いろいろあったし、世の中こうだし・・・神様んとこでもお訪ねして気を取り直すべ、と伊勢参りをしてきました。神様、家の近くにもおわしますが、温泉にもつかりたいし土地の名物も食べてみたいし、景気回復へのささやかな願いも込めて遠くへ行くこともこの際、必要でしょう。
名古屋から近鉄2階建て特急のビスタカーという電車。vistaって、電子辞書で見ると展望とか眺望という英語。ビスタカーは2階建て展望列車の意の和製英語のようです。子丼は「そうでしょう。どっちも名詞だもんね」と。ふーん。
ビスタカーに乗っても悪いものは悪い。天気のことです。ならば、名古屋で弁当を買ってある。愚生は「えびふりゃー弁当」。「食べたことないから」と他のメンバー3人は「みそカツ弁当」。さすが名物、どちらも結構でした。


斎宮って?
ビスタカーの窓外左手に「斎宮」の大きな看板が見えました。
斎宮って?三重県立「斎宮歴史博物館」のホームページに詳しく出ております。
一つ気になったページをご紹介しましょう。同博物館の指導のもと、「王朝時代の食生活を偲んでいただこう」という「斎王べんとう」なる弁当があり、それが新しくなった、と明和町観光協会のホームページにありました。ご興味のある方はどうぞ。
斎宮です。
ワレワレ一行は、やがて五十鈴川駅へ。駅前、閑散としています。伊勢神宮のホームページには「神宮参拝の順路は、多くの場合まず外宮からというのが古来からのならわしです」。この駅が玄関口ではないようでした。
広大な鎮守の森、清流五十鈴川、2000年の歴史を誇る伊勢神宮というのは、ご存じの方も多いでしょうが、正式にはただ「神宮」だそうです。そして「私たちの総氏神でもある」と。
戦前は修学旅行で
そういえば同行した大切な客人は戦前「小学校の修学旅行で来たっけ。村の中で『絶対行く』といっていたのに来られなかった子もいたのは、お金が工面できなかったから。私たちも親戚からもらった小遣いをためて専用の汽車で来た。そのうち戦争が激しくなって、妹たちのときは専用列車はなくなった」と70数年前のことを思い出して話してくれました。
その辺のことを「伊勢神宮――東アジアのアマテラス」(千田稔著 中公新書)にはこうあります。
「明治になっていわゆる国家神道(戦後GHQ[連合国最高司令官総司令部]によって使われる用語である)の中核として位置づけられた伊勢神宮は国家的聖地としてのイメージを強めた。それは教育にも組み込まれ・・・」。
知りませんでした。西行が「何事のおはしますかは知らねども忝(かたじけ)なさに涙こぼるる」とまでうたったこと、その西行を追慕して芭蕉は「何の木の花とはしらず匂(にほひ)かな」と詠じた(笈の小文)こと、そしてやじさんきたさんが膝栗毛したこと、はいささか承知しておりますが、戦前、愚生が生まれる少し前のことは知りませんでした。知ってよかった。
西行の少し前に生きた道元に「峰の色谷の響も皆ながらわが釈迦牟尼の声と姿と」という歌がありますね。人知を超えた何かの存在を、動乱の世に生きた天才二人がともにうたっているところが、興味深いです。
ところで、外宮へはひとつ前の伊勢市駅が近いのですが、愚生は3年前に出張の途中外宮にお参りしたので、迷わず他の3人も道連れに内宮へ。順番を決めたい気持ちはわかります。大きな神社が二つ並んでいるわけですからどちらか一方しかお参りしないと困りますよね。
五十鈴川にかかる宇治橋を渡り、正宮でパンシロンでパンパンと2礼2拍手1礼してお参りをすませ、4重の「御垣」ごしにわずかに金色に屋根の上に輝く千木、鰹木を垣間見て、再び宇治橋を渡って宿へ向かいました。
正宮の写真は「石段の下から」との指示により、御覧の写真となっています。
帰りに撮った宇治橋からの五十鈴川です。
宿はこの先、鳥羽駅から20キロほどの相差町という漁師町にある「花の小宿 重兵衛」。こじんまりしたいい宿でした。次回ご報告します。
名古屋から近鉄2階建て特急のビスタカーという電車。vistaって、電子辞書で見ると展望とか眺望という英語。ビスタカーは2階建て展望列車の意の和製英語のようです。子丼は「そうでしょう。どっちも名詞だもんね」と。ふーん。
ビスタカーに乗っても悪いものは悪い。天気のことです。ならば、名古屋で弁当を買ってある。愚生は「えびふりゃー弁当」。「食べたことないから」と他のメンバー3人は「みそカツ弁当」。さすが名物、どちらも結構でした。


斎宮って?
ビスタカーの窓外左手に「斎宮」の大きな看板が見えました。
斎宮って?三重県立「斎宮歴史博物館」のホームページに詳しく出ております。
一つ気になったページをご紹介しましょう。同博物館の指導のもと、「王朝時代の食生活を偲んでいただこう」という「斎王べんとう」なる弁当があり、それが新しくなった、と明和町観光協会のホームページにありました。ご興味のある方はどうぞ。
斎宮です。
ワレワレ一行は、やがて五十鈴川駅へ。駅前、閑散としています。伊勢神宮のホームページには「神宮参拝の順路は、多くの場合まず外宮からというのが古来からのならわしです」。この駅が玄関口ではないようでした。
広大な鎮守の森、清流五十鈴川、2000年の歴史を誇る伊勢神宮というのは、ご存じの方も多いでしょうが、正式にはただ「神宮」だそうです。そして「私たちの総氏神でもある」と。
戦前は修学旅行で
そういえば同行した大切な客人は戦前「小学校の修学旅行で来たっけ。村の中で『絶対行く』といっていたのに来られなかった子もいたのは、お金が工面できなかったから。私たちも親戚からもらった小遣いをためて専用の汽車で来た。そのうち戦争が激しくなって、妹たちのときは専用列車はなくなった」と70数年前のことを思い出して話してくれました。
その辺のことを「伊勢神宮――東アジアのアマテラス」(千田稔著 中公新書)にはこうあります。
「明治になっていわゆる国家神道(戦後GHQ[連合国最高司令官総司令部]によって使われる用語である)の中核として位置づけられた伊勢神宮は国家的聖地としてのイメージを強めた。それは教育にも組み込まれ・・・」。
知りませんでした。西行が「何事のおはしますかは知らねども忝(かたじけ)なさに涙こぼるる」とまでうたったこと、その西行を追慕して芭蕉は「何の木の花とはしらず匂(にほひ)かな」と詠じた(笈の小文)こと、そしてやじさんきたさんが膝栗毛したこと、はいささか承知しておりますが、戦前、愚生が生まれる少し前のことは知りませんでした。知ってよかった。
西行の少し前に生きた道元に「峰の色谷の響も皆ながらわが釈迦牟尼の声と姿と」という歌がありますね。人知を超えた何かの存在を、動乱の世に生きた天才二人がともにうたっているところが、興味深いです。
ところで、外宮へはひとつ前の伊勢市駅が近いのですが、愚生は3年前に出張の途中外宮にお参りしたので、迷わず他の3人も道連れに内宮へ。順番を決めたい気持ちはわかります。大きな神社が二つ並んでいるわけですからどちらか一方しかお参りしないと困りますよね。
五十鈴川にかかる宇治橋を渡り、正宮でパンシロンでパンパンと2礼2拍手1礼してお参りをすませ、4重の「御垣」ごしにわずかに金色に屋根の上に輝く千木、鰹木を垣間見て、再び宇治橋を渡って宿へ向かいました。
正宮の写真は「石段の下から」との指示により、御覧の写真となっています。
帰りに撮った宇治橋からの五十鈴川です。
宿はこの先、鳥羽駅から20キロほどの相差町という漁師町にある「花の小宿 重兵衛」。こじんまりしたいい宿でした。次回ご報告します。




私も奈良へ行ってみたい、高野山も行きたい、熊野古道も歩きたい・・・きりがありません。hurryさんの旅はとても楽しそうですね。