シニア向けコミュニティ STAGE ステージ
50歳未満お断り! 紳士と淑女の知的コミュニティ (シニア向けコミュニティ STAGE ステージ) http://www.stage007.com

プロフィール
http://salon.stage007.com/hakkei/index1_0.rdf
初めて藪下の道へいくこと(追記) [2007年11月26日(月) ]
 鴎外記念室には遺品、資料がたくさんあります。家族の写真に小さな女の子が写っていました。鴎外の長女、森茉莉さんです。森茉莉さんの著作を読みたくなって図書館で借りた全集のなかの「気違ひマリア」にこんなことが書いてありました。



  「マリアは生まれ故郷の本郷、そこにつながる追分から湯島、広小路、下谷、マリアの第二の故郷の下車坂一帯、浅草・・・日本橋、銀座へかけての、芝や神田も含む、たしかに東京と言へる一円以外の土地を東京とは認めないので、それ以外の土地にはろくなもの人間はすんでいないだろうと定めているのだ」と。で、「要するに、浅草族は東京っ子であり、世田谷族は田舎者なのだ。彼らは世田谷、阿佐ヶ谷、杉並、等々の(もと市外)に、あたかも天に満ち、地に満てるが如くに充満して・・・」

 前回ご紹介した鰻の「山ぎし」ではなじみ客が昼の宴会を開き、赤ちゃんと来たなじみの外国人の若い母親がご飯の大盛りを注文していました。普通盛りでも十分大盛り並みですが、大盛りはサービス。10円団子もあったりしていろいろな人がいろいろな売り方をしてみんなが普段着の顔で買い物を楽しんで、マリアの言う「東京」の名残がそこここに顔を出しているようでした。

 父、鴎外について彼女はこんなことも書いてました。
 「飯を食った後の箸は茶碗の茶で濯(すす)いで、先を二つ截りの半紙で包んで、箸箱のなかにコトリと入れる」
年配の人のこのしぐさは見たことがありますが、
 「小水の後は、箸と同様、体の先を半紙で包んで、その上から下帯をするのである」
 鴎外がいかに医者といえどもこのしぐさはかなり「異(かは)った清潔(きれい)ずき」(上掲書)ではあります。ごわごわしたりすれたりしないのでしょうか。上質の軟らかい半紙なのかな。

 この親にしてこの娘が暮らしていた藪下通り。愚生はマリアのいう「充満している田舎者」の1人でありますから、藪下通りはますます遠くなりにけり、という気がしないでもありません。
 でも自由奔放、かってきままの森茉莉さんに、ふと明治28年、木場に生まれて「若いころ姑と髷をつかんで取っ組み合いをした」気の強い母方の祖母を思い出しました。祖母の実家の名前はよみせ通りの鰻屋と同じでした。

                          

 下の写真は昨日散歩した葉山の海岸の夕景です。遠くに富士山が、右手に江ノ島が見えました。

Posted at 09:04 | 旅 日記 徘徊 | この記事のURL
コメント(0)

初めて藪下の道へいくこと [2007年11月24日(土) ]
 地下鉄千代田線千駄木駅で降りて団子坂、というおいしい名前の坂を上がり、交差点を左へ入るなにげない道。それが実は「藪下の道」というブンガク的な、あまりにブンガク的な道であることを、つい先日まで知りませんでしたっ。
 今月某日の東京情緒散策で足を向けたのは文京区立本郷図書館鴎外記念室。
 長くてお堅い名前ですが、明治の文豪、森鴎外が「観潮楼」と名づけて亡くなるまでの30年間を過ごした旧居跡であります。



 藪下の道は、その記念館、すなわち「観潮楼」の前を通って根津権現の裏へ続く道で、明治、大正の文豪や彫刻家が行き交った、由緒ある道なのでした。

 永井荷風が「日和下駄」の「第九 崖」の章で書いてます。
 「根津の低地から弥生ケ丘と千駄木の高地を仰げばこゝもまた絶壁である。絶壁の頂に添うて、根津権現の方から団子坂の上へと通ずる一条の道がある。私は東京の往来の中(うち)で、この道ほど興味のある道はないと思っている」

 荷風は観潮楼をしばしば訪れています。ある初秋の夕暮れには「忘れられぬ程音色の深い上野の鐘を聴いたことがあった」
 「一際高く漂ひ来る木犀の匂いと共に、上野の鐘声は残暑を払う涼しい夕風に吹き送られ、明放した観潮楼上に唯一人、主人を待つ間の私を驚かしたのである」と。

 下の写真は藪下通りの崖です。



 絶壁、とあだ名された友達がいたっけ。そんなことどうでもいい、ですね。世が世なら、愚生ごときが気軽に通れる絶壁ではなかった「藪下の道」を後に団子坂を下り、谷中はよみせ通りへ。鰻の「山ぎし」という店に「鯉定食」とありました。

 鯉料理は、私が暮らしてきた東京・西郊の食堂では見たことがありません。家でも食べたことはありません。「鯉は泥臭い」などといわれたことがふと浮かびましたが、なぜか無性に食べたくなって注文しました。

 あらいに鯉こく、茶碗蒸し、お新香、ご飯は普通盛りですが大盛りのよう。これで1000円ですって。



 鯉こくを一口・・・んっ?もう一口、二口・・・すまねえ、鯉さん。泥臭いなどと勝手に思い込んでいたオイラが間違っていた、悪い夢を見ていたんだ、と心の中で手を合わせて思わずわびるほど、おいしかったのであります。
 鯉との運命的な出会い、とでもいうのでしょうか。とすればいずれ別れも。どこか勘違いしているかな。

 鯉に目覚めて幸せになった後は、行きつけの谷中の墓地を一回りしてこの界隈での馴染みの場、和みの場セレンディピティでお茶して鐘の音ならぬ笑顔に送られて帰途に着いた、楽しかりし晩秋の徘徊でありました。
 でも、セレンディピティ、来年2月で辞めちゃうそうです。残念。

 鐘の音の響きも消えて店じまい 
    谷中の墓地の秋の夕暮れ
 
 駄句のお粗末でした。


 谷中の墓地の晩秋の夕暮れです。


Posted at 16:19 | 旅 日記 徘徊 | この記事のURL
コメント(2)

初めて東京ミッドタウンへいくこと [2007年11月16日(金) ]


 愚生にとっては大いなる異空間といっていいでしょう。東京ミッドタウンのことです。作日、サントリー美術館の「開館記念特別展 鳥獣戯画がやってきた!」を先輩、K池さんからいただいたチケットで見にいきました。サントリー美術館は、東京ミッドタウンのガレリアという区域にあり、今年3月末にあたらしく開館しました。ガレリアを電子辞書のカタカナ語新辞典(旺文社)で見ると「イgalleria ガラスの高い空間を持つアーケード式商店街、ショッピングセンター、半屋外空間」とありました。そうですかイタリア語ですか。

 東京ミッドタウンは、元の防衛庁。防衛庁時代はたまに知人に会いに行ったことがありますが、ミッドタウンに生まれ変わってからは初めて。そのコンセプト、すなわち大きさ、きれいさ、豪華さ、デザインのすばらしさ、居心地への工夫、ゆとりのスペース、あかぬけた照明、そしてレストランのお値段などに目を見張って思わずデジカメで驚写しました。

 「驚写」とは、きれい、とか高い、とか明るいなどとびっくりしてまずデジカメに写す行為のことをいいます。実は今、愚生が考えた言い方ですが。

 鳥獣人物戯画絵巻は、京都高山寺の所蔵。動物を擬人化してユーモアあふれる図柄を生き生きと描いた国宝です。高山寺といえば、明恵上人ですがもちろん戯画のほうが知られているでしょう。愚生も実物は初めて見ました。パンフレットも買いました。

 しかし、見終わった後の感慨は、ここ東京ミッドタウンの中では維持できませんでした。なにしろ東京のど真ん中の一等地。資金と人と知恵とが詰まったタウンですから、鳥獣戯画鑑賞という古(いにしえ)に、古の画家の心に思いをはせることとは次元がまったく異う世界に放り出されたようなものでした。刺激が強すぎるのです。



 たとえばこの光に満ちた回廊を前に、またも「男1人では入りにくい空間」と思いました。しばし迷った挙句中に入らないで通り過ぎたカップルがいました。愚生はもちろん入りました。迷うくらいならいくべし、というコンセプトでした。
 白い光の回廊は「シューウエムラサンクチュアリ」。いかにもありそうな店がやはりありました。「男性のためだけのグルーミングサロン」です。
 「どんな人たちが利用するのですか」
 「30歳代、40歳代、50歳代」
 もう一声、といおうとしたら
 「でも20歳代から70歳代まで幅広くいらっしゃいます」
 コースは5000円から16万円まで。一生ご縁がないかもしれません。

 さらに突き当たるとカフェが。1000円のメニューもあり、ようやくほっとする空間にめぐり合った感じです。頼んだのは「10種のお野菜の温野菜プレート」1200円とコーヒー合わせて1500円。薄味なので調味料がたくさんついてきました。オリーブオイル、ワインビネガー、バルサミコ酢、塩、コショウ。



 野菜本来の味を楽しむ、という方は確かに薄味でいいでしょうが、いろいろ試しました。赤米と黒米の玄米ご飯とデザートのアイスクリームもおいしかったのですが、たんぱく質がほとんどないのが気になりました。でもたまにはこういうお昼もいいものではあります。
 

 帰りに寄った銀座4丁目は早くもクリスマスムード。例年きれいなイルミネーションで楽しませてくれるミキモト本店の今年のイルミネーションです。


Posted at 18:21 | 旅 日記 徘徊 | この記事のURL
コメント(4)

初めて鳩の街へ行くこと [2007年11月09日(金) ]


 「ちょっと、これ計算してくれない」
 珈琲を注文して開け放たれた店の通りをぼうっと眺めていると、おばあさんが店にはいってくるなり店主に頼みました。
 「今ちょっと忙しいから」
 ご主人が断ると
 「急いでいるんだけど」と言いながらいったんは表に出たのですが、すぐに引き返してきて「計算してほしいんだけど」と紙片と電卓を私のテーブルに置きました。

 いくつか数字がかきこまれていました。
 「いいですよ、死ぬまでひまですから」
 いくつか足し算をすると
 「2で割って欲しいの」
 「何の数字ですか」
 「5割引で売っているんだけど、その5割引の計算がなかなかできなくて。で今お客さんを待たせているの」

 下町物見遊山ぽ第2弾としてこの街を選んだのは、街の名前、歴史をすこしだけ知っていたことに加えて、「アート&カフェ こぐま」のホームページを見たことが決めてとなりました。

 いいカフェはその地域の魅力、面白さを倍加するように思えます。面白さにもいろいろありますが、例えば志とか飛び切りおいしいとか安いとか、感じがいいとかご近所の憩いの場として老若男女が集うとか。

 落ち着いた気持ちになること、一言ふたこと心安らぐ会話を交わして「また来たい」と思うことが私なりの基準です。

 「こぐま」へは半蔵門線から東武伊勢崎線へ入ってすぐ、曳船でおります。ホームページには懇切丁寧に道案内が載っています。遠くからも来て欲しい、とのメッセージがこめられています。
 歩いて8分程度。水戸街道に街の入り口がありました。



 細長い商店街は、戦災に遭いませんでした。それゆえの様々な過去が流れて今、狭い通りはシャッターが降りたままの店が目立ちます。
 こぐまもそうした店の一つを改装した喫茶店です。




 冒頭の計算を頼みに来たおばあさんは筋向いの、戦前からの瀬戸物屋さんでした。

 茶碗が一つ欠けたので5割引にひかれて一つ買いました。定価450円の半額。「これじゃ安すぎない?」というと「売れなければしょうがない」「お店もやめたいのだけどやめられなくて」。

 定年の私にとってはありがたい買い物でしたが、それ以上に元気いっぱいに仕事に励むおばあさんとの出会いが印象的でした。

 こぐまも、また来てみたい店でした。古い商店街に新しい店。新しい歴史が街に作られつつある、と見ました。


アート&カフェ こぐま
東京都墨田区東向島1-23-14
03-3610-0675

正午ころから午後7時ころまで
定休日 火、水

Posted at 19:49 | 旅 日記 徘徊 | この記事のURL
コメント(0)

初めて向島へ行くこと  [2007年10月27日(土) ]
 地下鉄浅草駅から隅田川沿いにすこし上流へ歩いて言問橋を渡ると向島です。東の橋詰南に牛島神社。立派な神社です。近所の方が入れ替わり立ち代りお参りにきていました。



 東京に半世紀以上住んでいても、行ったことがある場所は限られています。愚生の場合、特に弱いのが下町。なかでも墨東にいたってはこれまで縁がありませんでした。が、近年とみに興味がわいたのは、江戸ブームもありますが、先ごろ読んだ「逝きし世の面影」(渡辺京二著、平凡社)の影響が多々あります。

 同書は600nの大著です。開国という時の流れの腕力が日本にもたらしたものは一つの文明に引導を渡したということ、と読みました。「昔の日本て、なんてよかったのだろう」「それにひきかえ今の日本は・・・」と随所で深ーいため息をつきつつ。

 さわりをすこしだけ紹介しましょう。
 「幕末に異邦人たちが目撃した徳川後期文明は、ひとつの完成の域に達した文明だった。それはその成員の親和と幸福感、あたえられた生を無欲に楽しむ気楽さと諦念、自然環境と日月の運行を年中行事として生活化する仕組みにおいて、異邦人を賛嘆へと誘わずにはいられない文明であった」
 とても同じ国とは思えません。一読をお勧めします。

 ということで江戸の名残を石碑や神社にみることができる初めての向島散歩は、牛島神社から始まりました。総檜の社殿、立派な狛犬や堀辰雄が「どこかメランコリックな目ざしをした牛」と書いた撫牛などが境内にありました。撫牛は具合の悪いところをなでるとよくなる、という牛です。愚生も頭をなでてきました。



  ※        ※       ※

 昼食は地下鉄浅草駅構内の地下街入り口にあり、前から入りたかったやきそば「福ちゃん」で「カレーソースやきそば」450円。焼そばにカレーのトッピングは初めてです。
 「カレーソースやきそばはいつからあるの?カレーがなかなかいけるじゃない」
 「昔から。一味ちがうでしょ」



 昭和30年代にタイムスリップしたような地下街。いまどきの地下街や店とは味わいが一味もふた味も違います。

 「ビールと焼きそば」
 「サワーとやきそば、玉子焼き」
 後から入ってきた客はアルコールも注文していました。1人で昼から気兼ねなく飲んで食べられる空間は都内広しといえどなかなかないでしょう。


 男でよかった???としみじみ思いつつ逝きし世を偲ぶ。下町で、こころ豊かなひと時を過ごしました。

Posted at 01:46 | 旅 日記 徘徊 | この記事のURL
コメント(4)

かわゆーい怪獣たち [2007年10月20日(土) ]


 何で丸っこいのか、そしてなんとかわゆいことか。これではまるで赤塚不二夫の漫画のキャラではないか。ライオン、馬、獅子・・・齢すでに70-80歳ではありますが、そのかわゆさ、愛くるしさはいささかも衰えを見せておりません。生みの親は異形のデザインで人気のある建築家、伊東忠太です。

 彼らの仲間は東京のほか、京都にもいます。ここでご紹介するのは先日行った大倉集古館と東京・築地本願寺を棲家にしている彼らの一部です。
 大倉集古館は日本初の個人美術館で、港区虎ノ門にあるホテルオークラの敷地内にあり、向かいは警備厳しいアメリカ大使館です。
 築地本願寺はまるでインドの寺院のような外観。入り口から階段で迎えてくれるのが、かわゆい動物や怪獣たちです。どちらも設計も伊藤忠太です。





 伊東忠太の名をしらなくても、どこかで彼の設計になる奇妙な建築を、あるいは忘れがたい建築を見た方は多いでしょう。たとえば湯島の聖堂、京都の平安神宮、祇園閣、梅田阪急内部装飾などで、温かみがあって素人でも見て、触って、考えて楽しめる奇抜で刺激的なところがなんともいえません。

  伊東忠太は1867年、米沢で生まれました。東京帝国大学教授、文化勲章受賞者として建築界にその名を残しますが、家は代々医者の家計で常時7、8名の血気盛んな門弟がいた、と晩年、忠太自身が描いた自叙画伝にあります。しかも門弟たちが処刑された罪人の手を一応解剖した後「試食」し、その一片を「ご馳走になった」とも。

 なぜそのことを描いたのかはわかりませんが、画伝には忠太が「不可思議な蛇だの鳥だの」を見る「幻視さえあったらしい」とも書いてます。そのことと怪獣がどう結びついているのかもわかりませんが、神社仏閣の虹梁にも昔から象や獏、龍、鳳凰、招き猫などいろいろな動物、怪獣、珍獣がすんでいました。

 錦絵師としてもプロ並みの腕の忠太は少年時代から妖怪の絵をよく描いていました。建築家になってからも好みの怪獣を自分の建築にすまわそう、生かそうと考えたとしても不思議はありません。

かれらにご興味があれば、ぜひ実物を見て触ることをお勧めします。大倉集古館では今、特別展として富岡鉄斎展を開催しています。12月16日まで 詳しくは同館へ問い合わせください。


 この日の昼は久しぶりに銀座泰明庵で白魚掻揚げそば1000円。熱かったです。ここは夜がとてもいいです。ねっ。S次長。





※主な参考図書
「伊東忠太を知っていますか」(鈴木博之編著、王国社 2003年)
「建築巨人 伊東忠太」(読売新聞社編 1993年)



 
 

Posted at 14:25 | 旅 日記 徘徊 | この記事のURL
コメント(2)

何の因果で・・・キノコ編 [2007年10月10日(水) ]
踊る尼さん

 今は昔、京都・北山に入った「木伐人」たちが山で道に迷い、座っていると舞いながらやって来る「尼人」4、5人に出くわす、という話が今昔物語にあります。<巻第28 尼共、山に入り茸を食ひて舞う語(こと)、第28>

 尼人たちは、木伐人たちが心配した天狗や鬼神ではなく、やはり道に迷い、仕方なくキノコを食べたら心ならずも舞いだした、と言いましたっ。
 木伐人たちも、飢えるよりは、と同じキノコを食べてやはり舞いながらなんとか家に帰り着いた、という話で「其れより後、このキノコを舞茸と云ふなり」。
 
 今昔物語にはほかにもいくつか茸の話しがあります。生きるという事のなかにユーモアが盛り込まれていたりして人の心は今も昔も変わらないところがけっこうあるな、と感じ入ります。

 ところで尼人たちが食べた舞茸は、現在市販されている舞茸ではなくて、いわゆるワライタケ、と解説にありました。手元のキノコの本にワライタケはありませんでしたが、ついでに毒キノコの話しに目を通していると、この程度は笑い話にすぎません。
 山の奥深くで踊る尼さんが出てくるほうがよほど不気味です。
 ですが、本当に恐ろしい毒キノコは身の毛がよだちます。

苦痛の極めつけ

 肝臓と腎臓の組織が破壊されて死に至る・・・タマゴテングタケ(「きのこ」山渓フィールドブックス)
 欧米では「死の天使」という異名を持つ・・・ドクツルタケ(同上)

 極めつけは「こと苦痛という点ではドクササコにかなうものはない」と山梨在住の画家、渡辺隆次氏が「きのこの絵本」(ちくま文庫)でその恐ろしさを紹介しています。

 ドクササコ。「秋、竹やぶ、コナラ林などの地上に多数群生し」(「きのこ」山渓フィールドブックス)、見た目は普通のキノコです。食べても初めは何でもないようです。
ところが4,、5日たって始まる中毒症状は「死んだほうがまし」と思えるすさまじさです。詳しくは「きのこの絵本」で読んでいただくことにして、さわりを少し。

 「手足のさきが赤くはれ、そこへ焼け火箸か針をさすような激痛が襲う」
それが昼夜を問わず1-2ヶ月続く、とのこと。読んでるだけも恐ろしさに震えがきます。

それでも茸が好きっ

 何の因果で人間にそこまでの苦痛を与えるのか。小さな存在にそんな疑問も浮かぶキノコではありますが、毒があるゆえにガキのころから興味がありました。

 というわけで秋の八ヶ岳山麓、茅野市の標高1000メートル付近を数日ぶらぶらした折、時々下を向いて歩きました。この時期、落ちている山栗の実は虫に先を越されています。しかしキノコは道のすぐそばの林で見られます。
 
 ありました。まるで三度傘。林の下にもう一つの林がるようです。このかわいらしい、あるいはとっぴな姿、形、たたずまいは見飽きません。




 でも自分で見つけた茸は採りません。絶対に食べません。毒かそうでないか、見分けるノウハウがゼロだからです。ドクササコの話を知ったらなおさらです。




 もし松茸、と思しきキノコをを見つけたら?食べたくなるでしょうね。今年は一回も口に入らなかったし。

Posted at 21:45 | 旅 日記 徘徊 | この記事のURL
コメント(0)

学校へ [2007年10月07日(日) ]
 37年ぶりの学校通いです。週一回、東京・下町は中央区八丁掘の京華プラザというかつての小学校で開いているW大学の営む講座。



 科目は古文書。変体仮名のお勉強です。ガキのころは勉強嫌いで親を嘆かせ続けた愚生ではありますが、昔は昔、いいじゃないですか。変態は嫌いです。

 なぜ変体仮名か。街の徘徊と大いに関係があります。暇に任せて歩き始めたのは昨年秋ごろから、すなわち定年1年ほど前から。時間はありますからそこかしこに区教委などで立てた町や地名、坂などの説明版を読みます。街案内の本も読みます。読めば興味のあることも多々あります。



 谷中に延命院というお寺があります。延命院騒動という江戸時代の大事件の舞台です。明治時代にもその事件をもとにした本が出ました。

 国会図書館のホームページからその本のPDFファイルをダウンロードしました。しかし読めません。また明治といえど新聞も読めない字が多いのです。

 ならば字をお勉強するっきゃない。というわけで、先月末からはじめたお勉強はとても楽しく、「ま・ち・ど・お・しいのは・・・古文書の時間です」う。
 まだ2回ですが。(;^ω^A

 ところで東京に半世紀住んでいても八丁堀界隈は初めて。京華プラザは丸っぽくて銀座の泰明小学校と似ているな、と思ったら、やはり文化財的建築です。二宮金次郎の像もありました。


 二宮金次郎。懐かしいですね。像の台座には「勤倹力行」とあります。愚生なりに承知している金次郎ならば、とても尊敬します。ですが、「勤倹力行」はとても・・・・

Posted at 00:02 | 旅 日記 徘徊 | この記事のURL
コメント(3)

昨夜は東京ドーム [2007年10月03日(水) ]
 諸般の事情からいただいた東京ドームのチケットを、自分で使わせていただくことになり巨人―ヤクルト戦に行きました。野球をまともに観戦しにいったのは、20数年ぶり。前回は定岡が150キロ級の剛速球を投げているころで、私も大のジャイアンツファンでした。

 家人は昨夜が生まれて初めての野球観戦。
 「今4番はだれ?」
 お互い巨人以外はよく知らないのに、この数年テレビを見てないので私も「だれだったかな」。
 「スコアボードの選手名の左の数字は?」
 「1はピッチャー、2がキャッチャー、3がファースト・・・9がライト」

 かつてスコアもつけさせられたことがあり、その程度はわかります。
 試合はヤクルトが終始押し気味。テレビならもういいや、とチャンネルを切り替えるところですが、球状では現実を見続けなければなりません。
こんな弁当をいただきながら、ビールを飲みながら。はい.
ドームのふたを開けると・・・カロリー過多です。 


 ところがそれまでの現実が、清水のこの一振りで逆になりました。



 席は3塁側なのに巨人ファンばかり。みんな一斉に立ち上がって大歓声。旗を振り腕を回して叫べるだけの声で喜びの声を上げました。後ろのお兄さんは携帯電話で故郷に「今ドウムさ いるんだ。聞こえる?」

 5年ぶりの優勝。私にもうれしい気持ちはあるのですが、今ひとつ興奮しない、気持ちが盛り上がらない理由は、前にも書きましたが、「こんな○○にだれがした」という想いが強いからです。

 オレンジ色のテープが一斉に投げられ、巨人の選手がグラウンドを一周して巨人優勝の喜び一色に包まれたスタンドで、外野レフト側の一角だけ人がいなくなりました。



 「スポーツなのだから負けたヤクルトにも何か配慮があってもいいのでは」
 古田ファンでもある、家人の感想です。

Posted at 15:26 | 旅 日記 徘徊 | この記事のURL
コメント(0)

人生 捨てたものでも [2007年09月29日(土) ]
 毎日何をしているのですか?

 7時ころおきて、午前中は家事手伝いや読書、ソフトの習熟、午後は昼寝に買い物、時に気分転換のために都心へ。夜は晩酌。 
 これが勤めない自由、というと聞こえはいいですが、代償は小遣い減額、それもサラリーマン時代の数分の一しかない。
 こーんな 人生に だーれがした

 そんなぼやきをぐずぐず言ったのは、先月までの職場の仲間がひらいてくれた「還暦祝い」の場。3日前のことでした。
 お招きをうけたのは愚生と、やはり今月定年で退職されたIteaさん。
 Iteaさんがおっしゃいました。
 「H田君、丼ファンさんの話をよく聞いておきなさいよ。そうならないために」

 な な な な なにがそうならないために、ですか。H田君はまだ30歳そこそこ。しかも愚生と違って謹厳実直、まじめ青年であります。でも人生、何が起こるかわかりません。Iteaさんの忠告はその辺も含めて油断大敵、との厳しくも愛情あふれるお言葉、と思われます。

 皆さんに祝っていただき、愚生はこの5年間お世話になったこと、お招きを受けたことへの心から感謝の気持ちを申し上げたのですが、Iteaさんは謝辞に加えて「みなさんに」とあるものを。
 それがこの写真です。



 忙しい合間をぬって心を込めて焼いたてびねりの大きめの杯。これを私たちにプレゼントしてくれました。

 もとより焼き物にもうとい愚生ではありますが、色と言い飲みやすい姿形と言い申し分ない、なによりIteaさんの手作り、という重みが更なる輝きを加えて心落ち着く杯であります。実物をお見せできないのが残念ですが、趣味の域を超えています。

 開運なんでも鑑定団の中島誠之助さん風に言うと。
 「釉が深みのあるいい色をだしていますねえ。年代は新しいですが、作者の人柄のにじみ出たItea窯の逸品です。これでお酒を召し上がれば至福のひと時が訪れることは間違いありません。いいものを見せてもらいました。思い出といっしょに大切に使ってください」

 お忙しい中を、貴重なカードまでいただきお祝いしていただいたT島部長はじめ部の皆様、そしてIteaさん、ありがとうございました。
 小遣が減っても人生、捨てたものでもありません。

Posted at 13:38 | 旅 日記 徘徊 | この記事のURL
コメント(2)

<< 2008年10月 >>
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31