プロフィール
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[お知らせ]

萩原克己氏が
レギュラー出演している
スカパー!の音楽番組、
好評放送中!!

4月5日よりスタートしたch.309 日テレG+(ジータス)の新番組 「ハギ♪シホ 音楽夜話」(毎週土曜日夜22時50分〜23時20分)で、 ギャル社長シホちゃんとMCを担当しています。ぜひご覧ください!

ヒルサイドテラスは秋の風が 【2007年08月30日(木) 】

久しぶりに代官山に向かう。
ちょっと変わった仕事だが、小池書院との打ち合わせである。
小池書院とは、あの小池一夫さんのオフィスである。

昔から漫画好きで小池作品は殆んど読んでいる。
御用牙、子連れ狼、首切りの朝、作品を並べたらきりがないくらいファンであった。
今回は電話でも済む話であったが、小池書院見たさに打ち合わせを無理やり入れた。

阿久悠原作、上村一夫画で1973年に発売された「男と女の部屋」が再発されることになった。
阿久悠さんが漫画の中に入れた詩に、かってに山崎ハコがメロディをつけてしまった、山崎ハコが17歳のときの話である。
それをCDとして発売にしたことを小池書院のスタッフが知り、是非、本にCDを付けたいと言う運びになった。

話は10分で切り上げ、事務所内を案内してもらい今まで出版された小池作品を見せてもらった。

小池さんは73歳になるそうだ。
幼き頃から漫画ファンで、ガロやコムを愛読していた。
ガロは1964年からである。
コムは1967年にガロに対抗して創刊された。
あの当時は貸し本屋が町に二件ぐらいあり、一冊一日20円ぐらいだった。
店にある殆どの漫画を読みあさった。

山上たつひこは「がきデカ」でブレイクしたが、元々はシリアスな作品を書いている。
中でも「光る風」は、左翼思想で作られている。
噂だが「光る風」を発刊後、何者かの暴行を受け半年近く入院したと聞いた。

ちばあきおのキャップテンやプレイボールは、素晴らしい作品だと思う。
ちばあきおも鬱病のすえ自殺してしまった。

手塚治虫の「火の鳥」「ブッタ」は、漫画の領域を超えていると思う。

スカイパーフェクトTVで「翼の生えた犬」を毎月連載しているが、たった30分でさらっと書けるときもあれば、一日考えても何も浮かばないこともある。
書けるときに書きためればと思うが、書き溜めたものを後から見るとやはり新しく書き直すことが多い。

たとえは違うが、5年着られると思いアクアスキュータムのコートを清水の舞台から飛び降りたつもりで買うが、結局3年も着れば飽きる。
新しいほうが良いに決まっている。

いつの日か漫画の原作を書いて見たいと思う。
帰り道、ヒルサイドテラスを歩きながら夏が終わっていくのを感じた。


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人っていいな 【2007年08月22日(水) 】

24時間テレビで、欽ちゃんこと萩本欽一さんが70キロを走った。
あの光景を見ていた時には、欽ちゃんだったらやるだろうなと思い感動はしたけれども、あまり大きな思い入れはなかった。

二十日の深夜NHKで、欽ちゃんが出演していた。
24時間以前の番組であった。
「自分は上がり症なんです。喜劇人として本当に下手なんです。」
「なぜ欽ちゃんはそれまでしてコメディアンを目指したんですか?」
「自分を支えてくれた人に、恩返ししたかったんです。」
「例えば、ある演出家が僕の先輩に、『あの男は駄目なんで首にしたい』
『待ってください、あいつの返事を聞いてみてください。は〜いと誰よりも明るく元気言えるのです。だからあいつをもう一度使って見てくれませんか』」
「嬉しくて涙がでました。だから先輩に恩返ししたいんです。」

思わず涙がこぼれた。
誰よりも欽ちゃんを作り愛した萩本欽一に拍手をした。
24時間マラソンは萩本欽一が欽ちゃんにがんばろう、そうすれば欽ちゃんはまた誰かに恩返し出来ると。

今、松井の不動心を読み返している。
手の骨折を乗り越えた松井秀喜が監督や仲間に
「すみません、怪我してしまって」
「なんで秀喜はあやまるの、秀喜はチームの為に怪我したんだあやまることではない」

松井はこう語っていた
「監督やチームメイトが、自分の最多出場記録を応援してくれた。しかし、この怪我でその記録も途絶えてしまった。だから、すみませんと口にしてしまった。」

いつも思うのだけど、一流とはその人の中で一流の人を作るのだと。
一流の人なら節制した生活を義務付ける、失敗は恐れずその失敗の原因をつきとめる、そして自分を信じる。
大体こんなことを言っている。

先週の木曜日に神宮の花火大会に行ってきた。
けして花火を見るためではない。
ある代理店の社長から来年、親父バンドをエレックレコードと組めないかという話であった。
今年が一回目、軟式球場で行われた。
優勝したバンドは、深川出身の平均年齢44歳ぐらいでザドロップトラップス、横浜ホンキートンクブルースを深川風に詞を替えてお客の乗せ方もプロ級である。

アマチュアとプロの間には、見えない川があるような気がする。
プロの中でもトップと中間では、大人と子供ぐらい差があるように思う。

松井のいた星陵高校の一塁側室内練習場に
「心が変われば行動が変わる」
「行動が変われば習慣が変わる」
「習慣が変われば人格が変わる」
「人格が変われば運命が変わる」
この言葉が掲げられていると松井は不動心で書いていた。
プロとはこの言葉を真摯に受け止めた人たちを指すのだろう。

まだ自分は甘い、そして自分を信じられない時がある。
大きな問題にぶつかったときに、俺に越えられるかと思い震える。
しかし、最近は越えられないときはそのときに考えればいい、用意周到には限りがない、エ〜イあとは野となれ山となれ・・・結局いいかげんな自分と向き合うことになる。
でも、これが自分と最近は悟った。


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ネコの暑さしのぎ 【2007年08月15日(水) 】

チャイム「暑いですね、奥さんエアコン付け忘れて買い物に行っちゃいましたから」
レオ「ひどいよな、人間だったら虐待だ、これは」
ルーシー「あんた達、あんまり暑い暑い言わないでよ、よけい暑くなるから」
チャイム「しかたがないじゃないですか、俺たち着たくもない毛皮着てんですから」
レオ「俺なんてショートヘアーだけどちっとも涼しくない」

ルーシー「あんたデブだからよ、冷蔵庫にも登れないくせして」
チャイム「止めましょうよ、憎まれ口は、一番暑いのは長毛種の僕なんですから」

レオ「あっ、水までぬるいこんな水飲めないよ」
ルーシー「何か、みんなで涼しくなること考えない」
チャイム「良いですね、たとえばお風呂のバスタブで行水なんてどうですかね」
レオ「やだ溺れるから」
ルーシー「みんなで怖い話するのはどう?」
チャイム「ディズニーでミッキーマウスにいじめられる猫の話ですか」
レオ「あの話、変だよ、人間はネズミが出るとキャーとか言うくせにミッキーやミニーは可愛いていうの」
ルーシー「でも、ネズミとミッキーて似てないものね」
チャイム「ゲゲゲの鬼太郎のネズミ男のほうがよっぽどリアルですよね」

ルーシー「では、ここからとっておきの怖い話をします」
金沢区小柴は今では八景島シーパラダイスで有名よね。
昔あそこはかなりの岩場のある海だったの。
話は私のお祖母ちゃんから聞いた話なんだけど、あそこにあった中学校の水泳部の話なのよ。

チャイム「なんだか涼しそうですね」
レオ「美味そうな魚とか出てくるの?」

その水泳部で仲のよい三人組が、来年は別の高校や進路が違うことで最後の夏休みを海で楽しもうと企画したのよ。
いつものように三人は泳ぎ、岩場で話し合い、夕方近くまで遊んでいた。
三人の中で一人がカメラを持ってきていたので、あの岩場か一人ずつ飛び込みの写真を取らないかと言い、三人はやろうやろうとはしゃぎ、岩場から海面まではわずか5メートルぐらい、一人が飛び込み残った二人で写真を撮りあったの。
二人が海から上がり最後の一人が綺麗なフォームで海に飛び込んだの。
しかし、

レオ「ドキドキ」
チャイム「止めましょうか…でも聞きたい」


最後の一人は上がって来なかったの。
警察や漁師が徹夜で捜索しても見つからなかったの。
捜索も三日後には打ち切られ、沖に流された水難事故として処理されたの。

あれから、一年たち二人は心の傷が少し癒えたころに、あの時の写真を現像したのよ、三人の最後の思い出として。

すると、二人の写真は海面に飛び込むところが綺麗に撮れていたのよ。
そして、消えた友人の写真を見たときに、

レオ「ギャー、止めよう、おしっこしたくなった」
チャイム「もう、もれました」

その写真には、海一面に何万ともいえる手が出ていたの、終わり。

レオ&チャイム「ブルブル」
チャイム「怖い話ですね、本当の話ですか」
ルーシー「夏の怪談話よ、あんたたちが暑い暑いってあんまり言うから作り話をしたのよ」
レオ「良かった、ほんとの話なんて言われたら寝られなくなっちゃうよ」

ガタン、ガシャ
あっ、奥さん帰ってきた、
「暑い、この部屋、ごめん、クーラー切ってったんだ、暑かったでしょう、買い物もすんだしアイスコーヒーでも飲むか、あっ忘れ物した、ネコ缶忘れちゃった、今日はネコ缶なしでいいか」

三匹「ブルブルブル、そんな怖い話止めて下さいよ」
「でも暑いし、ネコ缶のためにまた外に出るのやだな〜」
三匹「念じましょう、だんなさんに今日分のネコ缶をどこかで調達するように」

ブルル、ブルル(携帯)
「はい、何、どこかで二つ三つネコ缶を買えばいいのね、しょがないな、コンビニに売ってたっけ、分かった」
三匹「私たちも、リラックスしましょう」




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お袋と友人&俺のVACATION 【2007年08月08日(水) 】

先週の週末に湯河原に行った。
毎年、花火大会に呼ばれている。

今年でこの行事も三度目になる。
昔からの友人がバブルの時期に買い、今は売っても損をするので意地で持っているコンドミニアムである。

いつもかみさんといっしょに来るのだが、娘の受験勉強と重なり体調を崩し、急きょお袋を誘った。
85歳になるが「今日、湯河原に行くけど一緒に行かない?」「行く、行く」と二つ返事で、お袋との小さな旅行になった。

着いたのは、昼下がりを少し回った時間であった。
途中で手ぶらで行くのはまずいと思い、日本酒好きの彼女に久保田の一升瓶と自分用に紅乙女の中瓶、ビール6本&メロンを買い込みマンションの前に着いた。
時を同じにして、友人の作家事務所の女社長の車がついた。

「早かったわね、道、混んでいた?今、買出しに行っていたのよ」
「そうでもないよ、お袋紹介するよ・・・」
「立ち話もなんだから、中に入りましょう」

部屋に入ると珍客がいた。
犬と猫が一匹ずつ。

犬の名前はミニちゃん、猫の名前はモカだそうだ。

ミニはここにくるたびに会っているが、モカは初めてである。
生後5ヶ月のオスの子猫である。
里親さがしで見つけたそうだ。

「あら、克己、同じ物ダブって買っちゃたね」
「大丈夫、くさる物は買ってないから、俺もう腹へってるんだけど」
「少し早いけど、もう支度しようか」
「そうしよう、あっ凄い刺身だね、旨そうだね」
「旨そうだじゃなくて、旨いの・・・いつもの魚屋さんに頼んで作ってもらったのよ」

かってにビールを飲み、あぐらをかいてリラックスしている息子の姿にお袋がびっくりしている。

彼女は同じ年代である。
付き合いは30年間を超している。
エレックレコードの頃、山崎ハコをデビューさせスターダムに押し上げる時に、彼女はあるテレビ系出版社にいた。
山崎ハコのプロジェクトに、自ら参加してきたときからの付き合いである。

先日、落語の話を書いたが、そのわざおぎ会を主催しているイベント会社の友人と俺と彼女の三人会を作っている。
どういう訳か三人の母親は同じ年らしい。
彼女の母親はもう亡くなったが、俺ともう一人の友人のお袋は元気でいる。

先日、死ぬほど豚シャブが好きだとブログに書いたので、しゃぶしゃぶの用意もしてくれていた。
お袋と彼女は、初対面とは思えないほど会話が弾んだ。
刺身としゃぶしゃぶを肴に、話は尽きる事がない。
ミニとモカが、誰の膝にいったらいいのかと急がしそうにはしゃぐ。

ド〜ン
「あっ花火が始まった」
ベランダにつまみと酒の用意をして花火に見とれる。

お袋が「克己、私85歳になるけど、海から打ち上げる花火見たのは初めてよ」
心の中で、来年も再来年もずっといっしょに見ようよと祈る。

翌日、三人で海にいった。
台風の余波か、波が高い。
それでもめげずに、大きな浮き輪を持ち海に入った。
水は結構冷たい。
彼女は一人ビート板で波乗りをしている。
俺は大きな浮き輪にお尻を入れてプカプカ浮いているのが好きだが、今日は波が強く油断をするとすぐにひっくり返される。

去年は凪の海でプカプカ、小さな風のいうままに流され、人生もこんな感じだったらいいな。
あれから一年は早かった。
海の家から、お袋が沖を見つめている。

帰り道、お袋が「楽しかった、海はいいね、私が来て迷惑じゃなかった」
「なんで、楽しかったじゃない帰りどこかで軽く飯食べていこうか」
海沿いの道をひたすら3時間走った。


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Posted at 13:07 | この記事のURL
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武田鉄矢「母に捧げるバラード」からのスタート 【2007年08月01日(水) 】

エレックレコードは、アルバムのイメージが強かった為にシングルヒットを出す力が欠けていた。
そのために広告塔的なシンボルが持てず、アルバムのセールスは勢いにも翳りが見えていた。

この曲は、エレックレコードから1973年に発売された「母に捧げるバラード」海援隊の1973年の大ヒット曲である。
これを機にエレックはシングルヒットを意識するようになった。

あれから34年、武田鉄矢は日本の押しも押されもしない名優になった。
彼を見ていると、人生のターニングポイントをしっかり掴んできた男だと思う。

「母に捧げるバラード」以降、何年かヒット曲に恵まれなかった。
1977年「あんた大将」まで海援隊は冬の時代を迎えた。
武田は、キャバレーを回り皿洗いのバイトまでしたと言う。

同じく1977年に「幸福の黄色いハンカチ」で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞した。
1979年TBSテレビ「3年B組金八先生」主演。
主題歌「贈る言葉」は海援隊の代表曲になった。

キャバレー時代に現プロダクション「武田商店」の社長は、自分とエレックで同じ釜の飯を食った仲間である。
彼は、武田鉄矢に「お前はスターだ!」と辛い時期に言い続けたことを聞いたことがある。

山田洋二監督と高倉健の目の前に立ちしがみついてでも取ろうとした役、花田欽也。
この役から彼は、一人のフォークシンガーとしてではなく役者の道も彼の一部となった。

今日、7月31日「裾野会」武田鉄矢に集う1997年から開催され続けているゴルフコンペに参加した。

目の前に居る武田鉄矢は、アルバムの中で僕がドラムをたたいた「母に捧げるバラード」の武田鉄矢はではない。
けして悪い意味ではない。

若く、エレックレコードで売れなければ駄目になる、自分を戒め全てを未来に賭けるが空回りする時間は辛い。
あの時の彼は壊れそうな自身と隣り合わせだったと思う。

朝、彼と軽く挨拶をする。
笑顔は役柄と変わらない。
気を使えなかったあの時代から、気遣いが体に染み込んだ人柄には成功が彼を作ったことを伺える。

自分のゴルフの成績は、ここ何年かで最低のスコアーだった。
名のある女優やオリンピックの金メダルリストと、華々しい参加者の中で久しぶりに力が入ってしまった。
まだ俺は若い、そう言い聞かせた。

帰り道、千葉の東総有料道路を通る。
無人料金所にアメリカ映画のようなコイン箱が設置されている。
まるで賽銭箱のようだ。

200円を投げた。
チャリン・・・明日も晴れるといいな。


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