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★★★ 『なにわ夢便り』(大阪の歴史や新旧名所・旧跡のご案内ブログ) ★★★
     ライフワークのつもりで随時更新しています、是非お読み下さいませ〜♪
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落書  [2010年08月29日(日) ]
此頃世間ニ流行ルモノ 自殺子殺シ親殺シ 所在不明ノ高齢者
喘グ国民横ニ見テ 手段ヲ持タヌ政治家ト 何モ分カラヌ評論家
大事ナ事ハ伝エズニ 無闇ニ騒グ報道者 ソレニ流レル街スズメ
アゝ、コノ国ハ何処ヘ行ク
昨今の事象も内から見ると・・・
若人らは夢を捨て 儚い愛と友情を 求めてさ迷う寂しさよ
親は「頑張れ」「情けない」と 叱咤激励するけれど 「あんたの時代と違うんだ」
高度成長・バブルだと 団塊世代は懐かしむが 僕らは見もせず日が暮れた 

会えて嬉しい我が天使 可愛い寝顔を見ていると どんな苦労もいとやせぬ 
孤立奮闘するものの 援助の手などは差し伸べず 批判で追い込む世間なり
過労に鞭打つ泣き声に みなぎる力も落ちて行き 心も壊れる深い闇

不況で仕事も厳しいが 家族の為にと我慢して 気付けば誰もいなくなる
一体俺の人生は 何だったのかと問うたとて ただ風だけが吹くばかり
働けど働けど尚わが暮らし 楽にならざりそっと首吊る

親は大事と思っても 俺も相当年を取り 気力体力落ち込んだ 
老々介護も限界だ 「母ちゃん、ごめん!」と手をあげる
隣は何をする人と 聞けば夫婦心中で これも介護の哀れなり 

世界が憧れ誉めそやす 長寿大国開けてみりゃ 居るのは幽霊ばかりなり
又、健在の老人も 趣味や旅やといそしんで ブログで楽しむ人あれば
その日の糧もままならず 名前も戸籍も分からずに ドヤで果て行く涙雨

今カラ65年前 今ト同ジ夏空ノ アノ焼跡ニ誓イ立テ 
皆デ励ンデキタハズガ ドコデ狂ッタ?コノ時計 英霊達モ泣イテイル
父母ラガ命ヲカケテマデ 守ッタ祖国ヲコンナニモ 壊シタ責任我々ニ 
*** 建武新政府の混乱ぶりを伝える文章として有名な「二条河原落書」
それを真似て、現代の混乱ぶりを「シニアコム河原」にチョット落書しました ***  

昔は当たり前だった古い行事や繋がり、私達世代も継承しましょう
この写真もその一端です(2回拡大出来ますがピンボケでした
小さな事がキッカケで大きな輪になり…皆で手を繋ぎ合っていきたいですね
左上…ブログのYako様・こまくさ様達と夜の落語会へ、於:天満天神繁昌亭。
左下…♪赤い灯青い灯道頓堀の〜川縁の盆踊り、船上には音頭方が賑やかに。
右…今年の盆踊りははっぴで軽快に。これも日本の良き伝統です〜。
猛暑を吹き飛ばすノリの良い【河内音頭】【八木節】、アホ振りを笑って下さい(どちらも1分…ご覧下さるお方は各曲名を↑クリックして下さい)

≪追伸≫
シニアコム株上場廃止を受け、編集部宛にブログ存続を切望しました所、
過日以下のお返事を頂きました(今日までブログアップする時間がありませんでした)
『シニアコム.JP、ブログコミュニティなど、従来どおり、変更はございませんのでどうぞご安心ください。 編集部と致しましても「シニアがいきいきと暮らせる社会の実現に貢献する」という企業理念を具現化するための事業拡大に引き続き取り組んで参る所存でございますので、何卒倍旧のご指導、ご鞭撻を賜れれば幸甚でございます。』…心配されたり色々な提案をして下さるお方もいらっしゃいますが、私は、取りあえずはこの言を信じて、ここで今迄通りのご縁を大事にしていきたいと思います…

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長唄・藤娘  [2010年07月01日(木) ]
≪松の古木に絡みついた藤の花の間から美しい藤の精が現れ、
近江八景に事を寄せ、恋する娘の気持ちを踊りに託す。
女方舞踊の代表作の一つ。(歌舞伎サイトより)≫

 とざいとォ〜ざ〜い、御代は見てのお帰りだ、
ご用とお急ぎのないお人はどうぞ入っておくれやす〜」

藤娘の特徴はまずお馴染みの「チョンパ」の照明技術から。
緞帳は開けたままで、舞台・客席とも暗転の闇状態…
そこに聞こえる太鼓の音―ドンドンドンドン…ドンドンドンドン
「若紫に〜十返りの〜ォ〜 はァなァを現す〜ゥ 松の藤浪〜ィ〜」
と、アカペラ?で1分程の前置き歌が終わると、
チョーン!と柝(キ)が入り舞台が一気にパッ!と明るくなります。
漆黒から、目の覚めるような舞台いっぱいの藤の花と派手な衣装の藤娘。
この瞬間のときめきとどよめきが藤娘の定番演出であり、
会場に足を運ばなければ味わえない醍醐味でもあります。
写真はどれもクリック→クリックで最大になります
舞台衣装は三枚重ねでその一枚一枚にずしりと重い藤の刺繍が施され、お引きずりの裾にはそれぞれ綿が詰まっています。そして藤の簪で埋もれた鬘、それだけで何十kgとある上、腕がつるほど重い藤の枝を片手で振り回す…余程しっかりしていないと手元・足元がふら付き、又1舞台で1〜2sは痩せてしまいます(若い時にも何度か藤娘の本舞台を踏んでいますが、20年振りの今回は大きな年齢の衰えを痛感しました! なお、藤の枝の大きさは、経験と身長とのバランスで、私は玉三郎さん等女形の男性が使う物を持たされましたので余計に重い〜)

ここで少し解説を…若紫に 十返りの 花を現す 松の藤浪
若紫=藤の花。 十返り…松は100年に1度花を咲かすと言われ、その十返り(10回目)に、その花が実をつけると言われています。つまり十返り(1000年目)に咲いたその花の実が藤であった、という粋な歌詞。正面には大きな松の幹と垂れ下がった藤の花、これは男(松)にしどけなく絡んだ女(藤)を象徴しています。古典芸能は装置・小道具・衣装・総てに意味があります。

人目せき笠 塗笠しゃんと〜ォ 振りかたげたる 一枝は〜ァ
紫深き 水道の水に〜 染め〜ェて 嬉しき由縁のいろ〜
いとしとかいて 藤の花〜 エ〜ェ〜しょんがいな〜ァ
裾も〜ォ ほらほら〜 しどォけなく〜ゥ〜

人目せき笠=人目から逃れるための笠(黒い塗り笠)。「人目を忍んで貴方に会いに来たの。ゆかりの色・紫が分かる?嬉しいわ〜いとしいわ、裾も乱れそうだわ〜」という感じ。 又、「いとしとかいて藤の花」には「い」+「十」+「し」の意味があります、毛筆でひらがなの「い」を縦に十個書いて(下になるに従って少しづつ小さく書いていく)、十個の「い」の字の真ん中を貫くように「し」を入れると…ほら、藤の1枝の出来上がり〜! 
このように長唄の歌詞は掛詞や遊びが入った奥深い意味があります。

Yakoさまとてまりさまが撮って下さった分を連結しました、撮り難い中をおおきに〜
客席からの遠くて小さい写真を伸ばしましたのでかなりボケました
男心の憎いのは〜 外の女子(おなご)にィ神かけて〜 
あわず1と 三井のかねごとも〜2 堅い誓いの石山に〜3 
身は〜空蝉のから崎や4 待つ夜をよそに比良の雪5 
解けて〜逢瀬のあた妬ましい ようもの瀬田に〜6 わしゃ乗せられて〜
文も〜 堅田のかたァ便〜り〜7 心〜矢橋の8かこ〜ちごと〜

ここは歌舞伎などで「くどき」を呼ばれる部分で、藤娘の告白です。歌川広重の近江八景の地名(作品名)が全部読み込まれた掛詞になっています。
1粟津の晴嵐(あわづのせいらん)=「粟津」と「逢わず」
2.三井の晩鐘(みいのばんしょう)=約束の言葉=鐘ごと
3.石山の秋月(いしやまのしゅうげつ)=「石山」と「石のように堅い誓い」
4.唐崎の夜雨(からさきのやう)=「唐崎」と「蝉の抜け殻のような心」
5.比良の暮雪(ひらのぼせつ)=待っているのに他の女の所へ行き(雪)、
6.瀬田の夕照(せたのせきしょう)=ようも(よくも)私をいい気に乗せた(せた=舌)
7.堅田の落雁(かたたのらくがん)=「堅田」と「一方通行の片便り」(雁=手紙)
8.矢橋の帰帆(やばせのきはん)=矢のように逸っている

「男心って憎らしいわ。他の女には逢わないと固く誓ったのに…。私は今、蝉の抜け殻のようになっているわ。待っている私を知ってか知らずか?誰かさんの帯を解いて雪がとけるような熱い逢瀬をしていると思うと…あァ妬ましい。よくも私をいい気にさせて…騙された私も私だけど…。お手紙にもお返事がないし…。愚痴も言いたくなるわよ〜。」と、情愛や妬みを、近江八景に擬えて美しく表現しています。

松を〜植ようなら 有馬の里へ 植えさんせ〜 いつまでも〜ォ 
変わらぬ契り かいどり褄で よれつ〜ゥもつれつ〜ゥ
まだァ寝が足らぬ 宵寝枕の〜 まだ寝が足らぬ 
藤に巻かれて〜寝とござる アア何としょうか どうしょう〜かいな〜ァ
わしが 小枕 お手ェ枕〜ァ〜      …ゴーン!(お寺の鐘)… 
空も 霞の夕照りに 名残り惜しみて 帰る雁金〜ェェ  チョーン!(幕)

ここは「踊り地」と呼ばれ、三味の音に合わせてリズミカルに踊ります。
松は変わらない契りの象徴。着物の褄(裾)を持ち上げて少し大胆な気分になります。「今頃貴方はどなたとよれたりもつれたりしているの…それを思うと眠れない、睡眠不足だわ…いっそ、藤のように松に絡み付いて寝たいわ…この熱さ、どうすればいいのよ〜、自分の手枕で寝るなんてイヤだわ〜」
そんな事を思いながら踊りで発散していると…ゴ〜ン!と鐘の音が聞こえます。ハッ!と我に返った藤娘は、枝を担いで藤の花の中に帰って行きます。ー幕ー

お粗末でした!お帰りはこちら〜
お越し下さったお友達(残念ながら京都と金沢から来て下さったシニアコムのお方が写っていません)、&、彼女達が楽屋前ロビーで撮って下さった写真です。又前に書きましたように、鬼籍のブログお仲間や父の気配も感じながら…。
此岸・彼岸の皆々様に感謝です、おおきに〜ありがとさんでございます

Posted at 03:45  | その他  | この記事のURL
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がんばれ!宮崎  [2010年06月03日(木) ]
口蹄疫で被害を受けている宮崎県の皆様
大変でしょうが頑張って乗り越えられる事を願っております

大阪地盤のスーパー「イズミヤ」83店では、「がんばれ宮崎県 応援フェア」が始まっています。宮崎県の農畜産物を取り上げ、収益の1部を同県に寄付します。

「こてっちゃん」で知られる「エスフーズ」も、業界の危機を見過ごせないと8千万円を宮崎県に寄付。社団法人「大阪外食産業協会」は会員店に1,000個の募金箱を置き、現時点でJA宮崎経済連に1千万円贈ることが出来そうです。

農機具メーカーのクボタ(大阪市浪速区)も、1千万円の義援金を宮崎県に寄付することを決定。ガンバ大阪(サッカー)の選手会は宮崎県とキャンプ地の綾町に其々100万円づつ贈り、セレッソ大阪(同上)選手会は50万円を寄付。

人ごとではない、と焼肉チェーンの「大同門」(大阪府吹田市)も各店舗で募金を開始、それに続き、「わてらも応援しまっせ〜」と小さな商店やお肉屋さんでも「安全でおいしい宮崎産」を宣伝、寄付を集めています。


「お上みたいな頼りないもん待ってる間に、
自分達で力を合わせるほうが大事や〜。」
「さあ、明日も皆で宮崎産の焼肉を食べまひょなぁ〜。」
昔から将軍様やお天子様を当てに出来ない大阪は、
小さな民力を集めて発達してきた町。
きれいなオネーサンも、カッコいいオニーサンも
陽気なオバチャンも、コワモテのオッチャンも
ランチをしながら…或いはバーの片隅で…、
「自分達に出来ることは?」の話で盛り上がっています。

義援法等はご存知のお方が多数おられると思いますのに、
私ごときが僭越ではありますが…以下に少し書かせて頂きます。
口蹄疫義援金受付は宮崎県福祉保険課(0985-26-7075)に。
又ふるさと納税の窓口は県財政課(0985-26-7014)に。
全国展開している東急ストアでも「がんばれ 宮崎県フェア」を開催、フェアは5/29〜6/1と4日間だけでしたが店頭募金は6/6まで受け付けています(東急ストア社長室広報 03-3714-2317担当山田さん)。
高島屋百貨店も5/26日から各地で宮崎物産展を開始。
ヤフージャパンは、20日からヤフーポイントによる募金を始め(1ポイント=1円に換算して寄付)、カルチュア・コンビニエンス・クラブもTポイントの募金(1ポイント=1円)を受け付けています。他にも全国で色々と展開している事でしょう。 
宮崎県と畜産農家の方々 がんばって!

(折込チラシ程度のブログですから、コメントは「見た」だけで結構ですよ^^)

Posted at 04:13  | 社会の片隅で  | この記事のURL
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お別れ  [2010年05月05日(水) ]
あぁ、又1人…
私たちを残してシニアコムのお友達が逝かれました。
お友達と言うには大先輩の立派なお方ですが、
入退院を繰り返されながら…
ご体調が悪い時でも必ずコメントを下さいました。
誤解や中傷が怖くてブログを書けなくなった時も、
冷静な目とユーモアで励まして下さり、
事ある度にメールを下さったお方・von jagfeldさま


兵庫県立神戸1中→旧制・浪速高校→東大法学部→化学工業ご勤務の後、執筆業に入られました。
著書の殆どはビジネス関係ですが、
左はご自分の戦争体験を書かれた本です。
−−−戦時中を、『軍部に騙され、惨めで暗い日だった』とする後世の思い込みに対し、そんなに愚鈍ではなかった市井の人々と当時の少年達の目線が、関西弁で活き活きと書かれています−−−


最後のブログ(4/13付)に、
「…只今入院しておりますので当面ブログに入力できません。
どうぞ皆様お元気で…」と書かれてから11日目の、
平成22年4月24日に永眠されました(80歳)。
まだ信じられませんが、今はただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
長い間ありがとうございました    合掌
故郷・神戸でのオフ会(平成21年11月のお元気なお姿)
少数の方々と交流されていましたでご存知でないお方もおられると思いますが
同じシニアコムの仲間として、同所のお友達にもお知らせしたいと思い、
10日が過ぎ、少し気持ちも落ち着きましたので書かせて頂きました。

現在、上記の傷心に加え日舞の会(*)で昼夜忙しく…
皆様のブログ拝見も失礼しております。
元々本舞台に出る気が無かったところ、人数が少ないので頼まれた出演
(昨今の景気を反映してか?大金を要する古典への出演者が激減しています、残念なことですね…)
こんなご時勢に派手な事をするのは少しためらいもありましたが、ブログのお友達が、『会場に来られる方だけでなくvonさまもきっと見に来られるはず。どうぞがんばってくださいね。』と仰って下さり、もう1人のブログのお友達は、『芸事に精通されたお父様の供養になりますね。』と仰って下さいました。
それらのお言葉で迷いも消えました、感謝しています。

von jagfeldさまと共に、去年逝去された渥美國泰さま、メキ髭さまがいらっしゃると思いながら(どなたも生きていらしたら来て下さったはず)、そして父も観てくれていることを考えながら舞いたいと思います。
もちろん貴重な時間を割いて来て下さる方々の為にも!自分の為にも!


(*)5月16日(日)にワッハホール(ワッハ上方内)でやります。
今の季節にピッタリの「長唄・藤娘」を舞いますが、カツラ・衣装・大道具・小道具も全て本式にやりますので、ボランティアや各種活動の合間に、お稽古と打ち合わせ・おっしょはん(師匠)や床山さん等へのお願い廻り・接待他…と少々疲れ気味であります。

Posted at 03:37  | 雑感  | この記事のURL
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弥生の空に…  [2010年03月16日(火) ]
初春・立春・啓蟄も遠のき 春一番も過ぎ去ったというのに…
今頃 今年初めての間抜けなブログを書いております。
ま、這い出した虫ケラと同程度の私には合っているかも?

近況報告を兼ねまして、
「新聞ネタ三題噺」にお付き合い下さいませ。
偶然同じ日に記事が掲載されました。
(全て紙面文字を読める大きさまで拡大できます)

@≪ゼロ展・於:天王寺美術館≫
ブログ友から出発したYakoさまは、今や実生活でもお姉様のような存在です。
お互い生粋のなにわっ子、遊び心が旺盛でラテン系の乗りです〜
ですからYakoさまの絵は何度も見せて頂いていますが、その度に新鮮な発見があります。今回も、明るい色調の中に愛と生命力が溢れていました。

A≪西谷氏のインタビュー記事≫
『西谷文和の戦争あかんシリーズ』第3巻”オバマの戦争”が出ました。
1巻2巻はイラク取材が中心でしたが、今回は、イラクから撤退した米軍が、
今度はそれを増派したアフガンの取材も含まれています。  
添付チラシが多くて見難くなりました、すみません。
いずれも、参加のご意思や興味のあるお方はご連絡下さいませ。

写真左上から1】”オバマの戦争”表紙 2アフガン・イラク戦争の報告と検証&日本の果たすべき役割等に付いての集会チラシ(この集会後西谷氏は又イラク・アフガンに飛び4月下旬帰国予定です) 3(無事帰国していたら…)松元ヒロさんとのコラボライブでアフガン最新報告をします 4蓮池透さん講演会チラシ≪制裁より対話を≫関西9条の会主催です 5高遠菜穂子さんのトークイベント。イラクで拉致され自己責任の嵐攻撃の後、暫くはウツで外に出られなかった彼女も今は元気に活動しています。尚、北新地サンボアバーは知る人ぞ知る古い有名なバーです。
3/4の報告会にも大勢の方が来て下さり、熱心な質疑応答は閉館時間まで続きました。これからも皆様と共に学び考え言動していきたいと思います。

B≪同日の余分な記事≫
*お断り
新聞記事が縦長形でしたので、勝手ながらブログ紙面調整の為に縦長写真を足しました(シニアコム以外のお友達で普段中々会えない方々もブログで近影を確認して下さいます、その為にも空欄を利用いたしました。お目汚し、失礼いたします)。

写真は、2月末の日舞のおさらい会の楽屋と、先週春の宵に誘われてクラブで踊り明かした後です(涼しい顔をしておりますがキャミとレギンスは汗だらけや〜笑)。

取材依頼に際しましては、「何も無いただの遊び人ですから…」とお断りしていたのですが、記者のお方の熱意と感じの良さでお受けするに至りました(たまにはアホでオモロイおばちゃんも取り上げたかったんでっしゃろなぁ)。 

Posted at 03:13  | その他  | この記事のURL
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行く年に・・・  [2009年12月30日(水) ]
今年の納め能は、
子供の頃から 祖父の舞台も含め何度も観ている『弱法師』でした。
父親の誤解から家を追放された少年・俊徳丸は
その悲しみから盲目となり 天王寺を放浪しています。
中でも、
・人々で賑わう四天王寺の境内で 
    盲目・空腹ゆえに此方・彼方にぶつかる哀れさ
・杖を頼りにヨロヨロと歩き時には倒れる
    その杖の使い方の巧みさと美しさ
・能舞台の柱を四天王寺の大鳥居に見立て
    そこから心眼で見た難波の海の美しい風景を朗々と詠むさま


これらの部分のシテの演じ方を観るのが、
私の『弱法師』の楽しみ方であります。
そして今日も、その動きと声に感動していました。が…。

俊徳丸が橋ガカリに去ろうとする時、
”♪父は追い着き手を引きて〜…中略…(一緒に)里に帰りけり〜“


と、めでたく終わり拍手〜!となる最後で、何故か胸が苦しくなります。
え?どうして?いつもと違う?と思う間に…父・道俊役が私の父の顔になり、
「パパ…私も連れて行ってよ…」と、涙が溢れ出しました。

去年の今頃…父は病院のベッドの上にあったけど…
しんどそうな顔は見た事がなく、いつもニコニコ笑って楽しげに喋り、
私のどんな我儘も大船に乗せて助けてくれていたのに…
あ〜今はもう居ないなんてまだ受け入れられない…
あの日から何ヶ月が経ち
祖父・父と続いたお能の衣装や道具類も、今年私の手元を去りました。
諸行無常の響きあり…
又その理の如く、今年はブログのお友達も鬼籍に入られました。

1人は2月5日にご逝去された長楽斎さまこと元俳優座の渥美國泰さま。
江戸の書画の蒐集家としても有名で、HP「江戸の井戸端会議」「分け入っても青い山」を持たれていました。マスコミに惑わされない本当の大阪もご存知で上方文化にも造詣の深いお方でした。同じ演劇人と言うにはご無礼になる大先輩ですが、演劇論や多くの部分で意気投合し、一緒に芝居をしたいと誘って下さいました。私を江戸時代の花魁に見立て「縷々」と表記された、ブログに頂いたコメントや多くのメールがPC上に残っています。久々に出られた『南京の真実』の土肥原陸軍大将役が最後の映画になりました。一昨年大阪まで来られましたが私の都合が付かず…今更ながらとても悔やまれます。

もう1人は先月の22日に肝臓癌で急逝されたメキシコのヒゲ親父さま。
メヒコフェスで無邪気に踊る私を「浪速のラテン娘」と呼ばれ、去年奈良のホテルのラウンジで催した朗読会にも来て下さいました。来年は平城京遷都1300年祭に加え、メキシコ独立200周年・革命100周年の年。メキシコと日本を行き来され、『平城京遷都祭にメキシコからの旅行団を召集するから、何か企画して下さい』と言われ、そのお話も含め11/22〜24日ご来阪予定でした。このお方も歴史に造詣が深く大阪の名所見学も楽しみにしておられました。その間奈良の親友のお宅に宿泊される予定でしたが、そのお方に『検査入院の為に日程をずらせてほしい』と連絡があり、入院後そのまま逝かれたそうです。

父と同じように、いえ、死に目に会っていませんのでそれ以上に、
未だお2人のご逝去が信じられず…
今もメールをしたらお返事が返ってくるような気持ちであります。
ただ今回の事で、ブログ内でのお骨の拾い方を考えさせられました。
故人のブログをシニアコムに永久に残して置くのがいいのか?
何年かの区切りで整理するのがいいのか?
ブログをDVDに入れ、ご家族にお渡しすればいいかな?
いずれにしても、誰が?いつ?どのように?
立場を変えて色々と思い巡らせていますが…難しい問題ですね…。

ともあれ
お2人とも社交的でいらしたので会われたお方もおられる事でしょう。
ブログの中の個人は、知る人知らない人様々ではありますが、
又バーチャルな空間と割り切っておられるお方もござりましょうが、
私は、ここでのご縁も実生活同様大切に思っております。
…ことある毎に懐かしく偲ばせて頂きます…


私の勝手で、どうしても今年中に書き留めておきたく、
年末のお忙しい時にお手を止めて、申し訳ない事をしております。
長いブログを読んで下さいまして ありがとうございます。

上記の通り喪中ですので、新年のご挨拶はご遠慮させて頂きますが、
皆々様が健やかな新年をお迎えになりますよう、謹んでお祈り申し上げます。
  今年も勝手なブログにお付き合い下さいましたお1人お1人に
  いっぱいの感謝と愛をこめて。。。
平成21年12月30日
ルル拝

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(58)光のルネッサンス  [2009年12月11日(金) ]
飛鳥時代は
首都・難波宮を往来する百済や唐の舟で賑わい
平安時代は
京⇔難波間の貴族や庶民の大動脈になり
江戸時代は
天下の台所・大坂で消費する為、日本各地の産物がやって来た…。

「天下の貨7分は浪華にあり、浪華の貨7分は舟中にあり」と書かれ
全国の米相場がここで決まり、世界初の相場罫線が考案され
諸国の大名が競って蔵屋敷を建て
川面では町衆達の舟遊びの灯々と三味の音が揺れていた…。

この川を下って 
新興地の江戸に伝わった文化は「下り物」と言われて重宝され
伝えるに足りぬ物は下らない侭(「下らない物」)上方で淘汰された…。

数え切れない歴史が生まれた中之島で、今年も『大阪 光のルネッサンス』が始まりました。三十石船の発着場であった八軒家浜・他から『水都クルーズ』も運行します(『 』内HP)。  ≪夜景は私の手に負えません 少しましに撮れた物を選んで…
写真の右下マークのクリックで最大になります≫
左から、日銀と大阪市役所の玄関、その横の川沿いの道

中央公会堂とその前の道。右のブルーは京阪中之島線・なにわ橋駅

中央公会堂の1室。ここでのパーティに出席

ついでにモンシュシュの堂島ロールも買って帰りました

西鶴は、『篝火…月影を水に映して…』と、
船遊びの美しくロマンチックな様を華やかに描き、
近松は、『まして流れのうきふしや…』と、
三途の川に通じる涙の道に描いた大阪の川々…

そこに掛かる「浪華八百八橋」
この街の中心部で育った私も
思い出は 川面に映る 灯とともに

Posted at 03:51  | 続・なにわ夢便り      【53〜 】  | この記事のURL
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(57)ベルリンの壁  [2009年10月21日(水) ]
1989年11月9日、
東西統一の歓喜の内に壁を壊す人々の映像を見てからもう20年、
ドイツでは「ベルリンの壁崩壊20周年」の記念行事が始まっています。
あの時、一緒にTVを見ていた小学生の娘達も、
今や、トウが立った?大人になり…その分私達も随分年を取りました…。
(日夜桁違いの消費を続けた当時のバブリーな日々も懐かしい〜

崩壊した壁の一部は市の文化遺産としてそのまま保存され、粉砕された壁は道路建設等に使われ、綺麗な部分は政府が競売にかけました。アメリカを中心に各国の博物館や個人収集家が競い、1枚120万円〜2,500万円の値が付いたとか。
又こうした公売以外に、市民がハンマーで壊した「かけら」をお土産として売る業者も多く出現しましたが本物かどうかは怪しい〜、その辺の工事現場で拾ってきたコンクリート片に適当に色を付けると壁の破片っぽく見え、いくらでも「偽造」は出来たそうです(中には偽の証明書まで発行する念の入れよう)。アメリカの業者は4−5センチ角の破片を40$〜100$で通販していたとの事。

その壁が、1枚板のまま大阪にあるのをご存知でしょうか?
「和気山統国寺」
(大阪市天王寺区茶臼山町1−31)
釈迦三尊を本尊とする在日コリアのお寺です。
元々は聖徳太子の創建で、602年に来日した百済の僧観勒(かんろく)を開山住持としてここに招き、百済古念仏寺と名付け推古天皇の帰依により国家の厚い保護を受けました。宝永6年(1709年)に、黄檗宗(おうばくしゅう)に属して寺名を和気山邦福寺(ほうふくじ)と改め、日本中の雲水(修行僧)の修行の場になりました(お隣に雲水の為の普茶料理で有名な坂口楼(私のお勧め店の1つです・過去ブログ)があり、現在も営業されています)。

昭和44年(1969年)に在日本朝鮮仏教徒協会の傘下に入り、「統国寺」と改名され、古代の百済仏教からのご縁が蘇えりました。統国寺という名前に分断された朝鮮民族の統一への願いが籠められています。壁に、祖国統一の悲願を重ねた信者さんが落札し奉納されたそうです。

又、このお寺の奥には茶臼山古墳や川底池が真下に見渡せる舞台があり、ここから見る夕日の美しさは、この地出身の司馬遼先生も絶賛されています。

元の大きさ(約3.6m×約1.2m)が2基。落札された壁の殆どが博物館や企業の屋内で柵に囲んだ展示に比べ、ここは自然体で置いて下さっています。

1961年から28年間、
東ベルリン側の逃亡を阻止・監視し続けた壁の声を聴いてみて下さい。
この前で、ドイツの人々と同じ思いで「崩壊20周年行事」を祝うも良し…、
第2次大戦後の世界の歴史を改めて考えるも良し…、
20年前の自分に思いを馳せるのも良し…、
これを機に、其々のお気持ちでご覧になるのも一入かと存じます。

Posted at 03:57  | 続・なにわ夢便り      【53〜 】  | この記事のURL
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駆け抜けた夏  [2009年09月07日(月) ]
今年の夏はちっとも夏らしくない上に諸行事が目白押しで…
大好きなにジリジリ焼ける間もなく、慌しく駆け抜けてしまいました


そんな訳で…皆様にお礼のご報告をしなくちゃと思いつつ…
2ヶ月近くもアップが出来ずに、申し訳ございませんでした。
現在も我が身や家事を放棄し、各活動に物心を消耗し続けております。
いつになったら自分の時間が取れるやら…(疲れて泣き言?ナサケナイ〜

『8・8黒田清さんを追悼し平和を考える人権高座』
暑い中、ブログのお友達が来て下さいました。東京から1泊でお越しのTさまも〜。Tさま、Kさま、Mさま、本当にありがとうございました!話も弾み、お3人様とも古くからのお友達だったような気持ちです。

又、西谷氏の『戦争あかん』シリーズをご購入下さいましたお方々、『イラクの子供を救う会』にご支援下さいましたお方々にも、心よりお礼申し上げます。

ブログで応援下さった皆々様の温かいお気持ちで、今夏の公演と十数のボランティア活動を無事終える事が出来ました、ありがとうございます(新聞・TVでも複数報道されました)

『大阪ミナミの盆踊りだ〜い!』
喪中でお祭りは自粛中でも霊を迎え送る盆踊りはOK!いまだに父の姿を追い、「奇跡を起して生き返ってよ〜」と、馬鹿な事を願っている私…ここらで気を引き締めなくちゃと男仕立てのハッピです(踊り過ぎて捻り鉢巻が落ちた後・笑)

盆踊りの人数が減って廃れ気味の所もあるとの事、残念ですね…。で、少しでも多く〜と各所から頼まれ、微力ながらも一肌脱いで協力。複数地に参加いたしました。
その中の1ヶ所で、偶然シニアコムのRさまとお会いました。すぐに親しくなり、これも嬉しい思い出です。

地域を、日本の伝統を、盛り上げる為に、シニアコムのお方々も積極的に参加し、盆踊りを継承して頂きたいと願っております!

≪ついでに?直近のお知らせをさせて下さいませ〜
『2009年9月9日9時にお寺の鐘を撞こう〜』
「9条を守る会」では、多くの方に関心を持って頂けたらと、
9並びのこの日に各寺院で平和の鐘をつく運動をしています。
趣旨にご賛同下さるご住職様・関係者様はご検討下さいませ。
(ある方にこの事をコメントしましたら、『全国に広げたいので大阪から発信して下さい』と仰って下さり、お言葉に甘えて掲示させて頂きました)

『平和チャリティーコンサート』
『イラクの子供を救う会』代表の西谷氏が、支援金を手にして7日朝イラク、アフガンに飛びます。今回も私は実行委員として企画から加わり、当日は司会・進行と、ライフワークである「戦争を語り継ぐシリースの内…大阪大空襲」を朗読させて頂きます。

1945年3月10日に東京・12日に名古屋・14日(13日深夜〜14日)に大阪・と、西に向かって順にB29の大群が大都市に来襲したあの日の恐怖を、体験者のお言葉を元に編集・自作・自演させて頂きます。「空襲被害者訴訟」の方々やマスコミも注目していますが、ご高齢者が多く時間がありません!もっとやるべき事もあるのではないか?と自問し焦っております。

西谷氏の未公開イラク映像、芸能大賞受賞の異色大学教授・趙博さんの友情出演等、全員参加で歌い舞台と客席の垣根を越えた温かい会にしたいと思っております(ご参加下さるお方はコメント欄にお書き下さいませ)。

Posted at 04:23  | この記事のURL
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報道とお知らせ  [2009年07月14日(火) ]
オバマ氏が「イラク駐留米軍の大半を撤退させアフガンに増派する」と公約してから、各国の報道陣もそちらに焦点を定め、イラクのニュースが激減しました(アメリカに抵抗出来ない日本は元々少ないですが)。

2003年からイラク内部に8回、関連各国に10回以上の取材を続けている西谷氏(*)は、今回(6月〜7月)両方で取材して来ましたが、「イラクでは視聴率が取れない・お金にならない・言うて、外国の報道陣もおらんようになったわ。」との事。反対に、アフガニスタンのホテルは各国のジャーナリストで満員だったそうです…世界のニュースも視聴率頼みとは情けない事です…。

(*)
西谷氏とイラクに付きましては、左欄・カテゴリーアーカイブの<・社会の片隅で>をクリックして下さい。関係の過去記事を幾つか掲載しております。


米国の増派政策となれば…自衛隊のアフガン派遣など又日本に新たな要求が出される可能性も高いでしょう……心配ですが…アフガンの事は別の機会に書かせて頂くとしまして…。
戦争から6年が経過したイラク、しかし死者・障害者は益々増え続けています。外傷のみならず白血病・奇形・癌なども多く、犠牲者の大半は子供達です。米国は今も否定していますが…劣化ウラン弾の放射能が原因である事は各国の医師も検証、これはベトナム戦争の枯葉剤・日本の原爆に匹敵する大罪です。

ある病院では年間5,000人の子供が劣化ウラン後遺症で死亡しています。お金がないので治療もままならぬ為、親達は進んでカメラの前に子供を出し窮状を訴えます。戦争で苦しむのはいつも罪のない人達…ごめんなさい…ここで平和にブログを書いている事が申し訳ないです…しかし事実を伝えるのも大事な事…。

不思議な事も聞きました。自衛隊基地があったサマワは、撤退した今でも日本人ジャーナリストが入れないそうです。そこで働いていた人達も行方不明だったとの事?(因みに米軍は、通訳など内部事情を知った現地人は後で射殺しているとか?…)。

サマワは比較的安全な場所ですのに元々1部報道機関だけにしか許可がなく、それは自衛隊の復興活動を宣伝するのが使命でした。発砲しない自衛隊は、他国の部隊に比べ、現地の人々にもある程度は受け入れられました。が、それなら何故武器を積んだ戦車で来るの?何故米軍の燃料を運ぶの?…などという疑問も投げ掛けられいます。
その自衛隊基地に何年か前に誤爆があり、それ以来隊員は大事を取って外出していません。ですから自衛隊の復興活動はその日から殆ど止まっていたということです。

大衆メディアでは放映出来ない事も多いですので、彼が独自にネットTVを配信しました。宜しければご覧下さい(今年の2月〜3月取材分。)
@http://move.b-fx.net/modules/cinemaru/movie.php?id=6 
Ahttp://move.b-fx.net/modules/cinemaru/movie.php?id=7


これに関し、私がかかわる活動の内、直近の「自由参加分」を案内させて頂きます。興味のあるお方はご連絡下さいませ。
◆イラクの子供を救う会・報告会
日時: 2009年7月17日 18:30より
場所: 大阪市立いきいきエイジングセンター 大阪市北区菅原町10番25号 
      (地下鉄南森町駅、JR天満宮駅下車5分 地図
内容: 会の代表・西谷氏の、この一年間のイラク、ガザ、アフガン支援の報告と最新取材報告(非公開映像や話も多数)。彼自身も重度障害の子供を亡くしましたので、親として気持ちを同じにし支援活動にも熱が入っています。会員の集会ですが、前もってご連絡頂ければ受け付けさせて頂きます。参加費無料、但し「イラクの子供を救う会」のカンパ袋が回ります。

◆黒田清さん追悼公演(9回目)
日時: 2009年8月8日 14:00より
場所: 大阪市浪速人権文化センター・小ホール 浪速区浪速東1-9-20
      (JR芦原橋駅・南改札口すぐ。近くに【大阪人権センター】もあり
       ますのでお間違えないように 地図
入場料:1,500円
反戦・反差別を柱に精力的に行動し続けた黒田清さんは、最後のジャーナリスと言われ、権力には果敢に対抗し日陰の人々には限りない愛を傾けました。多くの人に慕われ、影響を受けたジャーナリストも数知れず、上の西谷氏もその1人です。

私達は黒田清さんのご遺志を継ぎ、この火を絶えさせない「うずみ火」活動をしています。

今年の追悼公演は、面白く豪快な大阪人でもあった彼に相応しく、落語で追悼します。彼を慕う師匠や、電車事故で奇跡的に助かりリハビリ中の伯鶴さんも車椅子で来てくれます(参考:去年の公演)。

(チケットが要りますので、メール又はコメント欄に必要枚数を書いて下さいましたらこちらで確保しておきます。当日お名前(HNでもOK)を書いた封筒に必要枚数のチケットを入れて受付に預けますので、チケットと引き換えに代金をお支払い下さい。もし来られなければ当方で破棄しますのでキャンセルも気になさらないで下さい。)

シニアコムのお友達・まいにち笑顔さまが、追悼公演をいち早く応援して下さり、お知り合いを誘って来て下さいます。オフ会も計画されているとか。残念ながら…私は、去年と同じく実行委員・舞台監督補助・司会進行役・雑用係の為…終演後も後片付けや打ち上げ・反省会で、ご来場下さった方々とは一緒に行動出来ませんが、お友達同士が実際に会えるのは嬉しいですね。

(いつもながら勝手な事を書かせて頂いていますので、コメントは「見た」、「行く」、「行かない」、などで結構ですよ

Posted at 04:25  | 社会の片隅で  | この記事のURL
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