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ウナ電 ロボット三等兵など [2007年07月07日(土) ]


 会社を休んで、昨日(7月6日)東京国際ブックフェアなる催しに行ってきました。新橋からゆりかもめに乗り換えて国際展示場正門へ。22分、とHPにありましたがもっとかかったような気がします。



 広い会場でまずはお楽しみのCDのバーゲン。しかし、今回は思いがけないであいがありました。タイトルの「ロボット三等兵」という漫画の復刻本があったのです。貸し本屋に足しげく通っていた小学校低学年のころ、夢中で読んだ漫画の一つです。

 作者は前谷惟光。階級章に星のない“三等兵”のロボットが、いじめられる中でいやな上官を皮肉ったりからかったりで、子供心に虐げられた三等兵の悲哀を感じて同情しつつ、しかも面白く、新刊がでるのが本当に楽しみでした。

  一冊1800円。それが会場では半値でした。出展者のかたに確かめました。
「新しいけど本当に半値でいいの」
「どうぞ」
「少年ケニヤも買うからそのプロレスTシャツちょうだい」
本当は、プロレスの本を買った客へのサービスでしたが、いただきました。定年直前パワーです。



 もうひとつ、納得のDVDをゲットしました。ネット上の電子図書館、青空文庫の10歳記念DVD-ROMというのがあり、それには同文庫で公開された6300の蔵書が収められている、といのです。しかも1枚500円。2枚買いました。

 このとき時間は午後3時。長寿で元気で有名な先生がおっしゃったことを思い出しました。
 「夢中で仕事をしていれば腹なんか減らない」
 
 帰りは豊洲から銀座へ。盛岡名物の冷麺を食べました。昼時はかなり並んでいるお店ですが3時半ともなるとさすがにすんなり入れました。
中辛で頼みました。麺はかなりしこしこ、スープも大変おいしかったです。辛いのが好きな方は中では物足りないと思いますが。




 東京国際ブックフェアは8日までなので、ウナ電で掲出しました。詳しくはホームページをご確認ください。

Posted at 01:29 | 食 パン 麺 | この記事のURL
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牛たん賛歌 [2007年07月04日(水) ]
 「安くてうまい店をどれだけ知るか、がこれからの人生を決める」
 かくいうご同輩、おみずの場合は「ボリューム」がなにより不可欠の条件であることを、私は知っております。ジンセイ=ボリュームという思想の御仁には、だからこの店は教えたくないのだ。どどどどどどー(楳図かずおの漫画「グワシ!!まことちゃん」的表現)とジンセイのすべてをかけて入り浸るだろうから。
  しかし、ここは一つジンセイに不可欠のナサケをかけて紹介しちゃいましょう。

たん焼き 忍(http://www.tanyaki-shinobu.com/home)


 四谷駅から三栄通を四谷3丁目方向へ4,5分歩いて右側です。大体順番待ちのファンが並んでいるのでわかります。
店の外観も店内も民芸調。太い梁が料理の骨太さ?を暗示しておいしい雰囲気造りをかもし出しています。

 昨晩、我々は運よく調理の現場と対峙する最前線、すなわちカウンターの奥に座ることができました。

ゆでたん 980円



 これをいただかないことには始まりません。一皿三枚のゆでたんは、厚くて大きいのですが、箸ですんなり切れるやわらかさに、適度の塩味がうまみを最大限に引き出してウムを言わさぬおいしさ。それらが我々のたん(舌)に神経も脳味噌も集中させて、ほぼ昇天気味になります。

 ここで枝豆、ブロッコリーのおひたしで一息ついて生き返ったら、次いよいよ行きます。極めつけ

 たん焼き 1100円
おしのぎはさっぱりと

山芋のぽんず漬け560円



 甘酸っぱさと山芋のしゃきしゃき感がたん焼きの濃いうまみを中和させてもう一ちょういきたくなりますが、カロリー過多を恐れる我々は、涙をのんで お勘定。〆て7千円台でした。

 今年で29年。これだけ人気の店なのに、店員さんも女将さんもおごる姿勢は微塵も無く、それがまた常連を生み出しておいしさを保つというサイクルが見えました。

 たんを食わず嫌いなかた、ここのたんを一度食べると人生、新たな展開が始まるかもしれません。実は私がそうでした。
 予約もできます。

Posted at 19:30 | 食 23区内 | この記事のURL
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デルスーとの出会い アムール湿原紀行 1991年その6 [2007年07月02日(月) ]


デルスーとの出会い アムール湿原紀行 1991年その7


 食事はホテルのゼロ階(日本の1階)のレストラン。当時のメモにこんなメニューが書かれていました。
 
 朝=黒っぽいパン、ジャム、バターはなし。目玉焼き二つ、小さなテリーヌのようなもの、甘い赤い水

 昼=黒っぽいパン、キューリとトマトのサラダ、チョウザメの燻製、コーヒー、ミネラルウォーター

 夜=ビール3本、ウオッカ1本、塩ッぱいサケのザクースカ、バターライス、グリーンピース、ミニステーキ、ワケギのようなネギ、アイスクリーム。
以上を3人分で59.6ルーブルでした。

 3日目の朝、通訳の青年が若い女性を連れてきて「彼女です。一緒に食事をさせて欲しい」と言いました。戸惑っていると同行が断りました。二人はとても悲しそうに思えました。案の定、この件もあって(と思っています)後日、通訳の青年はやる気をなくしたのです。

 レストランには毎晩バンドが入ってドレスアップした若い男女が踊っていました。しかし、目的地はアムール川中流域のヒンガンスキー自然保護区。ハバロフスクからはるか上流でどんな場所か見当がつきませんが、ホテルで無駄に時間をすごしている気がしました。



 時間がありすぎてホテルの前の極東博物館に何度も足を運びました。極東の生物が剥製になって展示されていました。虎、熊、アムールヒョウ、子牛ほどもある大きな猪、日本では絶滅したトキ・・・博物好きの方なら終日眺めて飽きないでしょう。私も嫌いではありません。

 入り口近くの写真は、どこかで見た顔つき・・・そう、デルスー・ウザーラの著者、アルセーニエフの写真でした。彼は博物館の初代館長だったのです。
 そして銃を杖のようにして立てたデルスーの肖像も飾ってありました。


シベリア鉄道-権力を乗せて  アムール湿原紀行 1991年その8
 
 ハバロフスクに滞在3日目の1991年6月4日昼過ぎ、ハバロフスク駅へ。いよいよ出発です。改札もなく、線路を何本もまたいでプラットフォームに。日本の駅に比べて低く、ほとんどないくらいの高さでしょうか。土を盛るのはかなりお金がかかるだろうから、低いのでしょうか。

 でも列車は大きく、高いのです。ゲージも確か広軌、それも5フィート、とものの本にありました。だから、女性や子供はホームから列車に重い荷物を持ち上げるのはかなり大変です。



 シベリア鉄道はロシアの極東制覇のため、というのが大きな目的だったでしょうから、屈強な兵士向きに仕様ができていても当然かもしれません。
「鉄道ゲージが変えた現代史」(井上勇一著、中公新書)をご覧になれば、そのへんのことが詳しくわかります。


 同書の副題に「列車は国家権力を乗せて走る」とあります。鉄道一本で9000キロのかなたから東アジアに軍事的影響力を強く行使できるシベリア鉄道は、シベリア抑留者のこともあり、日本人としてはとても複雑な気持ちで乗らざるを得ない鉄道のひとつなのです。

 たまたま見ていたNHKのニュース特集で、ウラジオストクの意味は「東方を征服せよ」と言ってました。やはり・・・
 またシベリア鉄道と、旧満鉄の軌道が違うことも納得がいきます。旧満鉄についても複雑な気持ちになりますが。



特急ロシア号  アムール湿原紀行 1991年その9
 ハバロフスク駅では、今回のエコツアーの受け入れ会社の責任者、V氏とその息子M氏が乗ってきました。V氏は人のよさそうな50歳ぐらいでしょうか。
 ソ連の最後の時代、彼らは生き方でいろいろ模索していたようです。V氏も鉄道大学出身で、前年までハバロフスクで保線補修部門の局長をしていたそうです。
 管轄はハバロフスクから、これから向かうアルハラという町の駅までで部下は3000人。今回の目的地、ヒンガンスキー自然保護区はアルハラから30キロのところです。

 V氏は、局長時代、土日もなく働き尽くめだったため、今回私たちを受け入れる一切の準備をした、できたての“会社”、「極東対外経済協力協会」に一年前にトラバーユした、と聞きました。
 
 その息子のM氏は21歳。モスクワの国際大学に行きたいのだが、授業料が高いので働いてためる、とのことでした。軍隊帰りのしっかりしている青年でした。

 列車はモスクワ行き特急ロシア号。午後1時25分出発。コンパートメントは8号車1号室。二人部屋で天井は2本の蛍光灯。出発してすぐに女性の車掌がシーツと枕カバー、薄いタオルを持ってきました。

  破れていたら言ってくれ、とのことでした。破れていました。でも言いませんでした。強そうな女性でしたので。はい。隣のコンパートメントはフランス人でした。

Posted at 18:07 | 旅 ソ連・ロシア | この記事のURL
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旅ゆけば・・・セーシュンのはらこ飯          秋田−郡山−山形その1 [2007年07月01日(日) ]



 デジカメを詰め込み、最後の出張かも、とはらをくくってわらじを履いたのは先週火曜日。目指すはまたも秋田。仕事は最後になることは間違いありませんが、腹が減っては仕事ができぬ。満腹でもできませんが、ともかく仙台をすぎて車内で買ったのがこのはらこめし弁当。はらこ飯とはいささかご縁があるんでやんす。

 今をさること30数年前、仙台市の少し南にある岩沼という小さな市でちまちまと仕事をしておりました。岩沼には竹駒神社という大きなお稲荷さんがあり、縁あって時節柄ふるまわれたのが阿武隈河口の郷土料理、はらこ飯でした。阿武隈河口は岩沼市と亘理郡亘理町との境界になります。

 神社の板長さんがつくったはらこ飯と今回買った弁当のはらこめしが違うのは、神社のははらこ、すなわちイクラも鮭もご飯と混ざっていたことです。


 「ご飯が熱すぎるとはらこが固まって白くなる。そうならないぎりぎりでできるだけ熱いご飯に混ぜるのがコツ」と板長さん。

 熟練を要する高度なテクニック。さすがはらこ飯の地元だけあります。

 そういうわけで、セーシュン(青春)という甘くてせつない???味を付け足していただいたこのはらこめし弁当、けっこういけました。




 岩沼といえば奥の細道の二木の松のほうが有名ですが、当時なんの興味もなく、休みの日は釣り三昧。貞山堀という大きな運河が海岸に平行してあり、コイ、フナ、ナマズ、ライギョは言うに及ばずカレイ、ハゼ、セイゴ、モクズガニと海川双方の魚が釣れました。

 ナマズやフナはお隣で料理してもらい、枝豆はお隣の畑の取れたて。ビールがうますぎてどうもすいません、と言いたくなるような夏の夕暮れ、いかったなあ、セーシュンはいかったなあ。人様の善意に甘えきっていかったなあ。金がなくても先の見通しなんかなくても、生きているだけでいかったなあ。

 あ、今も甘えきっていてとてもいいですが、はたは大迷惑かも。






Posted at 15:39 | 食 関西ほか | この記事のURL
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