★なにわ夢便り★

(44)平城京十条大路 [2007年06月16日(土) ]
13日、平城京の十条大路跡が発掘・確認され話題になりました。
これで平城京が当初は南北十条だった事が確実になりましたが、
しかし、誰が?何故?九条に変えたのか?が謎を投げかけています。

当時権力を持っていた藤原不比等が、帰国した遣唐使に「長安の都は九条であった」と聞かされ作りかけていた道を設計変更した、又「九」が皇帝の数字と考えられていたので止めた、等が有力視されています。

*条坊制…都市区割り。朱雀大路を中心として、東西に走る大路を北から一条、二条と数え、、南北に走る大路による区画を「坊」といいます。
(現在も、○条と名残りの住所がありますね)。

*宮と京「宮」と言うのは、朱雀門の内側(北)の天皇がおられる内裏や大極殿・朝堂院などの中央官庁のある部分で、
「京」は、「宮」を内に含んだ諸氏族が集住する特別行政区域で、朱雀門から南に向かって伸びる朱雀大路の南端・羅城門までの範囲を言います。政治経済の中心として機能するよう、都市計画に基づいて造営し、この地域が「都」となります。
 ↑拡大して下さい       ↓上と比べて下さい。羅城門の南に条があった?!

平城宮の存在した時期は、大阪にあった「後期難波宮」の時期と重なります。
難波宮と関係が深く、同じ様相で造営され遺跡・遺物に多くの共通点があり、
交流が深かった事も証明されています。
難波宮案内の参考資料としても再度じっくり探るべく、考古学研修に行って参りました(よって、なにわ夢便りの番外編として入れました)。

現・平城宮跡が他の都と異なる大きな特徴は、その後に遷都された平安京以降、奈良の都自体が放棄され寂れてしまった事です。
これは、難波宮が他所へ遷都後も経済都市として発達した大阪や、その他の大都会よりも発掘し易く、考古学上とても有利でした。
都市化が進行する事なくそれまで放置、あるいは耕作地だった120万平方メートル余の土地を国が買い占め、発掘・調査にあたっています(宮部分のみ)。

宮域全体が残されている平城宮は、又、様々な手法を用いて遺構の復元整備が行われており、復元データーの実験場でもあります。それらを試しながら、その中の最適な手法が今後の国分寺他の復元に利用される事になります
発掘調査のジオラマ

今日の平城宮跡 ←クリックして下さい・4分弱 (雨が降ったり止んだりで画像が悪い
音/韓国音楽・何茫然 (ハマンヨン)

HELP!半年振りに作ったフォトストーリー、無駄な黒い枠が出て写真が切れます。どうして?? どなたか教えて下さい!

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コメント


★omniaさま
こんばんは〜  こちらもご覧下さり嬉しいです
高校の修学旅行で行かれたのですか、と言う事は関西の方ではないのですね。
是非いらして下さい、秋の奈良は又趣があって良いですよ

BGMは韓国のCDから探しました。
私も、この場に立つと、いにしえ人の声が聞こえてきそうな錯覚を起こしました。
すぐ入り込むところも似ているようですね
Posted by:ルル  at 2007年08月08日(水) 04:52

動画を見させていただき、高校の修学旅行で行ったきりでしたが、あの頃とだいぶ様子が違うようですね。

BGMがマッチしていて、先日DVDで観た「MUSA-武士」という韓国・中国合作映画に感動したばかりでしたので、自分の起源をみているようで惹きつけられてしまいました。

その場に立って、いにしえ人に逢いたい衝動にかられます。(ちょっと、入ってしまってますね。適当に流してくださいませね。)

秋になったら、行ってみます。
Posted by:omnia  at 2007年08月07日(火) 08:43

★出臍、さま
こんばんは  お友達登録ありがとうございました
毎日忙しく…あちらのほうに中々顔を出せなくて申し訳ありません

古代史は面白いですね、おっしゃるようにロマンを感じます。
でも遺跡発掘は気の遠くなるような作業ですね。
またいらして下さいね、楽しみにお待ちしています〜
Posted by:ルル  at 2007年07月11日(水) 02:38

今晩は。古代史の研究は面白そうですね。発掘と一つ一つの検証作業の積み重ね。大変な作業ですね。文書との照らし合わせでだんだん明らかになる古代史。凄くロマンを感じます。歴史オンチ、PCオンチの出臍には目が眩みます。動画も感心しました。また寄ります。
Posted by:出臍、  at 2007年07月10日(火) 22:03

★albatrosssさま
こんばんは  いつもありがとうございます
歴史のロマンをかき立てられましたか?
動画、お見事なんて恐縮いたします〜、下手ですが時間だけは掛かりました
>早い機会に訪れたいと感じた次第です。 ルルさんに感化されたのでしょうか。
わ〜、嬉しいです!もし行かれましたら、ご感想を教えて下さいね〜
Posted by:ルル  at 2007年06月26日(火) 03:55

またまた歴史のロマンをかき立てられました。
動画による平城旧跡の紹介もお見事ですね。
早い機会に訪れたいと感じた次第です。 ルルさんに感化されたのでしょうか。
Posted by:albatross  at 2007年06月25日(月) 03:59

★きっちょむさま
こんばんは  いつもありがとうございます
コメントそのものが1つの詩のように感じました。
素晴らしいですね〜!
何度も読み返し、お返事の言葉を捜していますが…
感動して…相応する言葉が見付かりません…
Posted by:ルル  at 2007年06月23日(土) 03:13

この地を深く愛し続けた魂は、何度生まれ変わっても、カナリアのように同じ歌を歌い続ける。
「私はこの地を守るのだ」「この地の良さを遍く伝え続けるのだ」といつの時にか決意して以来、歌うことをやめない。

語り部となってこの地の良さを歌い続ける魂のある限り、この地に連綿と続く空間は閉じることをしないでしょう。

あるいは閉じられてしまった空間を開けて「ほらこの様に素晴らしい宝であったのだ」と世にしらせるために今生はこの世に出てきたのかも知れないですね。この地に存在した法則、それが生きる規範だとこの魂は信じて疑わないのでしょう。
時空を越えて持ち抱えてきたもの、それは愛の歌なのでしょうか。
Posted by:きっちょむ  at 2007年06月22日(金) 07:30

★miss-sumichannさま
こんばんは  いつもありがとうございます
ご帰郷だったのですね、お嬢様ともお話され、良い時間を持たれましたね
京都や奈良を始め、関西は碁盤の街が多いですよね。
右京・左京も、地方の人は間違い易いようですよ。

平城宮跡は近鉄電車から見えます〜、 朱雀門の中を走っています。
気の遠くなるような発掘・調査を重ね、どんどん整備・復元されていますが、
正直な所…綺麗過ぎて少し味気無さも感じます…。
Posted by:ルル  at 2007年06月22日(金) 02:06

京都は奈良を真似たものって聞いていましたが、その通りですね。縦も横の通りも同じ呼び方です。右京、左京も御所から見て右、左って・・・

京都駅から見たら逆になり不思議だったんですよ。

昔近鉄で奈良駅の手前に広大な空き地を見て、何だろうって。平城京もボツボツ復元されているようですね。

“歴史を紐解いて現実のものにする”気の遠くなる作業ですね。
Posted by:miss-sumichann  at 2007年06月21日(木) 23:53

★ちゃんさま
再度ご丁寧に、おおきに〜です
昨夜のブログは、ちゃんさま以外にも入れない所がありましたので、
明らかにサイトの不具合です、ほんま困りますね〜
「 浮気なら 許せるけれど 不具合は?!

鳳凰を撮った時は、雲1つない真っ青の空でしたので、綺麗に映えました。
あ〜、TV局のお話だったのですね…、ハイ、分かりましたよ〜
Posted by:ルル  at 2007年06月21日(木) 21:51

再度お邪魔虫でスンマセン。
昨夜のブログほんとに可笑しかったですね。
一晩たてばけろり。そこで
子鹿さんのような句は出来ませんが、{パソコンも  たまには浮気  許してね}
 それと鳳凰のUPがなんともいえない味。また全映像とBG楽しませてもらいました。
Hが目立つN。捏造さんのKとくればAはおわかりいただけましたでしょうか。ガッテン。
Posted by:ちゃん  at 2007年06月21日(木) 21:13

★ちゃんさま
こんばんは  いつもありがとうございます
ほんまや〜待ちくたびれて もう帰ろうかと思ってたとこやわ〜(笑)
いえいえ、どんなに遅くなってもお待ちしていますからご安心を〜

フォトストーリーを褒めて下さって、とても嬉しいです〜(ちょっと褒め過ぎやけどね・笑 ) NもAもKも…って、どなたの事かな?
>お返事メールでお疲れが出ませぬように祈念します。
お気遣いありがとうございます
グループ展、達成感と安堵で、今頃気持ち良くリラックスされているのでしょうね。
ところで、先程から、ちゃんさまのブログが何度やっても真っ白なのですが…??
Posted by:ルル  at 2007年06月20日(水) 20:20

9条・90番目・3と6で{かぶ}今頃UPに気がつくようでは、ほんまの、友達とちゃうやん、云われますね。今回もすでに皆様コメントされておられ、私が書き込むことはありません。
BGMの選曲のよさは何方かがお褒めでしたが、私は映像の編集、画面をとうしての、映像のフエードインから、パン、フエードアウト、などなど歴史映画カメラマンも、NもAもKも顔まけ。ご苦労の価値が随所にも感じられます。お返事メールでお疲れが出ませぬように祈念します。ありがとうございました。新しいまち作りもこうした歴史的な背景をもう一度勉強して取り組んで貰いたいものですね。
私のほうも漸くグループ展がおわりましてホット・ホットです。
Posted by:ちゃん  at 2007年06月20日(水) 13:48

★チバックさま
お邪魔虫、大歓迎です〜
>ルルさんならやりかねないから。
さすがに良くご存知で…(笑) 徹夜の常習犯ですからやりかねませんね。
資料館のお人が 「平城京跡は何も無いだだっ広い場所でゴルフ場よりも危険。雷が鳴ったら即座に避難して下さい!」 と仰いましたが…、120万uの真中では少々走っても無理です! ゴロゴロと聞こえる間は出ない事が原則です。

>ルルさんらしく、中途半端でなく、生き抜いてください。
ありがとうございます、
本当は半端な人間ではありますが…女の意地?は通したいと思っています
Posted by:ルル  at 2007年06月20日(水) 02:07

ルル様、
もう一回、お邪魔虫をさせてもらいます。
フォトストーリーは人が写っていないので(男性がひとり)、
てっきり夜明けかと。
ルルさんならやりかねないから。
でも<9時頃から夕方迄で、雨が振ったり雷が鳴ったり、
という中での撮影も大変。
お疲れ様でした。

<ボランティアやPCで疲れているのでは?等と家族に言われて止めるのはのは悔しいですので(笑)空元気を見せています〜
分かりました。
私はもぷ余計なことは言いません。
ルルさんらしく、中途半端でなく、生き抜いてください。
私はそこから学んでいきます。

Posted by:チバック  at 2007年06月19日(火) 21:55

★チバックさま
こんばんは  絶妙な遅れ方(笑)、いつもありがとうございます
十条大路は、仰せのように、730年までには廃棄されているようですね。
遣唐使は600年代も行っていますし、632年には唐の使節が難波津に到着して接待を受けています。平城宮は、前の都であった難波宮とは行き来がありましたので、その人達から聞いた事も考えられますね。
藤原不比等がいつ?破棄命令を出したか?が気になりますね。大路が何年間存在していたか?…それらが今後解明してくるのが楽しみです。
長屋王の邸宅跡は、以前は奈良そごうがあり、そごう撤退後はスーパーマーケットになっています。彼の力は凄いでしたね、平城京の計画段階から、長屋王とその妻・吉備内親王の大邸宅は確保されていたそうです。当時の庶民はゴミ扱い?
712年が古事記で720年が日本書紀ですね。
色々学習してくると…太安万侶や舎人もかなりの権力者なので都合の良いように書いたかも?と、記紀も額面通りには信用し難くなって来ましたねぇ(笑)

フォトストーリー、4回も見て下さって嬉しいです!時間を掛けて作った甲斐がありました〜  撮影は夜明けではなく、9時頃から夕方迄で、雨が振ったり雷が鳴ったり、急に晴れたりの変なお天気でした。

ペットボトルは環境問題もありますが、正直な所1番の原因は、私が古い人間という事ですわ〜。お茶は急須からお湯のみに、コーヒーはカップでしか味を感じない、ペットに直接口を付けるのに馴染まない化石人間です(笑)。余程の事がない限り、ペットや缶は頂きません、遅れていますね。

体調はもう1つですが…ボランティアやPCで疲れているのでは?等と家族に言われて止めるのはのは悔しいですので(笑)空元気を見せています〜
又今迄甘えていた実家の両親が弱っていますのも、少し落込んでいる理由です。
Posted by:ルル  at 2007年06月19日(火) 01:34

★菊さま
こんばんは  いつもありがとうございます
STAGEが今日又改装?したようで、今、やっと入れました

慣れとはそういうものでしょうね…、私は東京の町並みは馴染めず迷ってばかりです。 家康が江戸に幕府を移した時、道を曲りくねらせて作ったそうですね。
大阪の碁盤の町並みは攻められ易かったのを経験していましたので。
大阪・京都・奈良他、関西人は昔から碁盤に慣れている為東京の道は苦手です
大路に平行又は交差して小路がある事にも慣れています。
現代の大阪で言えば、今の朱雀大路は御堂筋でしょうかね。
Posted by:ルル  at 2007年06月19日(火) 00:04

十条大路の道路跡発見のニュースは、日経、読売6/14朝刊で知りました。 
読売は1面写真付で掲載するも解説は陳腐。
日経は社会面の扱いで写真なしですが、十条大路の道路跡情報、すなわち九条大路から約530m南で発見されたこと。路面幅約14mで両脇に幅1.5m〜2mの溝があること。
更にはルルさんが関心を寄せている「誰が?何故?九条に変えたのか?」にも言及していました。
私が注目したのは、いつ、十条大路が廃棄されたか。日経によれば周囲の状況から730年頃までに廃棄されたとありました。いつからなのかが気になります。
なぜなら、藤原不比等が死んだのは720年。
不比等亡き後は、長屋王が実権を握り、その長屋王は、729年、藤原4兄弟によって、自害に追い込まれる。
ところが、この4兄弟は737年、天然痘で全員があの世行き。
発掘が進むことで、歴史上の秘密がいろいろ解き明かされることを願っています。
*)ルルさんの愛読書、古事記と日本書記の完成もこの頃ですね。

ところでルルさんが夜明けを待って撮影したと思われる平城京跡の画像は素晴らしい。
真面目に4回も観てしまいました。
でもどなたかのブログに、ルルさんが体調を壊されたのでは?と、気遣っているコメントがありました。
クドイようですが、くれぐれもお身体をお大切に。
(でも、ルルさんの夫さんやお子さんが心配されていませんか?)

話し変わって、ルルさんはペット大嫌いなんですね。そう言われてしまうと、ルルさんらしい。
私の前職は食品工場を建設する職業。特に清涼飲料水製造工場の建設は得意でした。
PET製品の製造ラインは何ラインも手掛けました。
と言う訳で、PETに対しては寛容を通り越してお客様待遇です。
でも皆さんの厳しいお言葉を拝見すると、考えさせられるところがあり、勉強になります。
Posted by:チバック  at 2007年06月18日(月) 21:30

碁盤のような街並みを見ながら、なんか馴染めないのは東京育ちなのかな。
道路は曲がりくねっている先入観があるんでしょうね。さすが七曲は一箇所しかありませんでしたが、路地裏などは狭くて行き止まりまでありましたから、かくれんぼには最適でした。
武家社会が作る街は、城を中心としてゴチャゴチャに発展したおかげで道に迷うばかりです。かと言って朱雀大路はとてつもなく広かったようですが、これまた落ち着かない感じがします。変ですね。
Posted by:  at 2007年06月18日(月) 08:01

★blancさま
いつもありがとうございます
平城京跡は、どなたでも見る事ができますよ。
稚拙ですが…私に分かる事でしたら、何でもお知らせいたします(^^♪

>近いうちに?ルルさまに会いに、美女2人大阪にいきますから〜〜
えっ?!いつ頃来られるのですか?
計画された時点でメール下さいね〜楽しみにしています〜
Posted by:ルル  at 2007年06月18日(月) 02:26

★チョコミーさま
いつもありがとうございます
遷都1300年のイベントに関連して、関西に来られそうなお人で、
STAGEでも皆でオフ会のイベントをやるのも良いですね〜
Posted by:ルル  at 2007年06月18日(月) 02:19

★Yako.さま
こんばんは〜
もしかしたらご存知のツールかも分りませんが、
お会いした時にでも説明させて頂きますね。

ブログにもコメントさせて頂きましたように…今月末の愛染さんから、
天神さん、住吉さんと…大阪は何処でもお祭り一色の暑い夏を迎えますね。
夏女の季節がやってきました〜
Posted by:ルル  at 2007年06月18日(月) 02:02

★ieiesanさま
いつもありがとうございます
動画、FLVに預けようとしましたが、エラーになってばかりでした
何しろリニューアルしてから初めての動画で、四苦八苦しています
リニューアル前の動画は、黒い枠も出ないし、FLVにも預けて2通り作っていましたのに…同じ人間が同じPCでやっているのに…何故??原因が分かりません…
Posted by:ルル  at 2007年06月18日(月) 01:53

★von Jagfeldさま
再度ありがとうございます
音楽の事までお褒め下さり、恐縮です
韓国のCDの中から、何曲も聞いて選びましたので結構時間が掛かりました、
ちゃんと聞いてくださる方がいらっしゃると嬉しいです〜

あの後のメールは着いていないようですね…
STAGEの分なら、メッセージの下書きボックスに残っているかも分かりません。
送信したつもりが下書きに入っていた事、私も過去に何度かありましたので。
恐れ入りますが、お時間のある時に1度お調べ頂けますでしょうか?
Posted by:ルル  at 2007年06月18日(月) 01:45

★肇新さま
いつもありがとうございます
お陰様で、中国のお勉強をさせて頂いています。
日本でも「重陽の節句」をしますが、それにはそんな意味があったのですね。
Posted by:ルル  at 2007年06月18日(月) 01:28

★soraさま
いつもありがとうございます
おっしゃるように飛鳥の記事は多いですよね。
はい、平城京も他も、特に大阪関係は今後もどんどんやっていきます。
塩屋の事はお任せしますので(笑)、宜しくお願いしますね〜
Posted by:ルル  at 2007年06月18日(月) 01:20

★うどんげさま
いつもありがとうございます
そうですよね〜、遺跡発掘で歴史の謎が解明され、古代が目の前に出現するようです、夢がありますよね〜私もワクワクします
私のは自分勝手に書いているだけですが…今後の発表が楽しみですね。
Posted by:ルル  at 2007年06月18日(月) 01:14

★MUSOUさま
いつもありがとうございます
ブログの事項をネットで調べられるのですか、さすがですね〜。
私はまだ藤原不比等の人物像やその他を把握していません…
イスタンブールが東ローマ帝国の首都だった時代と平行するのですか、
で、そのトルコにツアーに行かれるのですか、いいですね〜!
どうぞお気を付けて〜お土産話が楽しみです〜
Posted by:ルル  at 2007年06月18日(月) 01:05

★西行桜さま
ブログではお久し振りですね〜、いつもありがとうございます
そう考えますと、整備され綺麗になるのも、良し悪しですね。
「シルクロード博」は子供が小学校の時に親子遠足で行きましたが、
子供達との思い出ばかりで、博覧会の事はハッキリと覚えていません(笑)

仰せのように「天子南面す」は基本ですものね。
あの地図はpicoさまのご指摘まで気付かず、下の図と同じだと思い込んでいました。それにしても奈良文化財研究所作成なのに、どうしてでしょうね?
若い頃覚えた年代って案外忘れないものです。
平城京の学芸員のお話によりますと、平安京の後、又都が帰って来るだろうと待っていたそうですよ、でも思い通りにならなくて寂れたようです。甘かった?

教科書の表記、最近は韓国や朝鮮関係は原語読みで教えているようです。
私達の時代に韓国の朴大統領はボクと習いましたが、今はパクと読み、有名な金大中は今はキム・デジュンで、キンダイチュウ事件と言ったら誰の事?と娘に言われました。キム・ジョンイルやウィルソンもそうですね。彼女に言わせると、お母さん達の時代にもニューヨークはニューヨークと言っていたのに、何故チンタオをあおしまと言っていたの?戦後の差別の名残りみたいで変だよね、との事です。
へいぜい読みは知りませんでしたが、この事と関係があるのでしょうか?

フォトストーリー、「境界線をなくす」ボタンはありません。フォトストーリー2だから機能が少ないですが、今迄は黒枠も出ず同じように出来ていましたのに…??
Posted by:ルル  at 2007年06月18日(月) 00:55

★グランパさま
こんばんは  再度ありがとうございます
そうなんです…この予算の1部のお金で、今生きている大勢の人が助かるかと思うと…今、そして今後、何が一番大切なのか?…複雑な気持ちですね。
それでも歴史的発見を楽しんでいる自分がいますので…少し悩んでしまいます。

はい、北野田に行く時は、ご連絡させて頂きますね〜。
Posted by:ルル  at 2007年06月17日(日) 23:32

こんばんは〜
ああ、わたしにはちんぷんかんぷんですが、平城京跡はきれいですね。
この場所は、誰でも観ることができるのですか?
数字の持つ意味、とても興味があります。また教えてくださいね(*^_^*)
近いうちに?ルルさまに会いに、美女2人大阪にいきますから〜〜
Posted by:blanc  at 2007年06月17日(日) 23:20

大阪、京都へ行く機会はあるものの、奈良へは中学の修学旅行と、その後高野山へ行く途中に立ち寄ったのみ。
平城宮跡の今日を拝見させていただきました。遷都1300年のイベントに関連してなんとかいく機会を作りたいものです。
Posted by:チョコミー  at 2007年06月17日(日) 18:23

ルル さん
えっ・・・そんなんあるんですか?一括して縮小したいです。
1枚1枚やっていました。こんど教えてね。

今日、日曜日は天神祭りの鐘や太鼓のお囃子が聞こえます。
我が家の傍の淀川、河川公園で毎年今ごろから練習をするのですね。
まだ爽やかなかぜと共に心地よい音が響いてきます。
Posted by:Yako.  at 2007年06月17日(日) 15:04


動画 今日の平城宮跡 素敵だけど 容量が大きいのでsave出来ない。
FLVかどこかに預けてもらえると、何時でも見たい時に見れるんですけど・・・・・
Posted by:ieiesan  at 2007年06月17日(日) 10:45

ルルさま
言い忘れていましたが、あの映像にお付けになられた音楽、とてもよく
合っていますね。各情景にうまく音がシンクロナイズされた感じで、
ルル様の感覚のよさにいまさら感嘆しています。少し雅楽調のところも
あれば、山並みへの憧憬が織り込まれているような趣のところもあり、
韓国の人の作曲ですか?!フーン、やはり古代日本人と同系列なので
しょうね。それにしてもルル様のセンスのよさに改めて脱帽。
ところで余計なことですが、一昨日にメール的ブログで(とでも言うのかな?)テストの後お送りしたものはそちらには到達してないようですね。
どないなっとんのやろ? まああまり気にせんときまホ。
ほな、お元気で!
Posted by:von Jagfeld  at 2007年06月17日(日) 10:05

中国では奇数を陽数、偶数を陰数としてきました。

「九」はその最大値でありめでたい数としてきました。かつその発音がjiu=ジョウといい「久」(久しい=永久)と同じです。

そこで陰暦9月9日を「九九」=「久久」(久しい久しい=つまり永久)につながるとして「重陽の節句」として寿ぐのです。
Posted by:肇新  at 2007年06月17日(日) 09:45

飛鳥ばかり クローズアップして、 平城京の事は、あまり表で、 
発表してくれなくて、 寂しかったので、 ありがとう!です。
これからも、 どんどん やってくださいね
Posted by:sora  at 2007年06月17日(日) 09:40

遺跡発掘で歴史の謎が解明されていくのは教科書で、ほんの少し興味を
持った古代に馳せる夢が目の前に出現しているようでワクワクします。
特にルルさんの解説記事は教科書は勿論、NHKでもまだ特集を組んで
ないのではと思わせるものがあります。
Posted by:うどんげ  at 2007年06月17日(日) 09:30

ルル様のブログを拝見するたびに、色々分からない事をイターネットで調べます。藤原不比等の人物像、平城の謂れ、奈良の謂れなども載ってました。
平城京があった時代、世界はどなだったんだろう等と思いをはせます。どうもトルコのイスタンブールが東ローマ帝国の首都だった時代と平行するようです。
たまたま、明後日トルコにツアー旅行に出かけますので、その辺の事も頭の隅に置いて観て来ま〜す。
Posted by:MUSOU  at 2007年06月17日(日) 06:40

奈良に行くと必ず行くのが「平城宮跡」。

ちょっと前まで、な〜んにもなくて、そこがたまらなく空想をかきたてられ好きでした。
今はあちこちに復元されたものが多くなってきて、人も増えて・・・。

京都の先輩である奈良。
三年後を機会に、地盤沈下を押しとめて、古都としての面目を保ってほしいと思います。以前行われた「シルクロード博」覚えています?
残ったのが登大路の地下道だけとは・・。

同じ条坊制の名残を残す京都に住んでいると、右京や左京と言った地図の常識を外れた位置関係も、すんなりわかるのですよ。
「天子南面す」これが基本ですもんね。
picoさんのおっしゃるとおり、カラー地図の左京と右京の表示がおかしいのでは?

なんと生まれた平城京、なくよ鶯平安京・・・。受験勉強で覚えませんでした?

それにしても首都移転なんて論議が始まって、何年がたつでしょう。
昔は天皇の一存で、また気まぐれであちこちと都ができて・・。
薬子の乱で嵯峨天皇が敗れていたら、また京都から奈良に都が戻るところでしたが・・。お陰で京都は千年も続いたのだから嵯峨天皇に感謝?ですよね。

今、教科書では「へいぜいきょう」って書かれているんだって、知らなかった。
いつもながらのルルさんの労作、ありがとうございます。

フォトストーリーの黒枠、気にならなかったけれど・・。画像を取り込んだ折、境界線をなくすってボタン出ませんでした?
Posted by:西行桜  at 2007年06月17日(日) 05:57

ルルさんへ
おはようございます。再訪です。凄い労力とお金を要するですね。複雑な胸中です。後世残す方法も考える時期ではないかと思います。唐招提寺もそうです。莫大な費用だったらしい。日本人の発想は作り替える。直すことも選択枝。この時期にこれだけ、後世に残すことではないでしょうか?時代で
その人で世の中が変わるってもう古いと思ったりします。世界の首脳会議は
今は環境ばかり、変わればまた違う議題になりかねない。その人の権力で左右されることは悲しいことです。
北野田に来る時は是非一報を。
Posted by:グランパ  at 2007年06月17日(日) 05:18

★静さま
こんばんは〜未だ起きていますよ いつもありがとうございます
私も、静さまの事を思い出しながら、平城京を回っていました〜。
拙いブログですが…宜しければ何度でもいらして下さいね、お待ちしています〜
Posted by:ルル  at 2007年06月17日(日) 02:58

★遊歩さま
いつもありがとうございます
平城宮の場所は、おっしゃるように「近鉄奈良線」の「大和西大寺駅」です。
難波から快速で30分、駅から徒歩15分位。でも中が広いですので、これだけを全部見ようと思うと10km程歩き、説明も聞き、じっくり見ると6時間程要します。

ジオラマは、「平城京跡資料館」の中に展示してあるジオラマを撮っただけです。
動画は、フォトストーリーで写真の1枚1枚の動きを作って繋げ、完成後ムービーメーカーでタイトルや音楽を入れて編集し、それをフォトギャラリーに預け、そのプロパティをリンクでアップします。それらのツールはどれもPCの中に入っているはずです。…うーん、説明が難しいです …又作るのにかなりの時間が掛かります。
Posted by:ルル  at 2007年06月17日(日) 02:50

こんばんは、というには遅くなり過ぎました〜

この話題、新聞で読み、関心を持っていました。
早速ここでこんなに詳しいお話を読ませて頂けるなんて思ってもみませんでした。
ありがとうございます!
多分また何度かおジャマさせて頂くと思います。
Posted by:  at 2007年06月17日(日) 02:26

★Yako.さま
まだ大丈夫ですので、お返事します〜
はい、3年後一緒に行けるように、私も体調に気を付けます。
一眼レフを買われたのですか?益々写真が楽しみですね〜。
ブログUPの画像縮小は、縮専を使っておられますか? これは簡単ですよ。
Posted by:ルル  at 2007年06月17日(日) 02:20

★包丁3本さま
いつもありがとうございます
そのコメント最高っす〜 参加する事に意義あり、正解です〜
フォトストーリーは見られましたか? PCによって見られないのもあるようです。
Posted by:ルル  at 2007年06月17日(日) 02:10

★どかみさま
いつもありがとうございます
お仕事、お疲れ様でした〜  株ブログ見ましたが、ボランティアから帰ってすぐコメントのお返事を書いていたので、あちらの書き込みは又の機会に、ね〜。
何事も、知れば知るほど、深くなるほど、面白いですよね、
私のは、向上心なんて良い物ではなく、ただの好奇心ですよ〜
どかみちゃんこそ、お仕事にかけて、凄いと思います〜!

フォトストーリーの黒縁、気になりませんでした? それを聞いて少し安心ですが…
私、あれが気になって何度もやり直し、丸1日掛かりきりだったの、ふ〜!
こちらこそ、色々とありがとうございました〜
Posted by:ルル  at 2007年06月17日(日) 01:50

★マリーさま
いつもありがとうございます
その後、ご体調は如何ですか? 
…そういう私も、季節のせいか?歳のせいか?芳しくありません…
平城京跡は、近年急に整備され綺麗になってきました。
選曲は韓国音楽の中でも結構迷いましたが…
マリーさまがピッタリと言って下さり、嬉しいです〜
Posted by:ルル  at 2007年06月17日(日) 01:04

★黒めだかさま
再度、ご丁寧にありがとうございます
新宮には徐福情報が沢山あるのですね、
「なにわ塾」、ここんとこ、少しバタバタしていますので…、お時間を下さいね。
分かり次第、メールさせて頂きます〜

ご来阪の節は、お知らせください、大阪でオフ会もいいですね〜
Posted by:ルル  at 2007年06月17日(日) 00:53

★Ruiさま
いつもありがとうございます
そうなんです〜、発掘調査そのものよりも、新事実が解明され、
その謎解きのほうがもっと興味があり、ワクワクしますね〜!

私のブログは、学んだ事を忘れない為に書いているだけですわ、
それを褒めて下さるなんて、こちらこそ、恐縮して…脱帽です〜(笑)
Posted by:ルル  at 2007年06月17日(日) 00:44

★Onkelさま
いつもありがとうございます
さすが中国通でいらっしゃいますね〜、私は未だ行った事がありませんが、
陜西歴史博物館という所に「平城京条坊図」があるのですか、
日本の古代史は、中国や朝鮮を抜きには語れませんものね〜
Posted by:ルル  at 2007年06月17日(日) 00:22

ルルさんへ
スケールの大きなお話し、興味深く読み、そして観させて頂きました。

「奈良」は現役時代出張で通ったことがありましたが、お話しの場所は「近鉄奈良線」の沿線に在る所のことでしょうか。(あやふやな知識切りありません)

それと お話の内容もさることながら、ジオラマや動画の作成方法も教えて頂きたい事柄なので、宜しくお願いします。

Posted by:遊歩  at 2007年06月17日(日) 00:19

★picoさま
いつもありがとうございます
右と左の考え方、仰せの通りですね、今は向かって右とよく使いますが…、
お雛様でも、右大臣・左大臣はお内裏様からの目で左右に並べますもの。

イタリアは教会が中心の同心円を描く都市成型ですか、で、トリノは碁盤、
世界の都市の区画の成り立ちも、調べると興味深いでしょうね〜
Posted by:ルル  at 2007年06月17日(日) 00:13

★やうちさま
いつもありがとうございます
やうち兄ィまで、学ばせて貰いました、って?!
自分の確認の為に、整理して記録しているだけの事ですわ〜
古代ロマンの地の上で、 も、良いものですよ〜。
奈良にも古い料亭や居酒屋はございますから〜

あの夢ブログは、そういう事だったのですか?
それにしましても…何となく使い難くなった感じはしますね…。
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 23:50

★花ちゃんさま
お久し振りです〜いつもありがとうございます
博覧会の後で、より一層綺麗に整備されました、まだまだ整備されます。
国が宮全体の土地を買い取ったので余裕をもって発掘できますが、
この資金は全部血税ですから、少し複雑ですね…。
ここの復元データを見ながら、1番良い方法を他の復元にも使っていくそうです。

考古学研修の基礎は終って、今は自由に研修を受けています。
>勉強させていただいてありがとうございました。
もう〜花ちゃんさままで〜(笑) 私のアホでイッチョカミは知ったはるやん〜
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 23:33

ルルさん大変だから再びコメントは良いよお互いに元気で3年後奈良へ行きましょう。体調気をつけます。写真を撮るぐらいならお手伝いできます。ニコンD40Xを買いましたので・・ブログUPには密な画像を小さくするのに時間がかかりますが。
Posted by:Yako.  at 2007年06月16日(土) 23:21

ルル姫正直いってチンプンカンプンごめんなさい
参加する事に意義あり一人位い、いいすよね
Posted by:包丁3本  at 2007年06月16日(土) 23:17

★あきさま
いつもありがとうございます
平城京は710年に遷都され、2010年に遷都1300年の大きなイベントを行います。奈良の各駅には、今からそのポスターが一杯貼ってあります。
発掘調査…ブラシや刷毛を使って遺品を取り出すのは根気が要りますよね〜!

フォトストーリーの黒枠、気になりませんでしたか? そう言って頂くと安心ですが…何故出たか原因が分からす…作っている時にトテモ気になりました…
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 23:15

★Kenrobさま
いつもありがとうございます
撮影の事、勉強になりました、ありがとうございます。
私、カメラもPCも勉強せずに、いつまでも初心者の位置で甘えています〜

『コメント出来ません』 って、それこそが大切なコメントだと思いました。
私は歴史が好きで、保管や復元にロマンを感じていますが…これにつぎ込まれる膨大な税金を考えますと、諸手を上げて賛成は出来ないようにも思えました。
知人の考古学者が、『死んだ人間より、今生きている人間の為にこそ税金を使え!』と言って現役を退かれた時から、少し複雑な気持ちでいます。
十条に何の価値があるかと言われると…想像の楽しさや歴史の認識が変わる事だけで…目の前の政治や福祉を勘案しますと…私もハッキリと答えられません
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 22:58

★Yako.さま
お忙しいのに〜いつもありがとうございます
お母様が高の原にいらした、そうですね、近鉄電車からよく見えます〜、
お嫁さんがコンパニオンでしたか、良い機会でしたのに残念でしたね。
2010年に平城京遷都1300年記念行事が大々的に行われます。
その為に朱雀門・東院庭園の復元を完成し、2001年からは行事の目玉である大極殿の復元が行われています。 その時に一緒に行きませんか? 
3年後、か弱い私が生きていたら、尚且つボケていなかったら、の話ですが…(笑)
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 22:31

★ほほさま
いつもありがとうございます
多分同じ新聞を見ていますよね〜(前のCM写真を見付けて下さった分?
書きたいことを書いただけで、そんなに凝っていませんわ〜。
ただフォトストーリは、久し振りなのと変な枠が気になって…1日掛かりました

今月末から、大阪は、大好きな夏祭りシーズンが始まります〜
夏女なのに今は心身共不調、それにチョット悩みもあって…未だはち切れません
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 22:20

ルルちゃん こんばんは〜〜

古代への思い入れ、知れば知るほどに深く面白いのでしょうね!?
古の都、、、人々の力の大きさが思い知らされます。
いつも向上心をもってとことん学習していく貴女の姿に先ず心を打たれます
そして、、、謎が解き明かされていく過程と検索。
マッタク、ド素人の私にも興味深く読ませていただきました。
ありがとう
フォトストーリーもとっても素敵でした。 黒い縁は気にならなかったけど・・・
解説付きで、うん!うん!なるほど〜〜って楽しませていただきましたよ。。。
Posted by:どかみ  at 2007年06月16日(土) 22:08

★熊五郎さま
いつもありがとうございます
平城京の鳥の事は、プロカメラマンがやっていたのを見たことがあります。
又、いつかアップされるのを楽しみにしていますね〜
ここの区画整理は奈良時代にされています、今は家が建った所もあります。
>イニシエ人の物語(ロマン)がいっぱい埋まってる気が・・。
そうですね〜、私もそれを感じました〜
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 22:04

動画ありがとうございます。修学旅行で 平城京に言った記憶があるのですが 当時はこんな風に復元されていなかった気がします。お陰様で とてもよく分かります。選曲もぴったりですが 当時の文化はすべて 韓国を通じて入ってきたのですから 雰囲気が合うはずですね!
Posted by:マリー  at 2007年06月16日(土) 21:36

★ぶるーむーんさま
いつもありがとうございます
教えてください、って〜?! 何を おっしゃる うさぎさん〜(笑)
ぶるーむーんさまは、お会いしていますので隠せませんわ、
私の、アホで ええ加減な所を ご存知ですもの〜
熱意だけはあるのですが…最近忙しくて心身とも不調で…。
ま、出来るだけ頑張りますので、宜しく お願い申し上げます〜
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 21:23

★道祖神さま
いつもありがとうございます
またまた、お恥かしい!〜そんなに大袈裟に仰るともう書けなくなりまする(笑)
中国史がお好きなのですか? 私は小説に出るような人しか知りません
この歳になりますと、歴史が、生まれた日本が、とても大切に思えて来ました、
多分、自分自身も古くなって来たからでしょうね〜

こちらこそ!ありがとうございます。今後共 宜しくお願い申し上げます〜
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 21:08

★von Jagfeldさま
いつもありがとうございます
あらら、、vonさまのような方にお褒め頂くと、又穴を探さないと…
映像は久し振りに作りましたので、前の事を忘れていて…
それに黒枠がどうしても外れず…音楽も迷い…丸1日掛かりっきりでした。

>この次には何を教えてくださるのでしょうか?大いに期待してまっせ。
わ〜!これはプレッシャーでっせ〜(笑)
心身共にバタバタしていますが、何とか晴れやかに頑張っていこうと思います。
今後共 どうぞよろしゅうに おたの申します〜
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 20:51

★とっちゃんぼうやさま
いつもありがとうございます
そのお説も、当っているかも知れませんね。
早いもので、2010年には遷都1300年で、一大イベントを計画しています。
私も何度か行っていますが…綺麗に整備されたのは…、
1998年のユネスコ世界遺産に登録されてからです、何だかねぇ〜?

>この平城宮は奈良朝の光の部分ですが、これから離れた四条以南は庶民の居>住区域。 政争はともかくとして、野糞立小便が常識だったころ、人口十万を超>すこの都人の糞尿、そして都のあちこちにそのまま放置されたままの人間や動>物の死骸、大仏建立のための胴液や水銀による環境汚染などこれらは影の部>分になりますよね
仰せのようにこの時代は権力者だけが良い目をして民衆はほったらかしでした。 「青丹よし」の奈良の枕詞になっている青丹も、緑青や丹土という毒を含んだ土で色を付けたそうです。貴族が力量を競い合い優雅に宴をしている中、奴隷のように使われ死んだり病気になった人々こそ、本当の歴史の立役者なのに…。
『遷都にともなう国民の過酷な負担』、1300年記念行事の為の復元予算も数百億円〜千億円単位の血税を充てる訳ですから、今も昔も変わらないようです。
復元作業や予算を見て考えされられ…少し複雑な気持ちです。

汲み取り式、知っていますよ〜、大阪市内でも微かに記憶があるような?
でも田舎へ行くと、割と長く使っていましたよね。子供心にトテモ恐かったです〜
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 20:38

★ヒャックリコさま
いつもありがとうございます。
私も、学生時代〜30代はあまり興味がなかったのですが、
50代になって歴史の重みに気付きました〜、そんなものなのですね〜
そうそう、サボテンステーキは、アロエのようにネバネバの汁?があります。
お味もそんな感じです(アロエを食べた事は無いですが(笑)何か似ている感じ?)
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 20:08

★ケンタッキー便りさま
いつもありがとうございます
そうですね、付け足そうとして、途中で止めた感じですね。
しかし、大宰府あたりは十二条あったとも言われていますし…、
どこも九条だったのか、そのあたりはまだハッキリしない部分もあるようです。
東洋の碁盤の目とパリのような放射状は、どういう理由でなったのでしょうね?

大阪も古代から碁盤の目ですが…大阪の陣で豊臣を滅ぼした家康は勝ったものの苦戦して、江戸に都を移すとき、敵方から分かり難い道で整備したそうです
ですから東京の道は平行では無く、碁盤に慣れている関西人はいつも迷います
アメリカの碁盤の目は、何処を参考に整備したのでしょうね。
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 20:01

ルルさま

早速の情報、ありがとうございました。
この2つのことは、知りませんでした。新宮の他の徐福情報は
知っていましたし、現地には2度行ったことがあります。
佐賀や串木野のことも調べています。

「なにわ塾」の情報、楽しみにしています。いつでも結構です。
大阪へ行く機会を調整したいと考えています。その節はよろしく
お願い致します。

万歳!
Posted by:黒めだか  at 2007年06月16日(土) 19:53

発掘調査をすることにより
新事実が解明されると言うのは興味深いですね。
でも事実が何故変わって伝えられたかの謎解きの方が
もっと興味がありますね。

それにしてもルルさんのブログはレベルが高く
素晴らしいです。
脱帽です。

Posted by:Rui  at 2007年06月16日(土) 19:42

★rinちゃんさま
いつもありがとうございます
>夫が次は「奈良へ行こう」と言うのですが、なかなか時間取れずにいます。
是非いらして下さい、平城宮のある『西大寺駅』と大阪の『難波駅』は電車で30分ですから、大阪も忘れずにね〜!蛸焼き・お好み焼きは関東より数段上です

フォトストーリーの黒い枠どうしてかしら?ねぇ〜。
今まで1度もこんな事がなかったので原因が分かりません、
何度やり作り直しても同じ結果で・・・これで丸1日掛かりました!
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 19:31

★黒めだかさま
いつもありがとうございます
徐福一行の道のりを物語にされるのですか、素晴らしいですね〜。
詳しい事は、大阪歴史博物館内の『なにわ塾』という所で調べると分かるかも知れません。 毎週行っていますので、時間のある時に学芸員に聞いておきますね。

又、徐福交流会として、以下の頁などもありますので、ご参照下さい。
http://www15.ocn.ne.jp/~nestplan/jyj/
http://www.jofuku.or.jp/

御来阪、歓迎いたします〜
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 19:20

★湘南ジョガーさま
いつもありがとうございます
仰るように、これは面白い新発見です。
NHKなどで、又特集を組んで、歴史上の謎解きをするかも知れませんね。
ここだけでなく、歴史的な場所に行くと、私はいつも鳥肌が立つ思いで佇みます。
是非奈良にいらして下さい〜そして古代のみならず近世や近代の歴史も一杯ある我が大阪にも〜
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 19:09

★子鹿さま
いつもありがとうございます
平城山の歌、学校で習った時はあの短調が悲しく聞こえてあまり好きではなかったのですが、歳を取ってから、とても良い旋律だと思えるようになりました。
子供の時は猿沢の池方面に住んでいらしたのですね。
『歴史は知れば知るほど面白い!』、仰る通りです〜
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 18:41

★メーのおばちゃんさま
いつもありがとうございます
朝日新聞は1面にも中にも載っていましたね。
勉強なんて大した物ではなく、下手の横好きですわ〜。
大阪・難波京も藤原京も皆碁盤の目ですね。古代は全て唐の様式を真似たのでそうなったようです。 今度は平安京に行かれるのですか?
メー姉ちゃんのブログは独特の個性があって、いつも素晴らしいですやん〜
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 18:32

★グランパさま
こんばんは  いつもありがとうございます
設計・施工は、隋や唐から多くの技術者が来て、彼等の指示によるようですね。
材料は近くの森や林で手に入りましたが、ノコギリは室町時代に出来たそうで、
それを切り、運び、加工するのは大変だったでしょうね。
因みに、大阪の難波宮復元プロジェクトは、現在大林組が中心になって調査していますが、熟練の宮大工による作業で、古代工法では1,447,490人の作業人と1,490億円を要し、現代工法でも590,700人と1,120億円を要するそうです。平城京の大極殿は2010年完成を目指しての復元工事も見せて頂きましたが、1つで300億の予算だそうです。これを古代にやったという事は、いかに多くの民衆の苦しみの上に天皇や貴族があぐらをかいていたか!が分かります。現代も、復元予算は私達の税金からですので、ちょっと考えてしまいました。歴史を愛する者としましては嬉しい事ですが、そのお金を福祉に使えば多くの人が潤うのに、と思うと複雑です。

良い勉強なんて〜恐縮します…今もボランティアから帰宅したばかりで、
ブログをやりだしてから益々忙しくなり、体もお肌もボロボロです(笑)
そのうち北野田へ美味しい物でも頂きに行きます〜
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 18:23

★モーリーさま
いつもありがとうございます
神様のプレゼントかも知れませんね、跡に何も建たなかったのでこうして残っていますが、他の場所は其々が所有している家やビルですもの無理ですよね。
3000年前にダビデ王が通った地下道ですか、それは凄いですね〜!
備前も色々と楽しみです〜、それに昔からなにわとも関係が深いですものね、
特に私は個人的にも関係ありますし〜
Posted by:ルル  at 2007年06月16日(土) 18:03

陜西省西安の陜西歴史博物館で
大きな板に書かれた「平城京条坊図」をみました。(^_^)
もちろん9条までしか有りませんが、
古の奈良の都と長安の繋がりを
改めて思い起こしています。(^^)/~~~

Posted by:Onkel  at 2007年06月16日(土) 17:13

なかなか興味のあるお話ですね。
ところで上のカラー図と下の白黒図では右京、左京が正反対になっています。平城宮を中心に考えれば、白黒図が正しいと思うのですが、、、、

イタリアは教会が中心に同心円を描くカタチで都市が成型されていきました。もちろん例外もあり、あのオリンピックが行われたトリノは碁盤の目に街並みがなっています。
Posted by:pico  at 2007年06月16日(土) 17:03

平城京「十条大路」の遺構こと 懇切丁寧なご解説で古代史に疎い私ですが興味深く学ばせて貰いました。
今回の発掘調査で従来の定説を覆し、今後の平城京造営や整備の過程を研究するうえで、新たなロマンが期待されますね。
何時もながらのルル様の素晴らしいレポートに拍手です。
取材お疲れ様でした。次回も楽しみに待っています。

追伸:先に教えて頂ききました幣夢ブログの表示不備の件、私の送信ミスが原因だったようです。どうも有り難う御座いました。
Posted by:やうち  at 2007年06月16日(土) 16:34

私も博覧会の会場として行ったことがあります。
それ以後は行ってないので、こんなに整備されているて画面を見ながら思いました。
国が120平米もの広い土地を買い取って、だから発掘も余裕をもってできますね。考古学上大切なものを復元データとして残して、これからの古い建物の修復に利用されるんですか?
考古学研修、まだまだ続いていたのですね。
勉強させていただいてありがとうございました。
Posted by:花ちゃん  at 2007年06月16日(土) 16:32

平城京は700年台の日本の首都だったかしら、
歴史の深さを感じますね。
発掘調査も大変そうです。

僕は、作成したことないから、わかりませんが、
フォトストーリー、音楽も入って、とても丁寧で見やすいですよ。
黒い枠、気になりません。
Posted by:あき  at 2007年06月16日(土) 16:19

こういった場所の撮影は強い影ができる晴天よりも、朝夕の光の弱くなった時や曇り日がねらい目ではないでしょうか。光が隅々まで万遍なく回って落ち着いた画像が得られると思います。肝心の部分が暗くなってしまわないよう、空はカットするか、必要最小限の面積に留めるといいと思います。
カビとの戦いに振り回され、今や工場のような様相を呈してきた高松塚古墳につぎ込まれる膨大な経費は果たして Justify するのだろうかと気になる遺跡音痴にとっては、十条発見の価値が分からず、何もコメント出来ません。退散。
Posted by:Kenrob  at 2007年06月16日(土) 16:17

数年前まで母が高の原にいたときはこの辺りを電車の中からよく見ました。母の住所も右京O丁目でした。弟の嫁が此処で博覧会があったときにコンパニオンをしたので、何回も見に来ないか?といわれながら、私は働いていたあわただしさで見にも行かなかったのです。新し物好きの私、関西のイベントをみなかったのが残念です。関西のことは少しはしらないとねーー。恥。。。
Posted by:Yako.  at 2007年06月16日(土) 15:11

新聞で見ましたが、ルルさんの手に掛かると
このような凝ったブログに!
地図に図面にジオラマまで!

ルルさんの好きな夏がすぐそこですね
Posted by:ほほ  at 2007年06月16日(土) 14:25

平城京は珍鳥がよく出る場所でしてたまに出かけますが
広い広い平坦な場所で大昔に区画整理されてるんでしょうか
イニシエ人の物語(ロマン)がいっぱい埋まってる気が・・。
Posted by:熊五郎  at 2007年06月16日(土) 14:03

皆様の様に難しいコメントは出来ませんが、
ルルさまのお調べになる熱意が伝わってましります。
知らないことが解るって、面白いことですよね。
これからも、教えてください。
Posted by:ぶるーむーん  at 2007年06月16日(土) 14:03

ルル  様

道祖神です。
改めまして、すごいブログですね。
驚愕としかいいようがありません

私も、中国史は好きですが、日本の古代史は高校と予備校で昔々
習ったくらいです。
これは専門家・学者の領域に達しているのではありませんか!
そのように思います。
これからも楽しみに、じっくりと味わわせていただきます。
ありがとうございます。
Posted by:道祖神  at 2007年06月16日(土) 13:18

ルルさま

 またまた素晴らしい古代遺跡の貴重なお話を開陳してくださって
感謝、感謝! それに付属された映像とても綺麗に再現できました。
色々お忙しい中を有難うございます。
この次には何を教えてくださるのでしょうか?
大いに期待してまっせ。
今日は関東地方は入梅宣言にも拘りませず見事な快晴です。
ルルさんのお気持ちもこのように晴れやかにお過ごしくださいますよう!
Posted by:von Jagfeld  at 2007年06月16日(土) 13:10

「十条大路」の記事は読みました。
素人の単純な発想で、長安を超える都を意図したのでは?
帰国した遣唐使や中国からの使節に「長安を超えるのは不遜」とのことで十条は廃止?
まあ、それはともかく、710年(なんと立派な平城京)、もう建都1300年に向かって大極殿が建設中ですね。
私たちの中学や高校時代の教科書では「いまから1200年あまり前・・・」とありましたが、もう「1300年」と教科書には載るんですよね。

私が初めてこの平城宮跡の大極殿に立ったのはもうかれこれ40年ほど前。当時はまったく荒涼とした原っぱで、大極殿の基壇に立っていた一本松が印象的でした。
この春、久しぶりにこの大極殿を訪れました。きちんと整備されまさに隔世の感でしたね。
この平城宮は奈良朝の光の部分ですが、これから離れた四条以南は庶民の居住区域。
政争はともかくとして、野糞立小便が常識だったころ、人口十万を超すこの都人の糞尿、そして都のあちこちにそのまま放置されたままの人間や動物の死骸、大仏建立のための胴液や水銀による環境汚染などこれらは影の部分になりますよね。
 
都を転々とした聖武天皇の気持ちも少しは分る気がします。もちろん天皇は結構な身分ですが、遷都にともなう国民の過酷な負担がともなったことは言うまでもありませんが。

糞尿ついでに、私が初めて大阪に行ったのは昭和30年夏。泊めてもらった家は長堀橋で手広く商売をしており、水洗トイレとテレビがあったのには驚きました。
 もちろんルルお嬢様も、汲み取りはご存知ないのでしょうね(笑)。
 また、このシリーズを楽しみにしています。
Posted by:とっちゃんぼうや  at 2007年06月16日(土) 11:23

歴史を振り返る時、今と違い全部人力によって作っていたことに
感心、驚きます。
学生時代は歴史にあまり興味が無かったです。
自分がこの年代になって歴史の重さ感じます。
Posted by:ヒャックリコ  at 2007年06月16日(土) 09:35

こうして見ると十条は付け足しのオマケみたいなもので、だから十条家は生まれなかったのですね。

それにつけても、東洋では碁盤の目に、ローマ、そして時代が下がったパリにしても、凱旋門から放射状に、どうしたわけでしょうかね。
アメリカは碁盤の目の本家のように思われ勝ちですが、精々19世紀のことで、最初はオハイオ州のクリーブランド市だそうです。ワシントンDCは例外的に碁盤の目の例ではないですね。
Posted by:ケンタッキー便り  at 2007年06月16日(土) 09:21

おはようございます。
奈良は、就学旅行で2回ほど行きましたが、ここは行った事ないです。
夫が次は「奈良へ行こう」と言うのですが、なかなか時間取れずにいます。
フォトストーリーを拝見したら、尚更行きたくなりましたネ。
そう言えば、私の最近のも、全て黒い枠が付いています。あまり気にもしなかったのですが。
「フォトストーリー3」を使っています。
Posted by:rinちゃん  at 2007年06月16日(土) 09:13

ルルさま

お願いがあります。
私は、縄文時代から弥生時代にかけて、大陸からの移民というか
渡来人たちのことに興味があり、特に徐福一行が日本に来てから
の動きを研究しています。
色々な説がありますが、そのひとつに丹後半島に上陸し、丹後王国
の基礎を創ったということに注目しています。
そこで、彼らの集団が丹後から大阪、奈良を経由して熊野までの
道のりを物語にしょうと考えています。近畿県内、特に大阪・奈良
あたりで徐福に関する情報が欲しいのです。
もし、機会がありましたら、関西で出向くタイミングで話を伺えたら
などと、勝手なことも考えています。

Posted by:黒めだか  at 2007年06月16日(土) 08:53

面白いですね。
歴史上の謎解きの活動には、是非参加してみたいですね。
古代人と共有する空間。そこで何が感じられるのでしょうか。
奈良は、このような遺構が多い理由も分かりました。
私の好きな奈良に、一層親近感が湧きましたよ。
Posted by:湘南ジョガー  at 2007年06月16日(土) 08:50

楽しく拝見しています。
平城をそのまま山をつけ(ならやま)と読ませて、歌があります。
奈良に都がおかれていた・・想像しながらいます。
五重塔と(猿沢の池をみおろし)南円堂へ続く道の左手に(芝居)の
語源になった舞台が残っています。
当時は知らずにあそんでいましたが・・・歴史は知れば知るほど面白い!
Posted by:子鹿  at 2007年06月16日(土) 08:47

朝日新聞に載っていたのは目を通したのですが、ルルさんはよく勉強しておられますね。
奈良から京都に都が移ったのだから当然ですが、街の形はそっくりですね。
24日「京都中年界隈」で平安京歩きに行きますが、私は雑学も楽しみながらですので、ルルさんのような学問的なまとめは無理だなぁ〜・・・。
Posted by:メーのおばちゃん  at 2007年06月16日(土) 08:44

ルルさんへ
おはようございます。ルルさんのブログには何時も感心しています。基礎学力に乏しい私ですので、「そうなんだ」って今になって知ることをしばしば
良い勉強になります。フォトストリーを傾聴して感じた点はこの時代の建築です。設計はどこから入手誰が描いたか、施工は誰がどのように考え指示し、材料の選択の判断はどのようにして?等々昔の人の偉大さを痛感しています。電気やガスや建機のない時代ね〜「知恵」「労力」ですね。
それにしてもルルさんって常に進化していますね。身体も肌も維持しながら
して下しね。
Posted by:グランパ  at 2007年06月16日(土) 08:30

平城京がこうして残っているのも、なんだか神様のプレゼントのような気がします。
大津の人が宮の後を発掘するのは絶対無理なんやと寂しそうでした。
古代の人の遺跡ってそこに立つとなぜかロマンチックな気持ちになりますよね。
10年前エルサレムへ行ったのですが、この地下道を3000年前ダビデ王が通りました。って説明聞いたとき壁に触れて、歴史がつながっていることを実感しました。
レポート楽しみにしてます。刺激を受けて備前女もがんばります。
Posted by:モーリー  at 2007年06月16日(土) 07:24





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