私はこの絵を見たこの時から〜
ずっと興味を持ち始めていました。
1863年1月1日から5年後の1868年1月1日に開港する事が
ロンドン覚書で約束されていました。
勅許を得た幕府は大急ぎで開港の準備にかかりました。
同時に 6ヶ月前に外国人居留地の建設も始まりました。
幕府は外国奉行・柴田日向守剛中を兵庫奉行とし、
神戸海軍操練所を仮事務所とし、居留地開設工事を任命。
この工事請負人となったのも 庄屋・生島四郎太夫でした。
英人測量技師C・ブロック他二人が前年10月、居留地の
区画割り図を完成し日本側に提示しています。
しかし、開港式までに出来たのは外交関係と関税事務を
取り扱う運上所(税関)、波止場3箇所、倉庫3棟のみ
居留地は当然 未完成のままだったそうです。
1868年1月1日(慶応3年12月7日)開港式が運上所で挙行され
神戸沖では すでにこの日を待つ各国の外交団が軍艦に、
外国商人達も汽船に便乗していました。
この時幕府はすでに政権を朝廷に返上した混乱の中
出席した幕府側は柴田剛中と下僚たちのみ。
一方外国側は英国公使、米公使、イタリア公使、
和蘭公使、プロシャ公使など・・・
又沖合には6隻の英国艦隊、4隻の米国艦隊が集結し
日本国旗を掲げ、正午になると21発の礼砲を発射し
それに合せて汽船も汽笛を鳴らし、開港を祝った様子が
「神戸開港三十年史」に記されているそうです。
神戸村や近隣の村からも多くの人が 見物に集まり、
ガラス張りの和洋折衷の運上所が日光に反射して
キラキラ光るのを見て驚嘆し「ビードロの家」と称し
その後も 見物に訪れる人が多く 人気となったそうです。
揃いの緋ちりめんの法被(はっぴ)を着た群衆が
居留地の工事用車を曳き、当時流行していた
「エエジャナイカ」を踊り狂ったとか〜
この日のうちに 英国は旧海軍操練所の建物に、
フランスは生田神社内に、米国は鯉川筋の波止場前に
各領事館を開設しました。
開港日の内容は「神戸居留地の3/4世紀」を参照しました。
まさにこの時 日本は 歴史的な激動の時でした。
この2日後、朝廷の王政復古宣言により、
265年続いた徳川幕府が終了したのです。
そして開港直後に神戸事件が突発しました。
この事件の解決に奔走した功の結果、伊藤博文が
27歳で初代兵庫県知事に抜擢されました。
居留地工事に尽力し、建設は急ピッチに進みました。
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