春が見えました。【2008年02月13日(水) 】
マァ、毎週と言うこともあり適当な気持ちで行くのだが、年中行事で500mℓのビールを二本空ける頃、多分、二時頃に夢うつつにおちいります。
七時頃に夢の中でNEWSが聞こえてきた、渋谷はもう銀世界になろうとしています。
「おふくろ、やばい、帰る」
外はまだ大粒の雨が降っている。
まだ大丈夫行ける、すぐさま仏壇に。
親父、雪に見舞われても俺を守れと上目線で拝みチーンと鳴らす。
おふくろが「大丈夫?こっちはまだ降っていないけど」
なぜか大雪になる胸騒ぎがした。
おふくろに来週また来るからと軽く車の窓越しに声をかけ一目散に出発した。
しかし脳裏の中にもしかして昨夜、焼酎がもう底に近かったのではと記憶が蘇る。
確か近所に酒屋があったと思い釜利谷の酒屋に寄ることにした。
もう雨はみぞれに変わりあとちょっとで牡丹雪に変わりそうな気配である。
おっとノンベの祟りか酒屋に寄ってしまった。
「あれ一刻者がある、もしかしたら高千穂か」
しかしありえない値段である。
「親父、なんでこんなに安いんだ、」
「売れなきゃ俺が飲むつもりで問屋の余り買ってるんだよ」
結局、一升瓶4本雪の中を覚悟して帰ることになった。
ここの15分は大きい。
のんべーで命を落としてもよしと決めるまでには時間がかかったが、今ははっきりと俺の人生は酒と薔薇とは言えないが酒とエゴの人生をまっとうしている。
先週おもしろい出会いがあった。
32年ぶりの出会いである。
甲斐バンドやブームのプロデューサーで名を馳せた男である。
彼が言うのにはレコードから音楽に入った人間とCDから入った人間では音楽環境が全然違うと教えられた。
レコードは回転数で絶対音が出来ないがCDは安かろうと高かろうと音の安定性はある。
歌手の良し悪しは色々あるが、まずは音程の大事さはすぐに直面することである。
そういえば最近の歌手は音程が良いのはCDから学んだことだったんだと何となく理解する。
そんな話を思い出しながら保土ヶ谷バイパスに入った。
対向車線の車が雪を乗せて走っている。
やばい酒屋で時間をかけすぎたと後悔の念はゆがめない。
軽くブレーキを踏むと1メートルは滑る。
久しぶりであるが地面と足が離れている気持ちを思い出す。
早く家に着きたいと今日買った焼酎のお湯割を夢見て、恐怖さん恐怖さん飛んでけ〜と祈る。
ようやく家に着いた。
ありがとう、俺はまだ生きていていいんだ。

翌日はまるで嘘のように春が来た。
春はもうすぐだ〜

※萩原氏が執筆した「エレックレコードの時代II」(CD付き単行本)、2007年12月22日より発売開始!
※およそ35年前の萩原氏も登場する「エレックレコードの時代」(CD付き単行本)も熟割にて絶賛発売中!
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渋谷に降る冬の花【2008年02月07日(木) 】
一人は前にブログに書いたことがある、湯河原にセカンドハウスを持ち昨年は母を連れて彼女のマンションのベランダから湯河原花火大会を堪能さしてもらった付き合い32年間の作家事務所の女社長さんである。
もう一人は25歳ぐらいからもうかれこれ33年間付き合いのあるイベントや落語の制作をしている彼も社長さんである。
この仲間は年三回ぐらいの飲み会と二回ぐらいのゴルフに行く昔からの何の気遣いや遠慮もなく裸で話せる友人たちだ、渋谷の道玄坂を上がりきり青山通り側に少し入ったちょっと隠れ家みたいな居酒屋で待ち合わせしバラバラに直行したのだが5分前に入り口で遭遇する。
この辺は友とはいえ5分遅れそうでも連絡を入れる気遣いを互いに持っている。
その隠れ家的の居酒屋には不釣合いな大きなテレビがあった。
それも我々の頭上にある。
六時半には30代半ばぐらいの男女がそそと集まりだした。
「あっそうか今日W杯アジア三次予選タイとか」
30代チームは序盤の日本の攻撃で点を取れない苛立たしさか試合21分後の遠藤が放った30メートルの壁を越えたシュートは我々にわかサッカーファンにとっても気持ちの良いシュートであった。
結果4−1を良くやったと褒めるべきか、1−0でも相手を0で押さえるべきと30代グループは試合終了後も喧々諤々である。
しかし驚いたことは埼玉スタジアムにサポーター35,130人があの雪にもめげず集まったと言う事である。
天気が良ければ6万5千のキャパはゆうに越せただろう。
女社長のSさんがもう一件行こうと言い出し、その店からわずか100メートルぐらいにあるBARに向かう何度か来たことがある。

階段を上がり二階に位置する落ち着いたカウンターだけの昔風の作りのBARはなぜか直ぐに和んでしまう雰囲気だ、バックグラウンドミュージックはパティページのテネシーワルツがかかっていた。
久しぶりにウイスキーを水割りで飲みたくなった、この辺から会話は人生観や親の話になっていく。
イベント社長のAさんは父親のいない環境で一人っ子として母親に育てられた。
母親は女医さんで戦争中も軍医として活躍していたことを聞かされたことがある。
自分もAさんの母親には随分お世話になった。
所属のアーティストが急遽風邪を引いて声が出ないときに夜10時でも面倒を見て貰った、言うなれば恩人である。
Aさんの母親も自分の母親も戌年であり、大正11年生まれである。
互いの母親たちは自分の命を引き換えてでも我が子を守ると言う気持ちで俺たちを育てた、次は我々が母親たちのかけがえのない日々を幸せにするために命を張る時期だと思う、こんな話で意気投合し時を忘れた。
11時半を回り渋谷でS社長とラーメンを食べて解散した。
同じように母を思う友にもう一つ勇気を貰い、他界した母を想う友に郷愁を見る。
まだ渋谷駅は雪が夜空に舞っていた。
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蕎麦前てな〜んだ!【2008年01月31日(木) 】
てぐすねを引いて仲間が待っていた。
「萩さん飯食った?」まあだだよ、てな感じで近所の蕎麦屋に向かう。
時は午後四時半、おっと蕎麦前で行こうか、待ってました。
ようするに蕎麦前とは蕎麦を手繰る前に一杯酒を飲むことである。
蕎麦屋を庵と呼ぶ歴史があった。
そう言えば朝日庵とか松月庵とか呼ばれる蕎麦屋は多い。
米の歴史は日本書記によれば紀元前400年ぐらいだが、蕎麦の歴史は紀元前7000年にも及ぶ縄文土器から蕎麦が発見された。
米より先に食された蕎麦とは蕎麦粒と呼ばれ、けして麺状のものではなかった。
うんちくはここまでだがなぜか蕎麦屋で飲む酒を旨いと思う。
灘の生一本も蕎麦屋から生まれたより選った酒と言うことらしい。
日曜日に近所の蕎麦屋に行き揚げた蕎麦に塩を降った突き出しと冷酒は至極の組み合わせである。
次に鴨の燻製と焼き味噌をつまみに熱燗に移る。
え〜い出来の悪い肝臓め、お前のおかげでがぶ飲みが出来なくなってしまったではないかと我が肝臓を詰る。
先日、医者に言われた。
「お酒少し控えたほうがいいですね基準の三倍ですよ」
「先生、まだ死なないですよね」てな感じの診断を下されたので「肝臓君俺の中で一番出来の悪いのはお前だ」と肝臓を叱咤激励するのだが根性の無い肝臓は、ご主人様一肝臓に変えましてもご主人様をお守り致しますと言ってくれない。
当初は運動によって肝臓君は頑張ってくれたが今は酒に負けて苛められる情けない奴になってしまった。
そんな意味で多少ハードなトレーニングだが、四時半からの酒宴は肝臓にとって頑張れとわが子を千尋の谷に落とす獅子のような心境である。
健康と酒どっちをとるのかと聞かれることが多いが、酒を飲まず鬱やノイローゼーになるくらいなら酒を取る。
今日はビールで終始した、まだ事務所に戻り仕事があるからである。
頼んだつまみは、煮カツそして秋刀魚の蒲焼どちらも甲乙付けがたい味である。
煮カツの汁のしみた端っこを食す、冷たいビールが喉を通過する、この快感は思わずヤッホーと言いたくなる。

次に頼んだのが秋刀魚の蒲焼である。
秋刀魚の蒲焼なんてけして旨いものではないと思うのが普通だが想像してみて欲しい。
熱い開きの秋刀魚にだしのきいたあんかけ作りである。
山椒をぱらっと降って出来上がりだ。
先ほどの煮カツにはないビールとのマッチングサラッと味濃い一品である。

この原稿を書くのでビール5本で押さえ事務所に向かう。
その頃我が家の猫どもは、
レオ「ダンさんまた昼真っから屁理屈つけて飲んでるよ、困った親父だね受験前の娘と結婚を控えてる娘がいるのに」
チャイム「結局、薬局、放送局でノンベー、アル中予備軍、逃避家なだけですよ」
ルーシー「いいこと考えた。おっさんの飲んでる焼酎、ほら薩摩芋焼酎の誉れて、あれ紙パックだよね。旦那さんのためみんなでオシッコをかけましょう」
全員、もとい、全猫「旦那さんのためなら、シャ〜もう一つおまけにシャ〜」
ちょっとビール飲み過ぎたなトイレが近いな、猫たち元気かなブルブル・・・

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餃子VSシウマイ【2008年01月24日(木) 】
ビールには餃子が合うと言うことから羽餃子、手羽先餃子と話は発展していった。
よく行く中華屋は昼時には満杯である。
肉野菜炒め定食やラーメン、タンメン焼きそば、チャーハンそして餃子もよく出るのだが、チャーハンと餃子とかタンメンと餃子とかどちらかと言えばサブメニュー的な存在である。
なぜならば餃子定食を頼む客は殆どいない。
昨夜も北海道出身のデザイナーの彼も、餃子で飯を食べる習性は無いと言う。
餃子の歴史は古く、紀元前6世紀春秋時代にはもう餃子が存在していた。
日本には満州を通じて入って来たそうだ。
餃子のライバルはシウマイだと思う。
シウマイと呼んでもシューマイと呼んでもどちらも良いそうだ。
シウマイのイメージは弁当のオカズが定着している。
崎陽軒が作ったシウマイ弁当の影響だろう。
1920年に崎陽軒の野並茂吉社長がシウマイを大々的に売り出したのである。
崎陽軒のシウマイは言わずとしれた横浜の名物であるが、元々は南京街のつきだしで使われていた。
野並さんはシウマイをこれはいけると踏んで開発に開発を重ね冷めてもおいしいシウマイを作り上げた。
シウマイはご飯のオカズにも酒の共にも合う。

なぜシウマイは餃子にこんなにもリードされてしまったのだろう。
シウマイだったら昼食べてもニンニク臭はないしどの中華屋でもシウマイを置けば良いと思うのだが、なぜシウマイをひいきするのかと言えば餃子に嫌な思い出がある。
若き頃、新宿の中華屋での出来事であった。
その中華屋は二階立てで我々のバンドはその中華屋は安いし旨いのでちょくちょく利用していた。
我々のマネージャーと称する者がギャラを持ち逃げしたのである。
我々は金も無く一杯のラーメンを食べるのが精一杯であった。
演奏帰りにその中華屋に寄った。
二階でメンバーの一人がラーメン一杯では腹が満ち足りず隣の席で残した餃子を手で食いだしたのである。
もちろん二階には我々しか居なかったが思わず「みっともないから止めろ」と言うと「お前、何気取ってんだ」と言い返された、悲しかった。
あの時以来、餃子をどこか心の中で避けてきたのかもしれない。
生まれが横浜のせいか横浜駅東口にあった崎陽軒を思い出す。
今ではオシャレなレストランだがあの頃は古びたビルの中で営業していた。
幼き頃、嫌いな親父と食べた塩味の五目ラーメンとシウマイの味は未だに忘れてはいない。
帰りにお土産として買ったシウマイの中にあるひょうちゃん、ひょうちゃんは小さな醤油入れである。
小さな陶器に書かれたひょうきんな顔は思わず和んでしまう。
母親はそのひょうちゃんをとっておいてお弁当に醤油入れとして再利用していた。
こんな話を書いていたらシウマイでも買ってたまには家で一杯行きたくなった。
その頃、食い意地の張った三匹の猫たちは神通力を出し合い「ダンさん、シウマイもいいですけど出来やしたらチャシューなんてのも酒のお供に合うと思いやすが、そのきれっぱしで結構ですから少しおすそ分けをして頂ければ我々三匹玄関までお出迎えに参りますが、それ祈れニャン」
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猫年はなんでないんだ〜 【2008年01月17日(木) 】
深夜、寝静まった頃に猫たちの干支談義が始まった。
チャイム「レオさん、今年はねずみ年ですがなんでねずみがあって猫年はないんですかね」
レオ「そうなんだよ、人間はねずみなんて大嫌いなくせに何がミッキー、ミニーだよ」
ルーシー「そうよそうよ、何がレミーのおいしいレストランよ。ねずみが料理なんて作ったらチフスが流行っちゃうわよ」
チャイム「そうですよ、腹立ちますよね。我々で世界猫年を作る会を作りましょうよ」
レオ「いいね、猫年の年は正月は鯛や鰹節を猫に食べさせないと不幸になるなんて決まりを作ったりして」
ルーシー「あんた達さ、猫年のない理由を教えてあげようか」
チャイム「ぜひ教えてください。流石にルーシー姉さんは物知りですね」
ルーシー「昔、中国の偉い人が動物たちを集め明日の朝、日の出と同時にこの門の前に集まれ、一番から着いた順に十二番までの動物にその年のタイトルをやろうと言ったのよ。まずは日の出と同時に牛が凄い勢いで門に突っ込んできたのよ。でもね尻尾にねずみがしっかり捕まっていて門の前で牛の頭を超えて一位になったのよ」
レオ「ねずみの野郎、きたないマネしやがって」
ルーシー「じつはねずみはもっと汚いことを猫にしたのよ」
チャイム「ねずみは何をしたんですか、場合によっちゃ今からねずみ狩りに行きますぜ」
ルーシー「ねずみは猫が足が速いのしってて日付を一日遅らせて教えたのよ。猫が一生懸命走ってきたときはもう十二支は決まっていて、猫はそこで笑い者にされたのよ」
チャイム「なんてひどい話だ、涙が止まりません。今から長女の部屋にいってミッキーをズタズタにしてきます」
レオ「俺も行く。ミニーも道ずれだ、姉妹に嫌われたってキャットフード半日くれなくても仕置きは覚悟したぜ、いざチャイム二階にいくぞ」
チャイム「がってんだ兄貴」

ルーシー「あんた達、なに興奮してんのよ。こんな話おとぎ話よ、本当にあるわけないじゃない、昔からの言い伝えよ」
チャイム「でもね、おいら悔しいんですよ、猫に小判、猫なで声、猫をかぶる、化け猫・・・いい事何にも言ってないじゃないですか、グスン」
レオ「そうだよな、窮鼠猫を噛むなんて何だか弱いものいじめのイメージだよな」
ルーシー「でもね、ねずみは人間にとって邪魔な生き物だけど猫は人間に愛されているじゃない。それだけでも猫は幸せだと思うけど」
ガシャガシャ
三匹「旦那さんが帰ってきた。深夜まで良く働いているのか、ただの酒飲みかしらないけど感謝しています、猫の額の家ですけど我慢します、テーブルの上の肴をネコババしません、猫なで声で愛嬌振りまきます」
・・・今年もずず、ず〜いと三匹の猫よろしくお頼み申し上げます。
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正月の風【2008年01月09日(水) 】
2008年も朝10時に次女を残して長女と夫婦で家を出た。
次女は受験の為、正月から予備校通いである。
天気も良く少し肌寒いが良い正月日和であった。
母にとっておせち作りは一週間前ぐらいから気合を入れて作り出す。
雑煮は鶏がらから取ったさっぱりしたスープに鶏肉、ナルトそれに三つ葉を入れる。
よく言う関東スタイルだと思う。
手羽先の唐揚げは焼き鳥で言う雀作りである。
手羽先の身の上の部分だけを開いて一本小骨を抜くと形が雀に似ているからだろう。

「お袋俺の書いた『エレックレコードの精霊たち編』読んだ」
「読んだよ、読んでる内に昔を思い出して怖くなってきたよ」
なんで怖くなったんだろうと少しビールが回ってきた頃聞いてみると、息子がミュージシャンを目指すことが本当に良かったのかと母親はいつも葛藤していたと言う。
あの頃はミュージシャンとは言わずバンドマンと呼ばれ水商売の仲間である、世間はバンドマンにけしてよい感情は持っていない。
回想の中で理解の無い親父との狭間に立ち俺を守ってくれたことが、今は息子がただ元気で音楽の道を続けてくれていることだけを喜んでいるように見える。
あの時の辛さは思い出したくもないらしい。
昔、正月で一番嫌いなことは親父が飲んだくれて暴れることである。
酒が好きなら許せるが酒に飲まれ家中を滅茶苦茶にする。
ひどい時は障子に火を付ける、お袋を殴る蹴る、今だから言えるがあの時はこの親父早く死なないかなと本気で思っていた、もうすぐ十七回忌である。
その頃のトラウマなのか反面教師なのか、俺のことを家では猫までもが舐めている。
親父が逝ってお袋は穏やかな日々を手に入れた。
最近は鎌倉彫に凝っている。
孫たちに整理箱を彫っている。
親父が生きていたら出来なかったことだろう。

いつも正月料理で最初に手を出すのが“イカ人参”だ。
松前漬けのように昆布や味りんは入れない。
スルメと人参を醤油に漬けるのであるが、これが我が萩原家のお袋の味である。
これを食べないと正月だと言う気分になれないのである。
本来正月料理は保存食のため、けして旨いと思ったことがない。
お煮しめ、キントンぐらいは好きだが、鮒の甘露煮や煮豆などは餓死する寸前であれば食べるが、世の中から無くなっても良いと思っている。
まだ抜けない正月気分を捨てて昨日今日と大阪に行ってきた。
心やさしい浪花のレコード屋の店主と会い仕事始めは良いスタートが切れたと思う。
今年も皆さまよろしくお願い致します。
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BS11、無事に終了【2007年12月26日(水) 】
自分にとってマスコミで一番長い間喋ったような気がします。
当日は、6時から9時までエレックレコードの新人アーティストabsorbのライブと重なってしまい、我が陣営を二つに分けいざ出陣しました。
秋葉原の駅に4時半に待ち合わせをして、元古井戸の加奈崎氏と待ち合わせる。
昔の秋葉原のイメージは殆どなく、つくばエクスプレスの開通によりお洒落なプレイタウンとして生まれ変わっていました。
楽屋に入ると妙な胸騒ぎが起こってきました。
俺って本当にこの場所にいていいんだろうか、エレックを語れるのか、いくら頬を自分でパシンと叩いても自信のなさだけが残ります。
途中、テンションの下がる電話が入りなぜか自己不信に陥りました。
その時にある事が閃きました。
俺がここで落ち込むことと全てを捨てて戦うことと、俺はどちらを選ぶのか。結論を時間軸でデシジョンを迫られています。
「後、15分でステージ下手に入って下さい」
一歩ずつスタジオに向かうのだが、幼き頃のかけっこの順番待ちの気持ちになる。
番組のポリシーとして、キャスターのモトさんとはスタジオでの初対面でライブ感が欲しいとのこと。
本当にポリシーなのか段取りの時間がないのか怪しいがその線で進行されている。
5分前、ステージ横で今一度台本を読む、たいした台本ではないが進行は分かる。
1分前、鼓動のテンポが落ちる、腹が据わるとはこう言うことなのだろう。
眩いばかりのスタジオの中に入る。
以前に吉田拓郎、泉谷しげる、古井戸のコンサートでサポートをしていた時の想い出が蘇る。
「萩原さん下手から入って下さい、上手から古井戸は入ります」
「譜面台の明かり大丈夫だよな、ピンで明かりもらわないと読めないから」
「照明にもう一度確認しておきます、足場気を付けてください暗いから」
「ありがとう…」
こんな会話を若き頃にしたことが昨日のように蘇る。
真緑のスタジオに入る。
背景はコンピューターによりバーチャルで作ったSTB(スイートベージル)のステージ。
「初めましてモト冬樹です」
「こちらこそELECの萩原と加奈崎です」
「エレックとはどんなレコード会社だったのですか」
「偶然と運と追い風とささやかな情熱で燃えつきた馬鹿な会社です。しかし我々から出て行った音楽は、あの頃の若者の血となり肉となり心になったのです」
…今回、思いの丈を『エレックレコードの時代U』〜エレックレコードの精霊たち編〜で書かせてもらいました。
死ぬと言うことは遠きものと感じた時代から、潮騒のように引き潮の中で残したい自分と向き合う文字の綴り。
「人は一人じゃ生きられない。しかし、人は人と最初から上手くやれるわけじゃない」
少しだけ俺は強くなった、弱さを認めたからだろう。
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ELEC忘年会【2007年12月18日(火) 】
総勢40人参加して頂き、勢いのある集いとなった。
振り返るとこの一年は光陰矢の如しであった。
手帳を一月からめくると、一日に5件の打ち合わせを入れていた。
頑張った結果は、まだ見えていないことが多い。
徒労に終わることも多々あるのが人生と割り切ってぶつかっていったはずだが、スケジュール帳は正直に失敗を指摘している。
あ〜ぁ来年はもっと計画的に動こうと年の初めに思うのだが、やはり無計画が体に染み付いているのかノリを選択してしまう。
大崎のお洒落なイタリアンレストランで行ったために焼酎がなく、店に言って一升瓶のいいちこを四本買ってもらった。
ワインより焼酎が出るはずと何も疑わなかったが結果は、ワインが売れいいちこは一本の半分も空かなかった。
忘年会の歴史は鎌倉時代もしくは室町時代だそうだ。
和歌を詠むなど静かな集いであったそうだが、近年のお祭り騒ぎは明治時代から始まった。
無礼講も新年会、忘年会から生まれたらしい。
昔を振り返ると、忘年会で一気飲みを繰り返し急性アルコール中毒にかかる若者、もとい、ばか者が必ず出た。
救急病院に入れて上司がしかたなく付き添うことは年中行事であった。
あとは喧嘩である。どういう訳か必ず殴り合いが始まるのである。
泣く者、笑う者、怒る者多種多様である。
我がエレックの忘年会は誰も乱れることなく厳かに行われ、和気あいあいのうちに終わりを迎えた。
話は変わるが12月22日に「エレックレコードの時代U」が発刊される。
中に入っている「エレックレコードの精霊たち」は、前回にも書いたが自分にとって初めての著書である。
昨日、編集者の湯田氏が著作者用と一冊を届けてくれた。
何だか照れと嬉しさが混じりあった変な気持ちである。
おそるおそる家に持って帰りさらっと家族の居る部屋のテーブルに置いてみた。
かみさんが「出来たんだふ〜ん」上の娘は「何が何が」「お父さんの書いた本が出来たのよ」とかみさんが言い、家族はそのままテレビの番組に戻った。
家族にとって親父が本を書こうがテレビに出ようがあまり関係ないらしい。
少し腹立たしいが、長い年月で考えるとこっちのほうが楽で良いと思う。
いちいち批評されたりしたら、それこそ、うっとうしい。
12月は忘年会に始まり誕生日、BS11の生番組とルーチンワークの他にも気の抜けないことが多い。
21日に何を着れば良いのかとか、しゃべりはどの程度までにしておけば良いのかとか悩む。
19日出る別冊カドカワの記事に少しだが自分のコメントが掲載されている。
エレックの広告塔に少しずつだが近づいている気がしている。
もう今年も残り少なくなったがまだまだ気が抜けない。
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新橋にて【2007年12月12日(水) 】
広場の名物SLも昼の逞しい姿を夜は一変して青いイルミネーションに彩られ、12月の夜に相応しい出で立ちである。

家路に急ぐサラリーマンや仲間と集う軍団で広場はごった返していた。
TVマスコミは新橋にサラリーマンの聖地と言うイメージをつけた。
この新橋には大きな思い出がある。
1972年年明けから始まったレコーディングである。
「この暗い時期にも」
生田敬太郎のデビューアルバムである。
この話はライブハウス「風に吹かれて」に生田敬太郎が出演したときにも書いたが、新橋の飛行館ビルの中にあった飛行館スタジオにて一週間ぐらいであろうか、朝までレコーディングをしていた頃の話である。
レコーディングが終わり楽しみは屋台のラーメンである。
あの頃にしては珍しい豚骨ラーメンを出していた。
屋台の周りはタクシーの運転手でごった返す中で食べたあの味は一生忘れられない味であった。
スタジオから家路に向かうときに、新橋駅からクモの子を散らしたように吐き出される、グレーの鎧に身を包みひたすら戦場に向かう兵士のような彼らを見ながら、俺たちはまるで鯉の滝登りのように逆流する。
あのときの若き戦士が今、団塊の世代と言われている。
今思えば不信、不安、挫折の時代であったように思う。
戦争に行き帰って来た親父は軍国主義の呪縛から逃れたように高度成長の波に乗り「舶来バンザイ」と叫ぶ。
「これからの日本は寄らば大樹の陰だ、アメリカに続くのだ」
戦って散った同期の桜はもう、過去の遺物になってしまったのだろう。
その背中はもう信じられなくなっていた。
今回、エレック本第二弾「エレックレコードの精霊たち」が12月22日に発売される。
自分にとって始めての本である。
最初は第一弾の手助けになると思い書いたが、あまりにも文体が違うので助けにもならず続編として編集者が扱ってくれた。
エレックと自分の葛藤から倒産までの風景を描いてみた。
書いていて感じたことは振り返ったときに俺ってなんてわがままな人生を過ごして来たのかと思った。
ここで殺されても今まで勝手なことばかりやってきた俺は「いい人生だった、後悔はない」と言い切れる気がする。
来年、娘が結婚するらしい。
らしいはないだろうと怒られそうだが、何が起こるか分からないのが喜びであり苦痛でもある。
親父の背中を非難出来るほどの背中を持てたとはけして思えない。
ただ一つ自信を持てることはメンタリティーである。
比較的、俺らの時代は心の振り子を大きく振れた。
時と場面で自分を変えられる術を持てたのではないだろうか。
後三日で58歳になる。
毎日タイトロープのような場面が来る。
人と会うときに案件なしで会う事はない。
一日の酒量は前の三倍はいっている。
ストレスの影響と逃げている。
運動の量も週5日はする。
どこかでこれが帳尻と思っているのかもしれない。
自分の本が出ることは嬉しさと怖さがある。
もうこれで良いと言うことはないのである。
読み返せば悩みが増える。
今月から某TVで隔月で一時間番組をやることがほぼ決定している。
今まで経験したことのない世界に入っていく。
これも俺の人生だ、死ぬときはニャッて笑って旅立ちたい。
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富士にて【2007年12月04日(火) 】
富士川サービスエリアからETC専用の出口が出来て、富士インターからの道のりより30分は違う。
申し訳ないが自分は最大の雨男である、その予想は的中した。
ずっと晴天が続くが中一日雨が降った、それが月曜である。
それも他県は30%ぐらいの降水確率だが、静岡富士は降水確率70%である。
日曜日に全員が五時にカントリークラブのロッジに入り、タクシーを使い近所の松栄寿司に向かう。
この儀式は年2回で2年続いている。
松栄寿司の刺身を始めて食べたときに、刺身とはこうゆうものを言うのだといたく全員が感動した。
駿河湾からの海の幸を食すだけ食しても、値段は東京の半分もいかない。
いかに東京で我々は高くて不味いものを食べているのかと腹立たしくなる。
酒と肴を心いくまで堪能し8時頃タクシーでクラブに向かう。
途中、セブンイレブンで酒とつまみ、そして仕上げのカップ麺を買う。
これからのテーマは二つある。
日本代表チーム星野ジャパンと韓国チームとの試合である。
それと年にこのときにしかやらない麻雀である。
試合は寿司屋でも見ていたので流れはある程度分かるが、一点差での勝利はドキドキハラハラな試合であった。
このメンバーと付き合うようになってからサッカーと野球、そしてゴルフの話題が多く、ゴルフの話は出来るが野球とサッカーの話題には最初はついて行けなかった。
メンバーの二人はメチャクチャに詳しいのである。
野球でも贔屓の選手が空振りをしても「よし、いい空振りだ」と褒める。
そのくらいスポーツ好きなのである、今日の試合の勝利は三億円ジャンボが当たったくらいのパフォーマンスで喜んでいた。
そして麻雀に入るのだが、仲間内なので危険のないチョコレート合戦になる。
しかし、信じられないことがこの麻雀で起きるとは思わなかった。
メンバーの一人がリーチをかけた。
自分の手はけして良くないので降りに徹した。
二杯切れていた白を引いた。
川に流れている牌が品切れになり、白を捨てると対面から静かな声でロンと言う声が聞こえた。
嫌な予感は的中した東南西北中…と並んでいる。
国士無双、やられた。
年二回しかやらない麻雀で役満を降った。
国士無双の語源は、前漢の高祖(劉邦)に仕えた韓信の才能を、「国に二人といない、得難い人材。」と讃えた言葉であるといわれる。
よし国士無双を降ったことを良しとしようと気持ちをポジティブに変える。
半荘を二回やったが二回ともビリであった。
明日のゴルフを考え一時半には寝る準備をした。
なぜかその夜麻雀の夢を見た。
ずっとビリの夢であった。
五時間の睡眠を取り、窓から見た光景は予想以上の雨足の強さだった。
それでも1ラウンド雨の中を頑張ってプレイした。
最終ホールで雨が上がった。
これも国士無双の祟りか。
それとも雨が厄払いをしてくれたのか。
帰り道、富士川サービスエリアで力の強い富士を見た。
頂上には白い雪がもうかぶっている、おっとまた白を思い出しちまうぜ。

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at 17:00
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