子供時代、田舎にいくとお墓が家の裏山にあったり、田んぼの真中にあったりすることが大変不思議に思えました。
「田舎に於ては、すべての人人が先祖と共に生活している。・・・あらゆるすべての生命が、同じ家族の血すじであって、冬のさびしい墓地の丘で、彼らの不滅の先祖と共に、一つの霊魂と共に生活している」
先日読んだ萩原朔太郎の「田舎の時計」というエッセイからの抜粋です。70年以上前の田舎のことで、私が経験したことのない、濃密な地縁血縁の世界。そこでは生者と死者とが隣り合わせのようにいる。
それは不思議でもなんでもなかったのだ、と同書で気付いたしだいです。
トップの写真は、そういうわけでずっと気になっていた「先祖と共に、一つの霊魂と共に生活している」風景を、何とか撮影できた初めての写真です。先週初めに角館付近で秋田新幹線の車窓から撮りました。
私の父や祖母の墓は家から遠い富士の裾野です。死後のことは私自身についてはどうこういう気はありませんが、懐かしい人々の墓はこの写真のように身近に感じられる場所にあればなあ、と思うのは今や贅沢な思いなのでしょう。
※ ※ ※
下の写真はホヤです。盛岡で一泊して会社の大先輩たちにごちそうになりました。やわらかくて歯ごたえがある食感と香りがなんともいえません。山菜もいただきました。しどけ、こごみ、うど等々。本場秋田の市場には天然ものが山のように出回っていました。次回ご報告します。
上の写真は盛岡城の城壁と枝垂れ桜です。
なおホヤは初任地、仙台で35年前に初めて食べました。老夫婦の自宅のような店で客は私一人。
「息子が東京にいてね」
「ホヤそうですか。私も入社したてのホヤホヤ社員です」
「ホヤ まあ」
生物の教科書で「原索動物」とは知っておりましたが、こういう食べ物とは・・・とてもおいしくて丼いっぱいいただきました。
大先輩、そしておじいさん、おばあさん、ご馳走様でした。
追記
牧師でエッセイストの太田愛人さんが「羊飼の食卓」(中公文庫)のなかでこう書いています。
遠野へ行く人に「ホヤとシドケを必ず食うように」と。それは「岩手県でなければ食えない、春の珍味なのだ。しかもどちらも独特の匂いを持つ山と海の食物である」。




