BS11、無事に終了 【2007年12月26日(水) 】
モト冬樹さんの大人の時間に出演致しました。
自分にとってマスコミで一番長い間喋ったような気がします。
当日は、6時から9時までエレックレコードの新人アーティストabsorbのライブと重なってしまい、我が陣営を二つに分けいざ出陣しました。
秋葉原の駅に4時半に待ち合わせをして、元古井戸の加奈崎氏と待ち合わせる。
昔の秋葉原のイメージは殆どなく、つくばエクスプレスの開通によりお洒落なプレイタウンとして生まれ変わっていました。
楽屋に入ると妙な胸騒ぎが起こってきました。
俺って本当にこの場所にいていいんだろうか、エレックを語れるのか、いくら頬を自分でパシンと叩いても自信のなさだけが残ります。
途中、テンションの下がる電話が入りなぜか自己不信に陥りました。
その時にある事が閃きました。
俺がここで落ち込むことと全てを捨てて戦うことと、俺はどちらを選ぶのか。結論を時間軸でデシジョンを迫られています。
「後、15分でステージ下手に入って下さい」
一歩ずつスタジオに向かうのだが、幼き頃のかけっこの順番待ちの気持ちになる。
番組のポリシーとして、キャスターのモトさんとはスタジオでの初対面でライブ感が欲しいとのこと。
本当にポリシーなのか段取りの時間がないのか怪しいがその線で進行されている。
5分前、ステージ横で今一度台本を読む、たいした台本ではないが進行は分かる。
1分前、鼓動のテンポが落ちる、腹が据わるとはこう言うことなのだろう。
眩いばかりのスタジオの中に入る。
以前に吉田拓郎、泉谷しげる、古井戸のコンサートでサポートをしていた時の想い出が蘇る。
「萩原さん下手から入って下さい、上手から古井戸は入ります」
「譜面台の明かり大丈夫だよな、ピンで明かりもらわないと読めないから」
「照明にもう一度確認しておきます、足場気を付けてください暗いから」
「ありがとう…」
こんな会話を若き頃にしたことが昨日のように蘇る。
真緑のスタジオに入る。
背景はコンピューターによりバーチャルで作ったSTB(スイートベージル)のステージ。
「初めましてモト冬樹です」
「こちらこそELECの萩原と加奈崎です」
「エレックとはどんなレコード会社だったのですか」
「偶然と運と追い風とささやかな情熱で燃えつきた馬鹿な会社です。しかし我々から出て行った音楽は、あの頃の若者の血となり肉となり心になったのです」
…今回、思いの丈を『エレックレコードの時代U』〜エレックレコードの精霊たち編〜で書かせてもらいました。
死ぬと言うことは遠きものと感じた時代から、潮騒のように引き潮の中で残したい自分と向き合う文字の綴り。
「人は一人じゃ生きられない。しかし、人は人と最初から上手くやれるわけじゃない」
少しだけ俺は強くなった、弱さを認めたからだろう。
※萩原氏が執筆した「エレックレコードの時代II」(CD付き単行本)、2007年12月22日より発売開始!
※およそ35年前の萩原氏も登場する「エレックレコードの時代」(CD付き単行本)も熟割にて絶賛発売中!
自分にとってマスコミで一番長い間喋ったような気がします。
当日は、6時から9時までエレックレコードの新人アーティストabsorbのライブと重なってしまい、我が陣営を二つに分けいざ出陣しました。
秋葉原の駅に4時半に待ち合わせをして、元古井戸の加奈崎氏と待ち合わせる。
昔の秋葉原のイメージは殆どなく、つくばエクスプレスの開通によりお洒落なプレイタウンとして生まれ変わっていました。
楽屋に入ると妙な胸騒ぎが起こってきました。
俺って本当にこの場所にいていいんだろうか、エレックを語れるのか、いくら頬を自分でパシンと叩いても自信のなさだけが残ります。
途中、テンションの下がる電話が入りなぜか自己不信に陥りました。
その時にある事が閃きました。
俺がここで落ち込むことと全てを捨てて戦うことと、俺はどちらを選ぶのか。結論を時間軸でデシジョンを迫られています。
「後、15分でステージ下手に入って下さい」
一歩ずつスタジオに向かうのだが、幼き頃のかけっこの順番待ちの気持ちになる。
番組のポリシーとして、キャスターのモトさんとはスタジオでの初対面でライブ感が欲しいとのこと。
本当にポリシーなのか段取りの時間がないのか怪しいがその線で進行されている。
5分前、ステージ横で今一度台本を読む、たいした台本ではないが進行は分かる。
1分前、鼓動のテンポが落ちる、腹が据わるとはこう言うことなのだろう。
眩いばかりのスタジオの中に入る。
以前に吉田拓郎、泉谷しげる、古井戸のコンサートでサポートをしていた時の想い出が蘇る。
「萩原さん下手から入って下さい、上手から古井戸は入ります」
「譜面台の明かり大丈夫だよな、ピンで明かりもらわないと読めないから」
「照明にもう一度確認しておきます、足場気を付けてください暗いから」
「ありがとう…」
こんな会話を若き頃にしたことが昨日のように蘇る。
真緑のスタジオに入る。
背景はコンピューターによりバーチャルで作ったSTB(スイートベージル)のステージ。
「初めましてモト冬樹です」
「こちらこそELECの萩原と加奈崎です」
「エレックとはどんなレコード会社だったのですか」
「偶然と運と追い風とささやかな情熱で燃えつきた馬鹿な会社です。しかし我々から出て行った音楽は、あの頃の若者の血となり肉となり心になったのです」
…今回、思いの丈を『エレックレコードの時代U』〜エレックレコードの精霊たち編〜で書かせてもらいました。
死ぬと言うことは遠きものと感じた時代から、潮騒のように引き潮の中で残したい自分と向き合う文字の綴り。
「人は一人じゃ生きられない。しかし、人は人と最初から上手くやれるわけじゃない」
少しだけ俺は強くなった、弱さを認めたからだろう。
※萩原氏が執筆した「エレックレコードの時代II」(CD付き単行本)、2007年12月22日より発売開始!
※およそ35年前の萩原氏も登場する「エレックレコードの時代」(CD付き単行本)も熟割にて絶賛発売中!
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ELEC忘年会 【2007年12月18日(火) 】
14日にエレックの忘年会を行った。
総勢40人参加して頂き、勢いのある集いとなった。
振り返るとこの一年は光陰矢の如しであった。
手帳を一月からめくると、一日に5件の打ち合わせを入れていた。
頑張った結果は、まだ見えていないことが多い。
徒労に終わることも多々あるのが人生と割り切ってぶつかっていったはずだが、スケジュール帳は正直に失敗を指摘している。
あ〜ぁ来年はもっと計画的に動こうと年の初めに思うのだが、やはり無計画が体に染み付いているのかノリを選択してしまう。
大崎のお洒落なイタリアンレストランで行ったために焼酎がなく、店に言って一升瓶のいいちこを四本買ってもらった。
ワインより焼酎が出るはずと何も疑わなかったが結果は、ワインが売れいいちこは一本の半分も空かなかった。
忘年会の歴史は鎌倉時代もしくは室町時代だそうだ。
和歌を詠むなど静かな集いであったそうだが、近年のお祭り騒ぎは明治時代から始まった。
無礼講も新年会、忘年会から生まれたらしい。
昔を振り返ると、忘年会で一気飲みを繰り返し急性アルコール中毒にかかる若者、もとい、ばか者が必ず出た。
救急病院に入れて上司がしかたなく付き添うことは年中行事であった。
あとは喧嘩である。どういう訳か必ず殴り合いが始まるのである。
泣く者、笑う者、怒る者多種多様である。
我がエレックの忘年会は誰も乱れることなく厳かに行われ、和気あいあいのうちに終わりを迎えた。
話は変わるが12月22日に「エレックレコードの時代U」が発刊される。
中に入っている「エレックレコードの精霊たち」は、前回にも書いたが自分にとって初めての著書である。
昨日、編集者の湯田氏が著作者用と一冊を届けてくれた。
何だか照れと嬉しさが混じりあった変な気持ちである。
おそるおそる家に持って帰りさらっと家族の居る部屋のテーブルに置いてみた。
かみさんが「出来たんだふ〜ん」上の娘は「何が何が」「お父さんの書いた本が出来たのよ」とかみさんが言い、家族はそのままテレビの番組に戻った。
家族にとって親父が本を書こうがテレビに出ようがあまり関係ないらしい。
少し腹立たしいが、長い年月で考えるとこっちのほうが楽で良いと思う。
いちいち批評されたりしたら、それこそ、うっとうしい。
12月は忘年会に始まり誕生日、BS11の生番組とルーチンワークの他にも気の抜けないことが多い。
21日に何を着れば良いのかとか、しゃべりはどの程度までにしておけば良いのかとか悩む。
19日出る別冊カドカワの記事に少しだが自分のコメントが掲載されている。
エレックの広告塔に少しずつだが近づいている気がしている。
もう今年も残り少なくなったがまだまだ気が抜けない。
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
熟割にて絶賛発売中!
≫詳しくはこちら
※2007年12月22日より「エレックレコードの時代U」も熟割にて発売!!
総勢40人参加して頂き、勢いのある集いとなった。
振り返るとこの一年は光陰矢の如しであった。
手帳を一月からめくると、一日に5件の打ち合わせを入れていた。
頑張った結果は、まだ見えていないことが多い。
徒労に終わることも多々あるのが人生と割り切ってぶつかっていったはずだが、スケジュール帳は正直に失敗を指摘している。
あ〜ぁ来年はもっと計画的に動こうと年の初めに思うのだが、やはり無計画が体に染み付いているのかノリを選択してしまう。
大崎のお洒落なイタリアンレストランで行ったために焼酎がなく、店に言って一升瓶のいいちこを四本買ってもらった。
ワインより焼酎が出るはずと何も疑わなかったが結果は、ワインが売れいいちこは一本の半分も空かなかった。
忘年会の歴史は鎌倉時代もしくは室町時代だそうだ。
和歌を詠むなど静かな集いであったそうだが、近年のお祭り騒ぎは明治時代から始まった。
無礼講も新年会、忘年会から生まれたらしい。
昔を振り返ると、忘年会で一気飲みを繰り返し急性アルコール中毒にかかる若者、もとい、ばか者が必ず出た。
救急病院に入れて上司がしかたなく付き添うことは年中行事であった。
あとは喧嘩である。どういう訳か必ず殴り合いが始まるのである。
泣く者、笑う者、怒る者多種多様である。
我がエレックの忘年会は誰も乱れることなく厳かに行われ、和気あいあいのうちに終わりを迎えた。
話は変わるが12月22日に「エレックレコードの時代U」が発刊される。
中に入っている「エレックレコードの精霊たち」は、前回にも書いたが自分にとって初めての著書である。
昨日、編集者の湯田氏が著作者用と一冊を届けてくれた。
何だか照れと嬉しさが混じりあった変な気持ちである。
おそるおそる家に持って帰りさらっと家族の居る部屋のテーブルに置いてみた。
かみさんが「出来たんだふ〜ん」上の娘は「何が何が」「お父さんの書いた本が出来たのよ」とかみさんが言い、家族はそのままテレビの番組に戻った。
家族にとって親父が本を書こうがテレビに出ようがあまり関係ないらしい。
少し腹立たしいが、長い年月で考えるとこっちのほうが楽で良いと思う。
いちいち批評されたりしたら、それこそ、うっとうしい。
12月は忘年会に始まり誕生日、BS11の生番組とルーチンワークの他にも気の抜けないことが多い。
21日に何を着れば良いのかとか、しゃべりはどの程度までにしておけば良いのかとか悩む。
19日出る別冊カドカワの記事に少しだが自分のコメントが掲載されている。
エレックの広告塔に少しずつだが近づいている気がしている。
もう今年も残り少なくなったがまだまだ気が抜けない。
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
熟割にて絶賛発売中!
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※2007年12月22日より「エレックレコードの時代U」も熟割にて発売!!
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新橋にて 【2007年12月12日(水) 】
エレックの仲間と新橋の日比谷口の広場横にあるビルの地下にある飲み屋街にて飲みーティングを行った。
広場の名物SLも昼の逞しい姿を夜は一変して青いイルミネーションに彩られ、12月の夜に相応しい出で立ちである。

家路に急ぐサラリーマンや仲間と集う軍団で広場はごった返していた。
TVマスコミは新橋にサラリーマンの聖地と言うイメージをつけた。
この新橋には大きな思い出がある。
1972年年明けから始まったレコーディングである。
「この暗い時期にも」
生田敬太郎のデビューアルバムである。
この話はライブハウス「風に吹かれて」に生田敬太郎が出演したときにも書いたが、新橋の飛行館ビルの中にあった飛行館スタジオにて一週間ぐらいであろうか、朝までレコーディングをしていた頃の話である。
レコーディングが終わり楽しみは屋台のラーメンである。
あの頃にしては珍しい豚骨ラーメンを出していた。
屋台の周りはタクシーの運転手でごった返す中で食べたあの味は一生忘れられない味であった。
スタジオから家路に向かうときに、新橋駅からクモの子を散らしたように吐き出される、グレーの鎧に身を包みひたすら戦場に向かう兵士のような彼らを見ながら、俺たちはまるで鯉の滝登りのように逆流する。
あのときの若き戦士が今、団塊の世代と言われている。
今思えば不信、不安、挫折の時代であったように思う。
戦争に行き帰って来た親父は軍国主義の呪縛から逃れたように高度成長の波に乗り「舶来バンザイ」と叫ぶ。
「これからの日本は寄らば大樹の陰だ、アメリカに続くのだ」
戦って散った同期の桜はもう、過去の遺物になってしまったのだろう。
その背中はもう信じられなくなっていた。
今回、エレック本第二弾「エレックレコードの精霊たち」が12月22日に発売される。
自分にとって始めての本である。
最初は第一弾の手助けになると思い書いたが、あまりにも文体が違うので助けにもならず続編として編集者が扱ってくれた。
エレックと自分の葛藤から倒産までの風景を描いてみた。
書いていて感じたことは振り返ったときに俺ってなんてわがままな人生を過ごして来たのかと思った。
ここで殺されても今まで勝手なことばかりやってきた俺は「いい人生だった、後悔はない」と言い切れる気がする。
来年、娘が結婚するらしい。
らしいはないだろうと怒られそうだが、何が起こるか分からないのが喜びであり苦痛でもある。
親父の背中を非難出来るほどの背中を持てたとはけして思えない。
ただ一つ自信を持てることはメンタリティーである。
比較的、俺らの時代は心の振り子を大きく振れた。
時と場面で自分を変えられる術を持てたのではないだろうか。
後三日で58歳になる。
毎日タイトロープのような場面が来る。
人と会うときに案件なしで会う事はない。
一日の酒量は前の三倍はいっている。
ストレスの影響と逃げている。
運動の量も週5日はする。
どこかでこれが帳尻と思っているのかもしれない。
自分の本が出ることは嬉しさと怖さがある。
もうこれで良いと言うことはないのである。
読み返せば悩みが増える。
今月から某TVで隔月で一時間番組をやることがほぼ決定している。
今まで経験したことのない世界に入っていく。
これも俺の人生だ、死ぬときはニャッて笑って旅立ちたい。
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
熟割にて絶賛発売中!
≫詳しくはこちら
広場の名物SLも昼の逞しい姿を夜は一変して青いイルミネーションに彩られ、12月の夜に相応しい出で立ちである。

家路に急ぐサラリーマンや仲間と集う軍団で広場はごった返していた。
TVマスコミは新橋にサラリーマンの聖地と言うイメージをつけた。
この新橋には大きな思い出がある。
1972年年明けから始まったレコーディングである。
「この暗い時期にも」
生田敬太郎のデビューアルバムである。
この話はライブハウス「風に吹かれて」に生田敬太郎が出演したときにも書いたが、新橋の飛行館ビルの中にあった飛行館スタジオにて一週間ぐらいであろうか、朝までレコーディングをしていた頃の話である。
レコーディングが終わり楽しみは屋台のラーメンである。
あの頃にしては珍しい豚骨ラーメンを出していた。
屋台の周りはタクシーの運転手でごった返す中で食べたあの味は一生忘れられない味であった。
スタジオから家路に向かうときに、新橋駅からクモの子を散らしたように吐き出される、グレーの鎧に身を包みひたすら戦場に向かう兵士のような彼らを見ながら、俺たちはまるで鯉の滝登りのように逆流する。
あのときの若き戦士が今、団塊の世代と言われている。
今思えば不信、不安、挫折の時代であったように思う。
戦争に行き帰って来た親父は軍国主義の呪縛から逃れたように高度成長の波に乗り「舶来バンザイ」と叫ぶ。
「これからの日本は寄らば大樹の陰だ、アメリカに続くのだ」
戦って散った同期の桜はもう、過去の遺物になってしまったのだろう。
その背中はもう信じられなくなっていた。
今回、エレック本第二弾「エレックレコードの精霊たち」が12月22日に発売される。
自分にとって始めての本である。
最初は第一弾の手助けになると思い書いたが、あまりにも文体が違うので助けにもならず続編として編集者が扱ってくれた。
エレックと自分の葛藤から倒産までの風景を描いてみた。
書いていて感じたことは振り返ったときに俺ってなんてわがままな人生を過ごして来たのかと思った。
ここで殺されても今まで勝手なことばかりやってきた俺は「いい人生だった、後悔はない」と言い切れる気がする。
来年、娘が結婚するらしい。
らしいはないだろうと怒られそうだが、何が起こるか分からないのが喜びであり苦痛でもある。
親父の背中を非難出来るほどの背中を持てたとはけして思えない。
ただ一つ自信を持てることはメンタリティーである。
比較的、俺らの時代は心の振り子を大きく振れた。
時と場面で自分を変えられる術を持てたのではないだろうか。
後三日で58歳になる。
毎日タイトロープのような場面が来る。
人と会うときに案件なしで会う事はない。
一日の酒量は前の三倍はいっている。
ストレスの影響と逃げている。
運動の量も週5日はする。
どこかでこれが帳尻と思っているのかもしれない。
自分の本が出ることは嬉しさと怖さがある。
もうこれで良いと言うことはないのである。
読み返せば悩みが増える。
今月から某TVで隔月で一時間番組をやることがほぼ決定している。
今まで経験したことのない世界に入っていく。
これも俺の人生だ、死ぬときはニャッて笑って旅立ちたい。
※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
熟割にて絶賛発売中!
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at 22:15
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富士にて 【2007年12月04日(火) 】
今週の日曜日に社員旅行、といっても4人で静岡のリバー富士カントリークラブに向かった。
富士川サービスエリアからETC専用の出口が出来て、富士インターからの道のりより30分は違う。
申し訳ないが自分は最大の雨男である、その予想は的中した。
ずっと晴天が続くが中一日雨が降った、それが月曜である。
それも他県は30%ぐらいの降水確率だが、静岡富士は降水確率70%である。
日曜日に全員が五時にカントリークラブのロッジに入り、タクシーを使い近所の松栄寿司に向かう。
この儀式は年2回で2年続いている。
松栄寿司の刺身を始めて食べたときに、刺身とはこうゆうものを言うのだといたく全員が感動した。
駿河湾からの海の幸を食すだけ食しても、値段は東京の半分もいかない。
いかに東京で我々は高くて不味いものを食べているのかと腹立たしくなる。
酒と肴を心いくまで堪能し8時頃タクシーでクラブに向かう。
途中、セブンイレブンで酒とつまみ、そして仕上げのカップ麺を買う。
これからのテーマは二つある。
日本代表チーム星野ジャパンと韓国チームとの試合である。
それと年にこのときにしかやらない麻雀である。
試合は寿司屋でも見ていたので流れはある程度分かるが、一点差での勝利はドキドキハラハラな試合であった。
このメンバーと付き合うようになってからサッカーと野球、そしてゴルフの話題が多く、ゴルフの話は出来るが野球とサッカーの話題には最初はついて行けなかった。
メンバーの二人はメチャクチャに詳しいのである。
野球でも贔屓の選手が空振りをしても「よし、いい空振りだ」と褒める。
そのくらいスポーツ好きなのである、今日の試合の勝利は三億円ジャンボが当たったくらいのパフォーマンスで喜んでいた。
そして麻雀に入るのだが、仲間内なので危険のないチョコレート合戦になる。
しかし、信じられないことがこの麻雀で起きるとは思わなかった。
メンバーの一人がリーチをかけた。
自分の手はけして良くないので降りに徹した。
二杯切れていた白を引いた。
川に流れている牌が品切れになり、白を捨てると対面から静かな声でロンと言う声が聞こえた。
嫌な予感は的中した東南西北中…と並んでいる。
国士無双、やられた。
年二回しかやらない麻雀で役満を降った。
国士無双の語源は、前漢の高祖(劉邦)に仕えた韓信の才能を、「国に二人といない、得難い人材。」と讃えた言葉であるといわれる。
よし国士無双を降ったことを良しとしようと気持ちをポジティブに変える。
半荘を二回やったが二回ともビリであった。
明日のゴルフを考え一時半には寝る準備をした。
なぜかその夜麻雀の夢を見た。
ずっとビリの夢であった。
五時間の睡眠を取り、窓から見た光景は予想以上の雨足の強さだった。
それでも1ラウンド雨の中を頑張ってプレイした。
最終ホールで雨が上がった。
これも国士無双の祟りか。
それとも雨が厄払いをしてくれたのか。
帰り道、富士川サービスエリアで力の強い富士を見た。
頂上には白い雪がもうかぶっている、おっとまた白を思い出しちまうぜ。

※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
熟割にて絶賛発売中!
≫詳しくはこちら
富士川サービスエリアからETC専用の出口が出来て、富士インターからの道のりより30分は違う。
申し訳ないが自分は最大の雨男である、その予想は的中した。
ずっと晴天が続くが中一日雨が降った、それが月曜である。
それも他県は30%ぐらいの降水確率だが、静岡富士は降水確率70%である。
日曜日に全員が五時にカントリークラブのロッジに入り、タクシーを使い近所の松栄寿司に向かう。
この儀式は年2回で2年続いている。
松栄寿司の刺身を始めて食べたときに、刺身とはこうゆうものを言うのだといたく全員が感動した。
駿河湾からの海の幸を食すだけ食しても、値段は東京の半分もいかない。
いかに東京で我々は高くて不味いものを食べているのかと腹立たしくなる。
酒と肴を心いくまで堪能し8時頃タクシーでクラブに向かう。
途中、セブンイレブンで酒とつまみ、そして仕上げのカップ麺を買う。
これからのテーマは二つある。
日本代表チーム星野ジャパンと韓国チームとの試合である。
それと年にこのときにしかやらない麻雀である。
試合は寿司屋でも見ていたので流れはある程度分かるが、一点差での勝利はドキドキハラハラな試合であった。
このメンバーと付き合うようになってからサッカーと野球、そしてゴルフの話題が多く、ゴルフの話は出来るが野球とサッカーの話題には最初はついて行けなかった。
メンバーの二人はメチャクチャに詳しいのである。
野球でも贔屓の選手が空振りをしても「よし、いい空振りだ」と褒める。
そのくらいスポーツ好きなのである、今日の試合の勝利は三億円ジャンボが当たったくらいのパフォーマンスで喜んでいた。
そして麻雀に入るのだが、仲間内なので危険のないチョコレート合戦になる。
しかし、信じられないことがこの麻雀で起きるとは思わなかった。
メンバーの一人がリーチをかけた。
自分の手はけして良くないので降りに徹した。
二杯切れていた白を引いた。
川に流れている牌が品切れになり、白を捨てると対面から静かな声でロンと言う声が聞こえた。
嫌な予感は的中した東南西北中…と並んでいる。
国士無双、やられた。
年二回しかやらない麻雀で役満を降った。
国士無双の語源は、前漢の高祖(劉邦)に仕えた韓信の才能を、「国に二人といない、得難い人材。」と讃えた言葉であるといわれる。
よし国士無双を降ったことを良しとしようと気持ちをポジティブに変える。
半荘を二回やったが二回ともビリであった。
明日のゴルフを考え一時半には寝る準備をした。
なぜかその夜麻雀の夢を見た。
ずっとビリの夢であった。
五時間の睡眠を取り、窓から見た光景は予想以上の雨足の強さだった。
それでも1ラウンド雨の中を頑張ってプレイした。
最終ホールで雨が上がった。
これも国士無双の祟りか。
それとも雨が厄払いをしてくれたのか。
帰り道、富士川サービスエリアで力の強い富士を見た。
頂上には白い雪がもうかぶっている、おっとまた白を思い出しちまうぜ。

※およそ35年前の萩原本人も登場する単行本「エレックレコードの時代」。
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