「悲しみ」が突然やってきました。逃げるわけにもいかず「こんにちは」とあいさつしました。やってきた理由はこうです。
携帯電話をDOCOMOからAUに変えました。機種は簡単な操作がウリの最新薄型、というより無料だったからです。その時、「保健証をコピーしてもいいですか」と担当のお嬢さんが言ったので「いやですけど、しょうがないでしょう。でもコピーの根拠は何ですか」と困らせました。
こうした苦労の末(どっちが?)の5年ぶりの新機種。それが翌朝胸ポケットからポチャリ。そのときの驚愕、悲しみ、惨めさ・・・啄木の一握の砂(我なきぬれて蟹とたわむる)どころではありません。
だいいち蟹は食べるものです。蟹と戯れるとはさまれます。(思い出して興奮気味です)
翌日買ったところでお嬢さんに「買うしかないよね」というと見下された、あるいは一瞬噴出しそうな(と感じました)しかし、つつましやかな笑みを浮かべて、言いました。
「一年以内なら10,000円ちょっとで同じ機種をご購入できます」
本当はその何倍かするのでしょう。買いました。
だーれのせいでもありゃしない みんなおいらが悪いのさ
とても悲しいできごとでした。
※ ※ ※
拙ブログの見出しにとった「悲しみよこんにちは」はご存知、フランソワーズ・サガン18歳のときの初めての作品で、世界中のベストセラー。これを機に「朝吹登美子訳 新潮文庫」で読みました。
南フランスのまばゆいばかりに輝く海(でしょう)と白い別荘を舞台に、17歳の少女セシルが、別荘にやってきた気品ある、美人で聡明な女性、アンヌ=女たらしの父の婚約者=を追い詰めていく話、でした。
若さという傲慢さから人の心をもてあそび、最後は筋書き通りというか、筋書き以上のアンヌの悲劇。セシルに悲しみが「こんにちは」とやってきたのは、彼女にとっても想定外のことでした。
しかしアンヌが恋愛についてセシルにこんな話をしていたのは伏線でしょう。
「そこには絶え間ない愛情、優しさ、ある人の不在を強く感じること」
セシールカットがはやり、映画で主人公を演じたジーン・セバーグに、憧れの西洋の美少女を見たのは小学校のとき。
それから半世紀近くたって初めて読んだその本は、絶対に「こんにちは」したくない「悲しみ」があること、それを自分自身が招きかねないことを改めて教えてくれました。
そして実はすでに招いたことがあるのではないか、という不安も。
・・・買い物にでもいくか。




さくら様のブログ、拝見しました。この題が恥ずかしくなりました。
次回は・・・もう持つのやめちゃかも。携帯、ご教示ありがとうございました。