最近は地域や社会の大小活動とボランティアが増え、ブログはおろか家事も自分の事をする時間も持てず、人様に頼まれた各スケジュールをこなすだけで精一杯…それらに伴う夜のお付き合いも増え、断れない私(笑)は、深夜帰宅が続きお肌も体もボロボロ(泣)…お友達のブログ訪問も儘ならず…申し訳ない事でございます

・−・−・−・−・−・ ≪西谷氏のスーダン報告≫ ・ー・−・−・−・−・
イラク取材を続けている友人の西谷氏が、5月に、20年以上内戦が続いているスーダンに行き、先日帰国しました。その放映お知らせを書かせて頂きたく、取り急ぎブログを掲載させて頂いた次第です。
(急な事件などがあれば、放送は延期又は削除される可能性もあります)
・6月27日(金)午後4時過ぎ〜 ・朝日放送「ムーブ!」(関西地方のみ)
(話題の新社屋・新スタジオからの生放送です)
『自衛隊がスーダンに派兵されようとしているが、本当に必要なのは、軍隊ではなく、民間の人道支援だと感じた。』と、彼は言っていました。
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アップついでに(笑)…
新聞や各メディアでご存知のように、6月23日は沖縄慰霊の日でした。
1945年3/26、米軍が慶良間諸島に上陸開始、4/1には読谷・北谷に上陸し、北部と南部に進攻。組織的な戦闘は6月22日に終わり、20万人を越す戦死者がありました。沖縄県では6月23日を『慰霊の日』と定めています。
同日、友人の主宰する『沖縄戦を忘れない、6・23市民集会』のお手伝いをしてきました。今回の議題は「集団自決」に軍の強制や関与がどの程度あったか、でした。数年前から沖縄で取材している友人のジャーナリストの報告と、大江・岩波裁判の検証などを話し合いました。中でも、沖縄戦を体験した方々のお話は生々しく印象的でした。
平安名氏の頭には63年後の今も、その時の傷があります。又今も、近所の老人達は言います、「あの時お前が泣かなかったら、お前のオバアの言葉がなかったら、わしらはあの壕で自決を強いられていただろう。お前とオバアは命の恩人だ。」と。そのオバアは、一昨年、やっと慰霊碑に名が入ったそうです。
「沖縄人には日本人の血も流れていなけりゃ大和魂もない。胸に日の丸を付けてやる」と言って軍刀で胸を突かれ理不尽な死に方をした島民。
島の絶壁に村人を集め、「天皇陛下万歳」を叫ばせながら集団で飛び込みをさせた日本兵。壕に入ると日本兵から手榴弾を渡され、自決を強要された。しかし当時の手榴弾は粗悪品も多く、不発の人達が何とかして死のうとする必死な形相が、今も頭に焼き付いている。生き残った人達は日本兵に助けられたのではなく、たまたま粗悪な手榴弾を配られただけ…等々。
反対に、米兵に捕まり捕虜になった人達はベッドと食事が与えられ、「こんな事ならもっと早く捕まっておけば良かった」と思ったそうです。
重ねて皆さんは訴えます、「歴史問題と基地の問題を同時に考えて欲しい」と。
演習中の飛行機から落ちた燃料タンクで死んだ友。基地の狩り遊びの散弾銃で誤って撃たれた島民達。レイプされて村に居られなくなった娘達…本土の新聞に載らない事が日常的にあり、今も沖縄は日本の捨石である…だから伝えて欲しい、沖縄はリゾート地ではないと…。
♪安里屋ユンタ←若い子も三線(サンシン)を持って参加(普通の会議室でマイクなし、音が悪いです)
(もしコメントを頂けますならば、「見た」、「了解」などで結構ですよ〜
明日も朝から夜まで出掛けますし、今月締め切りの原稿も2、3頼まれていますので、お返事は遅れる可能性もあります
)
Posted
at 01:28
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≪靖国のHP≫






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を浴びて気持ち良さそう〜これが本当の甲羅干し。 親亀の上に小亀が乗って〜♪






私からのお願い
彼が調査し続けてきた『戦争の裏側にある石油と軍需産業の利権の構造、アメリカがイラクにこだわる理由』についても今回は潜入取材の成功で明らかになりましたが、これは放映されるかどうか?疑問です(多分、関西のほうが本音に近い放送になると思いますが…)。
10:30曽根駅発〜萩の寺(東光院)







近所情報を言わせて頂きますと…東の松屋町筋は殆ど混み合わず、又堺筋を2本も東に行きはったらコインパーキング等もありますから大丈夫ですわ〜、自転車で来はるんやったら、1本裏のかなり傍まで行って止められます(内緒やよ〜・笑)。
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