プロフィール
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[お知らせ]

萩原克己氏が
レギュラー出演している
スカパー!の音楽番組、
好評放送中!!

4月5日よりスタートしたch.309 日テレG+(ジータス)の新番組 「ハギ♪シホ 音楽夜話」(毎週土曜日夜22時50分〜23時20分)で、 ギャル社長シホちゃんとMCを担当しています。ぜひご覧ください!

初めての講演「東放学園にて」 【2007年06月26日(火) 】

生まれて初めて講演をした。
前日ジムで何を話そうかと思ったが話す相手が二十歳前後の若者で制作やマネージャー、コンサートプロモーター志願の若者である事を知らされ正直戸惑った。
今まで文章ならその年代に向けて書いたが、複数の若者の前で話すのは考えれば考えるほど頭の中が真っ白になる。
やりたい気持ちと逃げたい気持ちが交差する。
35年前のライブ前の気分だ。
11時半に新宿西口交番の前で待ち合わせをした。
30分早く着き、ドラックストアでモカドリンクとユンケルを飲む。
どう言うわけか緊張の前に大あくびが止まらなくなるのだ。



一ヶ月前ぐらいにメディアミリオン株式会社のエグゼクティブプロデューサー手塚さんからこの講演の話を貰い受けた。
自信家の自分が出てきて講演ぐらい何てことはないと高を括ったのである。
それ以来講演のことを考えると食欲が消えた。
意外と気が小さいのはクソ親父の遺伝なのか。
「手塚さん俺は何を話せばいいのですか?」
「今まで通りのノリで生徒をインスパイアしてくれればいいのですよ」
「分かりました得意技ですよ」
また悪い癖が出た・・・。

エレック時代に共通の友人の結婚式に同僚の荻野哲二と俺が招待された。
ご馳走が出ると思い互いに腹を空かして披露宴に出た。
始まって直に哲二の所に司会者がやって来た。
「すいません、友人代表が急病で来れなくなってしまい荻野様にそのお役を新郎から是非に受けて戴ければとお願いされまして」
「哲二受けてやれよ、おめでたい席なのだから」
「うっう〜んハイ」
やっと箸を付け始めた途端の話であった。

哲二は紙とボールペンを持って「ちょっとトイレに行ってくる」そう言って40分帰って来なかった。
料理は冷めボーイは早く彼の分を下げたくてしょうがないと言う顔をしている。
戻って来た哲二はびっしりと書かれたメモを手にしている、何度も暗唱している。
勿論、哲二の食欲は木端微塵に吹っ飛んでいる。
胸の鼓動が俺にまで伝わってくる。

終盤ぎりぎりで司会者がまたやって来た。
小声で「哲二そろそろ番だ」
「分かってるよ、頑張るよ」
「荻野さま申し訳ありませんスケジュールが押してしまい友人代表を割愛させて頂きます」
ほっとした顔と何故か寂しい気持ちと食えなかった恨みがしっかりと顔に出ていた。
「帰り際にどこかで一杯呑んでいこう」と笑いをこらえるのがやっとである。
こんなに落語みたいな話が目の前で起こるとは。

帰りに赤提灯で一杯呑んだとたん、哲二が
「あの野郎、新婚旅行から帰ってきたら只じゃおかないぞ」
と言いテーブルの上にある食い物を平らげていった。



講演が終わった後に何でこんな話を思い出したのだろう。
きっと何かおもしろいことを考えたかったのだろう。
人は究極の立場に立つと訳の分からない行動に出ることがあるそうだ。
後輩が酔いつぶれたときに専務から電話が入ったと言ってトクホンアンメルツを渡すとそれを受話器と思い「もしもし、もしもし」と繰り返すのを見たことがある。
今はそんな気分である。

話が飛んでしまった、もう少し講演の話をしたい。
20歳前後の若者とは思えない、おとなしい、静か、質疑応答をしたが恥ずかしがって質問はあまりない。
何人かの若者が質問してくれた。正直ホットした。
最初10分話をした時に前から3列目の女生徒が大あくびをした。
あそこで話が一度崩れた。立て直すのに少し時間がかかったが何とか話をリズムに乗せた。
アーティストにいつも
「ライブなんて前の客は黙っても乗ってくる、後ろを取るんだよ」
と言っているのに自ら前列中心で話をしている。
何とか伝えきったと思い時計を見るともう55分話をしていた。

最後に教師が質問をした。
「あの頃の音楽と、今の音楽はどう違うのですか」
「俺たちは、大人の背中が嫌いだった。戦争経験者の大人が鬼畜米英を呪文のように唱えそして敗戦したとたん、舶来品は最高だと言った日和見の大人が嫌いだった」
そんな気持ちが音楽に現れたのではと言った、今の若者が追い求める音楽とは将来に対する不安は同じだが牙が無いように思える。
人と間合いで爪を伸ばす事も少ないように思える。深爪を警戒しているのだろう。

講演が終わった。
事務所に通され冷たいお茶を飲んだ。
教師から生徒のアンケートを受け取った。
事務所に戻りアンケートに目を通す。
大半の意見が俺の話を真摯に受け止めてくれていた。
彼らが俺の歳になった時にはもうこの世に俺はいない。
これだけ勝手な生き方をしているのだから70歳前後がいいとこだろう。
明日は晴れるのだろうか、晴れたらいいのにな


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エロは世界を救う 【2007年06月19日(火) 】

6月16日土曜日に蔵前にあるLIVEHOUSEでKURAWOODに出かけた。
夜6時半から出演バンドでザ・クワガターズを観るためである。

数日前、つボイノリオさんからメールを頂いた。
私の息子が出演するので一緒に見て欲しいという打診である。
即座に了解をした。
つボイさんとはエレック時代からの付き合いである。
年令も同年代という事もあり気兼ねなく互いに語れる。
彼のヒット曲は言わずとしれた「金太の大冒険」である。
あの曲の支持者は多い。
立川談志は「金太の大冒険」を歌謡史の残る名作として最初に絶賛した。
笑福亭鶴光も、つボイと鶴光笑いのリレーをCBCラジオにて実現し、
つボイのパーソナリティーを高く評価している。
大槻ケンジ、西川貴教やプロレス界の角田信朗と歴々のメンバーが
つボイワールドを賞賛する。
都営浅草線の蔵前駅を出て約5分、クラウドに着く。
待ち合わせより15分早く着いてしまい、
しばしクラウドのライブ情報等に目を通す。
大きなバックを持ってつボイさんが現れた。

「すみません、遠い所を。まだ時間があるので
会場でビールでも飲みましょう」


つボイノリオさんとのツーショット


しばし歓談してライブが始まった。
サポートでベースが入っているグループであるが
ボーカルがつボイさんの長男ボーカルの坪井ユウサクである。
ギター、カーニバル石井、ドラム、長沼健太郎の三人組である。
30分の一生懸命な演奏が続いた。
音を聞くと大体性格が分かる。
坪井ユウサク君は真面目で優しい心の持ち主であることが伝わって来る。
少し心が辛くなった、真面目と優しさは物事を進むには
各駅停車の列車に乗るのと近い。
目的には向かっているのだが、旬の時期を逃してしまう事があるからだ。
そんな真摯な彼らに不真面目になれ、優しさなんて役に立たないと
言えるだろうか。

無事30分のステージを見終え、近所の焼き鳥屋に入った。
道のりで「つボイさん、息子さん優しいでしょう」
「はい、親思いの良い子なんです。私に助けを求めた事は一度もありません。
今日始めて息子のステージを見ました。」
何だか胸が熱くなった。

焼き鳥屋に着き芋焼酎の「明るい農村」をボトルで入れ、
軍鶏料理屋なので軍鶏刺しと焼きを適当に頼んだ。
途中つボイさんの息子からメールが来て、こっちに来たいとのことであった。
「呼んでいいですか」
「もちろんです」
10分後に3人のメンバーが来た。
きっと感想を聞きたいのだろうと思い自分の気持ちを素直に伝えた。

「先日食べた、麺は固まっていて、
スープは麺のかん水が出て苦いラーメンを作る人、
赤坂離宮で5万キロカロリーの鍋に向かい
顔の睫毛や唇が焼けながら料理を作る人、
世間は、どちらも料理人と呼ぶ」
「命枯れるまで音楽を追求する奴も女にもてたくて音楽を始める奴、
どちらもアーティストと呼ぶ」
「言葉はきっと言いたい事の7%ぐらいしか伝えられないだろう」
「しかし演奏は別だ、良くなければ誰にも相手にされない」
「良い人である必要はない、結果、客を感動させられなければ潰れるだけだ」


ザ・クワガーターズ


「もし生き残りたいなら客が少なかろうと多かろうと関係なく取れ。
取れなければまた一歩遅れるだけの話だ」
「誰もが死ぬ気でやれば松井やイチローみたいになれると思わないことだ。
向き不向きもある」
「ナンバーワンよりオンリーワンなんてありえないんだよ、
ただ死ぬ気でやった奴は駄目でも、またその中から自分に合うものを
見つけられるチャンスがある。一生懸命やってもB’zや、
サザンみたいになれる確率は0.05%もないんだ。
しかしやらなければこの0.05%もない。
どうだ、ガッカリしたか、これでガッカリするぐらいなら
端からやらないことだ・・・」
「いつでも事務所に遊びにおいで、こんな話でよければ
いつでもしてあげるから」
こんな話をした。

つボイさんから一言、「ありがとうございました」と言われた。
俺の人生でこんなに頭の低い人は初めてである。

愛知大学法経部を卒業し柔道初段、飲食店営業許可、
針灸師免許、自動車運転免許、自動二輪運転免許を所持し、
CBCラジオにて月〜金の9時から12時までの番組
「聞けば聞くほど」のパーソナリティーを務めている。
番組が始まると無口で低姿勢のイメージは微塵もなく
500通のFAX、メールの中から番組に合う文章を即座に拾い、
十八番のエロ話を交えて狂気の如くトークを重ねる。
二十七年前にパックインミュージックで、
DJを西田敏行が担当していた時の話だが、
ゲストに沢田研二が入った。
番組10分前に二人は無言でデスクを挟み、
互いに目を合わすこともなく本番に入った。
スタートのジングルがかかり二人がまるで幼稚園からの
友だちのように合った丁々発止トークをする。

あの時に一流を見た気がした。
つボイノリオ名古屋の天才DJの素顔は、真面目で、子想いで、
家庭を愛し、リスナーを愛し、名古屋を愛している素敵な男である。
芋焼酎「明るい農村」も空になり、いっしょに地下鉄に乗り、
彼は新富町のホテルに向かい、俺は寝過ごし乗り換えに失敗し、
最終に乗り遅れ相模大野までかみさんに迎えに来てもらった。
かみさんに居眠りの不覚を喋らず
「話に花が咲いて時間を忘れてしまったよ」
その頃、家では、三匹の猫が
「旦さんまた嘘ついてるよ、起きたら初台で、
小田急線しか乗れなかったんだよ」
「たかるか」
「そうしよう」
「帰りにドンキホーテでカニカマでも買って来るように
念力を三匹で送ろう」
「ニャニャンが、ニャンニャン」

そうだ、ドンキでビール買って行こう、
それと何だかカニカマが食いたくなった。


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落語の世界 【2007年06月12日(火) 】


六月九日午後六時に国立演芸場に向かう。

友人がプロデュースするワザオギ落語会に向かう。
ワザオギ落語会も三回目となる。
お目当ての噺家は柳家喬太郎である。
第一回目に喬太郎を見てから彼のファンになった。
2000年に真打ちになり、2007年に国立演芸場花形園芸大賞で
大賞を受賞した実力の持ち主である。

半蔵門線永田町駅を降りて徒歩5分くらいで、
最高裁判所の横にちょこっと江戸の風情を感じさせる建物が
国立演芸場、中が禁煙のせいもあり玄関の前には縁台が置かれていて、
そこで何人かの人が煙草の吸いだめをしている。

友人と待ち合わせをしていたので中に入るともう二人とも着ていた。
売店でビールを6本とつまみを仕入れ、本番の合図の前に平らげる。

そう言えば満杯御礼の大入りを貰った。
どうせ五円のしゃれかと思いきや何と中身は五十円玉であった。
何となく嬉しくなって乾杯をした。

寄席の起源は江戸初期に寺の境内の端っこでやるような物であった。
1798年に東京の下谷にある下谷神社の境内にて
開かれた寄席が最初と言われている。
当時は寄席場と言われていたそうだが、それが寄席となった。

喬太郎は中入り後での登場である。
喬太郎の次に好きなのは柳亭市馬である。
市馬の古典落語は凄い、俺が古典好きならば一番に市馬を押す。
扇子を笛に見立てるのだがフルート奏者のように指を使う。
元々は柳屋小さんに弟子入りし上方落語であるが、
自分なりにアレンジして関東風になっている。

息子に身代を継ぐのに長男、次男、三男、誰にしようかと思案し
「俺の葬式をどう演出する?」とケチな親父ネタである。
最後は親父のケチな血を引き継いだのは三男坊であり
親父と葬式談議に熱が入りタダで葬式を計画し、
棺桶を担ぐのだが、一人じゃ担げずどうしても担ぎ屋を
一人雇わなくてはならないと親父に言うと
「いや待て、担ぎ屋は俺がやる」と言うオチで終わり、
いつの間にやら下町風情に引き込まれてしまう。

中入りに入り休憩タイムに氷結を二本飲み干す。

「待ってました、喬太郎」喬太郎目当ての客が多いのは拍手で分かる。
ネタは遊び人が車屋をつかまえてもう一軒呑みに行くと言う話であるが、
最初につかまえたのは昨日退院してきたと言う爺さん、
牛歩より遅く車を引く演技に引き込まれる。

またこの爺さんしたたかで客にたかるのが上手い、
小さな演技の応酬である。
次は暴走族のような若者、演技は体中を使い座布団の上を転げ回る。
途中客の拍手は何度も起きる。
完全に客は喬太郎ワールドに引き込まれている。
ずっとこのまま腹を抱えて笑っていたい、そんな噺家である。

演芸場を出て三人で赤坂に飲みに行く。
そこでも落語の話は続く。
何となく落語と言えばジュゲムを思ってしまう。
息子に偉くなって欲しいと坊さんに息子の名前を依頼すると
とんでもない長い名前が付き池に息子が落ちて
友だちが親に伝えに来るのだが名前を言っている間に
息子が危うくなると言うオチである。

寿限無(じゅげむ)寿限無、五劫(ごこう)のすりきれ、
海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)の水行末(すいぎょうまつ)、
雲来末(うんらいまつ)、風来末(ふうらいまつ)、
食う寝るところに住むところ、やぶらこ うじのぶらこうじ、
パイポパイポ、パイポのシューリンガン、
シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイの
ポンポコピーのポンポコナの長久命(ちょうきゅうめい)の長助。

この意味は「五劫のすりきれ」は「一劫というのは、
三千年に一度、天人が天下って、下界の巌を衣でなでるのだが、
その巌をなでつくしてすりきれてなくなってしまうのを一劫という。
それが五劫というから、何万年、何億年かかぞえつくせない」

「海砂利水魚」は「海の砂利も、水にすむ魚もとりつくすことが出来ない」

「水行末、雲来末、風来末」は「水の行く末、雲の行く末、
風の行く末、いずれも果てしがない」

「食う寝るところに住むところ」は「人間、衣食住のうち、
1つがかけても生きてはいけない」

「やぶらこうじのぶらこうじ」は「やぶこうじという木があって、
まことに丈夫で、春は若葉を生じ、夏は花咲き、秋は実を結び、
冬は赤き色をそえて霜をしのぐめでたい木」

「パイポパイポ〜」は「昔、唐土にパイポという国があって、
シューリンガンという王様とグーリンダイという王后の
あいだに生まれたのが、ポンポコピーとポンポコナーという
ふたりのお姫様で、このふたりが大変長生きをした」

「長久命の長助」は「天長地久という文字で読んでも書いても
めでたい結構な字で、それをとって長久命。長く助けるで長助もいい」

とても奥深い話である。

初夏のほろ酔い気分で寄席談議でした。


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いざ、リバー富士カントリークラブへ 【2007年06月06日(水) 】

5月30日水曜日、天気予報では100%雨であったが、静岡県富士川付近では
午前中は富士山がはっきり見えるほどの快晴であった。

先々週の札幌でのゴルフから数日のうちにまたゴルフに行くなんて
ここ数年考えられなかった。
昔は、といっても約17年ぐらい前にこのクラブでオフィシャルハンディ12を取った。
その頃は自分で言うのはおこがましいが85以上を叩くと気分が悪くなった。

それが今では100叩かなければいいや、と考える、ゴルファーになってしまった。

ゴルフをメンタルなスポーツと言う人が多いが、俺はそうは思わない。

スコットランドで1457年にゴルフ禁止令が発令された。
兵隊がゴルフばかりやって働かなくなってしまったそうだ。
元々は羊飼いが曲がった棒で羊の糞や小石をモグラの穴に
どちらが早く入れられるかという単純なゲームだったらしいが、
それが紳士のスポーツとなりマナーを重んじなくてはいけない物になってしまった。

しかし、糞をモグラの穴に入れることから始まったゴルフを
どうしてもメンタルとは思えない。

今回のメンバーは一人欠席したために、3人で回る事になった。
江戸屋レコード社長石田洋一、天才ギターリストCharこと竹中尚人である。
腕はCharが群を抜いて上手い。
昔はハーフで2個ぐらいハンディをあげていたのに
今じゃハーフ3個もらっても敵わない。


Charと俺の関係は古い。俺が23〜24歳の時に恵比寿の
ヤマハ音楽振興会に出入りしている頃からの付き合いである。

隣の練習室でクソ生意気なギター小僧がいた。
またこれがメチャクチャに上手い、当時スモーキーメディスンというグループの
ギターリストであった、ジェフベックグループを完コピする上手さである。
そこから付き合いが始まりエレックに引きずり込み、
あおい輝彦やまりちゃんズなどのレコーディングに参加してもらった。
後に彼はソロになりブレイクしていくのだが、
エレック当時におもしろいエピソードがある。

確か、あおい輝彦のステージのバックをCharと一緒にやったとき、
リハーサルが終わりCharのギターを隠してしまったことがあった。

「克己さん俺のギター知りませんか」
「知るわけね〜だろ管理が悪いんだよ、管理が!」
本番5分前にCharのギターを出してきて、
「あそこにあるのはお前のギターじゃねえか、お前ちゃんと探したのか」
その時のCharは半べそになっていた、てな感じで結構いじめた。

その話を未だにCharは俺にしつこく言うのである。


NSPの天野滋が2005年7月1日に療養中の病院にて脳内出血で死去した。
大腸ガンで闘病中でありながらも、精力的に全国ツアーや諸活動を続けていた。
Charのデビュー曲ネイビーブルーは天野滋の作品である。
俺もNSPの「汗」とか色々ドラムでレコーディングに参加していたので
天野滋を送る会に出席した。

約250人で埋め尽くされた会場には中島みゆきや細坪基佳、
大石吾郎他、大勢のアーティストが集っていた。

Charがステージに呼ばれた。
天野滋の愛用していたギターギブソンハミングバードを手にした。
「誰かこのギターの弦取り替えた?
そうだろうな、誰もこの弦切れるまで取りかえられないよな、
俺のデビューアルバムで天野君は詞のフレーズで“民家”と入れた、
俺はロックミュージシャンとして“民家”はないだろうと言ったが、
今はこの“民家”と言うフレーズが大好きです、
歌います“空模様のかげんが〜悪くなる前に〜”」
Charのデビューアルバムの中から天野滋の作品が歌われた。

年に一度ぐらいしか会わなかったが、エレックを少し手伝って欲しくて
連絡をした、気持ちよく俺のホームコースに来てくれた。

50歳を過ぎたロッカーはまだまだいける。
ドライバーをギターに見立て引く真似をしながら
「俺のドライバーはフェンダーだぜ」とちゃめる。

いっしょに回っていると昔に返ってしまい、
何だかもう一度ドラムに手を出したくなってしまう。
ラウンドを回りクラブハウスに戻りコーヒーを一杯飲んで、
各自が東京に向かった。


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