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★★★ 『なにわ夢便り』(大阪の歴史や新旧名所・旧跡のご案内ブログ) ★★★
     ライフワークのつもりで随時更新しています、是非お読み下さいませ〜♪
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行く年に・・・  [2009年12月30日(水) ]
今年の納め能は、
子供の頃から 祖父の舞台も含め何度も観ている『弱法師』でした。
父親の誤解から家を追放された少年・俊徳丸は
その悲しみから盲目となり 天王寺を放浪しています。
中でも、
・人々で賑わう四天王寺の境内で 
    盲目・空腹ゆえに此方・彼方にぶつかる哀れさ
・杖を頼りにヨロヨロと歩き時には倒れる
    その杖の使い方の巧みさと美しさ
・能舞台の柱を四天王寺の大鳥居に見立て
    そこから心眼で見た難波の海の美しい風景を朗々と詠むさま


これらの部分のシテの演じ方を観るのが、
私の『弱法師』の楽しみ方であります。
そして今日も、その動きと声に感動していました。が…。

俊徳丸が橋ガカリに去ろうとする時、
”♪父は追い着き手を引きて〜…中略…(一緒に)里に帰りけり〜“


と、めでたく終わり拍手〜!となる最後で、何故か胸が苦しくなります。
え?どうして?いつもと違う?と思う間に…父・道俊役が私の父の顔になり、
「パパ…私も連れて行ってよ…」と、涙が溢れ出しました。

去年の今頃…父は病院のベッドの上にあったけど…
しんどそうな顔は見た事がなく、いつもニコニコ笑って楽しげに喋り、
私のどんな我儘も大船に乗せて助けてくれていたのに…
あ〜今はもう居ないなんてまだ受け入れられない…
あの日から何ヶ月が経ち
祖父・父と続いたお能の衣装や道具類も、今年私の手元を去りました。
諸行無常の響きあり…
又その理の如く、今年はブログのお友達も鬼籍に入られました。

1人は2月5日にご逝去された長楽斎さまこと元俳優座の渥美國泰さま。
江戸の書画の蒐集家としても有名で、HP「江戸の井戸端会議」「分け入っても青い山」を持たれていました。マスコミに惑わされない本当の大阪もご存知で上方文化にも造詣の深いお方でした。同じ演劇人と言うにはご無礼になる大先輩ですが、演劇論や多くの部分で意気投合し、一緒に芝居をしたいと誘って下さいました。私を江戸時代の花魁に見立て「縷々」と表記された、ブログに頂いたコメントや多くのメールがPC上に残っています。久々に出られた『南京の真実』の土肥原陸軍大将役が最後の映画になりました。一昨年大阪まで来られましたが私の都合が付かず…今更ながらとても悔やまれます。

もう1人は先月の22日に肝臓癌で急逝されたメキシコのヒゲ親父さま。
メヒコフェスで無邪気に踊る私を「浪速のラテン娘」と呼ばれ、去年奈良のホテルのラウンジで催した朗読会にも来て下さいました。来年は平城京遷都1300年祭に加え、メキシコ独立200周年・革命100周年の年。メキシコと日本を行き来され、『平城京遷都祭にメキシコからの旅行団を召集するから、何か企画して下さい』と言われ、そのお話も含め11/22〜24日ご来阪予定でした。このお方も歴史に造詣が深く大阪の名所見学も楽しみにしておられました。その間奈良の親友のお宅に宿泊される予定でしたが、そのお方に『検査入院の為に日程をずらせてほしい』と連絡があり、入院後そのまま逝かれたそうです。

父と同じように、いえ、死に目に会っていませんのでそれ以上に、
未だお2人のご逝去が信じられず…
今もメールをしたらお返事が返ってくるような気持ちであります。
ただ今回の事で、ブログ内でのお骨の拾い方を考えさせられました。
故人のブログをシニアコムに永久に残して置くのがいいのか?
何年かの区切りで整理するのがいいのか?
ブログをDVDに入れ、ご家族にお渡しすればいいかな?
いずれにしても、誰が?いつ?どのように?
立場を変えて色々と思い巡らせていますが…難しい問題ですね…。

ともあれ
お2人とも社交的でいらしたので会われたお方もおられる事でしょう。
ブログの中の個人は、知る人知らない人様々ではありますが、
又バーチャルな空間と割り切っておられるお方もござりましょうが、
私は、ここでのご縁も実生活同様大切に思っております。
…ことある毎に懐かしく偲ばせて頂きます…


私の勝手で、どうしても今年中に書き留めておきたく、
年末のお忙しい時にお手を止めて、申し訳ない事をしております。
長いブログを読んで下さいまして ありがとうございます。

上記の通り喪中ですので、新年のご挨拶はご遠慮させて頂きますが、
皆々様が健やかな新年をお迎えになりますよう、謹んでお祈り申し上げます。
  今年も勝手なブログにお付き合い下さいましたお1人お1人に
  いっぱいの感謝と愛をこめて。。。
平成21年12月30日
ルル拝

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(58)光のルネッサンス  [2009年12月11日(金) ]
飛鳥時代は
首都・難波宮を往来する百済や唐の舟で賑わい
平安時代は
京⇔難波間の貴族や庶民の大動脈になり
江戸時代は
天下の台所・大坂で消費する為、日本各地の産物がやって来た…。

「天下の貨7分は浪華にあり、浪華の貨7分は舟中にあり」と書かれ
全国の米相場がここで決まり、世界初の相場罫線が考案され
諸国の大名が競って蔵屋敷を建て
川面では町衆達の舟遊びの灯々と三味の音が揺れていた…。

この川を下って 
新興地の江戸に伝わった文化は「下り物」と言われて重宝され
伝えるに足りぬ物は下らない侭(「下らない物」)上方で淘汰された…。

数え切れない歴史が生まれた中之島で、今年も『大阪 光のルネッサンス』が始まりました。三十石船の発着場であった八軒家浜・他から『水都クルーズ』も運行します(『 』内HP)。  ≪夜景は私の手に負えません 少しましに撮れた物を選んで…
写真の右下マークのクリックで最大になります≫
左から、日銀と大阪市役所の玄関、その横の川沿いの道

中央公会堂とその前の道。右のブルーは京阪中之島線・なにわ橋駅

中央公会堂の1室。ここでのパーティに出席

ついでにモンシュシュの堂島ロールも買って帰りました

西鶴は、『篝火…月影を水に映して…』と、
船遊びの美しくロマンチックな様を華やかに描き、
近松は、『まして流れのうきふしや…』と、
三途の川に通じる涙の道に描いた大阪の川々…

そこに掛かる「浪華八百八橋」
この街の中心部で育った私も
思い出は 川面に映る 灯とともに

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(57)ベルリンの壁  [2009年10月21日(水) ]
1989年11月9日、
東西統一の歓喜の内に壁を壊す人々の映像を見てからもう20年、
ドイツでは「ベルリンの壁崩壊20周年」の記念行事が始まっています。
あの時、一緒にTVを見ていた小学生の娘達も、
今や、トウが立った?大人になり…その分私達も随分年を取りました…。
(日夜桁違いの消費を続けた当時のバブリーな日々も懐かしい〜

崩壊した壁の一部は市の文化遺産としてそのまま保存され、粉砕された壁は道路建設等に使われ、綺麗な部分は政府が競売にかけました。アメリカを中心に各国の博物館や個人収集家が競い、1枚120万円〜2,500万円の値が付いたとか。
又こうした公売以外に、市民がハンマーで壊した「かけら」をお土産として売る業者も多く出現しましたが本物かどうかは怪しい〜、その辺の工事現場で拾ってきたコンクリート片に適当に色を付けると壁の破片っぽく見え、いくらでも「偽造」は出来たそうです(中には偽の証明書まで発行する念の入れよう)。アメリカの業者は4−5センチ角の破片を40$〜100$で通販していたとの事。

その壁が、1枚板のまま大阪にあるのをご存知でしょうか?
「和気山統国寺」
(大阪市天王寺区茶臼山町1−31)
釈迦三尊を本尊とする在日コリアのお寺です。
元々は聖徳太子の創建で、602年に来日した百済の僧観勒(かんろく)を開山住持としてここに招き、百済古念仏寺と名付け推古天皇の帰依により国家の厚い保護を受けました。宝永6年(1709年)に、黄檗宗(おうばくしゅう)に属して寺名を和気山邦福寺(ほうふくじ)と改め、日本中の雲水(修行僧)の修行の場になりました(お隣に雲水の為の普茶料理で有名な坂口楼(私のお勧め店の1つです・過去ブログ)があり、現在も営業されています)。

昭和44年(1969年)に在日本朝鮮仏教徒協会の傘下に入り、「統国寺」と改名され、古代の百済仏教からのご縁が蘇えりました。統国寺という名前に分断された朝鮮民族の統一への願いが籠められています。壁に、祖国統一の悲願を重ねた信者さんが落札し奉納されたそうです。

又、このお寺の奥には茶臼山古墳や川底池が真下に見渡せる舞台があり、ここから見る夕日の美しさは、この地出身の司馬遼先生も絶賛されています。

元の大きさ(約3.6m×約1.2m)が2基。落札された壁の殆どが博物館や企業の屋内で柵に囲んだ展示に比べ、ここは自然体で置いて下さっています。

1961年から28年間、
東ベルリン側の逃亡を阻止・監視し続けた壁の声を聴いてみて下さい。
この前で、ドイツの人々と同じ思いで「崩壊20周年行事」を祝うも良し…、
第2次大戦後の世界の歴史を改めて考えるも良し…、
20年前の自分に思いを馳せるのも良し…、
これを機に、其々のお気持ちでご覧になるのも一入かと存じます。

Posted at 03:57  | 続・なにわ夢便り      【53〜 】  | この記事のURL
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駆け抜けた夏  [2009年09月07日(月) ]
今年の夏はちっとも夏らしくない上に諸行事が目白押しで…
大好きなにジリジリ焼ける間もなく、慌しく駆け抜けてしまいました


そんな訳で…皆様にお礼のご報告をしなくちゃと思いつつ…
2ヶ月近くもアップが出来ずに、申し訳ございませんでした。
現在も我が身や家事を放棄し、各活動に物心を消耗し続けております。
いつになったら自分の時間が取れるやら…(疲れて泣き言?ナサケナイ〜

『8・8黒田清さんを追悼し平和を考える人権高座』
暑い中、ブログのお友達が来て下さいました。東京から1泊でお越しのTさまも〜。Tさま、Kさま、Mさま、本当にありがとうございました!話も弾み、お3人様とも古くからのお友達だったような気持ちです。

又、西谷氏の『戦争あかん』シリーズをご購入下さいましたお方々、『イラクの子供を救う会』にご支援下さいましたお方々にも、心よりお礼申し上げます。

ブログで応援下さった皆々様の温かいお気持ちで、今夏の公演と十数のボランティア活動を無事終える事が出来ました、ありがとうございます(新聞・TVでも複数報道されました)

『大阪ミナミの盆踊りだ〜い!』
喪中でお祭りは自粛中でも霊を迎え送る盆踊りはOK!いまだに父の姿を追い、「奇跡を起して生き返ってよ〜」と、馬鹿な事を願っている私…ここらで気を引き締めなくちゃと男仕立てのハッピです(踊り過ぎて捻り鉢巻が落ちた後・笑)

盆踊りの人数が減って廃れ気味の所もあるとの事、残念ですね…。で、少しでも多く〜と各所から頼まれ、微力ながらも一肌脱いで協力。複数地に参加いたしました。
その中の1ヶ所で、偶然シニアコムのRさまとお会いました。すぐに親しくなり、これも嬉しい思い出です。

地域を、日本の伝統を、盛り上げる為に、シニアコムのお方々も積極的に参加し、盆踊りを継承して頂きたいと願っております!

≪ついでに?直近のお知らせをさせて下さいませ〜
『2009年9月9日9時にお寺の鐘を撞こう〜』
「9条を守る会」では、多くの方に関心を持って頂けたらと、
9並びのこの日に各寺院で平和の鐘をつく運動をしています。
趣旨にご賛同下さるご住職様・関係者様はご検討下さいませ。
(ある方にこの事をコメントしましたら、『全国に広げたいので大阪から発信して下さい』と仰って下さり、お言葉に甘えて掲示させて頂きました)

『平和チャリティーコンサート』
『イラクの子供を救う会』代表の西谷氏が、支援金を手にして7日朝イラク、アフガンに飛びます。今回も私は実行委員として企画から加わり、当日は司会・進行と、ライフワークである「戦争を語り継ぐシリースの内…大阪大空襲」を朗読させて頂きます。

1945年3月10日に東京・12日に名古屋・14日(13日深夜〜14日)に大阪・と、西に向かって順にB29の大群が大都市に来襲したあの日の恐怖を、体験者のお言葉を元に編集・自作・自演させて頂きます。「空襲被害者訴訟」の方々やマスコミも注目していますが、ご高齢者が多く時間がありません!もっとやるべき事もあるのではないか?と自問し焦っております。

西谷氏の未公開イラク映像、芸能大賞受賞の異色大学教授・趙博さんの友情出演等、全員参加で歌い舞台と客席の垣根を越えた温かい会にしたいと思っております(ご参加下さるお方はコメント欄にお書き下さいませ)。

Posted at 04:23  | この記事のURL
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報道とお知らせ  [2009年07月14日(火) ]
オバマ氏が「イラク駐留米軍の大半を撤退させアフガンに増派する」と公約してから、各国の報道陣もそちらに焦点を定め、イラクのニュースが激減しました(アメリカに抵抗出来ない日本は元々少ないですが)。

2003年からイラク内部に8回、関連各国に10回以上の取材を続けている西谷氏(*)は、今回(6月〜7月)両方で取材して来ましたが、「イラクでは視聴率が取れない・お金にならない・言うて、外国の報道陣もおらんようになったわ。」との事。反対に、アフガニスタンのホテルは各国のジャーナリストで満員だったそうです…世界のニュースも視聴率頼みとは情けない事です…。

(*)
西谷氏とイラクに付きましては、左欄・カテゴリーアーカイブの<・社会の片隅で>をクリックして下さい。関係の過去記事を幾つか掲載しております。


米国の増派政策となれば…自衛隊のアフガン派遣など又日本に新たな要求が出される可能性も高いでしょう……心配ですが…アフガンの事は別の機会に書かせて頂くとしまして…。
戦争から6年が経過したイラク、しかし死者・障害者は益々増え続けています。外傷のみならず白血病・奇形・癌なども多く、犠牲者の大半は子供達です。米国は今も否定していますが…劣化ウラン弾の放射能が原因である事は各国の医師も検証、これはベトナム戦争の枯葉剤・日本の原爆に匹敵する大罪です。

ある病院では年間5,000人の子供が劣化ウラン後遺症で死亡しています。お金がないので治療もままならぬ為、親達は進んでカメラの前に子供を出し窮状を訴えます。戦争で苦しむのはいつも罪のない人達…ごめんなさい…ここで平和にブログを書いている事が申し訳ないです…しかし事実を伝えるのも大事な事…。

不思議な事も聞きました。自衛隊基地があったサマワは、撤退した今でも日本人ジャーナリストが入れないそうです。そこで働いていた人達も行方不明だったとの事?(因みに米軍は、通訳など内部事情を知った現地人は後で射殺しているとか?…)。

サマワは比較的安全な場所ですのに元々1部報道機関だけにしか許可がなく、それは自衛隊の復興活動を宣伝するのが使命でした。発砲しない自衛隊は、他国の部隊に比べ、現地の人々にもある程度は受け入れられました。が、それなら何故武器を積んだ戦車で来るの?何故米軍の燃料を運ぶの?…などという疑問も投げ掛けられいます。
その自衛隊基地に何年か前に誤爆があり、それ以来隊員は大事を取って外出していません。ですから自衛隊の復興活動はその日から殆ど止まっていたということです。

大衆メディアでは放映出来ない事も多いですので、彼が独自にネットTVを配信しました。宜しければご覧下さい(今年の2月〜3月取材分。)
@http://move.b-fx.net/modules/cinemaru/movie.php?id=6 
Ahttp://move.b-fx.net/modules/cinemaru/movie.php?id=7


これに関し、私がかかわる活動の内、直近の「自由参加分」を案内させて頂きます。興味のあるお方はご連絡下さいませ。
◆イラクの子供を救う会・報告会
日時: 2009年7月17日 18:30より
場所: 大阪市立いきいきエイジングセンター 大阪市北区菅原町10番25号 
      (地下鉄南森町駅、JR天満宮駅下車5分 地図
内容: 会の代表・西谷氏の、この一年間のイラク、ガザ、アフガン支援の報告と最新取材報告(非公開映像や話も多数)。彼自身も重度障害の子供を亡くしましたので、親として気持ちを同じにし支援活動にも熱が入っています。会員の集会ですが、前もってご連絡頂ければ受け付けさせて頂きます。参加費無料、但し「イラクの子供を救う会」のカンパ袋が回ります。

◆黒田清さん追悼公演(9回目)
日時: 2009年8月8日 14:00より
場所: 大阪市浪速人権文化センター・小ホール 浪速区浪速東1-9-20
      (JR芦原橋駅・南改札口すぐ。近くに【大阪人権センター】もあり
       ますのでお間違えないように 地図
入場料:1,500円
反戦・反差別を柱に精力的に行動し続けた黒田清さんは、最後のジャーナリスと言われ、権力には果敢に対抗し日陰の人々には限りない愛を傾けました。多くの人に慕われ、影響を受けたジャーナリストも数知れず、上の西谷氏もその1人です。

私達は黒田清さんのご遺志を継ぎ、この火を絶えさせない「うずみ火」活動をしています。

今年の追悼公演は、面白く豪快な大阪人でもあった彼に相応しく、落語で追悼します。彼を慕う師匠や、電車事故で奇跡的に助かりリハビリ中の伯鶴さんも車椅子で来てくれます(参考:去年の公演)。

(チケットが要りますので、メール又はコメント欄に必要枚数を書いて下さいましたらこちらで確保しておきます。当日お名前(HNでもOK)を書いた封筒に必要枚数のチケットを入れて受付に預けますので、チケットと引き換えに代金をお支払い下さい。もし来られなければ当方で破棄しますのでキャンセルも気になさらないで下さい。)

シニアコムのお友達・まいにち笑顔さまが、追悼公演をいち早く応援して下さり、お知り合いを誘って来て下さいます。オフ会も計画されているとか。残念ながら…私は、去年と同じく実行委員・舞台監督補助・司会進行役・雑用係の為…終演後も後片付けや打ち上げ・反省会で、ご来場下さった方々とは一緒に行動出来ませんが、お友達同士が実際に会えるのは嬉しいですね。

(いつもながら勝手な事を書かせて頂いていますので、コメントは「見た」、「行く」、「行かない」、などで結構ですよ

Posted at 04:25  | 社会の片隅で  | この記事のURL
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(56)なにわの夏祭り  [2009年06月23日(火) ]
さ〜てお立会い,
今月から始まります≪なにわの夏祭り≫のご案内でございィ〜。
ご用とお急ぎでないお人は、ゆるりと巡っておくれやす〜。

国の始まりは大和の国大阪府と奈良県に跨る)島の始まり淡路島、
橋の始まりは鶴の橋日本書紀に、『仁徳天皇14年(323年)橋を猪甘津に造り…』
      とあります、現・大阪市生野区鶴橋)

盗人の始まり石川五右衛門、博打の始まり熊坂長範、
相撲の始まりが野見宿彌(のみのすくね)どこまで行くねん〜
で、夏祭りの始まりが愛染祭りィ〜。

愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)の愛染祭りは、推古天皇元年(593年)に聖徳太子がされた日本最古の夏祭りと言われています。

太子は四天王寺を建立した際、悲田院・敬田院・療病院・施薬院の4院を造営されました。勝鬘院はその中の施薬院で、この地に多種の薬草を植え病気に苦しむ民に調合しました。よって社会福祉事業発祥の場所とも言われております。

太子がここで勝鬘経を講讃されたという故事から勝鬘院と称し、お堂の御本尊が愛染明王であることから愛染堂と言われます(地元では親しみをこめて愛染さんと呼んでいます)。祭りの日には御本尊が御開帳され、大法要がとり行われます。

又、愛染祭りの日は色街の大紋日にあたりますので、昔は遊女達が駕籠に乗って艶やかに参詣しました。これが「宝恵駕籠(ほえかご)」の起源となっています(その様子は近松や西鶴も書いていますが、現在は北新地・今里新地の芸奴さん、公募で選ばれた愛染娘達を乗せてねり歩きます)。
私達なにわっ子は、夏のさきがけ愛染祭りの日に浴衣をおろしますので、別名「浴衣祭り」とも言います。又、この時に降る雨を「愛染パラパラ」と呼び、この雨に濡れた男女は結ばれると言われています。若い人に人気のあるお祭りで、沿道に300余の露店が出て賑わいます(娘達も中学からはお友達と行き出しました・私はPTA巡視班でした)。

写真左←金堂
593年、四天王寺と同時期に聖徳太子によって創建。
織田信長の大坂(石山)本願寺攻めの際に焼失しましたが、
徳川秀忠によって再建。大阪府の指定文化財です。
写真右→多宝塔
聖徳太子創建後、信長の本願寺攻めで焼かれ、豊臣秀吉が再建。
大阪市内で現存する最古の建築物で国の重要文化財です。

映画・『愛染かつら』で有名になった樹齢数百年の縁結びの霊木
関東大震災後、大阪在住の作家・直木三十五氏を頼りこの近くに移り住んでいた川口松太郎氏が、この木をヒントに書いたそうです。松竹映画撮影記念立て札もあります。 右の細い桂の木は、映画の好評を祈って主演の吉田輝男氏が植樹されたものです。
愛染かつら主題歌「旅の夜風」ご一緒に歌いましょう〜♪(音が出るのに3秒程掛かります)
老人ホームのボランティアで覚えました、入所者の方々に人気のある歌です。
愛染堂勝鬘院ついでに、長い歴史の境内各所にもお立ち寄り下さいませ〜。

西は西京、東は東京、中のなにわの 夏祭り。
あいぜんさん愛染祭り6/30〜)が 火蓋を切って、
てんじんさん日本三大祭りの1つ・天神祭り7/24〜)で 最高潮〜!
すみよっさん日本中の住吉神社の総本山・住吉大社祭り7/30〜)の お開きまで、
100ヶ所以上も あるという。

このひと月の なにわの町は、路地裏からも コンチキチン〜♪、
仕事もおかんも ほったらかしで、次は何処や と待ち焦がれ。
「あんたはアホかぁ、ええ加減にしぃや!」と言われながらも、
「あい(愛染)すみ(住吉)ません。」とご満悦〜。

華のなにわの 八百八橋を、縦横無尽に 駆け巡り、
1つ1つを 順番に、網羅するのがぁ、
チョーン! なにわ町衆の ヨッ! 心意ィ気ィィ〜!

ナァンテ大見得を切っておき乍ら…本人は喪中で大好きなお祭りも返上です。
下に日程を書かせて頂きます、ご都合の付くお人は是非お越し下さいませ〜

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
≪夏祭り予定表≫
(大阪の夏祭り全部は書き切れませんので、我が家から徒歩又は自転車圏内の、大阪市内でもごく中心部のだけを書いています。其々の歴史や薀蓄を書きたくてウズウズしていますが、又の機会に。)

・6/30〜7/2 勝鬘院(愛染堂)       天王寺区夕陽ヶ丘町5-36
・7/7     天満宮・星愛七夕祭      北区天神橋2丁目1-8
・7/7     安倍晴明神社・七夕祭    阿倍野区阿倍野元町5街区
・7/11〜12 生國魂神社           天王寺区生玉町13-9
・7/11〜14 杭全神社            平野区平野宮町2-1-67
・7/12〜14 難波八坂神社         浪速区元町2-9-19
・7/13〜15 堀越神社            天王寺区茶臼山町1-8
・7/15〜16 大江神社            天王寺区夕陽丘町5-40.
・7/15〜16 久保神社            天王寺区勝山25-14
・7/15〜16 五條宮              天王寺区真法院町24−9
・7/15〜16 玉造稲荷神社         中央区玉造2丁目3-8
・7/16〜17 敷津松之宮(大黒神社)     浪速区敷津西1-2-12
・7/17〜18 高津宮              中央区高津1丁目1-29
・7/18〜19 河堀稲生神社         天王寺区大道3丁目7-3
・7/19〜20 東高津宮            天王寺区東高津町4-8
・7/20〜21 露天神社(お初天神)       北区曽根崎2丁目5-4
・7/21〜22 三光神社            天王寺区玉造本町14-90
・7/21〜22 難波神社・氷室祭       中央区博労町4丁目1-3
・7/21〜22 浪速神社            浪速区浪速西3-10-23
・7/21〜23 坐摩神社            中央区久太郎町4丁目渡辺3号
・7/22〜23 今宮戎神社           浪速区恵美須西1-6-10
・7/22〜23 廣田神社            浪速区日本橋西2-4-14
・7/24〜25 大阪天満宮・天神祭り    北区天神橋2丁目1-8
・7/24〜25 生根神社・だいがく祭     西成区玉出西2-1-10
・7/27〜28 安倍晴明神社・夏祭      阿倍野区阿倍野元町5街区
・7/30〜8/1 住吉大社             住吉区住吉 2丁目 9-89

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なにわのアホボン  [2009年05月17日(日) ]
ボンとは大阪弁でオボッチャマの事です。
恵まれた環境で育った苦労知らず、
その分人一倍素直・お人好し・馬鹿正直と3拍子揃いいつも利用されている…
そんな男性を、大阪では愛を込めて「アホボン」と呼びます。

そのアホボンは、若い頃は野球チームのエースでスポーツ万能でした。お座敷では仕舞・謡いをやり、多方面の友人に恵まれ異性にもモテて幾つかの艶聞も流しました。情に篤く人の難儀に骨身を惜しまぬが騙されても笑顔の浮世離れしたアホ振り…。

こんなヤサオトコが戦争に向くはずはありません。
余談ですが…大阪の軍隊は日本一弱く、当時『またも負けたか八連隊〜♪』という流行り歌がありました。前線で『人を殺すのも殺されるのも嫌や〜』と逃げた人、敵と友達になった人等々、大本営に言われないマル秘エピソードが沢山あります。又それを茶化して堂々と歌えたのも、大阪ならではのユーモアと反骨精神でしょう。
なにわの晶子姐さん(与謝野)も「乱れ髪」で言うてはりますね〜、『弟よ。戦争は武士の仕事や、商人のあんたに刃物の使い方は教えてまへん。まして死んだりして、お嫁さんを泣かすような事をしたらあかんで〜!』と。

さてアホボンに話をもどして…
戦争中、彼は暗号解析の通信士をしていました。
その部署は、『あんな時でもお茶とお菓子が出たんや〜。』という不思議な所ですが、命を晒す日々の中での彼の楽しみは馬との会話でした。

『ブラシをかけてると嬉しそうに目ェ細めてなぁ…話も分かり合えるんや。それに、馬は陛下からの預かり物や、言うて人間より大事にされてた。兵隊の替わりはいくらでもおるから、やと。殺生な話やで〜。』
その理不尽は別として…
彼の優しさは動物にも通じ、戦友に加え多くの馬友達も出来たそうです。(これが後の趣味の1つである乗馬になっていきます。)

そんなある日、日本は敗戦を迎えます。
玉音放送の前で死んだ友の無念に涙した時、彼は確かに聞きました。
『嬉しい事や〜。お陰でご禁令も消えて皆自由になるんや。
俺達の好きなジャズも堂々と聴けようになるぜ〜♪』

傍には愛馬が居るだけです、が、その目が潤んで光ったように見えました。
もしかしてお前は?!…愛馬は彼を見詰めて優しく微笑みました。

終戦後の大阪・御堂筋
戦後まず彼は、米軍基地に行って最高のステレオを仕入れます。
彼のジャズコレクションは戦前の分も含めて壁面一杯になり、知る人ぞ知るところとなりました。国も身分も老若男女も関係なく固定観念を持たない彼は、諸外国の方々とも親交が広まり、多くの友人が出来ました。

敵国であったアメリカ人と親しくなる彼を腹立たしく思っていた人もいましたが、彼を通じて知るアメリカの大きさ・豊かさに、人々は徐々に気持ちが解けていきました。『アメリカさんは凄いなぁ〜、これでは日本が負けるのは当然や。』

進駐軍テーラー仕立てのスーツやドレス・帽子、輸入家電・テレビ・カメラ・楽器・お菓子に囲まれ、ジャズが流れる彼の家は、大人も子供も集うサロンのようになりました。
アメ車の子供用電気自動車と米製玩具やゲーム機・沢山のお人形・部屋いっぱいに張り巡らせたレールを走る鉄道模型などは、人気のあまり何度も壊れその修理の都度に品数も増やし必要な人や場所に差し出します。ディズニーの8ミリ映写会と玄関脇の私設図書館にも人が集まりました。

貸した本も雑貨もその半分は戻って来ませんでしたが、そんな時代でもありそれも取るに足りぬ事でした。尤も欧米に偏っていた訳ではなく…日舞、能楽、琴、茶道の出稽古もここで皆に開放し、西陣の帯屋さんも「戦後最初の商品も届けさせてもろた大のお得意さんや。」と笑顔で話しています。
そしてその傍らには…
愛馬に乗り移った友を始め、亡き戦友達も遊びに来ていました。
『俺らも知りたい、平和時の豊かさ楽しさにいっぱい触れさせてくれ。』
アホボンの新し物好きや馬鹿げた消費は、只の贅沢ではなかったようです。

多くの人が集う場所は、何処で聞いたのか?戦後の困窮者や孤児も集って来ました。中には詐欺師や泥棒のような人もいましたが、敷居のない彼は何方も公平に受け入れ、そのお世話に妻とお手伝いさんも毎日笑顔で動きました。
そのまま長年居付いて…嫁仕度を整えて貰ってここから嫁いだ人、身寄りが無くここで一生を終えた人…なども数人居ます。

しかし、
『杜子春』のお話のように…車いっぱいの黄金にもいつか際限があります。
何十年も与える事と騙される事を繰り返しているうち…気付けば先祖からの土地も家も財産も無くし、肝心の自分達が使うお金や物が無くなってきました。
それでもやっぱり笑っているアホボン。彼から愚痴の1つさえ聞いたことが無い人々は「この人の思考回路はどうなってんのや?」「生き仏様かも?」と、好意ともあきれたとも分からぬ噂をしました。

…あれから歳月が経ち…
平和が続く日本は…大多数が文化的な暮らしを得ました。
他人様の為に、時間とお金を使える余裕も少し出来たようです。
それなのに何を急ぐのか?
多くのお人がまだ 《少しでも人より前に、上に…》 と走っています。

人に騙されないように用心し日々節約して自分や家族を守る事が美徳となり、
身ぐるみはがされた事を笑うおおらかさや無駄使いの粋さも受け入れられなくなったような気もします。
街も人もすっかり変わったように見え、アホボンは着いて行けなくなりました。
もしかしたら…彼が無用の世の中になったのかも知れません…。

片隅のほんの些細な福祉に、戦後の生涯をかけたアホボン、
今もあの底抜けの笑顔と腰の低さで、「遅うなってすんまへん〜」と頭を下げ、彼の岸辺で戦友や旧友達と一緒に 好きなジャズでも聴いているのでしょう…。

米寿まで残る桜も散りおさめ 貴様と俺との花弁重ねる  徳豊院明心

Posted at 03:17  | 雑感  | この記事のURL
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今年の初ブログ  [2009年03月29日(日) ]
今年初のブログが今頃になり(4ヶ月近くのご無沙汰?!)、
しかもこんな内容になりましたが…、
父逝去に関してのブログやコメントを書いて下さったお方々、
個人メールやお電話を下さったお方々に心よりお礼申し上げます。
本来ならばお1人お1人にお礼を申し上げるべき処でございますが、
纏めて書かせて頂く失礼をお許し下さいませ。
  ・ー・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・ー・−・−・
 今年1月に父が急逝し、妹と試行錯誤しながら…葬儀〜満中陰法要(関西ではお逮夜)、お彼岸の施餓鬼法会までを何とか済ませましたが、今だに事実を受け入れる事が出来ないまま…百か日法要の準備をしております。

 何よりも!「賀状もお年賀の品も、ほったらかしになっている家(実家)の雑事も、退院したら全部自分でやるから置いといてくれてええよ〜」と微笑んでいた父自身が、まさか半日で急変して三途の川を渡ってしまったとは思っていないでしょう…。「何でこんな所に居るんや??」と、彼岸で迷っているはず…。
《実家の菩提寺》 創建は古く難波宮(大化元年・645年)の祈祷所として建てられた。
『曽根崎心中』の「大坂三十三番観音廻り」にも出てきます。

   この年まで乳母日傘で物心ともに実家に頼っていた私、
   つい去年の秋までは、いつもと変わらず皆で笑い合いながら、
   大好きな両親に何もかも守られスネを齧って甘えていたのに…。
   父が死に、後の采配を振るうはずの母が認知症になった現在は、
   荒野にオイテケボリにされた心細さと、渡る風の大きさに驚いています。

「長い間幸せ過ぎると、その分不幸も纏めて来る」と誰かに言われた通り、
今迄温室でほんわか過ごしていた分…失意が一度にやって来ました。

 父の死・母のアルツハイマー発症に加え、
こんな時は必ず飛んで来てくれる父方の叔父が一昨年の春に鬼籍に入り、
日舞の家元で私達の為なら身命を惜しまない母方の叔父が足を痛めて「寝たきり」に…それがキッカケで母と同時期に健忘症が始まり会話もチグハグになりました。
加えて妹の義母がクリスマスに亡くなり、夫達も去年末から脳出血や感染症で入退院の繰り返し。父母の介護の忙しさにかまけて見る事もなく営業マン任せにしていた株の信用取引で○億円の損金・追証が発生し金策に。こんな時の為にと、長年置きっぱなしだった外国の銀行にある実家の債権までも不況でデフォルトの知らせ、等々と…泣き面に蜂が大群で襲って来ましたぁ〜

 又、父と叔父達の城壁が崩れると…
知らない人達が侵入して僅かに残った兵糧を取って行くも…何も出来ない状態…。ただ救いは、姉妹の仲が良くお互いに全く欲のない事で、猫さんが私達のお膳のお魚を上手に取って行く様子に感心しながら…他人事のような気持ちで眺めています。
他にも思わぬ難事が降り掛かり…泣きとも怒りとも分からない感情で、
「パパ、早く戻ってきてよぉ〜」と、在りし日の姿に叫び続けています。
【いつも笑顔で元気なルル】で居られたのは両親他のこんな支えがあったからだ…と今回初めて気付きました(遅い!)。馬齢を重ね、シワ・シミ・白髪・の年寄り3大要素も身に付けているのに、何という不甲斐の無さでしょう…
お寺の境内の1部  信心の浅い私が今だけ頻繁に通っています〜(笑)

 友人達も、世間知らずのアホの行く末を心配してくれながら…、
「真綿に包まれていたお嬢も、やっと裸で独り立ちする時が来たと言う事や〜」
と背中を押してくれます。
え〜っ!こんな私に出来るのかなぁ??…と躊躇しフワフワしていている間にも…諸手続きや諸問題は次から次へとやってきます…。
残された母の為にも、今度こそしっかりしなければ…。
1人歩きに慣れぬ弱々しい足取りなれど…少しづつでも前に行ければ…。

 上、取り急ぎお礼と、長期引き篭りの近況報告をさせて頂きます。
せめて年度末迄にはケジメのアップを、と思っていました(ふ〜何とか間に合った
それにリニューアルすると又混乱するかも?と急ぎ書かせて頂きました。
つまらない個人的な愚痴を長々と読んで頂き、恐縮です。
ありがとうございました。                   ルル拝
  ・ー・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・
恐れ入りますが…
現在諸事に多忙の為返信コメントも遅れると思いますので、
コメントを頂けますならば「見た」だけでも結構ですよ、
ご覧下さったお言葉を嬉しくいただきます〜

Posted at 03:39  | 雑感  | この記事のURL
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全盲の落語家  [2008年12月11日(木) ]
関西のお方はご存知のように、
『12月1日午後11時過ぎ、阪急宝塚線三国駅ホームで、
梅田発雲雀丘花屋敷行きの電車に接触して意識不明の重体になった
全盲の落語家・笑福亭伯鶴(はっかく)さん(51)』

の事が、新聞・TV他で大きく報道されました。

12月8日の天満天神繁昌亭で行われる『お笑い人権寄席』の打ち合わせをして、その帰宅途中の大事故でした。

生死の狭間を彷徨う伯鶴さんの心配は勿論の事、1週間後の本番に穴を空ける事はお客様に申し訳が立たず、出演者・スタッフ共大混乱になったと思います。

私の所にも、『当日はどうなるの?』と、チケットを買った知人から電話がありました。

今回の構成も担当した落語作家S氏が急遽芸人さん達に頼んだ所、何人かが『伯鶴さんの為なら!』と、予定を変更して来て下さる事になりました。奥様も、夫の見舞いよりも高座のほうが大事、と言われたそうです。

『力を合わせ、多くの笑い声で伯鶴さんの無事を祈ろう!』という事になり、両親の介護の為に不参加としていた私も再度頼まれ、チケットを買って行きました。
上→事前のチラシ、下→急遽変えた当日のチラシ(写真は拡大できます)


この日の客席は気のせいか…いつもよりも温かく、笑いも拍手も大きいように感じました。又、反戦・反差別・人権蹂躪の実体を訴えた、メディアには流せない?リベラルで濃い内容でもありました。  
≪伯鶴さんのHPです≫

その後の打ち上げでも、出演者全員とお弟子さん達がこぞって集まり、飲むほどに広がる温かい笑いの渦に目頭が熱くなりました。

(同席の露の新治師匠によりますと、『年を取って涙腺がゆるむのは、人生経験を積んで人の気持ちが分かるようになったからや〜なんて知ったような事を言うけど…ほんまは単に医学的な加齢現象で、目から段々下へ下がって行く過程やで。ほんで、おシモまでゆるんだらそこでオシマイや〜。』との事だそうですが〜(笑))


桂文福師匠の弟子・ぼんぼ娘(ポンポコ)さん。
期待度1の若手上方落語家。機転の利きが抜群!彼女の奮闘振りがNHKの密着ドキュメンタリーにもなりました。『大阪の女性落語家は10人しかいてませんから、なんと〜!この私も女噺家ベストテンに入ってますわ〜!』と。


伯鶴さんの事故は相当酷く、『車両に大きな傷が付いていた』という報道がありましたが、それは接触した時に骨折した骨が皮膚を飛び出して、引きずられた際にその骨が付けた傷だそうです。

事故日に三国駅で最後まで一緒に居たのは、私の友人でもある落語作家・S氏ですが、『伯鶴さんはいつも通りしっかり歩いていて、挨拶をして別れた直後や…』との事です。が、1部の報道では泥酔していたとかフラフラ歩いていたとか言われています。全盲のお方は、白杖を這わしながら慎重にゆっくり歩かれますので、知らない方々にはそう見えたのかも分かりません。私も普段の伯鶴さんを知っていますので彼の歩き方は分かります。

又、阪急三国駅にはホームの内側を示す凸型の「内方線」を敷設しておらず、当時はホームに駅員もおらず、車掌も運転士も事故に気付かず、電車はそのまま走り去ったという事です。

現在、S氏が警察や阪急電鉄と事故の事情聴取及び検証中ですので、ここには多くを書けませんが…阪急電鉄が非を認めずに、彼がフラフラして自ら越えたと済ます懸念もあり、S氏は真実を訴えて交渉中です。大企業相手の、事故などの交渉は大変だそうですね…(私的には小林一三氏が好きで阪急グループのファンですが)。
伯鶴師匠に笑いのパワーが届きますように〜!
繁昌亭の前で桂文福師匠と
尚今日もお見舞いに行かれたS氏のお話では、皆様の声が届いたのか…意識不明状態ながら少し反応も見え、お陰様で命の峠は何とか越えたとの事です。

人権落語に出演予定だった伯鶴さんが1番言われたくないのは、『全盲だから事故に遭ったのだろう。』です。目が見えないお方は健常者以上に慎重で敏感ですから、却って事故は少ないものです。中学生で素人名人会に出て「名人賞」を取った時も、人間国宝の桂米朝師匠が『カミ・シモの使い方から話術まで、全盲の子やいうのを忘れてた。うちらの弟子よりホンマに上手い!』と絶賛されたそうです。

伯鶴師匠、皆で1日も早いご回復をお祈りしてますさかい〜、
又いつものように、『全盲はハンデキャップやない〜』と高らかに言い、
高座で仰山のお人を楽しませておくれやす〜\(^▽^)/

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お久し振りです  [2008年11月15日(土) ]
      長らくご無沙汰しておりましたm(__)m
  ブログアップも、お友達のブログを拝読する事も出来ず、
   ふと気付くと…階前の梧葉すでに秋声(冬声?)…で、
 STAGE休眠中にカレンダーを3ヶ月分もめくってしまいました。
      決して、辞めた訳でも、他で浮気していた訳でも、ございません(^‐^)
             遅くなりましたが…近況を報告させて頂きます。


・・・9月に、前日まで元気だった父(87)が急遽入院し(癌・他…)、残された母(82)は、父への心配と支えを失った不安から、急に健忘症になりました。
それからは日毎に症状が進んでいるような感じです。

自分の事よりも人様の事を第一に考え、又礼や義にも厳しかった母が、
同じ事を何度も聞き返し、お料理はおろか食した事も忘れてしまうなんて…
医師の話によりますと、『年を取ってからの環境急変や心配事は、
それをきっかけに一転して認知症になるケースが多い。』との事です。

この年まで夢見がちの儘、物心共ノホホンと両親に甘えていた私の環境も激変し、…夜遊び・朝寝も止めて(笑)…日々実家と父の入院先の往復に明け暮れています…。

現在大きな問題になっています認知症は、ある意味癌よりも厄介な病気だと実感しています。記憶力が減退してきても、心や感情は健常時の儘ですので、出来た事が出来なくなったり物忘れが進んで行く様子が自分で分っています。
周りの大変さはご周知の通りですが、実は1番苦しみ葛藤しているのは本人であり、「この先何もかも分らなくなっていくのではないか…」と昼夜焦燥と不安に包まれています。

65歳以上の6人に1人・80歳以上の3人に1人とも言われる認知症…何かのきっかけで、いつ・誰が・なってもおかしくありません…どなたかのご参考になれば…又介護日記なども書いてみようかと思っております。

〜ここで1度休憩させて頂きます お飲み物でもどうぞ〜 
3ヶ月振りのブログ掲載に、気後れと緊張の息切れがしています


〜ご休憩中に・・手前味噌ながら、嬉しい事を1つ書かせて下さいね〜
介護疲れで不調でしたが、奈良のホテルのラウンジで朗読をいたしました。
芥川の『蜘蛛の糸』に合わせ、インドで買って来たサリーを着ました
箪笥の肥やしになっていたインド製品達も日の目を見て喜んでいるようです
お陰で1枚布のサリー着付けが素早くなりました、着物よりもずっと簡単!
額のビンディも見えるように顔アップとビンディのアップも入れました。
(写真は画面一杯まで拡大出来ます。cocoちゃん〜これで見えますかぁ?(^▽^)
STAGEの素敵なお友達も駆け付けて下さり嬉しいひと時を持てました、謝々!
(其々のお人のHNは?・・・それはご想像にお任せいたします〜
画面右外にかけて滝のある美しいお庭、左ドア奥がロビーになります。
・・・・・♪・・・・・♪・・・・・♪・・・・・♪・・・・・♪・・・・・♪・・・・・

・・・硬い話ですが…「ともだち登録」は、どう捉えれば良いのでしょうか?
私は「ともだち登録」の申請をして下さったお方、お1人お1人を大切に感じています。それを無言で一方的に消されますと…連絡が出来なくなりますので理由を聞かせて頂く事も出来ず、こちらが気付かない落ち度や誤解でご立腹されていても、反省やお詫びすら出来ません(STAGEを辞めて全て解消される場合は別ですが)。

実生活では、誤解や行き違いがあっても話し合って解決し合えますのに、ブログの中ではそれが通じないのでしょうか?それとも、「たかがブログ友」と軽く考えておられるのを、私が気にし過ぎなのでしょうか?

又、ここには色々な個性のお方がおられ…心を通わせ合いながらも、時には意見の交戦もあります。其々のお方が、半世紀以上も歩まれた道で確立されたお考えがあるのですもの、当然ですね。むしろご経験深い方々の意見交換は、差し障りのない内容より有意義でもあるかと思います。

異見は、自分の知らない部分や異なる見方を知る良い機会であり、字面の奥にあるものを読み取り、自分の幅を広げる良い勉強だと思っています。
まして、自分と環境や見方が違うからと言って…その人自体を否定したり排除するものではないと思っております。
しかしこれは…無邪気に心を開いてきた私の鈍感さだったのかも知れません…(抽象的な書き方になりましたが、同様のお方もいらっしゃるのでは…)。 

・・・・・☆・・・・・☆・・・・・☆・・・・・☆・・・・・☆・・・・・☆・・・・・
上記の通りの介護中ですので、コメントのお返事はすぐに出来ないかも分りません。  恐れ入りますが…ご了承の程 宜しくお願い申し上げます

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