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これが噂の西郷丼 [2007年11月30日(金) ]


 丼ファンと名乗りをあげているにもかかわらず、丼ものがほとんどない、との声もあり、昨今の食品の不正表示などもちらりと浮かんだりして悩んでおりましたが、ここにご報告させていただく気持ちになったのは、ひとえにやや体重減少継続という”定年退職効果”がみえつつあるかも、という状況下で、しかしせっかくのその効果が半減する、という不安も抱えつつ、というもろくて複雑な情況下で、これが噂のシリーズ???報告1号 西郷丼、いきます。

 銅像にまでなる人は、偉人でしょうがただ偉いだけでなく、人気の点から見ると上野公園の西郷さんの銅像が一番、と思っております。子供のころから上野といえば動物園と犬を連れた西郷さん、野球は巨人、相撲は柏戸でしたから。その人気にあやかったかどうかはしりませんが、上野の食堂にはその名も「西郷丼」というメニューがありました。



 一昨日、大徳川展を見に行くつもりでまず腹ごしらえに、とはいった「じゅらく」。大正13年創業。昔は須田町食堂といったそうです。戦後の米の配給時代に親に連れて行ってもらった三平食堂とともに、懐かしい名前の食堂です。

 さてそのじゅらくで注文した西郷丼、大きな西郷さんに見合って具もその下のご飯も多いこと。ボリュームは普通の丼の1・5倍は優にあるでしょう。



 手前真ん中から具の説明をいたします。
 赤いのはメンタイコ、その下は多分鶏のソボロ、右がサツマアゲ、その向うがブタの角煮、左がサツマイモの天ぷら、真ん中にホーレンソウと温泉玉子。鹿児島ゆかりの具に嫌いなものはなく栄養バランスもいいのですが、カロリーは愚生の年齢、体格からは問題でしょう。次回はもうすこし少な目のものをいただきます。
 
 大徳川展は1時間待ち、とのことでパス。せっかちですから。でも何しに行ったのか。ところでネーミングって大切ですね。せっかち丼とか冷や飯定食とか落ちこぼれランチ、へつらい麺・・・銅像とは無縁のわが人生を悲しくも鮮やかに反映するかのごとく、ろくな名前が浮かばないのは、不徳のいたすところであります。
                     

 夜は銀座の泰明庵。2階の準常連となり、店の方とも親しく話していただく間柄になりました。この夜はカキの燻製、お勧めのヒラメのコブ〆、セリのおひたしなどを二人でおいしくいただきました。
 写真は東銀座・松竹スクエアのイルミネーションです。

Posted at 11:55 | 食 下町 | この記事のURL
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一葉ゆかりの伊勢屋質店にいくこと [2007年11月28日(水) ]
 一葉忌の23日、東京・本郷菊坂の旧伊勢屋質店が公開されました。所有者(株)伊勢屋スタジオの方は今も住んでいらっしゃいますがご好意で年に一度の一葉忌に公開してくれています。地元のボランティアの方々にもお世話になりました。



 桜田門外の変が起きたのは安政7年(1860年)3月3日。3月18日には万延と改元されてお店はその年の創業。昭和57年まで営業していました。

 拝見できるのは、店と蔵、奥の庭に面した座敷です。一番新しい座敷が明治40年。蔵は明治20年の移築、座敷は明治23年に建てられましたから、蔵はかつて一葉が通っていた時代のものです。



 店には丸いちゃぶ台、質物台帳、「質紙でつくったはたき」など、どれもこれも時の質草、とでもいえましょうか、往時を今に伝えて気持ちがなごむのは、プラスチックのかけらもないから、と思います。



 蔵の入り口は分厚く、半間ごとに太い柱があり、火事になると蔵の入り口の隙間を塗りこめるための土を亀に入れて床下に準備するなど、客の品を大切にあずかる仕掛けが随所にほどこされていました。

 庭で奥様でしょうか。「普段はお見せしないのですが」と開けてくれた中を見ると昔の木のお風呂。
 「懐かしいですね」
 「今も使っています」
 こうして一巡りした跡、菊坂を下って白山通りをすぎると突き当たりに「こんにゃくえんま」の源覚寺。ここも一葉ゆかりだそうです。塩地蔵もありました。


 遅いお昼は後楽園への通りに面したラーメン屋の「生野菜ラーメン」700円。「とんこつ味が合います」というので注文しました。スープもおいしく、いけました。



Posted at 09:15 | 日記 徘徊 | この記事のURL
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初めて藪下の道へいくこと(追記) [2007年11月26日(月) ]
 鴎外記念室には遺品、資料がたくさんあります。家族の写真に小さな女の子が写っていました。鴎外の長女、森茉莉さんです。森茉莉さんの著作を読みたくなって図書館で借りた全集のなかの「気違ひマリア」にこんなことが書いてありました。



  「マリアは生まれ故郷の本郷、そこにつながる追分から湯島、広小路、下谷、マリアの第二の故郷の下車坂一帯、浅草・・・日本橋、銀座へかけての、芝や神田も含む、たしかに東京と言へる一円以外の土地を東京とは認めないので、それ以外の土地にはろくなもの人間はすんでいないだろうと定めているのだ」と。で、「要するに、浅草族は東京っ子であり、世田谷族は田舎者なのだ。彼らは世田谷、阿佐ヶ谷、杉並、等々の(もと市外)に、あたかも天に満ち、地に満てるが如くに充満して・・・」

 前回ご紹介した鰻の「山ぎし」ではなじみ客が昼の宴会を開き、赤ちゃんと来たなじみの外国人の若い母親がご飯の大盛りを注文していました。普通盛りでも十分大盛り並みですが、大盛りはサービス。10円団子もあったりしていろいろな人がいろいろな売り方をしてみんなが普段着の顔で買い物を楽しんで、マリアの言う「東京」の名残がそこここに顔を出しているようでした。

 父、鴎外について彼女はこんなことも書いてました。
 「飯を食った後の箸は茶碗の茶で濯(すす)いで、先を二つ截りの半紙で包んで、箸箱のなかにコトリと入れる」
年配の人のこのしぐさは見たことがありますが、
 「小水の後は、箸と同様、体の先を半紙で包んで、その上から下帯をするのである」
 鴎外がいかに医者といえどもこのしぐさはかなり「異(かは)った清潔(きれい)ずき」(上掲書)ではあります。ごわごわしたりすれたりしないのでしょうか。上質の軟らかい半紙なのかな。

 この親にしてこの娘が暮らしていた藪下通り。愚生はマリアのいう「充満している田舎者」の1人でありますから、藪下通りはますます遠くなりにけり、という気がしないでもありません。
 でも自由奔放、かってきままの森茉莉さんに、ふと明治28年、木場に生まれて「若いころ姑と髷をつかんで取っ組み合いをした」気の強い母方の祖母を思い出しました。祖母の実家の名前はよみせ通りの鰻屋と同じでした。

                          

 下の写真は昨日散歩した葉山の海岸の夕景です。遠くに富士山が、右手に江ノ島が見えました。

Posted at 09:04 | 日記 徘徊 | この記事のURL
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初めて藪下の道へいくこと [2007年11月24日(土) ]
 地下鉄千代田線千駄木駅で降りて団子坂、というおいしい名前の坂を上がり、交差点を左へ入るなにげない道。それが実は「藪下の道」というブンガク的な、あまりにブンガク的な道であることを、つい先日まで知りませんでしたっ。
 今月某日の東京情緒散策で足を向けたのは文京区立本郷図書館鴎外記念室。
 長くてお堅い名前ですが、明治の文豪、森鴎外が「観潮楼」と名づけて亡くなるまでの30年間を過ごした旧居跡であります。



 藪下の道は、その記念館、すなわち「観潮楼」の前を通って根津権現の裏へ続く道で、明治、大正の文豪や彫刻家が行き交った、由緒ある道なのでした。

 永井荷風が「日和下駄」の「第九 崖」の章で書いてます。
 「根津の低地から弥生ケ丘と千駄木の高地を仰げばこゝもまた絶壁である。絶壁の頂に添うて、根津権現の方から団子坂の上へと通ずる一条の道がある。私は東京の往来の中(うち)で、この道ほど興味のある道はないと思っている」

 荷風は観潮楼をしばしば訪れています。ある初秋の夕暮れには「忘れられぬ程音色の深い上野の鐘を聴いたことがあった」
 「一際高く漂ひ来る木犀の匂いと共に、上野の鐘声は残暑を払う涼しい夕風に吹き送られ、明放した観潮楼上に唯一人、主人を待つ間の私を驚かしたのである」と。

 下の写真は藪下通りの崖です。



 絶壁、とあだ名された友達がいたっけ。そんなことどうでもいい、ですね。世が世なら、愚生ごときが気軽に通れる絶壁ではなかった「藪下の道」を後に団子坂を下り、谷中はよみせ通りへ。鰻の「山ぎし」という店に「鯉定食」とありました。

 鯉料理は、私が暮らしてきた東京・西郊の食堂では見たことがありません。家でも食べたことはありません。「鯉は泥臭い」などといわれたことがふと浮かびましたが、なぜか無性に食べたくなって注文しました。

 あらいに鯉こく、茶碗蒸し、お新香、ご飯は普通盛りですが大盛りのよう。これで1000円ですって。



 鯉こくを一口・・・んっ?もう一口、二口・・・すまねえ、鯉さん。泥臭いなどと勝手に思い込んでいたオイラが間違っていた、悪い夢を見ていたんだ、と心の中で手を合わせて思わずわびるほど、おいしかったのであります。
 鯉との運命的な出会い、とでもいうのでしょうか。とすればいずれ別れも。どこか勘違いしているかな。

 鯉に目覚めて幸せになった後は、行きつけの谷中の墓地を一回りしてこの界隈での馴染みの場、和みの場セレンディピティでお茶して鐘の音ならぬ笑顔に送られて帰途に着いた、楽しかりし晩秋の徘徊でありました。
 でも、セレンディピティ、来年2月で辞めちゃうそうです。残念。

 鐘の音の響きも消えて店じまい 
    谷中の墓地の秋の夕暮れ
 
 駄句のお粗末でした。


 谷中の墓地の晩秋の夕暮れです。


Posted at 16:19 | 日記 徘徊 | この記事のURL
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紅葉の御岳山へ [2007年11月22日(木) ]
          
             御岳渓谷の晩秋の夕暮れです。

 立川からSLに乗って奥多摩の山や川に初めて遊びに行ったのは40数年前。秋川の淵に潜って魚を追い、川原でつかまえた蛇を友達に投げつけ、繭を煮て生糸を紡ぐ工場も見学しました。養蚕がまだ行われていたのです。
 「臭いといわないで。働いているのだから」と工場見学で教わった心得を、今も繭や桑の木を見ると思い出します。

 山の宿舎の風呂は薪で炊き、自分の食べるお米は持参。戦時中から続いていた食糧管理制度のもと、米穀通帳が台所に下がり、毎朝蜆売りの声や豆腐屋のラッパが聞こえてくる時代でした。
 過去が奇麗事ばかりでないことは承知していますが、こうして懐かしむことも楽しみの一つとなりつつある今日この頃です。
 
 前置きが長くなりました。
 そういうわけで一昨日、紅葉を見に思い入れのある奥多摩は御岳山に行きました。御嶽駅から頂上まで歩いたのも今は昔。バスとケーブルカーで武蔵御岳神社を目指しました。どうしようもなく行きたくなったのは、紅葉を見たい、という気持ちと遠い祖先たちから受け継がれてきた山岳信仰への関心が高まってきた年齢でもあるのだと思います。



 紅葉は、今年も遅かったのですが、この一週間の冷え込みでかなり色づいたとのことです。参拝の後、宝物殿を開けてもらい、源氏の猛将、畠山重忠が奉納したと伝えられる国宝の赤糸縅大鎧などを見てお茶屋さんで一杯の蕎麦。850円のところを駅にあったクーポン券で一割引の765円でした。 
 店の方は「麓に出るにもケーブルとバスで往復2000円以上でしょ。暮らすのは大変よ。私は60年ここでやっているの」 
 80歳には見えません。山の空気がいいのでしょう。蕎麦のお値段も、会話を楽しむ料金込みと思えば納得のいく年頃となりました。

 参道には茅葺屋根の宿坊もありました。築160年くらいだそうです。一度泊まろうかな。





 大根が干してありました。
 御岳渓谷沿いの玉堂美術館にも行きたかったのですが、時間がなく断念。次回は歩いて登りたいものです。


  下の写真は帰りに降りた吉祥寺駅北口のイルミネーションです。60とあります。武蔵野市制60周年だそうです。


Posted at 00:04 | 旅 国内 | この記事のURL
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初めて東京ミッドタウンへいくこと [2007年11月16日(金) ]


 愚生にとっては大いなる異空間といっていいでしょう。東京ミッドタウンのことです。作日、サントリー美術館の「開館記念特別展 鳥獣戯画がやってきた!」を先輩、K池さんからいただいたチケットで見にいきました。サントリー美術館は、東京ミッドタウンのガレリアという区域にあり、今年3月末にあたらしく開館しました。ガレリアを電子辞書のカタカナ語新辞典(旺文社)で見ると「イgalleria ガラスの高い空間を持つアーケード式商店街、ショッピングセンター、半屋外空間」とありました。そうですかイタリア語ですか。

 東京ミッドタウンは、元の防衛庁。防衛庁時代はたまに知人に会いに行ったことがありますが、ミッドタウンに生まれ変わってからは初めて。そのコンセプト、すなわち大きさ、きれいさ、豪華さ、デザインのすばらしさ、居心地への工夫、ゆとりのスペース、あかぬけた照明、そしてレストランのお値段などに目を見張って思わずデジカメで驚写しました。

 「驚写」とは、きれい、とか高い、とか明るいなどとびっくりしてまずデジカメに写す行為のことをいいます。実は今、愚生が考えた言い方ですが。

 鳥獣人物戯画絵巻は、京都高山寺の所蔵。動物を擬人化してユーモアあふれる図柄を生き生きと描いた国宝です。高山寺といえば、明恵上人ですがもちろん戯画のほうが知られているでしょう。愚生も実物は初めて見ました。パンフレットも買いました。

 しかし、見終わった後の感慨は、ここ東京ミッドタウンの中では維持できませんでした。なにしろ東京のど真ん中の一等地。資金と人と知恵とが詰まったタウンですから、鳥獣戯画鑑賞という古(いにしえ)に、古の画家の心に思いをはせることとは次元がまったく異う世界に放り出されたようなものでした。刺激が強すぎるのです。



 たとえばこの光に満ちた回廊を前に、またも「男1人では入りにくい空間」と思いました。しばし迷った挙句中に入らないで通り過ぎたカップルがいました。愚生はもちろん入りました。迷うくらいならいくべし、というコンセプトでした。
 白い光の回廊は「シューウエムラサンクチュアリ」。いかにもありそうな店がやはりありました。「男性のためだけのグルーミングサロン」です。
 「どんな人たちが利用するのですか」
 「30歳代、40歳代、50歳代」
 もう一声、といおうとしたら
 「でも20歳代から70歳代まで幅広くいらっしゃいます」
 コースは5000円から16万円まで。一生ご縁がないかもしれません。

 さらに突き当たるとカフェが。1000円のメニューもあり、ようやくほっとする空間にめぐり合った感じです。頼んだのは「10種のお野菜の温野菜プレート」1200円とコーヒー合わせて1500円。薄味なので調味料がたくさんついてきました。オリーブオイル、ワインビネガー、バルサミコ酢、塩、コショウ。



 野菜本来の味を楽しむ、という方は確かに薄味でいいでしょうが、いろいろ試しました。赤米と黒米の玄米ご飯とデザートのアイスクリームもおいしかったのですが、たんぱく質がほとんどないのが気になりました。でもたまにはこういうお昼もいいものではあります。
 

 帰りに寄った銀座4丁目は早くもクリスマスムード。例年きれいなイルミネーションで楽しませてくれるミキモト本店の今年のイルミネーションです。


Posted at 18:21 | 日記 徘徊 | この記事のURL
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あつもりの夜は更けて・・・神田の老舗で贅沢 [2007年11月13日(火) ]
 昨晩で、定年退職して3ヶ月がすぎました。退屈かと思いきや、そこそこ忙しい状態が続いております。勤めている間は気持ちの余裕がなくてできなかったこと・・・古典だとか文学全集を引っ張り出したり物見遊山ぽ(散歩)に精を出したりたまに夜の付き合いにでかけたりとかで日々けっこう楽しく過ごして今、根が怠けものとあって、こう思いはじめました。

 まともには仕事ができない身体になってしまったかも、と。
 
 これで小遣が豊富だったら言うことありませんが、そこまで贅沢は望めません。(本心は望んでいるけど)

 昨晩は「まっすぐには家に帰れない身体になってしまった」かつてのご同輩、おみずとS次長と神田錦町「更科」でデートっ。

 更科へは地下鉄神保町駅からあるいて5-6分。学生時代に通った喫茶店ラドリオやミロンガ、サボウルの小路を抜けて今月17日で閉店する書肆アクセスをのぞいたりして約束の時刻に店へ。すでに満員です。それにしても神保町という玉手箱のような街からまた一軒、書肆アクセスという宝物が消えるのは寂しいものです。

 こちら神田錦町「更科」になります。


 創業明治2年。まず外観がいい。140年近い店の歴史がかもし出す雰囲気がいい、店の人がいい、メニューをのぞけばこれまた菊正を飲むしかない、という気持ちにさせる一品が勢ぞろいしております。



 宴会の開始はいつもタマネギの掻揚げから。メニューにはありませんがかつてわがままなおみずが特注したものがいまや席に着くとすかさず「タマネギの掻揚げですか」と女将さんに聞かれます。

 おみずは函館の出身。そういえばS次長は留萌の近く。吹雪の原野を通学していたそうです。愚生の父は羊蹄山の麓の村の番外地出身。戦後食糧難の時代に父は田舎からタマネギ、ジャガイモなどを送ってもらいました。父はしかしジャガイモよりも復員後上京して初めて食べたサツマイモに「世の中にこんなにおいしいものがあったのか」と感激したそうです。

 話しを戻します。
 「ナスの一本漬け」「卵焼き」「ニシンの棒煮」「そば湯豆腐」・・・酒肴の数々が並んで、〆はおみずは鳥南蛮、S次長はおおもり、愚生はあつもりの贅沢。老舗のそば屋って、本当にいいですね。






 この夜T杉さんもお誘いしたのですが仕事が忙しくて参戦しませんでした。お疲れ様です。またの機会にぜひ。
あつもりについては昨年別のブログ(今年9月で終了しました)で書いたものを転載しておきます。


               


「あつもり」をご存じですか        記 2006年暮

 神田錦町の更科は、ご同輩おみずにこの冬初めて連行されたお店です。ツユ甘口。ところがですよー メニューにびっくり食べてびっくりお勘定でびっくり。びっくり3重奏に加えて最後に幻の一品・・・後ほどご報告ですよ。(ですよ、というのはエンタメに出ていたお笑い芸人のネタです)。

 「今日の予定は?」
 まっすぐには家に帰れない体になっているおみずが、午後6時の定例質問に立ちました。ワタクシはこの夜は一応その気で待っておりましたのでかく答弁いたしました。

 「へい、ようがす」
 ‘討ち入り先’はこの夜も更科。同士はほかに二人。実は他に3人だったのですが一人は他に拉致されました。ま、いいでしょう。
 
 おみずの顔を見た若女将が間髪をいれず言いました。
「いらっしゃい。タマネギの掻揚げ、今日できますよ」
 「くだはい」
 タマネギの掻揚げはおみずの大好物なのですが、前々回はタマネギがなく「ぜひ用意してほしい」とおみずが強要していた問題なメニューなのです。

 しかし、回数は力です。週一回は通ってよい常連の位置を確保したおみずの意向を錦町更科は受け入れてくれました。
 「鮭の酒びたし」「いたわさ」「そば湯豆腐」「煮込み」「シバエビ掻揚げ」「ノリに生卵」「焼味噌」
 老舗のそば屋ならではの逸品、絶品が次々と運ばれてきました。酒はもちろん菊正。

 したたかに飲んで食べて〆はそば。
 「メニューにはないけどあつもりできますか」
 「はい」
 ご同輩N君が聞いてきました。
 「あつもりってなんですか」
 「もりのあついの。釜揚げそばという店もあるけど」

 飲んだ後のあつもりはおいしいのです。切れやすく、のび加減ですがそれはそれでそばの味と香りがするのです。錦町更科は店構えからしてあつもりを頼める店、と直感していました。

 あつもりは湯気がたっています。
 「この店は源氏かもしれないからあつもりはまずいんじゃない?」
 おみずがギャグルのは「あつもり」を「敦盛」とかけてのこと。平家物語巻第九 一の谷のさわりを下記にご紹介しましょう。

 「首を掻かんと兜を取っておしのけ見れば、いまだ十六七と見えたる人の、まことに美しげなるが、薄化粧して鉄漿(かね)つけたり・・・」(新潮日本古典集成 平家物語下)
 熊谷直実は一の谷の合戦で平敦盛を討ち取りましたが、敦盛は当時17歳。組みふした美少年に、かわいそうにと思う以外の気持ちがあったかなかったか、平家物語には書いてありません。

 が、「熊谷が発心の思いはすすみける」、すなわち出家したいという気持ちが強まったとあります。直実は後に法然に弟子入りします。
 晦日の昼下がり。BGMはブルックナーの交響曲第7番。直実が悩んだあげく敦盛の首を切るくだりで第二楽章、アダージョ。死に臨む平家の公達の潔さと、殺さざるを得ない猛将の揺れる心に感動する気持ちをいっそう深いものとしてくれます。ぜひお試しあれ。
 
 この夜、ワレワレは討ち死にしませんでしたが、あつもりは敦盛のギャグにならないのでは、と思う生き過ぎた59歳であります。
 拙ブログにお越しいただいた皆様 よいお年をお迎えください。来年もよろしくお願いいたします。

Posted at 16:33 | 食 パン 麺 | この記事のURL
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人も生き生き 三州屋銀座店 [2007年11月10日(土) ]
 かつての勤め先の飲兵衛で「三州屋」をしらないのはモグリといっていいでしょう。同じ名前の店は神田や新橋にもありますが先週火曜日の寄り合いに選んだのは三州屋銀座店です。

 「懐かしいね」とS崎さん。
 「一階は早めに行かないと座れないぞ。二階での注文は大変だから」と平○さん。

 同店はお互い20年ぶりくらいですが、「銀座2丁目並木通り路地奥の三州屋」といえば、間違うことはありません。




 一番乗りは愚生。午後6時半少し前でしたが平○さんの心配が的中して一階は満席。二階に上がるとおばさんが「何人?」
 「3人」
 「靴は3人とも下駄箱のこの段にして。間違えると大変だから。席はあそこ」

 入れ込みの座敷の奥まった席に座るまでの指示が次々と飛んできます。酔っ払って靴を間違われて店のスリッパで六本木を歩いて帰ったことがありますが、夜中に人の足元なんか誰も見てないことが、よくわかりました。といって間違えてほしくはない。S崎さん、平○さんたちが顔を見せるとおばさんは「靴を入れるところ間違えないでよ」

 愚生も「靴は下駄箱の下から4段目に」と大きな声をかけてようやく注文体制となりました。

 2階の店のおばさんは二人。ほどなく2階も満席になり、注文は、はっきりと大きな声で意思表示をしないと忙しさとにぎやかさにかき消されてなかなか通りません。
 「焼酎」
 「4号ビンだよ」
 「わかっている。何があるの」
 「芋が一種類と麦が3種類。麦はどれも同じようだけどね」
 そういわれちゃうと芋にしちゃいますよね。





 〆アジ、牡蠣フライ、鳥豆腐・・・懐かしの定番をどんどん頼んで焼酎一本あけて店を出るころには、息つくまもなく働いていたおばさんたちも一息入れていました。私たちよりも年配でしょう。
 しかし料理と酒と楽しさで熱気を帯びる座敷を舞台に生き生きと働く姿は、飲んで気持ちよく見ていて気持ちよいものです。

 でも次は早めに来て一階で楽しもうかな。いす席が足腰に具合のいい年になりました。靴を脱がなくてもいいし。

Posted at 16:46 | 食 都内 | この記事のURL
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初めて鳩の街へ行くこと [2007年11月09日(金) ]


 「ちょっと、これ計算してくれない」
 珈琲を注文して開け放たれた店の通りをぼうっと眺めていると、おばあさんが店にはいってくるなり店主に頼みました。
 「今ちょっと忙しいから」
 ご主人が断ると
 「急いでいるんだけど」と言いながらいったんは表に出たのですが、すぐに引き返してきて「計算してほしいんだけど」と紙片と電卓を私のテーブルに置きました。

 いくつか数字がかきこまれていました。
 「いいですよ、死ぬまでひまですから」
 いくつか足し算をすると
 「2で割って欲しいの」
 「何の数字ですか」
 「5割引で売っているんだけど、その5割引の計算がなかなかできなくて。で今お客さんを待たせているの」

 下町物見遊山ぽ第2弾としてこの街を選んだのは、街の名前、歴史をすこしだけ知っていたことに加えて、「アート&カフェ こぐま」のホームページを見たことが決めてとなりました。

 いいカフェはその地域の魅力、面白さを倍加するように思えます。面白さにもいろいろありますが、例えば志とか飛び切りおいしいとか安いとか、感じがいいとかご近所の憩いの場として老若男女が集うとか。

 落ち着いた気持ちになること、一言ふたこと心安らぐ会話を交わして「また来たい」と思うことが私なりの基準です。

 「こぐま」へは半蔵門線から東武伊勢崎線へ入ってすぐ、曳船でおります。ホームページには懇切丁寧に道案内が載っています。遠くからも来て欲しい、とのメッセージがこめられています。
 歩いて8分程度。水戸街道に街の入り口がありました。



 細長い商店街は、戦災に遭いませんでした。それゆえの様々な過去が流れて今、狭い通りはシャッターが降りたままの店が目立ちます。
 こぐまもそうした店の一つを改装した喫茶店です。




 冒頭の計算を頼みに来たおばあさんは筋向いの、戦前からの瀬戸物屋さんでした。

 茶碗が一つ欠けたので5割引にひかれて一つ買いました。定価450円の半額。「これじゃ安すぎない?」というと「売れなければしょうがない」「お店もやめたいのだけどやめられなくて」。

 定年の私にとってはありがたい買い物でしたが、それ以上に元気いっぱいに仕事に励むおばあさんとの出会いが印象的でした。

 こぐまも、また来てみたい店でした。古い商店街に新しい店。新しい歴史が街に作られつつある、と見ました。


アート&カフェ こぐま
東京都墨田区東向島1-23-14
03-3610-0675

正午ころから午後7時ころまで
定休日 火、水

Posted at 19:49 | 日記 徘徊 | この記事のURL
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絵のような?絵にも描けない? [2007年11月06日(火) ]
 奥蓼科温泉に向かう道路から一歩入っただけでこういう景色が眼の前に広がりました。先週末の蓼科プチ旅です。



 水と木と山と空と光と影。それぞれがき・れ・いを抱えつつお互いを引き立てて絵のような美しさ。いや、絵にもかけない美しさ。どっちかなあ。説明版にはかくありました。
 <東山魁夷画伯の名画「緑響く」のモデルにもなったといういわれもあります>
 モデルになった「という」という伝聞調なのではっきりしませんが、大家がここに来て絵を描いたのなら「絵のような美しさ」のほうが合いますね。思うに竜宮城はたどり着けないから絵に描けないし。

 えっ そんなことどうでもいい=小島よしお風=ってか。そうですね。それより「生きていてよかった。道中上り坂がきつくてくガソリン代かかったけど来てよかった。ついでに小遣いがたくさんあればもっとよかった」と感激はテツガクテキのみならず、ケイザイテキみみっちさにまで広がっていきました。風景を鑑賞する資格、実はないのでは。


 
 訪れた池は「御射鹿池 みしゃ(さ)かいけ」。標高1528メートル。農業用水のため池、つまり人工の池で写真では見えませんが右にまっすぐな堤体があります。でもそれはこの際問題ではありません。自然と人工との見事なまでの調和、しかもこの時期ならではの金色に輝くカラマツ林。木々と空とを色鮮やかに映す静かな水面・・・
しつこいですが、来てよかった。

 御射鹿池は長野県茅野市街から奥蓼科温泉郷へ湯道街道を約30分。明治温泉入り口の手前右です。

                 

 お昼はメルヘン街道へ抜けてパンもピザもおしいいと評判のEpi(エピ)でツナとチーズのホットサンドとタロッコジュース。どちらもボリュームたっぷりで、食べてよかったです。はい。食べきれないときは包んでくれます。

 遅いと各種売り切れのこともあります、というより前回も午後1時半ころいきましたが、パンケースのパンは売り切れ。今回はパンはほぼ売り切れ。レストランのメニューも今回はピザが売切れでした。




 Epiの向かい側、道をはさんで地元の農家が食用ほおずきを売っていました。これがまた生でもジャムでもなかなかいけました。
 
 下の写真は途中の横谷峡にかかる橋から眺めた黄葉です。ちょうど真っ盛りでした。


 東京に帰りたくない日々は、しかしあっという間にすぎました。今夜は銀座の大衆酒場です。これはこれでとても楽しみですが。

Posted at 12:09 | 旅 国内 | この記事のURL
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