≪今回の文は全て愚娘(愚息があってどうして愚娘は使わないの?この場合は豚児かな?)
のレポートより部分抜粋、親子なので著作権OK?≫大幅にカットしましたが長くなりすみません。
≪はじめに(キッカケ)≫
現地の学校で日本語や日本文化を紹介する交流研修に参加していた学生がたまたまキャッチボールをしたところ、各地で物珍しそうに近づく人の輪が出来、ネパールでは野球が一般的に知られていないことがわかった。
ゼミの教授から、野球も交流の道具に考えてみてはどうかとのアドバイスがあり、この言葉から「ネパール野球交流活動」が始まった。
今ではネパール側の学校やNGOもこれを受け入れ、ネパール・日本・双方がオリンピック出場を夢に、少しずつ進んでいる。
私は何度かネパールを訪れ、日本でもこれに関する活動を行ってきたが、
活動が続けられるにつれ、様々な問題が起こるようになった。≪国の問題≫
ネパールには法律的には禁止されているものの、カースト制度が強く残っており、苗字をみれば誰がどのカーストかだいたい分る。元々産業や貿易を持たない国であり、経済的に貧しい上、カースト制度による際立った貧富の差がある。児童労働も多く行われている中、人々の関心事はお金であり、安定した生活である。
スポーツが教育に取り込まれておらず、1部の私学を除いては、体育の授業も運動会も部活もない。
野球を始めた生徒達はその魅力に魅せられ、「とても楽しい」「続けたい」と目を輝かせ、選手になる夢を持つ子もいるのに、半年後にいくとその生徒がいなくなっている事がある。他の生徒に聞くと「家を手伝わないといけない」「転校した」「勉強が忙しい」など。
大人達にしてみれば、お金にもならないスポーツに精を出しているより、勉強して良い仕事に就き良い給料を貰う事のほうが大事なのである。
中には息子が野球をする事に寛容な親もいるが、彼等も心の中では、いつか日本側が野球で生計を立てられる環境を創ってくれる事を待っているのである。≪活動のつまずき≫
問題が生じた最大の原因は、大学の研修旅行として始まっただけの活動であるにも関わらず、日本とネパールが援助国と被援助国という関係を創りだしてしまったことである。
現在、世界で最も貧しい国の一つであるといわれるネパールでは、これまでに数々の援助、協力が行われている。そのためネパールの人々はその行為に慣れてしまい、無意識のうちに完全な受身状態になってしまっていることがその原因の一つであると考えられた。
そこで、なぜ交流として行われる私達の活動でもこのような関係が出来上がってしまったのか、また、ネパール側が受身になってしまったのだとすれば、ネパールの人たちがもっと自立できるようになるためにどのような協力ができるのかを考察した。(このように相手の自立の為と考えている私自身、本当に対等に相手を見ることが出来ているのかも疑問である。)
日本の学生達はネパールに野球道具が無い事を知り、日本で集め、そのまま彼等に与える事から始まった。道具は使用すると当然痛むのであるが、その修理に必要な物は紐1本でさえ日本にしかない。
日本も経済大国になる前は、開発途上国と呼ばれる国々と同じくらい物資がない時代を経験している。野球も、布を縫い合わせたグローブと棒切れのバットから今の立派な道具が出来上がった。
創造することには段階が必要であり、また、それぞれの国にはそれぞれの文化がある。その土地で他国のものを根付かせるためには、多少形を変える必要もあるのではないだろうか。先進国は性能の良い物を与えたほうが利便性があると考えるかも知れないが、それは勘違いである。自国の既製品を持ち込むことが協力と呼べるのか、もう一度考え直す必要があるようだ。
ネパールでは、学校や病院などの建物も援助国によって多く造られている。出来上がってすぐの頃は現地の人は喜び活用するのだが、何年後かに訪れると、学校には生徒も先生もおらず、病院には医師がおらず、一般人のアパートになっていたりする。これを見て、援助国側は彼らの自立性、持続性のなさに腹を立てることがしばしばある。しかし被援助国側にすれば、援助国側が造った建物を維持する技術を自分たちは持っておらず、機能しなくなった病院などは廃墟であり、病院としては廃墟であっても立派な建造物であるから住居にしたいと思うのは当然なのである。
自立性のなさを責めるのではなく、なぜ自立性がないのか、自立心を持ってもらうためにはどうすれば良いかをもっと早く考えるべきであった。
私達も、現地の生徒と一緒にグローブの紐の通し方を勉強したり、ネパールにある材料を使ってベースを作ることを考えたりしたが、それを彼らに示すことによって、彼らから道具を作るための提案が出るなど、自立を感じさせる行動を見ることができた。
もし自国の既製品を持ち込んでしまった場合に援助国側が行わなければならないのは、その物品の使用法、修理法、応用方法等を完璧に示す事である。さらに修繕などに必要な物や道具が現地で調達できない場合には、同じ機能を持つ代用品を現地材料で作りその過程をも彼等に示す義務がある。現地の人と力を合わせ考える過程で、相手の自立性も高まり持続性も期待できるのではないだろうか。≪結論≫
現存する活動は全て双方が対等の立場で行える可能性を持っているはずであり、これはNGOなどの草の根レベルの活動に留まらず、政府、ODAにも言える事である。
しかし、その可能性を形にするためには、協力活動に参加する一人一人が、相手国の自立ということについて考え直す必要がある。
そして疑問を持った多くの国民が協力の意味をもう一度考え、政府、民間に関わらず対等の立場での協働活動が行われるようになった時こそ、日本が本当に国際協力のトップ・ドナーとなれるのであろう。
しかし彼女は政府関係にも企業にも就職せず、バイトのお金を貯めては活動資金に充てている。
「緒方さんも上からの視察ではなく、同じ目線で協働し考えてほしい」と厳しい意見
のレポートより部分抜粋、親子なので著作権OK?≫大幅にカットしましたが長くなりすみません。
≪はじめに(キッカケ)≫
現地の学校で日本語や日本文化を紹介する交流研修に参加していた学生がたまたまキャッチボールをしたところ、各地で物珍しそうに近づく人の輪が出来、ネパールでは野球が一般的に知られていないことがわかった。
ゼミの教授から、野球も交流の道具に考えてみてはどうかとのアドバイスがあり、この言葉から「ネパール野球交流活動」が始まった。
今ではネパール側の学校やNGOもこれを受け入れ、ネパール・日本・双方がオリンピック出場を夢に、少しずつ進んでいる。
私は何度かネパールを訪れ、日本でもこれに関する活動を行ってきたが、
活動が続けられるにつれ、様々な問題が起こるようになった。≪国の問題≫
ネパールには法律的には禁止されているものの、カースト制度が強く残っており、苗字をみれば誰がどのカーストかだいたい分る。元々産業や貿易を持たない国であり、経済的に貧しい上、カースト制度による際立った貧富の差がある。児童労働も多く行われている中、人々の関心事はお金であり、安定した生活である。
スポーツが教育に取り込まれておらず、1部の私学を除いては、体育の授業も運動会も部活もない。
野球を始めた生徒達はその魅力に魅せられ、「とても楽しい」「続けたい」と目を輝かせ、選手になる夢を持つ子もいるのに、半年後にいくとその生徒がいなくなっている事がある。他の生徒に聞くと「家を手伝わないといけない」「転校した」「勉強が忙しい」など。
大人達にしてみれば、お金にもならないスポーツに精を出しているより、勉強して良い仕事に就き良い給料を貰う事のほうが大事なのである。
中には息子が野球をする事に寛容な親もいるが、彼等も心の中では、いつか日本側が野球で生計を立てられる環境を創ってくれる事を待っているのである。≪活動のつまずき≫
問題が生じた最大の原因は、大学の研修旅行として始まっただけの活動であるにも関わらず、日本とネパールが援助国と被援助国という関係を創りだしてしまったことである。
現在、世界で最も貧しい国の一つであるといわれるネパールでは、これまでに数々の援助、協力が行われている。そのためネパールの人々はその行為に慣れてしまい、無意識のうちに完全な受身状態になってしまっていることがその原因の一つであると考えられた。
そこで、なぜ交流として行われる私達の活動でもこのような関係が出来上がってしまったのか、また、ネパール側が受身になってしまったのだとすれば、ネパールの人たちがもっと自立できるようになるためにどのような協力ができるのかを考察した。(このように相手の自立の為と考えている私自身、本当に対等に相手を見ることが出来ているのかも疑問である。)
ネパールの子供達が作った旗
≪経過≫日本の学生達はネパールに野球道具が無い事を知り、日本で集め、そのまま彼等に与える事から始まった。道具は使用すると当然痛むのであるが、その修理に必要な物は紐1本でさえ日本にしかない。
日本も経済大国になる前は、開発途上国と呼ばれる国々と同じくらい物資がない時代を経験している。野球も、布を縫い合わせたグローブと棒切れのバットから今の立派な道具が出来上がった。
創造することには段階が必要であり、また、それぞれの国にはそれぞれの文化がある。その土地で他国のものを根付かせるためには、多少形を変える必要もあるのではないだろうか。先進国は性能の良い物を与えたほうが利便性があると考えるかも知れないが、それは勘違いである。自国の既製品を持ち込むことが協力と呼べるのか、もう一度考え直す必要があるようだ。
ネパールでは、学校や病院などの建物も援助国によって多く造られている。出来上がってすぐの頃は現地の人は喜び活用するのだが、何年後かに訪れると、学校には生徒も先生もおらず、病院には医師がおらず、一般人のアパートになっていたりする。これを見て、援助国側は彼らの自立性、持続性のなさに腹を立てることがしばしばある。しかし被援助国側にすれば、援助国側が造った建物を維持する技術を自分たちは持っておらず、機能しなくなった病院などは廃墟であり、病院としては廃墟であっても立派な建造物であるから住居にしたいと思うのは当然なのである。
自立性のなさを責めるのではなく、なぜ自立性がないのか、自立心を持ってもらうためにはどうすれば良いかをもっと早く考えるべきであった。
私達も、現地の生徒と一緒にグローブの紐の通し方を勉強したり、ネパールにある材料を使ってベースを作ることを考えたりしたが、それを彼らに示すことによって、彼らから道具を作るための提案が出るなど、自立を感じさせる行動を見ることができた。
もし自国の既製品を持ち込んでしまった場合に援助国側が行わなければならないのは、その物品の使用法、修理法、応用方法等を完璧に示す事である。さらに修繕などに必要な物や道具が現地で調達できない場合には、同じ機能を持つ代用品を現地材料で作りその過程をも彼等に示す義務がある。現地の人と力を合わせ考える過程で、相手の自立性も高まり持続性も期待できるのではないだろうか。≪結論≫
現存する活動は全て双方が対等の立場で行える可能性を持っているはずであり、これはNGOなどの草の根レベルの活動に留まらず、政府、ODAにも言える事である。
しかし、その可能性を形にするためには、協力活動に参加する一人一人が、相手国の自立ということについて考え直す必要がある。
そして疑問を持った多くの国民が協力の意味をもう一度考え、政府、民間に関わらず対等の立場での協働活動が行われるようになった時こそ、日本が本当に国際協力のトップ・ドナーとなれるのであろう。
JICA(国際協力機構)理事長の緒方貞子さん
愚娘のエッセーや日記を表彰し、どこにでも就職できる印籠を下さった方。しかし彼女は政府関係にも企業にも就職せず、バイトのお金を貯めては活動資金に充てている。
「緒方さんも上からの視察ではなく、同じ目線で協働し考えてほしい」と厳しい意見
Posted
at 03:39
| 社会の片隅で
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こんばんは








…複雑な親心ですぅ〜






、

たくさんの方がそれぞれのコメントを書かれて
、若者、中年、高齢者の好みをよくご存知でいらっしゃいます。



みたいに育ってしまって…親としては複雑な所もあるのですよ…

マイド〜! 色々見て下さりありがとうございます〜
今度こそは私から先にお邪魔しようと思っていたのですが…、
やはり忙しくてSTAGEを開ける間がありませんでした
今、へび少女を思い出してしもて…、背中が寒くなっています〜(笑)
>時は流れ、状況はかわる・・なんてたいそうやけど
>またまたパワー復活!待ってるよ
おおきに〜!
パワーは残ってるのだけど…今はそれを実家の両親に使うてるからねぇ…。
はーい! 落ち着いたら、神戸にもブイブイ言わせに行かせて貰います〜
娘の活動…それなりに頑張っているし、世間様は褒めて下さいますが…
母親としては、普通に就職して結婚して孫が欲しいなぁ、とも思います。
お友達の娘さんも、私達から見たら素晴らしいですが、親御さんは複雑かも?
ま、親の私も世間並みが出来ず好き勝手やっているから仕方ないかな?(笑)
今は塀の中?にいるみたいやから(笑)、時々面会?に来て下さいね〜(^^♪
沢山のひまわりに感謝しつつ〜おやすみなさい〜