はじめに
この記事は、前にお読みいただいた方には申し訳ありませんが、すでにここで「ソ連」のカテゴリーでご紹介したものを、再構成したものです。再掲出するにあたり「ソ連」のカテゴリーでの掲出記事は近く消去します。
毎回3話分くらいをまとめて掲出していくつもりで、多分15-20話位に膨らみそうです。
しかしなにぶん昔の話なので、間違いもあることと思います。ご指摘いただければありがたいです。
また写真は私が写したものですが、著作権は私にはありません。しかし時々、短時間だけ見ていただきたいな、と思っています。
それではご興味のある方はぜひおこしください。
「えーっつ」 アムール湿原紀行 1991年その1
タンチョウの子育てを見に行こう。
動物園ですか。
いや、遠くだ。
じゃ釧路湿原?いいですね。
もっと遠く、ソ連だよ。
えーっつ
ちょっと待ってください。ソ連といってもめちゃ広うござんすが?
アムール州の大湿地帯。もう決めたから。君と行くことを。
えーっつ
君と行くったって、男同士なのにー
かねがね人事と仕事を断るのは辞表を出すときのみ、と思っていた(かな?)手前、叫び声は心のうちです。しかし普通の体力、気力、意欲、容姿?の中年(当時44歳)が、なんでー なんでー。
だいいちタンチョウなら北海道で見られるし、政情不穏の中、行きたいわけがありません。でも拒否する理由も浮かばず、行ったっち。
同行というか、私を誘った方は54歳。年齢は問題ではありません。タフさにおいては圧倒的な実績をお持ちの先輩でありんす。だからこそ余計しりごみするのです。
動植物のオンパレード地帯 アムール湿原紀行 1991年その2
時に1991年6月。その年の暮れにゴルバチョフ大統領が辞任して1922年以来のソビエト連邦は崩壊し、ロシアなどの国々になりました。
目的地はアムール川中流域のヒンガンスキー自然保護区。当時の第一級国の自然保護区、とのことでした。熊、イノシシ、鹿、狼、山猫もいる地域で、熊は日本のツキノワグマとヒグマの両方がいて、昔は虎もいたそうです。
でも、大きいゆえに怖い、というわけでもないことを、この旅は教えてくれました。
旅の期間は3週間。現地滞在は2週間。決めたら前向きにしなきゃ損損−阿波踊りと同じ(どこが?)−です。二度と訪れる機会はない、と当時流行った京セラのサムライというズームレンズ付きハーフサイズカメラで、メモ代わりに手当たりしだい写しました。
あまりにも非日常の世界の体験だけに、いつかどこかに書いて残しておきたい、と思っていました。
デルスーとの出会い アムール湿原紀行 1991年その3
旅は体力があれば楽しいですが、なぜ楽しいのか、と考えるとなかなか難しいものがありますよね。私なんぞは新しいこと、もの、人に出会い、知らない料理と酒と酒場が何より楽しいのですが、哲学者の土屋恵一郎氏はこう書いています。
「旅行は、異なる場所の体験であり、異なるコスモスの間を往還することで、世界の多様性と私が帰属する世界の意味を知ることである」(宗教とは何か 中村雄二郎著 岩波現代文庫解説 旅する者の宗教論より)
難しく考えなくても、とも思いますが「なら紹介するなよ」と自問自答。
今回の旅先は何しろソ連。言葉もできないし、現地の信頼できる情報はほとんど、というよりまったくありませんでした。図書館などには「今日のソ連邦」という国のPR誌がありましたが、きれいな写真を見る程度。
そこで数十冊、ソ連極東の出版物、小説などを読みました。気候風土、環境、湿地のこと・・・中でも面白かったのがデルスー・ウザーラ(アルセーニエフ著)でした。
北海道の対面、沿海州の大山脈、シホテアリニ山脈を舞台に老猟師デルスーとインテリ軍人、アルセーニエフとが極東の探検を通して交わした心の記録です。
虎か狼か、猪かアムール豹かあるいは鹿か・・・テントの周りに近づく獣の気配に一人緊張して過ごす夜を日常としていた当時の猟師の一人だったデルスーは、虎にあとをつけられたとき、話しかけました。
「なに、おまえ、ほしい、アンバ(虎)よ・・・」
彼は虎をはずかしめて、逃げ出さしたのである。
(「デルスー・ウザーラ 上」ウラジーミル・アルセーニエフ 長谷川四郎訳 河出文庫)
獣も鳥も虫も魚も、そして流れる水さえもヒトとして見る、語りかけるデルスー。山の神、道祖神、竈の神などに祈り、感謝してきたかつての日本人と重なる部分があり、目から鱗の大自然記として、以後何度も読み直しました。結末は悲しいのですが。
この記事は、前にお読みいただいた方には申し訳ありませんが、すでにここで「ソ連」のカテゴリーでご紹介したものを、再構成したものです。再掲出するにあたり「ソ連」のカテゴリーでの掲出記事は近く消去します。
毎回3話分くらいをまとめて掲出していくつもりで、多分15-20話位に膨らみそうです。
しかしなにぶん昔の話なので、間違いもあることと思います。ご指摘いただければありがたいです。
また写真は私が写したものですが、著作権は私にはありません。しかし時々、短時間だけ見ていただきたいな、と思っています。
それではご興味のある方はぜひおこしください。
「えーっつ」 アムール湿原紀行 1991年その1
タンチョウの子育てを見に行こう。
動物園ですか。
いや、遠くだ。
じゃ釧路湿原?いいですね。
もっと遠く、ソ連だよ。
えーっつ
ちょっと待ってください。ソ連といってもめちゃ広うござんすが?
アムール州の大湿地帯。もう決めたから。君と行くことを。
えーっつ
君と行くったって、男同士なのにー
かねがね人事と仕事を断るのは辞表を出すときのみ、と思っていた(かな?)手前、叫び声は心のうちです。しかし普通の体力、気力、意欲、容姿?の中年(当時44歳)が、なんでー なんでー。
だいいちタンチョウなら北海道で見られるし、政情不穏の中、行きたいわけがありません。でも拒否する理由も浮かばず、行ったっち。
同行というか、私を誘った方は54歳。年齢は問題ではありません。タフさにおいては圧倒的な実績をお持ちの先輩でありんす。だからこそ余計しりごみするのです。
動植物のオンパレード地帯 アムール湿原紀行 1991年その2
時に1991年6月。その年の暮れにゴルバチョフ大統領が辞任して1922年以来のソビエト連邦は崩壊し、ロシアなどの国々になりました。
目的地はアムール川中流域のヒンガンスキー自然保護区。当時の第一級国の自然保護区、とのことでした。熊、イノシシ、鹿、狼、山猫もいる地域で、熊は日本のツキノワグマとヒグマの両方がいて、昔は虎もいたそうです。
でも、大きいゆえに怖い、というわけでもないことを、この旅は教えてくれました。
旅の期間は3週間。現地滞在は2週間。決めたら前向きにしなきゃ損損−阿波踊りと同じ(どこが?)−です。二度と訪れる機会はない、と当時流行った京セラのサムライというズームレンズ付きハーフサイズカメラで、メモ代わりに手当たりしだい写しました。
あまりにも非日常の世界の体験だけに、いつかどこかに書いて残しておきたい、と思っていました。
デルスーとの出会い アムール湿原紀行 1991年その3
旅は体力があれば楽しいですが、なぜ楽しいのか、と考えるとなかなか難しいものがありますよね。私なんぞは新しいこと、もの、人に出会い、知らない料理と酒と酒場が何より楽しいのですが、哲学者の土屋恵一郎氏はこう書いています。
「旅行は、異なる場所の体験であり、異なるコスモスの間を往還することで、世界の多様性と私が帰属する世界の意味を知ることである」(宗教とは何か 中村雄二郎著 岩波現代文庫解説 旅する者の宗教論より)
難しく考えなくても、とも思いますが「なら紹介するなよ」と自問自答。
今回の旅先は何しろソ連。言葉もできないし、現地の信頼できる情報はほとんど、というよりまったくありませんでした。図書館などには「今日のソ連邦」という国のPR誌がありましたが、きれいな写真を見る程度。
そこで数十冊、ソ連極東の出版物、小説などを読みました。気候風土、環境、湿地のこと・・・中でも面白かったのがデルスー・ウザーラ(アルセーニエフ著)でした。
北海道の対面、沿海州の大山脈、シホテアリニ山脈を舞台に老猟師デルスーとインテリ軍人、アルセーニエフとが極東の探検を通して交わした心の記録です。
虎か狼か、猪かアムール豹かあるいは鹿か・・・テントの周りに近づく獣の気配に一人緊張して過ごす夜を日常としていた当時の猟師の一人だったデルスーは、虎にあとをつけられたとき、話しかけました。
「なに、おまえ、ほしい、アンバ(虎)よ・・・」
彼は虎をはずかしめて、逃げ出さしたのである。
(「デルスー・ウザーラ 上」ウラジーミル・アルセーニエフ 長谷川四郎訳 河出文庫)
獣も鳥も虫も魚も、そして流れる水さえもヒトとして見る、語りかけるデルスー。山の神、道祖神、竈の神などに祈り、感謝してきたかつての日本人と重なる部分があり、目から鱗の大自然記として、以後何度も読み直しました。結末は悲しいのですが。



すみません。地図も写真もなくてわかりにくくて。
何しろ「こんなところへいきました。大変だったけどとてもよかったです」といいたくて書いてます。ひとりよがりです。
出張と酒とでいただいたコメントへのコメント、遅くなってこれまたすみません。