JZBrat(ジェイズブラット) 【2007年10月17日(水) 】
渋谷のセルリアンタワー東急ホテルの2Fに位置しているジャズライブハウスである。
JZのスーパーバイザーを務めている浮田さんは、我がエレックの最高顧問をお願いしている。
浮田さんはかつてのエレックの常務であった。
思えば付き合いは37年になる。
昭和14年生まれとは思えぬ若さを感じさせる。
先週の水曜日に浮田さんからおしかりの電話があった。
「何してんだよ、今週来るって言うから電話待ってんのにかかってこないからこっちからかけたんだよ」
「スミマセン、金曜日に行きます」
7時にJZに向かった。
JZは今やジャズ界では名門のライブハウスである。
料理はイタリア料理でワインや洋酒は極上なものを揃えている。
当日は入れ替え制で、7時30分からのステージはまだ8割ほどの客だが9時30分は満杯である。
当日のプレイヤーはザ・トラベラーズである。

ゲストは藤井フミヤの弟で藤井尚之である。
メンバーはあの役者でも有名な武田真治がテナーサックスを吹いている。
流石に女性客が多い。
内容は分かりやすい60年代系ジャズと言うか哀愁がある。
出で立ちはアル・カポネの時代を思わせる華麗なるギャッビー調のスーツ姿にリーゼントをきめている。
藤井君が入り、武田真治とテナーサックスの競演は見事に客を陶酔させている。
イケメン二人がかっこ良くスーツで決め、テナーを振りながらスイングするさまは女性でなくても痺れる。
痺れるはチョット古い表現かもしれない。
浮田さんがシーザーサラダとアンチョビのパスタ、若鶏の香草焼きをとってくれた。
カべルネソービニョンのタンニンがしっかりときいたフルボディの赤ワインは至極の時をより演出してくれた。
ちょっとキザかな。

考えてみると1983年に兄貴が結婚した時の披露宴にチェッカーズが来ていた。
ちょうど「ギザギザハートの子守唄」を出した頃であった。
二人兄弟だが兄貴はヤマハ音楽振興会でチェカーズやツイストNSPのプロデューサーである。
兄弟そろってヤクザな職業についてしまった。
二次会にも来たのだが、その頃のチェカーズは貧乏で彼らの二次会の会費を出して上げた。
そのボーカルの弟が目の前で演奏する姿は、中々歴史を感じさせる。
フミヤもお忍びで来てザ・トラベラーズに参加して歌うことがあるそうだ。
ジャズと言ってもビーバップ系であるので、この演奏にフミヤが入ったら格好良いだろうなと想像する。
アンコールを披露しワンステージの幕は下りた。

浮田さんと別れ半蔵門線の渋谷駅に向かう。
「時間が欲しい。一日が30時間あったらドラムをもう一度やりたい」と思わず洩らしてしまう。
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
熟割にて絶賛発売中!
≫詳しくはこちら
JZのスーパーバイザーを務めている浮田さんは、我がエレックの最高顧問をお願いしている。
浮田さんはかつてのエレックの常務であった。
思えば付き合いは37年になる。
昭和14年生まれとは思えぬ若さを感じさせる。
先週の水曜日に浮田さんからおしかりの電話があった。
「何してんだよ、今週来るって言うから電話待ってんのにかかってこないからこっちからかけたんだよ」
「スミマセン、金曜日に行きます」
7時にJZに向かった。
JZは今やジャズ界では名門のライブハウスである。
料理はイタリア料理でワインや洋酒は極上なものを揃えている。
当日は入れ替え制で、7時30分からのステージはまだ8割ほどの客だが9時30分は満杯である。
当日のプレイヤーはザ・トラベラーズである。

ゲストは藤井フミヤの弟で藤井尚之である。
メンバーはあの役者でも有名な武田真治がテナーサックスを吹いている。
流石に女性客が多い。
内容は分かりやすい60年代系ジャズと言うか哀愁がある。
出で立ちはアル・カポネの時代を思わせる華麗なるギャッビー調のスーツ姿にリーゼントをきめている。
藤井君が入り、武田真治とテナーサックスの競演は見事に客を陶酔させている。
イケメン二人がかっこ良くスーツで決め、テナーを振りながらスイングするさまは女性でなくても痺れる。
痺れるはチョット古い表現かもしれない。
浮田さんがシーザーサラダとアンチョビのパスタ、若鶏の香草焼きをとってくれた。
カべルネソービニョンのタンニンがしっかりときいたフルボディの赤ワインは至極の時をより演出してくれた。
ちょっとキザかな。

考えてみると1983年に兄貴が結婚した時の披露宴にチェッカーズが来ていた。
ちょうど「ギザギザハートの子守唄」を出した頃であった。
二人兄弟だが兄貴はヤマハ音楽振興会でチェカーズやツイストNSPのプロデューサーである。
兄弟そろってヤクザな職業についてしまった。
二次会にも来たのだが、その頃のチェカーズは貧乏で彼らの二次会の会費を出して上げた。
そのボーカルの弟が目の前で演奏する姿は、中々歴史を感じさせる。
フミヤもお忍びで来てザ・トラベラーズに参加して歌うことがあるそうだ。
ジャズと言ってもビーバップ系であるので、この演奏にフミヤが入ったら格好良いだろうなと想像する。
アンコールを披露しワンステージの幕は下りた。

浮田さんと別れ半蔵門線の渋谷駅に向かう。
「時間が欲しい。一日が30時間あったらドラムをもう一度やりたい」と思わず洩らしてしまう。
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
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http://salon.stage007.com/elecrecords/tb_ping/34
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Posted by:エレックレコード社長・萩原克己 at 2007年10月23日(火) 19:00
素敵な話を有難うございます。チェックの洋服を着た若者のグループでしたね。私はサザンのデビューの方が衝撃でした。当時厳しい宗教系の学校で寮生活をしていました。TVを観る時間もろくに無く、技術職の学びに突入しましたから、面白みの無いつまらない女です。子供には人生の幅や楽しさを味わって欲しいと思います。今、大阪ではトランペットの日野氏プロデュースのジャズバンド30名募集中。行政がシニア向けのイベントとして取り組んでいるようです。荻原様のドラムを聴ける日も近いように感じますが・・・・
Posted by:ミルフィーユ at 2007年10月20日(土) 10:50
宮澤様
中々おもしろいコメントですね、ドルフィンのソーダ中を貨物船が通ると言うようなロマンティックな思い出あれば書けるのですが、なんせ赤提灯を第二の根城にしていますのでせいぜい三軒茶屋の隠れた名店「味とめ」名物お母さん年の頃は70歳に辻教子さんにhttp://www.e-machinet.com/ajitome.html遊んで貰ってるのが精一杯です。
中々おもしろいコメントですね、ドルフィンのソーダ中を貨物船が通ると言うようなロマンティックな思い出あれば書けるのですが、なんせ赤提灯を第二の根城にしていますのでせいぜい三軒茶屋の隠れた名店「味とめ」名物お母さん年の頃は70歳に辻教子さんにhttp://www.e-machinet.com/ajitome.html遊んで貰ってるのが精一杯です。
Posted by:エレックレコード社長・萩原克己 at 2007年10月19日(金) 15:50
まんなみ様
ACBやドラム、ラセーヌには自分も行きました。ドリフターズとスパイダースのジョイントが好きでした。
後に自分が出るとは思いもよらぬことでしたが、ジャズ喫茶とかディスコティックには数々の苦い思い出があります。ボーイに音がでかいとと言われコップの水を二階からかけられたり、楽器車が取りに来るのを忘れ、真冬の池袋でスピーカーボックスで人間の入れるスペースを作りボーカルと夜中を越したこともありました。今はそれが肥やしになっています。
ACBやドラム、ラセーヌには自分も行きました。ドリフターズとスパイダースのジョイントが好きでした。
後に自分が出るとは思いもよらぬことでしたが、ジャズ喫茶とかディスコティックには数々の苦い思い出があります。ボーイに音がでかいとと言われコップの水を二階からかけられたり、楽器車が取りに来るのを忘れ、真冬の池袋でスピーカーボックスで人間の入れるスペースを作りボーカルと夜中を越したこともありました。今はそれが肥やしになっています。
Posted by:エレックレコード社長・萩原克己 at 2007年10月19日(金) 15:37
ライブハウスに今回は出没ですね!まんなみさんもジャズフリークでしたか?萩原さんの再デビューはいつですか?
ボーカルのない音楽も何か優雅な空間のひと時のようでよいですね!私も友人とJ'には行きました。おしゃれな恋人達の憩いの空間としては最高ですね。
萩原さんは浮いた話はないのでしょうか?
ボーカルのない音楽も何か優雅な空間のひと時のようでよいですね!私も友人とJ'には行きました。おしゃれな恋人達の憩いの空間としては最高ですね。
萩原さんは浮いた話はないのでしょうか?
Posted by:エロス宮澤 at 2007年10月18日(木) 11:24
ジャズライブハウスは、昔の「ジャズ喫茶」のようなものですか?
音高生時代、名曲喫茶(渋谷のライオン&池袋の白鳥)にはしょっちゅう行っていましたが、
ジャズ喫茶も行ったことがあります。
ACBや、ラ・セーヌに。。。
当時は「いかりや長介とドリフターズ」や「ブルーコメッツ」が出演していました。
チェッカーズがデビューした時・・・この子達は売れる!と思いました。
藤井尚之さんと武田真治さんの競演、私も聴いてみたかったです(^_^)
音高生時代、名曲喫茶(渋谷のライオン&池袋の白鳥)にはしょっちゅう行っていましたが、
ジャズ喫茶も行ったことがあります。
ACBや、ラ・セーヌに。。。
当時は「いかりや長介とドリフターズ」や「ブルーコメッツ」が出演していました。
チェッカーズがデビューした時・・・この子達は売れる!と思いました。
藤井尚之さんと武田真治さんの競演、私も聴いてみたかったです(^_^)
Posted by:まんなみ at 2007年10月18日(木) 00:44


勝手にシンドバットは僕も衝撃的でした。ブラスセクションは新田一郎スペクトラムのメンバーです。パーカッションは夏木マリと電撃結婚した斉藤ノブです。
エレックが倒産してポリドールにいた頃の話ですから1978年頃ですね。日野さんプロデュースなんて凄いですね僕は亡くなった日野さんの弟さんで日野元彦さんにネム音楽院時代習っていました。大阪はジャズに理解がありますね。