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ペロポネソス半島・コリントス運河・・・ギリシャ団体旅行記8 [2008年05月18日(日) ]
 ギリシャの実質的な旅2日目の3月28日(金)は、あいにくの氷雨。ギリシャって、南欧的なイメージですが、この時期かなり寒いのです。
 午前8時のホテル出発。我が一家は、遅刻こそしませんでしたが、バスに乗り込んだ最後でした。この傾向は、ずっと続き、愚生はがらにもなく、アテネとその郊外の森で繰り広げられるシェイクスピアの喜劇、「真夏の夜の夢」のボトムなる登場人物を知ることになったのです。
 が、その話は改めてご報告。今回はまずペロポネソス半島への入口、コリントス運河の見物に、一路向かいましょう。



 アテネからバスで約90キロ。ペロポネソス半島とバルカン半島との境目がコリントス地峡。往時、陸路で行くならここを通るしかありませんでした。ペロポネソス戦争(BC431年−同404年 )で、当時ギリシャ世界最強の陸軍国、スパルタを中心としたスパルタ連合の重装歩兵がアテナイ帝国へ攻め込み、後にアレキサンドロス大王の精鋭が駆け抜けたであろう、その地峡にスパッと切りこんでいるのがコリントス運河です。

 上から見ると、まるで鋭利な刃物でそぎ落としたように見えます。地層がずれているのは断層でしょう。としたら大地震が何回も起きている地域ですね。

 運河は全長6,343m、幅23m。コリントス地峡は中央部の標高90メートル。
「この距離なら、この高さなら掘れそう」、と紀元前7世紀から地峡を切断しようという試みがあったそうですが、実際に着手したのは、かのローマ皇帝ネロだけ。
 「多数の兵士やユダヤ人捕虜6000名を含む囚人を投入して工事を始めたが、途中で挫折」とギリシャ案内記(下)(パウサニアス著、馬場恵二訳 岩波文庫)の訳注にあります。

 運河が開通したのはそれから1800余年後の1893年。アドリア海からアテネまでの航路は300キロも短くなりました、と手持ちの電子版「○○○○○国際大百科事典」。

 ところで、同事典でコリントス運河を調べていたら「コリント運河 全長6.4m、幅22m、深さ8m」になっていました。短すぎませんか。kが抜けているのです。コリントという地名もコリントスだったりコリンソスになっていたり。電子版をつくるのは大変でしょうが、辞書や事典、辞典は正確さが命です。

 結局ギリシャ政府観光局のホームページの表記「コリントス運河」としました。ネットからの引用もなるべくしないことにしているのですが、政府のサイトなど一部利用しています。

 この日から、現地ガイドはK下さん。
 「ギリシャの観光業者は、日本人観光客は丁寧で静かできれい好き。ゴミを捨てない。すばらしいと言ってます。修道院の人たちも、日本人はクリスチャン以上に丁寧に見ていく、と感激しています。そういうみんながいい気分でいられるような旅行をこの旅でもしていただきましょう」

 こそばゆい思いですが、確かにこの旅でご一緒させていただいた方々は、落ち着いた常識も人生経験も豊かな方々。本当に楽しく旅をさせていただきました。



 写真は運河脇の土産物店のトイレの前の風景です。オレンジに見えますが、ネレンジというのもあるとかで、どちらかわかりません。ここのトイレは便座がなかったり鍵がかからなかったりだったとか。男性用は、どこもそうでしたが脚の短い愚生には、子供用があるとほっとしました。

Posted at 01:51 | 旅 ギリシャ | この記事のURL
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スニオン岬・・・ギリシャ団体旅行記7 [2008年05月15日(木) ]


 エーゲ海は青いもの、とばかり思っていたら、そうとは限らないのですね。沈む夕日に感激して「ワイン色に染まる海」とかのホメロスがうたったのは、スニオン岬の海。19世紀のイギリスの詩人でギリシャ独立戦争にも従軍したというバイロンも、大好きな場所だったというスニオン岬のポセイドン神殿。柱にはバイロンの落書きというかサインがある、とのことでしたがどこかわかりませんでした。ガイドのJさんは「本当にバイロンがかいたのかは、わかりません」。


 
 神殿が建てられたのは紀元前444年ころ。紀元2世紀後半の「ギリシャ案内記」(岩波文庫、馬場恵二訳)では著者アウサニアスがその冒頭でこう紹介しています。



 「ギリシャ本土からキュクラデス諸島とエーゲ海に向かって突き出しているのがアッティカ地方のスニオン岬である・・・その岬の頂のアテナ・スニアスの神殿が見えてくる」と。

 しかしこれは間違いで、アテナ・スニアスの神殿はすぐ近くにあり、岬の神殿はポセイドン神殿だったことが、19世紀になってわかったそうです(同書) 聖域は紀元1世紀には放棄されて柱だけの廃墟と化していったらしく、したがって後世の船乗りたちからは「柱岬」と呼ばれていた、と。無粋な呼び名ではありますが、確かに分かりやすいですね。

 しかし、もちろんただの柱ではありません。何といっても築後2450余年。「ラウレイオンのアグリレザの大理石で作られており、溝は強風による風化を避けるため普通の20本より少ない16本となっている」(世界の大遺跡5 エーゲとギリシアの文明 講談社)。

 溝の数を減らしている、とは、設計者は一体何年間もたそうと思っていたのでしょうか。神様の社ですから永遠にかもしれませんね。

 アテネにもどって、夕食はギリシャ風前菜(タラモサラダ、ザジキ=キューリのヨーグルト和え、ナスのペースト)、
 


サラダ、スズキのオーブン焼きとライス。おいしかったです。

 

Posted at 20:13 | 旅 ギリシャ | この記事のURL
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スニオン岬へ・・・ギリシャ団体旅行記6 [2008年05月07日(水) ]
 この旅の楽しみは、7か所の世界遺産を八日間かけてバスでくるくると回ることです。ということは、みなさん遺跡ファン、ということです。エンちゃんもそうでした。

 「遺跡はいいですね。ギリシャは3回目です」
 エンちゃん。
 初日の昼食で同じテーブルになった、一人参加の方ですが、その明るい人柄と真摯な生き方、いたずら小僧的なやんちゃぶりを時々発揮して、私たち一家の旅の味わいを一層深いものにしてくれました。

 のみならず、大変な専門知識、技術をお持ちになり、愚生の体調を整えてくれたありがたい同行者でもありました。しかも愚生と同じ大学出身かつ生年は丸1年若い同月同日生まれ。奇遇であります。
 その節もその後もお世話になり、ありがとうございました。エンちゃんとこの場で呼ばせていただくのも、心からの親しみを込めてのことであります。
 
 
 昼食は、繁華街プラカ地区の「TO HANI」というレストランでファソラキア(インゲン豆のトマト煮)、ギリシャサラダ、牛肉とパスタ、ケーキ。
 エジプト旅行の際の生野菜でお腹を壊したことがある、というエンちゃんは「サラダはミネラルウォーターでしゃぶしゃぶと洗ったほうがいいですよ」と。家人はそうしましたが、愚生はその時もそれからもしませんでした。

 結果としてどうということはありませんでしたが、そのほかにも健康に関する豊富な知識を折にふれて教えていただきました。
 エンちゃんのひとり旅にはそれなりのわけがあるのですが、男親として、彼のこの気持はよーくわかりました。

 話が弾んだ初めての昼食を終えてみやげ物などを見て一行はみたび車上の人となりました。



 上の写真の目玉のアクセサリーは、みやげ物店によくありました。イビル・アイ(邪視)の呪術から生まれたであろうアクセサリーで、「悪魔たちをしりぞけるために、眼をかたどった文様のあるものを身につけたりすることは、各地の文化でひろく行われること」(吉田光邦著、文様の博物誌 同朋社1985年)だそうです。

 ところで、この地域、みやげ物店や風情あるレストランが軒を並べていて旅行者にとってはとても楽しい街なのですが、外務省海外安全ホームページにはかくあります。

 「中でもアクロポリス(パルテノン神殿)一帯を指すプラカ地区やシンタグマ広場(エルムー通り)などでは、スリ、置き引き、ひったくりなどの盗難被害が多発しています。」
 詳しくは同ホームページをご覧ください。

 さて、満腹した一行が目指すは、アテネの東方約70`。エーゲ海に突き出たスニオン岬であります。
 車窓の右手にはやがて見たこともないのに「青い」という形容詞しか浮かばない憧れのエーゲ海。しかし、多島海の絶景のその前に、何か深い意味のあると思える、ギリシャ正教会のミニチュア。旅の途中、随所の道路わきでで見かけました。
 それは「ここで事故で亡くなった家族の慰霊ために遺族が建てたものです」。

 説明を聞いて再び目を転じると、いっそう青みが増したように見えた海と空の間に割って入るスニオン岬。もうすぐです。



 

Posted at 18:40 | 旅 ギリシャ | この記事のURL
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パルテノンへ・・・ギリシャ団体旅行記5 [2008年05月06日(火) ]
 駆け足でギリシャ国立考古学博物館を見た私たち一行は、アテネ観光、というよりもギリシャ観光の白眉、アクロポリス(高い都市)にそびえ建つ、パルテノン(乙女の間)へと向かいました。

 みなさんの後ろに並んでいそいそと貸し切りバスに乗り込みながら、ふと思いま出しました。40年以上前の中学時代の修学旅行を。まくら投げしか記憶にない修学旅行でしたが。

 しかし愚生も還暦を過ぎて晩期中年者というか“初期高齢者”。冥土へ旅立つまでの新たなジンセイの出発点として、この旅は、ギリシャ文明の始学旅行、とさせていただきました。(事前に何も勉強していかなかったのは、学生時代と同じです。情けない)

 「いよいよだな」(なにがいよいよだかわかりませんが)
 ポセイドンとの競争に打ち勝ってアテネの守護神となった女神アテナの社、世界一有名な神殿への期待に気合いが入り、胸がはずんだのですが、それにしても後期高齢者とかいいう言い方、って、ヤロウども、何考えてつけたんだか、いや、何も考えてないのだろう・・・いかん。興奮してきます。



 駐車場近くには、いかにも観光地らしい馬車があり、カメラを向けると御者のおじさんがポーズをとってくれました。乗らないでごめんなさい。行動予定になくて時間がありません。



 眼前のアテネのアクロポリスは岩山で東西270m、南北156m、高さ150メートル。プロピエラ城門というのが入口、と百科辞典にありましたがついていっただけなので、よくわからないまま、世界遺産をのぼり始めました。

 世界中から観光客が来ているのでしょう。登る途中も神殿周りも人でいっぱいです。人波をかきわけるように2400余年の時を超えて青い天空にそびえ建つドリス式エンタシスの白い円柱の周りをまわってワン、とばかりに感心の声をささげたりして、わが一家も、はいポーズ。

 アクロポリス周辺に人がすみついたのは6000年前から。3300年ほど前のミケーネ時代の宮殿跡も見つかっているそうです。アテネの主神、アテナ女神に捧げられた神殿としてのパルテノンが建てられたのは紀元前447-同438年のことでした。

 それは、縦69.5m、横30.88mの床に高さ10.4mの円柱が縦17本ずつ、横8本ずつ立てられ、円柱の底面の直径は1.9m。ビザンチン時代はギリシャ正教の教会、トルコの占領時代はモスク、1687年、ベネチア軍による屋根、内陣の壁、円柱の破壊、という歴史が刻みこまれた壮大な神殿であります。


 アテナはゼウスの娘で、ゼウスの頭から鎧兜に身を包んで生まれた、と伝えられています。ですから戦争の女神でもありますが、彼女がつかさどるのは防御的な戦ばかり、と伝えられ、また知恵、技術万般の女神でもありました。

 パルテノンの北側にはイオニア式柱頭と6体のカリュアティドで知られる(そうです)エレクティオンと呼ばれる複雑な形の神殿がありました。カリュアティドとは古代ギリシャ神殿の支柱に使われた女性の像の柱。ここエレクティオンのそれはすべて複製だそうです。



 眺めているうちに、はや集合時間。さりがたき場、アクロポリスを去ったのであります。


     ※          ※          ※

 今回参考にした主な図書
 「ギリシャ案内記 上」(パウサニアス著、馬場恵二訳 岩波文庫)
 「世界史(上)」(ウィリアム・H・マクニール著 増田義郎、佐々木昭夫訳  中公文庫)
 「ギリシア・ローマ神話 ブルフィンチ作 野上弥栄子訳 岩波文庫」
 「ANCIENT ATHENS」(Eleniu Svoronou)
 「ブリタニカ国際大百科事典」(電子版)

Posted at 18:10 | 旅 ギリシャ | この記事のURL
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金に託した永遠の命・・・ギリシャ団体旅行記4 [2008年04月29日(火) ]
 アテネのギリシャ国立考古学博物館、駆け足で見た中で、もう一つ、これはご紹介しなければ、と思ったのが、まだありました。かのシュリーマンが発掘した、ミケーネ遺跡(世界遺産です)の円形墓地から出土した黄金のマスクです。

 金といえば、成り金とか金ぴか、とか、金○○、とか縁のない我ら(我だけかな)は多少でも縁のある衆生を攻撃いたしますが、なに、本音は・・・
 黄金のマスク。本当にあったのです。ここに。許せなーい。しかも周りの装飾品も金、金、金のオンパレード。そこで思いました。デスマスクの主たちは金に何を託したのか、を。




 金は腐りません。王水にしか溶けません。地上で一番重い元素でもあります。そうした希少価値とあの輝き、このきらめき。
そこで思うに、マスクの主は、支配者としての力を誇示すべく、デスマスクや装飾品という形で、それも富と権力の象徴たる金に託して、永遠に伝えるメッセージとしたのではないか、と。

 もとよりど素人の、とっさの思い付き。根拠は何もありませんが、こうして、かたや膨れ上がり、かたや細面の生前そのままに目を閉じて永遠の眠りについたかに見える黄金のマスクを見ていると、三千数百年前の彼らのメッセージが、シュリーマンにまさに伝わった、との思いがふと横切ったのでありました。
 
 日本だって、金閣寺や桃山時代の障壁画には金がふんだんに使われていましたよね。自宅の庭にアポロン像を置いていた作家の三島由紀夫が「わが室内装飾」にこう書いているそうです。

 日本人の美学は、金ぴか趣味を失ってから衰弱してきた、といふのが私の考へである。
            (鶴岡真弓 「装飾する魂」平凡社より)

 なるほど金ぴかに憧れて何が悪い、と時と場合によってははっきりいう一つのよりどころをいただいた思いです。


                     

 先週末、かつてのご同輩、Y上さん、M戸君、T橋K子さんと4人で銀座は泰明庵で旧交を温めました。アルトサックスに夢中のY上さんは「吹き方が強すぎるんだって」と相変わらず攻めの人生。M戸君は「あこがれの泰明庵で飲める幸せ」を4杯のコップ酒で決意表明、グルメのT橋さんは、手作りアップルパイをお土産に我らに持たせてくれました。



 金色に輝いてかつみごとにシンプルな外観はてだれの業。しかもおいしさ充満。お忙しいのにわざわざつくっていただきすみません。一家3人でごちそうさまでしたー
 
 わが人生、黄金に託さなくてもそこそこ幸せで満たされる時があります。

Posted at 01:23 | 旅 ギリシャ | この記事のURL
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博物館で身につまされること・・・ギリシャ団体旅行記3 [2008年04月23日(水) ]
 前置きが長くなりました。ギリシャ物見遊山の“一番札所”、アテネ国立考古学博物館。ツアー参加者は22人、平均年齢は愚生前後、か、やや上かと。日本語が堪能なギリシャ人女性ガイドのJさんが、バスの車内で事前の注意をかく申しわたしました。
 「フラッシュはだめです。像と並んで一緒に撮るのを禁止している博物館もあります。ふざけてとるのはダメ、というところもあります」
 
神様ですからね。はい。

 「この像は、紀元前7-6世紀の作。ポセイドン神殿から出ました。アルカイックスマイルの若者像で、カールした髪と片足を前に出している特徴があります」



 アルカイック・・・ギリシャ語のアルケー「古い」「大初の」に由来する言葉、と辞書にありました。なんで微笑んでいるのか、おおいに疑問ではありますが、見ているだけでは失礼なので、こちらもつい笑みで返しました。日希交流、というほどでもありませんが。

 「これは紀元前5世紀のブロンズのポセイドン像。エリート芸術家のマスターピースです。100年前にエーゲ海の海底から見つかりました」
 均整のとれた、素晴らしいお体であります。



 
 そして躍動する馬とそれにまたがる黒人の像は「50年前にエーゲ海から見つかりました」紀元前4世紀、マケドニアのアレクサンダー大王がアフリカからインドまでの大帝国を築いた時代のもので、アフリカから黒人を奴隷としてつれてきたことがわかる、とのことでした。
 時空を一気に超えて、心はアレキサンダーの世界、ではなくて、少年に見える馬上の黒人は、どんな気持ちだったのだろうか、と思うほどリアルにできておりました。


 
 比較的小ぶりながら足を止めずにはいられなかったのが、アフロディーテ(ビーナス)とパン(牧神)とエロス(キューピッド)の像。言い寄るパンを嫌ってビーナスがサンダルで追い払おうとしているところです。エロスも必死でお母さんをパンから遠ざけようとしていました。

 これほど神様たちを、アフロディーテを、エロスを、パンを身近に感じたことはありません。でも身につまされる思いになったということは、美の女神に嫌われるパンに、より一層の親近感を、無意識のうちに抱いたということでしょう。



 博物館には、こうして凡人の魂さえ揺さぶる世界の至宝がいくらでもあるのですから、駆け足で1時間チョイ、ではとても見きれたものではありません。また、説明を聞いていると写真を撮れないので、メモをとるのもやめて途中からひたすらカメラに専念しました。

 旅のために、「ひとり1台持っていこう」と言って、1000万画素のコンパクトデジカメも新たに買ったのですから。メモリーは2ギガと4ギガを買い足しました。かくして手当たり次第に写した写真は、旅の終わりには2000枚に達しました。魂のデジタル化、というと味気ないですか。
 

Posted at 01:06 | 旅 ギリシャ | この記事のURL
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飲んだら・・・、食べたら・・・ギリシャ団体旅行記2・5 [2008年04月18日(金) ]
 飲んだら・・・、食べたら・・・自然の摂理ではありますが、ギリシャではどちらも面倒でした。
 まず、水。
 「ホテルでも水は飲まないで、ミネラルウォーターを飲んでください」とツアーのガイドさん。こういう国って、珍しいわけではないでしょうが、ギリシャの場合はその地形、地質にある、とみました。すなわち山は石灰岩らしき岩山ばかり。森も林もほとんどありません。地表にようやく乾燥に強そうな木が生えている程度です。

 飲み水の確保も大変でしょうが、硬度も高そうです。一本0.5ユーロの500mlのペットボトルを一人2-3本、毎日ドライバーから買いました。

 そしてトイレ。
 「水洗ですが、トイレットペーパーは流さないでバケツに入れてください」
むむむむ・・・そのわけは
「水流が弱いので流れずに詰まってしまうのです」

 ホテルでもどこでもそうでした。ストレスではありますが、見方を変えれば水資源を大切にしなければならない、ということ。水もトイレットペーパーもティッシュも使い放題のわが生活に「いつからこうなったのだろう」と思いを馳せて、来し方行く末、環境もろもろを考える上でグーッ。

 

 ギリシャ本土とペロポネソス半島をすぱっと切り離したコリントス運河です。ご報告は別途いたします。それにしても側面はむき出しなんですが、崩れないのですかねえ。


 

 そんなギリシャでの殊勝な思いもしかし、旅から帰ると元の木阿弥。先日の夜は旧ご同輩たちと、ビールに始まって日本酒、ウイスキーそして飲み放題カラオケにうつつをぬかして、


S氏は歌に合わせて鍛錬の成果を披露し、
おみずはマイク魔と化し、
愚生は次第に意識不明に。
 男三人の、銀座の夜はかくして更けていきました。銀座が悪い、日本が悪い???

 昔の漫画のギャグにありました。愚生のような酔っぱらいを「煮すぎて溶けた雑煮の餅」と。その心は「すくいがたい」。古いかなあ。

Posted at 18:22 | 旅 ギリシャ | この記事のURL
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ゼウスの食べ物・・・ギリシャ団体旅行記2 [2008年04月12日(土) ]
 ゼウス、といえばギリシャ神話の最高神、程度は知っておりましたが、女性関係がかくも派手だったことは、ちいとも知りませんでした。3日目からガイドとしてツアーと5日間を共に過ごしたK下さんが、バスの中で尽きることなく話してくれたギリシャ神話は、その鈴を転がすような美声と相まって、私たちを2千数百年以上前の神話の時代へと誘ってくれたのでした。



 ギリシャ神話を読んだことのない愚生にとって、したがって今回の旅は「初めて尽くしで、世界を広げてくれた大変意義深い旅」でしたが、「私にとっては懐かしい旅」と家人。子供のころにギリシャ神話を読んだので、それを思い出しつつ旅を楽しんだ、と。

 在ギリシャ37年。K下さんからは神話以外にも様々なギリシャを教えていただきました。毎朝出たこの食品、蜂蜜のこともその一つで「ゼウスの食べ物でした」。



 ならば食べなくちゃ、と毎朝ヨーグルトや何種類か用意されたシリアルにかけたりしました。そのヨーグルトがまた味が濃くおいしかったのですが、お隣がブルガリアのせいなのかどうか、はわかりません。

 写真の上のどろりとしたのが蜂蜜、下がヨーグルトです。

 旅行中泊まったホテルは全部で5軒。朝食はどこでもほぼバイキング形式でしたが、ハムもソーセージもシリアルもなかなかグーッ、中でもフレッシュオレンジジュースは確かに新鮮で、朝昼晩と飲みました。

 ついた翌朝、こうしたメニューで腹ごしらえをしてバスに乗り込んだのは午前8時50分。睡眠時間は4時間程度でしたが、それは旅の仲間22人と添乗員の方も同じなので、私たちが最後になった言い訳にはなりません。しかも私たちが集合時間の最後になって駆け付ける、という傾向は、旅の終わりまで変えることができませんでした。しかしそのおかげで新たな知識も増えました。何か、それは後ほど。

 かくして向かったのはまずホテル近くの考古学博物館、アクロポリス、そして70キロ離れたスニオン岬のポセイ丼、もといポセイドンの神殿です。この日のガイドは日本語が達者なギリシャ人の女性、ドライバーは旅の間同じ男性で、ギリシャ人にしては珍しいほど寡黙(K下さん談)かつ慎重な、とても信頼できるドライバーでした。お世話になりました。
 エフファリスト―!!!(ありがとう)






  
                             


 蜂蜜がゼウスの食べ物の一つだったことは、インターネットのいくつかのサイトには出ていましたが、愚生が今回の旅とギリシャ神話のにわか仕込みのためにそろえた何冊かの本※1にはその記述が見当たりませんでした。ヤギの乳で育った、という記述は電子辞書にでておりました。もう少し探しますが。

※1 「ギリシャ・ローマ神話」(ブルフィンチ作、野上弥生子訳 岩波文庫)
   「私のギリシャ神話」(阿刀田高著、集英社文庫)
   「ギリシア案内記上下」(パウサニアス著、馬場恵二訳 岩波文庫)
   「ヨーロッパものしり紀行 神話・キリスト編」(紅山雪夫著 新潮文庫)

Posted at 19:19 | 旅 ギリシャ | この記事のURL
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アテネへ・・・ギリシャ団体旅行記1 [2008年04月08日(火) ]
 旅の衣はすずかけの〜〜〜なんて謡曲「安宅」を思い浮かべながら、16年ぶりの海外への旅立ちは、久しぶりの節酒が効を奏してか、足取りも軽く、見上げた花は、はや四分咲き。「帰ってくるころは、葉桜だろうな。いや、散るなら潔く、というメッセージかな」とつぶやくと、「あなたって変な人ね。縁起でもない」と家人。でも、出がけに鍵の鎖が切れて「あっ」と叫んだのは、どこのどいつだー(失礼。西岡すみ子風です)。
 早くも思いはばらばらの、先月26日の、早朝でした。
 
 はじめての団体旅行、はじめての航空会社で初めてのギリシャへの、家族3人、10日間の旅。その初日に愚生のカンがあたりました。
 チューリッヒ空港で4時間のトランジットの後、アテネ行の搭乗口で、金属探知機が鳴ったのです。携帯を外すのを忘れていました。即、カーテンの囲いに連れ込まれてホールドアップ。股間から足の裏まで調べられて、もちろん気持ちがいいはずはありません。携帯と脱いだ靴は再度エックス線検査。手荷物も調べられて「あっ、ここは安宅の関だったのか」と義経主従に我が身の不運を重ね合わせて・・・はいませんでしたが、不快ではありました。



チューリッヒ空港です。4時間も過ごしました。


 空から見たチューリッヒとアテネの夜景はオレンジ色の街灯がとてもきれいでした。かくしてアテネのホテルに入ったのが現地時間午前1時過ぎ(以後現地時間です)。東京の我が家を出てから23時間と30分がたっていました。疲れました。ところが、昔の病院のベッドよりお粗末なホテルのエキストラベッドで愚生は二晩過ごす羽目になりましたとさ。

 でもこの旅全体の評価は、90点くらいです。次回からご報告します。

 というわけで、しばらくブログを書けませんでした。再び、よろしくお願いします。


パルテノン神殿の夜景です。

Posted at 12:51 | 旅 ギリシャ | この記事のURL
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