花を召しますか 【2007年07月11日(水) 】
朝、といっても昨日の疲れが取れず、たまにはゆっくり事務所に行こうと家を10時に出た。
会社に急ぐサラリーマンの姿もなく、ゆっくりと生活している主婦と犬の散歩や、年金暮らしのお年寄りの買い物の姿が見うけられる。
体の疲れを意識したのか大きく胸を張った。
気持ち良く酸素が胸に一杯入る。
道の横に目を向けると道端に初夏の花々が咲き乱れていた。
世話しなく通ってしまういつもの駅までの道、ふと見れば、今までなんで気づかなかったんだろう、主張している向日葵や大きなユリに目を奪われた。

母の住んでいるマンションのベランダはいつも四季を問わず花が咲いている。
昔から花の好きな母であった。
幼い頃庭に薔薇や雪柳の花が庭いつぱい咲いていたことを思い出す。
先日母の元を訪れたときに、毎年夕方ぐらいから咲き始める変わった花がある、花火と言う名前だと母は教えてくれた。
今年もまた咲いてくれた。
線香花火のようにチャ、チャッと少しずつ咲く小さな花である。
「克己、この花、花火て言うんだよ」
この話は昨年も聞いた覚えがある。
「へぇーそうなんだ、花火ね、似ているね」
こんなたわいのない話だがひと時の幸せの時間である。
故郷、金沢文庫はかっては田舎であった。
能見堂、鎌倉天園、六国峠、多くの名所に囲まれ鎌倉時代の面影が多い土地である。
山には春夏秋と美しい花が一杯咲いていた。
崖に咲いていた大きなユリの花を取ろうとして落ちそうになり肝を冷やしたことや、牡丹の花を木ごと取って母に怒られたこと。
ひなびた小学校の花壇に三色スミレを植えたこと。
そうそう思い出した。
ヒヤシンスの球根をうすいグリーンが入った大きいおちょこに似ている花瓶に一杯の水を入れその受け口のところにヒヤシンスの球根を置く。
少しずつ根が出てくる、大体、夏休みの宿題とかでヒヤシンスの水栽培を行う。
それを絵日記に書いて夏休みが終わり九月一日に提出するのだ。
だがやって見るとこの地味な観察が面白くなってくる。
お尻から根が出てきていつのまにか花瓶の中が根だらけになる。
まるで宇宙からの謎の物体のような感触がある、秋の風が吹く頃花が咲いた記憶がある。
定かでないが夏休みの思い出だろう。
話は花の話に戻るが幼き頃はオシロイバナの種とかでおしろいを作って遊んだ記憶もある。
椿の実で笛を作ったこともある。
名前は忘れたが小さな白い花の蜜を吸ったこともある。
疲れると花が恋しくなるのだろう、山の青さに心打たれるのだろうか、死にぞこなった人の話を聞くと、夢の中でお花畑が出てきて親族縁者が手を振りこっちだよと呼んでいると言う話をよく聞く。
俺は呼ばれても行かなかったからここにいると言うのだが、俺がその立場だったら行ってしまう気がする。
どこか幼き頃の風景に似ていそうだからだ。
先日友人が個展を開いたので花を持ってお祝いに駆けつけようと、事務所の近所で評判の良い創作花屋にフラワーアレンジを任せ花束を作ってもらった。
少し早めに花屋に付き中で待たしてもらうこと30分、寒い、まるで真冬の温度の中で彼らは仕事をしている。
自分は花作りより花を観賞する人生をまっとうすることに決めた。
蘭は二万種類とも三万種類とも言われているが、密林の中でひっそりと咲く蘭に華やかと悲しさを見る。
蘭は樹木と違い着生であり寄生ではない。
樹木の養分を吸うことなく気高く寄り添いながら自分で生きる。

それに引き換え我が家の猫は、着生とか寄生の領分ではなく俺に対してお前をこの家で生きさせてやっていると言う侵略という新たなパターンで生活している。
今日はたまにはグリーンリベットのシングルモルトでもロックで飲むか・・・
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
熟割にて絶賛発売中!
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会社に急ぐサラリーマンの姿もなく、ゆっくりと生活している主婦と犬の散歩や、年金暮らしのお年寄りの買い物の姿が見うけられる。
体の疲れを意識したのか大きく胸を張った。
気持ち良く酸素が胸に一杯入る。
道の横に目を向けると道端に初夏の花々が咲き乱れていた。
世話しなく通ってしまういつもの駅までの道、ふと見れば、今までなんで気づかなかったんだろう、主張している向日葵や大きなユリに目を奪われた。
母の住んでいるマンションのベランダはいつも四季を問わず花が咲いている。
昔から花の好きな母であった。
幼い頃庭に薔薇や雪柳の花が庭いつぱい咲いていたことを思い出す。
先日母の元を訪れたときに、毎年夕方ぐらいから咲き始める変わった花がある、花火と言う名前だと母は教えてくれた。
今年もまた咲いてくれた。
線香花火のようにチャ、チャッと少しずつ咲く小さな花である。
「克己、この花、花火て言うんだよ」
この話は昨年も聞いた覚えがある。
「へぇーそうなんだ、花火ね、似ているね」
こんなたわいのない話だがひと時の幸せの時間である。
故郷、金沢文庫はかっては田舎であった。
能見堂、鎌倉天園、六国峠、多くの名所に囲まれ鎌倉時代の面影が多い土地である。
山には春夏秋と美しい花が一杯咲いていた。
崖に咲いていた大きなユリの花を取ろうとして落ちそうになり肝を冷やしたことや、牡丹の花を木ごと取って母に怒られたこと。
ひなびた小学校の花壇に三色スミレを植えたこと。
そうそう思い出した。
ヒヤシンスの球根をうすいグリーンが入った大きいおちょこに似ている花瓶に一杯の水を入れその受け口のところにヒヤシンスの球根を置く。
少しずつ根が出てくる、大体、夏休みの宿題とかでヒヤシンスの水栽培を行う。
それを絵日記に書いて夏休みが終わり九月一日に提出するのだ。
だがやって見るとこの地味な観察が面白くなってくる。
お尻から根が出てきていつのまにか花瓶の中が根だらけになる。
まるで宇宙からの謎の物体のような感触がある、秋の風が吹く頃花が咲いた記憶がある。
定かでないが夏休みの思い出だろう。
話は花の話に戻るが幼き頃はオシロイバナの種とかでおしろいを作って遊んだ記憶もある。
椿の実で笛を作ったこともある。
名前は忘れたが小さな白い花の蜜を吸ったこともある。
疲れると花が恋しくなるのだろう、山の青さに心打たれるのだろうか、死にぞこなった人の話を聞くと、夢の中でお花畑が出てきて親族縁者が手を振りこっちだよと呼んでいると言う話をよく聞く。
俺は呼ばれても行かなかったからここにいると言うのだが、俺がその立場だったら行ってしまう気がする。
どこか幼き頃の風景に似ていそうだからだ。
先日友人が個展を開いたので花を持ってお祝いに駆けつけようと、事務所の近所で評判の良い創作花屋にフラワーアレンジを任せ花束を作ってもらった。
少し早めに花屋に付き中で待たしてもらうこと30分、寒い、まるで真冬の温度の中で彼らは仕事をしている。
自分は花作りより花を観賞する人生をまっとうすることに決めた。
蘭は二万種類とも三万種類とも言われているが、密林の中でひっそりと咲く蘭に華やかと悲しさを見る。
蘭は樹木と違い着生であり寄生ではない。
樹木の養分を吸うことなく気高く寄り添いながら自分で生きる。
それに引き換え我が家の猫は、着生とか寄生の領分ではなく俺に対してお前をこの家で生きさせてやっていると言う侵略という新たなパターンで生活している。
今日はたまにはグリーンリベットのシングルモルトでもロックで飲むか・・・
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http://salon.stage007.com/elecrecords/tb_ping/20
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お料理もお得意とお聞きしました。今度簡単な萩原流レシピでも紹介ください。
中澤厚子さんのCDはどこに行けば買えますか?
FMか有線でたぶん「おかあさん」が流れていたように
思います。大変良い曲ですよね!頑張ってください。