その悲しみから盲目となり 天王寺を放浪しています。
中でも、
・人々で賑わう四天王寺の境内で
盲目・空腹ゆえに此方・彼方にぶつかる哀れさ
・杖を頼りにヨロヨロと歩き時には倒れる
その杖の使い方の巧みさと美しさ
・能舞台の柱を四天王寺の大鳥居に見立て
そこから心眼で見た難波の海の美しい風景を朗々と詠むさま
私の『弱法師』の楽しみ方であります。
そして今日も、その動きと声に感動していました。が…。
俊徳丸が橋ガカリに去ろうとする時、
”♪父は追い着き手を引きて〜…中略…(一緒に)里に帰りけり〜“
え?どうして?いつもと違う?と思う間に…父・道俊役が私の父の顔になり、
「パパ…私も連れて行ってよ…」と、涙が溢れ出しました。
去年の今頃…父は病院のベッドの上にあったけど…
しんどそうな顔は見た事がなく、いつもニコニコ笑って楽しげに喋り、
私のどんな我儘も大船に乗せて助けてくれていたのに…
あ〜今はもう居ないなんてまだ受け入れられない…
あの日から何ヶ月が経ち
祖父・父と続いたお能の衣装や道具類も、今年私の手元を去りました。

又その理の如く、今年はブログのお友達も鬼籍に入られました。
1人は2月5日にご逝去された長楽斎さまこと元俳優座の渥美國泰さま。
江戸の書画の蒐集家としても有名で、HP「江戸の井戸端会議」「分け入っても青い山」を持たれていました。マスコミに惑わされない本当の大阪もご存知で上方文化にも造詣の深いお方でした。同じ演劇人と言うにはご無礼になる大先輩ですが、演劇論や多くの部分で意気投合し、一緒に芝居をしたいと誘って下さいました。私を江戸時代の花魁に見立て「縷々」と表記された、ブログに頂いたコメントや多くのメールがPC上に残っています。久々に出られた『南京の真実』の土肥原陸軍大将役が最後の映画になりました。一昨年大阪まで来られましたが私の都合が付かず…今更ながらとても悔やまれます。
もう1人は先月の22日に肝臓癌で急逝されたメキシコのヒゲ親父さま。
メヒコフェスで無邪気に踊る私を「浪速のラテン娘」と呼ばれ、去年奈良のホテルのラウンジで催した朗読会にも来て下さいました。来年は平城京遷都1300年祭に加え、メキシコ独立200周年・革命100周年の年。メキシコと日本を行き来され、『平城京遷都祭にメキシコからの旅行団を召集するから、何か企画して下さい』と言われ、そのお話も含め11/22〜24日ご来阪予定でした。このお方も歴史に造詣が深く大阪の名所見学も楽しみにしておられました。その間奈良の親友のお宅に宿泊される予定でしたが、そのお方に『検査入院の為に日程をずらせてほしい』と連絡があり、入院後そのまま逝かれたそうです。
父と同じように、いえ、死に目に会っていませんのでそれ以上に、
未だお2人のご逝去が信じられず…
今もメールをしたらお返事が返ってくるような気持ちであります。
故人のブログをシニアコムに永久に残して置くのがいいのか?
何年かの区切りで整理するのがいいのか?
ブログをDVDに入れ、ご家族にお渡しすればいいかな?
いずれにしても、誰が?いつ?どのように?
立場を変えて色々と思い巡らせていますが…難しい問題ですね…。
ともあれ
お2人とも社交的でいらしたので会われたお方もおられる事でしょう。
ブログの中の個人は、知る人知らない人様々ではありますが、
又バーチャルな空間と割り切っておられるお方もござりましょうが、
私は、ここでのご縁も実生活同様大切に思っております。
…ことある毎に懐かしく偲ばせて頂きます…

私の勝手で、どうしても今年中に書き留めておきたく、
年末のお忙しい時にお手を止めて、申し訳ない事をしております。
長いブログを読んで下さいまして ありがとうございます。
皆々様が健やかな新年をお迎えになりますよう、謹んでお祈り申し上げます。
今年も勝手なブログにお付き合い下さいましたお1人お1人に
いっぱいの感謝と愛をこめて。。。
ルル拝
Posted
at 04:05
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少しましに撮れた物を選んで…





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にジリジリ焼ける
間もなく、慌しく駆け抜けてしまいました
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『8・8黒田清さんを追悼し平和を考える人権高座』
≫

)。
戦争から6年が経過したイラク、しかし死者・障害者は益々増え続けています。外傷のみならず白血病・奇形・癌なども多く、犠牲者の大半は子供達です。米国は今も否定していますが…劣化ウラン弾の放射能が原因である事は各国の医師も検証、これはベトナム戦争の枯葉剤・日本の原爆に匹敵する大罪です。













恐れ入りますが…



〜ここで1度休憩させて頂きます お飲み物でもどうぞ〜
