シニア向けコミュニティ STAGE ステージ
50歳未満お断り! 紳士と淑女の知的コミュニティ (シニア向けコミュニティ STAGE ステージ) http://www.stage007.com

なんでもありです

プロフィール
造形作家から嬉しい便り [2008年07月29日(火) ]
千里中央近くの道路わきに、十体ほどのブロンズ像がある。「千里アートロード 〜Senri Art Road〜」というらしいが、説明は配置図一枚だけで、市のホームページの「景観」には記載がなく市役所で確かめたが所管がかわって不明という。痺れを切らして作者名をしらべメールしたのであった。今月1日のことだった。

>過日、彫刻群を撮影しました。その中に「語らい」という作品がありました。
印象的な作品でした。ぶしつけな質問で恐縮ですが、作者ご本人でいらっしゃいますか。



昨日、作者からメールをいただいた。

☆メールありがとうございました。新しいアドレスを使いはじめていたので、気がつかず返信がおそくなってしまいました。

懐かしいですね。
1985〜1994ある造形会社のデザイン部に属していて当時、製作に関わっていた作品だと思います。(今はその会社も無いみたいです。)
製作については、スケッチを担当していたのではないかと思われます。三面図、原型はそれぞれ別の人間が担当していて正確には私個人の作品というより、チームの代表者が私だったと言えます。

たぶん、個人の公募作品だけで構成するとアートロードのバランスが都市計画のなかの当地の構想・位置づけとズレてしまう可能性があるので造形会社も公募に参加させたのかもしれませんね。
正確なことはちょっと判りませんが、こんな説明で良かったでしょうか?


作者は本多厚二さん。プロフィールによれば、1962年石川県生まれだから、46歳か。85年、金沢美術工芸大学彫刻科卒業。モニユメント、彫刻等の企画を経て独立。99年銀座九美洞ギャラリーにて初個展。イラストと立体で雑誌や装丁で活躍とある。

「語らい」は文面から想像すると30代になられたころの作品か。
同氏のホームページ「HON @ World」には、千里の彫刻に似た作品がある。なんだかピノキオをつくったおじさんのようなユーモア と優しさがあふれている。ファンになった。

確認できなかった彫刻を見つけた。鈴木清貴さんの「陽だまり」というファミリー像である。



ぼくのフォトギャラリー「千里アートロード」

Posted at 06:45 | この記事のURL
コメント(0) | トラックバック(0)

おわかれの言葉 [2008年07月23日(水) ]
22日、社友の告別式へ。定年後も局のリモートコントロール部門で働いていた。享年75歳。歩歩歩の会の常連がひとり消えた。

「仕事一筋でまじめ、時折ユーモア交じりの話をするオヤジだった。家族と犬を愛し、時間があれば山野をめぐることを趣味にしていた。幸せでした」と長男が挨拶。

帰途、本人自身がゲンキなうちに用意しておく「最期の挨拶文」構想をK氏らに話したところ、興味津々。「ミニ自分史だな。それなら俺にも書けそう。見本を見せろ」と。T氏命名の「しのびぐさ倶楽部」の共感者が増えた。DVDによる「挨拶」についても興味を示した。

写真やスクラップブックの整理、住所録や名刺の整理。周辺にごまんとある無用のものをばっさり捨てる。だが捨てきれぬ。
平々凡々の人生を、数葉の紙切れに表現することの難しさをかみ締めながら、友の冥福を祈った。
遺影は和服姿。落語家のイメージ。彼らしい。

秋の総会の出席予定が16名を超えた。101歳のオヤジ、100歳のオフクロのからだの調子良ければ参加するよと老々介護中の北の友ふたり。

Posted at 07:45 | この記事のURL
コメント(0) | トラックバック(0)

ヤナの写真 [2008年07月13日(日) ]

産地偽証問題でウナギとり名人のことを思い出したが、あのとき探していたヤナの写真が現れた。流れが穏やかだから上流に行入ダムができた1998年以前の写真だろう。
もう一枚には浅瀬で石をつみ重ねている人がいる。こちらは2003年夏に撮影した写真だ。アルバムには台風が抜けた朝の田深川がある。堤防すれすれに迫っている。ダムがなかったら被害が大きかっただろう。

アルバムの整理がはかどらない。撮影日だけでもあると記憶の糸がほぐれてくるのであるが・・・。

Posted at 09:40 | この記事のURL
コメント(0) | トラックバック(0)

景観水路を歩く [2008年07月11日(金) ]
七夕の日、『野草を楽しむ 』『襍草の花暦―画文集』などの著作を遺された森田育之(ひでゆき)先生宅をお訪ねした。亡くなられたのは7年前の7月8日、79歳だった。
銀行マンだった森田さんは、還暦を前に、ちいさいとき苦手だった絵を描こうと思い立ち、画材に身近な野草を選んだ。そして、描く相手の特徴や由緒を調べるために万巻の書を読んだ。広くない家中が書棚になっていたことを思い出す。


「町の植物研究者が雑草観察の画文集を出版。同氏が主宰する研究会に行列・・・」。ある日のラジオのニュースで知り、お宅に押しかけ、強引にカルチャーセンターの講師をお願いした20数年前。座学と観察会を交互におこなっていただいたが、講座はつねに満席だった。
道端の草を、ゆったりゆっくり、寸刻みで移動する一行をみかけた人たちから、「なにごとですか。なにか見つけたのですか」とよく問われたものだ。

先生の家のすぐ近くを「中央幹線景観水路」が走っている。全長3千メートルの公共下水道である。
むかし、自宅をお訪ねした際、よく案内をしていただいたが、汚泥の匂いがきつく、まだ整備されていなかったせいか、雑草がおい茂っていたような記憶しかない。

お線香をあげたあと遊歩道を歩いた。
噴水やモニュメントが整備され、川の底までは見えないが、汚水のイメージではなかった。水量もありボートを浮かべてもよさそう。


いただけないのは落書きとゴミ。
少女の口につき刺さった煙草の吸殻。
水路をまたぐ橋のラブホテルの看板。違法ではないか。
放っとけないね、先生の声が後ろから聞こえてきた。

ビオトープがあった。
景観水路に来る人たちに心を和ませるような花作りをし、池に水生植物を植えてヤゴが育つ環境にしたいという「景観水路を守る会」など住民運動の成果のようである。


Posted at 19:42 | この記事のURL
コメント(0) | トラックバック(0)

願い事かなえます [2008年07月06日(日) ]
「あなたの願い事すべてかなえるわよ」という妖しげなメールがつづく。
幸い、サミットなみの厳戒体制を敷いているおかげで即削除になるのだが、その関門をくぐって、「イマ、いちばん会いたい人はだれ ?  イマ、一番したいことはナニ ? 」という質問を投じてきたメールがあった。


イマ、いちばん会いたい人はだれだろう、と指を折る。
この前までは、数えるまでもなく、その人の名前がすぐ出てきたのに、なんとしたことか…。

彼にも彼女にも、そしてあの人にも会いたい。ルルさんやいちごおばちゃんたちにも会いたい。みーんなに。

一番あいたい人、そして一番したいこと。ともにむつかしい質問である。

Posted at 12:26 | 日記 | この記事のURL
コメント(0) | トラックバック(0)

天然うなぎしか知らなかった頃・・・ [2008年07月03日(木) ]
産地偽証問題で、ウナ丼や鰻巻きの類いが我が家の食膳に供される機会が皆無になった。

ふと、ふるさとのウナギとり名人、ヨロさんを思い出した。ヨロさんはウナギだけではなく、川をせき止めた簗でアユや蟹を獲る専門家だった。

田深川の浅瀬のいたるところに石を重ね、餌をつけた針を仕込んだ「浮き草」や細長いかごを石積みの周辺にしかけた。かごは、いったん入ったら戻れぬ構造であった。

ヨロさんには河口の堤防の隙間にひそむウナギの釣り方を教えてもらったような気がする。先っぽに鉤針をくくりつけた竿を少しずつ動かしてウナギを誘うのだが、根気のないボクの動きには反応がなかったような気がする。

定期的に各家庭をたずねてくるヨロさんの魚籠からウナギを取り出すのはなぜかボクk役目だったが、あのぬるぬるが不気味で、ヨロさんが来る頃になると逃げまわっていたような気がする。

調理役は親父。まな板にウナギを載せ、頭部に錐を打ち込み、背中と骨をさばき、竹串に刺した。仕上げはお袋。たれに漬けてはひっくり返す姿を思い出す。

アバラヤにハエ捕りのガラスビンがある。
煎った糠と味噌で団子をつくり、ビンのなかに放り込み、ガーゼなどでビンの口をおおう。それを川底に沈ませて一夜待つとハエやフナ、エビなどがとれた。収穫物は鶏の餌にした。稀にアユが入ることがあったが、これは人間が食った。ウナギが入った記憶はない。



あれから60年…。
川岸はコンクリートの壁と化し、上流にダムができたため、水が溢れることはなくなったが、ウナギや蟹の姿をみかけることがなくなった。



Posted at 11:09 | 日記 | この記事のURL
コメント(3) | トラックバック(0)

<< 2008年07月 >>
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリアーカイブ
最新トラックバック