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プロフィール
誕生日 遠い記憶[2008年09月27日(土) ]
お誕生日おめでとう。素敵な一年になりますように。

朝、アウトルックを開くと、数枚のバースデーカードが届いていました。愛らしいカード、ユーモアたっぷりのカードといろいろです。
家人はまだ夢の中。多分、目覚めても「オメデトウ」と声をかけてくれないでしょう。カードをみているうちにどんどんいい気分になりました。けさ、大阪は快晴です。

アルバムを整理しています。船のデッキで赤ん坊を母親が抱き、女の子と父親が赤ちゃんを覗き込んでいる構図の写真があります。

赤ん坊はわたし。臨月の母は博多で出産するつもりで台湾基隆港から門司港に向かう船に乗りましたが、予定よりだいぶ早まった。船長さんはじめ乗員のみなさんはあわてたことでしょうね。船上出産の証明者は船長です。戸籍謄本には「船長作成の航海日誌の謄本提出」と記してあります。
写真は、数ヵ月後、迎えに来た父親とともに台湾へ引き返したときに写したものです。


船の名前は吉野丸。1919年(大正8)から終戦一年前の1944年7月31日(昭19)まで、台湾と日本を結んだ8959トンの貨客船でした。第1次大戦終結後、敗戦国ドイツから賠償で得た船で、元の名は「KLEIST」。

都市−博物館プランナーの三輪祐児さんの著書「海の墓標〜戦時下に喪われた日本の商船」(展望社\1,890)によると、

吉野丸は南方輸送に従事したのち,昭和17年10月からは純白の船体に赤い十字を記した病院船として行動。1944年7月(昭19)に輸送船に再改装され関東軍の部隊輸送にあたることになります。

そして、関東軍の将兵5千を満載して7月29日に高雄を出港,マニラを目指しますが2日後に潜水艦の魚雷が命中、5千の兵士は「なだれのように海中に落ちた」と郵船戦時船史は書いています。

第133兵站病院史にはこの時の体験談が多く掲載されていますが、殆どの人が「この船は絶対沈まない」と叫ぶ船員の声を聞いたと証言しています。
放り出された兵の救助も緩慢でした。護衛艦が「今日はこれで終る。日が暮れると敵さんがやって来る。明朝来るからそれまで浮いていろ」と言って去ったあと、幾日も漂流して無人島に辿りついたという証言もあります。吉野丸の生存者は約2400名でした。


何十年前、名付け親のお名前を日本郵船にたしかめたことがあります。担当者は「資料がないので不確かだが」と前置きされたあと、船長は船と運命をともにされたといわれたような記憶があります。その際、お名前を聞いたような気がしますが、記憶にありません。

「この船は絶対沈まない」と叫ぶ船員の声。それは船長の声だったのか。
73年後のきょう、気になっていることの一つです。

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