シニア向けコミュニティ STAGE ステージ
50歳未満お断り! 紳士と淑女の知的コミュニティ (シニア向けコミュニティ STAGE ステージ) http://www.stage007.com

ご訪問下さいまして ありがとうございます (*^_^*)
この繋がりを 後半人生の大切な宝にしたいと思います



★★★ 夢ブログ『なにわ夢便り』(歴史や新旧名所・旧跡のご案内ブログ) ★★★
     ライフワークのつもりで随時更新しています、是非お読み下さいませm(__)m
     (リンク集のタイトルをクリックして下さい)

私は さくら  [2008年04月13日(日) ]
今年も たくさんのお人が 私の処に来られました。
各地の仲間も申しておりますが…最近は中高年のお姿が目立ちます。
日本のお年寄りも長生きになり 余裕が出来たのでございましょう、
平和で結構な御世になりました…。    
大阪の今年の桜達(写真は拡大して下さい)
私は さくら …春になると…人間の目線が痛く感じます
私の開花を予想して それを求め…愛で…賑やかに繰り出す人々
着飾った私の姿が その手で 絵になり…写真になる…

毎年 そんな波が来て 毎年 そんな波がひく
それでも私は 変わらずに ここに根をはり 動かない

花を飾った 春だけを 特別扱い されるのは 
嫌ではないけど 不思議な感じ
花が咲くのは 自然の摂理 私にとっては 生きる事

花が散っても 私は私 そんな事には 頓着せずに 
私はいつも ここに居て 同じ姿勢の 繰り返し

雨が降り…お日様が出て…数え切れない 夜と朝が 過ぎた…
刀や槍で 足を傷付けられた日もあった
焼夷弾で 腕を焼かれた日もあった

王朝貴族の 豪奢な舞いも 市井のささやかな 宴も見た
私に恋した 戦国武士や 出征兵士も 見送った

私の下で 誰かと出会い 私の下で 誰かと別れ
嬉しい 事も 悲しい 事も 
いっぱい いっぱい 貰ったけれど

それでも私は 変わらずに ここに根をはり 動かない
私はいつも ここに居て 同じ姿勢の 繰り返し

花の盛りは 短いけれど 花が散っても 私は さくら
大阪城の桜と、江戸時代の『浪花百景』に描かれたこの付近(桜宮) 歌川国員・画
私からのお願い
ここ2、3年…私の傍でバーべキューや焼肉をするお人が出てきました。
ここにはそんなお人はおられないと思いますが…この煙や熱で病気になったり寿命が縮んだ木が増え、私の仲間達も悲鳴を上げています。どうか厳禁にお願いいたします。又、シートは私の根の周りから離して敷いて下さいね。

Posted at 05:58  | 雑感  | この記事のURL
コメント(134)  | トラックバック(0)

イラクの現況  [2008年04月01日(火) ]
『イラク取材を終え、無事帰阪しました。3月20日の開戦5年には、幸いにも北イラクで取材を続けることができました。またキルクークの油田に入り込むことができ、改めてこの戦争が石油がらみであることを確信しました…(後略)』
と、西谷氏から帰国報告が入りました。

避難民キャンプの現況や戦争民営化の実態などを含めて撮影した映像とその様子が以下の番組で放映されます(3月下旬も現地中継などのTV放送がありましたので見られた方がいらっしゃるかも分かりませんね?)。

◆ 4月4日朝日放送ムーブ!(関西地方)11日もやる予定です)
◆ 4月9日TBSイブニングニュース(関東地方)(8日になる可能性があります)

(変更の可能性もあります、お確かめ下さいませ。
その他にも打診がありますが、まだ詳細は決まっておりません。)
目の前のお寺の今日の桜、7分咲きです。日本は平和です。

彼が調査し続けてきた『戦争の裏側にある石油と軍需産業の利権の構造、アメリカがイラクにこだわる理由』についても今回は潜入取材の成功で明らかになりましたが、これは放映されるかどうか?疑問です(多分、関西のほうが本音に近い放送になると思いますが…)。

関心のあるお方の為に少しだけ書き添えます
(このブログも公安に目を付けられると言う方もいます)。
軍事の民営化・商業化について
『今回、うまくいけばイラクにおける民間軍事会社(PMC)の実態を取材できるかもしれないという期待を抱いていた。3月20日、ちょうどイラク戦争から5年のその日、彼らはホテルにやってきた(中略)。S氏(イギリスの民間軍事会社「ノース・スター」の社員)は、日本の航空自衛隊が物資を運ぶ、タリル空港に宿泊していた。「広大な基地だよ。基地の中では何でもそろう。エアコンもバッチリで快適さ」。その基地の外では、イラク市民が、エアコンはもちろん、電気も水もなく、恐怖の中で暮らしている。イラク戦争は、歴史上最もアウトソーシングされた戦争だ。このような民間軍事会社の親会社は、ハリバートンやカーライルグループ。ハリバートンはチェイニー副大統領の、そしてカーライルは親子ブッシュの会社である。彼らはこの戦争によって1粒で2度美味しいのである。』

これら軍隊派遣会社に応募してくるのはネパール・インド・他、アジアの貧しい少年達です。彼らは米軍兵士として戦いながらも、死んでも米の戦死人数にはカウントされず、砂漠に投げ捨てられミイラ化しています。

石油について
『メディアが入ることのできない油田を取材できることになった。
キルクーク市内から車で30分、「油田への道」を行くと検問所が。通常ここから先は関係者以外絶対入れないところだ。検問を抜けると、すぐさま「イラク石油警察」がガードにつく。イラク国防軍とは別に、油田だけを警備する「石油警察」がいるとは知らなかった。

検問から車で5分、油の臭いが鼻につきはじめ地面から火が噴出している。ものすごい勢い。近づいて撮影しようとするが、熱くてなかなか近寄れない。本来ならここは「黄金の地」である。これだけの豊富な原油があれば、人々は世界でトップクラスの生活ができるはずだった。ところが歴史は皮肉なもので、この原油があるために、人々は常に大国間の利権争いの渦中に巻き込まれてきた。』


現在の状況
『ブッシュ大統領は「イラクの治安は大幅に改善した」と胸を張った。では、なぜ難民、避難民ともに、その数が増えているのか?
治安は回復していないのである。例えばバグダッドでは、シーア派は東へ逃げ、スンニ派は西へ逃げた。混住する地域から、いわゆる「民族浄化」に近いものが行われ、直接的な殺戮行為が減っただけで、互いの憎しみは深いままなのだ。
通訳モハンマドの叔父は「オマル」という名前のIDカードを持っているだけで殺された。「オマル」という名前は100%スンニ派だからだ。』

『所要で立ち寄ったドバイでは、今日もアラブの富豪たちが、冷房の利いた部屋で株式や原油の動向を調査しながら、投資対象を探している。ハッキリ言って「成金都市」である。世界一ののっぽビル「ブルジドバイ(ドバイの贈り物)」が建設中で、そのビルの周囲は超高層ビルが立ち並ぶ。「まるでニューヨークみたいやね」とタクシーの運転手に言うと、「こちらではこの地区をスモールニューヨークと呼んでいる」とのこと。
7つ星ホテルの最上階からヘリポートが伸び、プライベートビーチの先には、「ザ・ワールド」。海の中に世界地図とそっくりな人口島を浮かべ、そこに別荘を作り、分譲しているのだ。「お前ら、ええかげんにせんかい!」と突っ込みたくなるのは私だけだろうか。

世界一ののっぽビルも、ホテルも、ザ・ワールドも、実際に建設しているのは、アジアからの出稼ぎ労働者だ。その他にもホテルの従業員、タクシーの運転手、各家庭のメイド…。「ドバイに行けばお金が稼げる」と来た彼等の収入は月に800ディルハム(約2万円)で6年契約だという。彼らが6年かけて稼ぐ給料は、7つ星ホテルのロイヤルスイート4泊分に過ぎない。

新自由主義と戦争。強者はますます強くなり、弱者はさらに切り捨てられる。これを理不尽だと思って闘うか、それともあきらめてしまうか。私たちは今、その岐路に立たされている。』

『劣化ウラン弾によると思われる被害についても、さらに認識が深まった。とりわけ、アンマンでであったペニスのない子どもは衝撃的だった。彼はサマワの自衛隊基地から2`のところで出生した。

ウランの粉末は風に乗って飛んでいく。自衛隊だけではなく、今後日本企業も、イラク南部の油田がらみで進出していくだろう。きちんと医学的調査をして、将来に禍根を残さないようにするべきではないだろうか。飛んでくる弾なら避けるすべもあるが、飛沫になって漂うウラン粒子を吸い込まない方法はない。

バグダッドから逃げてきた子どもが2人とも、生まれつき直腸肥大で、人工肛門をつけていたのにも驚いた。遺伝子異常としか言いようがない。父親は「もうイラクでは子どもを生んではいけないんだ」と語っていたのが印象的だった。

劣化ウラン弾を通常兵器と言い張る米軍!その上に新たに神経ガスを使った疑惑も出ている。空爆後にだんだんと神経が麻痺して、重度の障害を抱えるようになった人が多数出ているのは、爆弾との因果関係を疑わざるをえない。

日本での原爆投下直後の情報を一切隠蔽し、ベトナムでは枯葉剤を使い、イラクでは劣化ウラン弾、クラスター爆弾を使い続けた国であるから、「新型神経兵器」を使ったとしても、それは「従来どおりの方針」なのかもしれない…。』


放映のお知らせブログですので、コメントも「見た」だけで結構ですよ
又、以上は西谷氏が何年も取材を続けた事実をそのまま書いただけで、
イデオロギー論ではありません

Posted at 03:49  | 社会の片隅で  | この記事のURL
コメント(118)  | トラックバック(1)

手塚な街  [2008年03月23日(日) ]
〜 手塚治虫の子供時代の足跡を訪ねてみませんか 〜
◆4月6日(日)午前10:30分 
◆阪急宝塚線・曽根駅改札集合(梅田から普通で約15分)
◆コース:
10:30曽根駅発〜萩の寺(東光院)@〜2軒目の手塚邸及び悦子夫人生家跡〜能勢街道〜原田神社A〜手塚治虫資料室〜食事・自由行動(手塚先生馴染みのお寿司屋さん『魚冶』、又は自由に。尚、お弁当ご持参の場合は桜塚公園の満開の桜の下で)
13:30〜能勢街道を豊中駅方面へ〜カトリック豊中教会B〜手塚治虫生家跡〜豊中駅解散15:00(楽な道ですので子供から年配者までどなたでもOKです)
その後希望者は『宝塚市立手塚治虫記念館』へ(入館料400円、豊中駅から電車で約20分)

@萩の寺…『美味しんぼ』モデル・北大路魯山人が建てたマリア観音像があります。この近くに彼の高級料亭・星岡茶寮がありました。(お寺自体は、又の機会(萩の季節)に『なにわ夢便り』で掲載させて頂きます)。
A原田神社…手塚先生が幼年時代に遊んだ場所(684年、天武天皇創建の重要文化財。ここもいつか掲載させて頂きます)
Bカトリック豊中教会…手塚作品『スリル博士』に登場の場所。神父さんのお話もお願いしてあります。

◆主催は岡町商店街『マイブックス』店主の木村勝さん。
お申し込みは直接お電話で… 06-6844-0155
(ルルのブログで知ったと言って下さっても結構です。尚私は別の予定があり、残念ながら行けません

個人の熱意でされている小さな会です。無料(交通費・食事等は各自負担)
木村さん所有のお宝の一部
木村さんは、店の2階の狭いお部屋に(失礼)、手塚漫画と手塚治虫関連のお宝や資料を無料公開していらっしゃいます。そこにある手塚マンガ、他、約600冊も自由に閲覧できます。手塚治虫と故郷・岡町を熱く愛しているお方。
ご自身も手塚ファンですが、蒐集のきっかけはご長男を骨肉腫で亡くされた事。
『息子の闘病中、その喜ぶ顔が見たくて、私は、せっせと彼の好きな手塚マンガを運んだものです。しかし、その甲斐も無く平成4年、20歳という若さでこの世を去ってしまいました。それは、私にとって、本当に辛く寂しいものでした。しかしそれが、やがて、私の中で、ひとつのエネルギーに変わっていきました。そうさせたのは、手塚氏の代表作である「鉄腕アトム」のストーリ・・・・。天馬博士は息子をなくし、その寂しさを紛らわせるためにアトムを作ります。私も、息子をなくしました。私は、アトムは作れないが、息子の愛した手塚作品、その資料室を作ろう。そう思ったのです。』マイブックスのホームページ→http://www.mybooks1928.com/

手塚先生の事はどなたもよくご存知ですので省きますが…
1928年11月3日、大阪府豊能郡豊中町(現・大阪府豊中市)に生まれ幼年期を豊中で過ごしました(現在も親戚の方々が住んでいます)。
その後一家で宝塚市に移り、大阪府立池田師範附属小学校(現・大阪教育大学附属池田小学校)→大阪府立北野中学(現・北野高校)→大阪大学付属医学専門部(現・大阪大学医学部)へと進みます。
25歳で上京し、1989年60歳で亡くなるまで、漫画の神様と崇められ第一線で活躍し続けました。
手塚治虫ワールドHP↓
http://ja-f.tezuka.co.jp/
(楽しいサイトです)


ただのお知らせブログですので、コメントも「了解」などで結構ですよ

Posted at 04:27  | わが町情報  | この記事のURL
コメント(121)  | トラックバック(0)

秋葉系?フェスタ  [2008年03月16日(日) ]
『日本橋(にっぽんばし)ストリートフェスタ2008』
今年は 3月20日(木・祝)13:00〜16:00 です
大阪市のメインストリートの1つである堺筋を歩行者天国にしてくり広げられる、
『見て、触れて体験できる沿道イベント』です(公道ですから勿論無料)。

主なパレードは、
商売繁盛で有名な今宮戎神社(この近くです)の宝恵籠
家電各社による新製品パレード
特撮ヒーロー・ヒロインのアクション
最新ロボットのパフォーマンス 
コスプレパレード  ですが…
他にも(去年実績で)、地元子供達の手作りお神輿のお練、
高校生のダンスパフォーマンスと器楽演奏、商店街の人達の民謡などもあり、
又各会場では、日本橋映画祭、日本橋絵画展、最新ハイエンドオーディオ体験会、家電新製品展示会、高校生ロボコン、他…
時間内では周り切れないほど盛り沢山な催しがあります。

このフェスタの特徴であり面白い処は、主催者側だけでなく来場者もコスプレで来る事です(電車で来る子達は駅で着替えるそうです)。
車道にも歩道にもコスプレの若者が溢れ…ホラホラ〜!
皆さん、アニメの主人公になりきって歩いてはりますわ〜
参考までに、去年撮った写真を大量に?掲載いたします(今年は、当日が友人の舞台のお手伝いの為、私は残念ながら見られません)
《写真は最大まで拡大できます》

娘世代は、「又、家の近所がお宅だらけになるやん〜」と冷やかですが…今や【お宅】のサブカルチャーは日本経済に多大な影響を与えていますね。フランスでは、日本アニメのコスプレ関連が一大市場になり、欧米やアジアでも日本アニメ関連は【OTAKU】で通じるそうです。

『当日の12:00〜17:00頃は、堺筋の日本橋3から恵美須町までは全面車輌通行止になりますので迂回道路をご利用ください。又堺筋の日本橋3〜恵美須町のパーキングチケットはご利用いただくことができません。周辺道路は全て駐車禁止となっています。当日、周辺道路は大変混み合うことが予想されますので、マイカー、自転車でのご来場はご遠慮ください。』との事ですが…、 近所情報を言わせて頂きますと…東の松屋町筋は殆ど混み合わず、又堺筋を2本も東に行きはったらコインパーキング等もありますから大丈夫ですわ〜、自転車で来はるんやったら、1本裏のかなり傍まで行って止められます(内緒やよ〜・笑)。

地下鉄堺筋線と南海阪堺線(チンチン電車)の恵美須町駅すぐ、
   又は地下鉄各線・近鉄・南海・の難波駅南出口歩5分
詳細は日本橋ストリートフェスタ実行委員会 06-6644-0260
URL:http://www.denden-town.or.jp/festa2008/index.html です。
  1分CM→http://www.denden-town.or.jp/mov/festa/4festa_promo.wmv
 開催日に間に合うように書いた唯のお知らせブログですので、
   コメントは『見た』や『了解』のみで結構ですよ〜

Posted at 03:36  | わが町情報  | この記事のURL
コメント(106)  | トラックバック(0)

ONE WORLD Fes.  [2008年02月21日(木) ]
サブタイトルに、
≪感じる・触れ合う・助け合う≫
≪共に生きる世界を作るために一人ひとりができること≫
とあります。
大阪国際交流センター(天王寺区上本町)で年に一度開催される催しで、
今年で15年を迎えました。

NPOから政府関係までの団体が各活動をアピールし、
皆で一緒に考えあい、
今私達1人1人に何が出来るかを言動し合おうという催しです。
今年も娘達のブースが出展させて頂きました。
今年は右のポスターを作りました
冷たい雨にも関わらず沢山の方が来られ、コートを脱いでも汗ばむ熱気!
ご来場を感謝すると共に、
関心を持っている人々が多いのを嬉しく感じました。

これにつきまして、
昨日の朝日新聞に論説がありましたので、1部紹介させて頂きます。


『国際交流の催しは、ともすればお祭り一色のイベントに流れがちだが、
毎年大阪市で開かれる「ワン・ワールド・フェスティバル」は市民団体の活動や論議が印象に残った。
ミャンマーの民主化、在日外国人の差別といった硬いテーマに学生や中高年が熱心に耳を傾けている。企業のCSRの討議会ではビジネスマンの姿が目立った。
関東でも毎年、政府支援を受けた「グローバル・フェスタ」が日比谷公園で行われている。音楽やトークがあり多くの人に親しまれているが、出演者の人気に頼りがちで企業や民間の姿は少ない。
「たとえ来訪者が少なくても、市民活動に参加する人が多くなる場にしたかった。」と事務局長は言う。政府と地元の負担はほぼ半々。2日間のイベントに200人以上の市民ボランティアが集まり、見事なチームワークを見せた。
市民運動を支えるNPO法ができて10年、関西に根づいた草の根のパワーを感じさせられた』

「地道で目立たないけど、ちゃんと見てくれてる人がいるんだね。」
娘と一緒に嬉しく読み、助け合う輪が益々広がってくれる事を祈りました。
♪ 昔 アラブの偉いお坊さんが〜…の、しびれるような?アラブコーヒーも売っていました

手前味噌で恐縮ですが娘達の活動内容です(去年のブログ)。
  興味のあるお方はクリックして下さい
http://salon.stage007.com/header1000011/archive/14/0

Posted at 04:58  | 社会の片隅で  | この記事のURL
コメント(118)  | トラックバック(0)

紀元節は駄目?  [2008年02月12日(火) ]
ご存知のように、神武天皇が即位された日が紀元節(建国記念日)の発祥です。

『東にある大和に都を遷すべき』との啓示を受け、日向から瀬戸内海を経て大阪に着かれ、そこから八咫烏(やたがらす、やたのからす=三本足の鴉)の道案内を得て陸路で大和を目指されます。途中土着の長髄彦(ながすねひこ)の軍勢などを滅ぼしながら到着、橿原の地に御殿(橿原神宮)を建てられ、自ら天皇の御位につかれました。
これが、日本が国として出発したときとし、紀元(皇紀)元年としました。
今年は、それから数えて皇紀2668年となります。
” 生國魂神社(いくたまさん) ”(大阪市天王寺区)
大阪・難波津(なにわづ)に着かれると、まずこの地で、国土の平定・安泰を願い、
大八州(日本列島の事)の御神霊であり国土の守護神である
生島大神(いくしまのおおかみ)足島大神(たるしまのおおかみ)を祀られました。
従って橿原神宮より古い創祀とされています。
太古より海の玄関であった難波津付近は流れが速い難所でした。
天皇は『なんと浪の速い所よ!』と言われ、
これが浪速(なにわ)の名の起源になったと言われています。

「神武」とは死後に送られた称号であり、本名は神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)。紀元前711年に誕生して紀元前660年に即位され、紀元前585年127歳(日本書紀)(古事記では137歳)で崩御、畝傍山東北陵に葬られたと伝えられています。
戦前までは小学校でこの歴史を教えられ国を挙げて紀元節を祝いました。特に昭和15年は神武天皇即位2600年の記念事業が大々的に行われました。
が、戦後GHQによって規制され、@戦後の混乱期に左翼思想の発言権が強まり、昭和22年社会党が選挙で第一党となった時、委員長の片山哲が総理大臣となり、”愛国心”という言葉を排除した。 A神武天皇の建国宣言の「八紘を掩ひて宇とせむこと、また可からずや。あめのしたをおおいて いえと為(せ)むこと、またよからずや。」の「掩八紘而爲宇」が第二次世界大戦中、八紘一宇(はっこういちう)というスローガンになり、これが軍国主義を助長したという考えがある。 Bこれは神話であり科学的根拠がない。神話は天皇の名において過去の軍国主義、帝国主義、を正当化するものであり、憲法の主権在民の原則に反するものである。 C中国・韓国などの近隣国が、天皇史復活は侵略を正当化しようとしていると非難…
などの理由で、現在、神武東征は学校ではタブー視されています。

しかし、右翼・左翼の垣根を越え、日本人のルーツを文学として捉え一知識として学ぶのはいけない事なのでしょうか

ローマ帝国や中国史、インカ帝国など多くの国の建国の歴史はどれも神話的でありますが、各国の学校で教えられています。日本だけ、どうして教えられないのでしょうか

ある外国人が、ローマ帝国やアメリカ建国について語れる教養高い日本人が、
自国の建国を知らないのは不思議であり真の教養ではない、と言っています。


…ま、賛否両論あるとは思いますが…取り合えず思想的なことは別にして〜、
…大好きなお爺ちゃんとお婆ちゃんが亡くなったのが、
年度は違っても偶然にも2月の建国記念日の頃です。
個人的な事を書いて恐縮ではございますが…
祖父母の歌声を懐かしく思い出しながら…夢の中で甘えたいと思います
紀元節の歌←クリックして下さい(著作権消滅でリンクフリーですからご安心下さい)

Posted at 03:03  | 雑感  | この記事のURL
コメント(114)  | トラックバック(0)

事件で足止め  [2008年02月02日(土) ]
2月の声を聞いた途端、事件に遭遇しました。
1日(金)午後7時から、とあるジャーナリスト集団の事務所で実行委員会をして、
続きは居酒屋で〜という事になり、交差点を渡って大阪・梅田のDDハウスへ…。

食べながら、飲みながら…
平和の尊さを語り合い、自分達のやるべき事を語り合い、
口角泡を飛ばす議論で大いに盛り上がる…
「あ、もう11時過ぎたわ〜」
「ほんまや、そろそろ出ようか〜」
帰りの用意をしていると…レジから帰ってきた○○さんの様子がおかしい。
「2階のお店で人が刺されたので、このビルが閉鎖になったらしい!」
「エッ?!」
冗談かと思って聞いていたら、どうやら本当らしい。
「だからお店から出られへん。」
どうしよう…仕方がないとそのまま待っていると…店長さんが来られました。
「警察が包囲しましたので今のうちに出て下さいとの事です。
逃走してるそうですから気を付けてお帰り下さい。ありがとうございました。」
店を出ると、
各階の階段やエスカレーターにロープが張られ警官がたむろしています。
1階に降りると…ビルの周りに人垣が出来ていて…
大勢に見られながら出て行くのは、自分が犯人になったような気持ちでした。
ビルの出口。関係ないのにカメラを向けられ嫌な感じ…
後で聞くと、この報道記者も知り合いだったようです
梅田から最終の地下鉄に乗れたのは幸運だったけれど、
刺された人も、犯人も、その後どうなったのか…
安堵と不安と心配が交差し、複雑な気持ちで帰路につきました。
明日のニュースで詳細が報道されるのかしら?
左→「何や?」 「何があったん?」ビルの中を不安そうに見る人達と、
右→シャッターを下ろした道路から、覆面パト越しに遠巻きに見る人達
夜の街に繰り出す皆々様も、
1度や2度はこんな経験がおありではないでしょうか?

Posted at 04:18  | 雑感  | この記事のURL
コメント(168)  | トラックバック(0)

遅刻の謹賀新年  [2008年01月08日(火) ]
遅まきながら… 謹んで新年のご挨拶を申し上げます

旧年中は稚拙なブログにお付き合い下さいまして、誠にありがとうございました。
本年も なにとぞ宜しくお願い申し上げます。
去年は心外な事や途惑いで悩みましたが…沢山の優しさに励まされ、
的確なご指摘・ご教示に学び心の表裏も見え…大きな人生勉強にもなりました。
新年にあたりまして今一度、心より感謝申し上げます。
漆黒の闇に浮かぶ≪子年元旦未明の四天王寺・五重塔≫  
右の写真は山門
2005年秋に入れて頂きましたSTAGEブログも今年は3年目に入ります。
こんなままでいいのかな?と色々なお方のご意見を勘案いたしました結果…
やはり@『ブログ』とA『夢ブログ・なにわ夢便り』の2本で参加させて頂きたいと存じます。
@見聞した辛さや温かさを見過ごす事が出来ず、自分の楽しみよりも
他人様のお役に立てたり人様の笑顔に出会うほうが嬉しい私…
今年も、社会の片隅で人々の小さな喜怒哀楽と共に言動したいと思っております。
A死ぬ迄の宿題として、戦争や歴史・風習を次世代に伝えたい…と願っております。大阪もご多聞に漏れず地方からの流入組が増え、生粋組の皆々は表面だけの誤解に情けない思いもいたしております。大変僭越ではありますが…動ける内に自分の分かる事だけでも書き残したいと思っております。
又、皆様の土地の事も教えて頂き、お互いのご縁を発見するのも嬉しく感じております。
左→北鐘堂内・除夜の鐘の後は新年開運の鐘も撞きます。中写真→鐘撞き証明書?
右写真→亀ノ池の上の石舞台を越え六時堂の新年護摩供に大勢並んでいます

皆で『生まれて良かった』と思えるような社会が作られば…
大人も子供も『日本の文化はいいな』と思えるような継承が出来れば…

今年も、コメント・ご意見・ご教示の程、どうぞよろしくお願い申し上げます。
又、お越し下さった皆様のブログから学ばせて頂ける事も楽しみにしております。                                 
                                           ルル 拝
≪追記させていただきます≫
人日の節句までは昔の生活で、PCやブログから離れておりました。メールやご挨拶を頂きながら返事が遅くなりました事をお詫び申し上げます。
本日(徹夜で書いていますので昨日になりますね〜)いつも通りに七草の歌を口ずさみながらお粥を作り、松の内の殆どが終わりました。今日は正月事納め、後は十日戎、鏡開きと続き…、小正月に我が家は小豆粥ではなく、小豆で甘〜いお善哉をたっぷり作り大好きなお餅と頂きます〜

Posted at 05:39  | その他  | この記事のURL
コメント(185)  | トラックバック(0)

炭小屋から実況中継!  [2007年12月14日(金) ]
「皆様おはようございます〜。
ワタクシは今、お江戸は本所、松坂町の吉良邸におります。
現在、元禄15年(1702)12月15日の午前5時半頃でしょうか…、
雪明りがあるもののまだ外は暗く、夜明け前でございます。
昨夜勃発しました播州赤穂浅野家の家来達との攻防戦は今も続いております〜。

町方で賭けが流行り出したのは去年の8月、吉良様が呉服橋のお屋敷をお上に返しここ本所に移った頃ですね…川向こうなので赤穂も仇討ちがしやすくなったというので、《今月は仇討ちあり》と《なし》に百文、二百文と皆が賭け始め…1年余りはもっぱらその話題で盛り上がっておりました。人の運命やその必死の生き方をおもしろ道具にする世間のさもしさは、この時代も変わらないようでございます。」
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
「さてワタクシ、たった今戦闘を潜り抜け、御勝手台所横の炭小屋兼物置への潜入に成功いたしました!
赤穂の浪士達が血眼で捜している吉良のお殿様とその近臣達がいるではありませんか!
奥中央には吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)様と側室のお吟様。周りを、御女中頭のお三様とおしの、おしんの御女中。あの二刀流の清水一学(しみずいちがく)、大須賀冶部右衛門(おおすがじぶえもん)、榊原平左衛門(さかきばらへいざえもん)、それに茶坊主の牧野春斎(まきのしゅんさい)が固めています。全員で9名になりますね。

板壁板敷きの狭くて寒い場所、老齢のお殿様には少し可愛そうな気もいたします。戸口のすぐ左の板壁に炭俵が3俵ほど並び、奥に塗りの剥げた長持が3棹。右手の板壁は天井までの作り付けの棚で、そこにお茶碗、吸物椀、小皿、小鉢、高足膳、箱膳、菓子鉢に扇面皿、土瓶蒸しや杉八寸の折敷もぎっしりと収納されています。中でも紐付き桐箱が目に付きます、茶道に精通した上野介様の高価な茶道具に違いありません。」
写真上→左は吉良とお吟。右はお三とお女中2人、右端にお犬様が見える
下→左からお三、御女中達、一学他、真ん中はお吟。右は御女中、春斎、一学、他

「先程から身の振り方を議論中です。少し聞いて見ましょう〜」
ルル: 浅野様が切りつけた時、吉岡流小太刀免許皆伝の吉良様が、何故刀をお抜きにならなかったのですか?

一 学: 怪しいやつ、殿に直接ものを申し上げるとは何事じゃ!(と刀を抜く)

ルル: キャー、ごめんなさい〜!怪しい者ではございませぬ〜。
300年後の上方から真実を探りに参りました〜
(一学はん、恐いけどカッコええなぁ〜)。

上野介: 一学、構わぬ構わぬ。
武士の心得、脇差にさっと手が行った、が、手が柄に触れた時、頭に3つ閃いた。
1つ、喧嘩両成敗は家康(ごんげん)様以来の御大法。抜けば吉良が潰される、家来に迷惑がかかる。2つ、帝の御使を機嫌よう京へお帰ししなければならぬ。
3つ、将軍と帝のご交際に欠かせぬ礼儀作法を伝えぬうちは死に切れぬ。
この3忠義が脇差を抜かせなかった。

(さすが〜。かんしゃく持ちの浅野はんとは大違いや、ご立派なお心掛けです。)

上野介: 大事なお役目の者が大事な日に大事な場所で大事なお方の見えられる寸前、おもてなしの指南役であるこの上野介に切りつけ、栄えの日の晴れの場を血で汚したのだ。お上のお腹立ちは当然ではないか。浅野はおのれ自身の科によって罰せられたのだ。なのに大石は何故わしを仇と呼ぶ?

ルル: えーっと…お殿様が、浅野様に嘘を教えたり意地悪く当っていたという噂がありますが…?

お 吟: このうつけ者めが〜!
いかに意地悪い大工の棟梁でも、見習いに嘘や意地悪は申すまい。
申せば後の面倒は棟梁にかかってくる。世間はそれくらいの理屈も分らぬのか。

(はーっ!お説ごもっともで〜)

お 三: 浅野は生来短気な上に逆上する病持ちである事は、家老の大石も分
っていた。が、主君に思慮分別を根気よく説く事を怠っていたのだ。
大石こそ家老の役目を全う出来なかった不忠者。自分達の不備を棚に上げてご隠居さまに逆恨みとは…あー情けない、真っ当な武士の仕草ではないぞ。


上野介: 今度は上野介から問うぞ。大勢で徒党を組む、これは罪か否か?

一 学: ハッ、申し上げるまでも無く、徒党を結ぶは武家諸法度を踏みにじる大逆罪にございます。

上野介: お上の御府内を白羽かかげてまかり通る、これは?

一 学; 同じく大逆罪にございます。

上野介: となると大石らを待つものは?

春 斎: 大逆の騒動、赤穂一党を待ち受けているのは死しかございません。

上野介: その死で大石は何を得るというのだ。わしの白髪首を取れば美名を残し御家が再興されるのか?

一 学: いいえ、御家再興は断じて許されませぬ。

上野介: ふむ…そうなると…、読めたぞ…大石の心底が読めてきた!

一 同: ?????????

上野介: この仇討ちはお上への挑戦じゃ。この上野介の首は大逆隠しよ。大石の真意は…お上のなされ方万端に対して、弓引き楯突き挑みかかることにある。

ルル: お上のなされ方万端でございますか?

上野介: その安易な、その場限りのなされ方よ。その反省なきなされ方よ。
おのが安直な裁決を改める方法があったにも拘わらず、この上野介を罰する事も浅野家を再興させる事もせず、おのが非を認めようとはしない…。


上野介: (見えない相手を見据えるような目で)大石ー!
わしも死武者となってこの騒動を立派な美談に変えようぞ〜!
勝手知ったる場所、逃げ通すのは簡単だが、それでは大石の真意が歴史の谷間の埋め草捨て石として埋もれ果ててしまおうぞ。…わしも大石と組んでお上に挑むぞ…。この仇討ちは歴史のてっぺんでいつまでも光る。末代までの語り草になって大石の真意が埋もれずにすむ。


お 三: ただしご隠居様は末代まで仇役として憎まれ続ける事になりますよ。

上野介: 憎たらしい悪役なしではいい話は成り立つまい。
    …いつか誰かが…今の心を読み取ってくれるやも知れぬ…


一 同: 殿ー!お殿様ー!ご隠居様ぁー!出てはなりませぬ!

お 吟: 生きていて下さいまし。やはり生き延びて下さいまし!
それが何よりの、お上と世間との腐れ合いへの意趣返し…!
その為ならお吟は五臓六腑も吐き出します。
鉄の熱湯でも見事に喉を通して見せます!


上野介: お吟、上野介の一分、わしの真面目、それを立て貫かせてくれ!
なに、死ぬには稽古もいらぬ、修行もいらぬ。
熟練がいるのは生きることについてだけじゃ。
(微笑みながら)お吟、桃の花咲く村で茶でも立てて待っていようぞ。
…さあー!上野介はこれより生きにいくぞ!


(戸を開けると夜が明けたのか…眩しい光が…
ア〜ッ!呼子笛が1つ、2つと鳴り出し…その音は20、30にも達しました…
『吉良様の真の武士道、私がきっと後世の人に伝えますからね〜!』
後追いの懐剣を喉に当てた瞬間、一学らに止められ茫然自失するお吟
そこに朝の光がまぶしく流れ込む。。。

上記は、井上ひさし作「犬の仇討」より1部抜粋、加筆いたしました。
写真は、同作品を幣劇団で上演した分です。お吟役が私です。

Posted at 03:51  | その他  | この記事のURL
コメント(153)  | トラックバック(0)

恐ろしい爆弾  [2007年11月29日(木) ]
昨日、「イラクの子供を救う会」の例会で
西谷氏からの現地報告と勉強会がありました。
イラクの事は日本では段々報道されなくなっていますが、
今も現地では毎日多くの人が殺され、
特に子供達は劣化ウラン弾とクラスター爆弾の影響を受け、
難病が益々増え続けています。

『劣化ウラン弾』は、戦車用の武器として開発されアメリカは主に空爆で使用しました。‘91年の湾岸戦争で初めて使用され、その効果は絶大で当時のフセインの戦車はひとたまりもなく次々に爆破されました。劣化ウラン弾は爆発する際にウランが燃え上がり粉々になって周囲に飛散します。それが砂嵐に乗って町や畑に飛来し人の胃や肺に入ってじわじわと身体を侵していきます。親から子への2次感染が起こり、特に抵抗力のない子供達の癌が急増しています。
劣化ウランは謂わば核のゴミですからゴミ同様安くて捨てる程あり、しかも廃棄が難しいですので、爆弾にして捨てれば一石二鳥という訳です。湾岸戦争の後半、国連人権小委員会で「(後遺症を残す)劣化ウラン弾使用禁止決議」が裁決されましたが、賛成15、反対1(アメリカのみ)で、情けない事に日本は「保留」との回答でした。又、使用禁止の結論が出てからも、アメリカはその後のコソボ、アフガン、再びイラクで連続使用しています。

『クラスター爆弾』は、図のように親爆弾の中に沢山の子爆弾が入っている物です(クラスターとは「ブドウの房」という意味)。
戦闘機から放たれた親爆弾が空中で爆発し、四方八方に飛び散った子爆弾が地面に当って爆発。周囲の人達は子爆弾から飛び散る破片で殺され、又は大怪我をします。
この子爆弾の20%〜40%には落下傘が付いています。それは、わざとふわふわと地面に辿り着かせ不発弾にする為です。全部爆発させるとそこにレジスタンスが入って来て、怪我人を運び出し次の戦いに備えるかも知れません。不発弾がその付近に転がっていたら…レジスタンスは危なくて近づけませんし怪我人救助も出来ません…つまり、わざと不発弾を落とす事によって「人も場所も殺す」事が出来るのです。又戦闘が終っても不発弾を掃除して帰る事はしませんから、知らずに踏んだ人が死んで生きます。特に子供達は外で遊ぶ時にやられます。
どちらにしても何と惨い武器なのでしょうか…。
       左≪劣化ウラン弾≫  右≪クラスター爆弾≫ (拡大して下さい)

日本では今や報道機関もあまり行かなくなったイラクの現状。
西谷氏は、明日国会で説明する機会を得ました。
「テロ特措法とイラク特措法を廃止する為に取材ビデオも回して頑張ってくるわ!」
と言いましたが、果たして聴いて貰えるのでしょうか…

彼が報道した映像、東京では政府のチェックが入ってかなり削られたようです。
大阪は「ムーブ」のプロデューサーが真剣に受け止め同志的に力を入れていまし
たが、この度、上層部が政府機関から注意を受け他へ飛ばされました。
そんな中11月26日、
関西電力高浜原発でプルサーマル計画の再開準備が発表されました。
国は、10年後までに全国の原発約18基で
プルサーマル計画を実施する方針を崩していません。
アメリカ頼みのこの国は、一体何処へ向かうと言うのでしょうか?

Posted at 02:32  | 社会の片隅で  | この記事のURL
コメント(102)  | トラックバック(0)

<< 2008年08月 >>
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
最新コメント