ありふれた日常こそ、大切なものがある。毎日の出来事こそ、大事なものがある。心の持ち方こそに年齢による変化が出てくるものだと。

叔母の納骨式 [2008年03月16日(日) ]
叔母が亡くなって、ふた月あまり。
法要が行われた。
今回は、妹の都合もついたので、母、うちの旦那と、総勢4人で向かう。
にぎやかなことが好きだった叔母ですから、とにかく、人がいっぱいが供養になるのではないかと思った。
田舎の式で、全く予備知識がないまま。
頼みの母も聞いても、曖昧モコモコで。
聞いた私が馬鹿だったのねの世界。
旦那にも式だから、黒いの一式じゃないといかんよねと問われて、相変わらず、出発一時間前で、黒いの黒いのと探すものの、なぜか探すときには、見つからず。
ま、いいっか。田舎やから、多小色もんのものでもと、よかよかの服装で行った。
私もよかよかで、上は、紺のブラウスで、下は、黒のタイトと、田舎仕様。
妹もグレイのスカート。母だけ、黒のとりあえず喪服。

10時半のお式に30分前に着いた。
なんとまあ、二部屋続きの間には、すでに黒服姿が5・6人固まってる。
全部で30人ばかしなるらしい。。。
ごく身内の親戚だけかと思ってた私たち。
ひょいと、自分たちの服装をみると、色とりどり。。。
当然、旦那から、おいおい視線が・・。
遠くからきてるから、よかろーもんと、なぐさめてみた。

お葬式と同じ、浄土真宗大谷派の住職様の奥様と息子さんがお経をあげてくださる。
勤行帳なるのものを各自に配られる。
それから、お経が終わったかと思うと、次は、唱和するお経何ページからと、いうふうに延々とつづく。
でも、さすが、田舎の人々。
どなたも正座から足を崩さずに微動だにしない。
母は、しっつもっつするせいかスカートがまくれあがり、ラクダ色の毛足のタイツが見えだしたので、横からスカートをずりさげる。
しばらくすると、ずるずると・・・。まったく、黒かったら、少しはましなものを・・。
南無阿弥陀仏が終わって、やれやれと思う暇もなく、盆焼香といって、手から手へと焼香がぐるぐるまわされる。
ひとりが手にもち、横の人がお香をつまみ手をあわせる。
いとこの子供も神妙に(5歳男の子)正座している。
背中がなぜか、丸い。
そういえば、うちの長男も小さい時は、背中がぐにゃぐにゃで、背中がこんなふうにあるまじろみたいだったなと、思いつつ、次男はそうでもないからと、これって、個性かと思いながらも、長男は、私に似て、体がかたいから、この子もかたいのかなとか、しようもないことをつらつら、考えていた。

お寺さんのお帰りのご挨拶が終わり、次は、お寺に行って、納骨をする。
みなさん、勝手知ったる納骨堂。
てんでばらばらに玄関から出て、歩いてゆく。
そう、お寺は、歩いて、数分の場所にある。
お外は、天気もよくて、田んぼの緑も鮮やか。
これはなんね?と、聞くと、麦だそうだ。見渡す限り、麦畑だ。
川の横には、ヤブツバキの赤が冴えている。その横には、早咲きの桜が満開。

母が生まれる前からあったこのお寺、悲しいほどに古びている。
コンクリート作りの納骨堂は、それでも、形だけは立派だ。
今ふうではない、小さな納骨だなは、団地なみに小さい。
たぶん、骨壺は入らない。
どうするんだろう。
ここでも、お経を唱えたあとは、近しい親族の方からと言われて、ビニール袋に骨壺から手づかみで、ひとつづつ、うつす。
手づかみ!
専用の入れものにいれる。
歴代のなくなられたお骨の上に叔母の分も重なる。
私の亡くなった父も分骨して、下に埋もれているらしい。
いっぱいになったら、どうするんだろうね。
したに穴が開いてて、そこに落ちるらしいと母。
ひぇー。なんか、すごすぎる。
納骨堂の下は、骨だらけ!
こわすぎる。
いわれて見れば、納骨堂。
階段が13階段ほどあって、2階建ての2階くらいほどの高さにある。
先に降りて、庭をうろうろ。

灯籠の下に寄贈した人の名前がある。
じいちゃんのお兄さんらしい。
母の一族は、昔、武士で、このあたりをずっと、開拓して、かなりの地主さんだったらしい。
けれども、じいちゃんの兄さんは、白紙に署名捺印したために、だまされて、すべての田畑をとられたらしい。
そういういきさつのあるじいちゃんのお兄さんの名前が灯籠に残っている。

ここのお寺の門は、なんと、叔父が作ったらしい。
それも左官になって初めてのとき。
40数年前のだそうだ。
ほんとに、こういう仕事は、100年200年残る仕事だとあらためて、叔父の仕事のすごさに思いあたる。

うちに帰ると、おときのお食事。
テーブルの上は、のりきれないほどのごちそう。
お顔を知らない人がたくさん。
なにやら、話を聞いてると、先生、先生と、先生が何人もいるらしい。
果たして、何の先生なのだか、わけわからずに、適当にあいづちをうつ。
あとで、伺うと、叔母のお花の先生に三味線の先生に絵の先生と。
どの方もいろんないきさつがあっての、縁だったらしい。
ここに集まる人々は、みんな、仲がいい。
それぞれの事情を抱えながらの、納骨式参加。
盛り上がりの話の先は、なんとか温泉に行きましょう♪
この場でまとまり、行かれるらしい。
これも、叔母の人徳から発したことだか・・・。

お客様がそれぞれ、帰られたら、一気に寂しい。
叔父は、すでにお酒がまわり、口もすべり。
何度も同じことをリピート。
おばの病気のいきさつからの自分にたいする、責めから。
病院でつらかったこと。
お正月に無理やり、帰宅を病院にせまったら、命がちぢまってもいいのかといわれたことにたいする後悔などなど。
言っても言っても、感情はおさまらないのだろう。
死の場面までゆくと、また、元にかえり、また、同じ繰り言を繰り返す。
今の生活も義理のばあちゃん(叔母の母親)との確執があり、おだやかに毎日過ごせてないようす。
変に侠気のある叔父は、つっぱねるということができず、そのはざまにたって、もんもんとしている。
それでも、最近仕事を始めたとのこと。少しは、打開策になるとよいと思う。

突然、叔父が何を言い出すかと、思うと、叔母が持ってたアクセサリーを形見にもらってくれと。
たくさんのネックレスの箱やらを両手にいっぱい抱えてきた。
あらら、どれもからっぽ。
娘さんやらお嫁さんたちが持ち去ったあとのようだ。
気持ちだけありがたくちょうだいすることにしょう。
と、思ってたら、今度は、鏡台のとこのまわりにあった、ばらばらの、きっと、日頃、身につけられてたと思われる、ブローチなどのアクセサリーを持ってきた。
わおー、これって、ワゴンセールみたいだね。
かたっぽづつのイヤリングのペアあわせをしたり。
セットになってるネックレスを探したり。
ここに何しにきてるかをすっかり忘れて熱中。
鏡がなくて、わからんねーと、しゃべながら、指輪をしたり、ブローチをはめてみたり、光ものだらけにして、どう!と、旦那にふると、あきれられた。
叔父もふたつまでにしとき!と、言ったけど、気がついたら、バックに5.6個がめてた。
私って、どういうやつ?

たいがいにしなさいとおこられて、夕食の時間。
おときの残り物の煮物がまた、うまい。
叔父の弟は、料理は、玄人級。
味のしみた大根。こんにゃく。飴色にそまったじゃがいも。レンコン。
おいしすぎる。
お昼の地鶏のたたきもうまい具合にいためなおしてお色直し。
絶妙な塩加減で、食べだしたらやめられない。
食事が終わると、母がさっさと、おいとまの挨拶をしてた。
が、私といえば、叔父の際限ないおしゃべりの輪から抜け出せず。
ぎゃー、おいてかないでー。と。

つくづくと、おとなしくしていようという、行きがけの決意は、相変わらず、帰りに反省の帰り道。

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なつかしい人 [2008年02月03日(日) ]
お葬式で何十年ぶりに会う人がいた。
愛子ばあちゃん(母の母97歳)の弟。愛子ばあちゃんの実家のあとつぎ。
母から初めて、この日、聞かされた。
愛子ばあちゃんは、その家の長女。
そこは、松崎宿といって、江戸時代あたりから、街道の道筋にあたる場所だ。
おうちを茶屋風に作り、食事を旅人に与える食堂だったそうだ。
もしかして、愛子ばあちゃんは、看板娘?
その愛子ばあちゃんは、想い人がいたらしい。
愛子ばあちゃんがまだ少し記憶が残ってる頃、わたしゃ、好きじゃったばってん、親に言われたけん、しかたなし、ここにきたとたい。と、話してた、なつかしそうに。
その人は、今どうなっただろうか。愛子ばあちゃんの記憶もなくなった今、謎につつまれている。
そして、親の決めた今のじいちゃん(20年ほど前に没)とお見合いをさせられて、この家に嫁いだのだそうだ。
お葬式に来られたおじいさんは、愛子ばあちゃんの一番下の弟さん。83歳になる。
お通夜には、北の国からみたいな防寒服に身を包んだ人だったんで、間違って、入ってきたそこらへんのおっさんかと思った。
よおく見ると、愛子ばあちゃんに似ている。
心なしか、話し振りもそっくり。
ただ、異様にどす黒い顔色が気にかかる。腎臓を患っていて、透析に通われているそうだ。愛子ばあちゃんくらいには長生きしてほしいものだが。

ここのおうちには、子供の頃、しょっちゅう遊びにいってた。
じいちゃんの子供で、私と生年月日がまるで一緒の女の子がいた。
一世代とんでるけど、同い年。
たくさん遊んだ。一緒に川で泳いだり。やぶのなかの探検などなど。
聞いたら、今は福岡にすんでるとのこと。
どこかで会ったら、わかるかな。。いや、40年もたってしまってたら、無理か。。
いやはや、時の流れは進むけど、一緒に過ごした記憶は、時を超える。

Posted at 16:52 | いなかの事情 | この記事のURL
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こて絵 [2008年02月02日(土) ]
叔父の職業は、左官さんである。
そう、あの昔懐かしい漆喰の壁。和風の家には、びったりんこ。
その叔父が実は、なかなかの絵心ありの器用もん。
自分で修練を積んで、こういうものができるようになった。

鏝絵とは、漆喰で、レリーフ様に浮き出させた絵を彫り込んでいくものを言って、昔の家に割とあったりする。
話がとぶけれども、イタリアなどにあるなんたら聖堂にあるフレスコ画みたいなものと考えていただいたらと思う。
この葬儀のあいた時間に近所のおうちまで見学に連れて行ってもらった。
すごいもんである。鏝絵というのは。
ちょうど、叔母が病魔に倒れて、行った最後の仕事だった。
それまでは、叔母が下働きをして、あなた雑用、おれ、塗る人状態だった。
その叔父がいやおうなしに、ひとりで、バケツを洗い、ひとりで、仕事をした。
入院してる叔母を見舞い、一人寂しくおうちでごはんを食べながらの仕事だったのである。

ちょうど、家人が帰宅されて、おうちの中を見せていただいた。
玄関の大理石から、靴脱ぎの一枚板、玄関天井の格子様の作り。
たたみの続き間の欄間の双方からの彫刻と、あげればきりがないほどの凝った作りであった。
日本古来の素材を使った自然のもの、床柱木材とか、とにかく、すごい。
けど、さむい。都会ではやりの床暖房など何もない。
田舎では皮膚の作りが違うのか。

そこの家に行き着くまでがまた大変だった。
メイン道路からひとつ入った路地を、再び、向こうから車がきたら、どうするんだろうというよなあぜ道を走りつづけること、ん十分。
やっと到着したのは、田んぼの真ん中。
目立つ。
しかし、おそろしく、誰もこないところ。
そんなところに叔父さんの作ったものがある♪

なぜか、この布袋さんの笑顔、神々しくないかいな♪



Posted at 15:54 | いなかの事情 | この記事のURL
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叔母の母 梅ばあちゃん [2008年02月01日(金) ]
亡くなった叔母(母の弟のお嫁さん)の母は、推定年齢88歳。
この梅ばあちゃんは、若い頃、こどものいる人に嫁いだ。
そして、おばとその下に妹が生まれた。
なさぬ仲のこどももふたり。
それから、悲しいことに、連れ合いをなくし、血のつながらない息子と同居。
うまくいってない梅ばあちゃんを不憫に感じた叔母は、障害者の妹もつれて、引き取った。
梅ばあちゃんは、大腸がんにおかされていて、余命二年を宣告されていた。
かれこれ、5.6年前のことである。
そこには、愛子ばあちゃん(母の母)もいた。
梅ばあちゃんは、叔母の庇護の元、かなり、口汚く、愛子ばあちゃんをののしっていた。おまえなんか、惚けは、でていけーと、目の前で言ってるのを目のあたりもした。
叔母は根性悪の梅ばあちゃんでと、顔をしかめて話してはいたが。
このたびの叔母の死去によって、この梅ばあちゃんとその娘。
処置が大変そう。
叔父とは当然血がつながらない。
扶養義務は発生しないだろう。
ただ、そこの部屋にすんでるものをおいだすわけにはいかない。
そして、一番あたまが痛いのは、叔父とこの梅ばあちゃんの気が合わないことだ。
とことん、反発しあう。どちらもおれない。
うまくいきっこない。
だが、妙に意地っぱりの叔父は、おってもいいと、いいはる。
本来なら、血はつながらないが育てた義理の息子さんにお譲りするのが筋というもの。
葬儀の際に顔をあわせた叔父は、いろいろ、状況説明する。
が、どうも、その義理の息子さんたちからいわせれば、昔から吝嗇であった梅ばあちゃんは苦手のようだ。
息子さんたちが、小さい頃でも、あめ玉一個も買ってくれたことがなかったという。
それは、おばさんが入院してからというもの、一銭も食費をいれてないことからも、、そして、自分の娘である障害のある次女の心配などひとことも口にださないことからもわかる。
はなから、義理の息子さんたちは、引き取ることを念頭においてない。
そもそも、赤の他人であるから、それがすっきり他人になったこの年月だったろう。
結局、障害者の妹は、家で面倒をみるものがいなくなって、施設にお預けすることになったが、一日一万円かかる。
それは、誰がみるんだろう。当然、母である梅ばあちゃんだろう。
お金をもってないわけではない。
(義理の息子さんにいわせれば)
叔母がいる頃は、なんとか、生活費三万円くらいはいれていただいていたようだが。
これから先のことを考えると、暗澹とする。
縁はきれてるのに、追い出せない叔父。
少なくとも、愛子ばあちゃんのように、気持ちがやさしければ、いいものを。
こんなに、根性悪の梅ばあちゃんと・・・。
憎まれもの世にはばかるは言い得て妙!

生前、入院中の叔母は、たいそう、この梅ばあちゃんを案じて、もう、命があまりない、きつい体の時に叔父に車いすにのせてもらって、この梅ばあちゃんを入院させるべく手続きをとったそうである。
なんと、気丈なことだろう!
この梅ばあちゃんは、もしかして、生きれば生きるほど、まわりをふりまわしていく存在なのだろうか。

お葬式のとき、誰も話し相手がいないのに、かわいそうに思った母は、ずっと、そばについていた。ところが、次の日、自分のバックがないことに気づいた梅ばあちゃんは、最後までそばにいた母が持っていったと主張。さすがに、この頃にはみんなの話を聞いてあきれてかえってた母も、梅ばあちゃんには、への字顔。
結局、人間って、性根は、なおらないようだ。

Posted at 18:42 | いなかの事情 | この記事のURL
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お葬式 [2008年01月31日(木) ]
去年、リンパ腫の宣告を受けたおばがなくなった。
危篤の報を受けたのは、先週。
それから、一週間、ついに、命つきた。

母がお通夜も参加するというので、急遽、私たちも泊まり込みで行くことになった。
田舎のことゆえ、お通夜も盛大。
葬儀場であった。
200人ばかし入る会場は、満杯。
叔母の人柄が偲ばれる。
享年65歳。早すぎる。

おととし、テレビのハートなんとかというローカル番組に叔父と一緒に番組に出た。思えば、あの時の叔母の幸せに満ちた顔がこういう形で遺品になるとは考えもしなかった。

お葬式は、浄土真宗に則って行われた。
読経が行われるなか、お焼香になる。
葬儀場のかかりは、真宗のお焼香の仕方を詳しく、親戚筋に説明された。
時計と反対まわりに、ご住職の前に進み、一礼、祭壇に進み、最初に二礼、ご焼香は、頭まで、もってこないで、二度つまんでいれる。そののち、合掌礼拝。
そして、逆側に移動して、同じ時計と反対まわりで、自分の席にかえる。
そう、難しいことではないけれども、喪主である叔父から適当。
その後の親戚のおっちゃんおばちゃんたちもてんでばらばらに、いすの外側を進んでいったり。
係があわてて、誘導しにいく。
叔母の息子娘たちには、小学生、幼稚園、幼児と、ちっちゃいお子さんたちが何人もいる。
読経が進むなか、最初は、鈴の音にびくついたり、退屈がって、足をばたつかせたり、しっと、叱られてた子供たちが、ひとりふたりと、こっくりこっくり。
やがて、熟睡。
焼香の番がきて、ゆすっても、起きない。
おきなさいといっても、起きない深い眠り。
お経って、眠たくなるというけど、騒いでる元気なこどもたちがこんなになっちゃうんだから、とっても不思議。
立派なお経とは、人を眠らせてしまう・・ん・・たしかに、なくなった人が安らかに眠っていただけるならと、理にかなってる。。

うちの母も私の前を進んでゆくのに、とんでもない所にいこうとする。
人と反対側に進もうとするのを見えないように服の袖をつかみ、小声でこっちよ、と、誘導する。
ご焼香したあとも、帰りを、正しい方向に進ませるべく、後ろから小声でこっちあっちと誘導する。
みんな、モーゼのなんたらみたいに統率者がいないと、てんでちりぢりばらはら。
まあ、田舎ですから、そこは、みんな、人のふりみても気にしてない。
我の行動は、我だけしか、気にしないのですから。
いよいよ、ご焼香がすみ、弔辞。
弔辞は、40年来、一緒にお仕事を共にした同年代のおばさんだ。
早すぎる死を悼み、一緒に過ごされた年月を切々と話された。
みんなのすすり泣きとハンカチに目をあててる人がほとんど。
気丈なこの方は、途中で泣き崩れることなく、しまいまで、きちんと話された。
叔母と一緒にいただけあると、変に感心した。

親戚を代表してのご挨拶は、母の弟である。
東京からかけつけた兄弟一番の出世頭の叔父。
さすがに、上にたつものだっただけに、そつなく、状況を織り込みながらの挨拶。

いよいよ、お棺のふたをしめる。
中にたくさんのお花をいれる。
みんなで、一輪づつ埋めていく。
お花の免状も持っていたおばさんだけに、美しい華やかなお花に包まれて眠れる森の美女みたいな感じだ。
今だに、なくなったということがおかしいほどの表情。
さすがの、私も子供の時から、おりにふれ、親しんだおばとの会話などを思い出すと、涙があふれる。
いなくなったという事実にあらためて、涙がとまらなくなる。
人前で泣くのは嫌いだけど、出てくるものは、仕様がない。

霊柩車の見送りもしないといけないけど、会場の後始末も気になる。
なんてたって、今までは、おばがひとりで仕切ってたのだ。
裏方まわりの台所などの始末がわからないったらない。
もうひとり、おばといっしょに采配をふるってた弟のお嫁さんのおばもいるけど、今いち、たよりない。
息子さんたちのお嫁さんも40代くらいで都会育ちのせいか、気が利かないというか気づかないというか、体が動いてない。
こんなとき、おばさんがいたらなーと思うものの、肝心要の位置にいた場所には誰もかわりになれそうもない。
そういう不安ばかり、頭を横切るものの、私の立場上、お手伝いしかできないことが、ちとくやしい。
冷蔵庫の中身をだして、おちゃわんにはいったごはんを手にぶらさげたまま、霊柩車のとこに行くと、すでに、長男の挨拶が始まってた。
ごはんを手にぶらさげたまま、数珠をまさぐり、お見送り。

火葬場まで、また、ごはんをぶらさげたまま、乗り込む。
火葬場は、新しいのか、庭園もあり、立派なもの。
個室にゆき、また、お茶のしたくなどの下働きをつとめながら、やっぱり、おじさんちのお嫁ちゃんたちは、あんまり、動いてなくて、あれれ?と思う。
人は、悪くないし、子供たちもちっちゃいから、しようがないとは思うけれども、自分たちの立場がお客様ではなくて、当事者がわだという認識があるのかと疑う。やはり、亡くなったおばさんの仕切り方が抜群だったせいなのかと思う。
あらためて、おばさんの力加減に思いを馳せる。

50歳になって、修猷館高校の定時制を卒業してたのだそうだ。
このあたりでは、超難関といわれる学校である。
かなりがんばり屋さんで、ほかにも、三味線、踊りといとまがない。
お骨になったも、それがうかがわれる立派な頭蓋骨にみんなのため息がでる。
重ね重ね、惜しまれる。

帰りにおじの所にみんなで寄り、精進をいただいて、帰ることにする。
すると、近くの親戚が危篤状態だったのが亡くなったと知らせがあった。
まさか、呼ばれたのか!
そこもガンで、叔母のお葬式に参列してた親戚は、病室にかけつけたところだった。
その方は66歳。その母は、95歳。
なんでかねー。順番は大事だと、いつも、思ってるのだけど、先にこどもをなくすというのは、、、。
きょう、そこのお葬式があってると思うが。
叔父のひとこと。
きょうは、主役であしたは、参列者やねー。
人生は、メリーゴーランドや!

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