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人生 捨てたものでも [2007年09月29日(土) ]
 毎日何をしているのですか?

 7時ころおきて、午前中は家事手伝いや読書、ソフトの習熟、午後は昼寝に買い物、時に気分転換のために都心へ。夜は晩酌。 
 これが勤めない自由、というと聞こえはいいですが、代償は小遣い減額、それもサラリーマン時代の数分の一しかない。
 こーんな 人生に だーれがした

 そんなぼやきをぐずぐず言ったのは、先月までの職場の仲間がひらいてくれた「還暦祝い」の場。3日前のことでした。
 お招きをうけたのは愚生と、やはり今月定年で退職されたIteaさん。
 Iteaさんがおっしゃいました。
 「H田君、丼ファンさんの話をよく聞いておきなさいよ。そうならないために」

 な な な な なにがそうならないために、ですか。H田君はまだ30歳そこそこ。しかも愚生と違って謹厳実直、まじめ青年であります。でも人生、何が起こるかわかりません。Iteaさんの忠告はその辺も含めて油断大敵、との厳しくも愛情あふれるお言葉、と思われます。

 皆さんに祝っていただき、愚生はこの5年間お世話になったこと、お招きを受けたことへの心から感謝の気持ちを申し上げたのですが、Iteaさんは謝辞に加えて「みなさんに」とあるものを。
 それがこの写真です。



 忙しい合間をぬって心を込めて焼いたてびねりの大きめの杯。これを私たちにプレゼントしてくれました。

 もとより焼き物にもうとい愚生ではありますが、色と言い飲みやすい姿形と言い申し分ない、なによりIteaさんの手作り、という重みが更なる輝きを加えて心落ち着く杯であります。実物をお見せできないのが残念ですが、趣味の域を超えています。

 開運なんでも鑑定団の中島誠之助さん風に言うと。
 「釉が深みのあるいい色をだしていますねえ。年代は新しいですが、作者の人柄のにじみ出たItea窯の逸品です。これでお酒を召し上がれば至福のひと時が訪れることは間違いありません。いいものを見せてもらいました。思い出といっしょに大切に使ってください」

 お忙しい中を、貴重なカードまでいただきお祝いしていただいたT島部長はじめ部の皆様、そしてIteaさん、ありがとうございました。
 小遣が減っても人生、捨てたものでもありません。

Posted at 13:38 | 日記 徘徊 | この記事のURL
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心の空に すむ月は  [2007年09月26日(水) ]


 あかあかや・・・と歌ったのは明恵上人、唐招提寺で丸い柱の月影を踏みつつ深くものを思ったのは会津八一。われらが西行は、月に西方浄土を観たのでしょうか。

 闇晴れて 心の空に すむ月は 西の山辺や 近くなるらん

 仲秋の名月を、人並みに心して観たのは何十年ぶりか。お団子まで作っちゃって。でも作り方を知らないので手にくっついたりして形はお見せできるものではありませんでした。

 それでも新粉をこねこね、混ざりけなしの月見団子はおいしかったです。昔はいくらでも近所にあったススキがないのが残念ではありますが。

 デジカメで月を撮って見ました。かつて真っ白にぼやけてしか写らなかったので、今回は素人ながら光量減少効果のあるフィルターをつけてシャッタースピードも40分の1秒から125分の1秒くらいに分けて撮ってみました。
 
 その結果、月の海らしき影がうつっていました。月面図と照らし合わせてみると、どうやら左下の明るいところはカルパチア山脈、斜め右上方に晴れの海、危難の海などが写っているようです。参照した月面図は45年前のものなので違っていたらご指摘ください。

 餅つきうさぎは写りませんでしたが多くはのぞみません。
 もやもやとした心の闇が・・・名月に洗われて少し澄んだような気がします。

Posted at 11:21 | 日記 徘徊 | この記事のURL
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我入道(がにゅうどう)の渡し [2007年09月25日(火) ]
 むーらのわーたしのせーんどさんは こーとし60のおじいさん

 私も子供のころ時々うたいました。「船頭さん」は文部省唱歌だった、と思いますが60歳でお爺さんは、まだいいほうでしょう。江戸時代の本には「五十になんなんとする老爺が」とありますから。

 ちなみに終戦直後、昭和22年の日本人の平均寿命は男50.06歳。女53.96歳。当時の環境、条件から見れば私はとっくに死んでいても不思議はなかったのですね。実際幼児期に肺炎で死に掛けましたが普及し始めたペニシリンで助かりました。

 平均余命、詳しくは厚生労働省のこのページにあります。

 話しがそれました。
 沼津・狩野川河口の我入道の渡しは港から歩いて6-7分ほどです。復活したのは平成9年。26年ぶりのことでした。平日は運行していません。




 渡し場の黄色い旗を振ると、向こう岸から和船がこちらの岸に向かってきました。
 船頭さんは二人。赤銅色の肌。昔は漁師だった、と。



 「この間の台風で流れが変わった。船を持っている人たちは大変だった」
 岸には打ち上げられたりひっくり返った船がありました。台風の被害です。
 「狩野川台風はひどかったですね」と私。
 「富士山に雪が積もると台風はここを通らない、と言われている」


いろいろ話しをしながら200メートルの対岸へ。小さな小さな“船旅”でしたが、充実の5分間でした。

「御用邸はどういけばいいのですか?」
「この道を行ってこういって・・・」
道まで送ってくれて親切に教えてくれました。
「帰りも乗りなよ。100円で沼津の駅のすぐそばまでいくから。3時に出るよ」

 乗船代のやすさもさることながら、味わったことのない渡し舟の旅情を今一度、と固く心に決めて御用邸記念公園へ向かいました。

   ※     ※     ※

 ところで今夜は仲秋の名月。

 名月や 彼岸も視野の ブログかな 

 もう一つ

 名月や 見飽きないのは 似てるせい

 半世紀ぶりにお団子をつくろうかな。定年て、いいですね。



Posted at 12:59 | 旅 国内 | この記事のURL
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沼津港がブレーク中とか [2007年09月25日(火) ]

 「最近、港に来るお客さんが増えました。土曜日や休日はマイカーがびっしりです」
  沼津港前の観光案内所で、係りの方が問わず語りに話しかけてくれました。22日のことです。
 なんでー?
 「何ででしょうね」
 
 わたしはわかります。港グルメでしょう。東京方面からもそう遠くはないし。桟橋前に2軒の干物などの店、魚市場の向かい側の通りやその一本中に入った通りは、休日とあって午前中から大賑わいでした。
 
 店には、港ならではの活きのいい魚介、さまざまな半加工品、干物や初めて見る調理法の切り身などがずらりと並んでいます。





 こうした光景を眺めているだけで、市場フリークの私としては心弾むひと時でありました。

 港から、かねて行きたいと思っていた御用邸記念公園までは3キロ近く。歩くと30分以上かかると言われましたが狩野川の堤防を歩き始めました。水鳥がたくさんいました。



 すぐ先に渡船場がありました。



Posted at 11:45 | 旅 国内 | この記事のURL
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沼津の夜 [2007年09月24日(月) ]


 沼津に行ったら必ず寄りなさい、との指示を先輩、S崎さんから受けて(S崎さんは常に支持者、違う私への指示者です)先週金曜日に行ったのが、バー「ビクトリー」。沼津市の繁華街から少し入ったやや暗い路地の角。壁はレンガ色のタイル、看板の押さえ気味な照明、2階のステンドグラス越しの落ち着いたほのかな光。期待できます。

 階段を上がっていくと、「いらっしゃいませ」。何十年飲んでいても初めての店はいろいろの意味で少し不安が伴うものですが、出迎えのこの一言に「うちはお客様にできるかぎり気持ちよく過ごしてもらうサービスを提供する」というメッセージが込められていることが、はっきりと伝わってきました。





 インテリアは口ではなかなかいえません。オーセンティックなバーは、一人カウンターで酔いに身も心もゆだねる場としての空間が完成されている、と思ってます。
 ビクトリアもそれは完璧に作られている、といえるでしょう。カリンの一枚板は厚さが20センチもあり、手前のポールには彫金が入って一杯目はマンハッタン。そのカクテルグラスは形と重みがまわりの空間の密度をさらに高めてもうあかん・・・〆はマティーニ。

 失礼ながら聞きました。
 「なんでこんなによいバーが?」
 「昔は芸者衆と一緒にお客様がいらっしゃいました。二次会は、一次会とはまったく変わった雰囲気のお店が好まれました」

 もちろんマスターの意思とセンスと努力の結果が、今日のビクトリーではあるでしょう。
 この勝負、ビクトリーの勝ち。
 そうそう、マスターとの会話の中でお話した本は「逝きし世の面影」(渡辺京二著、平凡社ライブラリー)でした。間違っていたかもしれませんので、この場を借りて訂正します。



 S崎さん、バー「ビクトリーに行け」とのご指示、ありがとうございました。
  
 ※     ※     ※ 

 沼津へ行ったのは「日本ほろよい学会」に出席するためでした。 “学会”は今年で9回目だそうで、私は初参加。若山牧水ゆかりの地での開催をたまたま知り、会長が私もファンである佐左木幸綱氏ということで、申し込みました。

 ほろよい学会ですから、ほろよいすることが研究でかつ実践。テーブルには「牧水」というお酒のほか2種。ほかに秋田、宮崎などの醸造元からの自慢の銘酒が数十種類そろっていました。

 料理は針子の炙り焼、生シラス、桜えびなど駿河湾の幸。針子というのはサンマの稚魚だそうです。酒の肴にはぴったりでした。

 参加者は360人。いずれもお酒と牧水を愛してやまない方々なのでしょう。来年は牧水の生まれ故郷、宮崎で開催するそうです。

Posted at 18:38 | 旅 国内 | この記事のURL
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映画「エディット・ピアフ 愛の讃歌」 [2007年09月19日(水) ]
 愛の讃歌、ばら色の日々・・ピアフが歌う数々の名曲。日本語訳はこのサイトにあります。

 「エディット・ピアフ 愛の讃歌」
 たまたま試写会に行く機会があり、何しろ毎日が日曜日。行きました。いかった、の一言に尽きる映画でした。

 もとより映画にはど素人の私ではあります。脚本がどうの、カメラワークがどうの、技術がどうの、ということはわかりません。
 感動したのは、ピアフのその豊かな声量、というだけではとても言い足りず、サウンドトラックが彼女の歌声を増幅して魂を揺さ振りまくっての2時間余。シャンソンファンにとってもそうでなくても歌好きなら十二分に満足する映画と断言します。

 「ピアフの歌はなぜかくも深く心に響くのか」、この映画の力によるところも大なる気がします。
 すなわち主役の演技力、脇を固める名優たち、衣装、当時のホテルの廊下、壁紙、インテリアなどなにもかも忠実に再現して、観客の心に自然に入り込むリアリティを画面の隅々まで整えてその上で、ピアフの圧倒的な歌声を人生とオーバーラップさせて決めの場面で流す。

 そして計算しつくされた脚本(なのでしょう)、演出、それらが合わさってピアフの人生を、歌うことに込めた彼女の“本気”を私たちに余すところなく伝えて最後は「水に流して」。

 言葉がわからなくても魂は激しく揺さぶられ、47歳で逝ったピアフへの深い思いを心に刻みつける。そんな映画でした。

 私はこの映画とは何の関係もありませんが、今月29日から全国で公開されるそうです。

Posted at 00:57 | 日記 徘徊 | この記事のURL
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銀座でまたも稲庭うどん [2007年09月12日(水) ]
 昨日は大先輩、I山さんと銀座で昼下がりの“デート”。うきうきとおめかしして、といっても化粧するわけではありません。想像するだけでも気持ち悪いですよね。普段着よりましなもの(と思ってます)を着ていく、という程度です。

 “デート”スポットは、前から行こうとして行きつけなかった「寛文五年堂」。本日は首尾よく行きつけて、寛文定食。





 ご覧の献立に暖かい稲庭うどん。パンフレットはこうPRしています。
 「人の舌が一番おいしく感じる食感を知り尽くした職人が一本いっぽん丁寧に仕上げていきます」
 

 稲庭うどん、数ヶ月前は「銀座佐藤養助」。拙ブログでも紹介させていただきましたが、店の雰囲気は、「銀座佐藤養助」がモダンに対して、「寛文五年堂」は民芸調。肝心のうどんは透き通り、つるつるしながら歯ごたえ、味、のど越し、やはり申し分ありません。

 「おいしいですね」と私。
 「うん」と先輩I山さん。
 I山先輩、ごちそうさまでした

 ところで知る人ぞ知る幻の稲庭うどんといわれるものがあります。それがこのうどん。といっても写真は箱の外装の一部です。
 

 縁あって秋田に通うこと3年余。初めて入手しました。いつ、どうやって食べようか、楽しく悩んでいます。

Posted at 01:16 | 食 パン 麺 | この記事のURL
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男を磨く? [2007年09月09日(日) ]
 自宅―会社―飲み屋―深夜帰宅−会社―飲み屋―深夜帰宅−会社

 行動パターンはほぼこうでした。何年もの間、世の中の動きとか変化、などというものにはあまり縁がなく、仕事でうまくいっているご同輩がいれば、行ってあしをひっぱり、うまくいかない、と漏らす同僚のためにひそかに祝杯を挙げる、などということももちろんしませんでしたが、先週行った東京・新宿伊勢丹のメンズ館には、考えさせられました。

 リニューアルした8階で、まず目に入ったのはライカコレクション。一台数十万円は当たり前の世界です。ぐるりと回ると万年筆の超高級品。こちらも一本数万円から数十万円。ビンが並んでいるコーナーは、自然系の石鹸とか何とか、と言ってました。
 こちとら、薄いのが気になっているんだけど、というと、そういうものはない、とのことでした。

 対象外の世代なのでしょうか。なきゃあしょうがない。その奥はな な な な なんと、男専用のデイスパ。
 「都会の喧騒から離れた心地よい空間で、身も心も解き放たれる至福のリラクゼーションを」とパンフにあります。

 Body Spa30分9450円とか、18900円とかいろいろコースがあります。
 「シャワーつきカプセルミストサウナで身体を癒しながら、フェイシャルクレンジングとヘッドマッサージうんぬん」
 二人がかりできれいに気持ちよくしてくれるとのことでした。

 そこで考えました。
ライカや万年筆は欲しい、スパも試したみたいという気持ちが少しはある。でもみみずののたくったような字しかかけないし、ライカとペリカンを持ってスパで顔を一時磨いても、もともと男は磨かれてないしこれから磨いても光るような玉ではないし。

 珈琲840円という喫茶店もあったので、せめてここだけでも、と入って生ビール1050円を飲んで引き上げました。

※  ※  ※
本日、高尾山へ。ひさしぶりに歩いて登ったら、息が切れてめまいがして汗がものすごくて。でも薬王院まではなんとかたどりつきました。

 もう少しトレーニングを積んで体重をかなり落とさないと山にはいけそうもありません。
 昼は薬王院の前の茶屋の小そばつきとろろ五穀米セット700円です。

Posted at 23:18 | 日記 徘徊 | この記事のURL
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巨人軍5000勝の記憶 [2007年09月05日(水) ]
こーんな女に誰がした

 戦後間もない昭和22年の流行歌「星の流れに」の歌詞の最後です。生まれたてなので知る由もありませんが、後に懐メロで聴きました。小説では「肉体の門」なども思い浮かびます。

 この年、わが栄光の巨人軍はまだ615勝。それから60年後の今年5月2日の対中日戦で5000勝。その記録を集大成したDVDを熱血巨人ファンから渡されました。
 「お前も喜びをともにかみしめろ」との強いメッセージが添えられておりました。



 私、生まれも育ちも東京ですから確かに巨人ファンではあります。というよりありました、に近いかな。
 巨人大鵬玉子焼・・・ではなくて、巨人柏戸玉子焼の世代。大鵬は強すぎました。柏戸は強くてもろくてもどかしくてぶこつでもありましたが、男の子にとってはそういうほうが魅力を感じるものなのです。

 このDVDには柏戸の記憶も玉子焼のレシピもありません。しかし、天覧試合の長島のサヨナラホームランの実況中継を聞くことができて、昭和34年、私、小学校5年生。3丁目の夕日に映える紅顔の○少年時代をふと思い出したりして。

 ですが、ですが、松井なきあとの巨人はどうでしょうか。長島去り、堀内去り・・・みんな去っていくのは仕方がありませんが、後に続くものが私にはみえません。

 ですからわが栄光の巨人軍は、この5千勝の記憶の中にしかない、といっても過言ではありません。

 こーんな○○に だーれがしたー

 私が愛した巨人軍よ come back あれっ
シェーンになってしまいました。


追記
 「紅顔の○少年」の○にはなにがはいるのでしょう。
 子丼は「まるい」とそのまま読みました。もちろん×ですが、おそらくだれも正解を答えられないのでは、との予感が。

Posted at 16:50 | 日記 徘徊 | この記事のURL
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洋食 コロナ 関西猛暑紀行その2 [2007年09月04日(火) ]
 シェフ、というよりも常連としては「おやじさん」とよんでいたことが松山猛さんの「僕的京都案内」にあります。昭和59年発行のこの本に、コロナはこう紹介されていました。

 「僕がフランス料理にあまり興味を持たないのは、すでに若いころに西洋料理の原点のようなコロナの味に出会ってしまっていたからだと思う」


 
 そのおやじさんは80歳は越えている、との話しを店のご近所で数年前にしたことがありました。本当はおいくつなのか、と思っていたら今回わかりました。
 
 店内に張られていたフリーペーパーにやさしそうな笑顔とともに店の紹介があったのです。

 92歳

 想いもよりませんでした。すばらしいですね。私が行ったのはこれで3回目ですがお店はいつも満員かそれに近い状態です。
 
 たった一人で次から次へとさばいていく手際は確実かつゆっくり見えて決まったスピード。注文を受け、飲み物を運び、勘定をするサポートの女性が1人。それでもポークカツレツも名物卵サンドもいつの間にかみんなの目の前に来るのです。








 コロナは京都・西木屋町の奥にあります。向かいは釜飯の月村、ご近所には時々行くおばんざい料理のF、路地の入り口には漬物の村上重など、おいしさがたくさん集まった町です。



 私はピースカツレツ。一口カツですね。さらにハムサラダとビールを二本。子丼はポークカツレツ。


 
 大阪ではたこ焼き、京都ではコロナの洋食と関西グルメ三昧の一日の終りは店を出る際におやじさんが見せた笑顔でした。
 おいしかったー

  ※  ※  ※

 帰りに路地で男女二人が座っていました。
 「どこから来たのですか」と聞くと「上海」。月村の釜飯を食べにきたそうですが、満員で待っているとのこと。
 
 「中国人も釜飯が好きなんですか」
 「中国はいろいろありますが、月村は京都案内の本に出ていたので」

 コロナに入るときにも外国人が5−6人、月村に入っていくので???と思っていたたのですが、理由がわかりました。
結構なことですが、ますます入れない店になったのかなあ。

Posted at 13:14 | 食 関西ほか | この記事のURL
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