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パルテノンへ・・・ギリシャ団体旅行記5 [2008年05月06日(火) ]
 駆け足でギリシャ国立考古学博物館を見た私たち一行は、アテネ観光、というよりもギリシャ観光の白眉、アクロポリス(高い都市)にそびえ建つ、パルテノン(乙女の間)へと向かいました。

 みなさんの後ろに並んでいそいそと貸し切りバスに乗り込みながら、ふと思いま出しました。40年以上前の中学時代の修学旅行を。まくら投げしか記憶にない修学旅行でしたが。

 しかし愚生も還暦を過ぎて晩期中年者というか“初期高齢者”。冥土へ旅立つまでの新たなジンセイの出発点として、この旅は、ギリシャ文明の始学旅行、とさせていただきました。(事前に何も勉強していかなかったのは、学生時代と同じです。情けない)

 「いよいよだな」(なにがいよいよだかわかりませんが)
 ポセイドンとの競争に打ち勝ってアテネの守護神となった女神アテナの社、世界一有名な神殿への期待に気合いが入り、胸がはずんだのですが、それにしても後期高齢者とかいいう言い方、って、ヤロウども、何考えてつけたんだか、いや、何も考えてないのだろう・・・いかん。興奮してきます。



 駐車場近くには、いかにも観光地らしい馬車があり、カメラを向けると御者のおじさんがポーズをとってくれました。乗らないでごめんなさい。行動予定になくて時間がありません。



 眼前のアテネのアクロポリスは岩山で東西270m、南北156m、高さ150メートル。プロピエラ城門というのが入口、と百科辞典にありましたがついていっただけなので、よくわからないまま、世界遺産をのぼり始めました。

 世界中から観光客が来ているのでしょう。登る途中も神殿周りも人でいっぱいです。人波をかきわけるように2400余年の時を超えて青い天空にそびえ建つドリス式エンタシスの白い円柱の周りをまわってワン、とばかりに感心の声をささげたりして、わが一家も、はいポーズ。

 アクロポリス周辺に人がすみついたのは6000年前から。3300年ほど前のミケーネ時代の宮殿跡も見つかっているそうです。アテネの主神、アテナ女神に捧げられた神殿としてのパルテノンが建てられたのは紀元前447-同438年のことでした。

 それは、縦69.5m、横30.88mの床に高さ10.4mの円柱が縦17本ずつ、横8本ずつ立てられ、円柱の底面の直径は1.9m。ビザンチン時代はギリシャ正教の教会、トルコの占領時代はモスク、1687年、ベネチア軍による屋根、内陣の壁、円柱の破壊、という歴史が刻みこまれた壮大な神殿であります。


 アテナはゼウスの娘で、ゼウスの頭から鎧兜に身を包んで生まれた、と伝えられています。ですから戦争の女神でもありますが、彼女がつかさどるのは防御的な戦ばかり、と伝えられ、また知恵、技術万般の女神でもありました。

 パルテノンの北側にはイオニア式柱頭と6体のカリュアティドで知られる(そうです)エレクティオンと呼ばれる複雑な形の神殿がありました。カリュアティドとは古代ギリシャ神殿の支柱に使われた女性の像の柱。ここエレクティオンのそれはすべて複製だそうです。



 眺めているうちに、はや集合時間。さりがたき場、アクロポリスを去ったのであります。


     ※          ※          ※

 今回参考にした主な図書
 「ギリシャ案内記 上」(パウサニアス著、馬場恵二訳 岩波文庫)
 「世界史(上)」(ウィリアム・H・マクニール著 増田義郎、佐々木昭夫訳  中公文庫)
 「ギリシア・ローマ神話 ブルフィンチ作 野上弥栄子訳 岩波文庫」
 「ANCIENT ATHENS」(Eleniu Svoronou)
 「ブリタニカ国際大百科事典」(電子版)

Posted at 18:10 | 旅ギリシャ | この記事のURL
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