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沼津の夜 [2007年09月24日(月) ]


 沼津に行ったら必ず寄りなさい、との指示を先輩、S崎さんから受けて(S崎さんは常に支持者、違う私への指示者です)先週金曜日に行ったのが、バー「ビクトリー」。沼津市の繁華街から少し入ったやや暗い路地の角。壁はレンガ色のタイル、看板の押さえ気味な照明、2階のステンドグラス越しの落ち着いたほのかな光。期待できます。

 階段を上がっていくと、「いらっしゃいませ」。何十年飲んでいても初めての店はいろいろの意味で少し不安が伴うものですが、出迎えのこの一言に「うちはお客様にできるかぎり気持ちよく過ごしてもらうサービスを提供する」というメッセージが込められていることが、はっきりと伝わってきました。





 インテリアは口ではなかなかいえません。オーセンティックなバーは、一人カウンターで酔いに身も心もゆだねる場としての空間が完成されている、と思ってます。
 ビクトリアもそれは完璧に作られている、といえるでしょう。カリンの一枚板は厚さが20センチもあり、手前のポールには彫金が入って一杯目はマンハッタン。そのカクテルグラスは形と重みがまわりの空間の密度をさらに高めてもうあかん・・・〆はマティーニ。

 失礼ながら聞きました。
 「なんでこんなによいバーが?」
 「昔は芸者衆と一緒にお客様がいらっしゃいました。二次会は、一次会とはまったく変わった雰囲気のお店が好まれました」

 もちろんマスターの意思とセンスと努力の結果が、今日のビクトリーではあるでしょう。
 この勝負、ビクトリーの勝ち。
 そうそう、マスターとの会話の中でお話した本は「逝きし世の面影」(渡辺京二著、平凡社ライブラリー)でした。間違っていたかもしれませんので、この場を借りて訂正します。



 S崎さん、バー「ビクトリーに行け」とのご指示、ありがとうございました。
  
 ※     ※     ※ 

 沼津へ行ったのは「日本ほろよい学会」に出席するためでした。 “学会”は今年で9回目だそうで、私は初参加。若山牧水ゆかりの地での開催をたまたま知り、会長が私もファンである佐左木幸綱氏ということで、申し込みました。

 ほろよい学会ですから、ほろよいすることが研究でかつ実践。テーブルには「牧水」というお酒のほか2種。ほかに秋田、宮崎などの醸造元からの自慢の銘酒が数十種類そろっていました。

 料理は針子の炙り焼、生シラス、桜えびなど駿河湾の幸。針子というのはサンマの稚魚だそうです。酒の肴にはぴったりでした。

 参加者は360人。いずれもお酒と牧水を愛してやまない方々なのでしょう。来年は牧水の生まれ故郷、宮崎で開催するそうです。

Posted at 18:38 | 旅 国内 | この記事のURL
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シーズン・イン 東海道・沼津宿 [2007年09月01日(土) ]
 人の世にたのしみおほし然れども酒なしにしてなにのたのしみ

 飲めない人には申し訳ないっす。牧水の歌です。酒のシーズン・インです。
 東海道・金谷宿の翌日、8月19日は沼津でした。容赦なく「暑い」を降り注ぐ太陽に「帰ろか」と逡巡した軟弱な思いをとどめさせたのは、是が非でも一度はご挨拶したかった先達の地、ということでした。

 若山牧水。
 歌に生き、酒に生き旅に生きた43年余。
 この歌も、飲む口実に使うことを牧水は快諾してくれるでしょう。初任地仙台でよく思い浮かべました。

 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしずかに飲むべかりけり

 次。
 幾山川越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

 けふもまたこころの鉦をうち鳴らしうち鳴らしつつあくがれていく

 いいですねえ。セーシュンしますね。




 沼津は牧水が晩年の8年を過ごした地。好きだった千本松原に沼津市若山牧水記念館があります。



 今回はあまりに暑くて記念館のみ。お導きでしょう。こんなことを書きとめた自筆の短冊が。

 「ゆかむがためにゆくものこそ まことの旅人なれ 心は
気球のごとくにかろく 身は悪運の手より逃れえず
なんの故とも知らずして たゞゆかむかな ゆかむかなと叫ぶ」
         ボードレール  作
         日本 永井荷風 訳

とありました。
 なぜ旅なのか、との思いをボードレールの言葉で納得させている、のでしょうか。

 もう一つ、お導きが。今月21日に同市で「酒、そして牧水」(第9回日本ほろよい学会沼津大会)が開かれることを館のパンフレットで知りました。申し込んだのは23日ころ。350名の定員がほぼ満員で「あと数枚」だったそうです。いかった。
 市内乗運寺の牧水の墓です。




※ 青森県の豪雪地帯での数年前の会話です。
 「秋はいいですね。紅葉がすばらしい」と私。
 「私たちにとっては憂鬱な季節です。冬が来ますから。観光客は来ないし店も閉めます」と店の方。
  ともあれ9月。シーズン・イン、です。



Posted at 00:54 | 旅 国内 | この記事のURL
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首、とあると血が騒ぐ 東海道・金谷宿 [2007年08月31日(金) ]
 「問われて名乗るもおこがましいが・・・ 」
 ご存知歌舞伎は白浪五人男、日本駄衛門の口上です。
「さてその次は江ノ島の・・・」弁天小僧から「どん尻に控えし」南郷力丸まで、白浪五人の口上は、名前も含めてその表現力、調子、掛け言葉・・・どれをとっても脳天から手足の先までしびれさせる名台詞。言葉が持つ力の大きさに圧倒され歌舞伎に疎い私でも感動の連続であります。
 白浪五人男は不滅です。関係ないか。

 「盗みはすれど非道はせず」
 ちょっと言い訳っぽいところがまたいいですね。
 この啖呵をきった日本駄衛門のモデルとなった日本左衛門という大盗賊の首塚が、金谷の宿にありました。金谷に行った理由に特別なものはありません。

 「ここ以外のどこかへ」というフランスの詩人の思いは人間に植え付けられた遺伝子なのかな、と思ったりする次第です。

 金谷宿は静岡県島田市金谷町となっています。江戸からは東海道53次の24番目。大井川があり、重要な宿場町だったのは本陣が3つもあったことなどからわかります。

 ですから街のページには旧東海道金谷坂と菊川坂の石畳や芭蕉句碑などが紹介されています。しかし。日本左衛門の首塚の紹介はありません。私が首塚を知ったのは大井川鉄道の駅の案内図でした
 


 寄り道しながら首塚へ向かいました。首、とあると血が騒ぐのです。途中、室町時代の木造の如来坐像が5体もある専求院がありました。
「拝ませていただきたい」
かようにお願いすると、親切に冷たいお茶まで出していただきました。
 これも如来のお慈悲かと。はい



 日本左衛門の首塚はわかりにくく、途中地元のご老人に道を尋ねたところ親切に教えてはいただきましたが「自分は行ったことがない」。

 

 だんだん道が消えていくような感じのどん尻近くに宅円庵がありました。観光地の雰囲気は皆無。すぐ近くには大井川鉄道のSLがありました。
 それでいいのです。自分の問題ですから。
 日本駄衛門の首塚には辞世の句がありました。インテリ大泥棒だったのでしょうか。
 現役時代の私の場合は「サボりはすれど非道はせず」。会社の時間を私用に盗んでいた不要社員です。辞世の句を詠む教養も覚悟ももちろん持ち合わせておりません。

 再び駅方面へ向かい、金谷町お勧めのスポット、金谷坂の石畳へ。石畳は近年地元の方が復興したとのことですが、周りの景色は東海道の面影を残している、かに見えます。蒸し暑かったこの日は坂がいっそうきつく、にわか旅人は難儀しました。



 茶屋で帰りに一休み。茶屋は古い民家風で広く情緒たっぷり。子育て飴なんぞも土産に売ってました。
 頼んだのはかき氷のブルーハワイ350円。観光施設にしては安く、聞けば施設は市、運営は民間とのことで、親切なお店の方は「安い、早い、うまいです。またどうぞ」。

 写真のおでんは金谷で食べた静岡おでん。店の方がやはり親切だったのがなによりの旅の味となりました。


Posted at 00:18 | 旅 国内 | この記事のURL
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何のために [2007年08月20日(月) ]
 ザ・フォーク・クルセダーズの歌ではありませんが、暗い穴の奥で光るヒカリゴケを見てふとそう思いました。しかしこの疑問は自分そのものに跳ね返ってきて、考えても無駄かな、と。

 標高1800メートル。八ヶ岳の中腹にこんこんと湧き出る信玄の隠し湯、唐沢鉱泉の風呂は浴槽が太い木、壁は岩という落ち着いた風呂でとても気持ちがいいお湯です。昔に比べると道もかなり整備されて車も行き易くなりました。



 この宿のすぐ裏手にヒカリゴケ群生地があります。岩と木の根の間の穴をのぞくと、緑に光るコケがはっきりと見えます。



 5月に行ったときはまだよく生えてなかったのか、見えませんでした。見に行かれる方は宿に問い合わせてお確かめください。

 ヒカリゴケといえば、武田泰淳氏の小説「ひかりごけ」が浮かんできますが、私は読んでいません。代わりにといっては何ですが、中野美代子氏の「カニバリズム論」(福武文庫 1887年)からご紹介させていただきます。この本の序は澁澤龍彦氏、解説は荒俣宏氏です。

 漂流して少年の肉を食べたミニョネット号事件などを紹介したあと、中野氏は述べています。「カニバリズムとはいかなる行為であるのか」。
 そしてミニョネット号の場合

 ・・・救助がもっと遅れていたらどうなったか――言うまでもなく、次の肉をもとめての殺戮が行われていたであろう。武田泰淳氏の「ひかりごけ」(一九五四年)は、まさにその深淵をのぞいた作品である。

 人肉を食べなければ死、という状況下で自分ならどうするのか。食らい付くか、タブーを守って死ぬのか、これも考えてもしょうがないことかもしれません。でも死にたくはないでしょうね。
 

 唐沢鉱泉の名物料理の一つに猪鍋があります。昔食べました。猪の肉は豚肉のおいしさを濃くしたような味でした。山の気に包まれて食べる猪、また食べたい。
 小説「ひかりごけ」は探して読みます。

追記 ひかりごけ、読みました。

Posted at 19:03 | 旅 国内 | この記事のURL
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熱気球 [2007年07月24日(火) ]


 八ヶ岳山麓原村は、さまざまなリゾート施設があります。八ヶ岳中央農場は、新鮮な牛乳、アイスクリームなどを販売していますが、一昨日行ったら熱気球が一つ浮いているじゃありませんか。
 「体験試乗」とあったので行くと大人一人2000円、子供1000円。引き返す人も多かったのですが、我が家の子丼と乗りました。


 「だれがやっているのですか」と案内の婦人に聞くと、気球の操縦、というのでしょうかそれはご主人で、かつては気球レースにも参加していたそうですが、今はこれを仕事にしている、とのことでした。

 「雨風の日はできないし」と彼女。一方、気球の近くまでやってきた母娘と祖父母の4人は「二千円か。子供1人じゃ載せないというし」と思案気。私たち親子丼が乗ろうとしているのをみて、「大人が乗るから」と子供1人、気球に乗せました。いろいろ思うところはありましたが、怖がるお嬢ちゃんの面倒は見ました。

 ところで、滞空時間10分程度。原価を知らないので値段が適当かどうかわかりませんが、乗る立場から言えば安いとは思えない気球に乗ったのは、若いころ大きなかやぶき屋根の葺き替えの写真を撮りに行ったとき、屋根からすべり落ちそうになりました。以来高所恐怖症になった、と思っていたのですがそれがどの程度なおったか、も試したかったのです。
 風もなく、気持ちよい乗り心地、ということはかなり治ったのでしょう。





 気球は高さ25メートル。頭の上のプロパンガスバーナーを燃やして気球内部の空気を暖めて上昇させます。その音がゴーっとものすごく、どこかで聞いた音、と思ったら確か父の葬儀場で聞いた音に似た感じ。のんびりムードに見える気球とはややそぐわないのですが、ゴーという響きは気球であれ、魂であれけ天空へ上昇させるためのエネルギーの音かな、と思うしだいでした。

 もっと天気のよい日にもう一度乗ってもいいかな、でもあと3週間で贅沢はできない立場になるし・・・地上は厳しい現実に満ち満ちていますね。

Posted at 01:32 | 旅 国内 | この記事のURL
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山寺へいきやれ 追記 [2007年07月14日(土) ]
 山寺駅です。ホテルは駅から歩いて1分30秒。
 

 山寺ホテルに宿泊したのは一昨年6月でした。明治から続く旅館で部屋も和室です。番傘なんてしばらく見たことがありませんでした。



 なぜホテル?
 「明治の経営者がつけたのです。先進的だったのでしょう」とのことでした。
 楽しい夕食の時間ですが、泊り客は私一人。




 庭のカエルの声を相方に、まず一杯。
 
 閑かさや腹にしみ入る瓶ビール
 
 次いで熱燗。
 
 閑かさや腹にしみ入る酒二合

 どんどんしみこんでついに脳みそまで・・・あとは朧となりました。
 夕食も朝食もおいしくいたさきました。


  
 また行きたい旅館の一つです。

Posted at 11:16 | 旅 国内 | この記事のURL
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山寺へいきやれ [2007年07月13日(金) ]
 台詞がちょっと違うかなあ。昔の言い方だし。新しい訳では「尼寺へ行け」(ハムレット シェイクスピア作 野島秀勝訳 岩波文庫 2002年発行)とありました。

 
山寺立石寺へは一昨年も行きましたが、時間が足りず途中で引き返しました。再挑戦の今回は制限時間2時間余。駅前でそばを食べて「ぜったい奥の院へ行く」と強い気持ちで一段また一段とゆっくり、しかし確実に。



 途中でデジカメを再三構えたので、一時間くらいでしたか。奥の院までは。階段の数は1015段といわれます。段数があいまいなのは根拠となるデータが手元に無いので。
 
 幸い天候に恵まれてごらんのようなよい景色。



 よじれて直立する老杉、岩に刻まれ、置かれ、建てられた様々な祈りの表現、形、祖先への思い・・・何世紀にも渡って信仰してきた人々の心が足元に、左右に、遠くに見えることが何より興味深く、



 芭蕉は

 閑さや岩にしみ入蝉の声

 岩に巌を重ねて山とし(奥の細道)ている霊場。周りの岩は、なにもかもしみ入るのではないか、そしてしみ出すものは、私たちをひきつける何か、と思わずにはいられない、何度でも訪れたいお寺の一つであります。奥の細道を読めば、その思いはいっそう募ること、まちがいありません。

 メモ 山寺ホテル



 駅前にある山寺ホテル。訪れる価値ありの宿で、番傘が廊下の上にかけられていたり階段の手すりが立派だったりと中も外観通りのイメージです。トイレ、風呂、洗面所が共同なのも子供のころの修学旅行を思い出す、懐かしい宿です。

Posted at 14:52 | 旅 国内 | この記事のURL
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輝く女性たち   秋田−郡山−山形その2 福島 [2007年07月07日(土) ]


 紹介したくはない、だけど知ってはほしい。そんなお店に、お客から「お母さん」と親しまれている経営者に、出合いました。先月末の福島、暑い昼下がりのことでした。

 手打ち冷やしラーメン(700円)がとてつもなくおいしかった。麺も、汁も。
「70歳までは自分で打ってたの。今は教えた人から一日100食とっているけど同じ作り方だからね」
 「県庁の昼休みが短くなって、みんな急ぐの。食事は時間をかけてきちんとしたものをとらないと。化学調味料は一切使ってません」
 「こうして毎日働いてお客さんに精一杯おいしいものを出しているのが楽しくて」

 福島駅から南へ徒歩約10分。福島稲荷神社の参道で35年間、食堂をひとりできりもりしてきた70歳代の女性店主の輝くばかりの笑顔は、真摯な商い、生き方がそのまま現れてました。
 翻ってこれまでの我がちゃらんぽらんわがままジンセイ。「しょうがない」と自己弁護しつつ「定年後でも遅くはない。そこそこきちんと生きて行こうか」。

 こころゆく
 我にはたらく仕事あれ
 それをし遂げて死なむと思ふ


 啄木 一握の砂にありました。

 そういうわけで我に力を分けてくれた「あいづ食堂」と「お母さん」を、本日ただ今紹介します。



 午後一時半ころ、招き猫に招かれて戸を開けると電気が消えています。
 「やってますか」
 「こっちの座敷が涼しいからいらっしゃい」
 声のほうを見ると、昼の混雑が終わり座敷で横になっている様子。でも、やっている
とのことであがりこむと
 「暑いから冷やしにする?」
 「はい」
 「めちゃおいしい」




 「そう。よかった。これ、秘密のたれ。ちょっと入れるともっとおいしくなるから」
 本当にいっそうこくが出て、お母さんと冒頭のように話がはずんだしだいです。
 「フキご飯もあるから」
 これも文句なしですよ。お母さん。

文知摺石



 この日朝秋田を出発、奥羽本線新庄山形経由、目的地は郡山でしたが、約束までに時間があり福島で降りたのは、文知摺石を見たかったから。
 そう言うとお母さんは「いい運転手さんを知っているから」とタクシーの手配をしてくれました。

 文知摺石は百人一首のこの歌に詠まれ、芭蕉も子規も訪れて一句詠んだ旧跡です。石はごらんのものでいわれを知らなければわざわざ訪れる人は少ないでしょう。


 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆえに みだれそめにし我ならなくに 
                河原左大臣 源融


 歌の意味は正確にはわかりませんが「しのぶ」、とか「みだれ」、とか「誰」「我」の言葉から感じるところあります。


 でも境内のカエデの新緑には目を奪われました。それとの組み合わせは、歌心がある方には魅力でしょう。



「秋の紅葉もすばらしいです」とタクシーの女性運転手さん。しばらく待ってもらいましたが否な顔一つしないで最後まで明るく、安全運転でした。こちらも仕事を大切にする、笑顔が輝く女性でありました。

郡山で
 大先輩K.K氏を一年ぶりに尋ねました。
 「車窓の新緑がきれいでした」と私。
 「きみーい 東北は今が1番いい季節だよ。啄木がうたっているでしょ」
 「えっ なんて?」
 「○○○・・・」

 忘れてしまいした。すみません。でも大先輩、比内鶏のコース、大変おいしかったです。ご馳走さまでした。
明日は再び北へ向かい、山寺立石寺です。



Posted at 17:22 | 旅 国内 | この記事のURL
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等持院の異空間  京都07・05・19−20その4 [2007年06月07日(木) ]

 霊気、というものがある、と本気で思ったのはここが初めてでした。40年前の学生時代です。尊氏はじめ歴代足利将軍の古びた像が、訪れる者の身も心をも突き抜けて見据えているのです。暗い堂内で何世紀にもわたって。

 ドナルド・キーンさんも「足利義政 日本美の発見」(中央公論新社 2003年)でこう書いています。
 「最近の訪問でやはり私が感じたのは、堂内の両側に居並ぶ等身大の坐像から発散される不気味な冷気だった」と。

 キーンさんもたびたび訪問している等持院は、世界遺産リストに登録されている龍安寺からわずか数百メートル。嵐電では北野線等持院駅が最寄り駅です。ところがぎっちょん、おたちあい。観光客が少ないのです。霊光殿をご存じないから、と私は見ております。もったいない。

 


 等持院は庭も見所です。尊氏の墓もあります。しかし、上掲書に書かれていた霊光殿にまつわる話をもう少しします。

  文久3年、等持院に押し入った9人の男たちが尊氏、義詮、義満の木造の首を切り落とし、賀茂の川原に晒された。「志士」によって斬首された「国賊」の首を晒すことは幕末の慣いで、これはそれに従ったものだった。

 首は元に戻っています。首がないままだったらあまりにも恐ろしい空間だったのではないでしょうか。

 ところで、3脚をつかわなければ写真撮影は自由です。このこともお気に入りの理由の一つです。

Posted at 17:39 | 旅 国内 | この記事のURL
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地の糧 平泉−盛岡−秋田07.05.14−15・・・その3 [2007年05月27日(日) ]
 

 仙台をすぎると北上川流域の広大な水田が車窓の左右に広がります。写真は岩手県水沢付近で、田植えを控えてまるで自然の鏡のようでした。彼方は栗駒国定公園の山々です。

 盛岡から田沢湖線に入り、右手に岩手山をみながら雫石盆地をすぎると、列車はやがて奥羽山脈の峠越えにかかります。 
 谷、滝、淵、ダム、細い林道が現れては消えていく深い山の中を、横手盆地へ抜けるまでの数十分が、この列車の旅のハイライトです。
 


 旅の終点、秋田駅から5分のところに秋田市民市場があります。この時期は出羽山脈からの地の糧、山菜が次々と入荷しています。

 山菜、キノコの専門店では、天然の山菜が店頭を濃い緑に染めていました。
 
 「フキノトウ、ヒコヒコから始まって次から次と20何種類か入ってきます。秋田の人は、山菜の食べ方をしっているから」とお店の方。

 シドケでも値段が違うのは「葉が開いたシドケは安い。山奥へ入るとまだ葉が開いてないのがある」

 一人で行く山奥での山菜採りはイメージがつかめないのですが、開高健さんの「最後の晩餐」に塩くじらなるものを持ってシーズン中山にこもるゼンマイ採りの話があります。塩くじらの“壮絶な”食べ方中心ですがご興味があればぜひ。


 昨晩ご馳走になったシドケ、店頭のコゴミ、タラの芽もそうして採ったのでしょうか。そんなことを想いながら天然のタラの芽と、お好きな方のためにイブリガッコを土産に買いました。

Posted at 15:56 | 旅 国内 | この記事のURL
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