プロフィール
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萩原克己氏が
レギュラー出演している
スカパー!の音楽番組、
好評放送中!!

4月5日よりスタートしたch.309 日テレG+(ジータス)の新番組 「ハギ♪シホ 音楽夜話」(毎週土曜日夜22時50分〜23時20分)で、 ギャル社長シホちゃんとMCを担当しています。ぜひご覧ください!

かすかな変化、そして変貌へ 【2007年03月27日(火) 】

このブログ本文は、新生エレックレコード始動に呼応し
音楽活動を再開されたアーティスト・中沢厚子さんと
その家族が直面した認知症を患った母親との日々を、
より多くの方に今日的な話題として発信する為
エレックレコード社長・萩原氏が共同執筆したものです。

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電話の翌日。猛暑の中、先に病院に顔を出し、父の回復が自分の勇気になっていくようで嬉しかった。実家に着いたのは午後の三時を回っていた。
玄関を開けると、いつもだと居間から「厚子、来たの」と母が直に出迎えてくれる。
だが、その日は「こんにちは」と何度呼んでも声は無い。

居間に上がり、母がいない事を確認して、変だなあ。
買い物に行くわけでもないし、二階に上がってみると締め切った。

和室で洋服の上に浴衣を羽織り、顔から汗を流しながら母は寝ていた。
クーラーもつけず、この部屋にいたら熱中症にやられてしまう。

窓をすぐに開けて母を起こすと「あら、厚子。今寝たところなのに。今何時?」
「もう午後の三時よ、こんな暑い部屋で寝たら身体こわすわよ」とたしなめるが母は聞く様子もなく「大変、もう三時だ、ご飯食べなきゃ」

その時、私はまだ少し寝ぼけてるぐらいにしか思わなかった。

父の退院が決まった当日。私が父に付き添い、何もなかったように家に戻った。
その翌日、父から
「厚子、お母さん、おかしいんだ。私がちょっと仕事の電話をしていると、一人でご飯を食べ始めたり、食べ終わってから湯飲みにご飯を入れて食べ始めたり。もしかしておかあさん普通じゃないんだ」

このまま母がどうなっていくのか、不安でいっぱいになった。
その夜、娘に母親の事を伝えた。次女が介護の資格を持っていたのが心強かった。

それから母親の奇行はエスカレートしていった。
母の面倒を父が見ていたのだが、高齢の父にはもう限界がきていた。

娘の助言でヘルパーさんを頼むことにした。
私も出来るだけ実家に行き、やりくりを手伝いに行った。

姉も仕事が終り次第、真っ直ぐに帰宅をしてくれた。
病気にかかる前も、外に出るのが嫌いだった母にとって、他人のヘルパーさんが家に入ることをとても嫌がっていた。
あのおとなしい母が大声でヘルパーさんに帰れと怒鳴り手を上げる事がしばしばあった。
ヘルパーさんはこの様なことは慣れているのだろうが、家族は母の行動が信じられる、狂喜としか考えられないことであった。
(以下次週に続く)

※次回4/3更新予定

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デビュー直前17歳の中沢厚子も登場する「エレックレコードの時代」熟割にて好評発売中!

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穏やかな日々 【2007年03月20日(火) 】

このブログ本文は、新生エレックレコード始動に呼応し
音楽活動を再開されたアーティスト・中沢厚子さんと
その家族が直面した認知症を患った母親との日々を、
より多くの方に今日的な話題として発信する為
エレックレコード社長・萩原氏が共同執筆したものです。

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私、中沢厚子は現在夫子と4人暮らしをしている。
子供は長女と次女をもうけた。

生活は平々凡々ではない。言葉に出来ぬほどの事があった。
それは誰もが避けて通れない経験なのかもしれない。

結婚して姓は三浦となったが、
15歳の頃からシンガーソングライターとしての私は
今まで通り中沢厚子として詩を表現している。

思い起こすと、私の人生の中で歌とは縁遠い物として受け止める時期もあった。
この物語は、列車で言えば同じレールの上を走る三つの車輪のよう。
人生模様をこれから母、私そして娘と、時代の違う車窓から眺める物語かもしれない。

2005年の夏、猛暑で熱帯夜が何日も続いた。
私の住んでいる北沢から約40分の高円寺に姉と父母の三人で住んでいた。母から電話があった。

「大変、厚子。お父さんが倒れて、救急病院に運ばれたの。私どうしたいいのか分からないからすぐ来て」
「お母さん、今何処?」
「救急車で病院へ運ばれたの。私、どうしたらいいの?」
「分かったわ。直に行くから」

阿佐ヶ谷にある病院に車で駆けつけた。
外の空気と一変して病院内は冷ややかな空気で包まれている。

消毒薬の香りが余計肌寒く感じさせるのだろう。
車の中で父の事が頭の中を駆け巡った。

もう90歳になる父は戦争経験者であった。
90歳と言う高齢を感じさせずに自宅兼事務所として、従業員を使い、仕事を続けていた。

20年前に高円寺に引越して来て、母が環境の変化からか体調を崩し入院してしまった。
その時から掃除、洗濯、料理と家事一切を父が担当することになった。

以後も母は、スーパーに買い物に行きエスカレーターで転倒した事があった。
その時から買い物も父の仕事になった。

嫌味でなく、母は父の事を「うちのコックさん」と呼んでいた。
食べる事が好きな母は、父の作る料理を楽しみにしていた。

私より5歳上の姉は毎夜遅く帰ってくるバリバリのキャリアウーマンである。

そんな姉と私は土日ぐらい、父に楽して欲しくて、交互に料理をすることが多かった。

父は母を子供のように思っていたのかもしれない。

病室に入り「お父さん大丈夫?」と駆け寄ると、照れ笑いをするように
「お母さんが心配性だから、大袈裟に厚子に伝えたんだろう。もう下血も止まった」
「良かった。緊急入院なんて聞いたら、誰だって驚くわよ」

父は回復に向かい、私は少し安堵の日々を送っていた。
小さいながら、我が家には庭があり一本の柿の木が立っている。
我が家の生き証人のような柿の木。
新緑の緑から、葉の色が赤く染まる。

その繰り返しの度に、少しずつ大きくなってきた子供たちの健康と、両親が永く生きて欲しいとこの柿の木に何度願った事だろう。

父の入院中に母から何度も電話があった。

「厚子、お父さんもう駄目なんじゃないかしら」

「何言ってんの。お父さんは回復に向かっているって担当医の先生が言っていたじゃない。お母さん、お父さんは今頑張って早く退院しようとしてるじゃない。お母さん、何で泣いてるの」

「何だかね。お父さん死ぬんじゃないかと思って」

「変なこと言わないでよ。お母さん、明日そっちに行くから」

テレビを見ることと食べる事の大好きな母は、父に全てを依存してのだろう。先行きの不安から情緒不安定になっているぐらいにしか考えなかった。
(以下次週に続く)

※次回3/27更新予定

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R−S20夜明け前B 【2007年03月14日(水) 】

どんどんどんどん

「萩原はいるか!ウワバミ姉妹の登場だ」
「これは、これは、お久しぶりでございます。STAGE編集部の浜崎様と佐々木様」

「お前の中沢厚子さんのブログの話には泣かされたぞ。中沢厚子さんは天使のような人ではないか(ウルウル)」

「ありがとうございます。まさに鬼の目にも涙とはこのような事を言うのでございますな」
「暴れられたいのか」
「とんでもござりましぇん」


「じつは我々もストレスで若干認知症の症状が出ておるのじゃ」
「本当でございますか、その若さで」
「先日、新宿で飲んだのだが翌日に会社にこのようなものが送られてきたのだ」

「これは請求書でございますな。何々、テーブルの修繕費8万円、割れたボトルとグラス3万円。ウエイターの入院費9万円。そこにいた客の精神的慰謝料菓子折り5個」

「おかしいのだ、我々は全く記憶がない。新手の詐欺かと思ったら、しっかり写真を取られていて、まるでゴジラが東京を壊すが如くの地獄絵図であった。
合成写真かと思い、その筋の者にも聞いてみたがやはり真実らしい。我々はもしかしたら若年性認知症ではないか」

「いえいえ、それは浜崎様、佐々木様。大きな勘違いでございます。簡単に言うとアル中、もしくは酒乱、もしくは、自分に都合の悪いことは翌日には忘れる本能ではないでしょうか」
「おぬし我々を愚弄したな。罰として、この請求書をエレックレコードに回してやる。ガハハハハ。口は災いの元じゃ。以後気をつけよ。サラバじゃ」

「言い忘れた。中沢厚子さんの話の続編を書け。では、お前のツケの利く店で一杯やっていくぞ」

どんどんどんどん。

「神様仏様お願いがございます、あの二人に呪いあれ〜。呪いあれ〜。」


かくして、私は中沢厚子の続編を書くことになった。

これから綴る文章は中沢厚子と家族、そして認知症を患った母親の話を
私が若干読みやすく構成した文であり全てが事実である。

※編集部より注:前後の会話文はフィクションです。
※次回3/20更新予定

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R−S20夜明け前A 【2007年03月06日(火) 】

先日、レコーディングに入った。
アーティストは中沢厚子。

1970年に発売された吉田拓郎のアルバム「青春の詩」の収録曲の一つである「男の子女の子」にて
吉田拓郎とデュエットしたのが中沢厚子であった。

昨年、2006年の暮れに中沢厚子のライブに出かけた。
そのライブで、まだ仮タイトルだがオリジナル曲「お母さん」を聞いた。
なぜか自分でもおかしいほどに、涙が止まらなかったのである。


中沢厚子の母親の話である。


87歳になる彼女の母親が何年か前から認知症を患っている。
毎日見舞いに行くが、母親の気分が良い時は中沢厚子を「あっちゃん」とわかる。

しかし、症状の悪い時は彼女のことを忘れてしまう。
中沢厚子はその母親を詩にした。

「もしもあなたがいつか

 私の名前も顔も忘れてしまう時が来ても、心配しないでね 

 ずっとずっと側に

 私だけのたったひとりのお母さん」と歌う。

厚生労働省の発表によると介護保険の要支援・要介護1〜5の認定者の内、
約半数に軽重の差はあっても何らかの認知症の症状があるとのこと。

認定者数380万人のうち、約半分200万人近くの人に認知症の症状が見られるとなると、
65歳以上の方の約8%に認知症の症状が見られることになる。


私にも今年85歳になる母親がいる。

この世に自分が生を受け、絶対に頭の上がらない人が母である。


ぐうたらな親父が家でプラプラしているときに、
母は命がけで働き家庭を支えた。

週に一度母親に会いに行く。気丈な母はいまだにしっかりしている。
俺が来るのを楽しみにしている母は、食べきれないほどの料理を作ってくれる。


昨年、母にどこか行きたいところあるかと聞いた。
行ったことがない沖縄と答えたので、自分の家族と沖縄旅行に行った。
その時の母親の嬉しそうな顔がわすれられない。
初めて親孝行をした気分になった。


母から教わったことは、子供のためなら命をかけられる心であった。
親を殺す子供、子供を殺す親。なぜそんなことが出来るのだろうか、

木の上に立って見る。
親という一文字になる。
親は巣立つ子供を見送ることしかできないと言っているのだろう。

自分も親になり、母のように子供を守ってきたつもりだが、
母のように子供の全てを受け入れ、信じ、誉めて育んでいくことは
まだ自分には出来ていない。
叱ることのほうが多い。


そんなとき思う。また未熟な自分と出会ってしまったと。
明日も母が元気でいてくれることを願う。


“あなたが私を産んでくれたから私には大切な家族が出来ました”
 ありがとう、ありがとう。“


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