんの気が合わないことだ。
とことん、反発しあう。どちらもおれない。
うまくいきっこない。
だが、妙に意地っぱりの叔父は、おってもいいと、いいはる。
本来なら、血はつながらないが育てた義理の息子さんにお譲りするのが筋というもの。
葬儀の際に顔をあわせた叔父は、いろいろ、状況説明する。
が、どうも、その義理の息子さんたちからいわせれば、昔から吝嗇であった梅ばあちゃんは苦手のようだ。
息子さんたちが、小さい頃でも、あめ玉一個も買ってくれたことがなかったという。
それは、おばさんが入院してからというもの、一銭も食費をいれてないことからも、、そして、自分の娘である障害のある次女の心配などひとことも口にださないことからもわかる。
はなから、義理の息子さんたちは、引き取ることを念頭においてない。
そもそも、赤の他人であるから、それがすっきり他人になったこの年月だったろう。
結局、障害者の妹は、家で面倒をみるものがいなくなって、施設にお預けすることになったが、一日一万円かかる。
それは、誰がみるんだろう。当然、母である梅ばあちゃんだろう。
お金をもってないわけではない。
(義理の息子さんにいわせれば)
叔母がいる頃は、なんとか、生活費三万円くらいはいれていただいていたようだが。
これから先のことを考えると、暗澹とする。
縁はきれてるのに、追い出せない叔父。
少なくとも、愛子ばあちゃんのように、気持ちがやさしければ、いいものを。
こんなに、根性悪の梅ばあちゃんと・・・。
憎まれもの世にはばかるは言い得て妙!
生前、入院中の叔母は、たいそう、この梅ばあちゃんを案じて、もう、命があまりない、きつい体の時に叔父に車いすにのせてもらって、この梅ばあちゃんを入院させるべく手続きをとったそうである。
なんと、気丈なことだろう!
この梅ばあちゃんは、もしかして、生きれば生きるほど、まわりをふりまわしていく存在なのだろうか。
お葬式のとき、誰も話し相手がいないのに、かわいそうに思った母は、ずっと、そばについていた。ところが、次の日、自分のバックがないことに気づいた梅ばあちゃんは、最後までそばにいた母が持っていったと主張。さすがに、この頃にはみんなの話を聞いてあきれてかえってた母も、梅ばあちゃんには、への字顔。
結局、人間って、性根は、なおらないようだ。
この梅ばあちゃんは、若い頃、こどものいる人に嫁いだ。
そして、おばとその下に妹が生まれた。
なさぬ仲のこどももふたり。
それから、悲しいことに、連れ合いをなくし、血のつながらない息子と同居。
うまくいってない梅ばあちゃんを不憫に感じた叔母は、障害者の妹もつれて、引き取った。
梅ばあちゃんは、大腸がんにおかされていて、余命二年を宣告されていた。
かれこれ、5.6年前のことである。
そこには、愛子ばあちゃん(母の母)もいた。
梅ばあちゃんは、叔母の庇護の元、かなり、口汚く、愛子ばあちゃんをののしっていた。おまえなんか、惚けは、でていけーと、目の前で言ってるのを目のあたりもした。
叔母は根性悪の梅ばあちゃんでと、顔をしかめて話してはいたが。
このたびの叔母の死去によって、この梅ばあちゃんとその娘。
処置が大変そう。
叔父とは当然血がつながらない。
扶養義務は発生しないだろう。
ただ、そこの部屋にすんでるものをおいだすわけにはいかない。
そして、一番あたまが痛いのは、叔父とこの梅ばあちゃんの気が合わないことだ。
とことん、反発しあう。どちらもおれない。
うまくいきっこない。
だが、妙に意地っぱりの叔父は、おってもいいと、いいはる。
本来なら、血はつながらないが育てた義理の息子さんにお譲りするのが筋というもの。
葬儀の際に顔をあわせた叔父は、いろいろ、状況説明する。
が、どうも、その義理の息子さんたちからいわせれば、昔から吝嗇であった梅ばあちゃんは苦手のようだ。
息子さんたちが、小さい頃でも、あめ玉一個も買ってくれたことがなかったという。
それは、おばさんが入院してからというもの、一銭も食費をいれてないことからも、、そして、自分の娘である障害のある次女の心配などひとことも口にださないことからもわかる。
はなから、義理の息子さんたちは、引き取ることを念頭においてない。
そもそも、赤の他人であるから、それがすっきり他人になったこの年月だったろう。
結局、障害者の妹は、家で面倒をみるものがいなくなって、施設にお預けすることになったが、一日一万円かかる。
それは、誰がみるんだろう。当然、母である梅ばあちゃんだろう。
お金をもってないわけではない。
(義理の息子さんにいわせれば)
叔母がいる頃は、なんとか、生活費三万円くらいはいれていただいていたようだが。
これから先のことを考えると、暗澹とする。
縁はきれてるのに、追い出せない叔父。
少なくとも、愛子ばあちゃんのように、気持ちがやさしければ、いいものを。
こんなに、根性悪の梅ばあちゃんと・・・。
憎まれもの世にはばかるは言い得て妙!
生前、入院中の叔母は、たいそう、この梅ばあちゃんを案じて、もう、命があまりない、きつい体の時に叔父に車いすにのせてもらって、この梅ばあちゃんを入院させるべく手続きをとったそうである。
なんと、気丈なことだろう!
この梅ばあちゃんは、もしかして、生きれば生きるほど、まわりをふりまわしていく存在なのだろうか。
お葬式のとき、誰も話し相手がいないのに、かわいそうに思った母は、ずっと、そばについていた。ところが、次の日、自分のバックがないことに気づいた梅ばあちゃんは、最後までそばにいた母が持っていったと主張。さすがに、この頃にはみんなの話を聞いてあきれてかえってた母も、梅ばあちゃんには、への字顔。
結局、人間って、性根は、なおらないようだ。
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at 18:42
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馬鹿は死ななきゃ直らないは、ほんとに、その場面に遭遇していないと、わかりづらいと思います。やればやるほど、がんばればがんばるほど、墓穴をほり、自分の首をしめ、困った状況になりますのでね。
人の評価を気にしないで、いっそ、自分が悪者になって、厳しく、決断したほうがよいということを年月で学びました。所詮、自分は自分しか評価できるものではないのですから。。。。