坦々麺だから辛いのは当たり前と思いますが、かなり辛く感じました。有楽町駅前のイトシア3階にある中華料理店「KAMONKA・點」。
「おいしいから」と誘っていただいたのは、いつもの御同輩K谷さん。愚生、辛さに強いわけではありませんが、かつて大阪の辛口料理「ハチ」なる処にて超激辛カレーを泣きながら食べて以来、少しばかり自信がついてはいます。

辛いばかりでなく、おいしさも十分。星の数ほどある銀座界隈のレストランで、効率よくおいしいお昼と出会うには、やはりグルメかつグルマンの親切な先達がいればこそ。ありがたいことです。ごちそうさまでした。
ちなみに坦々麺の辛さは少なくすることもできますが、上もあり、激辛が一番辛いとのことです。
イトシアの場所は、かつて都庁の古い建物やレバンテというレストランはじめ中華料理店、甘味処などいろいろな店が、雰囲気的には戦後を幾分残すかのように軒を連ねていました。さらにその昔は、大岡裁きの大岡越前守忠相から桜吹雪の遠山の金さんこと遠山左衛門尉影元まで奉行をしていた南町奉行所でありました。
有楽町イトシアは、歴史はあれど、雑然としていたこの地域を「有楽町駅前第1地区市街地再開発事業」という大規模プロジェクトの一つとし、その結果立ち現われたビルなのです。手元のパンフレットには「豊かな歴史の所産を未来に伝えること。人に愛される、人が主役の街」がイトシア、とあります。
ごちゃごちゃしている街って、個人経営者たちが懸命に営んでいるというメッセージがあって、まさに人が主役っていう感じが好きです。勘違いの店主が生意気な店にはいきませんが。
しかし数寄屋橋の下は埋め立てられ古いものが容赦なく消えて、かわりに次々と出てくるきれいに整った街とビル。そこに働く方たちにとっては大切な職場であり、おいしい食事を満足いく形で提供したい、と思うのは当たり前のことであります。
一方で愚生は思います。できたばかりのまだ没個性的なビルを「人が主役」という、PR文句にうたうのは無理がある、美辞麗句を並べてもどこかむなしい気がする、と。だからこそネーミングでカバーしたい、という狙いは分からないでもないですが。
あれもこれも、というのはぜいたくにすぎますか。お裁きは、大岡様か金さんにお願いしたいです。
ところで辛いといえば、先日銀座高架下の商店街、銀座ファイブ地下のDENGAKUという店で食べたのがこのカレー。980円。焼いた鉄板にご飯を乗せてしばらく温めその上にカレーをかけるところは、さながらビビンバのよう。
「いかがですか」と店の方に聞かれて
「辛いのと熱いのとお焦げの香りとで、味はよくわかりません」
本当はもう一度食べたくなるカレーでした。
ホームページによると、店は昭和33年の開業。銀座ファイブの前身の数寄屋橋ショッピングセンターができたのが昭和32年7月ですから、DENGAKUは消長の激しい世界でショッピングセンターとともに歴史を重ねた、たいした店であります。
もっともショッピングセンターも、川や堀を埋め立ててできたのですから、当時の大プロジェクトの産物です。
昭和32年の大ヒット曲は低音の魅力、フランク永井さんの「有楽町であいましょう」。
あなたを待てば 雨が降る
今はなき有楽町そごう開店のコマーシャルソングは、子供たちもボーイソプラノで口ずさんでいました。
それから50年。坦々麺を食べたその日、数寄屋橋マリオン前でこの歌のヒット50周年記念歌碑の除幕式があり、歌手ジェロさんが歌った、と新聞にありました。
なぜ数寄屋橋なのかわかりませんが、こうして書いていても懐かしい、いや、みんな貧乏でも未来があった時代でありました。いろいろと矛盾は感じますが、「いとしい」は、そんなころをしのぶときにちょっと使ってみたい気がする言葉であります。
「おいしいから」と誘っていただいたのは、いつもの御同輩K谷さん。愚生、辛さに強いわけではありませんが、かつて大阪の辛口料理「ハチ」なる処にて超激辛カレーを泣きながら食べて以来、少しばかり自信がついてはいます。

辛いばかりでなく、おいしさも十分。星の数ほどある銀座界隈のレストランで、効率よくおいしいお昼と出会うには、やはりグルメかつグルマンの親切な先達がいればこそ。ありがたいことです。ごちそうさまでした。
ちなみに坦々麺の辛さは少なくすることもできますが、上もあり、激辛が一番辛いとのことです。
イトシアの場所は、かつて都庁の古い建物やレバンテというレストランはじめ中華料理店、甘味処などいろいろな店が、雰囲気的には戦後を幾分残すかのように軒を連ねていました。さらにその昔は、大岡裁きの大岡越前守忠相から桜吹雪の遠山の金さんこと遠山左衛門尉影元まで奉行をしていた南町奉行所でありました。
有楽町イトシアは、歴史はあれど、雑然としていたこの地域を「有楽町駅前第1地区市街地再開発事業」という大規模プロジェクトの一つとし、その結果立ち現われたビルなのです。手元のパンフレットには「豊かな歴史の所産を未来に伝えること。人に愛される、人が主役の街」がイトシア、とあります。
ごちゃごちゃしている街って、個人経営者たちが懸命に営んでいるというメッセージがあって、まさに人が主役っていう感じが好きです。勘違いの店主が生意気な店にはいきませんが。
しかし数寄屋橋の下は埋め立てられ古いものが容赦なく消えて、かわりに次々と出てくるきれいに整った街とビル。そこに働く方たちにとっては大切な職場であり、おいしい食事を満足いく形で提供したい、と思うのは当たり前のことであります。
一方で愚生は思います。できたばかりのまだ没個性的なビルを「人が主役」という、PR文句にうたうのは無理がある、美辞麗句を並べてもどこかむなしい気がする、と。だからこそネーミングでカバーしたい、という狙いは分からないでもないですが。
あれもこれも、というのはぜいたくにすぎますか。お裁きは、大岡様か金さんにお願いしたいです。
ところで辛いといえば、先日銀座高架下の商店街、銀座ファイブ地下のDENGAKUという店で食べたのがこのカレー。980円。焼いた鉄板にご飯を乗せてしばらく温めその上にカレーをかけるところは、さながらビビンバのよう。
「いかがですか」と店の方に聞かれて
「辛いのと熱いのとお焦げの香りとで、味はよくわかりません」
本当はもう一度食べたくなるカレーでした。
ホームページによると、店は昭和33年の開業。銀座ファイブの前身の数寄屋橋ショッピングセンターができたのが昭和32年7月ですから、DENGAKUは消長の激しい世界でショッピングセンターとともに歴史を重ねた、たいした店であります。
もっともショッピングセンターも、川や堀を埋め立ててできたのですから、当時の大プロジェクトの産物です。
昭和32年の大ヒット曲は低音の魅力、フランク永井さんの「有楽町であいましょう」。
あなたを待てば 雨が降る今はなき有楽町そごう開店のコマーシャルソングは、子供たちもボーイソプラノで口ずさんでいました。
それから50年。坦々麺を食べたその日、数寄屋橋マリオン前でこの歌のヒット50周年記念歌碑の除幕式があり、歌手ジェロさんが歌った、と新聞にありました。
なぜ数寄屋橋なのかわかりませんが、こうして書いていても懐かしい、いや、みんな貧乏でも未来があった時代でありました。いろいろと矛盾は感じますが、「いとしい」は、そんなころをしのぶときにちょっと使ってみたい気がする言葉であります。


