なにわ夢便り(41)・阪口楼 [2007年02月22日(木)
]
関西人なら誰でも知っているミナミ・宗右衛門町の
老舗料亭『南地大和屋』(明治10年(1877年)〜平成15年)の
阪口祐三郎氏(すけさぶろう・昭和36年没。全国花街連盟初代会長)の
弟・阪口金蔵(きんぞう)氏が創業し、大和家の分家として、
ミナミにはない幽玄閑雅の立地が風流人に愛されてきました。

明治時代の南地の花街で、
新興勢力ながらトップに登った『南地大和屋』と阪口祐三郎氏に
つきましては、
城山三郎氏・司馬遼太郎氏・他多くの方が逸話を書いていますので
又の機会に致しますが…、
大阪のみならず、大隈重信、吉田茂、大野伴睦、池田勇人ら日本の
政財界の重鎮が集い、まさしく明治以降の夜の商工会議所でした。
ちなみに、戦後、祐三郎氏の次男が創業したのが、
京都・高台寺傍の料亭『京大和』でここも格があります。
『阪口楼』も例外ではなく、明治・大正・昭和と賑わいましたが、
現在はひっそりと伝統を守っています。
お料理は、生き物は一切使わないという江戸時代からの『普茶料理』
ダシも、椎茸・昆布・かんぴょうだけで取っています。
嫁いで55年と言う美人女将(79歳)
「今日は風邪ひぃて寝てましてん、こんなんですんまへん。
元は鉄鋼所のお嬢さん。祐三郎氏(現経営者の大伯父)に
「鉄鋼所の娘は堅い(硬い)から間違いないやろ」と見初められて嫁に。
「老舗の嫁といぅのは冷遇され、奉公人や女中と同じ扱いでした。
妊婦になっても、曲りくねった階段の2階の狭い不便なお部屋で寝起きしてましたんや。ほんで階段を下りたとこにハバカリさん(トイレ)があったんやけど、お姑さんが『あんたはそこでしたらあかん』言いはるから、外に出て女中部屋のハバカリを借りてました。それが悪かったんですやろな、5人産んで、2人しか育ちませんでしたわ。今では辛抱でけへん事をよぅけ(沢山)辛抱しきらなあかん時代でしたなぁ…。」
「もう90年から使うてますねん。」、という輪島塗の器。1品づつ出る。
「昭和20年の空襲の時に、本家さん(南地大和屋)のおおだんさん(大旦那)、ごりょんさん(奥様)、芸者さん、仲居さん、男衆さん、女中さんら皆が焼け出されてここに来はったので、お隣の雲水寺さんの土地を半分分けて貰ぅて、阪口楼が今の大きさになりましたんや。」
* 雲水寺
(正式には和気山・邦福寺。聖徳太子の庇護のもと百済の人達が建立した古寺で 宇治の万福寺と同系列。雲水(諸国行脚托鉢の修行僧)達が多数出入りしていた為、俗に雲水寺と呼ばれた。1970年から北朝鮮の在日仏教連盟が維持し『統国寺』と改められ、元々建てた渡来人に返った。)
「お国同士は争いばっかりやけど、ここの住職さんは親切で礼儀正しいし、心洗われるお人だす。日本人以上に何でもよぅしはぁりまっせぇ(何事も一生懸命にされる)。」
「昔、うちの周りは、住友さん(住友銀行他)の社宅とお家、相撲茶屋があって、毎朝お寺の鐘と笙の音が聞こえ、何とも言えませんでしたわぁ…うちに通ぅて来はぁる雁治郎はんの下駄の音も、今でも耳にこびりついてますわ。
ちょっと前まで(女将さんのチョットは2〜30年ほど前)は、ろぉじ(路地)で鶯が鳴いてましたんやけど…住友さんの社宅跡地にいつの間にかラブホテルが建ち…今ではお腰に鎖をジャラジャラつけた兄ぃちゃんや金髪の姉ぇちゃんが歩いてはりますわなぁ。えらい変わりようですわ。」窓外の茶臼山と河底池 東には通天閣が見え、河底池には白鷺・青鷺が遊んでいた
*茶臼山
(日本書紀の推古天皇1年条に出てくる『難波(なにわ)の荒陵(あらはか)』はここの事、前方後円墳だが資料は一切なく未だに誰の墓か不明。南北朝以来合戦の舞台に。大坂夏の陣では家康・秀忠の陣営だった為、歴代の大坂城代は必ず訪れた。)
*河底池
(788年に難波の摂津太夫・和気清麻呂が23万余の人達を使い開削工事をしたが未完に終った。和気橋が架かっている。)
「大和屋の先代さんは芸者さんの学校を作りはって(明治43年・『大和屋芸妓養成所』を作り、親交のあった小林一三はこれをヒントに『宝塚少女歌劇』を創生)、地唄舞で人間国宝の竹原はんさんはその2期生でした。
生前はここにもよう来ゃはって、『きばっておくれやっしゃ!』って励ましてくれはりました。あのお人は素晴らしいを通り越えてまんなぁ、この世でこんなに綺麗なお人がいてはんのか!?っていつも思ぅてました。」
「本家の大和屋よりはちんまい(小さい)けど…それでもちょっと前までは芸者さんがこの廊下をずらーっと並んでお座敷に行きはりました。黒紋付の裾引きで、お襦袢は真っ赤、踊るとその黒と赤の動きが夢のように綺麗で…ほんで踊りながらも、お客さんの中で大人しい人や緊張してはる人がどの人か、よう見てはって、後で分け隔てのう楽しませてはりました。今のホステスさんやコンパニオンさんにはでけへん気風と技ですなぁ。」
「…ほんま毎晩が夢のような世界でしたなぁ・・・あんなええもん知りはらへんなんて…今の男の人は可哀相ですなぁ…」…夜も更け…女将さんのお話とお料理に満腹、おおきに、ごちそうさまでした…

JR・近鉄・地下鉄・各『天王寺』駅下車
天王寺動物園・美術館の前を北へ徒歩3分。
普茶料理の他、会席料理やお鍋も。要予約。但し、3月1日〜6日は臨時休業。
(夢ブログが不具合でしたので、こちらに書きました)
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ネパールと娘達・ONE WORLD FESTIVALB [2007年02月16日(金)
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≪今回の文は全て愚娘(愚息があってどうして愚娘は使わないの?この場合は豚児かな?)
のレポートより部分抜粋、親子なので著作権OK?≫大幅にカットしましたが長くなりすみません。
≪はじめに(キッカケ)≫
現地の学校で日本語や日本文化を紹介する交流研修に参加していた学生がたまたまキャッチボールをしたところ、各地で物珍しそうに近づく人の輪が出来、ネパールでは野球が一般的に知られていないことがわかった。
ゼミの教授から、野球も交流の道具に考えてみてはどうかとのアドバイスがあり、この言葉から「ネパール野球交流活動」が始まった。
今ではネパール側の学校やNGOもこれを受け入れ、ネパール・日本・双方がオリンピック出場を夢に、少しずつ進んでいる。
私は何度かネパールを訪れ、日本でもこれに関する活動を行ってきたが、
活動が続けられるにつれ、様々な問題が起こるようになった。≪国の問題≫
ネパールには法律的には禁止されているものの、カースト制度が強く残っており、苗字をみれば誰がどのカーストかだいたい分る。元々産業や貿易を持たない国であり、経済的に貧しい上、カースト制度による際立った貧富の差がある。児童労働も多く行われている中、人々の関心事はお金であり、安定した生活である。
スポーツが教育に取り込まれておらず、1部の私学を除いては、体育の授業も運動会も部活もない。
野球を始めた生徒達はその魅力に魅せられ、「とても楽しい」「続けたい」と目を輝かせ、選手になる夢を持つ子もいるのに、半年後にいくとその生徒がいなくなっている事がある。他の生徒に聞くと「家を手伝わないといけない」「転校した」「勉強が忙しい」など。
大人達にしてみれば、お金にもならないスポーツに精を出しているより、勉強して良い仕事に就き良い給料を貰う事のほうが大事なのである。
中には息子が野球をする事に寛容な親もいるが、彼等も心の中では、いつか日本側が野球で生計を立てられる環境を創ってくれる事を待っているのである。≪活動のつまずき≫
問題が生じた最大の原因は、大学の研修旅行として始まっただけの活動であるにも関わらず、日本とネパールが援助国と被援助国という関係を創りだしてしまったことである。
現在、世界で最も貧しい国の一つであるといわれるネパールでは、これまでに数々の援助、協力が行われている。そのためネパールの人々はその行為に慣れてしまい、無意識のうちに完全な受身状態になってしまっていることがその原因の一つであると考えられた。
そこで、なぜ交流として行われる私達の活動でもこのような関係が出来上がってしまったのか、また、ネパール側が受身になってしまったのだとすれば、ネパールの人たちがもっと自立できるようになるためにどのような協力ができるのかを考察した。(このように相手の自立の為と考えている私自身、本当に対等に相手を見ることが出来ているのかも疑問である。)ネパールの子供達が作った旗
≪経過≫
日本の学生達はネパールに野球道具が無い事を知り、日本で集め、そのまま彼等に与える事から始まった。道具は使用すると当然痛むのであるが、その修理に必要な物は紐1本でさえ日本にしかない。
日本も経済大国になる前は、開発途上国と呼ばれる国々と同じくらい物資がない時代を経験している。野球も、布を縫い合わせたグローブと棒切れのバットから今の立派な道具が出来上がった。
創造することには段階が必要であり、また、それぞれの国にはそれぞれの文化がある。その土地で他国のものを根付かせるためには、多少形を変える必要もあるのではないだろうか。先進国は性能の良い物を与えたほうが利便性があると考えるかも知れないが、それは勘違いである。自国の既製品を持ち込むことが協力と呼べるのか、もう一度考え直す必要があるようだ。
ネパールでは、学校や病院などの建物も援助国によって多く造られている。出来上がってすぐの頃は現地の人は喜び活用するのだが、何年後かに訪れると、学校には生徒も先生もおらず、病院には医師がおらず、一般人のアパートになっていたりする。これを見て、援助国側は彼らの自立性、持続性のなさに腹を立てることがしばしばある。しかし被援助国側にすれば、援助国側が造った建物を維持する技術を自分たちは持っておらず、機能しなくなった病院などは廃墟であり、病院としては廃墟であっても立派な建造物であるから住居にしたいと思うのは当然なのである。
自立性のなさを責めるのではなく、なぜ自立性がないのか、自立心を持ってもらうためにはどうすれば良いかをもっと早く考えるべきであった。
私達も、現地の生徒と一緒にグローブの紐の通し方を勉強したり、ネパールにある材料を使ってベースを作ることを考えたりしたが、それを彼らに示すことによって、彼らから道具を作るための提案が出るなど、自立を感じさせる行動を見ることができた。
もし自国の既製品を持ち込んでしまった場合に援助国側が行わなければならないのは、その物品の使用法、修理法、応用方法等を完璧に示す事である。さらに修繕などに必要な物や道具が現地で調達できない場合には、同じ機能を持つ代用品を現地材料で作りその過程をも彼等に示す義務がある。現地の人と力を合わせ考える過程で、相手の自立性も高まり持続性も期待できるのではないだろうか。≪結論≫
現存する活動は全て双方が対等の立場で行える可能性を持っているはずであり、これはNGOなどの草の根レベルの活動に留まらず、政府、ODAにも言える事である。
しかし、その可能性を形にするためには、協力活動に参加する一人一人が、相手国の自立ということについて考え直す必要がある。
そして疑問を持った多くの国民が協力の意味をもう一度考え、政府、民間に関わらず対等の立場での協働活動が行われるようになった時こそ、日本が本当に国際協力のトップ・ドナーとなれるのであろう。JICA(国際協力機構)理事長の緒方貞子さん
愚娘のエッセーや日記を表彰し、どこにでも就職できる印籠を下さった方。
しかし彼女は政府関係にも企業にも就職せず、バイトのお金を貯めては活動資金に充てている。
「緒方さんも上からの視察ではなく、同じ目線で協働し考えてほしい」と厳しい意見
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楽しい集い・ONE WORLD FESTIVALA [2007年02月12日(月)
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ONE WORLD FESTIVAL @ [2007年02月06日(火)
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毎年2月に大阪国際交流センターで開催され、今年で14回目を迎えました。
今地球上でも国内でも様々な問題があります。
それらの事実を把握し、伝え、出来る事をしたい。
次に私は何をやればいいの?
その答えを探すために毎年行っています。
まずはUNEP(国連環境計画)とGEC(地球環境センター)からのクイズ
@ 毎年アメリカで使われる1千億枚のビニール袋の生産に必要な石油量は?
a)19,000,000リットル b)190,000,000リットル c)1,900,000,000リットル
A毎年世界で1番エネルギーを使うものは?
a) 家庭冷暖房 b)航空輸送 c)自動車
B 世界で使用されるエネルギーは過去30年間でどのくらい増えたでしょうか?
a)70% b)85% c)100%
C 現在使われているエネルギーのうちで再生可能なものの割合は?
a)20% b)10% c)5%答えは全部(C)
今私達が使っている石油は2億8500万年前の石灰紀にできたもので再生不可。
裕福な人々が大量に使い大量のCO2を排出している陰で、
最も貧しい25億の人々は事実上全くそれに手が届きません。
CO2増加で、この数十年に北極の氷雪が4分の1以上縮小し、南極の棚氷が崩壊し大陸の外郭線が変化、気温が上昇するにつれ、気象システムのエネルギー量も増しハリケーンなど激しい暴風雨を引き起こしています。
日本は、アメリカ、中国、ロシアに次ぎ、
世界で4番目に温室効果ガスを出しています。
2005年2月京都議定書で、2012年までに日本はガス排出量を1990年に比べて6%削減しなければならないのを、現在、逆に8%増えています。言い古された事ですが今1度、
・ 徒歩、自転車、又は公共交通を利用し、車を使う時は多くの人と相乗りする。
・ 資源のリサイクル
(アルミ缶1個のリサイクルでTVを3時間つけるエネルギーを節約できる)
・ スーパー等で、ビニール袋をもらわない。過剰包装は断る。
等から見直したいと思います。右下にマザーテレサの言葉があります。
『世界には二つの貧しい国がある。一つは物質的に貧しいインド、
もう一つは世界でこれだけ困っている人々がいるのに
その事に無関心でいる日本である』
私達は食料の半分以上を海外から買っています。
しかしその3分の1(約2千万トン)は捨てられています。
又、牛、豚、鶏は輸入穀物を食べています。
例えば、牛肉1kgを育てるために必要な穀物は11kg、
1億人が1年間食べられる穀物を、日本は牛、豚、鶏に食べさせています。
日頃のお茶代のワンコイン500円の寄付で、
エチオピアの70人がパンを食べる事が出来るそうです。
(ONE WORLD FESTIVALは@〜Bあります)
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