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★★★ 『なにわ夢便り』(大阪の歴史や新旧名所・旧跡のご案内ブログ) ★★★
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(55)夕霧太夫[2008年05月20日(火) ]
江戸時代の結婚は、
恋愛感情を無視して親や親戚の意向で決めていましたので、
遊郭の中こそが純粋な恋を夢見る事の出来る場でありました。

ここ大坂の新町(現・大阪市西区新町)は、
江戸の吉原、京都の島原と共に幕府公認の三大遊郭の一つで、
これら一流所の遊女達は、体を提供するだけでなく、琴・三味線・踊り・和歌・茶道・香道・書画等様々な事にも優れた才色兼備の女性だったそうでございます。
(拡大して下さい)

中でも『太夫(別称・こったい)』は最上級の遊女で、吉原では、仙台藩の当主・伊達綱宗との交情があった高尾太夫さん、島原では、灰屋紹益に身請けされなはった吉野太夫さん、大坂では、このあちき、「扇屋」の夕霧を入れて三大太夫やとか言うてくれておざんすが、西鶴はんは、その中でもわちきが最高でありんしたと書いておくれでおざんす〜。
『…神代こなたのかた 又類しなき 御傾城の鏡 姿をみるまでもなし 地顔 素足の尋常 はづれゆたかに ほそく なり恰好 しとやかに しゝのつて 眼ざしぬからず 物ごしよく はだへ雪を争し 床上手にして 名誉の好にて 命をとる所あって あかず酒飲みて 哥に声よく 琴の弾手 三味線は得もの 一座のこなし 文づらけ高く 長ぶんの書て 物をもらはず 物を惜まず 情ふかくて 手くだの名人 是はどなたが事と 申せば 五人いちどに 夕霧より外に 本朝廣しと申せ共 此君此君と 口を揃えて誉ける…(「好色一代男」より)』


(…類稀なる美しさで傾城の鏡、ほっそりとした淑やかな体、素顔も美しく雪のように白い肌、目力があり、床上手は勿論、歌も上手く、琴、三味線も得意。客の上下に拘らずどんな人にも優しい気配りができ、文章も上手く、物をねだらないばかりか惜しみなく与え、情が深くて品格もあり人間が出来ている、しかも手練手管の恋の名人、皆が夕霧こそ日本一の太夫と絶賛した…)(夕霧作の「稚(ちご)の親 手傘いとはぬ 時雨かな」等、数々の名句も残っています) 

畠山其山(きざん)はんの『色道大鏡』には『…目の内おらんだの如く澱み 顔立ちすぐれ押立よかりければ…』とあり、西洋的な美人と書いておざんすわいなぁ。
さらに西鶴はんは、『…命を捨つる程になれば 道理を詰めて遠ざかり 名の立かゝれば 了簡してやめさせ つのれば 義理をつめて見ばなし 身おもふ人には 世の事を異見し 女房ある男には うらむべきほど程を合点させ・・・』 


(…命を捨てるほど思いつめた男には道理を説いて遠ざかり、噂が立ちかけると上手に止めさせ、女房持ちには妻の嫉妬心をも教え…、彼女を愛する男達と、常に一定の距離を保つようにしていた…)

わちきら太夫は分刻みのスケジュールでありんしたので、お大名様と言えどほんの数分しかお相手が出来ず、たくさんの男はんの愛を頂いておざしたから、特定の男はんと親密になることは職業意識に反する事でおざんした。

近松(門左衛門)はんの『夕霧阿波鳴渡』には、『…四国西国隠れのない夕霧といふ太夫に近付きになりたいとて、わざ/\大坂で御越年。…』(…四国から、あの有名な夕霧太夫に一目会いたいと、わざわざ年越しの旅をした…)三百余年後の言葉で言うたら”スターの追っかけ”とやら、ほんに有り難い事でありんしたわいな。

世間様は、郭に身を沈めた生立ちを哀れに思い同情してくんなましんすが、定めを恨んでも他人様を羨ましゅう思うても何もなりんせん。与えられた中で誠実に精一杯生きる事が大事やと思うていんす。わっちは…哀れとも恥ともちごうて…人様の情と真心をいっぱい頂き…胸を張って正直に生きた幸せな一生でありんした。

浄国寺ご住職の手による夕霧太夫墓誌があり、
延宝6年(1678年)正月、27歳の若さで没した、とあります。

右写真→墓碑正面の戒名は『花岳芳春信女』、左面に
『此の塚は柳なくてもあはれ也』の鬼貫の句が刻まれています。
(上島鬼貫・かみじまおにつら…万治四年(1661)〜元文三年(1738))墓碑裏面には、『延宝6年亥年正月六日 俗名 あふぎや夕ぎり(扇屋・夕霧)』とあり、ここは元々扇屋の墓地で、大勢のファンに惜しまれながら、扇屋主人が丁寧に埋葬されました。
亡くなった日は「夕霧忌」として俳句の季語にもなっております。
尚、京都嵯峨野・清涼寺墓地にも夕霧の墓碑があります(謎の多い女性で出生は不明ですがあの辺りが生誕地だったらしいとの事です)。
浄国寺山門と前の通り。
右端→ここの弥勒菩薩様は両手を掛けておられる珍しいお姿。
室町時代の円仁作、重要文化財に指定されています。

又境内の3m程ある大きな「まんなおし地蔵さん」も有名で、
”マンが悪い(運の流れが悪い)”時に、流れを変えて下さいます。

≪浄国寺≫
大阪市天王寺区(地下鉄・谷町9丁目の西、又は各線・日本橋の東)
1560年開創の風格ある古刹。ご住職も奥様も気さくで良いお方(大阪のお寺は観光化されず長年地元民と共に生きていますので、拝観料なしでいつでも入れます。勿論お参りの際にはお声を掛け、写真を撮る場合は了解を取って下さいね)。
門外不出の夕霧さんの書も保管されていますが、紙が弱っている為一般には公開出来ず、檀家さんや私に申し付けて下されば予定を立てて下さいます(何しろ奥の奥に仕舞われていますので)。

Posted at 03:45 | 続・なにわ夢便り      【53〜 】 | この記事のURL
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コメント


★風藤 瞬さま
今夜もありがとうございます

>羨ましい。ルルさんは若き日に、水上勉の作品の舞台を回ったんですね。
>きっと傍らには彼氏がいて、一緒に眺めたんでしょうね。
大阪から湖北方面へは、名神を通ると割と早く行けますから〜
傍らに彼氏がいたのかなぁ??…随分昔の事で忘れてしまいました〜(笑)

風藤 瞬さまも若い時に若狭に行かれたのですね、
でもお仕事がありますと自由に行動出来ませんものね…。

>でも、私の瞼には、急斜面に咲き乱れる水仙の映像が残っているのです。
>それは、実際に見た景色だったのか、水仙を背負って売り歩く美しい娘が
>主人公だった水上勉の短編の世界だったのか、定かではありません。
これこそ水上勉の世界ですわ〜!この不確か感がとても素敵です〜
Posted by:ルル  at 2008年09月25日(木) 01:42

ルル様

>若い時にこれらの作品に感化され、余呉湖や木之元、武生から賤ヶ岳、越前などを回りました。余呉湖は天女伝説も彷彿し、大好きな場所です

羨ましい。ルルさんは若き日に、水上勉の作品の舞台を回ったんですね。きっと傍らには彼氏がいて、一緒に眺めたんでしょうね。

私は、26歳の時、仕事で若狭に行ったのですが、仕事に追われ、水上勉の足跡を尋ねることは出来ませんでした。
若狭の後、越前海岸を北上したのですが、季節がいつだったのか思い出せません。
でも、私の瞼には、急斜面に咲き乱れる水仙の映像が残っているのです。
それは、実際に見た景色だったのか、水仙を背負って売り歩く美しい娘が主人公だった水上勉の短編の世界だったのか、定かではありません。

Posted by:風藤 瞬  at 2008年09月24日(水) 22:02

★風藤 瞬さま
こんばんは〜 
>水上勉の作品から、二つ選べと、言われれば、
>『越前竹人形』と『湖の琴』でしょう。
はい〜!同感です。私も嬉しいです〜
若い時にこれらの作品に感化され、余呉湖や木之元、武生から賤ヶ岳、越前などを回りました。余呉湖は天女伝説も彷彿し、大好きな場所です
Posted by:ルル  at 2008年09月23日(火) 23:11

ルル様

>水上勉はいいですね〜、『越前竹人形』や『湖の琴』も好きです

いやあ、嬉しいですねえ。同感です。
水上勉の作品から、二つ選べと、言われれば、『越前竹人形』と『湖の琴』でしょう。
竹林を渡る風の音が聞こえてきそうだし、
厚い雲を映して、鈍く光る余呉の湖面が、見えるようです。
Posted by:風藤 瞬  at 2008年09月23日(火) 19:36

★風藤 瞬さま
こんばんは〜 いつもありがとうございます

>「傾城の鏡」を「天王寺小町」に変えれば、
>そのままルルさんのことを言っているのでは……
うふっ、、おおきに〜ありがとうさんです!
お世辞と分ってても…素直に頂いてお礼を申し上げます(^_-)-☆

夕霧さん、女の私でも会いたいですわ〜、でも今の額で1億円位要るらしい?
もしこの時代に生きていたら…扇屋の下働きでもやりながら郭の小説を書いてみたかったなぁ〜あ、小説は専門家の風藤 瞬さまにお任せして〜
それより夕霧さんのような太夫になってみたかったなぁ〜…

仰せのように、『五番町夕霧楼』も、ここから名付けたのかもしれませんね?
三島由紀夫の『金閣寺』の実話と重複する部分があってドキドキします。
水上勉はいいですね〜、『越前竹人形』や『湖の琴』も好きです
Posted by:ルル  at 2008年09月22日(月) 02:54

ルル様

>…類稀なる美しさで傾城の鏡、ほっそりとした淑やかな体、素顔も美しく雪のように白い肌…

「傾城の鏡」を「天王寺小町」に変えれば、そのままルルさんのことを言っているのでは……

西鶴も近松も絶賛する夕霧さん、会いたかったですね。
もっとも、私がその時代に生きていたとしても、きっと貧乏人ですから、所詮は高嶺の花でしたが。

水上勉の『五番町夕霧楼』も、夕霧さんから夕霧楼と名付けたのかもしれませんね。
Posted by:風藤 瞬  at 2008年09月21日(日) 22:41

★青大将さま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
『勉強させていただきました。』なんて大袈裟ですよ〜
こちらも読んで下さって嬉しいです。
Posted by:ルル  at 2008年06月30日(月) 00:47

勉強させていただきました。
Posted by:青大将  at 2008年06月29日(日) 17:07

★ひなこさま
こんばんは〜 いつもありがとうございます
そんなご謙遜なさらないで〜
ひなこさまのブログもお言葉も、いつも中身があり勉強させて頂いてますわ〜。

夕霧太夫さん、時代や環境からそういう境遇を余儀なくされましたが、
その与えられた中でも、精一杯生きた方だと思いました。
ブログ中の夕霧さんの最後の4行は、私の感想を入れて書きました。
本を読んで…彼女ならきっとこう考えていたのだろうなぁ〜と思いました。

>はい、私も残された人生、少しでも夕霧さなんのような生き方に近づけるよう、
>誠実に精一杯生きることを目標にしたいと思います。
ひなこさんは、もうすでに実践されているように思いますよ〜
こちらこそ、ありがとうございます。
いつでも気軽にいらして下さいね、又お待ちしています〜
Posted by:ルル  at 2008年06月11日(水) 21:24

ルルさん♪

我太郎さんではないのですが、とても賑わっていて、私などとコメントしにくいのですが・・
同じようなコメントになってしまうかもしれませんが、ごめんなさいね。

いつもとってもよく歴史のことも背景も勉強されていて頭が下がります。
私などただ単に見ただけ、思っただけのものを書くものには穴があったら入りたいくらいですが、私のようなのもたまにはあってもいいかなと・・(^^ゞ

夕霧太夫さんですか。
すばらしいお人ですね。そんな立派な方がいらしたのですね。
言葉がいいですね。
「定めを恨んでも他人様を羨ましゅう思うても何もなりんせん。与えられた中で誠実に精一杯生きる事が大事やと思うていんす。わっちは…哀れとも恥ともちごうて…」
ですよね〜♪
なんて立派な生き方をなさったお方でしょう!

はい、私も残された人生、少しでも夕霧さなんのような生き方に近づけるよう、誠実に精一杯生きることを目標にしたいと思います。
いい勉強させてもらいました。
ありがとうございます。これからもルルさんのご活躍をお祈りしています。
Posted by:ひなこ  at 2008年06月11日(水) 14:56

★我太郎さま
こんばんは〜(おはようございますかな?(笑) 徹夜で次のブログをアップしていました…) 
いつもありがとうございます
同じ事でも、『見たで〜』だけでも嬉しいですから、気が向いたら又書いて下さいね
夜が明けるまで確認しはらはんでも、どうぞお気軽にやっておくれやす〜

>初代中村雁冶郎の末娘はんで、女優の中村芳子が襲名したそうです
そうらしいですね、この事はあまり知りませんねん、京都の釈迦堂ですか。
清涼寺の句碑も撮られたのですね、教えて頂いた句もいいですね〜
『六十路過ぎにし 霧はかなくも』
私も、そろそろこの気持ちが分かる年になったという事かな?(笑)
Posted by:ルル  at 2008年05月31日(土) 04:37

ルルさん

毎度コメントありがとうございます
なかなか賑やかでコメントしにくいです
と言うのも同じようなこと書いてもと思って、一々コメント確認してたら夜が明けまんねん
でヨム様きめこんでます
夕霧太夫はなんや見たなあと思って、さび付いた脳に556差して思い出しました
京都の釈迦堂でした
時代が合わんなあと思って調べたら2代目でした
初代中村雁冶郎の末娘はんで、女優の中村芳子が襲名したそうです
ご存知でしょうが、ゆかりの寺清涼寺に句碑があります

あでやかに 太夫となりて 我死なん 六十路過ぎにし 霧はかなくも

ネットカンニングですが、句碑は一昨年の秋に紅葉を撮りに行って、画像に納めた記憶があります
Posted by:我太郎  at 2008年05月31日(土) 00:52

★ゆうりんさま
こんばんは〜 早速のコメントありがとうございます
>巾広い方面でご活躍されてるご様子で 敬服いたします
いえいえ、滅相もありません…
才能も何もないのに首だけ突っ込んで…ただの「イッチョカミ」です〜(笑)
仰るように、この時代は一般女性にとっても不自由な時代でしたね。
平和で自由な時代と場所にいることは、本当に有り難い事だと感じます
Posted by:ルル  at 2008年05月30日(金) 23:33

ご訪問いただき ありがとうございました
巾広い方面でご活躍されてるご様子で 敬服いたします
ルルさんみたいに 優れた才能をお持ちの女性は このお話しの時代では その才能を発揮することは不可能だったでしょうね
ルルさん幸い 今では男女平等 大いに才能を発揮してください
Posted by:ゆうりん  at 2008年05月30日(金) 21:42

★えじまさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
8日間も待たしてからに…憎いお人やわ〜(笑)
ナヌカ ヨウカ?九日、十日〜(^_-)-☆
Posted by:ルル  at 2008年05月29日(木) 02:49

★ほほさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす(今回は花魁言葉の挨拶にしています・笑)
こういう女性が他の場所にも居たかどうかは知りませんが…
仰るように、遊郭の中だけで埋もれさせたのはもったいないことですね…
ホント〜、現代ならば…
その力を自由に発揮でき、世界の頂点に立っていたかも知れません
Posted by:ルル  at 2008年05月28日(水) 03:23

当時は、ここまで教養を身につけ、磨きたてられた女性は他の場所には居なかったでしょうね?
遊郭の中だけでなく、活躍する場が与えられていたなら彼女達は世界の頂点に立っていたかも知れませんね。
遊郭だけで埋もれさせたのはもったいないことです。
Posted by:ほほ  at 2008年05月27日(火) 10:18

★チョコミーさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
>今で言えば誰だろう?
ピッタリの人は居ないかも分かりませんが…
幾つかを持ち合わせて居る方は、案外身近にもおられるかも?

>そんな女性がいたら、きっとお金の続く限り通いたくなるでしょうね。
>仕事や時間に追われ、人々の心にゆとりもなく、なんだか殺伐としたこの時代に
>こそ、そばにいてほしい女性のような気がします。
同感です。
こんな乾いた時代だからこそ、昔のしっとりとした情が欲しくなりますよね。
遊郭は法的に駄目ですが…このようなお店があれば出てみたいです…
あ、年齢的に(笑)もう店に出られませんので…そこの女将さんにでもなってみたいです  …もしそうなった暁には、いらしておくれしゃんせ〜
Posted by:ルル  at 2008年05月26日(月) 03:10

今で言えば誰だろう? などと、思い巡らせても・・・、ん〜?
その時代の市井の暮らしぶりと夕霧太夫の姿を思い描くばかりですが、イラストの太夫に勝手な想像が重なります。
そんな女性がいたら、きっとお金の続く限り通いたくなるでしょうね。
仕事や時間に追われ、人々の心にゆとりもなく、なんだか殺伐としたこの時代にこそ、そばにいてほしい女性のような気がします。
もっとも言われるような彼女なら、こちらの懐具合を察して、程よいところで、上手にこちらの気持ちが離れるように仕向けられ、その術中にはまってしまうことでしょうね。
Posted by:チョコミー  at 2008年05月25日(日) 19:01

★チバックさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
こちらこそ〜感謝・感謝の“蟻が10匹、猿が5匹”でありんす〜

>“男”が“おなごはん”をどう見ているか、この観点でコメントしてみましょうか。
へぇ、おおきに〜、チバックさまの観点にもとても興味があります〜(笑)

>平安時代から“男”というものは“助平はん”…
もっと言えば、太古からそうですね…でもそこが男はんの可愛い所ですわ
>初めてこの文を読んだ時は、「恋の街、遊郭ではこんなええ“おなごはん”
>との出会いがあって、よろしおすな〜。江戸時代の“男ども”が羨ましい!」
>でも待てよ、現代でもこんな“おなごはん”、仰山いるんやなかろうか。
はい、私もそう思います。
水商売等で出世したお方を始め、一般の女性でも…、
美しくセクシーで頭も良く、情や品格があり気配りの効くお方はおられますよね。

>この歳になると感受性がかなり衰弱して寂しい限りですが、
>若い頃は誘惑がいっぱいでした。
>一度、火がついてしまうと・・・、・・・、こんなことでは火は消えない。
…そうなんです…そこが難しい所です…、
私も、実生活の各種活動やお付き合いでは絶えず距離を保っていますが…
ここだけの話某サークル内で、火がついたと言うお方から真剣にアタックされ…少し弱っています…。
でも仰せのように、『これが無くなったら“男”は終わりですから。』ですよね

>この2行目以降は、“ルルはん”ご自身ですね。
>応援してます。 頑張ってください。
おおきに〜、ありがとうさんでございます〜。
箱入りの甘えた環境で育ったアホですが…諸問題発生もあり今後はどうなるか分かりません…。でも今迄と同じように誠実に、世間様に感謝し、私なりに精一杯生きていこうと思っています。 こちらこそ、よろしゅう おたの申します〜
Posted by:ルル  at 2008年05月25日(日) 03:24

ルルさま
またもや素晴らしい力作をご提供くださいまして感謝、感謝です。
しかも現代文訳付き。やさしいお心遣いに“蟻が10匹、猿が5匹”です。
さて、今回は“おなごはん”のお話し。
“男”が“おなごはん”をどう見ているか、この観点でコメントしてみましょうか。

いつの事だったか忘れましたが、日経か読売に清少納言の「枕草子」が紹介されておりました。
「はづかしきもの 色このむ 男の心の内」。
すなわち、平安時代から“男”というものは“助平はん”であったということです。
西鶴はんの「好色一代男」より、(ルルさんの現代文訳を使わせて頂きます)
>…類稀なる美しさで傾城の鏡、ほっそりとした淑やかな体、素顔も美しく
>雪のように白い肌、目力があり、床上手は勿論、歌も上手く、琴、
>三味線も得意。客の上下に拘らずどんな人にも優しい気配りができ、
>文章も上手く、物をねだらないばかりか惜しみなく与え、
>情が深くて品格もあり人間が出来ている、しかも手練手管の恋の名人、
初めてこの文を読んだ時は、「恋の街、遊郭ではこんなええ“おなごはん”
との出会いがあって、よろしおすな〜。江戸時代の“男ども”が羨ましい!」
でも待てよ、現代でもこんな“おなごはん”、仰山いるんやなかろうか。
“あばたもえくぼ”と言いますからね。
少々、欠点があっても気になりません。
この歳になると感受性がかなり衰弱して寂しい限りですが、
若い頃は誘惑がいっぱいでした。
一度、火がついてしまうと・・・、
>…命を捨てるほど思いつめた男には道理を説いて遠ざかり、
>噂が立ちかけると上手に止めさせ、女房持ちには妻の嫉妬心をも教え…、
>彼女を愛する男達と、常に一定の距離を保つようにしていた…
こんなことでは火は消えない。
だから、そうなる前にコントロールしていた。
努力の賜物なんですよ、今の自分があるのは。
色気が減退した今でも“忍耐”のふた文字は忘れぬよう心掛けています。
まだまだ、脱線の危険性を秘めていますし、
これが無くなったら“男”は終わりですから。
(ちょっとだけ、居直りです)

ところで、
>世間様は、郭に身を沈めた生立ちを哀れに思い同情してくんなましんすが、
>定めを恨んでも他人様を羨ましゅう思うても何もなりんせん。
>与えられた中で誠実に精一杯生きる事が大事やと思うていんす。
>わっちは…哀れとも恥ともちごうて…人様の情と真心をいっぱい頂き…
>胸を張って正直に生きた幸せな一生でありんす。
この2行目以降は、“ルルはん”ご自身ですね。
応援してます。
頑張ってください。
今後ともどうぞよろしゅう、おたの申します。   
Posted by:チバック  at 2008年05月24日(土) 23:05

★ポカードさま
こんばんは〜 コメントありがとうございんす
>写真はあるし、文字の色も3色だし…
>ます「すげぇ」と思いました。
こんなのは慣れです、すぐ慣れますのですぐお出来になりますよ
演劇人に坂口ファンが多いのは、彼の見方がユニークだからだと思います。
芝居をする者は、世間体や壁を壊し何でも受け入れます…熱くて純粋です

「アラビアのロレンス」がお好きなのですね、お仲間が増えて嬉しいです〜
私は映画館で10回くらい観て、当時は殆どのセリフも覚えていました(笑)
 
>まだ使い方自体よく分かってませんが、では、。
分からない事がありましたら、お申し付け下さいね、
私に分かる事でしたら、何でも答えさせて頂きます〜
Posted by:ルル  at 2008年05月24日(土) 18:35

 こんにちは。ブログ、すごいですね。
写真はあるし、文字の色も3色だし…
ます「すげぇ」と思いました。
 それと、演劇やってたりする方は、
なぜか坂口ファンが多いんですね。

 あと、自分は映画では「カサブランカ」と
「アラビアのロレンス」が好きなんですが、
なんか驚きました。
 まだ使い方自体よく分かってませんが、では、。
Posted by:ポカード  at 2008年05月24日(土) 13:05

★花遊便さま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
>そこで生きるしかない女達にも
>稀にそれなりに生きた方もいらしゃるのが幸いです。
そうですね、同感です。 又見習う所も多いですね。
どんな運命であっても自分を見失わず鍛練する…現代にも共通する事ですね
Posted by:ルル  at 2008年05月23日(金) 21:42

★和ちゃんさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
ホント、夕霧太夫は遊女でありながら最上の女性ですね〜

>自分の身と照らし合わせると私はどこかに隠れなければいけません
夕霧さんは、特殊で過酷な環境に置かれたから出来たのかも知れませんね。
和ちゃんさまは、お孫さんやお家の事もちゃんとされていて、尚もあんなに綺麗なお写真も撮られ…私が爪のあかを送って頂きたいくらいです〜(*^_^*)
Posted by:ルル  at 2008年05月23日(金) 21:23

★とっちゃんぼうやさま
どうぞどうぞ〜、いつでも使うておくれやす〜
お2人のお得意のドイツ語は分かりまへんけど…
たこ焼きなら、その辺のお店より、うちのが一番美味しいどすえ
Posted by:ルル  at 2008年05月23日(金) 21:08

★夢さま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
大坂・新町はご存じないお方が多いようですね…、
ええ、井筒の粒あん入り生八つ橋「夕霧」は、「廓文章」の主人公・藤屋伊左衛門の持つ編み笠に見立てて作ってあります、昭和22年から発売のことです。
美味しいですよね〜

>井原西鶴の「好色一代男」にも夕霧太夫として登場しますね。3700人以上の
>女人と関係を持った世之介も夕霧太夫は格別の人だったのでしょうね。
世之介が半年以上かけてやっと念願の夕霧に会えた時に、
偶然に贔屓のお大尽がそのお座敷に来ますが…その時の夕霧の機転の上手さに…世之介はより以上に恋心を募らせますね

>その時代でこの様な生き方しか出来なかったのでしょうが
>精一杯生きたと思えばそうなのですが、男に弄ばれて
>女としては辛いものがありますね。
仰る通りですね…、
この時代は遊郭に売られると一生そこを出られず…
他の道は選べなかったのですものね…。
Posted by:ルル  at 2008年05月23日(金) 20:59

吉原の太夫さんたち、悲しい運命を背負って身体をはり芸に磨きをかける。
そこで生きるしかない女達にも稀にそれなりに生きた方もいらしゃるのが幸いです。
Posted by:花遊便  at 2008年05月23日(金) 19:31

今回の夕霧太夫は遊女でありながら何でも最上な女性だったのですね
自分の身と照らし合わせると私はどこかに隠れなければいけません
そしてルル様のブログ訪問していつも思うことですが勉強は常にしなければいけないと実感します

爪のあか送ってください
私も少しはよくなりおんなをあげるのではと思いますが
Posted by:和ちゃん  at 2008年05月23日(金) 12:15

Guten Morgen, Lieber Herr Jagfeld.

 ルルさん、軒先お借りします。

 いよいよ入院ですね〜 3週間ほどだとお聞きしていますが。
 ライバルが減った! と、喜ぶのは並みの男、話は換わりますが
 雌しべの奥深くには、生命の元となる卵細胞があって、花粉はこの卵細胞を目指して伸びていくそうですね。しかし、そのとき、卵細胞を目指す花粉管の数が多いと、花粉管の伸張は活発になるそうですね。
 やはり、ライバルの数が多いと恋は燃えるもの みたいですね〜

 だから貴方のお早い回復をお待ちしています。なあ〜んちゃって

 ルルさん、これ読んでて、お目出度いおっさん二人で何言うてんの?
 と、笑ってはるやろうけど、お目出度いついでに回復を先取りして
 Sagen mir ,bitte, "I shall return!"

 英独入り混じってけったいな結末ですが、フォン・ヤークフェルトさん、
 改めて、お早いおこしを。

 ルルさん、いつか大阪でたこ焼き3パック ショバ代としておごるわ〜

 
Posted by:とっちゃんぼうや  at 2008年05月23日(金) 10:08

★コギツネコンコンさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
本当に…27歳というのは余りにもはかないですね。
京都では、夕霧太夫さんの慰霊祭に吉野太夫さんもご一緒されるとか…?

>昔の人は女の人でも生き様に一本筋が通っていて、
>現代の女性も少し見習って欲しいですね。NHKでしている篤姫もしかり・・・                                    
そうですね、仰せの静御前も筋の通った女性でしたね
今の時代の女性達は、そういう意味では楽な生き方のように見えますね
Posted by:ルル  at 2008年05月23日(金) 01:21

★von Jagfeldさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
目ざわりだなんて、とんでもござんせんです

松田修さんは知りませんでした、勉強不足です、ごめんなさい〜。
西鶴の研究では第一人者の国文学者の先生でしたか、
>同じジレッタントでも私は道が違い、彼とは晩年交際が途絶えていましたが、
道が違っても、vonさまのご本類も素晴らしいですもの。
機会を作って、松田先生のご本も読んでみたいと思います。

上町断層の事は本当に恐いです…
私はそこに住んでいますので、地震が来たら一溜りもありません
上町断層は、1万年単位の周期で活動していることが判明していますが、前回の活動から約2万8千年〜9千年が経過しているとされ、何時活動してもおかしくないという事です。又大阪では、正平16年(1361年)に始まり嘉永7年(1854年)まで、5回の地震があり、過去の文献で予想すると、ほぼ150年周期で地震が発生していますので、次は今年から2、30年間は危険性が高いと言われています。
この2つを合わせますとかなりの高率ですが…、
大阪一良い場所で、歴史も古いですので、転居の気持ちはありません。
上町断層が動けば、阪神大震災の3倍程の激しさが予想され、被害も日本の何処の断層より大きいとされています。当地では逃げる事も出来ず、諦めるしかないようです…。 はい、上町男装や上町弾奏なら良いのですがね〜

>ところでいよいよ入院いたしますので、あと3週間くらいは…
どうぞ気を付けて下さいませね。
手術のご成功と、お早いご快復・ご復帰をお待ちしています
(「とっ・・・」さまも、同じ気持ちで待たれていると思います)
Posted by:ルル  at 2008年05月23日(金) 01:10

ルルさま
 大阪に遊郭があるのは知りませんでした。夕霧太夫は有名で京都の有名な井筒八ッ橋本舗の粒あん入り生八橋の名前もこの夕霧太夫から名前を取った「夕霧」というのがあるそうですね。
 近松門左衛門が当時名声を博した名妓「夕霧太夫」をモデルに書き下ろした歌舞伎「廓文章」に因み、お客様に喜んでいただける上菓子をと考案したのが、つぶあん入り生八ッ橋「夕霧」だそうですね。

 井原西鶴の「好色一代男」にも夕霧太夫として登場しますね。3700人以上の女人と関係を持った世之介も夕霧太夫は格別の人だったのでしょうね。

歌舞伎の 初代中村雁治朗とも関係があるそうですね、
ルルさんは27歳の若さで亡くなった薄幸な主人公になり代わって下記のように仰せですが〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>世間様は、郭に身を沈めた生立ちを哀れに思い
>同情してくんなましんすが、定めを恨んでも
>他人様を羨ましゅう思うても何もなりんせん。
>与えられた中で誠実に精一杯生きる事が大事やと
>思うていんす。わっちは…哀れとも恥ともちごうて…
>人様の情と真心をいっぱい頂き…胸を張って正直に
>生きた幸せな一生でありんした。

 
その時代でこの様な生き方しか出来なかったのでしょうが

精一杯生きたと思えばそうなのですが、男に弄ばれて

女としては辛いものがありますね。






Posted by:  at 2008年05月23日(金) 00:55

★chuuchichiさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
chuuchichiさまも、吉原・島原はご存知で、新町はご存じなかったのですか、
三大遊郭ですのに、ここは知名度が低いですね〜

>遊郭の世界は一般とは隔離された特別の世界
>その中でも太夫となればまた別格だったのでしょうね。
太夫ともなれば、庶民は顔を見る機会さえなかったのかも知れませんね
Posted by:ルル  at 2008年05月22日(木) 22:54

★メーのおばちゃんさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
>賢い女性なるがゆえに、
>その誇りとプライドが生きていく上で自分を支えていたのかと思います。
そうですね、仰る通りだと思います
だから厳しい修行や人並み以上の努力も出来たのでしょうね。
素の人間、素の女になった時の思い…どうだったのでしょうかね?

>今も、重大な国家機密が高級コールガールの働きによって漏れたという話を聞
>きますが、時代と形が違うにせよ、プロとしての共通するものを感じてしまいます。
まさにプロ意識でしょうね。 今も、高級コールガールの存在は聞きますが、中々普通の人の分かる所にはおられないようで…この事も少し興味があります
Posted by:ルル  at 2008年05月22日(木) 22:40

★道祖神さま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
そうですよね、
吉原・島原と同じ三大遊郭ですのに、新町は知らない人が多いですよね。
ホント、皆さん短命ですね。やはり過酷な労働だったという事でしょうか…。
「合掌」ありがとうございます、私も一緒に「合掌」…
Posted by:ルル  at 2008年05月22日(木) 22:25

こんにちは、吉野太夫さんの名前は知っていましたが、夕霧さんもかなりのべっぴんさんでしたか、美人薄命といいますが27歳は、余りにもはかないですね                     昔の人は女の人でも生き様に一本筋が通っていて、現代の女性も少し見習って欲しいですね。NHKでしている篤姫もしかり・・・                                    静御前が源頼朝の前で堂々と義経を慕う歌を、舞いながら歌った「静や静、静の御玉き繰り返し昔を今になすよしもがな〜」                             古人の女道一筋に                            

                                         
Posted by:コギツネコンコン  at 2008年05月22日(木) 18:06

またお目ざわりでしょうが、よしなきことを二つ三つ
 ルルさまの博学と知見、特に江戸時代や西鶴周辺へのご関心を拝見して、
この方を私の旧制高等学校時代の級友、親友であった松田修に引き合わせたかったなあと思います。彼のことはあるいはご存知かもしれませんが、有名な国文学者で、特に西鶴の研究では第一人者でしたでしょう。奈良女子大の教授をした後、東京に来て法政大学の教授をしていましたが、数年前に亡くなりました
彼の実家が大正橋で、また奈良の法隆寺のそばの彼の家にも行ったことがあります。 同じジレッタントでも私は道が違い、彼とは晩年交際が途絶えていましたが、今での江戸時代の大阪のことといえば彼が念頭に浮かびます。
ルルさまももしおついでがあれば、彼の著作をお読みいただければと願っております。 あんたなんかに言われんかて、もうよう知ってマッセとお叱りを受けるかも知れあせんが。 このお二人をしゃべり合わせれば如何様になったことか?
 ところでこのごろ中国大震災ともかかわって、上町断層のことが取り上げられているようですが、上町断層は江戸時代以来なんぞ悪さしてましたんやろか?
上町男装ならルルさまの所業
それとも上町弾奏ならおてのものかな
そのうちご機会がありますれば、上町断層の歴史を教えてください。
 ところでいよいよ入院いたしますので、あと3週間くらいはルルさまのブログを私が汚すことは無いと思いますが・・・
まあ私の悪い仲間の「とっ・・・」さんが悪落ちでやってくれるでしょう
ルルさまの彼への対応のスマートさにいつも感服しています
 妄言多謝 ではお元気で








Posted by:von Jagfeld  at 2008年05月22日(木) 12:02

江戸の吉原・京都の島原の遊郭は知っていましたが大阪の新町に遊郭があったことは知りませんでした。
遊郭の世界は一般とは隔離された特別の世界その中でも太夫となればまた別格だったのでしょうね。
Posted by:chuuchichi  at 2008年05月22日(木) 10:39

女であることを武器にした女性の職業として公認であったにせよ遊女。
そんな中でも一介の遊女で終わらない努力と恵まれた美貌を生かして頂点に立つことで身分制度の頂点にある者をも袖にすることができる。
賢い女性なるがゆえに、その誇りとプライドが生きていく上で自分を支えていたのかと思います。
ただ、一人の人間として素になった時の思いはどうだったのかと思ってしまいます。
今も、重大な国家機密が高級コールガールの働きによって漏れたという話を聞きますが、時代と形が違うにせよ、プロとしての共通するものを感じてしまいます。
Posted by:メーのおばちゃん  at 2008年05月22日(木) 08:02

ルル様、こんばんは

 江戸の吉原、京都との島原は聞いておりました。
大坂の新町は初めてでした。
感じますのは、皆さん短命ですね。
当時の平均寿命のことはいたし方のないこととして
も、彼女達の寿命は短すぎると思います。
合掌!
Posted by:道祖神  at 2008年05月22日(木) 00:15

★とっくさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
>ルルさんはもとより書き込まれる皆様の学識にも驚かされております。
そうですよね、
私などより皆様のほうが凄く、コメントを頂く度に驚き勉強させて頂いています

>ところで、かおりょうこ様の??ですが・・。
「吉野太夫」さんの事だったのですか、
吉川英治の宮本武蔵は読んでいないのですよ…
『常に張詰めた精神でいると逆に気疲れをして相手に負ける』
うーん、考えさせられますね…、何にでも当てはまる教訓ですね…。 

こちらこそ、ご教示下さり、ありがとうございました
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 23:32

★座無さま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
座無姉さんの処にも太夫さんがいてはりますね〜

>女は、恋をすると独占欲や嫉妬に苦しむものですが、自分の立場をわきまえ
>一定距離を保つ姿勢は、「品格」ある態度と思います。
仰る通りです、同感です〜
どこぞの教授さんのように?…常識を、イケシャーシャーと「女性の品格」なんて本にして、2匹目のドジョウを狙うほうが、品格のない事ですよね〜(^_-)-☆
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 22:09

★やうちさま
あら〜、早速出来やんしたか、
         此の塚は 柳なくても あはれ也  (鬼 貫)
                  傾城鏡 今も曇らじ (やうち)

いいですね〜 天国の夕霧さんに想いが届きますよ
お名前入りで紙に書いて、浄国寺さんの夕霧太夫の墓前に置いてきます
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 21:52

★静さま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
”夕霧太夫”…美しい名前でしょ、源氏物語の「夕霧」から付けたそうですが、
夕霧は光源氏の息子で男なのにね?
ホント、ロマンをかき立てられる夢の中の人ですね
私見ですが…当人は誰を恨む事も無く、その中で精一杯幸せに生きたと思います、…いえ、あの心根に触れたので、思いたいです、かな?
人生を振り返る間は無かったでしょうね…でも、だから頑張れたかも?
やさしい瞳の夕霧さんを浮かべて下さり、こちらこそ、ありがとうございました
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 21:42

★picoさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
>太夫は現在なら知的なキャリアウーマンにも匹敵するような人物だったのです>ね。認識を改めました。外観だけでなく内面も充実して初めて光るのですね。
そうですよね、
それに知的なキャリアウーマンに匹敵していても、彼女達のようにエリート意識はなく、情のある控えめな態度ですから、より素晴らしかったでしょうね〜
浄国寺さんは生玉さんの西裏辺りですから、ついでがあれば又見て下さい
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 21:25

★ソニアさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
大阪も、今日は良いお天気でありんした

何回も読んで下さって嬉しいです。
森進一の「それは恋」…近松に関した歌詞なのですか…
聞いた事あるような?ないような?…ごめんなさい、覚えていません。
ソニアさまの持ち歌ですか、是非ソニアさまのお声でお聞きしたいです
ホント、歴史はおくが深いですよね〜
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 21:09

ルルさん

今晩は。いつも出遅れるとっくです。

ルルさんはもとより書き込まれる皆様の学識にも驚かされております。

ところで、かおりょうこ様の??ですが・・。

「吉野太夫」だと思います。吉野太夫は宮本武蔵の剣鬼きわまる振る舞いに
対して自ら三味線の弦をばちで叩いて弦をきり、武蔵に対して常に張詰めた
精神でいると逆に気疲れをして相手に負ける・・ということを無言で教えた人
として吉川英治の小説に描かれています。

それにしてもルルさんの学者並みの書き込み。
感服しています。ありがとうございます。 

Posted by:とっく  at 2008年05月21日(水) 21:06

★nishiyanさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
>夕霧太夫に会ってみたいですが、現代の夕霧太夫「ルル」さんに
>ぜひお会いしたいものです。

あれ〜、それは止したほうがよござんすわ〜(笑)
夕霧さんの倍も生きていますもの、
太夫ではなくて「やり手ババア・ルル」になっちゃいます〜
でも、こんなので宜しければ、いつでもお申し付け下さいませ〜
こちらこそ、ありがとうございました
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 20:57

★MUSOUさま
再度のご足労ありがとうございんす
>私の知っていることなどルル様の足元にも及びません。
それこそ大きな誤解でありんす(笑)
MUSOUさまのご見識の広さ・深さは今までも感服しています〜
 
江戸時代の花魁は、仰せのように、大スターだったようですね。現代の風俗産業とは違い、一流の芸能人で憧れの的でもあった、と本にも書いてありました。
だから真似る人も多かったのでしょうね。
江戸時代、特にお江戸は政治の中心になりましたから、袖の下や接待も多かったと思います。今も昔も、接待には高級料亭と女性が付き物なのですね〜

女の人の遊び場…他所は知りませんが、大坂の場合は、女性もよく遊んだそうですよ。この頃の大坂は「日本の富の7分はなにわにあり」と言われたほど繁盛していましたので、奥様も娘も着飾って道頓堀の芝居見物に行き(奉公人に荷物を持たせて付き添わせ、昼興行と夜興行の幕間に着物や小物も着替えたとか、お洒落にも熱心でした)帰りは贔屓の役者と食事。彼らを愛人にしていた人も多かったようです。「藤十郎の恋」も歌舞伎役者と人妻が情を交わす話ですものね
なにわ女の遊び好きは、この時代からきているようです〜(^_-)-☆
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 20:44

こんばんは

夕霧太夫のこと、勉強になりました!

>>(…命を捨てるほど思いつめた男には道理を説いて遠ざかり、噂が立ちかけると上手に止めさせ、女房持ちには妻の嫉妬心をも教え…、彼女を愛する男達と、常に一定の距離を保つようにしていた…)

高い職業意識ですね。
女は、恋をすると独占欲や嫉妬に苦しむものですが、自分の立場をわきまえ一定距離を保つ姿勢は、「品格」ある態度と思います。
Posted by:座無  at 2008年05月21日(水) 20:02

★モーヴさま
こんばんは〜 早速のコメントありがとうございんす
そうですね、知れば知るほど優れた女性だったようですね。
浅田次郎さんの『和違屋糸里』、未だ読んでいませんが、良さそうですね
仰るように、ただキレイなだけではなることができない頂点で、
歌舞伎や狂言の修行とも似ているのでしょうね。
心身共の研鑽が醸し出す雰囲気は、一朝一夕では作れませんものね…
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 20:01

★mako116さま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
夕霧太夫をモデルにした舞台があったのですね、残念!知りませんでした。
この人は謎の多い人ですが…、
書物を読むほどに…その人間性も素晴らしい事が分かってきました。
どんな環境にあっても、正道を精一杯生きた人には頭が下がりますね。
ホント、長生きされていたらどうなっていたか知りたいですね
>謎めいている人生だからこそ私達の心をとらえているのかも知れません。
そうかも知れませんね、同感です〜
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 19:51

★〔うらら〕の特徴さま
お久し振りです〜 コメントありがとうございんす
>西鶴はんは自分の理想の女性に、だいぶ脚色して、書かはったんやろな。
西鶴はんも夕霧のファンの1人でしたので、そういう処もあるかと思いますね。
ただ、浄国寺の住職さんも、「外見は元より、何よりも心根の綺麗な素晴らしい女性だった」と言われていました。
実は、夕霧の最後の4行のセリフは、私の思いだけで書きました
彼女の事を調べる内に、彼女のけなげな意地と清流のような心根が胸に迫って来ました。世間が見下すような職業の人達も、誠実に懸命に生きているのだ…現代にも言える、世間の様々な色眼鏡への、私のささやかな啓発?抵抗?です。
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 19:40

★とっちゃんぼうやさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
>先日の真田はんのときに書かしてもろたんやけど、
>難波史は、奈良時代から安土桃山まで空白期やね。
平安時代から室町時代は、難波津・渡辺津などを中心に港町と栄え、高級品の輸入陶磁器を始め内外の物流が盛んで、それを求めて多くの人で賑わっていました。又、平安時代の日想観や四天王寺・住吉大社参りなど、京からの貴族達も列を組んで競って旅行に来ました。近世の経済都市の基本が出来ていましたが、大きな事件もなく平和でしたので、そういう意味では空白ですね。南北朝や織田信長の石山本願寺(現・大阪城の場所にあった)攻めが大きな出来事でしょうか。京では多くの事件や乱がありましたので、平和を求めて一時移住した貴族達も多かったようです。鎌倉時代は、先進技術の鋳造工場で、全国規模の武器を作っていたそうです。(詳しく書くと長くなりますので、おいおいアップしていきます
江戸時代は、仰るように、上方文化・文明の花盛り。その賑わいと華やかさは日本一なりと書いてあります。上方の流行が東下りして江戸の流行を作りましたね。

はい、難波なくても井原はんどす。世之介はんは、私よりもとっちゃんぼうやさまのほうが詳しいでしょう…と言うか、生まれ変わりとちゃうん?
大名様は「候」やから手間を取れへんかったし、楽でありんしたわいな〜(^_-)-☆
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 19:08

★ちゃんさま
こんにちは〜 いつもありがとうございんす
あら、そうですか、ちゃん様が奥手でいらしたのか?時代が悪かったのか?
吉原は不案内ですが…飛田新地は、その地域内の料亭にチョクチョク行きますので(先週も行きました)、又いつか再度アップさせて頂きたいと思っています。
私こそ、ちゃんさまから学ばせて頂いています、おおきに〜
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 18:06

★Yakoさま
こんにちは〜 いつもありがとうございんす
ステージは…少し休むと、人様のブログが見れないほど多人数になりましたね。
新町、今では堀江ファッションが流行るような若い人の街になっていますから、
想像し難いですよねぇ。 この碑は厚生年金会館の前の公園にありますよ。

>美人で頭良く性格も良い女。あこがれます。
>今頃遅いですがその中の一つでも欲しかったですね。
何を言うてはりますのん、
Yako姉ちゃんはどれも持ってはりますやん〜
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 17:51

浄国寺・夕霧太夫の墓前に お線香を手向ける

     此の塚は 柳なくても あはれ也  (鬼 貫)
                  傾城鏡 今も曇らじ (やうち)

                        と、

(合掌)
Posted by:やうち  at 2008年05月21日(水) 17:39

こんにちわ。

”夕霧太夫”・・この名前からして美しいですね。
現代から見れば、ロマンをかき立てられる夢の中の人。
でも 当人はただひと時でも幸せだったのかな、と複雑気分になります。
27歳で他界とは・・・
人生を振り返る間もなく逝ってしまった・・そんな感じがします。
ルルさまのお話で やさしい瞳の夕霧さんが浮かんできました。
ありがとうございます。
Posted by:  at 2008年05月21日(水) 16:29

太夫は現在なら知的なキャリアウーマンにも匹敵するような人物だったのですね。認識を改めました。外観だけでなく内面も充実して初めて光るのですね。
Posted by:pico  at 2008年05月21日(水) 15:02

ルルさんおはようございます。
今日もこちらは雲ひとつない最高の天気です。

夕霧太夫さんの話何回も読ませてもらいました。
読んでいてふと森進一の歌っている
「それは恋」という題名ですが、近松門左衛門に関した
歌詞のようですが、この歌が私のも持ち歌の中にあります。
それとダブって感じながら読みました。

「芸は身を助ける」余分なことを思い浮かべながら、
歴史はおくが深い!!いい勉強になりますよ。
Posted by:ソニア  at 2008年05月21日(水) 10:56

 夕霧太夫に会ってみたいですが、現代の夕霧太夫「ルル」さんに

ぜひお会いしたいものです。

 それにしても、現代は恵まれていますね

 また、すばらしいお話をありがとうございました。

Posted by:nishiyan  at 2008年05月21日(水) 08:26

私の知っていることなどルル様の足元にも及びません。

江戸時代の花魁は、今の感覚とはかなり違うのでしょうね。銀幕のスターのような憧れがあったのでしょう。髪型も衣装も流行は花魁からのものだったようです。

江戸時代は、お店の主人も藩主もある意味では、独裁者だったので、お金のある人は一人の考えでお金をつかえたのでしょうね。

超高級料亭に、行くようなもので、社用でしか行けないでしょう。江戸時代も接待がおもだったと書いている本もあります。

女の人の遊び場も、文化爛熟期にはきっとあったのでしょうね。

Posted by:MUSOU  at 2008年05月21日(水) 07:37

★ぶるーむーんさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
ホント、今の27歳とは比べ物になりません、時代の違いだけではないですね。
どんな環境に居ても、一流の人というのは心根が綺麗で人間が出来ていますね、
肩書きやお金で自慢する人達を見ると恥ずかしくなります
ぶるーむーんさまなら太夫になれるかも?

私は浄国寺さんの檀家ではありませんが、京都・知恩院さんの講座で一緒になりました。又、お寺も家の斜め前で、ご近所さんです
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 05:01

★のりさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
はい、仰せのように、夕霧太夫はすごい方ですよね。
男性のみならず、女性から見ても、好きになるのではないでしょうか
こちらこそ、ありがとうございました
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 04:43

★けいみょうさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
そうですね、短い人生でも充分生きたお人のように感じます
>こんな女性は少しくらい容色が衰えても、違う美しさを醸すんだろうにおしいな。
心根が美しい人ですから、年を取っても違う美しさを持たれた事でしょうね、
あまりに早い死は、やはり惜しいと思いますね…
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 04:37

★グランパさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
>今回のブログは色っぽい話題。スキ〜〜
あら、私、誤解していましたわ〜、…堅物のお方で遊郭などを嫌われると思っていましたが(笑)…それなら嬉しいです、おおきに〜

新町は幕府公認の一流処ですが、「飛田」や「信太山」は庶民の為の遊郭で、
格としては落ちますね。「江口の里」はこれらの遊郭よりもずっと古いですね。
「香華」…朋子さんでしたね、時代に翻弄されながらも賢く強い女性だと思います。
私も、今、紀州に少し思いを抱いていますので、感じ入るところがあります
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 04:30

★MUSOUさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
MUSOUさまのほうがお詳しいと思いますが…
花魁と馴染みになるのは、お金も度量も要ったそうですね
あの紀伊国屋文左衛門さえ、千両箱を積んでも、手に入れるのに苦労したそうですね。仰るように、今の価値で言いますと通うだけで年間1000万以上だそうです。

『身請け代』に幕府が上限のお触れを出したのは知りませんでした。が、私も、身請けの相場が7000万から1億と聞いています。それだけの価値があるのですね
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 03:52

★メキシコのヒゲ親爺さま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
調べた事を纏めている時は、夕霧さんの気持ちになって書いていました
>だからルルさんは色事に寛容なのですね。
世間様に怒られそうですが…豪快に遊ぶ男が居てこそ、女の意地や裁量も生きてくると思います。そういう意味では、現代の男も女も皆小さくつまらないです…。

灰屋紹益に身請けされなはった吉野太夫さんが二代目で、伊達綱宗との交情があった高尾太夫さんが四代目でしたか、知りませんでした。
「紺屋高尾」という題は聞いた事がありますが、これも内容は知りませんでした。
勉強になりました、ありがとうございます

私ですか? 魔女ですから、直ぐに何処にでも行けますわ〜
ほら、たった今、メキヒゲさまのお肩に〜(^_-)-☆
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 03:35

★麻布十兵衛さま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
”ゆうじゃ”の話から”ゆうじょ”の話になり申したわいな〜
どうぞ、ついて来なんして おくれやす〜(笑)

>もう少し早く生まれておれば吉原を体験できたかと思うと至極残念でござる。
そうですよね、戦後の遊郭も良かったのでしょうが…もし江戸時代に生まれていたら…大道芸ももっと人気がありましたよね
遊郭の話、『江戸文化歴史検定』にもよく出題されているのですか、いいですね。

花魁の語源、広辞苑等では「妹分の女郎や禿などが姉女郎をさして『おいらが』と言って呼んだのに基づく」、とか、中国の昔話『花魁と油売り』から、と言う説もあるようですね…どれが本当か分りませんね。
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 03:03

★やうちさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
免許町と言うのですか、知りませんでした、勉強になりんした〜
夕霧太夫のお座敷、やうちアニサンにはお似合いだと思いますわ〜
27歳の生涯は本当に惜しいですね…でも、だから伝説になるのでしょうね。
「夕霧忌」で一句如何でありんすか?

>次回の切符も買って帰ろう〜と。
毎度おおきに〜、どうぞよろしゅうにぃ〜
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 02:31

★ieiesanさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
こちらこそ、ieiesanさまから勉強させて頂いていますよ〜
ありがとうございます、今後とも宜しくお願い申し上げます。
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 02:07

ルルさん、こんばんは。
優れた女性だったんですね。私とは縁遠い女性像です。
「太夫」と聞くと、娘が以前「読め!読め!」と薦めてくれた
浅田次郎さんの『和違屋糸里』を思い出しました。
ただキレイなだけではなることのできない、この世界の頂点ですね。
歌舞伎や狂言の方をTVで拝見すると、普通ではない雰囲気がその所作から
伺えます。
幼いころから厳しいお稽古で身に付けた事全てが醸すのでしょうね。

Posted by:モーヴ  at 2008年05月21日(水) 02:05

★ハワイアンさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
そうですよね、これだけ揃って、しかも偉そうぶらない…凄い女性ですよね!

>高校2年の終わりに先輩に連れられ吉原と言う郭の門をくぐりました。
吉原の事は不案内で知りませんが…
高校生で…と言うのは、当時でも早熟でいらしたのですね
ハワイアン少年が、お姐さん達に郭のしきたりを教えられ、大人になっていく過程は…素晴らしいドラマのように想像いたしました。良い時代だったのでしょうね…
あの独特な雰囲気の遊郭を知らないのは、日本文化の一端を知らないと言う事にもなるのでしょうね…賛否は別として、少し残念な気もいたします。
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 02:01

★von Jagfeldさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
またぁ〜、いつも褒め過ぎでっせ〜
でも丁寧に読んで下さって…いつも感謝しています。
お陰様で、書くのがしんどい時にも励みになっています〜
知れば知るほど…夕霧さんの気骨・生き方には学ぶ処がたくさんありますね。
大阪は歴史的な事をあまり宣伝しませんから、知らない人も多いですよね…。

私は、薄命の夕霧さんの倍も生きてしまいました…。
あとどれだけ生きられるのか分かりませんが…
稚拙ながらも、出来るだけ掘り起こしていきたいと思っています。
こちらこそ、今後とも よろしゅうたのんます〜
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 01:37

★山野泉歩さま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
>とても気さくで教養ぶらないお姉さんのような存在で…
遊郭でなくても、芸者さんや花街にいたお方も人間が出来ておられますよね
そういう意味では今の水商売は殆どが素人…お客さんも可哀相ですね…。

三味線を習っておれらたのですか、粋で素敵です〜
昔は、お座敷で小唄の1つも口にするのがたしなみでしたよね、祖父や父も色々やっていましたよ …今はそういう旦那衆も少なくなりましたね…。

遊女と芸子芸者の違い、勉強になりました。
今も、芸鼓さんや芸者さん達は、厳しい修行で高度な芸と教養を身に付けておられますが、彼女達は遊女ではありませんものね。
売春禁止法の後は風俗営業ですか…外国人の方が多いのですか…
勿論中の事は知りませんが…情緒がないような…ドライな感じがしてしまいます。
売禁法が出来てから性犯罪が増えたという人もいますから、必要悪かも?
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 01:04

こんにちわ〜
夕霧太夫をモデルにした舞台は拝見した事がありますがとても美人で男性を惑わせていたというイメージでしたがルルさんのブログを拝見させて頂いてイメージがすこし変わりました。本当に素晴らしい人だったのですね。
美人薄命と言いますが正にそのような・・長生きされていたら歴史も少し変わったのかも知れませんね・・ホント残念な気がします。
謎めいている人生だからこそ私達の心をとらえているのかも知れません。
Posted by:mako116  at 2008年05月21日(水) 00:52

読ませてもろたけど、西鶴はんは自分の理想の女性に、だいぶ脚色して、書かはったんやろな。
御参集の、紳士淑女のみな様は、確信してはるみたい??やけど・・
Posted by:〔うらら〕の特徴  at 2008年05月21日(水) 00:07

★どさんこさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
仰せのように、歴史から人の生き様が見えてきますね、ホント面白いです
お竜さんの写真、本物と判定されましたね。
彼女も魅力のある人ですよね〜
Posted by:ルル  at 2008年05月21日(水) 00:05

★花よりケーキさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
本当に〜!遊女と言うよりも、全ての女性、もっと言えば人間の鑑ですね 
もし長命で有ったなら…
慈悲深い観音様のようなお方になっていたのではないでしょうか
Posted by:ルル  at 2008年05月20日(火) 23:58

★kawayanさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
そうですね…このような文化があったことは複雑な気分ですね…。
福原の名は聞いた事がありますが、どの辺りか知らないのですよ。
そんなに古くからの歴史があったのですね、現在は福原ソープ街ですか…。
京都や大阪にも色々な場所に遊郭街があったそうですが、
やはりこの三大遊郭でない所は庶民向けで、遊女の質も落ちていたそうですね。
歴史や文学なんて言う程のものではありませんが、興味深いですよね〜
Posted by:ルル  at 2008年05月20日(火) 23:51

 先日の真田はんのときに書かしてもろたんやけど、難波史は、奈良時代から安土桃山まで空白期やね。

 でも江戸時代言うたら、商都大阪の面目躍如、難波なくても(下手なシャレ)井原はんの登場やね、もちろん。

 「ついに 出た〜」「待ってました〜」という感じやけど、私と同類項の世之介はんが登場しはらへんかったのは残念至極。

 まあ、それは今度芝居であんたはんとともに地で?????共演させてもらうことにして・・・・・な〜んちゃって。

 それはともかく、一つ気になったことがあるんやけど、

<わちきら太夫は分刻みのスケジュールでありんしたので、お大名様と言えどほんの数分しかお相手が出来ず・・・>
 
 大名相手だから「そうろ〜」調になるのは分かるねんけど、そんなに
「そうろ〜」の大名ばかりやったんかね〜
 そう言えば床上手ってあるさかいに素直に取っとこうか。

 すんまへん、初心なお嬢様にけったいな質問して。
Posted by:とっちゃんぼうや  at 2008年05月20日(火) 23:37

ルルさん  私でしたので、巡りあうこと出来なかったんですよ。
遊郭の詳しいこと知らないのです。
遊女といいますと、なにわの飛田新地か浅草の吉原。当時は公認の遊ぶところが多かったです・・。
それを夕霧太夫にスポットを充て、文学歴史的観点から現在に至るまで・・・、また改めて学ばせて頂きました。
Posted by:ちゃん  at 2008年05月20日(火) 23:30

★浅間山太郎さま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
仰せのように、男の出世舞台でもあったでしょうね〜。
一流の遊女や太夫を相手に出来る事は、男のステータスでしたものね。
井原西鶴、是非再度お読み下さい こちらこそ、ありがとうございました
Posted by:ルル  at 2008年05月20日(火) 23:23

1日ステージに来なかったらすごいカキコですね。
新町にはそのようなところがあることは聞いていましたが
すごい(すべてに行き届いている)女性がいたのですね。
女性としてはちょっと怖いです。
先日旅行中の男性の会話からも
余りに優秀な女性は近寄りがたく怖いと・・・
美人で頭良く性格も良い女。あこがれます。
今頃遅いですがその中の一つでも欲しかったですね。
Posted by:Yako  at 2008年05月20日(火) 23:22

★リンさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
いえいえ、私など、夕霧はんの足元にも及びまへん〜
遊女の世界は映画やTVの中にしかありませんが、本当に描いているかどうかは疑問ですね。仰るように、実際の遊女は、少女の時に売られて来ますので、
世間のずるさも知らず純真無垢のまま一生を終える人が多かったと思います
夕霧さんに比べると、私達は生き過ぎているかもね?(笑)
Posted by:ルル  at 2008年05月20日(火) 23:16

★熊五郎さま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
いえいえ、鳥さんの追っかけをしてるほうが無難でありんすわいな〜
夕霧さんの追いかけなどをしたら、身代をつぶしはりますよ〜(笑)
ほんま、なかなかこんな素晴らしいおなごはんはいてまへんね
Posted by:ルル  at 2008年05月20日(火) 23:06

★土筆さま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
>どんな境遇にあっても生き方があり、正道を生きることが出来ましょう。
はい、夕霧の生き方はまさにそうですね、
土筆さまの感謝考と共通する部分があると思いました
Posted by:ルル  at 2008年05月20日(火) 23:00

★きままさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
遊郭の女性って、ついアバズレのような色眼鏡で見てしまいますが、外の世界の醜さも知らず、中身は、一般女性よりも却って純粋無垢だったと思います。
遊女達は、いつまでも少女のままの心で悩み喜んでいたのでしょうね…
Posted by:ルル  at 2008年05月20日(火) 22:55

★散輪坊さま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
夕霧太夫の生い立ちは謎に包まれているとの事です。
私も、じっくり調べていないので分からないのですよ、ごめんなさい
Posted by:ルル  at 2008年05月20日(火) 22:45

★西行桜さま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
まさに美人薄命ですね。
ほんま、私はもう夕霧さんの倍も生きてますさかい充分やわ〜
花の盛りを過ぎて…醜態を晒してますわ…(って、ほっといてんか〜、(笑))
京都と大阪は昔から何事もご縁が深く、お互い親戚のような感じですよね。
二代目の夕霧さん、初代雁治郎さんの娘さんとか言うのは聞いた事があるのですが、あまりよう知らんのですよ。又、教えておくれやす。
Posted by:ルル  at 2008年05月20日(火) 22:40

★賢さま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
ご出張お疲れ様でやんす。2番手というのもいいもんでありんすわ〜
夕霧太夫さん、人間としても素晴らしく頭も良く、完璧な女性ですね、
男性でなくても、私も一目会ってお勉強させて頂きたかったでありんす
Posted by:ルル  at 2008年05月20日(火) 22:23

今の27歳とは比べ物になりませんね。
人間が出来ている、これだけのことが出来るから、
太夫なのでしょうね。私には絶対なれないでしょうね。
全ての人に等しくなんてね。
ルルさまはこの浄国寺のお檀家さんですか?
Posted by:ぶるーむーん  at 2008年05月20日(火) 22:21

★かおりょうこさま
こんばんは〜 いつもありがとうございんす
宮本武蔵のそのエピソードは知りませんでした。
一流のホステスさんもそうですよね、彼女らの賢さや心配りは学ぶ処が多いです。主婦連中の何倍もの気遣いと緊張感がありますね〜
Posted by:ルル  at 2008年05月20日(火) 22:16

ルルさん、夕霧太夫はやはりすごい方ですね。
いつも、ありがとうございます。 
Posted by:のり  at 2008年05月20日(火) 21:35

美人薄命か〜
短い人生でも充分だったんでしょうか。
せめてもう少し、
こんな女性は少しくらい容色が衰えても、違う美しさを醸すんだろうにおしいな。
Posted by:けいみょう  at 2008年05月20日(火) 20:45

ルル教授さま、こんばんは〜

今回のブログは色っぽい話題。スキ〜〜

読んでる内に昔に戻り体験したい。しかし平民はお金と地位もない、ああ願望のみですね。

この新道って「飛田」のことですか?泉州では「信太山」が有名、それと
今は無いが。「江口の里」

そう!「香華」で遊女の母と娘の物語、有吉文学であったね。
Posted by:グランパ  at 2008年05月20日(火) 19:11

花魁と馴染みになるのは、大変だったようですね。杉浦日向子さんの『お江戸で御座る』によれば、3日で100両は飛ぶと書いてありました。

一両が現在の価格では幾らかということになると、10両〜30両と何を基準にするかで大きく変るようです。最低の10万としても1000万です。

花魁の『身請け代』幕府は上限を500両というお触れをだしていても、1000両花魁が後を絶たなかったようです。

Posted by:MUSOU  at 2008年05月20日(火) 19:10

今度は夕霧太夫に華麗なる変身ですか
だからルルさんは色事に寛容なのですね。

ところで
>灰屋紹益に身請けされなはった吉野太夫さん
確か二代目でしたよね。鷹が峰に行ったときは必ず彼女の墓のある常照寺に詣でます。
また
>仙台藩の当主・伊達綱宗との交情があった高尾太夫さん
は確か四代目
でも私が好きなのは五代目高尾太夫。彼女、紺屋の職人と結婚し、幸せな人生を送ったそうです。
何故そんなこと知っているかって
それは六代目円生師匠の十八番、「紺屋高尾(こうやたかお)」が大好きだからですよ。

でも三大太夫とは知りませんでした。夕霧太夫はんのこと教えてくださり有難うございます。

さて魔女夕霧に会うにはやはり3年待たねばならないのでしょうか
いけねぇ、こりゃ紺屋の噺だった。
おあとがよろしいようで。
Posted by:メキシコのヒゲ親爺  at 2008年05月20日(火) 18:02

真田幸村の話から、今度は「遊郭・花魁」の話で、ルルさんの話題についてだけで手前は精一杯という感じでござる。もう少し早く生まれておれば吉原を体験できたかと思うと至極残念でござる。遊郭の話は、『江戸文化歴史検定』によく出題されておりまする。最後に「何故おいらん」と言うかというと、男を騙すのに尾っぽは要らないからと言う説もござる。
Posted by:麻布十兵衛  at 2008年05月20日(火) 17:43

免許町(公許の遊女屋が集まる遊廓)が廃止されてから既に半世紀余が過ぎた今日、夕霧太夫にお引き逢わせ願えるとは嬉しいですね!

美人薄命とは言え、27歳の生涯では世の男性の嘆き悲しみは今も昔も同じ。
「夕霧忌」なる俳句の季語も頷けます。

それにしても「ルル座」の出し物は素晴らしいな〜
次回の切符も買って帰ろう〜と。
Posted by:やうち  at 2008年05月20日(火) 17:31

何時も勉強させて頂いています。
有り難う御座いますです。
Posted by:ieiesan  at 2008年05月20日(火) 15:43

ルルさま
また素晴らしい!
ルルさまの該博な知識と歴史を読み込む力に毎度感服しています。
それにつけても江戸時代の古文を駆使し、正当な浪速弁を標準語と共に
自在に操られることに心から敬服してます。
ルルさまの美しさ、才幹、気風の好さ、夕霧太夫の生まれ変わりですか?
しかし大阪はこう言った歴史的な人の跡をお寺なりお宮なりで残していますね!
東京というか、江戸というか、何かそれより浅薄な気がいたします。
27歳の薄命の夕霧太夫と違って、もう28歳の坂を越えられたルルさまでしょうから、あと30年や40年は麗筆を振るって、我々凡俗の目を開かせ続けてください。
ほんまやで!  たのんまっせ!
Posted by:von Jagfeld  at 2008年05月20日(火) 13:18

芸者廃業後飲食店をしておられた方に知人がおりました。
数年前に他界しましたが私より一回りほど年上の方。
とても気さくで教養ぶらないお姉さんのような存在で家族ぐるみのお付き合いでしたが亡くなられてからは疎遠になってしまいました。
当時私も同世代に生まれていればそのような世界も経験したかも知れないと話題にしたことがありました。
三味線を習い小唄端唄を口にしたのももう過去のこと。
縁のない世界になってしまいました。
遊女と芸子芸者どう違うのか
少しばかり疑問があって成り立ちを調べましたら疑問も溶けました。
歴史を遡ると当初は神に仕える巫女として歌や踊りを職業としていたとか。
後に神社を離れ宿場や港で歌や踊りをしながら性を売るようになったと言われるようですね。
奈良期から平安期における遊女は遊芸伝播、遊芸伝承だったようです。
一方京都嶋原では太夫は体を売らなかったので芸妓であって遊女ではないと言われるようです。
高度な芸を身につけ教養を持ち接客する芸鼓芸者は姿を変えても生き残れたのはそのようなことがあるからなのだろうと思いました。
遊郭の形は残しても発祥当時の遊女そのものはどうやら昭和33年の売春禁止法で消滅したようです。
姿を変えて風俗営業として生き残っておりますがとんと縁のないところ。
外国人が多いようですが必要悪?でしょうか。
Posted by:山野泉歩  at 2008年05月20日(火) 11:36

ルル 様

歴史から人の生き様が見えてくるのが面白いですね。
最近、坂本竜馬の奥さんお竜さんの写真が出てきましたが、どんな人だったのでしょうか。
Posted by:どさんこ  at 2008年05月20日(火) 11:19

美しくて情が深くて品格もあり人間が出来て お稽古事にも長けている 
まさに遊女の鑑 いや 全ての女性の鑑ですね 
今で言う「あげまん」でもありますね 
27歳の若さで そうですから・・ 長命で有ったなら どうだったでしょうか 
Posted by:花よりケーキ  at 2008年05月20日(火) 09:11

時代の流れとはいえ、このような文化があったことは複雑な気分です。
こちらでも同じ原がつく、福原がありました。
と言っても私は知らないところですが!。
福原の歴史を検索すると、福原の歴史は古く、治承4年(1180)に平清盛が福原に都を遷都したことから始まる。 神戸・福原に都を置き、大輪田の泊を中心に貿易を進め政治、 ... そのため、遊郭は旧湊川中流の東側に移転、これが「福原遊郭」であり現在の福原ソープ街である。
と記されていました。
ルルさんのブログで、歴史や文学に接する機会が出来たように思えます。
Posted by:kawayan  at 2008年05月20日(火) 08:52

お早うございます。
一気に読ませて頂きました。
華やいだ世界のことですから男の出世舞台でもあったでしょう。粋で知的で優しさがチョッと羨ましい気もします。
井原西鶴の世界再度読んで見たいと思いました。ありがとうございました。
Posted by:浅間山太郎  at 2008年05月20日(火) 08:44

わかりました。夕霧はんの美しさは、ルルさんといい勝負だった訳ですね〜
遊女の世界なんて、映画やTVドラマの中でしか知りませんでした。(あったりまえか??
想像を絶する世界なのかもしれませんが、実際は、純真無垢だったのネ〜。 それにしても、27歳とは、まさしく”美人革命”!
Posted by:リン  at 2008年05月20日(火) 08:10

鳥さんの追っかけをしてるお爺もこんな人に
出会ったら即夕霧一筋に追いかけするかも。
なかなかこんなおなごはんはいてまへんね。
Posted by:熊五郎  at 2008年05月20日(火) 07:39

どんな境遇にあっても生き方があり、正道を生きることが出来ましょう。遊女、夕霧太夫のお話有難う御座いました。
Posted by:土筆  at 2008年05月20日(火) 07:12

 ルル さま♪ おはようございます

>遊郭の中こそが純粋な恋を夢見る事の出来る場でありました。

↑こんな視点で見たことがなかったので、新鮮。そうだったのね。
遊女達は、現代のわたしたちが想像する以上に無垢な心を持ち続けた
のですね。目からウロコです。いつも、ありがとうございます
Posted by:きまま  at 2008年05月20日(火) 06:46

 こんなことを詮索するのは野暮でしょうけど、
夕霧太夫の生い立ちはどうなんでしょう。
やはり親に売られたんでしょうか?
Posted by:散輪坊  at 2008年05月20日(火) 06:14

おはようさん。
いつもの名調子で、目が覚めました。

それにしても夕霧太夫さんはお若くして亡くならはったんですなあ。
美人薄命、ルルさんも気ィつけなはれや・・・。
その割には、充分生きてるて?誰や!
そんなことは思うてませんよ。

京都の嵯峨あたりのお生まれですので、親しみがわきます。
今でも秋に嵯峨の清涼寺で法要があり、嶋原の太夫さんも詣でて、にぎやかです。
二代目の夕霧さんは、初代雁治郎さんの娘さんで、暫く嶋原に出ておられた女優の中村芳子さん。その当時ちょっと話題を呼びましたね。
この方のお墓も清涼寺に在りますよ。

Posted by:西行桜  at 2008年05月20日(火) 06:11

残念2番でした。
Posted by:  at 2008年05月20日(火) 06:11

ルル姐さん、

出張先での起き掛けに読まして頂き〜あした。
勿論、顔は洗ってやんすよ。

どうやら1番のようでござんすね。

男の憧れ、夕霧太夫さん人目拝みとうがざんしたね〜。
『どんな人にも優しい気配りができ、文章も上手く、物をねだらないばかりか惜しみなく与え、情が深くて品格もあり人間が出来ている』
良い方じゃござんせんか。

長生きしなすったらようござんしたのにね〜。
Posted by:  at 2008年05月20日(火) 06:10

あやふやな記憶ですが、宮本武蔵が吉岡一門?と戦った後どこかの遊郭の太夫に助けられ、文化的な刺激を受けたような・・・・・・

銀座の一流と言われるホステスさんに共通する点があるかも
Posted by:かおりょうこ  at 2008年05月20日(火) 06:09