古都フエからダナンを通り、かつては海のシルクロードといわれたホイアンに向かった。
<バナナの木・中央右寄りに小さなバナナ>収穫は年中で、5年で新しく植え替える
交差点でも商売が成り立つ
フエの街から国道一号線を60qほど走ると、やしの木の生い茂る小さな村があり、西側は干潟で、東側はビーチになっている。ランコー村という。
この海岸線に入ると、プライベートビーチを持つコテージ風のおしゃれなホテルが何棟か眼に入ってくる。
そして、もう1つ2つ、ホテルがあり、その先は広大な未開発の砂地が続いている。
「この辺り一帯は、ホテルの建設が予定されていて、ランコー・ビーチリソート地として開発されます」と、ガイドさん。
いつか再び来る日があるなら、やしの木に囲まれたコテージでノンビリ過ごすのも良いな、などと思いを馳せていると、トンネルが見えてきた。
(この写真はフエのティエンムー寺で)
<お寺で勉強中の子どもたち>経済的に恵まれない子どもたちがお寺に預けられて生活をする
ひとり一箱ずつ、持ち物一切がこの箱に納まっている。夜はベットとして使う。
2005年に開通した東南アジア最長の全長約6.3kmのハイヴァントンネルである。対抗2車線で、トンネル内は両サイドに960mごとに避難用ドアがあった。
かつては、ハイヴァン峠を越えるのに1時間要したところを、このトンネルができて10分程度で通過できるようになった。
「このトンネルは日本と韓国に作ってもらいました。有難うございます」とガイドさん。
このトンネルの真ん中からダナン側が日本で、フエ側が韓国なのだそうだ。
旅行中、他のODAや技術援助についても話が及ぶことがあり、その都度、ガイドさんは「日本のみなさんには、有難うございますです」と言う。
税金を納めてお礼など言われたこともないのに、思わぬところで感謝され、日本の代表でもないのに「アハハ」と笑うだけで、戸惑ってしまった。
街角のパンの露店
ダナンといえば「ベトナム戦争」が思い浮かび、アメリカ軍最大の基地がおかれた「基地の町」というイメージがあるかもしれないが、今はまったくその面影はない。
中部最大の商業都市で、沢山のバイクが行き交い、活気のある港町だ。
<バナナの木・中央右寄りに小さなバナナ>収穫は年中で、5年で新しく植え替える
交差点でも商売が成り立つ
フエの街から国道一号線を60qほど走ると、やしの木の生い茂る小さな村があり、西側は干潟で、東側はビーチになっている。ランコー村という。
この海岸線に入ると、プライベートビーチを持つコテージ風のおしゃれなホテルが何棟か眼に入ってくる。
そして、もう1つ2つ、ホテルがあり、その先は広大な未開発の砂地が続いている。
「この辺り一帯は、ホテルの建設が予定されていて、ランコー・ビーチリソート地として開発されます」と、ガイドさん。
いつか再び来る日があるなら、やしの木に囲まれたコテージでノンビリ過ごすのも良いな、などと思いを馳せていると、トンネルが見えてきた。
(この写真はフエのティエンムー寺で)
<お寺で勉強中の子どもたち>経済的に恵まれない子どもたちがお寺に預けられて生活をする
ひとり一箱ずつ、持ち物一切がこの箱に納まっている。夜はベットとして使う。
2005年に開通した東南アジア最長の全長約6.3kmのハイヴァントンネルである。対抗2車線で、トンネル内は両サイドに960mごとに避難用ドアがあった。
かつては、ハイヴァン峠を越えるのに1時間要したところを、このトンネルができて10分程度で通過できるようになった。
「このトンネルは日本と韓国に作ってもらいました。有難うございます」とガイドさん。
このトンネルの真ん中からダナン側が日本で、フエ側が韓国なのだそうだ。
旅行中、他のODAや技術援助についても話が及ぶことがあり、その都度、ガイドさんは「日本のみなさんには、有難うございますです」と言う。
税金を納めてお礼など言われたこともないのに、思わぬところで感謝され、日本の代表でもないのに「アハハ」と笑うだけで、戸惑ってしまった。
街角のパンの露店
ダナンといえば「ベトナム戦争」が思い浮かび、アメリカ軍最大の基地がおかれた「基地の町」というイメージがあるかもしれないが、今はまったくその面影はない。
中部最大の商業都市で、沢山のバイクが行き交い、活気のある港町だ。
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