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ご同輩を禁断の園へ誘うこと [2007年12月30日(日) ]
 天気晴朗ナレド相変ワラズ懐寒シ。しかし暮れも押し詰まり、夜間出撃は中止できません。こういう場合はT作戦、すなわち相手の力を利用する「たかり作戦」でいきます。作戦相手は旧ご同輩、おみず。“禁断の園”へお連れする、というT作戦中もっとも機密性が高くかつ後遺症の危険も高い極めつけの禁じ手で臨みますが、おみずにはこれ以上有効な作戦はないでしょう。

 先輩K池さんに連れてきていただいた地下鉄東西線門前仲町は辰巳新道の「ゆうちゃん」。この夜もZ旗ならぬ華やかなイルミネーションが煌々と周囲を照らし、みるものをして入らずにはいられない魔力を振りまいておりました。

 初めてのおみずは、その勇姿にまず「おっ」と一撃を受けたようであります。
 店内は一面にメニューの数々。禁断の園、の禁断の果実、であります。

 「おっ、おっ、おっ」とおみずの目がたちまち戦闘モード全開に。さすが夜戦の強者であります。
 「赤カブ」
 「キャベツの浅漬け」
 「ハムかつもいいな」
 「S次長をつれてきたら、居着いちゃうね」

 「ハゼの天ぷら」
 「おきゃくさん、いいとこついていますね」
とゆうちゃん。
 「カキフライもいいよ」
 お酒はお父さんおすすめの会津の銘酒、名倉山。初めて飲みました。おいしかったです。



 ハゼの天ぷらは、この時期ならではの、絶品でありました。
 「三つ星がなんぼのもんじゃい」(注;いけないひがみ、ではありません)
 「うちも娘とその点だけは意見が一致する」とおみず。
 「我々には我々の舌がある。明日がある。自由がある。三つ星テイコク主義ハンターイ」と愚生。
 三つ星テイコク主義からの“解放戦線”が結成された瞬間でした。戦線名は「舌に自由を・・・門仲のトラ」。
 
 T作戦は、ついに“解放戦線”まで誕生させ、成功です。それは元旦まであと一週間あまりのことでした。
 エデンの園でリンゴの実を食べたアダムとイブは、善悪を知り、恥を知ることになったのですが、お酒もしこたまいただいて禁断の園を後にした愚生の場合は・・・思い出したくありませんが、自分だけ解放した、との情報も。

                             

 皆様にはコメントをいただいたり、いろいろと教えていただき、ありがとうございました。よいお年をお迎えください。

Posted at 18:37 | 食 下町 | この記事のURL
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“日本一まずいラーメン屋”に行くこと [2007年12月28日(金) ]
 寝るのが午前2時を回ったのは、一冊の本のせいである。著者は原憲彦さん。(聞き書き;空条海苔助さん)。テレビ出演多数かつブログ世界ではかなり有名な“日本一まずいラーメン屋”の店主です。

 書名は「彦龍のノリヒコさん」。深夜一人笑うこと十数回。家人がいぶかしげに「どうしたの」と声をかけてきましたが、無視して笑い、読み続けると最後のページに「読んでくれてありがとう みんながんばれよ 彦龍 原憲彦」。



 谷中の師走の昼下がり、路地にはいるとありました。「ラーメン」の大きな幟が。
 「まだいいですか」
 「どうぞ」
 なにしろ“日本一まずいラーメン屋”ですから、注文を前に客としてこれほど緊張を強いられる店も少ないでしょう。三つ星何するものぞ、であります(行ったことないけど)。
 
 ラーメンだけでは評価できないかも、と「彦龍ラーメンと餃子セット」1050円を注文しました。
 後ろ姿に一生懸命を背負って、時々刻々と、セットができあがっていく課程が見えて、否が応でも期待と不安が入り交じり、緊張が極限に達したところで
 「どうぞ」
 彦龍ラーメンが、ずいっと前に出ました。続いて餃子4つ。

 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

 「写真とっていい」

 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

 「何するの」
 「ブログに使いたいんだけど」

 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

 「いいよ」



 具たくさん。スープは少し濁っています。理由はあとでわかりました。はたして「日本一まずいラーメン」か。
残念ながら?期待は見事に裏切られました。まずくありません。かといってめちゃおいしい、というには、先入観が強すぎてなかなかいえません。
 「複雑な味ですね」
 「スープは醤油とみそ」
 「そう。インターネットにでていたのできました」
 「テレビにも出ているよ。後ろに色紙があるでしょう。俺の宝だよ」
 壁一面に、店にきてくれたりテレビ出演で知り合った芸能人の色紙が飾られていました。

 かくいう彦龍のご主人も有名人であります。
 「本だしたから、よかったら買ってよ。うちで買えば彦龍絵はがきもつくし」
 
 7人できてラーメン二つしか注文しなかった若い客たちのこと、気に入らない客に「ぶちぎれて」店の外まで追いかけたこと、色紙をどこかで買ってきたのか、と言った客のこと、16歳からラーメン屋で働いてきたこと、「日本一まずい」という看板をあげて勝負にでたこと、同じイノシシ生まれの還暦であること、などなどラーメンを食べた後、結局1時間も話し込んじゃいました。

 その結果、「なめんなよ」が彦龍スタイルの原点、とみました。しかし、上はいうにおよばす、右や左もきょろきょろと見渡して言いたいこと、言うべきこともいえない輩が目についた元サラリーマンにとって、彦龍のご主人の、無頼に見えて真摯な、あまりに人間的なその生き方は、愚生にとってはカンフル剤であり、元気の元、となったのであります。

 「ごちそうさま。ブログで紹介しますよ」
 「宣伝をよろしく」
 かくして12日ぶりに書いたのがこのブログです。
 また行くべし。

Posted at 12:22 | 食 下町 | この記事のURL
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○○○クッキングへ招待されること [2007年12月16日(日) ]
銀座ソニービルです。

拡大写真です。



 街にジングルベルが響いていたのはもう何年前のことだろうか。ふとそう思ったのは、街のクリスマスの飾りがとても洗練され、しかも増えているからです。クリスマスツリーをごてごてと飾り立ててジングルベルを歌ったあのころが、懐かしいいいいい。とはいっても洗練されたイルミネーションは、それはそれできれいではあります。日本人って、本当に器用というか、すごいのかなあ、と電飾にもそう感じいる今日この頃です。



 イルミネーションの通りに面した大きなビルの地下の○○○クッキングで時折修行している子丼たちから「食べに来て」と昨晩招待されました。
 メニューはブイヤベースとタラモプレート。材料もよかったのでしょう。おいしかったです。一人でワイン5杯も飲んじゃったし。ごちそうさまでした。また招待されたい。



 でも、イルミネーションを日本人がデザインしているとは限りませんよね。神戸ルミナリエはイタリア人だし。
 それと、地球温暖化って、激しく進んでいるようですね。イルミネーションは楽しいけど、その一灯一灯が回りまわって飢饉や洪水に結びつかないとは限らないし。そう思いながら見ると楽しさも半減するし・・・やはり街にジングルベルが鳴り響いたころ程度でいかったのかも、と電飾にそうも感じいる今日この頃です。

Posted at 14:08 | 日記 徘徊 | この記事のURL
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またも昭和の食堂へいくこと [2007年12月13日(木) ]
 とある本を読んで、これはぜひとも行かずばなるまい、と固く誓った食堂に、ついに行きました。文京区千駄木3丁目、谷中銀座が突き当たるよみせ通りを道灌山通り方向へ少し歩いて左に路地があります。



  路地の入口は、みんなwelcomeの半円形のアーチ門。目指す店はその奥左側で、「そばやなのにそばを食べている客をみたことがない」と、とある本にあった「○○○や」。
  ついに来たか、とうとうたどりついたか、という期待と不安とで、武者ぶるいとめまいが同時にきている内気な愚生。しかしもう後へは引けません。突撃あるのみ。アーチを一気に通り抜けると、店の戸をガラリと開けました。

  「こんばんはー」
  といえば
  「いらっしゃーい」
  と答える、年配のご夫婦が笑顔で迎えてくれました。先客の男性は大根の煮物などをおかずに一人テーブル席でくつろいで夕食中。

  カウンターが奥にあり、手前はデコラ張りのテーブルが二つ。
  どこに座ろうかな。
  そんな“○○○やデビュー”の愚性の気持ちをほぐすがごとく「どこでもどうぞー」とのやさしいお言葉に甘えて4人掛けのテーブルへ。

  着席してまずは一安心。さてメニューは・・・ど ど どこにもありません。
  「メニューありますか」
  「うちじゃメニュー見るお客さんがいないので読めるかな」
  確かに茶色っぽく年季が入っております。

  「いっぱいありますねえ。迷っちゃうな、困っちゃうな、何にしようかな」
  「メニュー見ているよりカウンターのぞいた方が早いよ」
  先客が見かねてかくコーチしてくれました。やさしいいい。
 
  「今、うなぎの肝炒めているから」
  「じゃ、それと野菜。いろいろありますね」
  「みんな少しずつ盛りますか」
  「はい」
  それとビール大瓶一本を頼むと懐かしのデコラのテーブル上は、一気ににぎやかになりました。生きていてよかった、明日も生きよう、としみじみ思う、我が人生でもっとも幸せな瞬間です。




  一杯飲んで落ち着いたところで話ました。
  「種村さんの、とある本、にお店が出ていたんです」
  「種村さんはよく見えてました。大きな声で楽しそうに話していましたね」
  種村さんとは、種村季弘さん。3年前に亡くなった、ドイツ文学者、評論家、作家、幻想文学の大家等々、多くの著作でその博識ぶりが知られているすごい人であります。

  話がはずんでご主人も生い立ちとか店を始めたきっかけなど、人生をいろいろと話してくれました。

  改めてメニューに目を移すとな な なんと
  もり、かけ300円。

  「今もこの値段ですか。もりそば300円ですか」
  念を押さずにはいられませんでした。
  「ここは昭和そのままの食堂だから」
  答えたのは、カウンターに座った常連さんでした。

  たぬき、きつね350円。肉南ばん400円。鍋焼き上700円。カレー丼、カツ丼、親子丼500円。天丼800円。天玉丼900円。
  目玉焼き、野菜サラダ、野菜炒め、卵焼き、板わさ300円。ハムエッグ、ウインナー炒め400円・・・

  愚生は料理3品とビール大、小合わせて二本、計2000円也。
  「谷根千(谷中根津千駄木)の飲み屋は居心地が良い」
  種村さんが、このお店のことをそう書いてました。

  店名を伏字にしたのは
  「テレビも雑誌も取材は断っています。常連さんが入れなくなると困るから」とのことなので。
  初めての客にも心を開いて温かく接してくれた店の方々。信頼の根拠というのは、こうした温かみが醸し出すのかも、とふと思ったりして。
  店は夕方から午後11時まで。行けばもうわかりますね。定休日は聞きませんでした。

                         

 こちらは日本橋吉野鮨本店でこの日の昼食べた上ちらしです。20年以上通っていますが、昼間行くのはめったにありませんでした。ガリがすごく酸っぱいですが、ここも好きなお店です。いずれ詳細にご報告したいと思います。


Posted at 00:57 | 食 下町 | この記事のURL
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本物の昭和の食堂へ入ること [2007年12月10日(月) ]
 レトロや「昭和」を売りにしても店も人も新しくて単なる商売上の”コンセプト”にしか見えなかったり、従業員に偽装表示の罪を擦り付けているとしか思えない老舗の経営者あり、でいろいろ素直には信じられない嫌なご時世ではあります。でも、でも、東京・本郷菊坂は旧伊勢屋質店前の、野本食堂は、愚生にとっては本物の昭和の食堂、と断言するのは、以下の情況を踏まえてのことであります。

 開店したのはいつですか?
 「昭和39年。昔はこの通りもにぎやかでした。近くのこんにゃく閻魔さんの境内には露天も出ていました」
 この年、東京オリンピックが開かれて、高校2年生の丼ファンは、中央道がまだ覆いかぶさってなかった甲州街道(国道20号線)は代田橋界隈で、エチオピアのマラソン選手、アベベの独走をこの目で見ながら、「オリンピックって、学校が休みになっていいなあ」と思っておりました。その行く末が今であります。はい。

 ここでカメラ=話の筋は、思い出から野本食堂に再びパンします。



 週末の夜しか開かないのはなぜですか?

 「仕込みを私が全部やるので体力的に無理なのです」
 母と同じ病気だったことがわかりました。母も愚生がガキのころは長く入院していました。

 本日の日替わりおかずはカキフライ、ほーれんそうのベーコン炒め、イカの刺身、とんかつ、サンマの開きなど。どれもこれも食べたくなる身近なおいしいものばかり。しかも日替わりは全品350円。

 ほかに 日替わり定食600円、ビーフカレー600円、カツカレー(中)750円など豊富なメニューがそろっている、まさに愚生好みの食堂であります。



 こんなに安くていいのですか?

 「私と息子とでやっているから家賃も人件費もかからないの」

 注文したのは、豆とこんぶと鶏の煮物、ポテトとトマト、レタスなどの野菜サラダ。ビール大瓶一本。
 煮物はとてもおいしく、サラダが新鮮なのは当たり前としても、この時期高いトマトもふんだんにあり

 「めちゃ多いですね」

 「さっきの方もご近所なんですが、家で食べるより安いなんていってくれて」
 「多ければ持帰りでどうぞ。うちはその日のものしか出さないし。残ったら私たちが食べます」



 〆て1300円。地下鉄代をかけてもまた来るべし。
 
 レトロのよさは、店の方との話も磨きこまれた年代物のテーブルやいすも、黒い小石をコンクリート一面に埋めた三和土もなにもかもが、飲兵衛にとっては過去の様々なことを思い起こして楽しいひと時を過ごせる酒の肴となるからです。

 本郷菊坂「野本食堂」

 営業は金=時々休み、土、日の午後5時半から9時半まで。金曜日は医者に行くことがあるので休むこともあり、「あまりお客さんが来ないの」。
 この夜は午後8時ころにでましたが、その時までは先に帰ったご近所の方と私の二人。表に出ると、先日、中を見せていただいた旧伊勢屋質店の格子窓に灯りが灯っておりました。

Posted at 00:08 | 食 都内 | この記事のURL
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小石川植物園に紅葉を見に行くこと [2007年12月09日(日) ]
 植物園、好きです。植物園は「遺伝子資源」、すなわち金になる木や草の保管場所という役目、視点もあって、そう見ると世界遺産に登録されたロンドンの王立キューガーデンなどは、プラントハンターたちが世界中から集めた植物=資源の大いなる格納庫として、テイコク主義的なきな臭さの残り香が漂うイギリスの戦略基地という見方もできましょう。でも、というかそれだけにとてもすばらしい植物園です。
 植物園はその一方で絶滅危惧種の保存やバイオテクノロジーによる医薬品の開発に携わるなど、一国家の枠を超えた地球規模的な役割を担っている、と見ております。



 というわけで一昨日、東京大学大学院理学系研究科附属植物園、すなわち小石川植物園に、紅葉を見に行きました。写真のイロハモミジの並木では、心は乱れ瞳は開きっぱなし、まさにあの世、極楽浄土もかくやと思うほどの目くるめく錦秋に、生きる喜びをしこたまかみしめました。今更ながら食物、いや、植物って、すんばらしい。
 
 でも、自然はなぜかくも人間に感動を与えてくれるのか、とたまにテツガクったりします。ワレワレも小さな宇宙だから、生きていること、魂と宇宙との振動は感動という波長で同期するのかな、と勝手に想っていますが。



 小石川植物園の歴史は古く、1684年(貞享元年)、「将軍職に就く前の徳川綱吉の白山御殿の跡地に徳川幕府が作った小石川御薬園がこの植物園の遠い前身」とホームページにありまず。1722年(享保7年)には「小石川薬園内に養生所を開設」しました。

 「増補 武江年表1」(斉藤月岑著、金子光晴校訂 平凡社)にはこうあります。
 「小石川御薬園に養生所建つ。十二月より、貧困の病者を停めて薬餌を与え給う(此の所の坂を鍋割坂といひしが、これより後土俗病人坂といふ。起立人伝通院前住居の医師小川笙船と云ふ人なり)」。

 小川笙船は、療養所の初代肝煎(所長)に命じられ、以後、笙船の子孫が肝煎を世襲しました。養生所は山本周五郎の「赤ひげ診療譚」の舞台(だそう)であり、小川笙船こそそのモデル(だそう)です。赤ひげ診療譚、読まなくては。
 
 帰り際に見たメタセコイアの黄葉?もすんばらしく、池を鏡に映るカエデやイチョウは「陽が射すとすごくきれい」(庭師の方)とのことでした。



 かくも由緒ある植物園ですから、ニュートンのリンゴの木とか初めて精子が発見されたイチョウやソテツ、小石川療養所の井戸、国の重要文化財に指定された東京大学現存最古の学校建築〈旧東京医学校本館〉=総合研究博物館分館など、目玉と脳味噌に刺激ビリビリ、オッパッーピー(初出 小島よしお)のものが散らばっているのです。日光にある分園も四季折々これまたすんばらしいのですが、冬は休園です。

 ところで、小島よしおの豪華衣装=海パンが、売り切れだそうです。フランスのブランド物で、ブーメランパンツというデザインだそうです。
 えっ?そんなのカンケーね

 かえりに行ったノスタルジー満載、本郷菊坂「野本食堂」は次回ご紹介します。

Posted at 00:28 | 日記 徘徊 | この記事のURL
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月島へおいしい刺身を食べにいくこと [2007年12月06日(木) ]
 おいしい刺身食べたくなると、月島のやまにへ行きます。刺身に限らず、何でもおいしくてどなたをご案内しても喜んでいただいてます。
 一昨日は2人。本当は3人予約したのですが1人は仕事が入り、棄権しました。泣いて悔しがったに違いありません。



 やまには、銀座方面からは勝鬨橋をわたって二つ目の信号手前左側のビルの地下です。再開発前はやまに食堂となっていました。店は新しくなっても料理ばかりでなく、サービスのよさも変わらず、連日にぎわっております。

 この夜もまず大間のマグロの頭の刺身、白子の天ぷら、タコのから揚げ、シメサバetc.いずれもチョー新鮮かつチョーおいしい、が詰まっていて、さすがは築地を控えた老舗の底力。ワレワレも感動にむせび泣きつつ杯を重ねて至福のひと時を過ごしたのであります。



 ポテトサラダやオムレツなど、若い衆向きのメニューもあって、最近は女性のグループも多くなりました。ワレワレは人数が多いと小柱入りのオムレツを頼むのですが、二人ではちとボリュームがあってパス。メニューにないかもしれませんがイカのきもの冷凍もやはり感涙に咽ぶこと間違いありません。



                          

 昨日は、日比谷公園の紅葉を見てきました。毎年のように見ていますが、ことしは天気と行った時期がよかったのか、見事でした。


Posted at 23:41 | 食 下町 | この記事のURL
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これも噂の?もぐらつけ麺 [2007年12月02日(日) ]
 私、メン食いです。一昨日、美女、もとい美味麺に出会いました。麺食いとして無上の幸せです。きっかけは、風が吹けば桶屋が儲かる、的な、横文字の言い方ではセレンディピティな、といいましょうか。いきさつ、ちょっと長いです。

 情けなくも一度引き返した大徳川展を見るために意を決した一昨日午後2時40分ころ、地下鉄への交差点を渡り初めの一歩で、青い大きな財布が落ちていたのですかさず拾いました。躊躇していると、何を勘違いされるかわかりませんし、変な人物から「俺のだ」などと言われるとこまります。

 本当は時間は迫っているし、交番は歩いて10分以上です。拾いたくなかったのですが、体験から、落とした人がメチャ不安に思うのはよくわかります。

 「大徳川展を見た後で交番に届けるか、今すぐいくか、それは自由だー」とエンタメの犬井弘風にはいきません。念のため交差点の前の八百屋のケンちゃんに「財布を落とした、と言って来た人いなかった?」と尋ねました。ケンちゃんは小学校1年の時から、つまり53年前からの友達です。
 「いないねえ」
 「じゃしょうがない。交番にいくか」
 「遠いいからなあ」
 「しかたなかんべ」

 交番には、おまわりさんが二人いました。
 「明日(12月1日)なら法律がかわって遺失物が3ヶ月でだんなさんへの所有権があるんだけど、今日はまだ6ヶ月だね」
 簡単な届出の書類に目を通していると、年配のほうの、といっても私よりは若いおまわりさんが、言いました。そんなことはちっとも知りませんでした。
 
 サインして、交番から近い駅、京王線代田橋駅へと向かいました。と、小さな小さなラーメン屋が。



 「台東区一うまい塩ラーメン」「もぐらつけ麺」
 前回もかきましたが、ネーミング、キャッチコピーは大事です。でもこれだけ書いておいしくなかったら、世の中何を信じていいのかわからなくなりますよね。入りました。5人でいっぱいです。台東区から引っ越してきたそうです。
 でも「もぐらつけ麺」って?????


 讃岐うどんの技術を応用したあつあつの極太麺、汁は氷が入ってキンキンの冷汁。大根おろしたっぷし。やや酸味あり。800円。うまい。
 「なんでもぐらなの?」
 「辛み大根の形が似ているでしょう。単にそれだけ」
 「くせになりそう」




 「裏メニューのタンタン面が今、うちで大人気なんだけど」
 
 かくして、思いがけずおいしいラーメン屋「龍ちゃんラーメン」を見つけました。財布を拾っていなければこの出会いはなかったかもしれません。こういう出会い系は、歓迎です。はい。

 で、昨日午後7時半、ケンちゃんがやってきて「昨日丼ファンが来て30分後に財布を落とした人が店に来たんだ。友達が交番に届けた、と言ったら、さっき、お礼に渡して欲しい、とこれを持ってきたよ」と仕事が終わってないのに届けてくれたのでした。
 かくしておいしそうなお菓子もいただいた、とてもセレンディピティな二日間でありました。
 大徳川展、混んでました。本日で終わりです。

                   

 下の写真は東京国立博物館表慶館と国立西洋美術館のイルミネーションです。大徳川展を見た帰りに撮りました。



 

Posted at 01:30 | 食 パン 麺 | この記事のURL
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