犠牲祭はイスラム最大のお祭で、羊(または山羊やラクダ)を屠り、神に感謝を捧げる日です。
あちこちの路地で、焚き火で羊を焼いていました。
昨年の12月30日はモロッコの首都、ラバトにいました。細い通りのスーク(市場)をガイドさんの案内で歩いていると、何度となく小いさなりヤーカー乗せられた羊が「メェ〜」と通り過ぎて行きます。
大きな通りに出ると、とても賑やかな一帯がありました。その人ごみ中にやっぱり羊が何頭か。イヤイヤした様子で首に巻かれた紐を引っ張られています。ある羊は足を踏ん張って、お漏らしまでしていました。ガイドさんに聞くと、翌日の犠牲祭に捧げられる羊ということです。
犠牲祭はイスラム暦(太陰暦 1年は354日)の12月10日で、昨年は12月31日がその日でした。
何日も前から、あるいは1日でもいいから、愛情を持って接し、世話をした家畜を屠るといいます。
大切な宗教行事を故郷の家族と共に迎えようとする人が多く、交通機関が混みあうそうで、お正月のような雰囲気でしょうか。
当日は基本的には一家の長たるものが羊の喉の頚動脈にナイフをあて、「神の御名の元に」という言葉を発し、一気に葬るそうです。堵殺を請け負う人もいるそうです。
その後は解体して、全ての部分を食べます。昔のしきたりでは焚き火で羊を焼き、保存はしないで使い切る。肉は3つに分け、みんなで食べる。一つ目は家族で、2つ目は貧乏で羊が買えない人に、3つ目はイスラム教でない人に。
羊を得て、楽しそうな様子です。写真も撮らせてくれました。
わたし達は31日は移動してカサブランカでした。
あちこちの路地で肉を焼く煙が濛々と立ち上っていました。そばを通ったら、みんなで分け合って食べた直後でしょうか。黒く焼けた頭だけがゴロンと残っていました。
みんな楽しそうな様子でした。
あちこちの路地で、焚き火で羊を焼いていました。
昨年の12月30日はモロッコの首都、ラバトにいました。細い通りのスーク(市場)をガイドさんの案内で歩いていると、何度となく小いさなりヤーカー乗せられた羊が「メェ〜」と通り過ぎて行きます。
大きな通りに出ると、とても賑やかな一帯がありました。その人ごみ中にやっぱり羊が何頭か。イヤイヤした様子で首に巻かれた紐を引っ張られています。ある羊は足を踏ん張って、お漏らしまでしていました。ガイドさんに聞くと、翌日の犠牲祭に捧げられる羊ということです。
犠牲祭はイスラム暦(太陰暦 1年は354日)の12月10日で、昨年は12月31日がその日でした。
何日も前から、あるいは1日でもいいから、愛情を持って接し、世話をした家畜を屠るといいます。
大切な宗教行事を故郷の家族と共に迎えようとする人が多く、交通機関が混みあうそうで、お正月のような雰囲気でしょうか。
当日は基本的には一家の長たるものが羊の喉の頚動脈にナイフをあて、「神の御名の元に」という言葉を発し、一気に葬るそうです。堵殺を請け負う人もいるそうです。
その後は解体して、全ての部分を食べます。昔のしきたりでは焚き火で羊を焼き、保存はしないで使い切る。肉は3つに分け、みんなで食べる。一つ目は家族で、2つ目は貧乏で羊が買えない人に、3つ目はイスラム教でない人に。
羊を得て、楽しそうな様子です。写真も撮らせてくれました。
わたし達は31日は移動してカサブランカでした。
あちこちの路地で肉を焼く煙が濛々と立ち上っていました。そばを通ったら、みんなで分け合って食べた直後でしょうか。黒く焼けた頭だけがゴロンと残っていました。
みんな楽しそうな様子でした。
Posted
at 23:09
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ホントに子豚などは頭付きのまま、上からつるして売ってますね。
クリスマスの頃に、イタリアの地方で、羽がむしり取られた丸裸状態の鶏が、頭が付いたまま台の上に直接ズラリと並べられ、お客が手で持ち上げて品定めをしていました。
イタリアにはウサギ料理があり、終戦後長い間、頭付きのまま販売しなければならないという規則があったそうですね。戦後の物不足時代、ノラ猫をうさぎと称して偽装販売が横行し、見分けが付くようにそういう規則ができたと、本で読んだことがあります。