池尻の飲み屋そてつにて 【2007年10月30日(火) 】
先日、旧知の友人中川君と酒を三ヶ月ぶりぐらいに酌み交わした。
「萩さん、いつもブログ読んでいるけど、リーンカーネイションじゃなくてリインカーネイションだよ。早く訂正したほうが良い」と教えてくれた。
しかし、自分では二度ぐらいこの言葉はチェックしたが、どちらでも出てくる。
まあ、いいやと生まれながらのアバウト精神でほったらかしてしまった。
中川君は、ユニバーサルレコードの今は社長会長付プロデューサーだが、少し前まで常務を務めていた。
本来なら、彼がここまでユニバーサルで出世することはありえない企業構造である。
彼は工場出身のブルーカラーであった。
高校を卒業して川崎の工場で汗まみれになり、本社の制作部に配属されることを望んでいたのである。
しかし、本社勤務でさえ難しい配属なのに、制作部となるとよほどの運を持ったシンデレラボーイにならなければ無理である。
彼は、はたと考え、本社とイーブンで話し合える立ち位置はどうすれば良いのだろうかと思案した。
答えは組合の上層部に入ることだと考え、ポリドールの組合にて書記長を務めるとこまで這い上がったのである。
紅いハチマキをしっかりと頭に締め「俺たちはここで会社の言うことを聞いたら、組合は会社の犬になる。なんとしても我々の要求は通さなければならない。」こんなことを組合員にアジっていたのだ。
役員を前にしても一歩も引かぬ姿勢を、役員たちは何かの飴をしゃぶらせなければと考えたのか、制作部に配属したのだと思う。
約30年前、彼とポリドールの三階の制作本部にて初めて彼とあった。
制作三課の課長から紹介されたときである、彼はなにを勘違いしたのか「中川と言います、今まで工場にいましたのでまだ新参者です。宜しくお願いします。」と俺に名刺を出すのである。
おい、誰か言ってやれよ、俺もポリドールのディレクターだって、同じ会社内で名刺交換するわけないだろ。
それから彼は俺のアシスタントについた。
元々がバンド上がりでボーカル担当をしていただけに、音楽は飯より好きである。
俺の一番天狗の時期に、彼は俺をずっと見てきた。
今から考えると、俺を俺が今見えたら殴りたくなるほど、生意気だったと思う。
その彼と四年後に離れる時期が来た。
本部長がお家騒動の末、独立してレコード会社を作ったのである。
もちろん三分の一のスタッフを引き連れての話である、トーラスレコードが発足した。
原宿のポールスチュワートのビルの上に構えたお洒落な会社であった。
本部長との関係から、自分もトーラスのプロデューサーとして移って行った。
37歳の時に、ポリドールレコードの社長水田さんと出会うことになった。
水田さんに何かカリスマ的な人柄を感じ、就いていきたい気持ちからポリドールにまた席を置くことになったのである。
そこでまた中川君と再会し、新たな道を歩み始めることになった。
ちょうど、中川君にとって一番つらいポリドール時代である。
1987年に武田鉄矢と芦川よしみのCMでヒットした「男と女のラブゲーム」を、中川君が事務所の要望を聞きレコード化しなかったことが発端になったのである。
他社がレコード化して大ヒットしたことに水田社長が激怒したことから、中川君への逆風が強くなっていったのである。
「中川君、何でレコード化しなかったの」
「面と向かってそんなことを俺に言えるのは萩さんだけですよ」と言いながら苦笑した。
やはり、経営者側から見れば事務所のポリシーなんて分かるわけがない、平社員にとって外資系利益市場主義は心の支えを崩していった。
あるとき水田さんに社長室に呼ばれた。
「萩原君、海援隊、君が担当してもらえないか。中川は営業所でも行ってもらおうと思っている」
「水田社長、ちょっと待ってください。今、彼はカシオペアとか京本政樹のアシスタントで頑張ってもらっていますので、外されたら僕が困ります。それに今自分の仕事は一杯ですし無理ですよ」
そんな感じでのらりくらりと逃げた。
世の中はまだまだバブルで浮かれていた。
そんな時に武田鉄矢の事務所で、ゴルフコンペが主催された。
もちろん、レコード会社社長の水田さんは招待されている。
中川君がそのときの幹事と司会進行を任されていた。
偶然にそのコンペで水田さんがホールインワンを出してしまったのだ。
中川君は水田さんのバックを持ち、司会で優勝者より賛美し、帰りには車まで送り、献身の限りをつくしたのである。
そのことが水田さんの考えをかえたとは思えないが、それから水田さんの中川君に対しての態度が柔和になっていったのである。
時が経ち1996年に水田社長が退任した後任に、東芝EMIから石坂さんがその席についた。
自分も翌年ポリドールを去ることになる送別会は、彼が音頭をとってくれた。
あれから彼はトントン拍子に出世していった。
あるとき彼が制作本部長に就任したときに最初の名刺を貰った。
もちろん、この名刺が初めて使う一枚目ですと書かれているものだ。
工場出身のブルーカラーが本社の常務にまで登りつめたのは、ジャンボ宝くじで三億円を当てるよりも難しいことである。
誰よりも勤勉で誰よりも会社を愛し、誰よりも仕事をする男である。
だから、ここまで来たのだろう。
彼が常務から社長付になったときに、奥さんと海外旅行に行ったと聞いた、
我々が若き日に、上司がハワイでオフを取るなんてほざいた時には、そのまま鮫に喰われちまえと罵ったものだ。
彼にはもっと上に行って欲しいと思うが、今まで歩いた足跡を日本を離れ夫婦で語り合いたかったのだろう。
彼のことを書いていると、思わず涙腺が緩んでしまう。
中川くんは僕のことを音楽業界に入ってからの師匠と言ってくれる。
今ではこちらが教わることの方が多い。

生きている限り酒を酌み交わす友人 中川孝一へ
長生きしような。
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
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「萩さん、いつもブログ読んでいるけど、リーンカーネイションじゃなくてリインカーネイションだよ。早く訂正したほうが良い」と教えてくれた。
しかし、自分では二度ぐらいこの言葉はチェックしたが、どちらでも出てくる。
まあ、いいやと生まれながらのアバウト精神でほったらかしてしまった。
中川君は、ユニバーサルレコードの今は社長会長付プロデューサーだが、少し前まで常務を務めていた。
本来なら、彼がここまでユニバーサルで出世することはありえない企業構造である。
彼は工場出身のブルーカラーであった。
高校を卒業して川崎の工場で汗まみれになり、本社の制作部に配属されることを望んでいたのである。
しかし、本社勤務でさえ難しい配属なのに、制作部となるとよほどの運を持ったシンデレラボーイにならなければ無理である。
彼は、はたと考え、本社とイーブンで話し合える立ち位置はどうすれば良いのだろうかと思案した。
答えは組合の上層部に入ることだと考え、ポリドールの組合にて書記長を務めるとこまで這い上がったのである。
紅いハチマキをしっかりと頭に締め「俺たちはここで会社の言うことを聞いたら、組合は会社の犬になる。なんとしても我々の要求は通さなければならない。」こんなことを組合員にアジっていたのだ。
役員を前にしても一歩も引かぬ姿勢を、役員たちは何かの飴をしゃぶらせなければと考えたのか、制作部に配属したのだと思う。
約30年前、彼とポリドールの三階の制作本部にて初めて彼とあった。
制作三課の課長から紹介されたときである、彼はなにを勘違いしたのか「中川と言います、今まで工場にいましたのでまだ新参者です。宜しくお願いします。」と俺に名刺を出すのである。
おい、誰か言ってやれよ、俺もポリドールのディレクターだって、同じ会社内で名刺交換するわけないだろ。
それから彼は俺のアシスタントについた。
元々がバンド上がりでボーカル担当をしていただけに、音楽は飯より好きである。
俺の一番天狗の時期に、彼は俺をずっと見てきた。
今から考えると、俺を俺が今見えたら殴りたくなるほど、生意気だったと思う。
その彼と四年後に離れる時期が来た。
本部長がお家騒動の末、独立してレコード会社を作ったのである。
もちろん三分の一のスタッフを引き連れての話である、トーラスレコードが発足した。
原宿のポールスチュワートのビルの上に構えたお洒落な会社であった。
本部長との関係から、自分もトーラスのプロデューサーとして移って行った。
37歳の時に、ポリドールレコードの社長水田さんと出会うことになった。
水田さんに何かカリスマ的な人柄を感じ、就いていきたい気持ちからポリドールにまた席を置くことになったのである。
そこでまた中川君と再会し、新たな道を歩み始めることになった。
ちょうど、中川君にとって一番つらいポリドール時代である。
1987年に武田鉄矢と芦川よしみのCMでヒットした「男と女のラブゲーム」を、中川君が事務所の要望を聞きレコード化しなかったことが発端になったのである。
他社がレコード化して大ヒットしたことに水田社長が激怒したことから、中川君への逆風が強くなっていったのである。
「中川君、何でレコード化しなかったの」
「面と向かってそんなことを俺に言えるのは萩さんだけですよ」と言いながら苦笑した。
やはり、経営者側から見れば事務所のポリシーなんて分かるわけがない、平社員にとって外資系利益市場主義は心の支えを崩していった。
あるとき水田さんに社長室に呼ばれた。
「萩原君、海援隊、君が担当してもらえないか。中川は営業所でも行ってもらおうと思っている」
「水田社長、ちょっと待ってください。今、彼はカシオペアとか京本政樹のアシスタントで頑張ってもらっていますので、外されたら僕が困ります。それに今自分の仕事は一杯ですし無理ですよ」
そんな感じでのらりくらりと逃げた。
世の中はまだまだバブルで浮かれていた。
そんな時に武田鉄矢の事務所で、ゴルフコンペが主催された。
もちろん、レコード会社社長の水田さんは招待されている。
中川君がそのときの幹事と司会進行を任されていた。
偶然にそのコンペで水田さんがホールインワンを出してしまったのだ。
中川君は水田さんのバックを持ち、司会で優勝者より賛美し、帰りには車まで送り、献身の限りをつくしたのである。
そのことが水田さんの考えをかえたとは思えないが、それから水田さんの中川君に対しての態度が柔和になっていったのである。
時が経ち1996年に水田社長が退任した後任に、東芝EMIから石坂さんがその席についた。
自分も翌年ポリドールを去ることになる送別会は、彼が音頭をとってくれた。
あれから彼はトントン拍子に出世していった。
あるとき彼が制作本部長に就任したときに最初の名刺を貰った。
もちろん、この名刺が初めて使う一枚目ですと書かれているものだ。
工場出身のブルーカラーが本社の常務にまで登りつめたのは、ジャンボ宝くじで三億円を当てるよりも難しいことである。
誰よりも勤勉で誰よりも会社を愛し、誰よりも仕事をする男である。
だから、ここまで来たのだろう。
彼が常務から社長付になったときに、奥さんと海外旅行に行ったと聞いた、
我々が若き日に、上司がハワイでオフを取るなんてほざいた時には、そのまま鮫に喰われちまえと罵ったものだ。
彼にはもっと上に行って欲しいと思うが、今まで歩いた足跡を日本を離れ夫婦で語り合いたかったのだろう。
彼のことを書いていると、思わず涙腺が緩んでしまう。
中川くんは僕のことを音楽業界に入ってからの師匠と言ってくれる。
今ではこちらが教わることの方が多い。

生きている限り酒を酌み交わす友人 中川孝一へ
長生きしような。
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
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ネコたちのリーンカーネイション 【2007年10月24日(水) 】
ルーシー「ね〜、あんた達は良いわよね、血統書付だから。あたしなんかノラだから生まれも親もぜんぜん分からない。まぁ〜その方が気楽だけどね。」

レオ「あ〜あノラだからグレちゃって。やーい、安猫。お前は身分が三匹の中で一番低いんだからな。これから、あんまりデカイ顔するなよ。」
ルーシー「あんた、やる気なの?デブでのろまで一番バカなくせして。あんたのルーツは、バカが集まった系図よ。」
レオ「言ってくれるじゃねえか。この捨て猫ババアが。」
チャイム「レオさん、悪いですよ。猫に身分なんて関係ないじゃないですか」
レオ「そんなの関係ある!オッパッピー」
ルーシー「何悪乗りしてんのよ。じゃ〜、あんた達の親ってどんな猫だったのよ。血統書持ってたってそれが何の役に立つって言うの。」
チャイム「それはそうですけど、自分がママとパパの遺伝子で構成されているじゃないですか。それって少しセンチになりますよね。アダムとイブがかっていた猫っているんですかね。」
レオ「アダムとイブってリンゴ食べてエデンの園を追い出された奴だろう。けっこう食意地がはってるね、そのアベック。」
チャイム「アベックて何ですか?」
ルーシー「昔流行った言葉だけど今は死語になってるわ。本来はフランス語でAVEC〜と一緒にと言う意味ね。」
チャイム「流石に姉さん博学ですね。いつも尊敬しています。」
レオ「そおか、そんな意味だったんだ。俺ってやっぱし頭良いじゃん。」
ルーシー「話を戻すとねDNAて知ってる?」
レオ「ドーナツあんこ入りだろ。」
チャイム「レオさん、バカが過ぎますよ。たしか遺伝子に関係あるんじゃないですか?」
ルーシー「そおなのよ、デオキシリボ核酸Deoxyribonucleic acidつまりDNAを調べれば、生物の全てが分かちゃうのよ。例えばクローンが出来るのよ。もし、私達の遺伝子を採集してとっておき、奥さんや姉妹が未来に私たちのDNAを使い、私たちと同じ猫が誕生するのよ。」
チャイム「そそそそれって凄いことですよね。100年後でも自分がいるなんて」
レオ「でもそれって俺じゃないんだろ。心まで一緒なんてありえないもんな。」
ルーシー「あんたって本当に夢の無い猫ね。あんたみたいな大食い猫は未来に居ないほうが、世界の食糧難を考えるといいわね。」
レオ「てやんで〜。昔は美男子でスマートが売りだったんだよ。こんどアルバム見てみな。今から惚れたって相手してやんねぇからな。」
ルーシー「誰があんたなんか好きになるわけないじゃない。きっとあんたの祖先は豚と交配してできた新種のDNAの末裔よ。」
チャイム「止めましょうよ。せっかくの良い話が終わっちゃうじゃないですか。」
レオ「お前のDNAだって狸と混ざってんじゃねえの。」
チャイム「僕にもそういうこと言うんですか。泣きますよ。」
カシャカシャ
三匹「あっ奥さんが帰って来た。飯だ飯だ〜。」
三匹「奥さん、良いDNAを作るためにも多目のキャットフードを頂ければ。スリスリ」

てな感じで猫のリーンカーネイションのお話でした。
P・S
友人が犬のDNAのペンダントを発売していますのでそのサイトのHPをのせておきます。
http://item.rakuten.co.jp/elsaclub/kokoro/
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
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レオ「あ〜あノラだからグレちゃって。やーい、安猫。お前は身分が三匹の中で一番低いんだからな。これから、あんまりデカイ顔するなよ。」
ルーシー「あんた、やる気なの?デブでのろまで一番バカなくせして。あんたのルーツは、バカが集まった系図よ。」
レオ「言ってくれるじゃねえか。この捨て猫ババアが。」
チャイム「レオさん、悪いですよ。猫に身分なんて関係ないじゃないですか」
レオ「そんなの関係ある!オッパッピー」
ルーシー「何悪乗りしてんのよ。じゃ〜、あんた達の親ってどんな猫だったのよ。血統書持ってたってそれが何の役に立つって言うの。」
チャイム「それはそうですけど、自分がママとパパの遺伝子で構成されているじゃないですか。それって少しセンチになりますよね。アダムとイブがかっていた猫っているんですかね。」
レオ「アダムとイブってリンゴ食べてエデンの園を追い出された奴だろう。けっこう食意地がはってるね、そのアベック。」
チャイム「アベックて何ですか?」
ルーシー「昔流行った言葉だけど今は死語になってるわ。本来はフランス語でAVEC〜と一緒にと言う意味ね。」
チャイム「流石に姉さん博学ですね。いつも尊敬しています。」
レオ「そおか、そんな意味だったんだ。俺ってやっぱし頭良いじゃん。」
ルーシー「話を戻すとねDNAて知ってる?」
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チャイム「レオさん、バカが過ぎますよ。たしか遺伝子に関係あるんじゃないですか?」
ルーシー「そおなのよ、デオキシリボ核酸Deoxyribonucleic acidつまりDNAを調べれば、生物の全てが分かちゃうのよ。例えばクローンが出来るのよ。もし、私達の遺伝子を採集してとっておき、奥さんや姉妹が未来に私たちのDNAを使い、私たちと同じ猫が誕生するのよ。」
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レオ「でもそれって俺じゃないんだろ。心まで一緒なんてありえないもんな。」
ルーシー「あんたって本当に夢の無い猫ね。あんたみたいな大食い猫は未来に居ないほうが、世界の食糧難を考えるといいわね。」
レオ「てやんで〜。昔は美男子でスマートが売りだったんだよ。こんどアルバム見てみな。今から惚れたって相手してやんねぇからな。」
ルーシー「誰があんたなんか好きになるわけないじゃない。きっとあんたの祖先は豚と交配してできた新種のDNAの末裔よ。」
チャイム「止めましょうよ。せっかくの良い話が終わっちゃうじゃないですか。」
レオ「お前のDNAだって狸と混ざってんじゃねえの。」
チャイム「僕にもそういうこと言うんですか。泣きますよ。」
カシャカシャ
三匹「あっ奥さんが帰って来た。飯だ飯だ〜。」
三匹「奥さん、良いDNAを作るためにも多目のキャットフードを頂ければ。スリスリ」

てな感じで猫のリーンカーネイションのお話でした。
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JZBrat(ジェイズブラット) 【2007年10月17日(水) 】
渋谷のセルリアンタワー東急ホテルの2Fに位置しているジャズライブハウスである。
JZのスーパーバイザーを務めている浮田さんは、我がエレックの最高顧問をお願いしている。
浮田さんはかつてのエレックの常務であった。
思えば付き合いは37年になる。
昭和14年生まれとは思えぬ若さを感じさせる。
先週の水曜日に浮田さんからおしかりの電話があった。
「何してんだよ、今週来るって言うから電話待ってんのにかかってこないからこっちからかけたんだよ」
「スミマセン、金曜日に行きます」
7時にJZに向かった。
JZは今やジャズ界では名門のライブハウスである。
料理はイタリア料理でワインや洋酒は極上なものを揃えている。
当日は入れ替え制で、7時30分からのステージはまだ8割ほどの客だが9時30分は満杯である。
当日のプレイヤーはザ・トラベラーズである。

ゲストは藤井フミヤの弟で藤井尚之である。
メンバーはあの役者でも有名な武田真治がテナーサックスを吹いている。
流石に女性客が多い。
内容は分かりやすい60年代系ジャズと言うか哀愁がある。
出で立ちはアル・カポネの時代を思わせる華麗なるギャッビー調のスーツ姿にリーゼントをきめている。
藤井君が入り、武田真治とテナーサックスの競演は見事に客を陶酔させている。
イケメン二人がかっこ良くスーツで決め、テナーを振りながらスイングするさまは女性でなくても痺れる。
痺れるはチョット古い表現かもしれない。
浮田さんがシーザーサラダとアンチョビのパスタ、若鶏の香草焼きをとってくれた。
カべルネソービニョンのタンニンがしっかりときいたフルボディの赤ワインは至極の時をより演出してくれた。
ちょっとキザかな。

考えてみると1983年に兄貴が結婚した時の披露宴にチェッカーズが来ていた。
ちょうど「ギザギザハートの子守唄」を出した頃であった。
二人兄弟だが兄貴はヤマハ音楽振興会でチェカーズやツイストNSPのプロデューサーである。
兄弟そろってヤクザな職業についてしまった。
二次会にも来たのだが、その頃のチェカーズは貧乏で彼らの二次会の会費を出して上げた。
そのボーカルの弟が目の前で演奏する姿は、中々歴史を感じさせる。
フミヤもお忍びで来てザ・トラベラーズに参加して歌うことがあるそうだ。
ジャズと言ってもビーバップ系であるので、この演奏にフミヤが入ったら格好良いだろうなと想像する。
アンコールを披露しワンステージの幕は下りた。

浮田さんと別れ半蔵門線の渋谷駅に向かう。
「時間が欲しい。一日が30時間あったらドラムをもう一度やりたい」と思わず洩らしてしまう。
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
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JZのスーパーバイザーを務めている浮田さんは、我がエレックの最高顧問をお願いしている。
浮田さんはかつてのエレックの常務であった。
思えば付き合いは37年になる。
昭和14年生まれとは思えぬ若さを感じさせる。
先週の水曜日に浮田さんからおしかりの電話があった。
「何してんだよ、今週来るって言うから電話待ってんのにかかってこないからこっちからかけたんだよ」
「スミマセン、金曜日に行きます」
7時にJZに向かった。
JZは今やジャズ界では名門のライブハウスである。
料理はイタリア料理でワインや洋酒は極上なものを揃えている。
当日は入れ替え制で、7時30分からのステージはまだ8割ほどの客だが9時30分は満杯である。
当日のプレイヤーはザ・トラベラーズである。

ゲストは藤井フミヤの弟で藤井尚之である。
メンバーはあの役者でも有名な武田真治がテナーサックスを吹いている。
流石に女性客が多い。
内容は分かりやすい60年代系ジャズと言うか哀愁がある。
出で立ちはアル・カポネの時代を思わせる華麗なるギャッビー調のスーツ姿にリーゼントをきめている。
藤井君が入り、武田真治とテナーサックスの競演は見事に客を陶酔させている。
イケメン二人がかっこ良くスーツで決め、テナーを振りながらスイングするさまは女性でなくても痺れる。
痺れるはチョット古い表現かもしれない。
浮田さんがシーザーサラダとアンチョビのパスタ、若鶏の香草焼きをとってくれた。
カべルネソービニョンのタンニンがしっかりときいたフルボディの赤ワインは至極の時をより演出してくれた。
ちょっとキザかな。

考えてみると1983年に兄貴が結婚した時の披露宴にチェッカーズが来ていた。
ちょうど「ギザギザハートの子守唄」を出した頃であった。
二人兄弟だが兄貴はヤマハ音楽振興会でチェカーズやツイストNSPのプロデューサーである。
兄弟そろってヤクザな職業についてしまった。
二次会にも来たのだが、その頃のチェカーズは貧乏で彼らの二次会の会費を出して上げた。
そのボーカルの弟が目の前で演奏する姿は、中々歴史を感じさせる。
フミヤもお忍びで来てザ・トラベラーズに参加して歌うことがあるそうだ。
ジャズと言ってもビーバップ系であるので、この演奏にフミヤが入ったら格好良いだろうなと想像する。
アンコールを披露しワンステージの幕は下りた。

浮田さんと別れ半蔵門線の渋谷駅に向かう。
「時間が欲しい。一日が30時間あったらドラムをもう一度やりたい」と思わず洩らしてしまう。
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暑さ寒さも彼岸まで 【2007年10月10日(水) 】
と言うが、今年はそうでもなかったようだ。
夏の残暑で向日葵のように誇らしげに咲いている彼岸花も珍しい。

10月も中旬にさしかかろうという時期にようやく秋らしい風が吹き始めた。
我が家には庭がないが、窓と塀の間が約一メートルぐらいだろうか、塀に貝塚いぶきを垣根に絡ませているのだが、奥の一本をキンモクセイにしたら、南側と言うこともあり道路にせり出すほどに育ってしまった。

家内から道路にはみ出している分を連休中に切ってと言われ、日曜日に渋々、三メートルまで伸びる枝きりバサミを用意して重い腰を上げた。
ここのところ、朝出かけるときに玄関を開けるとキンモクセイの良い香りが漂っていた。
傍まで行くと、爛漫に香るために一年間頑張ってきたと思うと切る気が失せた。
女房に切るのは二週間後にしようと決めた。
人々の暮らしの中に四季を知らせる花々があるが、見ているとなぜかよくやったと褒めてあげたくなる。
話は変わるが、時津風部屋で新弟子が稽古中亡くなった。
時津風親方は、その新弟子はタバコやマリファナをやっていたと記者に説明していたのをニュースで知った。
マリファナは麻薬である。
勿論、日本の法律では麻薬法において罰せられる。
あまり大きな声では言えないがミクロネシア諸島の中で赤道直下の島でトラック島、その島は1892年に島の酋長と結婚した冒険ダン吉の渡った島であった。
25年前にその島に取材をかねて行ったことがあった。
その島は飛行機が近づくと滑走路から鳥や豚をどかすのである。
今の世の中では信じられない光景であった。
その島には日本にない法律があった。
外国人はホテル内なら飲酒は許可するが、ホテル外では処罰の対象になるのだ。
簡単に言えば禁酒国である。
ホテルで仲間と水割りを飲んでいると、ウエイトレスやウエイターがじろじろ怪訝そうに見るのである。
しかし、この島の山々は大麻の畑で覆われている。
酒は駄目だが、大麻は島中が推奨しているのだ。
むかし、酒を飲み過ぎ暴れて何人もの命が無くなったことから禁酒国として島の定めを決めたらしい。
若き日に多くのミュージシャンが大麻を吸い警察のご厄介になった。
では、このマリファナはどこから来たものか。
はたして日本はマリファナと縁遠いと思いの方が多いと思う。
この話は本当の話である。
大麻とマリファナは同じものであることは理解して頂けると思うが、大麻の発祥は日本だと言われている。
日本は麻を多様化してきた。
麻縄などはいい例である。
神道は祭りが要であるが、日本古来には奉納祭、収穫祭と祭りが人々の年を重ねる節目としてきた。
祭りでは必ず火を焚く。そして麻縄を燃やす。
つらい年や豊かな年、この麻縄を焚くことで新たに出発するという。
麻縄の中には大麻が多量に含まれていて、煙を吸っているうちに楽しくなるのである。
悲しいことを忘れることが出来たと言い伝えられている。
コカインもそうである。
南米の原住民が飢えと寒さをしのぐためにコカの葉をかじった。
このようなことを書くと大麻肯定者と思われるかもしれないので、誤解されないように言う。
自分は法律を守れない人間にはなりたくないと常日頃から思っている。
話は戻るが、彼岸花はマンジュシャゲと言われ毒草である。
墓の周りに植えて、仏が犬や動物に掘り起こされぬために植えたという。
長期に水につけ灰汁抜きをすれば食料になるそうだ。
菊の花のおひたしは好きだが、命をかけて彼岸花を食べようとは思わない。
まだ食いしん坊としては未熟である。
食欲の秋がようやく来た。
昨夜は荻窪まで、おいしいもつ焼きを食べに行った。
昔からの友人夫婦の招待である。
ハツや豆、そしてよほど新鮮でなければ食べられぬ豚のレバーの刺身。
ビールに始まり焼酎、最後は紹興酒に落ち着いた。
さて今日は何を食べようかな・・・
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
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夏の残暑で向日葵のように誇らしげに咲いている彼岸花も珍しい。

10月も中旬にさしかかろうという時期にようやく秋らしい風が吹き始めた。
我が家には庭がないが、窓と塀の間が約一メートルぐらいだろうか、塀に貝塚いぶきを垣根に絡ませているのだが、奥の一本をキンモクセイにしたら、南側と言うこともあり道路にせり出すほどに育ってしまった。

家内から道路にはみ出している分を連休中に切ってと言われ、日曜日に渋々、三メートルまで伸びる枝きりバサミを用意して重い腰を上げた。
ここのところ、朝出かけるときに玄関を開けるとキンモクセイの良い香りが漂っていた。
傍まで行くと、爛漫に香るために一年間頑張ってきたと思うと切る気が失せた。
女房に切るのは二週間後にしようと決めた。
人々の暮らしの中に四季を知らせる花々があるが、見ているとなぜかよくやったと褒めてあげたくなる。
話は変わるが、時津風部屋で新弟子が稽古中亡くなった。
時津風親方は、その新弟子はタバコやマリファナをやっていたと記者に説明していたのをニュースで知った。
マリファナは麻薬である。
勿論、日本の法律では麻薬法において罰せられる。
あまり大きな声では言えないがミクロネシア諸島の中で赤道直下の島でトラック島、その島は1892年に島の酋長と結婚した冒険ダン吉の渡った島であった。
25年前にその島に取材をかねて行ったことがあった。
その島は飛行機が近づくと滑走路から鳥や豚をどかすのである。
今の世の中では信じられない光景であった。
その島には日本にない法律があった。
外国人はホテル内なら飲酒は許可するが、ホテル外では処罰の対象になるのだ。
簡単に言えば禁酒国である。
ホテルで仲間と水割りを飲んでいると、ウエイトレスやウエイターがじろじろ怪訝そうに見るのである。
しかし、この島の山々は大麻の畑で覆われている。
酒は駄目だが、大麻は島中が推奨しているのだ。
むかし、酒を飲み過ぎ暴れて何人もの命が無くなったことから禁酒国として島の定めを決めたらしい。
若き日に多くのミュージシャンが大麻を吸い警察のご厄介になった。
では、このマリファナはどこから来たものか。
はたして日本はマリファナと縁遠いと思いの方が多いと思う。
この話は本当の話である。
大麻とマリファナは同じものであることは理解して頂けると思うが、大麻の発祥は日本だと言われている。
日本は麻を多様化してきた。
麻縄などはいい例である。
神道は祭りが要であるが、日本古来には奉納祭、収穫祭と祭りが人々の年を重ねる節目としてきた。
祭りでは必ず火を焚く。そして麻縄を燃やす。
つらい年や豊かな年、この麻縄を焚くことで新たに出発するという。
麻縄の中には大麻が多量に含まれていて、煙を吸っているうちに楽しくなるのである。
悲しいことを忘れることが出来たと言い伝えられている。
コカインもそうである。
南米の原住民が飢えと寒さをしのぐためにコカの葉をかじった。
このようなことを書くと大麻肯定者と思われるかもしれないので、誤解されないように言う。
自分は法律を守れない人間にはなりたくないと常日頃から思っている。
話は戻るが、彼岸花はマンジュシャゲと言われ毒草である。
墓の周りに植えて、仏が犬や動物に掘り起こされぬために植えたという。
長期に水につけ灰汁抜きをすれば食料になるそうだ。
菊の花のおひたしは好きだが、命をかけて彼岸花を食べようとは思わない。
まだ食いしん坊としては未熟である。
食欲の秋がようやく来た。
昨夜は荻窪まで、おいしいもつ焼きを食べに行った。
昔からの友人夫婦の招待である。
ハツや豆、そしてよほど新鮮でなければ食べられぬ豚のレバーの刺身。
ビールに始まり焼酎、最後は紹興酒に落ち着いた。
さて今日は何を食べようかな・・・
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
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秋は哲学 【2007年10月04日(木) 】
昨年の二月に哲学者 池田晶子さんが進行癌で死去しました。
まだ47歳であった。
彼女の書いた「2001年哲学の旅」がすごくおもしろかった。
哲学を難しいものという概念を取っ払った一冊である。
ソクラテスを語るとき悪妻クサンチッペが必ず出てくる。
ソクラテスが、いかにお金がなくて困っていても「ギリシャに遊びに行くからお金頂戴、あんた天才哲学者なんだから出来るでしょ」
こんなことが文献に出てくるのだが、彼女はそこのところを面白く書いていた。
プラトンは言わずとしれたソクラテスの一番弟子である。
プラトンがクサンチッペに
「奥さんあまりソクラテスさんを困らせないで下さいよ」
「何言ってんの。あの人が訳の分からない哲学をやれるのも私のおかげじゃないの」
このような今の夫婦でも言いそうな会話を文章にしていた。
先日、松井秀喜も「不動心」の中で「無知の知」を語っていた。
己を無知と知る事こそ始まりがあると言っているのである。
人と話をするときに出来るだけ正確に伝えようとするとプラトンのイデア論が面白い。
少々理屈ぽいが、例えば我が家には三匹の猫がいるが、その中で一番デブなのがレオである。
哲学的に言えばレオが目の前に居るとすると、それはレオでは無いのである。
時間が経ち骨になりそこから消えていったとする、それでもそれはレオなのかと言うめんどくさい話になる。
これはリンゴである。
しかし、そこに一年置いておいたとき腐り果てリンゴの面影はないのである。
イデアとはその物の本質を言うのである。
自分の中に居るレオやリンゴが本質であり、見えているものは虚実であると言うことである。
仕事の話のときもよく「俺の話、分かるよな」と押し付ける相手がいるが、
「僕はあなたではないので言いたいことは見えるが、分かるとこまではいっていない」と言います。
「すごくあの人はいい人です」それから3ヶ月後に「あの人は悪党でした」
こんな話をよく聞きますが「あなたにとって善人とは悪人とは」
誰も違う定義を平気で押し付ける人こそが無知なのだと思います。
よくエレックは凄かったですね、スタッフも凄い実力者揃いでしたと言われますが、「エレックとは偶然と運と追い風とささやかな情熱」と答えます。
元古井戸の加奈崎さんに「ささやかな情熱は失礼じゃないのか」と噛みつかれました。
「人と人の出会いは偶然。世の中がそんな偶然を認めてくれた。そして風が後押ししてくれた。売れてきたからみんなが頑張れた。ただそれだけの事です」
と答えると、お前けっこう冷たいんだなと言われました。
紀元前からのテーマ、自分とは何だろうと言う疑問が今の世でも同じことが言われている。
1995年「ソフィーの世界」で「あんたはだれ」
この言葉が言い当てているように、自分はいったい誰なんだろうと考えるときがある。
秋の夜長はたまにこんなことを考えてしまします。
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
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まだ47歳であった。
彼女の書いた「2001年哲学の旅」がすごくおもしろかった。
哲学を難しいものという概念を取っ払った一冊である。
ソクラテスを語るとき悪妻クサンチッペが必ず出てくる。
ソクラテスが、いかにお金がなくて困っていても「ギリシャに遊びに行くからお金頂戴、あんた天才哲学者なんだから出来るでしょ」
こんなことが文献に出てくるのだが、彼女はそこのところを面白く書いていた。
プラトンは言わずとしれたソクラテスの一番弟子である。
プラトンがクサンチッペに
「奥さんあまりソクラテスさんを困らせないで下さいよ」
「何言ってんの。あの人が訳の分からない哲学をやれるのも私のおかげじゃないの」
このような今の夫婦でも言いそうな会話を文章にしていた。
先日、松井秀喜も「不動心」の中で「無知の知」を語っていた。
己を無知と知る事こそ始まりがあると言っているのである。
人と話をするときに出来るだけ正確に伝えようとするとプラトンのイデア論が面白い。
少々理屈ぽいが、例えば我が家には三匹の猫がいるが、その中で一番デブなのがレオである。
哲学的に言えばレオが目の前に居るとすると、それはレオでは無いのである。
時間が経ち骨になりそこから消えていったとする、それでもそれはレオなのかと言うめんどくさい話になる。
これはリンゴである。
しかし、そこに一年置いておいたとき腐り果てリンゴの面影はないのである。
イデアとはその物の本質を言うのである。
自分の中に居るレオやリンゴが本質であり、見えているものは虚実であると言うことである。
仕事の話のときもよく「俺の話、分かるよな」と押し付ける相手がいるが、
「僕はあなたではないので言いたいことは見えるが、分かるとこまではいっていない」と言います。
「すごくあの人はいい人です」それから3ヶ月後に「あの人は悪党でした」
こんな話をよく聞きますが「あなたにとって善人とは悪人とは」
誰も違う定義を平気で押し付ける人こそが無知なのだと思います。
よくエレックは凄かったですね、スタッフも凄い実力者揃いでしたと言われますが、「エレックとは偶然と運と追い風とささやかな情熱」と答えます。
元古井戸の加奈崎さんに「ささやかな情熱は失礼じゃないのか」と噛みつかれました。
「人と人の出会いは偶然。世の中がそんな偶然を認めてくれた。そして風が後押ししてくれた。売れてきたからみんなが頑張れた。ただそれだけの事です」
と答えると、お前けっこう冷たいんだなと言われました。
紀元前からのテーマ、自分とは何だろうと言う疑問が今の世でも同じことが言われている。
1995年「ソフィーの世界」で「あんたはだれ」
この言葉が言い当てているように、自分はいったい誰なんだろうと考えるときがある。
秋の夜長はたまにこんなことを考えてしまします。
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
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at 14:02
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