(左に研究小屋。タンチョウの巣は右下の先の湿原にある)
タンチョウの巣のそばのテントに白旗が上がり、アンドロノフ博士が6年間待っていた日がきた。嵐が通ったり雨模様の不安定な日だったが、静かな興奮が湖のほとりの研究小屋に満ちている。
「卵にヒョウの害があるかどうか気になる。なければ明日朝からヒナが卵から出始める」と博士。「アラシコ」「アラシコ」と誰かが言う。日本語の嵐の子、と名付けるそうだ。
前祝はラーメンで
午後5時30分、女性研究者がタンポポの葉をナイフで刻む。サラダの材料はほかに菜園のホースラディッシュとニンニク。マヨネーズで和えただけだが、シャキシャキとおいしい。
メインディッシュは、我々が日本から持ち込んだインスタントラーメン。アラシコ誕生の前祝である。この日のインスタントラーメンは、久しぶりのせいか「こんなにもおいしいものか」と感激した。ロシア人たちの評判もよく「もっとスープを」とイワノビッチ監督。
午後6時30分、ラーメンディナー終了。アンドロノフ博士とカメラマンのペトロフ氏が巣への出発の準備を始めた。ペトロフ氏は300ミリのキャノンの望遠レンズを持っていく。時に腰までつかる湿地を真っ暗の夜に歩かなければならないのだからそれだけでも危険だが、まして重いカメラを担いでいくのはかなり危険だ。
(こんな湿原を夜中に歩くのは危険だ)
仕事とは
午後9時、また雷雨。風も強い大嵐だ。稲妻が走る。窓越しに室内が瞬間明るくなる。20秒後に雷鳴が轟いた。
出発準備を整えた2人がラジオの天気予報を真剣に聞いて今夜のスケジュールを調整している。それにしてもまっ黒な雲がちぎれるように飛んでいく。マクベスの嵐もかくや、というくらいの風と雨と雷と。
午後10時
「少しおさまった。行こうか」と博士。
「よし」とペトロフ氏。
懐中電灯のチェックをする。みんな口が重い。
「本当に行くのか」と聞くと「ダー」。
仕事とは こういうものだ。彼らはやることは少し雑だが意思が強い。
午後10時15分、「カモン」とリュックサック3つに機材を入れて二人が出発した。暗い湖面からボートを漕ぐ音が聞こえてくる。たばこの火が赤く輝いた。
風が冷たい。「寒い」とイワノビッチ監督が室内に入ってきた。ロマン青年は疲れたのか午後8時ころから寝ている。通訳がきついのだろう。
ボロージャ氏は何事もないかのように、ロウソクの灯の下で分厚い本を読んでいる。
ローソクは小屋の目印でもある。手慣れたものだ。風は相変わらず強いが星が出ている。
誕生記念日
午後11時30分、ペトロフ氏と交代したドクターの元気な声が聞こえる。アンドロノフ博士も巣のそばのテントから帰って来た。以下ドクターの話。
「嵐が来る1時間前からオスが懸命に巣を高くし、ヒョウが降っているあいだは眼を閉じて懸命に卵を守っていた。午後5時ちょうどにヒナの声が聞こえ、親がクルクルクルーと何かを教えていた。その声がだんだん大きくなった」
チックはその22時間前に始まっていたのだろう。大嵐の日は、無事アラシコが誕生した記念すべき日となった。1991年6月9日のことだった。























あってたまるか 










