R−S20夜明け前@ 【2007年02月19日(月) 】
「お前がエレックレコード社長の萩原か?」
「これは、これは、STAGEのご担当・浜崎様と佐々木様。
私がエレックレコードの社長を務めています萩原と申します
この汚いエレックレコードにおいで頂き、恭悦至極でございます。」
「お前、倒産した『エレックレコード』を再興して、
過去のアルバムを復刻しているそうじゃないか」
「はい、左様でございます」
「なかなか感心な奴だ。お前にSTAGEの公式ブログを書かせてやろうと思うのだが、そこはお前の態度次第だ。
まず酒だ。我々は会社ではウワバミ姉妹と呼ばれている。
まずい酒など出すんじゃないぞ」
「ハハー。では酒は焼酎、日本酒はたまた、ワイン、ブランデーなんでもお持ちしますが」
「良い心がけじゃ。では、焼酎“百年の孤独”でも貰おうか」
「“百年の孤独”でございますか。私は結婚してからずっと孤独でございますが」
「お前の話などどうでも良いのだ。
酒を出せ、酒を出さぬと二人で暴れるぞ」
「ご勘弁下さい。小さなエレックでございます。
そんなことをされますと、ここを大家に追い出され、路頭に迷うしだいでございます」
「もう良い。ブログだが、エレックレコードのことを“べた”に書け」
「“べた”ですか、あのハエ取り紙のようにべたべたでしょうか」
「お前、我々をおちょくっているのか。気分が悪い。
今から三時間で書け。その間お前のつけの利く店で気分なおしに一杯やって来る。
それまでにべたべたなやつを書いておけ」
「ハハー。行ってらっしゃいませ、STAGE様」
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かくして私のブログが始まる事になった。
まずは、読者の皆さまに「べた」な自己紹介とエレックレコード再興の経緯をご説明しよう。
私とエレックレコードの出会い。それは遡る事、1970年5月。
吉田拓郎と、今はもう取り壊された六本木ソニースタジオにてアルバム「青春の詩」のレコーディングにドラマーとして参加したのが始まりであった。
まだ、拓郎は世に知られていない時期。
世の中は西城秀樹、野口五郎、郷ひろみが「新御三家」。
そしてタイガースからPYGを経て独立した沢田研二等がヒットを飛ばしていた歌謡曲全盛期であった。
あの時代にエレックレコードの専務、浅沼勇が、
「これからシンガーソングライターの時代が来る」と言い切ったのである。
スタジオにて拓郎と仕上げたアルバムの一曲目に
「青春の詩」が収録されている。
「 青春とはいったい何だろう
僕らは大人より時間がある
あと大人より20年は長く生きられる
何かしなければいけないと思うことそれが青春」と歌っている。
俺自身、若い頃から音楽に興じていたが、1968年、第二回ヤマハライトミュージックコンテストでボーカルグループサウンド部門第一位に俺のバンド「マックス」が優勝した。
その後、ネム音楽院を卒業後、ヤマハ音楽振興会にてドラム講師や
スタジオミュージシャンを経て、泉谷しげる、古井戸、佐藤公彦(ケメ)、生田敬太郎のレコーディングメンバーとツアーサポートで全国を回った。
そのままエレックレコードに入社した。1972年の春だった。
そのまま1976年の倒産までエレックレコードに在籍した。わずか4年。
拓郎「青春の詩」の通り、俺の青春もエレックレコードにあったのだ。
そして、2005年の暮れに「新生エレックレコード」を立ち上げた。
以来、雑誌や新聞の取材を受ける事も少なくないが、必ず聞かれるのが
「エレックレコードとはいったいどんなレコード会社だったのですか」。
それに俺は「偶然と運そして追い風あとはささやかな情熱」と答える。
売れていなければ誰も旧エレックを相手にはしなかっただろう。
売り上げで新宿区納税一位になったほど売り上げたレコード会社だった。
「なぜ倒産したのか」とも聞かれる。
その質問には一言「経理がなかった。どんぶり勘定だったから」と答える。
もう年月が流れ、あの時の経営者に恨みはないが、倒産後、エレックのスタッフは金もなく放り出された野良犬のように餌を探したのだ。
「なぜ、またエレックレコードを立ち上げたのか」と聞かれたときは、こうだ。
旧エレックは未熟な会社だった。
しかし、あの時に我々が出したレコードには、弱者への比類なき応援が込 められている。
あの応援歌は、今でも人々の心の中に生きている。
だからもう一度世に出す責任がある」
弱者とは無気力でも日和見でもない。
ただ社会的に弱者なだけである。今一度拳を天高く上げようご同輩。
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ドンドンドン
「今戻って来たぞ、ウィ、原稿書けたか」
「ハイ、そりゃあもうべたべたで、アンコロ餅のようなのが」
「よし。それを貰って帰るとするか。読んで駄目だったら暴れに来るぞ。サラバじゃ」
「しめしめ帰ったな、“千年の眠り”をロックで飲むか。うまい樫樽で寝かせた大麦の味がたまらん。
つまみに伊東から送ってもらった、色つやの良いからすみ、ウワバミ姉妹に見つからなくて良かった」
※編集部より注:前後の会話文はフィクションです。
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※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。熟割にて絶賛発売中!
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最近拓郎時代の曲がダウンロードサイトで、よく出ているようですね。
「百年の孤独」何回か頂きましたが、うまさよりも、プレミアム価格の暴騰には参りました。
十二指腸潰瘍も治ったので、バンバン飲もうとしても脳細胞がサイドブレーキ引くようになっています。
私にも82になる母親がいますが、何回かの脳梗塞、父親の認知症の発症、療養中の死亡と辛い経験を重ねています。
父親の最後の頃は病院も滞在日数オーバーで、老健施設へ追いやられたりしましたが、最後は私が看取ることができました。
毎週田舎の方へ農作業などをかねて母親に会いに行きますが、どんどん最後が近づいてきているそんな気がします。
下の子が大学に入学するまでは、元気でいて欲しい、そんな願望に変わっています。