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山岡鉄舟の「危機を救った藤屋・望岳亭」に行くこと [2008年01月09日(水) ]


 薩た峠から由比の町へ降りてくると、いにしえの東海道を彷彿とさせる道が、ゆるいカーブを描いて延びていました。彼方まで見通せないところが、街並みに味を添え、人影も少なく急いで通り過ぎるにはもったいない、道でありました。



 右手に立派な土蔵の家。「山岡鉄舟ゆかりの家」と書かれた看板や案内版などがあり、「いかなるゆかりがある家かな?」と不審者よろしく玄関をのぞいていると「どうぞ」と年配のご婦人。ご好意を無にするのはよろしくない。お言葉にあまえてあがらせていただきました。

 年配の婦人はこの家「藤屋 望嶽亭」の奥さまでした。ご存じ、山岡鉄舟は、幕末に西郷隆盛と勝海舟の会談を実現させて江戸城を無血開城へと導いた幕臣。その胆力、知力、気力にほれ込んでいる人は、今も多い(とみました)。
 一人いた先客も大の鉄舟ファン。ご親切にも奥様とともに山岡鉄舟と、望嶽亭とのかかわりを1時間以上も話していただき、由比の駅まで車で送っていただきました。ありがとうございました。

 お二人の話を手短にまとめると、山岡鉄舟は、西郷隆盛と会うために駿府(静岡市)へ向かう途中、薩た峠で官軍に追われ、望嶽亭にかくまわれて漁師に変装し、静岡へ行った、ということです。
 その時にかくまった蔵座敷がそのまま残されており、案内していただきました。


 
 蔵 といっても畳敷きの立派な座敷ですから蔵座敷、というのでしょう。
 「蔵座敷は202年。住まいは450年を経ています」
 重々しい立派な扉、太い木組み、そして普段は畳が敷かれていて、いざという時に地下へ降りる秘密の階段。それこそまさに「歴史を変えた」階段でありました。





 「階段を下りるとすぐ海でした。そこから船に乗って清水へと向かったのです」

 山岡鉄舟が残していったというフランス製10連発の拳銃や、モダンなデザインの窓、昔の掛け軸等々もあり、歴史を今、見ている、という実感に包まれます。

 お茶まで出していただきました。次回はなにかお土産を手に、お邪魔させていただきたい、山岡鉄舟を知りたい、東海道をもっと歩きたい・・・いろいろと勝手なことを思い、刺激を受けた正月の夕暮れでありました。

Posted at 09:59 | 旅 国内 | この記事のURL
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薩た峠に広重描く富士山を見に行くこと [2008年01月07日(月) ]
 「歌川広重の浮世絵と寸分違わない富士の麗姿を拝むことができます」
 静岡県の観光パンフレットが、かく宣伝していた東海道五十三次は薩た峠に、正月2日、行ってきました。東海道本線興津駅から街道沿いに東京方面に歩くこと30分、峠の入口です。ここから由比までの全長約3キロの峠道は、駿河湾に落ち込む急峻な崖っぷちの道もあり、手すりがなければ怖いな、というところもありました。



 息を切らせながら登り切ると、ごらんの景色。空も、眼下に広がる駿河湾もみんな真っ青。富士山から右へ富士市、愛鷹山、箱根山、沼津市、さらに右へ低く長く延びる伊豆半島は南伊豆の波勝崎まで一望できました。



 ただし、眼下の高速道路を通る車の走行音が大変うるさく、便利さと引き換えに失ったもの、次世代へ残せなかったものが、大きいなあ、と思うと、富士山が美しいだけに、悲しくも見た景色でした。

 車も通れる由比への道=旧東海道を下りてくると、由比町倉沢地区。格子窓や蔵のある家、旧本陣など宿場町の面影を色濃く残す風情ある街並みがそこにはありました。その宿場町の一軒の旧家で、旅ならではの大変楽しいことがありました。次回ご報告させていただきます。




 広重描く由比・薩た嶺の錦絵は国立国会図書館の下記のURLから検索すると見ることができます。

http://rarebook.ndl.go.jp/pre/servlet/pre_com_menu.jsp

Posted at 12:50 | 旅 国内 | この記事のURL
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初詣で変じてイチゴ狩りになること [2008年01月03日(木) ]
 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 ブログ初めは、元日の初詣変じてイチゴ狩りとなったことです。
 静岡市の久能山東照宮に初詣にいったのですが、駐車場に向かう車が長蛇の列。抜けるような青空に、駿河湾は光り輝いておりました。
 東照宮は改めてお参りすることにして、海を見ながらイチゴ狩りを、と目的を即変えちゃいました。初志貫徹しません。がんばりません。



 海岸道路沿いのお店に申し込むと、「少し歩いてもらいます」。少しどころではなかったですね。しかも斜面を結構登りました。最初から距離を聞いておけば来なかったのに、とぶつくさ。ところが一つ・・・おいしい。二つ、三つ、四つ・・・ほっぺが落ちそうです。隣のハウスでは「30個食べたよ」と子供の声がしました。そのころにはこちらも「歩くのは辛かったけど来てよかった」と大満足。



 「みんないくつくらい食べるのですか」と農家の方に聞くとやはり「30個くらいかな」。
 「この時期は、山の上のほうじゃないとまだ大きく赤くなってないのでここまで来てもらわないと」
 「今年は暑かったので植え付けを遅くするよう農協から指導があったけど、11月に寒さが来たので生育が遅くなって正月に間に合わない農家も出ました」
 「石垣が熱をため込むので日が落ちても温かいのが生育にいいのです」

 しかし、この時期に、おいしいイチゴをたくさん作るのは大変な手間と労力がかかることは、斜面での農作業ということだけでも想像はつきます。昔、韓国の薬用人参園を訪ねたときに責任者がこう言ったのを思い出しました。
 「人参は人の足音を聞いて育つ」
 石垣イチゴもきっとそうだと思いました。

 食べたイチゴは30数個。がんばりました。同行の子丼とズキの若い二人は40個くらいでしょうか。
 「あきひめ」という品種で酸味がすくなくて甘さは上品、しかも大きくて赤い、大変おいしいイチゴでした。でもこんなに新鮮でおいしいイチゴを食べちゃうと、しばらくは店で売っているイチゴを敬遠するかもしれません。
 初詣は、近所の神社に行きました。

Posted at 20:43 | 旅 国内 | この記事のURL
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紅葉の御岳山へ [2007年11月22日(木) ]
          
             御岳渓谷の晩秋の夕暮れです。

 立川からSLに乗って奥多摩の山や川に初めて遊びに行ったのは40数年前。秋川の淵に潜って魚を追い、川原でつかまえた蛇を友達に投げつけ、繭を煮て生糸を紡ぐ工場も見学しました。養蚕がまだ行われていたのです。
 「臭いといわないで。働いているのだから」と工場見学で教わった心得を、今も繭や桑の木を見ると思い出します。

 山の宿舎の風呂は薪で炊き、自分の食べるお米は持参。戦時中から続いていた食糧管理制度のもと、米穀通帳が台所に下がり、毎朝蜆売りの声や豆腐屋のラッパが聞こえてくる時代でした。
 過去が奇麗事ばかりでないことは承知していますが、こうして懐かしむことも楽しみの一つとなりつつある今日この頃です。
 
 前置きが長くなりました。
 そういうわけで一昨日、紅葉を見に思い入れのある奥多摩は御岳山に行きました。御嶽駅から頂上まで歩いたのも今は昔。バスとケーブルカーで武蔵御岳神社を目指しました。どうしようもなく行きたくなったのは、紅葉を見たい、という気持ちと遠い祖先たちから受け継がれてきた山岳信仰への関心が高まってきた年齢でもあるのだと思います。



 紅葉は、今年も遅かったのですが、この一週間の冷え込みでかなり色づいたとのことです。参拝の後、宝物殿を開けてもらい、源氏の猛将、畠山重忠が奉納したと伝えられる国宝の赤糸縅大鎧などを見てお茶屋さんで一杯の蕎麦。850円のところを駅にあったクーポン券で一割引の765円でした。 
 店の方は「麓に出るにもケーブルとバスで往復2000円以上でしょ。暮らすのは大変よ。私は60年ここでやっているの」 
 80歳には見えません。山の空気がいいのでしょう。蕎麦のお値段も、会話を楽しむ料金込みと思えば納得のいく年頃となりました。

 参道には茅葺屋根の宿坊もありました。築160年くらいだそうです。一度泊まろうかな。





 大根が干してありました。
 御岳渓谷沿いの玉堂美術館にも行きたかったのですが、時間がなく断念。次回は歩いて登りたいものです。


  下の写真は帰りに降りた吉祥寺駅北口のイルミネーションです。60とあります。武蔵野市制60周年だそうです。


Posted at 00:04 | 旅 国内 | この記事のURL
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絵のような?絵にも描けない? [2007年11月06日(火) ]
 奥蓼科温泉に向かう道路から一歩入っただけでこういう景色が眼の前に広がりました。先週末の蓼科プチ旅です。



 水と木と山と空と光と影。それぞれがき・れ・いを抱えつつお互いを引き立てて絵のような美しさ。いや、絵にもかけない美しさ。どっちかなあ。説明版にはかくありました。
 <東山魁夷画伯の名画「緑響く」のモデルにもなったといういわれもあります>
 モデルになった「という」という伝聞調なのではっきりしませんが、大家がここに来て絵を描いたのなら「絵のような美しさ」のほうが合いますね。思うに竜宮城はたどり着けないから絵に描けないし。

 えっ そんなことどうでもいい=小島よしお風=ってか。そうですね。それより「生きていてよかった。道中上り坂がきつくてくガソリン代かかったけど来てよかった。ついでに小遣いがたくさんあればもっとよかった」と感激はテツガクテキのみならず、ケイザイテキみみっちさにまで広がっていきました。風景を鑑賞する資格、実はないのでは。


 
 訪れた池は「御射鹿池 みしゃ(さ)かいけ」。標高1528メートル。農業用水のため池、つまり人工の池で写真では見えませんが右にまっすぐな堤体があります。でもそれはこの際問題ではありません。自然と人工との見事なまでの調和、しかもこの時期ならではの金色に輝くカラマツ林。木々と空とを色鮮やかに映す静かな水面・・・
しつこいですが、来てよかった。

 御射鹿池は長野県茅野市街から奥蓼科温泉郷へ湯道街道を約30分。明治温泉入り口の手前右です。

                 

 お昼はメルヘン街道へ抜けてパンもピザもおしいいと評判のEpi(エピ)でツナとチーズのホットサンドとタロッコジュース。どちらもボリュームたっぷりで、食べてよかったです。はい。食べきれないときは包んでくれます。

 遅いと各種売り切れのこともあります、というより前回も午後1時半ころいきましたが、パンケースのパンは売り切れ。今回はパンはほぼ売り切れ。レストランのメニューも今回はピザが売切れでした。




 Epiの向かい側、道をはさんで地元の農家が食用ほおずきを売っていました。これがまた生でもジャムでもなかなかいけました。
 
 下の写真は途中の横谷峡にかかる橋から眺めた黄葉です。ちょうど真っ盛りでした。


 東京に帰りたくない日々は、しかしあっという間にすぎました。今夜は銀座の大衆酒場です。これはこれでとても楽しみですが。

Posted at 12:09 | 旅 国内 | この記事のURL
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鹿が奥山から  [2007年10月11日(木) ]
山畑の そばの実踏んで 鳴く鹿の 妻呼ぶときぞ 人も悲しき

百人一首にある

奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声聴くときぞ 秋は悲しき
                        猿丸太夫

のもちろんぱくりです。



 茅野市の八ヶ岳山麓を徘徊していてそば畑を見つけました。実が黒く、まもなく新そばとして出回るのかな、と思い向こうからやってくるお年寄りを畑の主、とみて「こんにちは もうじき収穫ですか」と尋ねました。主の答えは意外でした。

 「さあ、今年は収穫できるかどうか」
 (な な なんでー)
 「夜になると鹿がたくさん畑で飛び跳ねて実を食べちゃうんだ」
 (な な なんでー)
 「うーん 山の上のほうまで家が建っているしね。この2,3年のことだよ。これが足跡」



 鹿はしかしそばの実よりも大豆のほうを好むので大豆畑には入れないようにしたそうです。

 隣の農家のおばあさんもかく証言しました。
 「鹿は15頭ぐらい。車を止めると向こうも見ている。うちじゃ冬に漬けるための野沢菜も食べられちゃうのでネットで防いでいるけど・・・」

 ネット代も手間もかかるが、仕方がないようです。おばあさんの畑のジャガイモを買ったらおまけに赤いもという種類のジャガイモとカボチャをいただきました。赤いもは名前のとおり、表は赤く、中は黄色です。教えていただいた通り、茹でて炒めて食べました。おいしかったです。ご馳走様でした。



 最近鹿ばかりでなく南の山には猿や猪、北の山には熊も出る、とのことでした。であった農家の方々はかなりご年配。昔話なら人と動物とはうまく交流していますが、今はそんな余裕が人にも動物にもない、そんな時代にだれがした?もちろん我が身にも跳ね返ってくる?です。

Posted at 13:11 | 旅 国内 | この記事のURL
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我入道(がにゅうどう)の渡し [2007年09月25日(火) ]
 むーらのわーたしのせーんどさんは こーとし60のおじいさん

 私も子供のころ時々うたいました。「船頭さん」は文部省唱歌だった、と思いますが60歳でお爺さんは、まだいいほうでしょう。江戸時代の本には「五十になんなんとする老爺が」とありますから。

 ちなみに終戦直後、昭和22年の日本人の平均寿命は男50.06歳。女53.96歳。当時の環境、条件から見れば私はとっくに死んでいても不思議はなかったのですね。実際幼児期に肺炎で死に掛けましたが普及し始めたペニシリンで助かりました。

 平均余命、詳しくは厚生労働省のこのページにあります。

 話しがそれました。
 沼津・狩野川河口の我入道の渡しは港から歩いて6-7分ほどです。復活したのは平成9年。26年ぶりのことでした。平日は運行していません。




 渡し場の黄色い旗を振ると、向こう岸から和船がこちらの岸に向かってきました。
 船頭さんは二人。赤銅色の肌。昔は漁師だった、と。



 「この間の台風で流れが変わった。船を持っている人たちは大変だった」
 岸には打ち上げられたりひっくり返った船がありました。台風の被害です。
 「狩野川台風はひどかったですね」と私。
 「富士山に雪が積もると台風はここを通らない、と言われている」


いろいろ話しをしながら200メートルの対岸へ。小さな小さな“船旅”でしたが、充実の5分間でした。

「御用邸はどういけばいいのですか?」
「この道を行ってこういって・・・」
道まで送ってくれて親切に教えてくれました。
「帰りも乗りなよ。100円で沼津の駅のすぐそばまでいくから。3時に出るよ」

 乗船代のやすさもさることながら、味わったことのない渡し舟の旅情を今一度、と固く心に決めて御用邸記念公園へ向かいました。

   ※     ※     ※

 ところで今夜は仲秋の名月。

 名月や 彼岸も視野の ブログかな 

 もう一つ

 名月や 見飽きないのは 似てるせい

 半世紀ぶりにお団子をつくろうかな。定年て、いいですね。



Posted at 12:59 | 旅 国内 | この記事のURL
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沼津港がブレーク中とか [2007年09月25日(火) ]

 「最近、港に来るお客さんが増えました。土曜日や休日はマイカーがびっしりです」
  沼津港前の観光案内所で、係りの方が問わず語りに話しかけてくれました。22日のことです。
 なんでー?
 「何ででしょうね」
 
 わたしはわかります。港グルメでしょう。東京方面からもそう遠くはないし。桟橋前に2軒の干物などの店、魚市場の向かい側の通りやその一本中に入った通りは、休日とあって午前中から大賑わいでした。
 
 店には、港ならではの活きのいい魚介、さまざまな半加工品、干物や初めて見る調理法の切り身などがずらりと並んでいます。





 こうした光景を眺めているだけで、市場フリークの私としては心弾むひと時でありました。

 港から、かねて行きたいと思っていた御用邸記念公園までは3キロ近く。歩くと30分以上かかると言われましたが狩野川の堤防を歩き始めました。水鳥がたくさんいました。



 すぐ先に渡船場がありました。



Posted at 11:45 | 旅 国内 | この記事のURL
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沼津の夜 [2007年09月24日(月) ]


 沼津に行ったら必ず寄りなさい、との指示を先輩、S崎さんから受けて(S崎さんは常に支持者、違う私への指示者です)先週金曜日に行ったのが、バー「ビクトリー」。沼津市の繁華街から少し入ったやや暗い路地の角。壁はレンガ色のタイル、看板の押さえ気味な照明、2階のステンドグラス越しの落ち着いたほのかな光。期待できます。

 階段を上がっていくと、「いらっしゃいませ」。何十年飲んでいても初めての店はいろいろの意味で少し不安が伴うものですが、出迎えのこの一言に「うちはお客様にできるかぎり気持ちよく過ごしてもらうサービスを提供する」というメッセージが込められていることが、はっきりと伝わってきました。





 インテリアは口ではなかなかいえません。オーセンティックなバーは、一人カウンターで酔いに身も心もゆだねる場としての空間が完成されている、と思ってます。
 ビクトリアもそれは完璧に作られている、といえるでしょう。カリンの一枚板は厚さが20センチもあり、手前のポールには彫金が入って一杯目はマンハッタン。そのカクテルグラスは形と重みがまわりの空間の密度をさらに高めてもうあかん・・・〆はマティーニ。

 失礼ながら聞きました。
 「なんでこんなによいバーが?」
 「昔は芸者衆と一緒にお客様がいらっしゃいました。二次会は、一次会とはまったく変わった雰囲気のお店が好まれました」

 もちろんマスターの意思とセンスと努力の結果が、今日のビクトリーではあるでしょう。
 この勝負、ビクトリーの勝ち。
 そうそう、マスターとの会話の中でお話した本は「逝きし世の面影」(渡辺京二著、平凡社ライブラリー)でした。間違っていたかもしれませんので、この場を借りて訂正します。



 S崎さん、バー「ビクトリーに行け」とのご指示、ありがとうございました。
  
 ※     ※     ※ 

 沼津へ行ったのは「日本ほろよい学会」に出席するためでした。 “学会”は今年で9回目だそうで、私は初参加。若山牧水ゆかりの地での開催をたまたま知り、会長が私もファンである佐左木幸綱氏ということで、申し込みました。

 ほろよい学会ですから、ほろよいすることが研究でかつ実践。テーブルには「牧水」というお酒のほか2種。ほかに秋田、宮崎などの醸造元からの自慢の銘酒が数十種類そろっていました。

 料理は針子の炙り焼、生シラス、桜えびなど駿河湾の幸。針子というのはサンマの稚魚だそうです。酒の肴にはぴったりでした。

 参加者は360人。いずれもお酒と牧水を愛してやまない方々なのでしょう。来年は牧水の生まれ故郷、宮崎で開催するそうです。

Posted at 18:38 | 旅 国内 | この記事のURL
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シーズン・イン 東海道・沼津宿 [2007年09月01日(土) ]
 人の世にたのしみおほし然れども酒なしにしてなにのたのしみ

 飲めない人には申し訳ないっす。牧水の歌です。酒のシーズン・インです。
 東海道・金谷宿の翌日、8月19日は沼津でした。容赦なく「暑い」を降り注ぐ太陽に「帰ろか」と逡巡した軟弱な思いをとどめさせたのは、是が非でも一度はご挨拶したかった先達の地、ということでした。

 若山牧水。
 歌に生き、酒に生き旅に生きた43年余。
 この歌も、飲む口実に使うことを牧水は快諾してくれるでしょう。初任地仙台でよく思い浮かべました。

 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしずかに飲むべかりけり

 次。
 幾山川越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

 けふもまたこころの鉦をうち鳴らしうち鳴らしつつあくがれていく

 いいですねえ。セーシュンしますね。




 沼津は牧水が晩年の8年を過ごした地。好きだった千本松原に沼津市若山牧水記念館があります。



 今回はあまりに暑くて記念館のみ。お導きでしょう。こんなことを書きとめた自筆の短冊が。

 「ゆかむがためにゆくものこそ まことの旅人なれ 心は
気球のごとくにかろく 身は悪運の手より逃れえず
なんの故とも知らずして たゞゆかむかな ゆかむかなと叫ぶ」
         ボードレール  作
         日本 永井荷風 訳

とありました。
 なぜ旅なのか、との思いをボードレールの言葉で納得させている、のでしょうか。

 もう一つ、お導きが。今月21日に同市で「酒、そして牧水」(第9回日本ほろよい学会沼津大会)が開かれることを館のパンフレットで知りました。申し込んだのは23日ころ。350名の定員がほぼ満員で「あと数枚」だったそうです。いかった。
 市内乗運寺の牧水の墓です。




※ 青森県の豪雪地帯での数年前の会話です。
 「秋はいいですね。紅葉がすばらしい」と私。
 「私たちにとっては憂鬱な季節です。冬が来ますから。観光客は来ないし店も閉めます」と店の方。
  ともあれ9月。シーズン・イン、です。



Posted at 00:54 | 旅 国内 | この記事のURL
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