仙台にて 【2007年09月26日(水) 】
9月19日、東北新幹線に午後一時に乗り込んだ。
同行者は二人、元プリズムのキーボード伊藤幸毅夫妻である。
音楽イベントの企画プレゼンの為に仙台に向かった。
多少、小さな雨が降ることはあったが、傘が必要なほどではない。
わずか1時間半ぐらいで仙台駅に着き、伊達政宗の銅像と対面。
騎馬姿はさすがに迫力がある。
後にFM仙台の取締役に会う。
FM仙台はDATEFMと言われている。
カタカナ読みをするとデートFMであるが、仙台の英雄、伊達正宗の伊達から取ったそうだ。
伊達正宗は、1567年から1636年まで奥州の戦国大名であり、仙台藩最初の藩主でもある。
DATEFMの役員とDOCOMO東北に向かう。
仙台には珍しいほどの巨大なビル、ドコモ東北ビルに到着。
打ち合わせは、一時間半あまりで終わった。
その足で、定かではないが国分町方面に歩き出した。
15分ぐらい歩くと、けして地元の人でなくては気がつかない居酒屋に入った。
まだ4時半ぐらいであるが、役員がなじみの為に、ご主人は30分間酒しかありませんと急がしそうに店の仕度をしていた。
それでもご主人は、サザエの突き出しに茄子の煮浸しを出してくれた。
東京ではあまり味わえない人情から酒宴が始まった。
秋刀魚の刺身や焼き物が出て、メインディッシュ風な一品が出た。
かつおのタタキである。

正直、かつおはそれほど好きな魚ではなかった。
一切れの量が多いので、酒の肴としては適していないと思っていた。
出てきたタタキは、塩タタキであつた。
炭を上手に操り、ニンニクで味付けをしたシンプルな一品であった。
まだ温もりのあるタタキを一切れほおばると、自分が今まで食したかつおとはなんだったのだろうと思う。
まるで、脂肪の少ない馬刺しの赤身と尾のみを足したような味である。
「ご主人、このかつおの出身は!」
「日本海の一本釣りで今日の朝上がったものです・・・」
口少なめに語る料理人に不味い物なし。
役員が耳元で教えてくれた。
ご主人は現在65歳らしいが、5歳になるお嬢さんがいるとのこと、25歳離れた奥さんが後に切り盛りを手伝っていた。
この精力も東北の魚に秘密があるのか、頑固で精力的は伊達正宗ゆずりなのだろう。
元はと言えば、東北は悲しい歴史が付きまとう。
明治維新後、会津藩長岡藩は朝敵とされ、白河以北は一山百文と蔑視されていた。
関西の私有林が多いのに比べ、東北は国有林が多い。
そんな歴史をばねにして頑張ってきたみちのくの方々を、最終の新幹線で仙台を後にした。
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
熟割にて絶賛発売中!
≫詳しくはこちら
同行者は二人、元プリズムのキーボード伊藤幸毅夫妻である。
音楽イベントの企画プレゼンの為に仙台に向かった。
多少、小さな雨が降ることはあったが、傘が必要なほどではない。
わずか1時間半ぐらいで仙台駅に着き、伊達政宗の銅像と対面。
騎馬姿はさすがに迫力がある。
後にFM仙台の取締役に会う。
FM仙台はDATEFMと言われている。
カタカナ読みをするとデートFMであるが、仙台の英雄、伊達正宗の伊達から取ったそうだ。
伊達正宗は、1567年から1636年まで奥州の戦国大名であり、仙台藩最初の藩主でもある。
DATEFMの役員とDOCOMO東北に向かう。
仙台には珍しいほどの巨大なビル、ドコモ東北ビルに到着。
打ち合わせは、一時間半あまりで終わった。
その足で、定かではないが国分町方面に歩き出した。
15分ぐらい歩くと、けして地元の人でなくては気がつかない居酒屋に入った。
まだ4時半ぐらいであるが、役員がなじみの為に、ご主人は30分間酒しかありませんと急がしそうに店の仕度をしていた。
それでもご主人は、サザエの突き出しに茄子の煮浸しを出してくれた。
東京ではあまり味わえない人情から酒宴が始まった。
秋刀魚の刺身や焼き物が出て、メインディッシュ風な一品が出た。
かつおのタタキである。

正直、かつおはそれほど好きな魚ではなかった。
一切れの量が多いので、酒の肴としては適していないと思っていた。
出てきたタタキは、塩タタキであつた。
炭を上手に操り、ニンニクで味付けをしたシンプルな一品であった。
まだ温もりのあるタタキを一切れほおばると、自分が今まで食したかつおとはなんだったのだろうと思う。
まるで、脂肪の少ない馬刺しの赤身と尾のみを足したような味である。
「ご主人、このかつおの出身は!」
「日本海の一本釣りで今日の朝上がったものです・・・」
口少なめに語る料理人に不味い物なし。
役員が耳元で教えてくれた。
ご主人は現在65歳らしいが、5歳になるお嬢さんがいるとのこと、25歳離れた奥さんが後に切り盛りを手伝っていた。
この精力も東北の魚に秘密があるのか、頑固で精力的は伊達正宗ゆずりなのだろう。
元はと言えば、東北は悲しい歴史が付きまとう。
明治維新後、会津藩長岡藩は朝敵とされ、白河以北は一山百文と蔑視されていた。
関西の私有林が多いのに比べ、東北は国有林が多い。
そんな歴史をばねにして頑張ってきたみちのくの方々を、最終の新幹線で仙台を後にした。
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
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「風に吹かれて」大森のライブハウスにて 【2007年09月18日(火) 】
生田敬太郎・龍・とみたいちろう・ジョイントライブが先週金曜日に行われた。
アナザーエレックと言うふれこみである。
頭に龍から始まった。

龍と言っても分からないと思うが、1974年に「エミリア」、その前にキャニオンから「オニオニ島」を、「竜とかおる」でエレックレコードから出てきたアーティスト佐藤竜一である。
龍の才能は、作詩についてはエレックでも指折りであった。
千葉の船橋を根城に活躍をしていたのを、エレックのスタッフが声をかけたのがきっかけであった。
龍とデュオを組んでいた、かおるは後に私の人生に大きく関わってきた。
伊藤薫が本名である。
伊藤薫と組んで水越けいこの「めぐり逢いすれ違い」「ほほにキスして」「Toofaraway」、欧陽菲菲の「ラブイズオーバー」を出した。
2年に渡りヒット賞をポリドールレコードから貰ったのも、彼と組んでのことだった。
薫は龍の影響を多分に受けて作家になったと言っても過言ではない。
龍のステージは、あの頃より凄さをましていた。
龍が終わり、とみたいちろうが龍とブルースを歌いだした。

とみたいちろうは1973年に「12時過ぎのシンデレラ」という曲でヒットを飛ばした。
エレックでの歌唱力はピカイチである。
流石に歌は上手い。
今はCM作家やCMボーカルで生計を立てている。
「大五郎」の歌は彼の歌である。
最後に生田敬太郎が兄貴分として出てきた。

敬太郎のディレクターは自分が担当したので思い入れが強い。
エレックの中で一番音楽のレベルが高いと言われた男である。
敬太郎に関しては泉谷しげる、仲井戸麗市もギターの実力や歌唱力の高さを認めていた。
しかし、あまりにも商業意識が無く、我が道を突っ走るタイプであった。
相変わらずこのライブもブルースを頭五曲聴かされたときには、敬太郎は変わっていないと思った。
今でも思い出す1972年に発売されたアルバム「この暗い時期にも」は、生田敬太郎とマックスとタイトルで記載されているとおり、私がドラマー時代23歳の時に敬太郎とレコーディングした作品である。
新橋の飛行館ビルの中にある飛行館スタジオで、一週間、朝までレコーディングをした。
朝五時に屋台のラーメンをタクシーの運転手に混じって食べたあの味は、今でも忘れられない。
そんな仲間のライブに足を運び、目の前にいるのは元ずうとるびの新井康弘であった。
彼にドラムを教えた。
彼はメンバーの中で一番真面目な男である。
ペコッと大きな挨拶は、あの頃の彼と変わっていなかった。
ライブが終わり10分ぐらいステージの三人と話をして、終電に間に合わなくなるので後ろ髪を引かれながら、固い握手で大森のライブハウス「風に吹かれて」を後にした。
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
熟割にて絶賛発売中!
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アナザーエレックと言うふれこみである。
頭に龍から始まった。

龍と言っても分からないと思うが、1974年に「エミリア」、その前にキャニオンから「オニオニ島」を、「竜とかおる」でエレックレコードから出てきたアーティスト佐藤竜一である。
龍の才能は、作詩についてはエレックでも指折りであった。
千葉の船橋を根城に活躍をしていたのを、エレックのスタッフが声をかけたのがきっかけであった。
龍とデュオを組んでいた、かおるは後に私の人生に大きく関わってきた。
伊藤薫が本名である。
伊藤薫と組んで水越けいこの「めぐり逢いすれ違い」「ほほにキスして」「Toofaraway」、欧陽菲菲の「ラブイズオーバー」を出した。
2年に渡りヒット賞をポリドールレコードから貰ったのも、彼と組んでのことだった。
薫は龍の影響を多分に受けて作家になったと言っても過言ではない。
龍のステージは、あの頃より凄さをましていた。
龍が終わり、とみたいちろうが龍とブルースを歌いだした。

とみたいちろうは1973年に「12時過ぎのシンデレラ」という曲でヒットを飛ばした。
エレックでの歌唱力はピカイチである。
流石に歌は上手い。
今はCM作家やCMボーカルで生計を立てている。
「大五郎」の歌は彼の歌である。
最後に生田敬太郎が兄貴分として出てきた。

敬太郎のディレクターは自分が担当したので思い入れが強い。
エレックの中で一番音楽のレベルが高いと言われた男である。
敬太郎に関しては泉谷しげる、仲井戸麗市もギターの実力や歌唱力の高さを認めていた。
しかし、あまりにも商業意識が無く、我が道を突っ走るタイプであった。
相変わらずこのライブもブルースを頭五曲聴かされたときには、敬太郎は変わっていないと思った。
今でも思い出す1972年に発売されたアルバム「この暗い時期にも」は、生田敬太郎とマックスとタイトルで記載されているとおり、私がドラマー時代23歳の時に敬太郎とレコーディングした作品である。
新橋の飛行館ビルの中にある飛行館スタジオで、一週間、朝までレコーディングをした。
朝五時に屋台のラーメンをタクシーの運転手に混じって食べたあの味は、今でも忘れられない。
そんな仲間のライブに足を運び、目の前にいるのは元ずうとるびの新井康弘であった。
彼にドラムを教えた。
彼はメンバーの中で一番真面目な男である。
ペコッと大きな挨拶は、あの頃の彼と変わっていなかった。
ライブが終わり10分ぐらいステージの三人と話をして、終電に間に合わなくなるので後ろ髪を引かれながら、固い握手で大森のライブハウス「風に吹かれて」を後にした。
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
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阿久悠さんを送る会 【2007年09月12日(水) 】
今週の日曜日にいつものように母のところに、妻と次女と行ってきた。
いつものように行きは運転するが、酒を飲むので帰りは妻が運転をする。
あこう鯛とウニを肴に、相撲をテレビ桟敷で見ながらビールを飲む至極の時間である。
あっというまに三本空けてしまった。
妻と次女が近所のダイエーに買い物に出た。
外は少し暗くなってきた。
母は、花が大好きである。
ベランダは小さな花園になっている。
その中に不思議な小さな花がある。
夕方から咲き出す紫色の小さな花である。

母にその花の名前を聞くと
「この花ね、花火て言う名前よ」
「へんな名前だね、あだ名じゃないの」
こんなたわいない話をしているうちに眠たくなって、一時間ぐらい寝てしまった。
帰りに
「また来週来るからね」
「うん待ってるよ」
母の家を7時半に出た。
40分ぐらいで家に着き、なぜか妻が蕎麦を食べたいと言い出す。
近所の蕎麦屋に生蕎麦を買いに、一緒にまた出かけた。
全蕎麦じゃなく八二の蕎麦を六束買って、家で茹でて食べた。
こんな感じで今週は始まった。
昨日、阿久悠さんを送る会に出席した。
ニューオータニ本館鶴の間に5時に到着、1200人余りの人が入っていた。
阿久悠先生のヒット曲「また逢う日まで」「あの鐘を鳴らすのはあなた」が生演奏にて会場に流れていた。
正面の大きな遺影は何か訴えかけているように見える。

「時代は代わるが音楽は変わらない」
音楽とは心の中に宿る言語とでもいっているような顔である。
言葉を司るプロフェショナル作詞家の中で頂点を極めた阿久悠が、世に伝えたかった言葉が入り口に飾られていた。
「夢は砕けて夢と知り、愛は破れて愛と知り、時は流れて時と知り、友は別れて友と知り、阿久悠」
出来ることなら、もう少しこの世に粘って欲しかった。
会場を出て、事務所の近くの飲み屋で浴びるほど酒を飲んだ。
友にも絡んだ。
けして、良い酒ではなかった。
家に帰り倒れるようにソファーで寝てしまった。
なぜか、昔、売れなかったけれど書いてもらった「アニマル白書」を口ずさんでいた。
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
熟割にて絶賛発売中!
≫詳しくはこちら
いつものように行きは運転するが、酒を飲むので帰りは妻が運転をする。
あこう鯛とウニを肴に、相撲をテレビ桟敷で見ながらビールを飲む至極の時間である。
あっというまに三本空けてしまった。
妻と次女が近所のダイエーに買い物に出た。
外は少し暗くなってきた。
母は、花が大好きである。
ベランダは小さな花園になっている。
その中に不思議な小さな花がある。
夕方から咲き出す紫色の小さな花である。

母にその花の名前を聞くと
「この花ね、花火て言う名前よ」
「へんな名前だね、あだ名じゃないの」
こんなたわいない話をしているうちに眠たくなって、一時間ぐらい寝てしまった。
帰りに
「また来週来るからね」
「うん待ってるよ」
母の家を7時半に出た。
40分ぐらいで家に着き、なぜか妻が蕎麦を食べたいと言い出す。
近所の蕎麦屋に生蕎麦を買いに、一緒にまた出かけた。
全蕎麦じゃなく八二の蕎麦を六束買って、家で茹でて食べた。
こんな感じで今週は始まった。
昨日、阿久悠さんを送る会に出席した。
ニューオータニ本館鶴の間に5時に到着、1200人余りの人が入っていた。
阿久悠先生のヒット曲「また逢う日まで」「あの鐘を鳴らすのはあなた」が生演奏にて会場に流れていた。
正面の大きな遺影は何か訴えかけているように見える。

「時代は代わるが音楽は変わらない」
音楽とは心の中に宿る言語とでもいっているような顔である。
言葉を司るプロフェショナル作詞家の中で頂点を極めた阿久悠が、世に伝えたかった言葉が入り口に飾られていた。
「夢は砕けて夢と知り、愛は破れて愛と知り、時は流れて時と知り、友は別れて友と知り、阿久悠」
出来ることなら、もう少しこの世に粘って欲しかった。
会場を出て、事務所の近くの飲み屋で浴びるほど酒を飲んだ。
友にも絡んだ。
けして、良い酒ではなかった。
家に帰り倒れるようにソファーで寝てしまった。
なぜか、昔、売れなかったけれど書いてもらった「アニマル白書」を口ずさんでいた。
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
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賛成の反対の反対なのだ。 【2007年09月05日(水) 】
天才バカボンのパパの台詞です。
これって結局、賛成て事ですよね。
今日、フジオプロに行ってきました。
入り口には表札代わりか、バカボンのパパがオブジェになって出迎えてくれます。

「もーれつア太郎」や「天才バカボン」が連載40年を迎え、バカボンのパパも40歳になったと言うことでした。
来年、親父バンド大会をエレックで企画したいと思い、どうせなら親父バンドキャラクターをバカボンのパパになってもらいたいと思い、下落合の事務所を訪ねました。
2年前にニッポン放送元社長の亀淵さんと泉谷しげるが作ったカメカメ合唱団のアルバムに付録としてついたすごろくが、赤塚先生の制作でおそ松くんやニャロメ全てのキャラクターが登場していたことから、版権の事で何度か事務所に通いました。
そのとき赤塚先生の奥様が事務所を仕切っていましたが、その奥様が昨年の夏にお亡くなりになった知らせを聞き信じられませんでした。
脳動脈瘤破裂だったそうです。
赤塚先生も7年前からの闘病生活です。
土田よしこ、とりいかずよし、北見けんいち等がフジオプロから育って行った。
自分のルーツは漫画だと思っていることを先週書いたが、ここ10年は弘兼憲史にはまっている。
島耕作や人間交差点は自分のバイブルになっている。
弘兼憲史の奥様は柴門ふみ。
サイモンとガーファンクルのポールサイモンのファンと言うこともあり柴門ふみと芸名をつけている。
東京ラブストーリーは代表作である。
黄昏流星群の中に「星のレストラン」と言う作品がある。
この本はもう10冊以上買っている。
特にブックオフで安く売っていたら、直ぐに買い占めてしまう。
友人に無理やりでも読ませるのである。
何度も読んだが、その度に涙が出る。
曲や詞の発注をするとき、ノーアイディアの時はこの本を持っていく。
相手に渡し、この本以上の感動出来る作品を作ってくださいと訳の分からないことを言って相手を煙にまく。
今はエレックの社長と少しの文筆の仕事をしているが、もしもう一つだけやってみたいことはと聞かれたら原作家をやってみたい。
多分、今年の末にエレックの第二弾が出る。
これは自分の書いた単行本では最初の作品になる。
たまには書きかけの未公開の作品をこのコーナーに載せようかと思うが、今少し度胸がない。
ではまた来週…
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
熟割にて絶賛発売中!
≫詳しくはこちら
これって結局、賛成て事ですよね。
今日、フジオプロに行ってきました。
入り口には表札代わりか、バカボンのパパがオブジェになって出迎えてくれます。

「もーれつア太郎」や「天才バカボン」が連載40年を迎え、バカボンのパパも40歳になったと言うことでした。
来年、親父バンド大会をエレックで企画したいと思い、どうせなら親父バンドキャラクターをバカボンのパパになってもらいたいと思い、下落合の事務所を訪ねました。
2年前にニッポン放送元社長の亀淵さんと泉谷しげるが作ったカメカメ合唱団のアルバムに付録としてついたすごろくが、赤塚先生の制作でおそ松くんやニャロメ全てのキャラクターが登場していたことから、版権の事で何度か事務所に通いました。
そのとき赤塚先生の奥様が事務所を仕切っていましたが、その奥様が昨年の夏にお亡くなりになった知らせを聞き信じられませんでした。
脳動脈瘤破裂だったそうです。
赤塚先生も7年前からの闘病生活です。
土田よしこ、とりいかずよし、北見けんいち等がフジオプロから育って行った。
自分のルーツは漫画だと思っていることを先週書いたが、ここ10年は弘兼憲史にはまっている。
島耕作や人間交差点は自分のバイブルになっている。
弘兼憲史の奥様は柴門ふみ。
サイモンとガーファンクルのポールサイモンのファンと言うこともあり柴門ふみと芸名をつけている。
東京ラブストーリーは代表作である。
黄昏流星群の中に「星のレストラン」と言う作品がある。
この本はもう10冊以上買っている。
特にブックオフで安く売っていたら、直ぐに買い占めてしまう。
友人に無理やりでも読ませるのである。
何度も読んだが、その度に涙が出る。
曲や詞の発注をするとき、ノーアイディアの時はこの本を持っていく。
相手に渡し、この本以上の感動出来る作品を作ってくださいと訳の分からないことを言って相手を煙にまく。
今はエレックの社長と少しの文筆の仕事をしているが、もしもう一つだけやってみたいことはと聞かれたら原作家をやってみたい。
多分、今年の末にエレックの第二弾が出る。
これは自分の書いた単行本では最初の作品になる。
たまには書きかけの未公開の作品をこのコーナーに載せようかと思うが、今少し度胸がない。
ではまた来週…
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
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