ボンとは大阪弁でオボッチャマの事です。
恵まれた環境で育った苦労知らず、
その分人一倍素直・お人好し・馬鹿正直と3拍子揃いいつも利用されている…
そんな男性を、大阪では愛を込めて「アホボン」と呼びます。
そのアホボンは、若い頃は野球チームのエースでスポーツ万能でした。お座敷では仕舞・謡いをやり、多方面の友人に恵まれ異性にもモテて幾つかの艶聞も流しました。情に篤く人の難儀に骨身を惜しまぬが騙されても笑顔の浮世離れしたアホ振り…。
こんなヤサオトコが戦争に向くはずはありません。
( 余談ですが…大阪の軍隊は日本一弱く、当時『またも負けたか八連隊〜♪』という流行り歌がありました。前線で『人を殺すのも殺されるのも嫌や〜』と逃げた人、敵と友達になった人等々、大本営に言われないマル秘エピソードが沢山あります。又それを茶化して堂々と歌えたのも、大阪ならではのユーモアと反骨精神でしょう。
なにわの晶子姐さん(与謝野)も「乱れ髪」で言うてはりますね〜、『弟よ。戦争は武士の仕事や、商人のあんたに刃物の使い方は教えてまへん。まして死んだりして、お嫁さんを泣かすような事をしたらあかんで〜!』と。
)
さてアホボンに話をもどして…
戦争中、彼は暗号解析の通信士をしていました。
その部署は、『あんな時でもお茶とお菓子が出たんや〜。』という不思議な所ですが、命を晒す日々の中での彼の楽しみは馬との会話でした。
『ブラシをかけてると嬉しそうに目ェ細めてなぁ…話も分かり合えるんや。それに、馬は陛下からの預かり物や、言うて人間より大事にされてた。兵隊の替わりはいくらでもおるから、やと。殺生な話やで〜。』
その理不尽は別として…
彼の優しさは動物にも通じ、戦友に加え多くの馬友達も出来たそうです。(これが後の趣味の1つである乗馬になっていきます。)
そんなある日、日本は敗戦を迎えます。
玉音放送の前で死んだ友の無念に涙した時、彼は確かに聞きました。
『嬉しい事や〜。お陰でご禁令も消えて皆自由になるんや。
俺達の好きなジャズも堂々と聴けようになるぜ〜♪』
傍には愛馬が居るだけです、が、その目が潤んで光ったように見えました。
もしかしてお前は?!…愛馬は彼を見詰めて優しく微笑みました。
終戦後の大阪・御堂筋
戦後まず彼は、米軍基地に行って最高のステレオを仕入れます。
彼のジャズコレクションは戦前の分も含めて壁面一杯になり、知る人ぞ知るところとなりました。国も身分も老若男女も関係なく固定観念を持たない彼は、諸外国の方々とも親交が広まり、多くの友人が出来ました。
敵国であったアメリカ人と親しくなる彼を腹立たしく思っていた人もいましたが、彼を通じて知るアメリカの大きさ・豊かさに、人々は徐々に気持ちが解けていきました。『アメリカさんは凄いなぁ〜、これでは日本が負けるのは当然や。』
進駐軍テーラー仕立てのスーツやドレス・帽子、輸入家電・テレビ・カメラ・楽器・お菓子に囲まれ、ジャズが流れる彼の家は、大人も子供も集うサロンのようになりました。
アメ車の子供用電気自動車と米製玩具やゲーム機・沢山のお人形・部屋いっぱいに張り巡らせたレールを走る鉄道模型などは、人気のあまり何度も壊れその修理の都度に品数も増やし必要な人や場所に差し出します。ディズニーの8ミリ映写会と玄関脇の私設図書館にも人が集まりました。
貸した本も雑貨もその半分は戻って来ませんでしたが、そんな時代でもありそれも取るに足りぬ事でした。尤も欧米に偏っていた訳ではなく…日舞、能楽、琴、茶道の出稽古もここで皆に開放し、西陣の帯屋さんも「戦後最初の商品も届けさせてもろた大のお得意さんや。」と笑顔で話しています。
そしてその傍らには…
愛馬に乗り移った友を始め、亡き戦友達も遊びに来ていました。
『俺らも知りたい、平和時の豊かさ楽しさにいっぱい触れさせてくれ。』
アホボンの新し物好きや馬鹿げた消費は、只の贅沢ではなかったようです。
多くの人が集う場所は、何処で聞いたのか?戦後の困窮者や孤児も集って来ました。中には詐欺師や泥棒のような人もいましたが、敷居のない彼は何方も公平に受け入れ、そのお世話に妻とお手伝いさんも毎日笑顔で動きました。
そのまま長年居付いて…嫁仕度を整えて貰ってここから嫁いだ人、身寄りが無くここで一生を終えた人…なども数人居ます。
しかし、
『杜子春』のお話のように…車いっぱいの黄金にもいつか際限があります。
何十年も与える事と騙される事を繰り返しているうち…気付けば先祖からの土地も家も財産も無くし、肝心の自分達が使うお金や物が無くなってきました。
それでもやっぱり笑っているアホボン。彼から愚痴の1つさえ聞いたことが無い人々は「この人の思考回路はどうなってんのや?」「生き仏様かも?」と、好意ともあきれたとも分からぬ噂をしました。
…あれから歳月が経ち…
平和が続く日本は…大多数が文化的な暮らしを得ました。
他人様の為に、時間とお金を使える余裕も少し出来たようです。
それなのに何を急ぐのか?
多くのお人がまだ 《少しでも人より前に、上に…》 と走っています。
人に騙されないように用心し日々節約して自分や家族を守る事が美徳となり、
身ぐるみはがされた事を笑うおおらかさや無駄使いの粋さも受け入れられなくなったような気もします。
街も人もすっかり変わったように見え、アホボンは着いて行けなくなりました。
もしかしたら…彼が無用の世の中になったのかも知れません…。
片隅のほんの些細な福祉に、戦後の生涯をかけたアホボン、
今もあの底抜けの笑顔と腰の低さで、「遅うなってすんまへん〜」と頭を下げ、彼の岸辺で戦友や旧友達と一緒に 好きなジャズでも聴いているのでしょう…。
米寿まで残る桜も散りおさめ 貴様と俺との花弁重ねる 徳豊院明心