神戸という意味は 神社へ付属し租税や課税を納める民
の意味とか。 神封戸と同じ意味だそうです。
生田神社の神封戸(神戸)の集落地だったのですね。
当時は元町通三丁目から生田川へかけての一帯。
神戸村の西には二茶屋村・走水村があり、開港時
1868年共に合併しまとめて 神戸村と云われたそうです。
7百石の天領地(幕府領)であり、戸数は5百戸
庄屋は生島四郎太夫。寒村だったそうです。
この生島四郎太夫が海舟の海軍塾、海軍操練所創立に
協力し、建設当時の海舟はこの生島四郎太夫別邸に住み
生島に将来性があるからこの辺り地所など買っておく事を奨め
その結果、豪商生島として維新後には大儲けしたとか〜〜
海舟は幕府から潤沢な建設費を そして運営費で
生徒の宿舎、衣類も支給したそうです。
練習船は観光丸、黒竜丸の二隻。
船手組支配(大阪)の人々を神戸操錬局付けと配置替え、
同時に長崎製鉄所を神戸操錬局の付属とし、こうして
海軍発祥地としての規模を確立していきました。
残念ながら操練所が閉鎖と察知した海舟は
操練所内に建てるはずだった記念碑を
生島邸の庭に埋めるよう頼みました。
この碑は1915年 掘り起こされ 神戸港がよく見える山手の
諏訪山公園内の金星台に現存しています。
写真は1973年建立の みなと公園内のレプリカです
「海軍営の碑」は 第4代兵庫県知事でもあった
外務大臣、陸奥宗光の顕彰碑と並んで建っています。
海舟直筆の碑文が読むことができます。
海舟はその後海軍奉行を罷免され、地所も没収されて
しまいました。 しかし翌年には幕府が
第二次長州征伐に失敗した際に和睦を成立させ
そして1867年の大政奉還後の江戸の無血開城を成し
江戸が火の海になるのを救いましたね。
こういう人物、平成の今、本当に熱望しますね。
坂本龍馬と他の塾生のその後については次に・・・
たった一年足らずながらも、こうして日本海軍発祥の地
として、海軍操練所跡が税関近くで記念碑となっています。
この場から将来の日本の海軍、海運を発展させる事となり、
そしてこの後 跡地は運上所(税関)ともなり、神戸開港地へ
そして外国人居留地に、国際港都へと発展していきました。
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at 19:07
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