プロフィール
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初めて向島へ行くこと  [2007年10月27日(土) ]
 地下鉄浅草駅から隅田川沿いにすこし上流へ歩いて言問橋を渡ると向島です。東の橋詰南に牛島神社。立派な神社です。近所の方が入れ替わり立ち代りお参りにきていました。



 東京に半世紀以上住んでいても、行ったことがある場所は限られています。愚生の場合、特に弱いのが下町。なかでも墨東にいたってはこれまで縁がありませんでした。が、近年とみに興味がわいたのは、江戸ブームもありますが、先ごろ読んだ「逝きし世の面影」(渡辺京二著、平凡社)の影響が多々あります。

 同書は600nの大著です。開国という時の流れの腕力が日本にもたらしたものは一つの文明に引導を渡したということ、と読みました。「昔の日本て、なんてよかったのだろう」「それにひきかえ今の日本は・・・」と随所で深ーいため息をつきつつ。

 さわりをすこしだけ紹介しましょう。
 「幕末に異邦人たちが目撃した徳川後期文明は、ひとつの完成の域に達した文明だった。それはその成員の親和と幸福感、あたえられた生を無欲に楽しむ気楽さと諦念、自然環境と日月の運行を年中行事として生活化する仕組みにおいて、異邦人を賛嘆へと誘わずにはいられない文明であった」
 とても同じ国とは思えません。一読をお勧めします。

 ということで江戸の名残を石碑や神社にみることができる初めての向島散歩は、牛島神社から始まりました。総檜の社殿、立派な狛犬や堀辰雄が「どこかメランコリックな目ざしをした牛」と書いた撫牛などが境内にありました。撫牛は具合の悪いところをなでるとよくなる、という牛です。愚生も頭をなでてきました。



  ※        ※       ※

 昼食は地下鉄浅草駅構内の地下街入り口にあり、前から入りたかったやきそば「福ちゃん」で「カレーソースやきそば」450円。焼そばにカレーのトッピングは初めてです。
 「カレーソースやきそばはいつからあるの?カレーがなかなかいけるじゃない」
 「昔から。一味ちがうでしょ」



 昭和30年代にタイムスリップしたような地下街。いまどきの地下街や店とは味わいが一味もふた味も違います。

 「ビールと焼きそば」
 「サワーとやきそば、玉子焼き」
 後から入ってきた客はアルコールも注文していました。1人で昼から気兼ねなく飲んで食べられる空間は都内広しといえどなかなかないでしょう。


 男でよかった???としみじみ思いつつ逝きし世を偲ぶ。下町で、こころ豊かなひと時を過ごしました。

Posted at 01:46 | 日記 徘徊 | この記事のURL
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かわゆーい怪獣たち [2007年10月20日(土) ]


 何で丸っこいのか、そしてなんとかわゆいことか。これではまるで赤塚不二夫の漫画のキャラではないか。ライオン、馬、獅子・・・齢すでに70-80歳ではありますが、そのかわゆさ、愛くるしさはいささかも衰えを見せておりません。生みの親は異形のデザインで人気のある建築家、伊東忠太です。

 彼らの仲間は東京のほか、京都にもいます。ここでご紹介するのは先日行った大倉集古館と東京・築地本願寺を棲家にしている彼らの一部です。
 大倉集古館は日本初の個人美術館で、港区虎ノ門にあるホテルオークラの敷地内にあり、向かいは警備厳しいアメリカ大使館です。
 築地本願寺はまるでインドの寺院のような外観。入り口から階段で迎えてくれるのが、かわゆい動物や怪獣たちです。どちらも設計も伊藤忠太です。





 伊東忠太の名をしらなくても、どこかで彼の設計になる奇妙な建築を、あるいは忘れがたい建築を見た方は多いでしょう。たとえば湯島の聖堂、京都の平安神宮、祇園閣、梅田阪急内部装飾などで、温かみがあって素人でも見て、触って、考えて楽しめる奇抜で刺激的なところがなんともいえません。

  伊東忠太は1867年、米沢で生まれました。東京帝国大学教授、文化勲章受賞者として建築界にその名を残しますが、家は代々医者の家計で常時7、8名の血気盛んな門弟がいた、と晩年、忠太自身が描いた自叙画伝にあります。しかも門弟たちが処刑された罪人の手を一応解剖した後「試食」し、その一片を「ご馳走になった」とも。

 なぜそのことを描いたのかはわかりませんが、画伝には忠太が「不可思議な蛇だの鳥だの」を見る「幻視さえあったらしい」とも書いてます。そのことと怪獣がどう結びついているのかもわかりませんが、神社仏閣の虹梁にも昔から象や獏、龍、鳳凰、招き猫などいろいろな動物、怪獣、珍獣がすんでいました。

 錦絵師としてもプロ並みの腕の忠太は少年時代から妖怪の絵をよく描いていました。建築家になってからも好みの怪獣を自分の建築にすまわそう、生かそうと考えたとしても不思議はありません。

かれらにご興味があれば、ぜひ実物を見て触ることをお勧めします。大倉集古館では今、特別展として富岡鉄斎展を開催しています。12月16日まで 詳しくは同館へ問い合わせください。


 この日の昼は久しぶりに銀座泰明庵で白魚掻揚げそば1000円。熱かったです。ここは夜がとてもいいです。ねっ。S次長。





※主な参考図書
「伊東忠太を知っていますか」(鈴木博之編著、王国社 2003年)
「建築巨人 伊東忠太」(読売新聞社編 1993年)



 
 

Posted at 14:25 | 日記 徘徊 | この記事のURL
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そば「黒森庵」 at セーシュンの永福町 [2007年10月17日(水) ]
 井の頭線の渋谷と吉祥寺の中間、永福町駅周辺はガキのころからの遊び場でした。大学時代にはこの界隈で初めてスナックができ、さらに当時としては大変珍しいタコスとアメリカ仕込みのハンバーガーを出す4歳年上の女性が経営する喫茶店ができました。

 この時代、学校はロックアウト。暇でした。今と同じです。店にいりびたり、時に皿洗いなどを手伝いながら常連たちとマージャン、時にデモ、時に喧嘩とセーシュンしました。

 それから40年。それらの店はありませんが、北口商店街入り口のラーメン屋、大勝軒は相変わらず一日中混んでいます。

 そこからちょっと入った静かな、本当にこの界隈は昔から静かでしたが、その雰囲気をこわさずにしかもおいしさをかもし出す、気になる店ができました。

 黒森庵。そば粉100%。新しくてモダンそれも日-木曜日の午後3時までしか営業してないということは、そう、期待も高まるそば好きなら入りたくなる店です。

 先日午後2時45分、散歩の途中入りました。席はほぼいっぱい。自転車ファンのグループ、カップル、私同様中年の男性一人。けっこう混んでいました。雑誌に紹介されたそうです。ネットで検索するとたくさんでてきます。

 酒の肴がいろいろありましたが、注文したのはあつもり1100円と辛口の酒一杯。昼に飲むことはほとんどないのですが、夜営業しないのなら仕方がありません。(異議あり、は家人の声)



 ネギと卵の黄身はあつもりにトッピングしてかき混ぜて食べました。そば湯は薄いのとどろどろの濃い目の二種類がでました。これがまた大変おいしくて、どちらも全部飲みました。



 願わくは暗くなるまで営業して欲しいのですが・・・
 帰りに寄った北口商店街の喫茶店「夢やカフェ」は、小さくて落ち着く店。本を読み始めたら手元の電気をつけてくれました。

Posted at 10:58 | 食 パン 麺 | この記事のURL
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鹿が奥山から  [2007年10月11日(木) ]
山畑の そばの実踏んで 鳴く鹿の 妻呼ぶときぞ 人も悲しき

百人一首にある

奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声聴くときぞ 秋は悲しき
                        猿丸太夫

のもちろんぱくりです。



 茅野市の八ヶ岳山麓を徘徊していてそば畑を見つけました。実が黒く、まもなく新そばとして出回るのかな、と思い向こうからやってくるお年寄りを畑の主、とみて「こんにちは もうじき収穫ですか」と尋ねました。主の答えは意外でした。

 「さあ、今年は収穫できるかどうか」
 (な な なんでー)
 「夜になると鹿がたくさん畑で飛び跳ねて実を食べちゃうんだ」
 (な な なんでー)
 「うーん 山の上のほうまで家が建っているしね。この2,3年のことだよ。これが足跡」



 鹿はしかしそばの実よりも大豆のほうを好むので大豆畑には入れないようにしたそうです。

 隣の農家のおばあさんもかく証言しました。
 「鹿は15頭ぐらい。車を止めると向こうも見ている。うちじゃ冬に漬けるための野沢菜も食べられちゃうのでネットで防いでいるけど・・・」

 ネット代も手間もかかるが、仕方がないようです。おばあさんの畑のジャガイモを買ったらおまけに赤いもという種類のジャガイモとカボチャをいただきました。赤いもは名前のとおり、表は赤く、中は黄色です。教えていただいた通り、茹でて炒めて食べました。おいしかったです。ご馳走様でした。



 最近鹿ばかりでなく南の山には猿や猪、北の山には熊も出る、とのことでした。であった農家の方々はかなりご年配。昔話なら人と動物とはうまく交流していますが、今はそんな余裕が人にも動物にもない、そんな時代にだれがした?もちろん我が身にも跳ね返ってくる?です。

Posted at 13:11 | 旅 国内 | この記事のURL
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何の因果で・・・キノコ編 [2007年10月10日(水) ]
踊る尼さん

 今は昔、京都・北山に入った「木伐人」たちが山で道に迷い、座っていると舞いながらやって来る「尼人」4、5人に出くわす、という話が今昔物語にあります。<巻第28 尼共、山に入り茸を食ひて舞う語(こと)、第28>

 尼人たちは、木伐人たちが心配した天狗や鬼神ではなく、やはり道に迷い、仕方なくキノコを食べたら心ならずも舞いだした、と言いましたっ。
 木伐人たちも、飢えるよりは、と同じキノコを食べてやはり舞いながらなんとか家に帰り着いた、という話で「其れより後、このキノコを舞茸と云ふなり」。
 
 今昔物語にはほかにもいくつか茸の話しがあります。生きるという事のなかにユーモアが盛り込まれていたりして人の心は今も昔も変わらないところがけっこうあるな、と感じ入ります。

 ところで尼人たちが食べた舞茸は、現在市販されている舞茸ではなくて、いわゆるワライタケ、と解説にありました。手元のキノコの本にワライタケはありませんでしたが、ついでに毒キノコの話しに目を通していると、この程度は笑い話にすぎません。
 山の奥深くで踊る尼さんが出てくるほうがよほど不気味です。
 ですが、本当に恐ろしい毒キノコは身の毛がよだちます。

苦痛の極めつけ

 肝臓と腎臓の組織が破壊されて死に至る・・・タマゴテングタケ(「きのこ」山渓フィールドブックス)
 欧米では「死の天使」という異名を持つ・・・ドクツルタケ(同上)

 極めつけは「こと苦痛という点ではドクササコにかなうものはない」と山梨在住の画家、渡辺隆次氏が「きのこの絵本」(ちくま文庫)でその恐ろしさを紹介しています。

 ドクササコ。「秋、竹やぶ、コナラ林などの地上に多数群生し」(「きのこ」山渓フィールドブックス)、見た目は普通のキノコです。食べても初めは何でもないようです。
ところが4,、5日たって始まる中毒症状は「死んだほうがまし」と思えるすさまじさです。詳しくは「きのこの絵本」で読んでいただくことにして、さわりを少し。

 「手足のさきが赤くはれ、そこへ焼け火箸か針をさすような激痛が襲う」
それが昼夜を問わず1-2ヶ月続く、とのこと。読んでるだけも恐ろしさに震えがきます。

それでも茸が好きっ

 何の因果で人間にそこまでの苦痛を与えるのか。小さな存在にそんな疑問も浮かぶキノコではありますが、毒があるゆえにガキのころから興味がありました。

 というわけで秋の八ヶ岳山麓、茅野市の標高1000メートル付近を数日ぶらぶらした折、時々下を向いて歩きました。この時期、落ちている山栗の実は虫に先を越されています。しかしキノコは道のすぐそばの林で見られます。
 
 ありました。まるで三度傘。林の下にもう一つの林がるようです。このかわいらしい、あるいはとっぴな姿、形、たたずまいは見飽きません。




 でも自分で見つけた茸は採りません。絶対に食べません。毒かそうでないか、見分けるノウハウがゼロだからです。ドクササコの話を知ったらなおさらです。




 もし松茸、と思しきキノコをを見つけたら?食べたくなるでしょうね。今年は一回も口に入らなかったし。

Posted at 21:45 | 日記 徘徊 | この記事のURL
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りんごおいしや [2007年10月07日(日) ]
 

 りんごの色づきだけ見れば秋たけなわ。
 「今月一杯がリンゴ狩のシーズンです」
 諏訪・高島城の隣にあるりんご園に昨日行きました。千秋、秋映など、何種類ものリンゴがたわわに実り、見ているだけで気持ちが満たされます。

 「これだけ実らせるのは大変でしょうね」
 「機械化できないので」と奥さん。
 実りの秋は労働の秋。リンゴの収穫も忙しいでしょう。私たちは農家の勤労と大地の恵みに感謝しつつ、お勧めの「シナノピッコロ」という、歯ざわりは紅玉的で甘いのですが酸味は紅玉より少ない新品種など11個をもぎとりました。

 新鮮で香りも高く、農園ならではのぜいたくを堪能してしかももぎとっただけ支払うシステム。一つ100円からで合計1350円という納得の価格。
 それぞれ試食もさせてもらいました。硬さ、水分、甘みと酸味のバランスが微妙に違うところまで素人でもわかります。

 赤いリンゴにくちびーる寄せて・・・
 りんごーのはなーびらがー・・・
 わたしはまっかなりんごです・・・

 いろいろと歌なども思い出してりんごの魅力をとくと感じ入った諏訪の秋でありました。

 農園の隣のカフェ「ル・ポミエ」も納得の店。リンゴジュースもパニーニもチキンサンドもボリュームたっぷり。仕上げのケーキセット200円を注文して合計1人1050円。幸せのダブルでありました。



 
 紅葉はしかし、標高1000メートルを越すあたりでもほとんどしていません。もう一度こなくては。

Posted at 13:42 | 食 関西ほか | この記事のURL
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学校へ [2007年10月07日(日) ]
 37年ぶりの学校通いです。週一回、東京・下町は中央区八丁掘の京華プラザというかつての小学校で開いているW大学の営む講座。



 科目は古文書。変体仮名のお勉強です。ガキのころは勉強嫌いで親を嘆かせ続けた愚生ではありますが、昔は昔、いいじゃないですか。変態は嫌いです。

 なぜ変体仮名か。街の徘徊と大いに関係があります。暇に任せて歩き始めたのは昨年秋ごろから、すなわち定年1年ほど前から。時間はありますからそこかしこに区教委などで立てた町や地名、坂などの説明版を読みます。街案内の本も読みます。読めば興味のあることも多々あります。



 谷中に延命院というお寺があります。延命院騒動という江戸時代の大事件の舞台です。明治時代にもその事件をもとにした本が出ました。

 国会図書館のホームページからその本のPDFファイルをダウンロードしました。しかし読めません。また明治といえど新聞も読めない字が多いのです。

 ならば字をお勉強するっきゃない。というわけで、先月末からはじめたお勉強はとても楽しく、「ま・ち・ど・お・しいのは・・・古文書の時間です」う。
 まだ2回ですが。(;^ω^A

 ところで東京に半世紀住んでいても八丁堀界隈は初めて。京華プラザは丸っぽくて銀座の泰明小学校と似ているな、と思ったら、やはり文化財的建築です。二宮金次郎の像もありました。


 二宮金次郎。懐かしいですね。像の台座には「勤倹力行」とあります。愚生なりに承知している金次郎ならば、とても尊敬します。ですが、「勤倹力行」はとても・・・・

Posted at 00:02 | 日記 徘徊 | この記事のURL
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昨夜は東京ドーム [2007年10月03日(水) ]
 諸般の事情からいただいた東京ドームのチケットを、自分で使わせていただくことになり巨人―ヤクルト戦に行きました。野球をまともに観戦しにいったのは、20数年ぶり。前回は定岡が150キロ級の剛速球を投げているころで、私も大のジャイアンツファンでした。

 家人は昨夜が生まれて初めての野球観戦。
 「今4番はだれ?」
 お互い巨人以外はよく知らないのに、この数年テレビを見てないので私も「だれだったかな」。
 「スコアボードの選手名の左の数字は?」
 「1はピッチャー、2がキャッチャー、3がファースト・・・9がライト」

 かつてスコアもつけさせられたことがあり、その程度はわかります。
 試合はヤクルトが終始押し気味。テレビならもういいや、とチャンネルを切り替えるところですが、球状では現実を見続けなければなりません。
こんな弁当をいただきながら、ビールを飲みながら。はい.
ドームのふたを開けると・・・カロリー過多です。 


 ところがそれまでの現実が、清水のこの一振りで逆になりました。



 席は3塁側なのに巨人ファンばかり。みんな一斉に立ち上がって大歓声。旗を振り腕を回して叫べるだけの声で喜びの声を上げました。後ろのお兄さんは携帯電話で故郷に「今ドウムさ いるんだ。聞こえる?」

 5年ぶりの優勝。私にもうれしい気持ちはあるのですが、今ひとつ興奮しない、気持ちが盛り上がらない理由は、前にも書きましたが、「こんな○○にだれがした」という想いが強いからです。

 オレンジ色のテープが一斉に投げられ、巨人の選手がグラウンドを一周して巨人優勝の喜び一色に包まれたスタンドで、外野レフト側の一角だけ人がいなくなりました。



 「スポーツなのだから負けたヤクルトにも何か配慮があってもいいのでは」
 古田ファンでもある、家人の感想です。

Posted at 15:26 | 日記 徘徊 | この記事のURL
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