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★★★ 『なにわ夢便り』(大阪の歴史や新旧名所・旧跡のご案内ブログ) ★★★
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(54)真田幸村戦死の地[2008年05月09日(金) ]
元和元年(慶長20年・1615年)5月7日、
ここ安居神社の松の根元で傷の手当てをしていた真田幸村
(本名・信繁。幸村は諱(いみな)死後その人を尊んで贈る名)は、
松平忠直の家臣・西尾宗次らに不意を付かれて落命しました。

翌5月8日、
豊臣秀頼・淀殿は大坂城内で自害(生き残り説もあり)、
お城が炎上し、天下が新しい地・江戸へと移るのでございます。
同23日、秀頼の子・国松が、僅か8歳のいたいけな身を市中引き回し六条河原で斬首されます。
これによって豊臣家は全て滅亡いたしました。
左→真田幸村戦死の地の碑  右→傷の手当をした真田の松
(写真はどれも拡大できます)
大坂の陣(冬:1614年、夏:1615年)は、戦歴60年・48回に及ぶ家康の合戦の中で、一番困難な戦いでありました。
冬の陣で和解をしたかに見せた家康は、約束を破り夏の陣に突入します(元々彼が、豊臣家の血を絶つ為にイチャモンを付けて仕掛けた戦さですものね…長くなりますのでこの事は又の機会に…)。

徳川勢約20万に迎え討つ豊臣勢は5万、
その内我が真田勢は3千5百でございます〜
少数精鋭の真田隊は大坂城や真田丸(陣)から各所に抜け穴を作り、神出鬼没の猛攻で家康の本陣にまで迫ります。ついに家康の金扇や大馬印が倒され、本陣は大混乱に〜。逃げる家康が「これまでか…」と覚悟を決め腹を切ろうとした処、側近に止められ、何とか思いとどまります。

嗚呼〜、その寸前の一瞬の休息が〜!
幸村様を死に至らせ日本の歴史を変えたのであります。
命日の慰霊式典…宮司さんは弊サークルのお仲間で普段はひょうきんなお方〜♪

実は家康は、前年の冬の陣の時、陰で彼をヘッドハンティングしています。伊達政宗の誇る騎馬鉄砲隊との戦いで一時撤収するも、その堂々とした態度に彼を追う徳川方の武士は一人も無く、「関東勢百万と候え、男はひとりもなく候」と言わせた男・幸村に畏敬をいだき喉から手が出るほど欲しかったのであります。

「10万石で徳川方に付かないか?」
「いいえ、お断り申し上げます!」
「では、信濃一国ではどうじゃ?」
「私は10万石はおろか信濃一国なども欲しくはない。それよりも、自分を助けてくれた豊臣殿の不忠者にはなりたくない!」 
左から…真田幸村の子孫の方、長野県上田市市長、上田城甲冑隊代表(皆様ご来阪お疲れ様です)、右2つは、大阪城甲冑隊代表、大阪真田鉄砲隊・隊長、

さてさて、首実検の会場では、「総大将・家康殿が最も恐れる男・真田幸村の首を取ったら大出世間違いなし!」と絶賛の中、松平忠直と部下の西尾宗次が得意げに座っています。が、それを見た家康は、褒めるどころか「普通ならお前などの相手になるようなお方ではない!」と不快感を示し何の恩賞も与えません(この不満から、松平忠直らは後に騒動を起こす事になります)。
又、武将達は、幸村にあやかろうと、競ってその毛髪を抜き取りお守りにしました。

ガラシャさんの夫・細川忠興も、「さりながら手負ひ候ひて、草臥れ(くたびれ)伏して居られ候を取り候に付、手柄にもならず候」と書き、
島津家の『薩摩日記』には、「真田日本一の兵(ひのもといちのつわもの)、古よりの物語にもこれなき由。徳川方半分敗北。」と書いています。
大阪城・上田城・両甲冑隊の、ご存知!真田の赤備え(上)と、真田鉄砲隊(下)
(信州上田城と大阪城は友好提携を結んでいます)


六文銭は六道銭をあらわし、三途の川の渡し賃。
「旗印の六文銭が三途の川へ渡してくれよう!」と、
死を恐れない証であり「不惜身命」(ふしゃくしんみょう→仏法のために身命をささげて惜しまないこと)を意味します。
因みに、死後に赴く六道とは、地獄・餓鬼・修羅・畜生・人間・天上の六世界で、其々に一文の計六文が必要です。

彼の性格は『ものごと柔和、忍辱にして強からず、ことば少なにして、怒り腹立つことなかりし(「先公実録」)』、『性質屈僻ならず、つねに人に交わるに笑顔多く和せり。絶等離倫、一世の人物、今にいたりて女も童もその名を聞きてその美を知る。(「翁草」)』、『異国は知らず、日本にはためし少なき勇士なり(「山下秘録」)』 等とあり、敵からも慕われた戦国のスパースターで、あの家康が、「来世で一緒に酒を飲み交わしたい人じゃ…」と言ったそうでございます。
(司馬遼太郎、池波正太郎、柴田錬三郎他、多くの本にあり)

友人も入っている大阪城甲冑隊は、安居神社の式典の後、その南側の茶臼山(徳川の本陣があった場所)で400年前と同じ陣を張る合戦パフォーマンスをし、その後一心寺での豊臣方・徳川方・両兵への慰霊祭に出席、そこから天王寺駅に向い駅付近の清掃をして帰ります(脇差の鞘の中身はゴミハサミと清掃用具です〜

Posted at 03:39 | 続・なにわ夢便り      【53〜 】 | この記事のURL
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コメント


★風藤 瞬さま
こんばんは〜 お返事が遅れました、すみません

「歴史秘話」、別の場所で、同じ物を同時に見ていたとは〜
仰せのように…同じセリフが出て来て嬉しかったです。
信州上田出身の幸村さんですが、活躍した大阪では強烈なファンが多く、
大阪人の殆どが彼を慕い心から愛しています。
長野とは深いご縁を感じますので、風藤 瞬さまも同じ感じです。

はい、池の北側の鬱蒼とした森が、仰せの茶臼山です。
昔から古墳説があるのですが、最近の調査では和気清麻呂が川底池を掘った工事の際の残土かも知れないとも言われています。

私のブログを教科書とは畏れ多いですが…
このように関連して見て下さり深く分って下さると嬉しいです。

和泉式部も面白かったですね〜。
この方達と一緒に名を書いて下さるのも畏れ多いですが…私、3人の中では少しオキャンで皮肉屋の清少納言が面白くて好きです〜
Posted by:ルル  at 2009年09月06日(日) 01:59

ルル様

昨日、再放送されたNHKの「歴史秘話」は、真田由幸村を取り上げていました。
ルルさんのこのブログを読んでいたお陰で、良く理解することが出来ました。
「関東勢百万と候え、男はひとりもなく候」と幸村が言う場面など、番組の脚本家は、このルルさんのブログを見て、脚本を書いたのでは?
と疑りたくなります。
グーグルの航空写真を開いたのですが、池の北側の鬱蒼とした森が、
冬の陣では家康、夏の陣では幸村の本陣となった茶臼山なのですね。
池の南側には、料亭阪口楼も見つけました。
早速、ルルさんの阪口楼を見ると、
池の名は、河底池と知れ、
鬱蒼とした森は、茶臼山であり、古墳であった事も分かりました。
本当に、ルルさんのブログは良い教科書です。

本放送の「歴史秘話」は、和泉式部を取り上げていましたが、
才色兼備のルルさんは、和泉式部なのか、紫式部であるのか、それとも清少納言なのでしょうか?



Posted by:風藤 瞬  at 2009年09月03日(木) 21:54

★風藤 瞬さま
>歴史とは、何とミステリアスなのでしょう。
そうですよね〜!こういうお話が出来るのも楽しいですね〜
いつかこのお寺も取り上げて検証したいと思っていますが、
なかなか時間の余裕が無くて…
Posted by:ルル  at 2009年05月09日(土) 03:40

ルル様

>実は家康はこの時に死んでいたという説もあります。大阪・境の南宗寺に家康のお墓があり、徳川秀忠、家光など歴代将軍がお参りに来ている記録があります。で、江戸に居た家康は偽者だったとか?これも興味深い説です…。

そうですか。歴史とは、何とミステリアスなのでしょう。
Posted by:風藤 瞬  at 2009年05月08日(金) 19:37

★風藤 瞬さま
こんばんは〜 お返事が遅くなってすみませんでした
池波正太郎さんのエッセイを読まれているのですか、
池波正太郎さんの展示会も、前に安居神社でやったのですよ。
今年も宮司さんから「幸村祭り」のご連絡を頂きましたが、母の介護で行けませんでした。

仰せのように…私も、当時の幸村の心情は哀れに思います。
>『その時、家康が討たれていれば…』
実は家康はこの時に死んでいたという説もあります。大阪・境の南宗寺に家康のお墓があり、徳川秀忠、家光など歴代将軍がお参りに来ている記録があります。で、江戸に居た家康は偽者だったとか?これも興味深い説です…。

>その家康の言葉を聞けば、幸村もあの世で満足しているでしょう。
>いや今頃、二人仲良く、酌み交わしているかもしれませんね。
そうですね、その会話を想像するのも面白いですね〜
Posted by:ルル  at 2009年05月06日(水) 23:58

ルル様

赤備え3000余を率い、十文字槍をひっさげて先頭に立ち、徳川隊に突入した。ときに幸村は49歳。
という旨が書かれた池波正太郎のエッセイを、今、読んでいます。
それでまた、ルルさんの『真田幸村戦死の地』を開きました。

淀君らに作戦を献策しても、取り上げられず……
それでも、死地に赴くその心情が哀れでなりません。

ルルさんの言われるように、その時、家康が討たれていれば、歴史は変わっていましたよね。

私は関が原以降の家康を好みませんが、

>あの家康が、「来世で一緒に酒を飲み交わしたい人じゃ…」と言ったそうでございます。

やはり、家康は一流の男だったのですね。一流は一流を知っているのですね。
その家康の言葉を聞けば、幸村もあの世で満足しているでしょう。
いや今頃、二人仲良く、酌み交わしているかもしれませんね。
Posted by:風藤 瞬  at 2009年05月03日(日) 23:54

★風藤 瞬さま
こんばんは〜 四天王寺から安居神社へ来て下さったのですね
地理的には徒歩5分も離れていませんが…(笑)

>真田幸村の討たれた地が、菅原道真ゆかりの安居神社だったのですね。
そうなのですよ〜、
我が家の周りは昔からの寺町で関西の歴史の宝庫で、こういうお話が山積みです。この後の(55)には、すぐ目の前のお寺の事も書いています

この安居神社に下さったコメントがすぐ下にありますね〜
これが最初のコメントで、そこに戻ったとは…ホント、不思議な感じですね
Posted by:ルル  at 2008年09月20日(土) 02:35

ルル様

>菅原道真が九州へ流される前に安居した事からその名前が付いています。
>いずれも我が家から徒歩10分以内の場所です

真田幸村の討たれた地が、菅原道真ゆかりの安居神社だったのですね。
私がステ−ジで初めてコメントを寄せたのは、ルルさんのこの記事でした。
一周して、戻ってきた気がします。何か不思議です。
Posted by:風藤 瞬  at 2008年09月19日(金) 21:18

★風藤 瞬さま
こんにちは〜 コメントありがとうございます
奥様のご実家が宮崎ですか、いいですね〜。
近畿道を西へ、又は吹田を南に行けばすぐ大阪市内ですもの、
機会がありましたら、是非いらして下さいませ。

この行事はこれまでも・これからも・続けていかれる事と思います。
家の近所で、神主様ご夫婦も知り合いですので、毎年行きますが、
いつも歴史を感じて感動しています
主に大阪の事を発信していますので、お時間がございましたら、
又色々ご覧下さいませね〜、コメント大歓迎です!お待ちしています〜
Posted by:ルル  at 2008年08月06日(水) 13:23

真田幸村の記事、興味深く読ませていただきました。
戦死した地に、その碑が立っていることを、今、初めて知り、
幾星霜を経た現在も、慰霊祭が行われていることに、
言い知れぬ感動を覚えました。

西名神から近畿道を経て、吹田より中国道を走り、
妻の実家の宮崎まで行ってきたばかりなので(神奈川県在住)、
大阪のルルさんを、身近に感じてしまい、つい、コメントいたした次第です。
Posted by:風藤 瞬  at 2008年08月06日(水) 11:38

★浅間山太郎さま
おはようございます〜 コメントありがとうございます
>「真田幸村」の事,何となく郷土の誇りを覚えました。
郷土でいらっしゃいますか、それは素晴らしいですね〜
九度山に蟄居した時に考案したと言う「真田紐」は、私も使っています
宴会の〆に発声する「お肴」は知りませんでした。
真田十勇士の活躍は、今の世が忘れた本物のかっこ良さがありますよね。
こちらこそ、ありがとうございました〜 

>「ともだち登録」をご承知頂けると嬉しいのですが如何でしょうか。
幸村様や上田城を通じご縁を感じますもの〜、喜んで承知させて頂きます
Posted by:ルル  at 2008年05月19日(月) 05:24

お早うございます。
遅れ馳せながらブログを拝見しました。
「真田幸村」の事,何となく郷土の誇りを覚えました。
ルル様の洗練された内容が一段と身近なものに感じさせてくれました。
今も使用している「真田紐」宴会の〆に発声する「お肴」など結構真田の流れが生きてます。
子供の頃は彼を取り巻く真田十勇士の活躍を痛快に読み漁った事も思い出しました。
「小,大を倒す」の勢いが好きですよ。
六文銭の話も面白かったです。ありがとうございました。

ご迷惑でなっかたら「ともだち登録」をご承知頂けると嬉しいのですが如何でしょうか。
Posted by:浅間山太郎  at 2008年05月18日(日) 08:53

★こずかたさま
こんばんは〜 コメントありがとうございます
[サヨウナラ]をそろそろ終えられるのですか、
読ませて頂いても、中々コメント出来ずに失礼いたしました

>歴史にのめりこんでいくと幽界に入り込んでいきそうな気がしませんか。
うーん、何となく分かるような気がします。
悲しくなったり、腹立たしくなったりする事はありますが、困る程までにはなりません…私はまだまだ考えが浅いのだと思います。今後ともご指導下さいませ
Posted by:ルル  at 2008年05月16日(金) 01:52

★ホワイトローズさま
こんばんは〜 ご足労をお掛けいたしました
ちっとも失礼ではありませんよ
私なんか、しょっちゅう混同や勘違いばかりしていますもの。
幸村のお墓の話、又いつか教えて頂きたいです
Posted by:ルル  at 2008年05月16日(金) 01:41

[サヨウナラ]をそろそろ終えます。

今日もお尋ねいただき有り難うございました。歴史にのめりこんでいくと幽界に入り込んでいきそうな気がしませんか。私は、あちこちに散在する盤碑を読んでいると悲しくなったり、腹立たしくなったりで困ることがあります。では、お知らせまで。
Posted by:こずかた  at 2008年05月16日(金) 01:13

ルルさん

正成と幸村混同いたしましたようで、失礼しました。
このところ。友人から、幸村のお墓の話を聞いたり、なんだか耳にすることが多くありますのに。

Posted by:ホワイトローズ  at 2008年05月15日(木) 23:58

★ひなこさま
こんばんは〜 コメントありがとうございます
そうですよね〜、学生時代の歴史は暗記ばかりで面白くなかったもん〜。
私、歴史には詳しくないですが、年を取ってから歴史好きになりました
学校と違い、自分で調べますと…それぞれの人物が活き活きと甦り、
人として興味深く面白く、ワクワクします。幸村さまには恋もしたかも?(笑)

>真田家はお隣の県の方ですし、我が県にもそのご子息がいらした事があり、
>今も長野県の上田から沼田までの道路をロマンチック街道として、真田家の
>六文銭を目印に飾ったりしているのですが、あまり詳しくはなかったのです。
これでもご縁がありますね〜、嬉しいです
体力は擦り切れそうですが(笑)…、ひなこブルーも見せて頂き、お陰様で何とかやっています。  こちらこそ、いつもありがとうございます
Posted by:ルル  at 2008年05月15日(木) 22:16

ルルさん♪

私も実は歴史、学生時代は苦手でした。年代とか暗記ばかりしなくてはならない教科と想ってしまって・・

ルルさんはとっても歴史にお詳しいのですね。いつも感心しています。
今は私はNHKの大河ドラマを見るくらいですが。
真田幸村はそんなに立派な武将だったとは知りませんでした。(^^ゞ
真田家はお隣の県の方ですし、我が県にもそのご子息がいらした事があり、今も長野県の上田から沼田までの道路をロマンチック街道として、真田家の六文銭を目印に飾ったりしているのですが、あまり詳しくはなかったのです。
ありがとうございます。

もっと歴史を学びなおさなければと思っています。
いつもありがとうございます。元気にしてますか。
Posted by:ひなこ  at 2008年05月15日(木) 15:13

★booさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
そうですね、歴史も日常も、ボタンのかけ方ひとつで変わるものですね。
私などは、何度もボタンを掛け間違っています〜(笑)
真田幸村のような人が今居れば…日本も変わるでしょうね

四川省の地震は、半分人災だと言っていますね…
私達関西人は阪神大震災を体験していますので、見るたびに心が痛みます。

「しっぽのまがったモモ」ですか、タイトルも意味深いですね〜
楽しみにしています〜
Posted by:ルル  at 2008年05月15日(木) 02:58

歴史にあまり興味のなかった私ですが、
ボタンのかけ方ひとつで、やはり変わるものなのですね。
真田幸村、名前だけしか覚えていませんでした。
読ませていただいて、感じ入りました。
こんな人がいまの政治家にいればいいのでしょうに。

それにしてもビルマ、四川省と
人災天災は果てしなくつづきますね。
四川省の被害の甚大さは官僚の腐敗によること大とか。
百年の大計ではなく、
千年の大計を。

あ、それから、
私の絵本のタイトルですが
「しっぽのまがったモモ」。実在のモデルです。
Posted by:boo  at 2008年05月15日(木) 02:44

★長閑さま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
私のほうこそ…遅ればせながら失礼いたしました

子供の頃に「真田十勇士」の紙芝居を自作されたのですか?!
すご〜い!! その頃から絵の才能がおありだったのですね。
『猿飛佐助が幸村ともに関ヶ原の合戦に加わり大活躍し、
最後は九度山へと落ちていくあらすじ…』
面白そうですね〜  今も残っているのでしたら、いつか拝見したいです
Posted by:ルル  at 2008年05月15日(木) 02:26

★中野ふわさま
こんばんは〜 訂正も含め2回ものコメントありがとうございます
真田幸村が大好きなのですか、私もです〜
あの時代に迷彩色の甲冑ってあったのかな?(笑) 

仰せの通り、戦国武将としては、インパクト最大級ですね。
『真田幸村の謀略』は見たことがありませんが、火野正平も昔からのファンなので見たかったなぁ〜  又ツタヤでも探してみます〜。

ラーメンは雪村でしたか、では真田幸村と関係ないようですね
笹沢佐保さんの本は渋いですね〜
Posted by:ルル  at 2008年05月15日(木) 02:13

訂正しま〜す。
幸村ラーメンではなく、ゆきむらラーメン。漢字で書くと、雪村のようでした。

真田幸村ものでは、故笹沢佐保(木枯し紋次郎の作者)さんの、真田十勇士(光文社)が読みやすくて読んだものです。

でわでわ。
Posted by:中野ふわ  at 2008年05月14日(水) 23:09

遅ればせながら・・
ルルさん よくぞ真田幸村を取り上げてくださいましたね。

実は私子供の頃 紙芝居を自作して友達に観てもらうのが好きでよく作っていました。
その中のひとつに「真田十勇士」があります。今も古いトランクの中に残っています。真田・・と聞くだけでわくわくします。

猿飛佐助を主人公にした物語です。
戸隠山で仙人に忍術の修行を受けた佐助が ひょんなことから真田幸村の家来となり真田十勇士の一人として 豊臣方についた幸村と共に関が原の合戦に加わり
大活躍をするのです。しかし戦い敗れた幸村について九度山へと落ちていくというあらすじでした。
Posted by:長閑  at 2008年05月14日(水) 23:03

ルルさんへ
私、真田幸村大好き。紅い甲冑がいいですよね。……でもでも、実戦では余計に目立って危ないんじゃ……。迷彩色の方がよかったのでわ……。

戦国武将としては、インパクト最大級ですよね。
「我こそは!真田幸村なりぃ」(真田幸村の謀略)という映画も見たことある。
『真田幸村の謀略』では、火野正平が穴山役で出ていた。何か別のテレビ映画か何かで、火野正平が幸村そのものをやっていたように思うんですけど……。戦場の平地で戦死する役。ああ、昔の映画です。

ところで、茨城県の龍ヶ崎のさらに東の方に行きますと、幸村ラーメンというラーメンのチェーン店があるんですけど。べつに真田幸村がいるわけでもなく、普通の郊外型ラーメンのチェーン店でした。

Posted by:中野ふわ  at 2008年05月14日(水) 23:01

★賢さま
ご追伸、おおきに〜
ホント、凄い確立ですね。
甲冑マニアの自転車屋さんは完全なオタクですが、
バッティングセンター回りの彼は、現役の新聞記者でもあるのですよ。
わたくしめ?! ただの遊び人だけやもん、何も持ってまへん〜(笑)
Posted by:ルル  at 2008年05月14日(水) 13:36

★mikoさま
こんにちは〜 いつもありがとうございます
まぁ!感銘だなんて〜お世辞であっても、お言葉が嬉しいです〜
六文銭〜私も、深い意味はこの歳で知りました。
真田幸村も日舞になりそうですよね〜
Posted by:ルル  at 2008年05月14日(水) 13:15

★出臍、さま
こんにちは〜 お久し振りです
お顔を見ないと思っていましたら…大変な事でしたね…。

>真田幸村は生き方がステキです。真の勇者でしょうね。
そうですよね〜、
真田十勇士などで少々デフォルメされているとは思いますが、やはり憧れます
はい、これからもお越しをお待ちしています〜
Posted by:ルル  at 2008年05月14日(水) 13:00

★hokkaさま
こんにちは〜 いつもありがとうございます
調べる段階から構成や文章まで評価して頂き、恐縮しています
稚拙なブログを…温かく詳しく見て下さり、とても嬉しいです〜

歴史は面白いですよね〜!
若い時は暗記だけで、生きた歴史をあまり教えて貰った覚えが無いのですが…、
自ら本や資料で調べると、裏話やエピソードが沢山出てきて興味深いですね〜、
その上、見識のある方々のコメントやご教示を頂き、益々楽しくなります
こちらこそ、ありがとうございます。今後とも宜しくお願いいたします
Posted by:ルル  at 2008年05月14日(水) 12:31

おはよう。

追伸

『近所の自転車屋さんのご主人』見ました見ました。
再放送含めて2回も。
以前にもバッティングセンター回りの方もご友人でしたね。
※僕が見る番組は限られているので凄い確率ですね。

ルル様もそろそろ出演されるのではないですか。
Posted by:  at 2008年05月14日(水) 07:43

 今晩は〜読み応えのある文章の素晴らしさに、感銘いたしました。
 六文銭〜三途の川の渡し銭と教えられ持たせましたが・・・深い意味をこの歳で知りました。

 
 
Posted by:miko  at 2008年05月13日(火) 22:20

今晩は。お久しぶりです。
真田幸村は生き方がステキです。真の勇者でしょうね。
何時も楽しく読ませた戴いています。
Posted by:出臍、  at 2008年05月13日(火) 19:59

ルルさま。こんにちは。
前回の四天王寺の行事の時も、感心させられましたが、今回にも驚きました。好きだから出来るっておっしゃられていますが、どうしてどうして、これだけのことを綿密に調べて、読みやすいように考えて文章としてまとめる、大変なことです。
私は歴史、ものすごく興味があるのですが、こうした体系的というか、枠組みでの理解は余り出来ません。ですから、こうした文読ませていただくと、目から鱗というか、そういったことだったのかと、理解できます。
そして、そのあとの皆さんの反応、これもまた面白いし、為になることばかり。
これからもいろいろ教えて下さい。
ありがとうございます。
Posted by:hokka  at 2008年05月13日(火) 09:43

★グランパさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
はい、えらい昔の話ですね…
その時代に、ヘッドハンテイングって言葉を使うのは変ですね?(笑)
集中力、私もありませんよ〜、年と共に段々無くなってきてますわ〜

六文銭の事、是非九度山の皆様に聞いてみて下さいね〜
Posted by:ルル  at 2008年05月13日(火) 02:58

★遊歩さま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
そんな小さな時に「少年講談」を読んでいらしたのですか、
それは小母さんが褒められるのも当然でしょうね〜
残念ながら、私はまだ読んだ事がありません

愛宕山の「出世の石段」…又いつか、東京散策でご紹介頂きたいです〜
Posted by:ルル  at 2008年05月13日(火) 02:44

★ほほさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
はい、一心寺さんは宗教に関係なく祀ってくれますよ
又、其々のお方のお骨を一緒にしてお骨仏様を作り、
どなたにも差別無く、毎日一緒にお念仏をあげて下さいます。
大坂の陣の戦死者も敵味方関係なく供養されていて…とても良いと思います
Posted by:ルル  at 2008年05月13日(火) 01:50

★花よりケーキさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
家康も認めた幸村様って、女性から見ても魅力がありますよね
仰せのように、この辺りの事は面白く興味深いですね。
はい、ガラシャ夫人の事もいつか取り上げさせて頂きますね〜
彼女の史跡や細川家の屋敷跡も自転車で行ける所にありますが、
とにかく住んでいる地域が史跡だらけで…まだそこ迄手が回りません〜(笑)
Posted by:ルル  at 2008年05月13日(火) 01:37

★kawayanさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
kawayanさまも、真田十勇士と共に記憶されているのですね
やはり男の子には人気があったのですね〜。
首を切られての絶命、本当に、戦いとはいえ残念なことです。
>ここまでするか!、と思ってしまいますが非情なことです。
家康は、豊臣家が相当の脅威だったのでしょうね〜、豊臣の男子の血は全て絶っています。『勝てば官軍』…仰せの通り、昔も今も変わりませんね…
Posted by:ルル  at 2008年05月13日(火) 01:27

ルルさま、こんばんは〜

ほんとに詳しいですし、えらい昔の話で、読んでると400年前、、、

そんな昔に、「ヘッドハンテイング」ってルルさんらしい。(笑う)

読んでる内に最初の文が忘れます(笑う)もうルルさん、ほんと集中力の無い事辛いですわ!

そうか!これで、6文銭の意味が判ったデス。有難う!

今度九度山に言って「6文銭」の意味知ってるって聞くね。
Posted by:グランパ  at 2008年05月12日(月) 20:04

ルルさんへ、「少年講談」のこと。
記憶ですがまだ集団疎開へ行く前の頃、友達の家に行ってはこれを読んでいまして、友達の小母さんから「○チャンは本が好きなのねぇ」と褒められていました

未だに覚えているのが「真田幸村」「寛永三馬術」で、特に「寛永三馬術」の愛宕山(東京・芝)へ馬で登り、頂上の梅の小枝を持ってきて献上(誰に献上かは記憶にありません)したというお話し。
蛇足ですが、今でもこの石段を「出世の石段」と呼ばれている という一席のお粗末・・・
Posted by:遊歩  at 2008年05月12日(月) 18:47

「一心寺」って、宗教に関係なく祀ってくれる共同のお墓があるというお寺ですか?
友人に聞いたのをチラッと思い出しました。
個人的にお墓は不要と考えているので興味を持ちました。
Posted by:ほほ  at 2008年05月12日(月) 10:24

今回も とても興味深く読ませていただきなした
肝っ玉の据わった 幸村に畏敬をいだいた家康。
ヘッドハンティングと言うのも 当世の企業戦略に通じるものが
あって面白いですね”
ガラシャ夫人の名前が チラッと出ていましたが ・・・
歴史に堪能な ルルさん”に また いつか取り上げて欲しいです
Posted by:花よりケーキ  at 2008年05月12日(月) 10:20

私もみなさん同様、真田十勇士の猿飛佐助、霧隠才蔵と共に、
小さい頃から真田幸村の名前が記憶にあります。
今回のルルさんのブログで、より詳しく知ることが出来ました。
戦いとはいえ、優秀な武将が首を切られて絶命する!、
世の中にとっては残念なことですね。
>僅か8歳のいたいけな身を市中引き回し六条河原で斬首されます。これによって豊臣家は全て滅亡いたしました。
ここまでするか!、と思ってしまいますが非情なことです。
勝てば官軍、昔も今も非情と思われることが繰り返されていますね。
Posted by:kawayan  at 2008年05月12日(月) 08:56

★チバックさま
おはようございます〜 いつもありがとうございます
幸村さまが、本棚の中で眠ったままとは勿体無いです〜(笑)
コメントの最後に「凄い!」と書かれていますように、
読めばきっとファンになられるのでは?

幸村の死は、家康を追い詰めた直後だったようです、
安居神社をご存知でしたか、ええ目と鼻の先の位置関係です。
もし家康が…秀忠では江戸幕府は作れなかったでしょうね?
それよりも豊臣方が政権を握って大阪が首都に?
ええ、歴史の「たら」「れば」は面白いですよね〜

>ルルさん説によれば、六文持っていれば、
>六世界を渡り歩けるということですね。
これは読んだ事でして…宗教的にはどうか?までは調べていません
ごめんなさい、機会があれば住職さんに詳しく聞いてみます〜
Posted by:ルル  at 2008年05月12日(月) 05:48

★山野泉歩さま
おはようございます〜 いつもありがとうございます
真田幸村関係は、マンガの人気もすごいですね
大阪城と上田城の甲冑隊、どちらが先か?私も知りません

>改めて宗教の力のようなものを感じます
そうですね、同じ思想の元に団結するのは強いですね。

>強い者は弱い者をいたわり富めるものは貧しい人に手をさしのべる
>宗教思想にそのような教えがあったように思いましたが。
>無定見無宗教心は人心を荒廃させるように思えてなりません。
仰せの通りだと思います。
現在の無定見無秩序無責任も、信仰心と無関係ではないでしょうね…
そう言う私も、信仰心は薄くなっています…
少し考えさせられました、ご教示ありがとうございます
Posted by:ルル  at 2008年05月12日(月) 05:00

ルルさま
『真田太平記』『風神の門』ともに本棚の中で眠ったままになっておりましたので、
私は真田幸村をよく知りません。
よって大変興味深くルルさんブログを拝読させて頂きました。

>嗚呼〜、その寸前の一瞬の休息が〜!
>幸村様を死に至らせ日本の歴史を変えたのであります。
幸村が家康の本陣に迫った話は、『徳川家康』を読み知っておりましたが、
幸村の死は、家康を窮地に追い詰めた直後だったのですか。
そういえば、安居神社と天王寺公園(茶臼山)は目と鼻の先の位置関係ですね。

もし先に家康があの世に行っていたら?
どうなっていたのかな〜?
真田昌幸、幸村父子のお陰で関が原の戦いに間に合わなかった男、
秀忠がどう決断し、どう行動したか、これが一番のポイントでしょうね。
いろいろ想像してみると面白くなってきますよ。

>因みに、死後に赴く六道とは、
>地獄・餓鬼・修羅・畜生・人間・天上の六世界で、其々に一文の計六文が必要です。
私は六世界のうち、いずれかにしか行けないのだと思い込んでおりましたが、
ルルさん説によれば、六文持っていれば、六世界を渡り歩けるということですね。
それが良いことなのか悪いことなのか、分かりませぬが。

>彼の性格は『ものごと柔和、忍辱にして強からず、ことば少なにして、
>怒り腹立つことなかりし』
こんな人が、実在したとは。
只々、凄い!
Posted by:チバック  at 2008年05月11日(日) 18:44

こんにちは〜
真田幸村のこと
六文銭
真田十勇士
いつ頃だったでしょうかマンガで知っていましたが
今となってはうる覚えです。
大阪城と上田城に両甲冑隊があるという
どちらが先なのでしょうか?ともあれ
信州上田城と大阪城が友好提携を結んでいるという
時の流れを感じます。
六文銭の意味は知りませんでしたが
ここにも仏教思想が入っていたのかと
改めて宗教の力のようなものを感じます
同じ思想の元に
団結して戦うとき強さを発揮すること洋の東西を問わないようです。

翻って現在社会は無定見無秩序無責任が蔓延。
混迷の世となって
弱者が痛むような世の中になってしまいました。
生きる希望を見いだせず世をはかなんでしまう人が後を絶たず
セフティーネット社会保障の運用がないと惨めです。
生きるために命を賭して勝敗にこだわる時代ではありませんが
強い者は弱い者をいたわり富めるものは貧しい人に手をさしのべる
宗教思想にそのような教えがあったように思いましたが。
無定見無宗教心は人心を荒廃させるように思えてなりません。
Posted by:山野泉歩  at 2008年05月11日(日) 12:12

★かおりょうこさま
再度のご足労、ありがとうございます
>ご存知と思いますが、徳川で赤備えを許されたのは「井伊家」です。
真田と武田の赤揃えは知っていましたが…井伊家は知りませんでした。
関が原で薩摩の縦断撤退の傷で死んだのですか、これも勉強不足でした
ご教示、ありがとうさんでござりまする〜

>(印税は6:4、もちろんルルさんが6でいいですよ。)
おおきに〜
1億で6千万、10億で6億、100億で60億、1000億で600億〜!\(^o^)/
わ〜…死ぬまでに使い切れへんわ〜…(笑)
こうなりゃ〜、一晩と言わず…毎晩飲み明かしましょう フニャ
Posted by:ルル  at 2008年05月11日(日) 08:11

★ハワイアンさま
おはようございます〜 いつもありがとうございます
>今度はどんな話かなぁ.....と期待していました。
まぁ〜嬉しいです〜! …でも「期待」は大きなプレッシャーです…〜(笑)
読書家のハワイアンさまが、幸村を読んでおられないのはある意味魅力です。
きっと神様が遠避けていたのでしょうね…何故かって?
持ち前の熱い心でその気になって行動されると心配だから〜
本を読まれる時は、そこのところも注意して進めて下さいね〜(^_-)-☆

>また、次回を楽しみにしています。
おおきに〜ありがとうございます。頑張らなくちゃ〜
Posted by:ルル  at 2008年05月11日(日) 07:52

★ホワイトローズさま
おはようございます〜 いつもありがとうございます
ええ、私もその歌を覚えています〜
お婆ちゃんがよく歌っていましたので、今でも何故かすぐ口から出ます。
この歌に合わせてゴム飛びもしました ホント印象深いですよね。
楠木正成公も真田幸村様も、大阪人には慕われたお人ですよね〜
Posted by:ルル  at 2008年05月11日(日) 07:34

★コギツネコンコンさま
おはようございます〜 いつもありがとうございます
>真田幸村は小学校時代からマンガで知っていました〜         
皆様よくご存知ですね、残念な事にそのマンガを知りませんでした。                      
辻村ジュサブロウさんの真田十勇士は見た事あります。顔も覚えています                                   
ホント、今の政治家も見習って欲しいですよね。
お勉強やなんて大袈裟なモン(笑)やおへんけど〜、私こそ有難うございます
Posted by:ルル  at 2008年05月11日(日) 07:24

★チョコミーさま
おはようございます〜 いつもありがとうございます
>男のロマンに心を揺さぶられたモノです。
やはりそうですか、
骨のある男性達が、ご自分に投影して感動されるのでしょうね
西行桜さまが仰った「島津奔る」もグッとくるものがありましたか、
お2人のお話で益々読みたくなりました

>利に走ることなく一途に己の進むべき道を貫く。
今の時代に少なくなったからこそ、今一番必要な事なのでしょうね…。
Posted by:ルル  at 2008年05月11日(日) 07:16

★菊さま
おはようございます〜 いつもありがとうございます
今治駅前に猿飛佐助像…何で?不思議に思って調べましたら…大阪で出版した「立川文庫」の中の、真田十勇士の原作者が今治市出身だったそうです。
>子供の頃のヒーローでしたが、今はスナックのママ。今夜もこれから・・・
そこが菊さまのカッコいいところで魅力なところなのです〜
「光るスティック」?知りませんでしたが面白そう〜、ええ唄いまくって下さい〜

>お二人とも飲んだくれの喫煙者は断られるでしょうね。
そんな事、これっぽちも思ったことありませんよ〜。
煙が目に沁みる男の、哀愁のある背中が少なくなって寂しい位です。
…夜の世界に、お酒と煙草と恋はつきもの〜
健康が一番とは思いますが、それだけでは人生の幅がない。不健康な中から素晴らしい文学や音楽が生まれる事も…それに嫌煙も権利なら喫煙も飲酒も権利ですものね。排気ガスのほうが数倍も地球や人に有害ですのに、政策上煩く言いません。どちらにしても…お互いを分かり合える優しい社会になって欲しいですね
Posted by:ルル  at 2008年05月11日(日) 07:03

★やうちさま
おはようございます〜 いつもありがとうございます
上田城攻めで、昌幸・幸村父子の抵抗で足止めを喰らったと?!
ならば、お主は幸村さまの敵・徳川方か〜?!(笑)
やうち兄ィの広いお心での丁寧なご参拝、ありがとうさんでござんす。
幸村公も草葉の陰で喜んでおられる事でしょう〜

軍師・昌幸と知将・信繁、良い言い方ですね。ホント、素晴らしい親子です。
>大阪城・上田城・両甲冑隊のこと初めて知りました。先人の引き合わせですね。
そうかも分かりませんね、これも大きなご縁ですね〜。
真田十勇士のような家来が欲しければ、彼のお方も努力しないとね!(^_-)-☆
Posted by:ルル  at 2008年05月11日(日) 05:49

★麻布十兵衛さま
こんばんは〜(あら!今気付きましたがもう5時過ぎていますね・笑) おはようございます〜! 
こちらこそ〜いつもかたじけなき候〜
やはり幸村さまに憧れておられましたか、
猿飛佐助や霧隠才蔵などの十勇士もカッコいいですよね

ガマの油…大阪夏の陣で有名になって「陣中膏」はここからきているのですか、
この幸村祭の時に余興でガマの油売りをやっていましたよ、…だからですね。
納得したでござるよ〜  十兵衛殿のご教示、謝々でござりまする
Posted by:ルル  at 2008年05月11日(日) 05:32

★メキシコのヒゲ親爺さま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
そうですよね〜、幸村さまも十勇士さん達も人間業ではありませんよね〜、
真田流忍法なんてモノも使いますもの〜、同業の?魔法使いかも〜(^_-)-☆

>綿密なる真田幸村論、これはもう論文です。
>いつもいつもルルさんの力作には敬服いたします。
アリャ〜、講談師の真似して気持ち良く喋っていたら…そんな大層な評価を下さったとは…滅相もありません、力不足を自覚して余計に恥ずかしいです…

大阪城の真田丸跡地は、真田山公園になっています。よく行かれる鶴橋駅の北西にありますよ 父に聞くと、昔は真田の抜け穴も残っていたそうですが、子供達に危ないので塞いで整地し、野球場や遊歩道になったそうです。桜も綺麗です。
Posted by:ルル  at 2008年05月11日(日) 05:12

★道祖神さま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
真田幸村の子孫の方はブログ写真の左端の方です。
幸村様に似ていらっしゃいますでしょ?
家康は、豊臣家に対しては、幼い国松に至るまで子孫なで斬りでしたが、
真田家には手を付けなかったと思いますが…。

大坂の陣の事は、日本史でも詳しくせずサーッと終えてしまいますよね
お江戸は、大阪の陣の後から発展していきますので歴史は新しいですね
Posted by:ルル  at 2008年05月11日(日) 04:36

★極楽トンボさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
アップの翌日ですよ、お早いお越しですわ〜

真田幸村、やはり楠木正成とダブりますか、
楠公は、鎌倉幕府からは悪党と言われましたが、南朝が正統であると分かってからは、忠臣の鑑・大楠公とされ、戦後は又悪党と処理されましたね…
見方も色々で、いまだに謎が多い人物ですね…
はい、楠公もいつか紹介させて頂きたいと思います〜(^o^)/
…ただ大阪の南端で、大阪府唯一の『村』ですので、中々時間が取れません
Posted by:ルル  at 2008年05月11日(日) 04:20

★picoさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
わ〜、きっと何度か出合っているはずですわ〜
私も、逢坂の上り下りは、一心寺側でなく安居神社側を通りますもの〜
あの辺りは、南北朝時代から何度か戦場になっていますね。昔は大阪城から茶臼山がほぼ一直線で見えましたから、幸村も土地の利を活用して作戦を練ったようです。真田の穴は千日前線拡大や地下鉄谷町線工事の時に無くなったそうです。

杉浦茂の「猿飛佐助」…残念ながら知りませんが、当時の漫画はいいですね〜。
pico少年の心にファンタジーの世界を創造していたのですものね
Posted by:ルル  at 2008年05月11日(日) 01:31

★和ちゃんさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
やはり、小学生や中学生の時になじまれていたのですね〜
『映画』、皆様も仰っていますが…残念ながら私は観た事がないのですよ。
>でも今回はその時以上に面白く感じました  本にしてほしいぐらいです
おおきに〜、お世辞でも嬉しいです〜! 豚も木に登りそうや〜(笑)

真田幸村を別々に打つとはどういうやり方かな?(頭がこんがらがっています・笑)
あまり分かりませんが…フルネームで打つといっぱい出てきますよね?
Posted by:ルル  at 2008年05月11日(日) 00:57

★MUSOUさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
家康が秀頼を殺すために大坂の陣を仕掛けたと思っていましたが…、
山岡荘八の『徳川家康』にはそんな事が書いてあるのですか。
興味深い話です…歴史には色々な側面がある…だから面白いのですね

お父様は皇居でMUSOUさまは松代城など…、
父子で素晴らしい場所のお仕事振り!誇りですね〜

真田幸村、仰せの通り、日本人が好きな武将NO.1かも知れませんね
Posted by:ルル  at 2008年05月11日(日) 00:38

★けいみょうさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
そうですよね、幸村がいなかったら、もっと早く負けていたでしょうね。
真田丸での活躍は、本当にカッコいいですね〜!

>秀忠軍が遅れたのも真田軍に関わって遅れたんと違いましたっけ?
ごめんなさい、この話は知りませんでした。
元々秀忠の評価は低く…
弱くて鈍感でしかもずる賢いとか…家康も息子を不甲斐なく思っていた?
以前、豊臣秀頼と会見した時、長身の美丈夫で賢く、なかなかの男と見抜いた家康は、『この秀頼は成長すれば大物になり世の人気が秀頼に移る。それに比べて秀忠は武勇や知略も乏しく、ひねくれ男。これでは徳川の天下が崩れる。』と脅威を抱き、戦争のきっかけを探して大坂の陣を仕掛けたのですものね。

歴史の『たら』『れば』も面白いですね〜。
幸村が大阪の陣の采配を振っていたら…豊臣方が勝っていたかも分かりませんね…
Posted by:ルル  at 2008年05月11日(日) 00:14

★mako116さま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
>男が男に惚れると言う感じでしょうか・・
ホント、そんな感じだったのでしょうね〜
幸村様みたいな良い男なら、私達・女も惚れてしまうわよね〜(笑)
こちらこそ、いつも嬉しく感謝しています〜
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 23:27

★静さま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
>この時代のことになると、家康のイチャモンと残酷さばかり印象づいています。
そうですよね〜、表裏のない関西人は狸親父の家康が嫌いですものね〜(笑)
ふふ、、彼岸で会った時、「拙者はごめんじゃ」と断られているかも?
そんな事を考えると、ほんまに面白く楽しくなりますね〜
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 23:18

★遊歩さま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
少年講談という本があったのですか、面白そうですね〜、読んでみたいです
真田幸村=六文銭、真田十勇士、
という形は遊歩さまにも確立しているのですね〜
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 23:11

★た-ぼ-さま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
た-ぼ-さまも真田十勇士のファンでいらしたのですね

>先の先まで読める軍師が、儀を重んじ死を恐れぬ心意気、
>私はこの人の名を聞くと、楠公を思い出します。
やはり共通点があるのですね。
楠公は、祖父母から話や歌を聞きましたが、
学校では詳しく教わっていません…少し寂しい感じがします。
今は義理人情という言葉さえ死語のように見えますね…
戦いは嫌いですが、私も、武の心や義理人情は大切にしたいと思います
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 23:03

ルルさま

ご存知と思いますが、徳川で赤備えを許されたのは「井伊家」です。
井伊が関が原で薩摩の縦断撤退の傷で死んだのも何か曰くを感じますね。


(印税は6:4、もちろんルルさんが6でいいですよ。)

今度、一晩飲み明かしましょう。
Posted by:かおりょうこ  at 2008年05月10日(土) 22:59

★かおりょうこさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
>このコメ付けたら、本、売れるぞーーーーーーーー
フニャ、儲かったらどうしましょ〜(笑) 印税は折半で〜ナンチャッテ〜(^_-)-☆

信繁は武田信玄の弟の信繁から由来しているのですか、
やはり信州は武田信玄を大切に思っているのですね。
教科書に載ってる史実、大阪だけでも新発見でかなり変わってきています。
「赤備え」はカッコいいですよね〜!私も好きです
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 22:40

★トムさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
>講談調の解説も歯切れよく、溜飲の下がるエンドでしたね。
意図を汲み取って楽しんで下さったとは嬉しいです〜

そうですね、家康さんも歴史に残る大人物ですもの…、
彼から学ぶ処も沢山ありますよね!
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 22:30

★ハスキーさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
>私は真田幸村と言えば、小鹿さんと一緒で猿飛佐助を思い出します。
やはり真田十勇士のかっこ良さは、どなたも印象深いでしょうね〜
九度山にも行かれたですか、
あの場所から大阪に向けて抜け穴を掘ったという伝説もありますが、
距離的に、どう考えても無理ですよね〜。

>堺の利休のことも、いつかは取り上げてください。
はい、いつか取り上げさせて頂きたいと思います。お近くにお住まいでしょうか?
利休さんゆかりの南宗寺には、お茶会で何度か行ってますよ(*^_^*)
>また次回を楽しみにしています。
おおきに〜、ありがとうさんでございます
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 22:23

★ソニアさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
連休の気候から一転、今日の雨は寒いくらいですね…////
私の歴史ブログはええ加減なもんですから〜(笑)
好き嫌いや私見もかなり入っています…(^_-)-☆
はい、機会がありましたらぜひ読んでみて下さい
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 21:54

青葉繁れる桜井の里の当たりの夕まぐれ、木の下陰に駒停めて世の行く末をつくづくと しのぶ鎧のそで上に、散るは涙かはた露 か

なぜか幸村というとこの歌を思い出します。
幼い頃に覚えたのに、今もするするとでてきます。
幼心に印象ぶかかったんでしょうね。
Posted by:ホワイトローズ  at 2008年05月10日(土) 21:48

こんばんは、真田幸村は小学校時代からマンガで知っていました〜                                  NHKでも辻村ジュサブロウの人形劇で真田十勇士がしていましたね。                                   徳川家康が家来にしたがっていたのは知りませんでした。               又人間的にもりっぱな武将だった事も・・・                               今の政治家も見習って欲しいですね。                                     歴史のお勉強が出来ました〜.
有難うございます                                   
Posted by:コギツネコンコン  at 2008年05月10日(土) 21:40

★のりさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
大阪城の甲冑隊のお掃除ボラも面白いでしょ?
のりさまが関心を持って下さるのではないかと思っていました
こちらこそ、いつも娘や私の志を分かって下さり 心より感謝しています
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 21:25

こんばんは、真田幸村は小学校時代からマンガで知っていました〜                                  NHKでも辻村ジュサブロウの人形劇で真田十勇士がしていましたね。                                   徳川家康が家来にしたがっていたのは知りませんでした。               又人間的にもりっぱな武将だった事も・・・                               今の政治家も見習って欲しいですね。                                     歴史のお勉強が出来ました〜。有難うございます                                   
Posted by:コギツネコンコン  at 2008年05月10日(土) 21:23

★ぶるーむーんさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
好きですから、楽しんで現地に行き、勝手に調べているだけですよ〜
はい、この時代は面白いですよね〜。
コメントのお言葉、全く同感です
今の時代は、老若男女とも、どこか漫然と生きてるような気がしますね…
その典型が私かも?…
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 21:17

★とっちゃんぼうやさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
>長期ビジョンを描ける戦略家でもあったんやろね。
そんな感じやね〜
仰せのように、『平時においても豊臣家の最高意思決定にも参画でき、思いっきり戦略と戦術とを駆使できる地位にいたならば・・・』…歴史も変わったでしょうね。
>山本五十六と重ね合わせるところがあり、興味深い人物といえそうですね。
せっかく素晴らしい人材が居ても、ベンチがアホやとどうしようもない?
(何処かで聞いたセリフやなぁ〜・笑)
 
そう言えば…難波宮や四天王寺の古墳・飛鳥・奈良時代から後は、安土桃山まで、あまり大衆受けするような人物がいませんね…。平安時代の大阪は、日想観や熊野詣での為に全国から人が集まり、貿易や経済の中心で…いつも副都心の役割をやってたのですがね…、江戸時代からは又なにわが賑やかになりますね

大阪・千早赤阪村の大楠公はんの事も、いつか書こうと思っています。
「忠臣の鑑」として讃えられ、修身の教科書に載ってたらしいですが、
戦後の方針で全く話題に上らなくなりましたもの、チョット可哀想ですよね…。

>また、難波の大衆史、期待してまっせ〜
へぇ、まいどおおきにぃ〜〜
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 20:52

真田幸村、子供の頃なら「真田十勇士」。大きくなってからは司馬遼太郎氏の小説などを通じて、男のロマンに心を揺さぶられたモノです。
西行桜さんが言っておられる「島津奔る」(池宮彰一郎)もグッとくるものがありました。利に走ることなく一途に己の進むべき道を貫く。そういった姿には感動させられます。
自分を含めてなかなかそのように生ききれていない現実に対する1つのアンチテーゼとも言えるものでしょうかね。
Posted by:チョコミー  at 2008年05月10日(土) 20:25

今治駅前に猿飛佐助像があるって、なんでだろう?
子供の頃のヒーローでしたが、今はスナックのママ。今夜もこれから・・・
真田幸村さんは、本名が信繁と初めて知りました。勉強になりますね。
知的で美人のルルさんにお逢いしたいけど、大阪は遠いな。
大阪は西行桜さんともお逢いしたいし・・・でも、お二人とも飲んだくれの喫煙者は
断られるでしょうね。
今夜は「光るステック」を用意したので唄いまくります。6〜8時間は発光しているそうです。
Posted by:  at 2008年05月10日(土) 18:08

信州上田城攻めで、昌幸・幸村父子の思わぬ抵抗で足止めを喰らい遅参してしまいました。

何々、その幸村公が家康の本陣にまで迫ったとな〜
して、ここ安居神社の松の根元がその最期の地だったのか・・・
丁度、命日の慰霊式典が執り行われているぞ!(二礼二拍)

>真田幸村・・・講談ものが大好きでよく本や映画をみました。
軍師・昌幸にして知将・信繁あり、素晴らしい親子だったようですね。
大阪城・上田城・両甲冑隊のこと初めて知りました。
先人の引き合わせですね。

この時期彼のお方もきっと、真田十勇士の如のき家来が身近に居てくれたらな〜と思われていることでしょうね。
Posted by:やうち  at 2008年05月10日(土) 16:56

いつもためになるご高話かたじけなき候。真田幸村は、手前がガキのころ何となく憧れの人でした。猿飛佐助とか霧隠才蔵などの親分であったのを覚えています。ところで余談ですが、大阪夏の陣で、有名になったのが、「ガマの油」であったことご存知でしたか?「陣中膏」の名のいわれは、ここからきているのでござる。
Posted by:麻布十兵衛  at 2008年05月10日(土) 16:22

ひょっとしたら、幸村さんルルさんのお仲間の魔人さんでは
あの八面六臂の大活躍をみると人間ではありませんね。

綿密なる真田幸村論、これはもう論文です。いつもいつもルルさんの力作には敬服いたします。

ところで大阪城の真田丸、何か痕跡が残っているのでしょうか
Posted by:メキシコのヒゲ親爺  at 2008年05月10日(土) 14:44

ルル 様

 こんにちは
真田幸村の子孫の方はいらっしゃいましたのですか?
幸村のお兄さんの方は知っておりましたが!
それはそれは!!!
子孫なで斬り、というわけではなかったのですね

 大坂の陣の話も日本史の教科書で知っているくらいですね〜
江戸も歴史の街ですが、大阪も〜
Posted by:道祖神  at 2008年05月10日(土) 13:12

こんにちは!
またまた出遅れました。
何時もながら素晴らしい内容で、大変興味深く読ませてもらいました。

真田幸村の戦い方や人物像は、楠木正成のそれとダブりますね。
時代は少し遡ってしまいますが、楠木正成は河内・和泉を本拠地とする
悪党だったということですので、何時かルルさんに紹介して頂けると
嬉しいですね。


Posted by:極楽トンボ  at 2008年05月10日(土) 12:51

日本橋にパソコン用品を買いに行くとき、安居神社の前を自転車で通ります、「真田幸村戦死の地」の立札を見るたびに私は、子供の頃読んだ杉浦茂の漫画「猿飛佐助」を思い出します。鉄腕アトム、鉄人28号などの漫画でファンタジーの世界に浸っていました。戦国時代は茶臼山からこの逢阪、一心寺の辺りで合戦が行われていたのですね。
Posted by:pico  at 2008年05月10日(土) 10:23

真田幸村は時代小説ではなじみの本でした
でも小学生の時や中学生の時です
映画の影響だと思います
でも今回はその時以上に面白く感じました
   ふーんあの家康が
なんて思いながら
本にしてほしいぐらいです

※真田幸村を別々に打ったら幸村がすぐは出ませんでした
 年代も関係するのでしょうか

Posted by:和ちゃん  at 2008年05月10日(土) 10:16

いつもながらすばらしいお話ですね。山岡荘八『徳川家康』ほか、この歴史場面の本を何冊か読みました。秀頼を自害させたことにより、徳川家康の後年の人物像が悪しく語られるようになったと、山岡荘八の家康像は、このとき秀頼を殺したくなかったと歌っています。


長野の松代には、徳川方に付いた長男信幸の松代城跡があり、そこの城跡でお土産やさんを経営している。民宿『六文銭』に1年ほど仕事で逗留しました。

天才軍略家、真田幸村、日本人が好きな武将NO.1かも知れませんね。
Posted by:MUSOU  at 2008年05月10日(土) 06:34

★Ruiさま
おはようございます〜 いつもありがとうございます
この時代のことは、私達女性に取っても関心がありますよね
この付近は、大坂の陣で大戦場になり、多くの不幸があった場所ですので、
有名人のお墓も多く、慰霊祭を継承するのも身近な事になっています。

ご訪問やコメントは、その時々の内外の状況がありますもの、
出来なくても全く気になさらないで下さいね
Ruiさまが、たまに書かれるブログを拝見すると何故かほっとします。
嬉しいから、お話したいから、コメントさせて頂くだけですよ
(と言ったものの…私も、出来ない時は失礼させて頂きます…)
こちらこそ、ありがとうございました〜
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 06:32

★ちゃんさま
おはようございます〜 いつもありがとうございます
日本史の調査なんて大袈裟ですよ〜(笑)
真田幸村は上田城でも大阪でも大人気ですね〜。
六文銭の旗は、今見てもかっこいいです〜
三途の川、六道の内容…40歳に若返ったちゃんさまにはまだ早いです(^_-)-☆

はい。何もない私には、人脈の広さと絆が嬉しい財産です。
ちゃんさま始めコメントを下さる方々にも、ご縁の有り難さを感じています
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 06:03

★ieiesanさま
おはようございます〜 いつもありがとうございます
ホント〜、安土桃山時代の話は歴史としてもアクションとしても面白いですね
色々な本を読まれたのですね、
仰せの通り、天下取りの話はスケールが大きいので、男性に人気がありますね
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 05:51

★青春じんじさま
おはようございます〜 いつもありがとうございます
田辺、よく知っていますよ。あの辺りに住んでいらしたのですか
お父様から幸村や家康の話を聞かれたのですか、いい思い出ですね。
茶臼山・雲水の精進料理、うなぎの竹葉亭、どちらも有名ですね〜
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 05:46

★とっくさま
おはようございます〜 いつもありがとうございます
実況中継のように感じて下さったとは嬉しいです〜
「講談師 見てきたような 嘘を言い」 に、なりきって書いた文ですから(笑)

この前も法善寺界隈に来られましたね〜、何度でもいらして下さいね〜

信州上田城はまだ行った事がないのです、桜は有名らしいですね。
池波正太郎記念館に信濃国分寺に信州蕎麦ですか…、
是非機会を見付けて行ってみたいと思います〜(^o^)/
こちらこそ、感謝申し上げます
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 05:35

真田幸村がいたから大阪の陣は一方的な戦いにならなかったですよね。
真田丸での活躍なんかは読んでいて胸躍る場面です。
うろ覚えだけど、秀忠軍が遅れたのも真田軍に関わって遅れたんと違いましたっけ?
あの時こうだったらと考えるのは歴史の面白さでもあるんですが、幸村が大阪の陣の采配を振っていたらどうなっていたんでしょうね。
Posted by:けいみょう  at 2008年05月10日(土) 05:30

★おじいさま
おはようございます〜(徹夜で朝になってしもた・笑) いつもありがとうございます

>私なんかは見聞きする度に、良い人(?)悪い人(?)が入れ替わり大変です
私もそうです
見方が色々ありますから、読む本やその土地によって変わりますよね〜。
ホント、主人公は必ず良いように書いてありますね。

>しかし一人一人は良くしようと考えているんですからね
そうですね、
ご指摘のように、名前の残っている人はみんな頑張ったと感じますね
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 05:20

★von Jagfeldさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
感謝やなんて私の言うセリフですわ〜
安居神社は大阪市天王寺区で、四天王寺の西、一心寺の北におます。
大阪では「安居の天神さん」と親しまれ、祀っているのは菅原道真です。
道真公が大宰府に行く前に母親と会う為休息した場所で、「安居」の名はその休息に由来します。その時に道真公の使った井戸も健在ですよ。

安居神社では、毎年、真田幸村の戦死日(5/7)には「幸村祭」があり、
子孫のお方や上田市市長さん、甲冑隊等も参加し、この行事を行います。
彼の戦没日は旧暦でやっているようですね。

私も家康はあまり好きではありませんが(笑)…、
今の大阪の地盤沈下は大阪人自身の問題でしょうね… 
こちらこそ、ほんまおおきに〜です
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 05:03

★Kenrobさま
お久し振りです〜 コメントありがとうございます
首を取られた事、そうですよね〜、仰せの通りだと思います

>…日本の歴史は大阪を中心として刻まれたはず、とお嘆きの意図を想像して
>いますが如何でしょうか? 
うーん、これは長短あって難しいです…
ご存知のように、江戸時代の大坂は自由闊達で、町人文化が花開きました。
もし将軍や武士が幅を利かす町だったら…規制された面白みの無い町になって…近松や西鶴、多くの学者や自費で町造りをした旦那連中も出なかったかも?
…今は情けない大阪になった感がありますが…当時は、却ってこれで良かったのではないかな?とも思います。

忠義という言葉、ご指摘通り…今の世でこそ、本当に必要だと思います
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 04:33

★ほばしらさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
はい、安居神社は家の近くで徒歩5分くらいです。
しょっちゅう〜幸村様の座られた真田の松に触れています

>秀頼・幸村、生存説があるようで其の辺の事も知りたいです。
♪〜 花のようなる秀頼さまを、鬼のようなる真田が連れて、
のきものいたり鹿児島へ 〜♪
… という歌が流行ったそうですね。
実はあの首は幸村の影武者で、2人して鹿児島で静かに暮らしたとか…、
真相は分かりませんが、幸村贔屓の人達が作った伝説とも言われていますね
九州の人達の間でのお話はどういう感じなのでしょうか?
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 03:59

★きままさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
お勉強なんて大袈裟ですよ(笑)
拙い記事で少しでも楽しんで下さったらとても嬉しいです
脇差の鞘の中身はゴミハサミと清掃用具…面白いでしょ(^_-)-☆
大阪城では、この姿でのお掃除もよく見ますよ
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 03:37

★子鹿さま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
そうなんです、幸村様は、秀吉よりも大阪人に人気があります〜
「中村錦之助」が真田幸村を演じたのは知りませんでした。
仰せのように、歴史小説としてより、真田十勇士のほうが印象が濃いですね。

大阪城甲冑隊の活動は、趣味だけでなく、皆で人の為・大阪の為になる事をしようという活動です。はい、友人も誇りを持ってやっているようです
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 03:31

★chuuchichiさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
やはり真田十勇士などで憧られた人物ですか、
男の子達のヒーローでしたよね、今の子供達にも読ませたいですね
家康は逃げ回るタイプだったのですか?
知りませんでした、とても興味深いです〜、又ご教示頂きたいです
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 03:19

★賢さま
こんばんは〜 いつもありがとうさんでござんす
大阪城甲冑隊のリンク、おおきに〜です
はい、甲冑隊員の友人も、段ボールで部品を作り1枚1枚ラッカーで仕上げ、
1つづつ紐で縫い合わせていき…全部自分の手作りです
NHKの『熱中時代』で放送していた、本格的な甲冑作りを沢山しているお方、
近所の自転車屋さんのご主人なのですよ。
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 03:11

★熊五郎さま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
やはり小さい頃からの憧れの人でいらっしゃいましたか、
真田十勇士の物語は本当に格好いいですよね〜
こちらこそ、早くから来て下さり、おおきに〜です
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 02:59

★土筆さま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
土筆さまとも真田繋がりでご縁がありますね

>将に比類なき度量の大きな人物でもあったようですね。
そうですね、
強くて度量が大きい幸村様は、男性のみならず女性も惚れ込んでいます
仰せのように、『歴史から学ぶべきもの』は多いですね。
維新の志士たちは私も惹かれます。あの時代の人々から得る物も大きいですね。
歴史に造詣の深い土筆さまに又教えて頂きたいです
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 02:54

★散輪坊さま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
>信州人が誇りにする人物です。
はい、私もすぐに散輪坊さまや信州のSTAGE仲間の事を思いました。
上田城とも友好関係を結んでいますので、とても親しみを感じています
真田の血を絶やさないように…大事にされていて安心いたしました
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 02:40

★Yakoさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
Yakoさまのブログのコメントも見せて頂きました。
私も考えていたとこで…以心伝心でしたね〜おおきに〜
木曜日はあそこに行っていますから、今後ご一緒出来るかも

>いつもながらよくお調べになって、どこかの学会で発表されているのですか?
そんな恐ろしい事(笑)は考えていませんが、友人に案内や同道を頼まれる事が多いですので、その説明の為に事前に調べているのが役に立っているだけです
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 02:32

★西行桜さま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
娘のPCが調子悪いとかで…これを使わせてあげてて遅くなりました

起きはってすぐにそんなボケ・ツッコミが出来はるやなんて冴えてはるわ〜。
久し振りに、人生幸朗・生恵幸子師匠の「泥亀」を聞かせてもらい、
ラッパさんの「天王寺はんの亀の池の〜」も思い出させてもらいました

信州や和歌山まで行きはったのに、大阪の真田史跡はまだですか、
ええ、是非こちらにもお越しやす〜
茶臼山周辺で何処かに消えはっても、声かけんと知らん顔してますさかいに〜(笑)
でもあの辺のお部屋は古くて人気がないようで…(何で知ってるねん?)

「島津奔る」は読んでいませんが、関ヶ原から大坂の陣付近の関連も興味深いですね。真田家の親子・兄弟関係も仰せの通りで…幸村が、目前まで行って家康を討たなかったのは、徳川方に居るお兄さんの事を考えたから…とも言われていますね。ホント、東西関係無く、あっぱれなお人です

プロのお人から「名調子」と言われたら、お世辞でも嬉しおすわ〜おおきに〜!
講談調を意識して文を作りました、声の入らないのが残念でおます。

追伸:
[船場吉兆]の事はもう知りまへん!一番怒ってるのが地元の贔屓筋ですもん
Posted by:ルル  at 2008年05月10日(土) 02:16

こんにちわ〜
歴史に疎い私ですが楽しく拝見させて頂き知識が拡がりました。
男が男に惚れると言う感じでしょうか・・
真田幸村と言う人はほんとに良い男だったんでしょうね。
色々勉強になりました。
いつも有難う御座います。
Posted by:mako116  at 2008年05月10日(土) 00:16

こんばんわ。
この時代のことになると、家康のイチャモンと残酷さばかり印象づいています。
>「来生で一緒に酒を飲み交わしたい人じゃ」って?
「拙者はごめんじゃ」と断られていると面白いのになぁ。(笑)
Posted by:  at 2008年05月09日(金) 23:58

ルルさんへ
真田幸村 子供の頃に読んだ少年講談を思い出します。
全く歴史には疎いのですが、私の場合は真田幸村=六文銭? そして猿飛佐助・霧隠才蔵などに繋がってゆきます。
Posted by:遊歩  at 2008年05月09日(金) 22:38

真田幸村の家来であった、猿飛佐助、霧隠才蔵、など真田十勇士を思い出しますね、読んだ小説の面白かった事

先の先まで読める軍師が、儀を重んじ死を恐れぬ心意気、私はこの人の名を聞くと、楠公を思い出します。今の義理人情は紙より薄いなどと聞きますが、武の心には値千金の重みあったのでしょうね。
Posted by:た-ぼ-  at 2008年05月09日(金) 22:28

ルルさん、こんにちは

早速、有名人のお墓ありがとうございます。
このコメ付けたら、本、売れるぞーーーーーーーー

ところで、真田幸村の名ですが、信繁は武田信玄の弟の信繁から由来し、幸村は江戸時代になってから付けられたみたいに記憶してます。

まあ、最近は教科書に載ってる史実も変わるのですから・・・・・・・

どちらにしても、「赤備え」好きです。
Posted by:かおりょうこ  at 2008年05月09日(金) 22:24

ルルさん、今晩は。トムです。
講談調の解説も歯切れよく、溜飲の下がるエンドでしたね。
まあ、家康も必死に行き、生き長らえ、そして天下を取った。
彼の評価が公平であったというのは、つとに有名です。
権謀術集、大切な事です。
Posted by:トム  at 2008年05月09日(金) 21:59


こんばんは!

私は真田幸村と言えば、小鹿さんと一緒で猿飛佐助を

思い出します。

子供の頃、大好きな漫画でした。

高野山の近くの九度山にある真田神社?だったかな には

行ったことがあります。

大阪に30年以上住んでいますが、ルルさんに教わること

ばかりです。

堺の利休のことも、いつかは取り上げてください。

また次回を楽しみにしています。
Posted by:ハスキー  at 2008年05月09日(金) 21:23

ルルさんこんばんは。

はやばやと連休も過ぎ去り落ち着きを取り戻しつつ今日この頃。

ルルさんの、歴史の勉強を少しずつさせていただき、

苦手だった歴史もすこしずつ分かるようになった私です。

真田幸村、テレビで見た記憶しかありませんね。

機会があったらぜひ読んでみたいと思っています。
Posted by:ソニア  at 2008年05月09日(金) 21:14

ルルさんのおかげで、歴史が勉強できます。
いつもありがとうございます。 
Posted by:のり  at 2008年05月09日(金) 20:58

いつも頭がさがります。良くお調べになられて
書かれますね。
この時代の小説は面白いものがありますよね。
男性が強いし、女性もそれなりに一本芯が通って
いる方がいらっしゃる。群雄割拠の時代ですよね。
それに比べて、勿論、私も含まれますよ。
漫然と生きてるような気がします。
Posted by:ぶるーむーん  at 2008年05月09日(金) 20:25

 真田幸村、家康をして「来世で一緒に酒を飲み交わしたい人じゃ」と言わしめたほどの人物。…ということは単なる戦場においては神出鬼没の,
まさに源義経のごとく傑出した戦術家のみならず、長期ビジョンを描ける戦略家でもあったんやろね。

惜しむらくは、平時においても豊臣家の最高意思決定にも参画でき、思いっきり戦略と戦術とを駆使できる地位にいたならば・・・・・・と頭の中で想像するのも楽しいと思いますわ。
  
その点において、有能な戦略家であり、また戦術家でもあったにもかかわらず、確たる戦略を描けない愚かな上層部のお陰で戦場に散った山本五十六と重ね合わせるところがあり、興味深い人物といえそうですね。
 
彼についての本は何冊か読んだことはあるんやけど、何しろ昔のことで記憶にはあま残ってないわ

 けど、子どものころ漫画なんかで読んだ真田十勇士のアクションストーリーは強烈で面白かったね〜
 年の功の目で読むとまた面白さも違ったものになるのかも。
 
 それにしても、長い浪速の歴史の中で、華やかさという点では、古墳・飛鳥・奈良時代から一挙に太閤はんの安土桃山まで跳びますね〜
 
 やはり、この時代は難波史の空白期なん? 
 この時期、真田はんみたいに大衆受けするような人物がいないのかな?
 あ、そうや、大楠公はん、いてはりますね〜
 ちょっと大阪市内からはみ出てるけど、私みたいな戦後生まれはともかくとして、von Jagfeld さん世代では超ヒーロー?????
 また、難波の大衆史、期待してまっせ〜
Posted by:とっちゃんぼうや  at 2008年05月09日(金) 20:12

こんばんは

歴史に疎い私でもこの時代のことはほんの少し
分かります。
でも今でもこのような慰霊祭が行われている事は
知りませんでした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
以前のようにはステージ訪問できなくなりました。
ルル様のブログにもコメント出来なくてごめんなさい。
それなのに時々気まぐれに書く私のブログにコメント
頂きありがとうございます。
ルル様の優しさと気配りに脱帽です。
ありがとうございます。
Posted by:Rui  at 2008年05月09日(金) 20:01

ルルさんいつもながらの日本史の緻密な調査のUPに
真田幸村については上田城の、六文銭印の旗ぐらいしか知らなかったのが、良く理解できました。
 三途の川、六道の内容、それにともない一文ずついることもこの歳で知ることができました。
 現代にもこれを適応しないといけないですね。
宮司さんはじめ、サークルの方など、人脈の広さと絆は大きな財産・お宝ですね。
Posted by:ちゃん  at 2008年05月09日(金) 19:35

安土桃山時代の話は面白いですね。
でも秀吉没後まで色々な本を読みましたね。
やはり天下取りの話はスケールが大きいので大好きです。
天下大変が一番。
Posted by:ieiesan  at 2008年05月09日(金) 18:13

ルルさま

子供の頃、よく親父に連れられて、家族揃って天王寺、茶臼山の雲水で精進料理を、その際よく親父から真田幸村、家康の話を聞いた思い出があります。
子供の頃は大阪の田辺(今の長居公園近く)で育ち、よく上記の雲水、うなぎの竹葉亭など連れて行かれた思い出があります。
Posted by:青春じんじ  at 2008年05月09日(金) 15:16

ルルさん

今日は。

実況中継さながらの名調子。ありがたく読ませて頂きました。
小生、大阪は「法善寺横丁」界隈しか知りません。
又、大阪へ行きたくなりました。

信州上田城は大変可愛い城ですが、桜は見事ですよ。
池波正太郎記念館や信濃国分寺などもあり落着いた町ですね。

おっと、信州蕎麦も大変おいしいです。新蕎麦の時期には友
を訪ねて毎年出かけます。秋も風情がありますよ。

感謝! 
Posted by:とっく  at 2008年05月09日(金) 15:15

こんにちわ
中々好く判りました
私なんかは見聞きする度に、良い人(?)悪い人(?)が
入れ替わり大変です
物語の主人公が必ず良い人(?)ですから。。。
またその土地へ行くと話がまったく違ったりして
しかし一人一人は良くしようと考えているんですからね
名前の残っている人はみんなそれなりに頑張った証拠(?)
Posted by:おじい  at 2008年05月09日(金) 15:09

ルルさん
おはようございます。 いつも有難うおます。
また薀蓄を傾けられての真田幸村ご紹介に感謝
幸村戦没の跡地が今も保存されてると走りませんでした。
安居神社はどの辺におますの?
幸村さんをも御祀りしてるんでっしゃろか?
デその命日5月8日に毎年お祭りがあるのですか? 彼の戦没日は
旧暦の5月8日だったのでしょうが、新暦の5月8日がお祭り日?
ワタシャ家康が嫌いで、豊臣家、つまり大阪の弥栄を願っていたのですが、
今の大阪の地盤沈下も家康が悪い! 
とルルさんの尻馬にのってブータリたいところ 
いずれにせよ今回もためになるお話有難うございます。ほんまおおきに!
ほなまた
Posted by:von Jagfeld  at 2008年05月09日(金) 13:44

<嗚呼〜、その寸前の一瞬の休息が〜!>
味方の傷ついた兵士を看病する油断をしなければ西尾仁左衛門宗次にその首を授ける無念はなかったであろうし、豊臣の時代が続いたはずで日本の歴史は大阪を中心として刻まれたはず、とお嘆きの意図を想像していますが如何でしょうか? 郷土を愛するルルさんならではと、感心させられます。
戦国時代にもヘッドハンティングあったんですね。「この信繁、一万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いか!」と啖呵を切ったとか。忠義という言葉を忘れて久しいですが、その分今の世の中ギスギスしていて寂しいですね。
Posted by:Kenrob  at 2008年05月09日(金) 13:01

安居神社はルルさん宅の近く?(以前のコメントで)
ルルさんの幸村に対する想いが伝わってきます。
秀頼・幸村、生存説があるようで其の辺の事も知りたいです。
新発見しました。真田幸村(本名・信繁。幸村は諱)、
昔の武将は本名があって、通常名?があることは分っていたが、
幸村は死後、付けられた名前ですね。
当時から幸村を使ってたもんだと思っていました。
Posted by:ほばしら  at 2008年05月09日(金) 11:43

 ルル さま♪ こんにちは

 実は、わたくしは歴史音痴。
こうして、ルルさんの楽しい記事でお勉強させていただいてます
『脇差の鞘の中身はゴミハサミと清掃用具です』だなんて、
YAKOさんに同感、いかにもルルさんらしいな。
Posted by:きまま  at 2008年05月09日(金) 11:29

真田幸村は、大阪の人に特に人気がありますね。
信州では、もっぱら信玄ばかりです・・。

私は、幸村といえば、当時の名で「中村錦之助」が思い浮かびます。
歴史小説としてより、猿飛び佐助など、そっちの方の印象が濃いのです。

天王寺界隈を思い出しています・・大阪城甲冑隊の方々の活動は
やはり、大阪人の心意気、「大阪には我々見たいなんがおりますねんで〜」
と、得意げでもあり誇りにもしておられますでしょうね。
Posted by:子鹿  at 2008年05月09日(金) 10:43

子供の頃真田十勇士などを読んであこがれた人物の一人ですね。
家康はどちらかというと力で相手をねじ伏せるタイプの武将ではなく戦ではいつも逃げ回るタイプの武将でしたのできっと家康も自分には無い魅力を感じた武将だったのでしょうね。
Posted by:chuuchichi  at 2008年05月09日(金) 10:05

おはようござんす。

『その時歴史が動いた』ですね。
色んな歴史書よりも読み応え有りましたよ。

大阪城甲冑隊もよくマスコミに登場していますね。
皆手作りの甲冑でしたね、
幾つになってもこういう趣味は持ちたいものです。
いわゆる熱中人生ですね。
Posted by:  at 2008年05月09日(金) 08:11

真田十勇士等で小さい頃からの憧れの人ですね。
生き方がなんとも爽快で格好良いですよ。
朝から楽しい話をありがとうございます。
Posted by:熊五郎  at 2008年05月09日(金) 07:55

彼の性格は『ものごと柔和、忍辱にして強からず、ことば少なにして、怒り腹立つことなかりし(「先公実録」)』、『性質屈僻ならず、つねに人に交わるに笑顔多く和せり。絶等離倫、一世の人物、今にいたりて女も童もその名を聞きてその美を知る。(「翁草」)』、『異国は知らず、日本にはためし少なき勇士なり(「山下秘録」)』

将に比類なき度量の大きな人物でもあったようですね。私たちは歴史から学ぶべきものが多くあります。とくに大人物の生き様はそれ自体が教科書になります。私は西郷隆盛、吉田松陰など、維新の志士たちに惹かれます。
Posted by:土筆  at 2008年05月09日(金) 06:23

 信州人が誇りにする人物です。
真田の血を絶やさないようにと、兄弟が東西に
分かれたと聞きます。
Posted by:散輪坊  at 2008年05月09日(金) 06:15

まー、私が目覚めた時間にUPされたのですね。
ヤッパリ今日は何かの知らせだった気がします。
最後は笑ってしまいました落ちがよろしいですね。
いつもながらよくお調べになって、
どこかの学会で発表されているのですか?
と思っていますが・・・
Posted by:Yako  at 2008年05月09日(金) 06:04

早起きは三文の得。

いえ、たまたまおしっこに起きただけ・・・。
「ハルンケヤ」のお世話になろかしら。
このところ耳が遠おなって、その代わりおしっこ近かなって困っとりますにゃわ。(そんなこと関係ないやろ、この泥亀!って、懐かしいつっこみ入れてます)

真田氏のゆかりの地、信州上田や松代や、近くでは九度山。
色々行ったけれど、肝心の大阪の史跡はなかなか行かれません。
あっ、昔茶臼山のええとこ行ったなあ(何考えとんにゃ、このど近眼!またや)

敵からも慕われた戦国のスパースターで、あの家康が、「来世で一緒に酒を飲み交わしたい人じゃ…」と言ったそうでございます。
西、東関係なく、あっぱれ幸村公は人気がありますね。

関ヶ原に向かう秀忠軍を、信州で足止めして戦場に間に合わせなかった真田衆、主力軍が欠けて、圧倒的に大人数の西軍なのに、負けてしもた。
この関ヶ原でも、家康公は命落としかけた・・。
戦い済んで戦に参加せず、はるか薩摩に敵中突破で帰る少数精鋭の島津軍
、家康の本陣近くを通り抜け、目前にまで迫り、驚かせて・・。
「島津奔る」・・・読んで感動しましたが。

家康公は敵ながらも登用したいと、思われたた幸村公。
親爺さんもしたたかで、兄貴は徳川、自分と幸村は豊臣と振り分けて・・・。
それにしても西方は、幸村公の進言、作戦を登用していたらと・・・歴史にたらはないけれど。

ゆきむらで転換したら「湯木村」と出たので思い出しましたが[船場吉兆]はどないなりまんにゃろねえ。(ここには関係ないやろが)

それにしても、いつもながらの名調子に見識、お見事でんなあ。
近所の京都にはこういった情報が伝わりませんで、ありがたいこってす。
もお、おやみですわな。
起きたついでに、ご飯炊いて朝の準備させて貰います。

冗談抜きに、いっぺん茶臼山から上町台地あたり、相棒氏とゆっくり歩いてみます。見かけても声かけんと、お目こぼしを・・・。

二人で茶臼山?いえ、もうそんな元気おへん。おしっこ近いおっちゃんですよって。
Posted by:西行桜  at 2008年05月09日(金) 05:02