前略
くいだおれ太郎さん、
まずは還暦までの60年間ご苦労はんどした。
戦後から今まで、赤い灯〜青い灯〜の道頓堀を行き交う ぎょうさんのお人に育てて貰いはって、あんな盛大なお別れ会までして貰いはって、今頃は左団扇でエエ夢 見てはる事やと存じます。
世間さんは、『大阪のシンボルがなくなる』、いうて姦しい事でおましたが、あれ、誰が言うてはったんやろねェ?
多分、市外のお人や他府県から来たお人が騒ぎ出しはって、それにマスコミが乗りはって、いつの間にか皆さんがたのお題目みたいになったんですやろなァ。
Wikipediaには『くいだおれ太郎は大阪城、通天閣、太陽の塔と並ぶ大阪を代表するシンボルの一つであり…』なんて書いてありますんやでェ。なんも知らんと勝手な事や、あほらしィ。
私ら”根ェからのなにわっ子”に取りましては、様々なお店が工夫しておいでのキャラの1つ、江戸時代の文楽人形や芝居小屋の幟とおんなじ 道頓堀独特の風景の1つで、なんでこうも大騒ぎしやはるんか分りませんわァ。
そんなに言わはるんやったら、そのお人らも、もっとお店へ食べに行きはったらよろしかったんやァ。なら、閉めることもあらしまへんかったのになァ。
口の肥えた大阪人を相手にするのに、目ェをむくほど美味しい事も これと言う特徴もなく、なんや中途半端でしたなァ。
そこがアカンかった理由とちゃいますやろかァ? 後に出来た食堂ビルでも、もっと美味しいのんやお洒落なんが、そこいらじゅうにおましたさかいにィ。
道頓堀はうちの庭ですよってェ、しょっちゅうあんさんの前も通らせてもろてましたけど、近年は地元客より観光客で持ってはって…それも青息吐息やったと感じてましたえ…。
それより!今回の事で、あんさんの商魂と才覚を見せて貰いましたでェ。
3ヶ月前に大々的に閉店報道をしやはったんは、ほんまに賢い戦略でおましたな。それまで何とも思うてへんかった地元っ子までが、外からの渦に巻き込まれて残念がり、ぎょうさんのお人が来やはって、お店の売り上げを驚異的に伸ばしはったんやもん。
ほんで、会見の時の女将の機転の利く会話とはんなりした大阪弁まで評判になって、芸能プロが狙うてはるとか?
同じ大阪でも、船場吉兆はんとはエライ違いや〜。
太郎さんの値打ちもうなぎ登りに騰がり、入札どころか著作権貸しのお話まで出て…。TVでも特集を組んで貰いはって 全国に放送されるらしいですなァ。
やられる前に愛嬌と洒落で逃げる…戦時中一番弱かった大阪の兵隊さんと一緒や〜。お陰で、町内の蟹さんや海老さんや河豚さんらが くすんでしもうて ワヤや。
最後は三枝師匠・浜村純さん始め著名人に『大阪締め』で収めて貰いはって、女将さんも『くいだおれは日本一幸せなお店でございました、おおきにィ!』て満面の笑みで言うてはりましたわなァ。こりゃ〜役者が1枚ウワテどした。
石を宝石にする錬金術で、自分も周りのお人も 皆喜ばせはった。さすが なにわのあきんどや。ほんまにお上手で…おめでとうさんでござりました。
後はどないしやはるんか 知りまへんけど…、世間様ちゅ〜のは、一時は熱うなってもすぐ忘れはるもんから 気ィ付けなはれや。『去るものは日々に疎し』、『人の噂も75日』って言いますやろ(今は噂も、1割の1週間で消えますなァ…私ら古い人間は着いて行かれしませんわ)。
けど、あんさんの事やから、これからも才覚と浪花節で、しぶとう生きていきはると思うてます。ま、安心して見させてもらいますゥ。
ほな、ひとまず さいなら〜、ごきげんよろしゅに〜
。
↑写真で見ても、動く様をご存知ないお方に(周りの混雑でテーマソングが聞こえにくいですが…)
くいだおれ太郎さん、
まずは還暦までの60年間ご苦労はんどした。
戦後から今まで、赤い灯〜青い灯〜の道頓堀を行き交う ぎょうさんのお人に育てて貰いはって、あんな盛大なお別れ会までして貰いはって、今頃は左団扇でエエ夢 見てはる事やと存じます。
世間さんは、『大阪のシンボルがなくなる』、いうて姦しい事でおましたが、あれ、誰が言うてはったんやろねェ?
多分、市外のお人や他府県から来たお人が騒ぎ出しはって、それにマスコミが乗りはって、いつの間にか皆さんがたのお題目みたいになったんですやろなァ。
Wikipediaには『くいだおれ太郎は大阪城、通天閣、太陽の塔と並ぶ大阪を代表するシンボルの一つであり…』なんて書いてありますんやでェ。なんも知らんと勝手な事や、あほらしィ。
私ら”根ェからのなにわっ子”に取りましては、様々なお店が工夫しておいでのキャラの1つ、江戸時代の文楽人形や芝居小屋の幟とおんなじ 道頓堀独特の風景の1つで、なんでこうも大騒ぎしやはるんか分りませんわァ。
そんなに言わはるんやったら、そのお人らも、もっとお店へ食べに行きはったらよろしかったんやァ。なら、閉めることもあらしまへんかったのになァ。
左→普段は太郎さん1人。 右→最終日は 弟・次郎くんも応援の珍しいツーショット
私も、子供の頃は両親や祖父母に連れられて行きましたけど…昔はともかく、今日びの大阪人にしたら、『食堂ビルくいだおれ』は古うてダサい感じがしたのも正直な処だすゥ。口の肥えた大阪人を相手にするのに、目ェをむくほど美味しい事も これと言う特徴もなく、なんや中途半端でしたなァ。
そこがアカンかった理由とちゃいますやろかァ? 後に出来た食堂ビルでも、もっと美味しいのんやお洒落なんが、そこいらじゅうにおましたさかいにィ。
道頓堀はうちの庭ですよってェ、しょっちゅうあんさんの前も通らせてもろてましたけど、近年は地元客より観光客で持ってはって…それも青息吐息やったと感じてましたえ…。
それより!今回の事で、あんさんの商魂と才覚を見せて貰いましたでェ。
3ヶ月前に大々的に閉店報道をしやはったんは、ほんまに賢い戦略でおましたな。それまで何とも思うてへんかった地元っ子までが、外からの渦に巻き込まれて残念がり、ぎょうさんのお人が来やはって、お店の売り上げを驚異的に伸ばしはったんやもん。
ほんで、会見の時の女将の機転の利く会話とはんなりした大阪弁まで評判になって、芸能プロが狙うてはるとか?
同じ大阪でも、船場吉兆はんとはエライ違いや〜。
太郎さんの値打ちもうなぎ登りに騰がり、入札どころか著作権貸しのお話まで出て…。TVでも特集を組んで貰いはって 全国に放送されるらしいですなァ。
閉店時間の1時間前。見回した範囲だけでも…4大新聞・地方紙と、NHK、朝日放送、読売TV、毎日放送、関西TV、TV東京、TBS、フジTV等々…
アナウンサーやレポーターも来ていました。
「他に報道すべきもっと大事な事は?…なかったんですやろか?」
もしあのまんまやったら…お店は尻すぼみで遠からず倒産、太郎さんも破棄か倉庫入り…という処を逆手に取り、大フィーバーで有終の美を飾りやはった。アナウンサーやレポーターも来ていました。
「他に報道すべきもっと大事な事は?…なかったんですやろか?」
やられる前に愛嬌と洒落で逃げる…戦時中一番弱かった大阪の兵隊さんと一緒や〜。お陰で、町内の蟹さんや海老さんや河豚さんらが くすんでしもうて ワヤや。
最後は三枝師匠・浜村純さん始め著名人に『大阪締め』で収めて貰いはって、女将さんも『くいだおれは日本一幸せなお店でございました、おおきにィ!』て満面の笑みで言うてはりましたわなァ。こりゃ〜役者が1枚ウワテどした。
石を宝石にする錬金術で、自分も周りのお人も 皆喜ばせはった。さすが なにわのあきんどや。ほんまにお上手で…おめでとうさんでござりました。
後はどないしやはるんか 知りまへんけど…、世間様ちゅ〜のは、一時は熱うなってもすぐ忘れはるもんから 気ィ付けなはれや。『去るものは日々に疎し』、『人の噂も75日』って言いますやろ(今は噂も、1割の1週間で消えますなァ…私ら古い人間は着いて行かれしませんわ)。
けど、あんさんの事やから、これからも才覚と浪花節で、しぶとう生きていきはると思うてます。ま、安心して見させてもらいますゥ。
ほな、ひとまず さいなら〜、ごきげんよろしゅに〜
。 その後の『くいだおれ』。 ビルに≪長年のご愛顧ありがとうございました≫等の垂れ幕
右→入口の太鼓の横に、『わて、旅に出まんねん くいだおれ太郎 』 との伝言と絵
【くいだおれ人形の動画 (1分)】右→入口の太鼓の横に、『わて、旅に出まんねん くいだおれ太郎 』 との伝言と絵
↑写真で見ても、動く様をご存知ないお方に(周りの混雑でテーマソングが聞こえにくいですが…)
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at 03:43
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)ですが、いつかぜひ見学に行かせて頂きたいと思います。
バランスよく、大変行き届いたコメントです。



ルルさま










あ、チャイムが鳴りました、ほな又〜、毎度おおきにィ〜


…動画を取りながらナレーションを入れるのは、1人ではちょっと難しいですものね。そう言って頂き、嬉しいです
でも親しみを感じてもろて嬉しいです、おおきに〜




している事と思います。


こんばんは〜 お久し振りですね〜!
最近は忙しくてブログも書けず…失礼しています。
あら、とても残念な事でしたね。
松葉屋の名前が変わっているのは知りませんでした。
そう言えば最近は行っていないなぁ〜…地元の人は場所で分りますから、
いちいち店名を見ていないかも分りませんね。
道頓堀の今井もお時間が無かったのですね、それも残念でしたね。
この事で、後でメールさせて頂きます〜