初めての講演「東放学園にて」 【2007年06月26日(火) 】
生まれて初めて講演をした。
前日ジムで何を話そうかと思ったが話す相手が二十歳前後の若者で制作やマネージャー、コンサートプロモーター志願の若者である事を知らされ正直戸惑った。
今まで文章ならその年代に向けて書いたが、複数の若者の前で話すのは考えれば考えるほど頭の中が真っ白になる。
やりたい気持ちと逃げたい気持ちが交差する。
35年前のライブ前の気分だ。
11時半に新宿西口交番の前で待ち合わせをした。
30分早く着き、ドラックストアでモカドリンクとユンケルを飲む。
どう言うわけか緊張の前に大あくびが止まらなくなるのだ。
一ヶ月前ぐらいにメディアミリオン株式会社のエグゼクティブプロデューサー手塚さんからこの講演の話を貰い受けた。
自信家の自分が出てきて講演ぐらい何てことはないと高を括ったのである。
それ以来講演のことを考えると食欲が消えた。
意外と気が小さいのはクソ親父の遺伝なのか。
「手塚さん俺は何を話せばいいのですか?」
「今まで通りのノリで生徒をインスパイアしてくれればいいのですよ」
「分かりました得意技ですよ」
また悪い癖が出た・・・。
エレック時代に共通の友人の結婚式に同僚の荻野哲二と俺が招待された。
ご馳走が出ると思い互いに腹を空かして披露宴に出た。
始まって直に哲二の所に司会者がやって来た。
「すいません、友人代表が急病で来れなくなってしまい荻野様にそのお役を新郎から是非に受けて戴ければとお願いされまして」
「哲二受けてやれよ、おめでたい席なのだから」
「うっう〜んハイ」
やっと箸を付け始めた途端の話であった。
哲二は紙とボールペンを持って「ちょっとトイレに行ってくる」そう言って40分帰って来なかった。
料理は冷めボーイは早く彼の分を下げたくてしょうがないと言う顔をしている。
戻って来た哲二はびっしりと書かれたメモを手にしている、何度も暗唱している。
勿論、哲二の食欲は木端微塵に吹っ飛んでいる。
胸の鼓動が俺にまで伝わってくる。
終盤ぎりぎりで司会者がまたやって来た。
小声で「哲二そろそろ番だ」
「分かってるよ、頑張るよ」
「荻野さま申し訳ありませんスケジュールが押してしまい友人代表を割愛させて頂きます」
ほっとした顔と何故か寂しい気持ちと食えなかった恨みがしっかりと顔に出ていた。
「帰り際にどこかで一杯呑んでいこう」と笑いをこらえるのがやっとである。
こんなに落語みたいな話が目の前で起こるとは。
帰りに赤提灯で一杯呑んだとたん、哲二が
「あの野郎、新婚旅行から帰ってきたら只じゃおかないぞ」
と言いテーブルの上にある食い物を平らげていった。
講演が終わった後に何でこんな話を思い出したのだろう。
きっと何かおもしろいことを考えたかったのだろう。
人は究極の立場に立つと訳の分からない行動に出ることがあるそうだ。
後輩が酔いつぶれたときに専務から電話が入ったと言ってトクホンアンメルツを渡すとそれを受話器と思い「もしもし、もしもし」と繰り返すのを見たことがある。
今はそんな気分である。
話が飛んでしまった、もう少し講演の話をしたい。
20歳前後の若者とは思えない、おとなしい、静か、質疑応答をしたが恥ずかしがって質問はあまりない。
何人かの若者が質問してくれた。正直ホットした。
最初10分話をした時に前から3列目の女生徒が大あくびをした。
あそこで話が一度崩れた。立て直すのに少し時間がかかったが何とか話をリズムに乗せた。
アーティストにいつも
「ライブなんて前の客は黙っても乗ってくる、後ろを取るんだよ」
と言っているのに自ら前列中心で話をしている。
何とか伝えきったと思い時計を見るともう55分話をしていた。
最後に教師が質問をした。
「あの頃の音楽と、今の音楽はどう違うのですか」
「俺たちは、大人の背中が嫌いだった。戦争経験者の大人が鬼畜米英を呪文のように唱えそして敗戦したとたん、舶来品は最高だと言った日和見の大人が嫌いだった」
そんな気持ちが音楽に現れたのではと言った、今の若者が追い求める音楽とは将来に対する不安は同じだが牙が無いように思える。
人と間合いで爪を伸ばす事も少ないように思える。深爪を警戒しているのだろう。
講演が終わった。
事務所に通され冷たいお茶を飲んだ。
教師から生徒のアンケートを受け取った。
事務所に戻りアンケートに目を通す。
大半の意見が俺の話を真摯に受け止めてくれていた。
彼らが俺の歳になった時にはもうこの世に俺はいない。
これだけ勝手な生き方をしているのだから70歳前後がいいとこだろう。
明日は晴れるのだろうか、晴れたらいいのにな
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
熟割にて絶賛発売中!
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前日ジムで何を話そうかと思ったが話す相手が二十歳前後の若者で制作やマネージャー、コンサートプロモーター志願の若者である事を知らされ正直戸惑った。
今まで文章ならその年代に向けて書いたが、複数の若者の前で話すのは考えれば考えるほど頭の中が真っ白になる。
やりたい気持ちと逃げたい気持ちが交差する。
35年前のライブ前の気分だ。
11時半に新宿西口交番の前で待ち合わせをした。
30分早く着き、ドラックストアでモカドリンクとユンケルを飲む。
どう言うわけか緊張の前に大あくびが止まらなくなるのだ。
一ヶ月前ぐらいにメディアミリオン株式会社のエグゼクティブプロデューサー手塚さんからこの講演の話を貰い受けた。
自信家の自分が出てきて講演ぐらい何てことはないと高を括ったのである。
それ以来講演のことを考えると食欲が消えた。
意外と気が小さいのはクソ親父の遺伝なのか。
「手塚さん俺は何を話せばいいのですか?」
「今まで通りのノリで生徒をインスパイアしてくれればいいのですよ」
「分かりました得意技ですよ」
また悪い癖が出た・・・。
エレック時代に共通の友人の結婚式に同僚の荻野哲二と俺が招待された。
ご馳走が出ると思い互いに腹を空かして披露宴に出た。
始まって直に哲二の所に司会者がやって来た。
「すいません、友人代表が急病で来れなくなってしまい荻野様にそのお役を新郎から是非に受けて戴ければとお願いされまして」
「哲二受けてやれよ、おめでたい席なのだから」
「うっう〜んハイ」
やっと箸を付け始めた途端の話であった。
哲二は紙とボールペンを持って「ちょっとトイレに行ってくる」そう言って40分帰って来なかった。
料理は冷めボーイは早く彼の分を下げたくてしょうがないと言う顔をしている。
戻って来た哲二はびっしりと書かれたメモを手にしている、何度も暗唱している。
勿論、哲二の食欲は木端微塵に吹っ飛んでいる。
胸の鼓動が俺にまで伝わってくる。
終盤ぎりぎりで司会者がまたやって来た。
小声で「哲二そろそろ番だ」
「分かってるよ、頑張るよ」
「荻野さま申し訳ありませんスケジュールが押してしまい友人代表を割愛させて頂きます」
ほっとした顔と何故か寂しい気持ちと食えなかった恨みがしっかりと顔に出ていた。
「帰り際にどこかで一杯呑んでいこう」と笑いをこらえるのがやっとである。
こんなに落語みたいな話が目の前で起こるとは。
帰りに赤提灯で一杯呑んだとたん、哲二が
「あの野郎、新婚旅行から帰ってきたら只じゃおかないぞ」
と言いテーブルの上にある食い物を平らげていった。
講演が終わった後に何でこんな話を思い出したのだろう。
きっと何かおもしろいことを考えたかったのだろう。
人は究極の立場に立つと訳の分からない行動に出ることがあるそうだ。
後輩が酔いつぶれたときに専務から電話が入ったと言ってトクホンアンメルツを渡すとそれを受話器と思い「もしもし、もしもし」と繰り返すのを見たことがある。
今はそんな気分である。
話が飛んでしまった、もう少し講演の話をしたい。
20歳前後の若者とは思えない、おとなしい、静か、質疑応答をしたが恥ずかしがって質問はあまりない。
何人かの若者が質問してくれた。正直ホットした。
最初10分話をした時に前から3列目の女生徒が大あくびをした。
あそこで話が一度崩れた。立て直すのに少し時間がかかったが何とか話をリズムに乗せた。
アーティストにいつも
「ライブなんて前の客は黙っても乗ってくる、後ろを取るんだよ」
と言っているのに自ら前列中心で話をしている。
何とか伝えきったと思い時計を見るともう55分話をしていた。
最後に教師が質問をした。
「あの頃の音楽と、今の音楽はどう違うのですか」
「俺たちは、大人の背中が嫌いだった。戦争経験者の大人が鬼畜米英を呪文のように唱えそして敗戦したとたん、舶来品は最高だと言った日和見の大人が嫌いだった」
そんな気持ちが音楽に現れたのではと言った、今の若者が追い求める音楽とは将来に対する不安は同じだが牙が無いように思える。
人と間合いで爪を伸ばす事も少ないように思える。深爪を警戒しているのだろう。
講演が終わった。
事務所に通され冷たいお茶を飲んだ。
教師から生徒のアンケートを受け取った。
事務所に戻りアンケートに目を通す。
大半の意見が俺の話を真摯に受け止めてくれていた。
彼らが俺の歳になった時にはもうこの世に俺はいない。
これだけ勝手な生き方をしているのだから70歳前後がいいとこだろう。
明日は晴れるのだろうか、晴れたらいいのにな
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