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マリア・カラスも歌ったエピダウロスの円形劇場・・・ギリシャ団体旅行記13 [2008年06月30日(月) ]
 エピダウロスは、「元来アポロン崇拝の地だったが、前6世紀以降医神アスクレピオスが祭られ、前4世紀がその最盛期で、その医療施設と演劇・運動競技によって汎ギリシャ的な聖地となった」(※1)ところで、残っている遺構は25を数えます。
 しかしそのほとんどが「土台部分まで裸にされた無残な姿を曝している」中で、私たち一行が訪れた円形の劇場のみ保存状態抜群です。



 「劇場は、キュノルティオン山の斜面を利用して作られていて、山土に深く埋没したために石材の剥奪から免れた」(※2)からです。
 劇場の収容観客数は14000人以上。今も音楽祭に使われるほど音響効果もよく、20世紀最高のソプラノ歌姫といわれたマリア・カラスも一度ならず劇場の底の丸い舞台「オルケストラ」に立ちました。オルケストラはお察しの通り、現在管弦楽の意味で使用されるオーケストラの名称のもととなったとのことです。
 
 30年前にマリア・カラスが亡くなった時、イヴ・サンローランが「神々は退屈し、自身の声を呼び戻したのだ」と語った、とネットにありました。そのサンローランも今月1日、亡くなりました。思い出があります。就職のために買った最初の背広がイヴ・サンローランのブランドでした。ウェストが75センチだったころです。

 劇場では、ガイドのK下さんが「せっかくですから真ん中で歌ったらいかがですか」としきりに勧めてくれましたが、皆さんシャイで、歌いませんでした。K下さんは一人、美声を響かせていました。天気が良ければせめて劇場の上まで登ったのでしょうが、雨に負けてそのまま博物館へ向かいました。一人、エンちゃんだけが上まで登っていました。

 博物館には古代の医療用具=写真=がありました。


 さらに首のない像がたくさん。生きているうちに、下の体の像を選んでおいて、死後その人の頭の像を付けるためだそうです。そうする意味がおおいにあったのでしょう。合理的ではありますね。



 氷雨の中を三度バスに乗って向かったのは美しい港町ナフプリオン。




雨も上がった夕方、この土産物店に入るととてもかわいいお嬢さんが英語で話しかけてきました。
 「日本人ですか。サスケを見ています」
 サスケ???
 我が一家は、その時彼女が何の事を話しているのかわかりませんでした。でも大変にこやかに応対してくれたので、気持ちよくお菓子を幾つか買いました。サスケってTBS系の筋肉番付のスペシャル版で放送されているテレビ番組だったのですね。アメリカでも人気、とその後新聞に出ていましたが、ギリシャで話題になるとは思いもよりませんでした。
 でも遠いようで近いギリシャを実感したひと時でした。
 明日はいよいよスパルタです。そういえば筋肉と大いに関係ありそうですね。
 
(※1 「世界の大遺跡5 エーゲとギリシャの文明」 三浦一郎編著 講談社1987年)
(※2 「ギリシャ案内記 下」パウサニアス著、馬場恵二訳 岩波文庫訳注127)

Posted at 01:20 | 旅 ギリシャ | この記事のURL
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エピダウロスへ・・・ギリシャ団体旅行記12 [2008年06月27日(金) ]
 エレクトラを思い浮かべながらミケーネを後にした我々一行は、再び車中の人となりました。向かうはペロポネソス半島西武の聖地エピダウロス。
「前6世紀以降医神アスクレピオスが祭られ、前4世紀がその最盛期で、その医療施設と演劇・運動競技により汎ギリシャ的な聖地となった」とものの本にありました。

 しかし、腹が減っては聖地といえど歩けません。途中KOLYZERASという大きな白いレストランに寄りました。壁にはここを訪れた世界の著名人の写真が貼ってありました。

 お昼ごはんはサグナキ(チーズパイ)、ズッキーニのコロッケ風、サラダ、ポーク・スブラキ(串焼き)、果物。
ズッキーニのコロッケ風です。



 大きな皿に大きな串に刺したスブラキが乗っています。かぶりつくのかな、と思っていたら、店の方がその上にお皿をかぶせてスブラキを挟み、串だけ抜きました。二枚の皿が閉じた貝のようでした。

お皿をこうかぶせて



左手で串を抜くと



デザートです。ギリシャ国旗がへんぽんと翻り、ギリシャ的な食事の〆、という意思を強く伝えていますね。



 どれもおいしくいただいて、再びバスに乗り込むと、われらが名ガイド、K下さんが神話はもちろん、ギリシャのいろいろを、話してくれました。

 「結婚するときに、私は旦那様に『毎朝いちいちあなたにお金を下さいと言うのは嫌ですよ』と言いました」
 ギリシャ人のご主人は「日本の女性はしっかりしているから大丈夫」とおっしゃったそうです。
 その根拠は知る由もありませんが、ギリシャでは今でも多くの女性が毎朝「今日は○○でお金がいるからください」と言うそうです。働く女性も多く見かけたのはそのせいもあるのでしょうか。

 昔、ギリシャでは、というかギリシでもというべきか、女性に対して相当ひどいことを言ってます。
 たとえばホメロスとならぶギリシア神話の2大作家、ヘシオドスは「彼女たち(人をまどわせる女たちの種族)は 死すべき身の人間どもに 大きな過ちの因をなし 男たちといっしょに暮らすにも忌まわしい貧乏には連合いとならず 裕福とだけ連合うのだ。(廣川洋一訳『神統記』)」(ギリシャ神話と英米文化 大修館書店 p.51「ギリシア神話とギリシア・ローマ神話」から)。

 よくわからないところもありますが、周りを見るに、男の方にそういうやからが目につくような気もしますが・・・
 一方、日本はどうか。愚生の好きな本、「逝きし世の面影」(渡辺京二 平凡社ライブラリー)には、長岡藩の元家老の家に育った女性の話として、「日本では妻は夫の『銀行家』として一切の家計を任せられ、夫のほうが金がいる時は妻から受け取っていたのである」(同書p.364)。
 我が家の”銀行家”も査定が厳しくて。
 いろいろいろいろ思うところはありますが、 そろそろエピダウロスです。

Posted at 15:10 | 旅 ギリシャ | この記事のURL
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昼も奥深いものがある銀座ランチ日記 平成20年6月中下旬編 [2008年06月26日(木) ]
 6月10+X日
 
 この歳になると、いつすきなものが食べられなくなるかわかりませんから、「二度とご縁がないでしょう」と思う店に入らないようにと“一食入魂”を心がけます。外観、メニュー、宣伝文句、値段、客筋、雰囲気を一瞬にして判断する・・・のは無理ですが、愚生好みの店の構えがあるようで、何度か前を通って逡巡しているうちに、「たぶんだいじゃぶ」との信念が強まっていきます。

 先週末のお昼もそうした店の一つでした。銀座6丁目。泰明小学校近くの小さな路地に昨年12月にオープンした「陶CAFE」です。カウンターだけの小さな店で、場所的にも雰囲気的にはディープです。でも、店の前に毎日メニューが出ているし、いつもにぎわい、それも女性が多いように見受けられ、入ろうと思いつつ、ちゅうちょしていました。



 しかしこの日は午後1時半ころとあって男女二人だけ。昼メニューはその日一種類だけですから、「いいですか」と声をかけてカウンターに座って出てくるのを待ちました。
 まず大きな皿にいっぱいの野菜。そのボリュームびっくりしました。女性が多いはずです。さらに小鉢二つとこの日メインのカレーが来ると、どれかがプレートからはみ出します。
 


 「秩父で陶芸教室を開いています。野菜はそこで育てたオーガニック野菜。今は葉物がどんどん大きくなるので」とママ。陶芸家のCAFEなのですね。愚生も「挑戦したいけど、使えない代物の山になると困るし、壊すのも抵抗があるだろうし」というと「ともかく粘土になじんでみては」。
 そうですか。優柔不断が身上ゆえ、決心は簡単にはつきません。

 それにしても野菜がめちゃめちゃ多いです。
 「キューリも一週間でこんなに大きくなるの」と見せてくれました。
 人参も葉っぱも味が濃く、野菜カレーと黒米ごはんもおいしくコーヒーと果物までいただいて、秩父で摘んだ桑の実までつけてもらって1000円。ごちそうさまでした。
 銀座は昼も奥深いです。

Posted at 15:38 | 食 銀座・新橋界隈 | この記事のURL
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天保元年創業の鰻屋へいくこと 桐生という町 [2008年06月22日(日) ]
 東武浅草駅から特急りょうもう号で1時間40分弱。群馬県桐生市は、人口12万8000人余。かつて絹織物の町として西の西陣、東の桐生とうたわれた由緒も歴史もある同市は、関東大震災にも戦災にもあいませんでした。
 そう聞かされて週末、仕事で訪れた桐生市は4年前に来た時と空気が、雰囲気が違って見えました。織物産業でにぎわったころの蔵作りの家や工場、地域、通りを、古き良き時代の思い出を今に伝える町、桐生の顔として、売り出し中なのです。



 それもめざすは、大勢観光客が来ればよい、というけばけばしくうるさい観光地ではなく、郷愁とともに伝統と文化を楽しめる観光地作りを目指そうという心意気が、出会った方々から伝わってきました。愚生は思いました。
「こんなにいい町とは知らなかった。知ってよかった」と。
 そこで特急でも東京から2160円。タクシー代がさらにかかりますが、時間があればバスで街なかへいける桐生の探訪記を、本日から何回か書いてみます。最初はやはりおいしいものから。



 伝統の街にふさわしいたたずまいのこのお店は、本町3丁目にある、天保元年(1830年)創業という老舗の鰻屋「泉新」です。昼は午前11時から午後1時半まで。靴を脱ぐと、掘りごたつ形式の小さな個室に案内されました。木の家、古い火鉢、きれいな部屋。おいしさへの招待状のごとく、サービスの心が目に見えます。

 「メニューは一種類だけなのです。大きいのもありますが」
 「普通でいいです」
 待つこと10分たらず。
 「白いのはデザート。おいしいですよ」
 はい。いただきます。

 重箱の蓋をあける時がきました。カメラもわきにおいて、ジャーン
おっつ、こ こ この焼き色は、この香りは、そして普通にしてこのボリュームとは・・・
 


 一目見ただけでもわかりますね。これでおいしくないわけがない、と。
箸をつけたあとは、思考停止です。ひとことだけ申し上げましょう。創業以来の伝統を受け継ぐタレが、甘くなく深ーい味。ご飯もたっぷりありましたが、もう一つ食べたい、と本気で思いました。今こうして書いていても思います。しかもセットで2300円。
 デザートも、もうひうとつ食べたかった。


 ここのうな重は、戦後無頼派の小説家、坂口安吾も食べたことが、机の上にあった地元の新聞、桐生タイムスの記事で知りました。
 安吾はうるう年の1952年2月29日に桐生市に転居し、昭和28年8月20日未明、、酔って騒いだ安吾は警察の留置場に入れられたが、そこにも泉新の「うな重」を出前でとった、とありました。その1年半後の昭和30年2月17日に桐生の自宅で亡くなりました。


 ところで、愚生にとって忘れ難い鰻は、大阪・天満宮裏の「亀の池 浪速」のうな重です。一度焼いて熱湯をかけて余分な脂を落とす、という独特の調理法で秀逸な味わいでした。大阪に赴任した御同輩にも教えたところ、「すごくおいしい」と言ってました。

Posted at 19:57 | 食 関西ほか | この記事のURL
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銀座ランチ日記  平成20年6月上中旬編 [2008年06月20日(金) ]
6月×日 ランチ記念日宣言

 勤務先のT升氏とF田さんから「M木先生をご招待するから同席してください」。
 もちろんOKでーす。誰が断りますかいな。
 「で、どこ?」
 「帝国ホテルで鉄板焼きです」

 ったー(声になりません)。

前菜です




 メタボがなんぼのもんじゃい。でも控え目に旬のランチコースの「やわらかいフィレステーキ、ターメリック風味だれ」。おいしかったー。M木先生は愚生のかつての御同輩です。おかげ様で楽しかったです。そこで一句

 自腹では一生行けないテイコクの昼 だから今日はランチ記念日 

 失礼つかまつりました。


6月×日プラス数日
 
 隣席のO谷氏とK谷さんと日比谷いちにいさんへ。
 「私、がっつりたべないとだめなの」と大柄かつお若いK谷さんの主導です。先日ご案内したそば屋ではちと物足りなかったようで。すみません。でもおいしかったでしょ?(と強要)。

 O谷氏は黒豚のバラかつセット、K谷さんは黒豚の野菜蒸しセット、愚生は蒸し豆腐セット890円=写真=。日比谷で、このお値段で、このボリュームで、黒豚で・・・グーッ。



 「ここの黒豚はバークシャー種の純粋6白黒豚だって」とホームページを見て知ったかぶりは、どこのどいつだー(にしおかすみ子風です。ちと古いかなあ)
 今月2日に銀座店でごちそうになったのはご報告済みです。

 昨日は、旧木挽町のこの喫茶店で



 カレーライス。コーヒーと合わせて1350円は、ランチとしては安くはありませんが、おいしかったです。

Posted at 10:27 | 食 銀座・新橋界隈 | この記事のURL
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値上げでも残したものが・・・ [2008年06月18日(水) ]
 困りますね。基本的には定年退職組の愚生にとって諸物価値上がりは暮らしへの不安が募るばかりでなく、何より肝心の、夜の予算不足がとっても怖いのです。でもその前に昼も怖くなっている現実に日々直面しております。昨日もこんなことがありました。

  午後0時40分、会社の御同輩O氏を「ワンコインヌードルがあるから」と、銀座の中華料理店「ニュー北京」にご案内しました。半年ぶりです。満席でした。待っている間にメニューを渡されたのでそこには載ってない「ワンコインヌードルは?」と聞くと「午後1時から」。

 案内したO氏に申し訳ない、とおもいましたが仕方がない。O氏は鶏煮込みそば、愚生、久しぶりにネギそば=写真=を頼みました。



 「おいしいですね」とO氏。ネギそばも血圧が高い愚生にとって少し味は濃いめなのですが、やはりおいしい。
 御値段はどちらもランチタイム価格の1000円。ですが以前ランチタイム価格は900円でした。

 「上がった?」
 「今年の2月か3月。ビンジョウ値上げよ」と元気のいいママ。
 ビンジョウはしゃれでしょう。仕方がない、と思いますね。最近の諸原料の値上がりを聞くにつけ、見るにつけ。
 でもワンコインヌードル500円は据え置き。
 「値上げしないの?」
 「ワンコインだもん。どうすればいいの」
 「量を減らしたら」
 「そんなわけにいかないでしょ」
 
 大変でしょうが、グワンばって残してほしい。ワンコイン以外にも食べに行きますから。

Posted at 14:31 | 食 銀座・新橋界隈 | この記事のURL
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黄金のミケーネ2 その血塗られた歴史の陰に・・・ギリシャ団体旅行記11 [2008年06月15日(日) ]
  アテネ・国立考古学博物館にある黄金の出土品です。



 10年に及んだトロイ戦争から凱旋したギリシャ軍の総大将アガメムノンが、留守を守っていた王妃クリュタイムネストラとその不義の相手のアイギストスに、すぐに殺されたのは、それなりの理由があった、ということを、21年前発行の雑誌ダカーポの書評で知りました。書評子は「清貧の思想」、愚生の好きな「実朝考」のなどの著者、故中野孝次氏。

 「連休中にすばらしい一冊の本を読んだ」
 氏がそう書きだした本は、星川清香著「エピタフ」(築地書館)。今、取り寄せ中なので読んでいませんが、「なぜミュケーナイは滅んだのか?」という見出しの話はこうです。

 「英雄アガメムノンは、トロイ遠征の出発時に、母親たる彼女(クリュタイムネーストラ)に最もひどい仕打ちをした。全ギリシャ軍の無事渡航のため、神託に従い、わが娘、美しきイピゲネイアーをその手で殺害し犠牲に捧げたのである。著者はまずこの事件がクリュタイムネーストラに与えた言語を絶する苦痛を描くことから始める」
 しかも、アガメムノンは戦える男のすべてと糧秣や金銀財宝の大部分まで持ち去り、「軍が出発したあとのミュケナイ(ミケーネ)は、津波に襲われたように見えた」。

 「ものを裏側から見る癖」を持つ戦いに行かなかった男と、残された女たち。アガメムノン不在の10年の間に「働くことを通じて女たちは自らの力を自覚し、変わったのである」。
 こうした中での英雄アガメムノン殺害は、「新しいモラルの古い掟に対する否定であった」と中野氏は結んでいます。
 本の副題は「英雄たちの墓標」です。

 写真はミケーネのアトレウスの宝庫(上)と南門(斥候を出す場合などに使われた、とみられているそうです)。


 
 生き延びたアガメムノンの娘エレクトラは、父を殺した母に対して激しく憤り、弟に殺害させます。その悲劇を描いたギリシャ映画「エレクトラ」を、高校生のころ、新宿文化で見ました。照りつける太陽のもと、イレーネ・パパス演じるエレクトラの、意志の強い女性という印象のみ残っています。エレクトラコンプレックスなる言葉もそのころ覚えました。もう一度見たい映画の一つです。
 イレーネ・パパスは、「その男ゾルバ」、「ナバロンの要塞」など数々の大作に出演していますね。

 ところでトロイ戦争はいつごろあったのでしょうか。ウイリアム・H・マクニールという世界史研究者の「世界史 上」(増田四郎、佐々木昭夫訳 中公文庫)では前1400年ころから「200年間というもの、ミュケナイの船は、連続的に海の略奪を行い・・・」とあります。この間が、ミケーネ文明最盛期で、トロイ戦争は「前1184年にあったと伝えられる」、他の本では「前1182年ころ伝説のトロイ戦争起こる」とあります。
 そしてまもなく前1100年ころ、鉄の武器で身を固めた「ドーリス人という新しい侵入者の波が北からやってきて、ミュケナイの中心勢力を踏みにじったのである」(同書164ページ)。
 それはアテネにパルテノン神殿が建設される約550年前のことでした。

Posted at 10:47 | 旅 ギリシャ | この記事のURL
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気になっていた新宿の店でお昼 [2008年06月11日(水) ]
 「新宿駅から15秒」「新宿駅最後の小さなお店」
 ビア&カフェ「BERG(ベルク)」のキャッチフレーズの一部です。ごちゃごちゃの外観は、この年になると落ち着きません。情報量が多すぎて理解するのが面倒くさく、避けるタイプの店です。



 ところが最近客も多いし、もともと気にはなっていたのでホームページを見ました。そこでこのごちゃごちゃの宣伝を「ポップ」ということを知りました。そしてもっと気になってきました。

それは
(1) 味
  コーヒーも、ソーセージもパンも、そしてアルコールもみんな好きです。
 こだわり、という言葉は、単なる自己満足に聞こえるときがありますが、ここに見る職人としてのこだわりは“本物”と見ました。

(2) たたずまい
  いいものを納得の値段で(客にとっては)提供したい。おいしいものをつくりたい、食べてもらいたい、というメッセージが、スタッフの意地と努力と 生甲斐と自信とともに、わがこころにも響いてきます。

(3) そして何より注目のこのメッセージ
 愚生は、恩をあだで返す、あるいは相手の弱みに付け込んで自己の利益のみ追求する手合いがいることを、人生の中で知っております。
 会社の方針とか命令とはいえ、やっちゃいけないことはいけない、というべきでしょう。そういう議論をできない会社、いえない組織があり、いわない社員がいることも、最近のニュースを例にとるまでもなく知っています。

 忘れてました。昼食はこれ。エッセンベルクというそうです。コーヒー付きで819円。



 スープ、おいしかったです。ビールも飲みたいし、また行かなくては。でも、お店を応援するお客さんでいつも混んでいるのが、臆する“後期”中年者にはちと辛いなあ。

Posted at 16:47 | 食 都内 | この記事のURL
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冷凍総菜は、悲願の減量を可能にするか [2008年06月09日(月) ]
 縁あって、メタボ解消に、と冷凍食品お試しセットをいただきました。株式会社スマイルダイナーという会社が発売した新商品で、「味と彩り」「物足りなさの解消」「バランス」「食の品質管理」・・・
 要するに低カロリーだがボリューム感があり、かつ栄養バランスと味に自信、塩分控え目というのが商品のウリ。メタボすれすれだけでなく、やや高血圧の愚生にとっては、かなり魅力的な宣伝文句が勢ぞろいしています。

 そこで、一昨日の昼に「醤油仕立ての鶏ちゃんこ風セット」300キロカロリーを、今朝は「赤魚と野菜の味噌仕立てセット」230キロカロリーを食べてみました。一食のセットのカロリーは多くて350キロカロリーまでだそうですが、ご飯とみそ汁は別ですから、油断してご飯を食べすぎてはいけません。
 「味はいいわね」と家人。愚生もそう思いましたが、一昨日は解凍に失敗したのか、一部冷たくて温め直しました。

 今朝は解凍がうまくいきました。やや寝坊したので、大変便利でもあります。ボリュームもあります。問題はお値段。一食840円。酒代に比べればもちろん何ら問題ないのは確かです。悲願の減量も期待できます。

 赤魚と野菜の味噌仕立てセットです。器に移しかえればいいのでしょうが、時間がなくて。



 こうした便利なこと極まりないセットに頼るのは、老人世帯とか体調不良の時などにはいいでしょう。実際に我が家でも検討しています。でも日常的にはまだぜいたくな気もしないではありません。ものたりなさも気分的にありますし。
 メタボの解消は、やはり簡単にはいきそうもありません。(*´ω`)

              
                                    

 先週、銀座4丁目のそば屋「五合庵 多吉」で「よろずそば」1000円を食べました。名前のとおり、から揚げ、子柱、山菜、トマト、カニスティックと具満載。梅干しまでありました。塩分、カロリー的には気になるところですが、食べる楽しみがあります。
 ほかにも「ナスそぼろ」「熊笹せいろ」「おろし餅そば」など夏季オリジナルのユニークなそばがありました。
 場所は、歌舞伎座の南。元は木挽町という、江戸の面影がある町名だったところです。多吉は、岡本綺堂作「半七捕物帳」の、半七の子分として随所に活躍していますね。
 向かい側はシチューで有名なお店です。


Posted at 11:22 | 食 銀座・新橋界隈 | この記事のURL
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黄金のミケーネ1 獅子王の門・・・ギリシャ団体旅行記10 [2008年06月09日(月) ]
 何かに似ているな、と写真を何度かみているうちにふと思い当りました。
「ヨーロッパの王家の紋章に」と。



 獅子王の門のことです。アガメムノンの暗殺、エレクトラの復讐など血塗られた伝説を持つミケーネの王城の門です。氷雨に煙る遺跡には、戦車の轍の跡、籠城用の地下水槽、堅固な城壁など、紀元前16世紀ごろからの伝説の時代の大要塞の名残をとどめてそこに生きたつわもの達の心を今に伝えておりました。
 写真は獅子王の門の内側です。



 我が団体は、コリントスを足早に見てバスで約30-40分。トロイの発掘で知られるかのシュリーマンが発見したミケーネに着いたのは、現地時間正午ごろ。2頭の獅子が我々を待ち受けていました。頭がないのは残念ですが、それがかえって廃墟と化した時のエネルギーの強いメッセージとなってハートにびんびんがんがんきます。

 門をくぐると右手に王家の墓とされる円形の墳墓。直径約28メートル。ギリシャ案内記の著者、パウサニアスが紀元170年にこの地を訪れたころには4-5メートルの地下にすでに埋もれていました。



 そこを発掘したシュリーマンが見たものは、「おとぎばなしのようにおびただしい黄金の装身具をつけたといってよいほどの十五個の屍体が伸展されて横たわっていた」(シュリーマン著、村田数之亮訳岩波文庫「古代への情熱―シュリーマン自伝」p.90)。



 死者の顔に置かれていた黄金の仮面がアガメムノンたちのもの、とシュリーマンはギリシャ国王に打電しています。写真の仮面はアガメムノンとされていましたが、今はアガメムノンかどうか、疑問符が付けられています。
 人間のことを古代ギリシャ語では「死すべき者」と言ったそうです。確かに神々は生き続け「お化けは死なない」(ゲゲゲの鬼太郎の水木しげる先生)のかもしれません。
 黄金の仮面の主がだれであろうと、「死すべき者」の一人だったことに同類として無常を感じつつ、酒とバラの日々も否定しません。いや、できない体です。

Posted at 01:05 | 旅 ギリシャ | この記事のURL
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