プロフィール
http://salon.stage007.com/hakkei/index1_0.rdf
新丸ビルへ [2007年06月26日(火) ]
 新丸ビルの探訪をきのう試みました。先週に引き続き2回目であります。地下鉄丸の内線東京駅からすぐ。写真は地下の入り口付近ですが、ごらんのように照明がとてもしゃれています。



 東京もこの日は梅雨模様。新丸ビル界隈、天気霧雨なれど人波高し。そのほとんどが女性というのは先週と同じ。ひきかえわが同性はどこにいるのか。平日の午後2時ころですから仕事がほとんど、と思いますがそれにしても少ない。

 新しいものに興味があまり無いのか、余裕が無いのか・・・愚生、興味ありありですが、一人ではいる店はやはり限られるし、第一どの店もすごく混雑していて当分入る気がしません。前回もそうでした。

 で、また同じ店−パン本当に好きなんです−カフェアパショナート 新丸の内ビル店

「世界一のコーヒー」とありました。前回はサンドイッチを持ち帰ったのですが、おいしかったので今回はその“世界一のコーヒー”も飲みたくてトルティーヤ ラップサンド ブーケロールとコーヒーを頼みました。前回持ち帰ったのはローフサンド アイスバインwithジュノベーゼというホットサンド。

 今回頼んだコーヒーもトルティーヤもとてもおいしかったです。が、コーヒーと合わせて910円は「新丸ビル」というブランド料金でしょう。




壁に向かって一人食べて会社に帰りました。私以外は女性でした。

 今週はあいさつ回りをかねた東北出張です。サラリーマン生活最後の出張かも。



Posted at 00:33 | 食 パン 麺 | この記事のURL
コメント(4)

近所の寿司屋で [2007年06月25日(月) ]
 「一軒おいて貸し本屋がありましたね」
 「うちがここに店を出したのは昭和37年。貸し本屋はなくなっていました。環7(環状7号線)がまだ工事中でしたね」

 今夜、東京オリンピックの2年前の思い出話に花が咲いたのは、ご近所の寿司屋さん。入ったのは2回目です。神田川のすぐ近くにあり、「うちが来てからはないですが、以前は大水が出て大変だったそうで」。

 神田川はかつて江戸の上水、私の子供時代は周囲の田んぼに水を供給していましたが、梅雨時や台風のときはあふれて一面水浸し。戦後も30年前後には田んぼにも住宅ができ始めていたので毎年浸水騒ぎとなりました。

 その貸し本屋には本当によく通いました。漫画では少年ケニヤ、ロボット三等兵、講談本では真田十勇士、探偵物では江戸川乱歩、横溝正史、怪盗ルパン、シャーロックホームズ・・・

 貸し自転車屋、というのもありました。古い自転車を1時間10円で貸してくれるのですが30分しか乗らないと付けにしてくれてあと30分後日乗ることができたのです。
 寿司屋さんは私より7、8歳年配です。奥様と二人。店の電話は黒電話。客は近所の常連さんがほとんど、と見ました。



 特上ちらし2400円。刺身も酢飯もガリもおいしく子丼と二人でビール1本(大瓶)、お酒2合、突き出しも出て6140円。

 おもわず聞き返しましたが、寿司屋の受難時代に45年暖簾を守ってきたお店の長寿の秘訣、わかりました。

Posted at 00:05 | 食 都内 | この記事のURL
コメント(3)

アムール湿原紀行 1991年その4-6 [2007年06月24日(日) ]
免疫力強化のつもり アムール湿原紀行 1991年その4

 当時読んだ本にたびたび出てた病気がウイルスによるロシア春夏脳炎です。日本脳炎に似て、高熱を発して死亡率も高く、治っても脳に後遺症が残ることがある、という恐ろしい病気で、ウイルスを媒介するのは森に棲むダニです。

 これは事前準備をしなくっちゃ、と国内の専門家にどんな病気か、ワクチンはあるのか、問い合わせました。
 「ワクチンは日本にはない。ダニはユーラシア大陸、ウイーンの森から極東のタイガまで広くいる。とにかくダニに刺されないこと」

 そういうわけで、ダニに食われた場合死の危険もある。タイガの自然は厳しい、となると頼みの綱は自身の体力。ところがまるで自信がありませんでした。なにしろ積年の酒毒がメタボリッぽく(当時はこの言葉はありませんしたが)腹部にたまっておりました。

 仕方がない。ランニングと柔軟体操、自転車こぎ、それと筋トレをはじめました。近所のジムで時に仕事をサボって。それは出発3ヶ月前のことでした。

 初めはランニングというには恥ずかしい、300メートルから初めてついに5km達成、ベンチプレスも筋肉を痛めないよう20キロくらいから初めて90kg程度を挙げられるように一応なりました。
 
 ま、気休めではありましょうが、体力即免疫力、と思いこんでいたからこそ、そこまでこぎつけたのでしょう。
 でも本当は、初志貫徹の強い意思が何より必要と思いましたが、それは体力強化でついてくるもの、と言い聞かせてイメージトレーニングの真似事も自分なりにしました。

 それが役立ったのは、旅の最終のころでした。マムシにおびえ、熊や猪にあわないことを祈りつつ丸腰でタイガの中を歩くこと20キロ。シベリア鉄道沿いの村にたどり着いたときは一歩も歩けない状態でしたが、途中は「ジムでのトレーニングもこんな感じでつらかったな」と思いつつ前だけを見続けていましたっけ。




「オペもできるね」 アムール湿原紀行 1991年その5

 体力づくりと平行して考えたのは荷物です。私は自然の中でまともに過ごしたことは一回もなかったので、一体どんな環境なのか想像もつきませんでした。
 荷物の中でもまず考えたのは当時のソ連には期待のできない医療品の持参でした。
 
そのリストです。
 抗生物質(塗り薬、目薬、飲み薬二種) 整腸剤 下痢どめ 胃薬 解毒剤 下剤 総合ビタミン剤 風薬 鎮痛剤 止血剤 かゆみどめ タイガーバーム 包帯 リバテープ 消毒薬 抗ヒスタミン剤 トローチ とげ抜き つめきり 睡眠薬 使い捨て注射器 針 メス ピンセット
青酸カリ(冗談です)

 肝炎、破傷風の予防注射もしました。マムシがいるというので毒蛇用血清。使い方も知らないのに。

 現地で出会った医師が言いました。
 「これだけあればオペができるね」と。私は麻酔薬も絶対いる、と思いました。

 ほかに寝袋、頭から被る防虫ネット、軍手、長靴、筆記用具、双眼鏡、みやげ、現金(ドル)、露和・和露辞典、インスタントラーメン30食、味噌、醤油、塩、釣竿等々。



ハバロフスク  アムール湿原紀行 1991年その6

 かくして1991年6月1日午後、いよいよ新潟空港からアエロフロート機でハバロフスクへと向かいました。
 酔った客がいて出発は予定より1時間以上遅れましたが、夕方5時半、ハバロフスク空港へ。ハバロフスクは極東の大都市。治安の乱れは当時の体制下でもすでに始まっていて「殺人事件が年間60数件」という記事も見かけました。

 ハバロフスク空港にはロシア人3人が迎えにきていました。通訳と、今回のツアーを組んだ当時できたてほやほやのツアー会社の人。そして運転手。ホテルはインツーリストホテル。大きくて暗くて見張りの女性が廊下にいる、とてもソ連的なホテルでした。

 ホテルの窓から豊かな緑越しに川幅3キロのアムール川を眼下にすると、大陸に来たなあ、という実感がわきました。石炭などを積んだ貨物船が船団を組んで上流を目指していきます。




 川幅はこの辺で3キロ。対岸はかすんで見えません。夏の増水期は深いところで36メートルもあるとの事でした。冬は歩いて対岸へ渡ることができるそうですが、この時期はみんな船で対岸のダーチャへ行くとのことでした。

 通訳の青年はダーチャを「別荘」と言いましたが、泊り込んで農作業をするための山小屋的な感じを受けました。ここで夏の間にせっせとジャガイモやタマネギをつくり、厳しい冬に備えるのです。

 子どもたちが釣りをしていました。ナマズ、大ナマズ、コイ、秋はサケ、そして時々チョウザメが釣れることがあり、それも昔は5メートルを越すのもいたそうです。
 しかしこの頃ご他聞に漏れず、周辺工場や農地からの排水によりかなり汚染が進んでいる、とのことでした。

Posted at 18:18 | 旅 ソ連・ロシア | この記事のURL
コメント(2)

アムール湿原紀行 1991年その1-3   [2007年06月24日(日) ]
はじめに

 この記事は、前にお読みいただいた方には申し訳ありませんが、すでにここで「ソ連」のカテゴリーでご紹介したものを、再構成したものです。再掲出するにあたり「ソ連」のカテゴリーでの掲出記事は近く消去します。

 毎回3話分くらいをまとめて掲出していくつもりで、多分15-20話位に膨らみそうです。
 しかしなにぶん昔の話なので、間違いもあることと思います。ご指摘いただければありがたいです。
 また写真は私が写したものですが、著作権は私にはありません。しかし時々、短時間だけ見ていただきたいな、と思っています。 
 それではご興味のある方はぜひおこしください。




「えーっつ」  アムール湿原紀行 1991年その1  

 タンチョウの子育てを見に行こう。
 動物園ですか。
 いや、遠くだ。
 じゃ釧路湿原?いいですね。
 もっと遠く、ソ連だよ。
 えーっつ

 ちょっと待ってください。ソ連といってもめちゃ広うござんすが?
 アムール州の大湿地帯。もう決めたから。君と行くことを。

 えーっつ  
 君と行くったって、男同士なのにー
 かねがね人事と仕事を断るのは辞表を出すときのみ、と思っていた(かな?)手前、叫び声は心のうちです。しかし普通の体力、気力、意欲、容姿?の中年(当時44歳)が、なんでー なんでー。

 だいいちタンチョウなら北海道で見られるし、政情不穏の中、行きたいわけがありません。でも拒否する理由も浮かばず、行ったっち。
 
 同行というか、私を誘った方は54歳。年齢は問題ではありません。タフさにおいては圧倒的な実績をお持ちの先輩でありんす。だからこそ余計しりごみするのです。



動植物のオンパレード地帯  アムール湿原紀行 1991年その2 

 時に1991年6月。その年の暮れにゴルバチョフ大統領が辞任して1922年以来のソビエト連邦は崩壊し、ロシアなどの国々になりました。

 目的地はアムール川中流域のヒンガンスキー自然保護区。当時の第一級国の自然保護区、とのことでした。熊、イノシシ、鹿、狼、山猫もいる地域で、熊は日本のツキノワグマとヒグマの両方がいて、昔は虎もいたそうです。
 でも、大きいゆえに怖い、というわけでもないことを、この旅は教えてくれました。

 旅の期間は3週間。現地滞在は2週間。決めたら前向きにしなきゃ損損−阿波踊りと同じ(どこが?)−です。二度と訪れる機会はない、と当時流行った京セラのサムライというズームレンズ付きハーフサイズカメラで、メモ代わりに手当たりしだい写しました。

 あまりにも非日常の世界の体験だけに、いつかどこかに書いて残しておきたい、と思っていました。





デルスーとの出会い アムール湿原紀行 1991年その3

 旅は体力があれば楽しいですが、なぜ楽しいのか、と考えるとなかなか難しいものがありますよね。私なんぞは新しいこと、もの、人に出会い、知らない料理と酒と酒場が何より楽しいのですが、哲学者の土屋恵一郎氏はこう書いています。

 「旅行は、異なる場所の体験であり、異なるコスモスの間を往還することで、世界の多様性と私が帰属する世界の意味を知ることである」(宗教とは何か 中村雄二郎著 岩波現代文庫解説 旅する者の宗教論より)
 難しく考えなくても、とも思いますが「なら紹介するなよ」と自問自答。

 今回の旅先は何しろソ連。言葉もできないし、現地の信頼できる情報はほとんど、というよりまったくありませんでした。図書館などには「今日のソ連邦」という国のPR誌がありましたが、きれいな写真を見る程度。

 そこで数十冊、ソ連極東の出版物、小説などを読みました。気候風土、環境、湿地のこと・・・中でも面白かったのがデルスー・ウザーラ(アルセーニエフ著)でした。

 北海道の対面、沿海州の大山脈、シホテアリニ山脈を舞台に老猟師デルスーとインテリ軍人、アルセーニエフとが極東の探検を通して交わした心の記録です。

 虎か狼か、猪かアムール豹かあるいは鹿か・・・テントの周りに近づく獣の気配に一人緊張して過ごす夜を日常としていた当時の猟師の一人だったデルスーは、虎にあとをつけられたとき、話しかけました。

「なに、おまえ、ほしい、アンバ(虎)よ・・・」
彼は虎をはずかしめて、逃げ出さしたのである。
(「デルスー・ウザーラ 上」ウラジーミル・アルセーニエフ 長谷川四郎訳 河出文庫)

 獣も鳥も虫も魚も、そして流れる水さえもヒトとして見る、語りかけるデルスー。山の神、道祖神、竈の神などに祈り、感謝してきたかつての日本人と重なる部分があり、目から鱗の大自然記として、以後何度も読み直しました。結末は悲しいのですが。

Posted at 16:03 | 旅 ソ連・ロシア | この記事のURL
コメント(3)

小さなパン屋で大きな幸せ [2007年06月22日(金) ]
 自己実現、という言葉がひところはやりましたね。最近では起業、という言葉がそれに変わったようですが、東京・神田多町の路地裏で最近見つけた「ゆきのパン屋」は、どちらの言葉もあてはまりそうに思える店です。
 パンフレットには
 「大昔からの製法で丁寧にパンを作っています」
 「自然の力だけで丁寧にできたパンは何よりも生きる力があふれています」
 「皆様の健康を願うパン」・・・

 愚生、本日で2回目。先日初めて食べた「ぽてとコロコロ」200円と食パン半欣200円があまりにもおいしくて午前11時28分に行くと先客4人が雨の中を並んでいました。

 


 シャッターが開いたのは午前11時半。このとき後ろにさらに4人が。雨なのに、ですよ。店は二人もはいればいっぱい。1日に食パン16斤、丸パン140個の限定生産。

 しかも営業は火曜日から金曜日の午後6時までとしていますが売切れ次第終了。お気に入りのパンを買うには予約をしておくか、並ぶしかないのです。

 ぽてとコロコロ200円、白ごまチーズ220円、季節限定のかぼちゃのパン290円を買いました。ぽてとコロコロは、ぽてと、それもパンの具としては食べたことが無いといっても過言ではないほどおいしいぽてとがこんなにいっぱい。愚生、ぽてと好きなんです。かぼちゃもいっぱい。

 作り手の気が入り、こもって「おいしさ」の力を自身で育んで内に秘めたパン、といえます。おいしく良いものを作ろう、という意識がパンという食品になって食べる者の体に入ってくる。それがこころから「おいしい」になるのでしょう。





 「もぐもぐ 本当においしいですね。 もぐもぐもぐ」とグルマン、グルメかつ「割り勘負けをしない」主義者、S次長は席でうっとりと放心状態に。しかも「もう家に帰ろうかな」だって。
まだ昼ですよ。

 毎日が自己実現の日々に見えるS次長、本日はポテトころころパンに心を奪われるという幸せにめぐりあい、自己実現をみごとはたしましたとさ。
 それにしても勤労意欲までそぐパンって、すごいですよね。どっとはらい

追記

 おっ この間食べてたパンですね

 3階の売店で買ったパンをかじっていたY根君の一言です。


Posted at 14:59 | 食 パン 麺 | この記事のURL
コメント(3)

熊野は私を呼んでいる、かな? [2007年06月20日(水) ]


 呼んでいる、としか 思えない今日このごろです。

その1

 霊によって、違った。例によってバー、それも知る人ぞ知る東京・四谷は荒木町の坊主バーで先週お会いしたのは禅宗寺院の若きご住職。お寺は和歌山県田辺市にあり、修行は永平寺、というから曹洞宗。

 「永平寺の修行は厳しいでしょう」と私。
 「よくご存知で。でも今は殴る蹴るはないです」とご住職。
 「若いうちじゃないとつらいですよね」
 「私の場合はしなければいけなかったので・・・」

 話が弾んで「今度和歌山に来てください。熊野古道の案内の人も紹介しましょう」。
 ぜったい行きたい。
 坊主バーのお話は改めてご紹介したいと思います。

その2
 本日、ご同輩と3人で銀座は稲庭うどんへ。本当は天丼目当てだったのですが、臨時休業で転戦しました。天ぷらせいろ1800円。




 帰りがけに有楽町の交通会館で見かけたのがトップの写真の風景。一週間、和歌山の宣伝をするのだそうです。
 和歌山といえば今やミカンと南高梅が知られていますが、かつては熊野灘の勇壮な捕鯨があり、社会科の教科書にも捕鯨の町、太地町が載っていました(と思います)。
 鯨の大和煮を買いました。ノスタルジーです。

 そして世界遺産の熊野古道が思い浮かびます。修験者の姿をしてほら貝を吹いている方に聞きました。

 「本当の山伏ですか」
 「違います」
 「ほら貝を吹くのは難しそうですね」
 「トランペットを吹ければ大丈夫です」
 難しそう。

 「ほら貝、高いでしょう」
 「こんな大きなほら貝は和歌山ではもうなくなって。30万円くらいするんじゃないですか」
 「金糸銀糸を使った衣装も高そうですね」
 「はい」
 「暑い中、ご苦労様です」

 かくして熊野と私との暖かい交流その2は終わりました。こうなったら行くしかないでしょう。



Posted at 17:18 | 食 パン 麺 | この記事のURL
コメント(4)

砂場にて−そば賛歌 [2007年06月14日(木) ]


 行ってよかった、食べてよかった、とテイネン前のささやかな幸せに感謝して、おいしくそばを噛み締めたというか飲み込んだというか、ともかくそういうしだいです。

 日本橋室町砂場は私が時々行くそば屋の中では、最もおいしいそば屋の一つです。
 本日はおおもり800円。
 「お待たせしました」



 運ばれてきたこの1枚が、二人掛けのテーブルの場の雰囲気を一気に引き締めます。冷たく、締りよく、切れよく、つゆあくまで色濃く味濃く香りよく・・・妥協や甘えが微塵も感じられない食べ物というのはもりにつきる、といっても過言ではないでしょう。

 何を大げさに、と思うなかれ。盛りがいまいち、なんて思うなかれ。そば好きの方はぜひ召し上がってください。


 前回砂場に行ったのは昨年秋。花巻そばを食べたのですが、本日、そのいわれを聞きました。
 「暖かいお汁のそばに散らしたもみ海苔を波の花に見立てました」


 なるほど。
 前回別のところに書いたレポートをここに再掲いたします。

※     ※     ※

「砂場に行こう」
 「どこの公園?スコップ持ってないけど」
 3人でやってきたのは日本橋室町の砂場。そばっ食いが夢にまで見る名店です。スコップはいりませんが懐の奥深さ、覚悟が必要です。
ここで一句
 新そばや 君は天ざるぼくはもり 不条理だけはいつも変わらず
  
      
 なんだかわけわかりませんね。
 初めてのご同輩Mi氏は「鳥南ばん」1350円。夜にそなえて控えめです。ワタクシは「花まきともり」1400円。花まきは、ノリの香りを楽しむそばです。なぜ花まきなのか、次回取材しましょう。

 麺食いのS次長は「かけとざる。かけ先に」。いつになく厳しい口調。意気込みが違います。かけ550円、ざる650円、合わせて1200円。

 また一句
 
 花まきともりでは足りぬ砂場かな 懐の寒さ 今ぞ悔しき
  
 「今ぞ悔しき」は万葉集巻20 4337から拝借しました。補足しましょう。
 
 「昨晩あんなに飲まなければよかった。そばをもっと食べたいのに懐がとても寂しいのが今となっては悔やまれることだ」

 花まきそばがきました。
 
 立ち上る 花まきともりの香ばしさ 君が懐当てにして

 新そばは 香り高いが値も高く わびしさつのる室町の午後
 
 
 どんどんみみっちくなりますね。何しろテイネン前ですからあ。
 「そばもつゆも絶品。いい店を教えてもらったよ」とMi氏。「もりも頼んじゃおう」とS次長。この発言の裏には麺食いのすごさが隠れているのをワタクシは知っていたのでございます。


 「ここのもりって風味のある黒いそばで、ざるは更科粉で打った白いそばなんです。もりに海苔を載せたのがざるというわけではないのです」(S次長談)

 なんとなれば、ワレワレが先に済ますと蕎麦湯も先に飲みます。ご存知のように、上澄みです。味や栄養に変わりはほとんどないのかもしれませんが、最後の濃いところをワレワレは好みます。

 先日もS次長は「蕎麦湯お先にどうぞ」などといって最後の濃いところをたっぷりと飲みました。許せなーい。
至福のひと時はかくして瞬く間に過ぎました。砂場の近くに穴子の店ができていました。

 「こっちもいいね」
 変わりやすいは男心と秋の空。

 秋深し 砂場の蕎麦より 君のそば

 おあとがよろしいようで
(平成18年10月記)

駄句ばかりで、しかも長々と書いて失礼しました。

Posted at 16:33 | 食 パン 麺 | この記事のURL
コメント(6)

S次長が+玄米うどんなど [2007年06月12日(火) ]
 われらがS次長、朝から元気がない。
 「食中毒かもしれない。吐いたんです」
 「つわりとちゃう?」
 「どうしてわかるんです。お腹ですか」

 この程度の冗談を交わす元気はあるのですが、どこかせつなげ。薬屋の息子のおみずがなにやら白い薬を差し入れ、ご同輩Y氏は「おくやみをいわなくちゃ」。違うよね。薬はハイチオールCとの噂。それって酒飲みの肝臓対策なんだけど。

 Y氏の差し入れは昔の漢方薬。効く効かないはともかくみんなやさしいです。
 S次長、ぐわんばれ。でも暴飲暴食次長、違った自重すべし。



 話は変わって
 写真は昨日ご馳走になった玄米うどん。しこしこしてとてもおいしかったです。ご馳走になって言うのもなんですが、これで1050円。東京・麹町にしては破格のお値段かと。
 玄米うどんて初めて。S支社長、またよろしくお願いします。

 下は先週末食べた東京・赤坂一ツ木通り「たくえつ」の胡麻らうめん900円。
 「8時間かけて煮込んだスープに弐種類の高級胡麻がじっくり溶け込みそこに中国黒酢うんぬん」とあります。

 スープアツアツ、麺茹ですぎず、油濃いのは合点承知の助。一つだけお店に注文しました。午前4時までやっているのだから濃い味が好まれるのは飲兵衛としてよくわかります。しかし、高血圧の身にとってはショッパイ、と申し上げました。
 「この次は塩を控えめに、とおっしゃってください」
 いいですね。また行きます。



Posted at 11:40 | 食 パン 麺 | この記事のURL
コメント(3)

パセリか毛虫か [2007年06月08日(金) ]

 本日の庭です。荒れ放題に近いです。

 ところで、悲しいこと、といえなくもないことが・・・
 ささやかな菜園つくりを目指して植えたパセリにこんな色鮮やかな毛虫が3匹もついてました。困りますね。毛虫の幸せを願うか、パセリの生存権を尊重するか、深い哲学的悩み(どこが?)がにわかに生じたのであります。



 ところが、すぐに解決の見通しが立ちました。たまたま手にしたアンソロジー「幻妖」(編、解説 渋沢竜彦、現代思潮社)の「虫めづる姫君」を読み、解説に目を通すと「姫君が愛すべき存在であるならば、毛虫も愛すべき存在でなければならない。なぜなら、毛虫もまた、自然の秩序の中での一つのオブジェにほかならないからである」。

 姫君、好きです。パセリも好きです。しかも渋沢さんがこうおっしゃっているのだから、話は早いです。毛虫の幸せを尊重しましょう。

 でも、パセリは・・・毛虫より先に食べちゃおうかな。哲学とはやはり無縁であることを自覚せずにはいられない、金曜日の昼下がりです。(自主的に4勤3休です)。


       ※         ※        ※

京都・錦市場追記 コーヒーは「きのした」で京都07・05・19−20その5

 市場歩きに疲れて行くのがコーヒーのきのした。
 すわるとママが「うちのコーヒー豆を見てください」と席に缶を持ってきます。私、5回目ですから「前にみました」。
 「それはありがとうございます」

 次いでアルバイトのお兄さんがカップ等セットを持ってきて片手を後ろにまわしてコーヒーを丁寧に入れ始めます。
 「何か秘訣が?」
 「最初の20秒間蒸らします。あとは普通です」



 ここのイギリスのチーズと卵のサンド&コーヒーのセット560円がおいしくて、楽しみなのです。チーズと卵がとろとろと融合してカロリーは少し多いかもしれませんが、歩いた後ですからこれくらい補給しないと。
 


 こだわり、と言う言葉は安易には使いたくありませんが、「きのした」のコーヒーへのこだわりは本物、と見ております。
 こういうことに出会うのが、楽しいのです

木下は京都市中京区麩屋町通錦小路上ル。市場から麩屋町通へ入り、すぐです。

Posted at 18:11 | 食 関西ほか | この記事のURL
コメント(6)

等持院の異空間  京都07・05・19−20その4 [2007年06月07日(木) ]

 霊気、というものがある、と本気で思ったのはここが初めてでした。40年前の学生時代です。尊氏はじめ歴代足利将軍の古びた像が、訪れる者の身も心をも突き抜けて見据えているのです。暗い堂内で何世紀にもわたって。

 ドナルド・キーンさんも「足利義政 日本美の発見」(中央公論新社 2003年)でこう書いています。
 「最近の訪問でやはり私が感じたのは、堂内の両側に居並ぶ等身大の坐像から発散される不気味な冷気だった」と。

 キーンさんもたびたび訪問している等持院は、世界遺産リストに登録されている龍安寺からわずか数百メートル。嵐電では北野線等持院駅が最寄り駅です。ところがぎっちょん、おたちあい。観光客が少ないのです。霊光殿をご存じないから、と私は見ております。もったいない。

 


 等持院は庭も見所です。尊氏の墓もあります。しかし、上掲書に書かれていた霊光殿にまつわる話をもう少しします。

  文久3年、等持院に押し入った9人の男たちが尊氏、義詮、義満の木造の首を切り落とし、賀茂の川原に晒された。「志士」によって斬首された「国賊」の首を晒すことは幕末の慣いで、これはそれに従ったものだった。

 首は元に戻っています。首がないままだったらあまりにも恐ろしい空間だったのではないでしょうか。

 ところで、3脚をつかわなければ写真撮影は自由です。このこともお気に入りの理由の一つです。

Posted at 17:39 | 旅 国内 | この記事のURL
コメント(2)

| 次へ
<< 2007年06月 >>
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30